父ちゃんとのタイ旅行も、折り返しの3日目になりました。
この日は1日かけてアユタヤ観光に出かけることにしました。またしてもベタ中のベタ、ベタキング(※昔、こういうタイトルのお笑い番組がありました)コースです。
パタヤとか、或いはもっと南のプーケットとかでのんびり…というプランも考えたのですが、短期旅行でしかもそんなに旅慣れていないオッサンには、帰国してから親戚や飲み屋のねーちゃんにみやげ話が出来るよう、有名どころを押さえておく方がいいかな、と思ったのです。アユタヤは有名だし、世界遺産でもあるしね。
1人旅なら正直「どっちでも…」だった場所ですが(ミャンマーのバガンを彷彿とさせるし)、短期旅行の父ちゃんには、オプション的な感じで楽しめるのではないでしょうか。
アユタヤではタクシーをチャーターして周ることにしました。クーラーの効いた車に乗っていれば勝手に目的地に着くなんて…いつからこんなにセレブになったんでしょう。
歴代タイ王朝の別荘バーン・バイン離宮、山田長政で知られるアユタヤ王朝の日本人町跡、アユタヤ最大の寺院遺跡ワット・プラ・シー・サンペット、個人的にはいちばん趣深くて好きなワット・ヤイ・チャイ・モンコン(いちいち名前が長いっ!)、木の根に囲まれた仏頭でおなじみのワット・プラ・マハタート…などなど、かなり教科書どおりなコースを辿りました。
アユタヤは、昔ここに王朝が築かれていたとは思えないほど、のどかな田舎町でした。超有名観光地のわりにはそれほど混んでおらず、遺跡の崩れ&ひなび加減もいい感じ。川のそばの屋外レストランでシンハーなんぞ飲んでいると、いかにも東南アジアらしいゆるい時間が流れていきます。
アユタヤのお約束その1。ワット・プラ・マハタートの仏頭。
アユタヤのお約束その2。山田長政(の像)。
ワット・プラ・マハタートでは、父ちゃんがいつの間にか、どこかに潜んでいたらしいみやげもの屋に写真を撮られ、出口にてその写真を貼り付けた皿を売りつけられるという、いかにもカモネギな出来事があり、大笑い。 わたしだったら1000%無視するところですが、よく考えてみると、カモになりそうな父ちゃんしか写真に撮られてない…さすがは百戦錬磨のみやげもの屋だわ。 父ちゃんも、知らない間に自分の顔写真入りの皿が作られていたことにびっくりしつつも、「まあせっかく皿になったんやし」と、その皿を購入…って、買うんかい!!!まー確かに、自分の顔入りの皿を手に入れる機会なんざ、そうそうないだろーけどさ(苦笑)。 「(皿を見て)一瞬、タイの国王かと思ったぞ」って、どこまでおめでたいんやアンタは…。帰ったらみんなに「これ、タイの王様やで」と云って見せるそうです。困ったオッサンです。昔はもっと厳格な父親だった気がしますが…まあいっか。
皿になった父ちゃん。「でも、リュックの肩ひもが見えてるのが国王っぽくないな〜…」と残念がっておりました(※個人情報保護のため、軽くモザイクをかけております(笑))。
さらに、タクシーの運ちゃんに、「象が乗れる場所があるよ」と云われてホイホイついて行き、その「エレファント・キャンプ」なる場所で、ダメ押しのように象さんにも乗っちゃう父ちゃん。。。 ま、タイと云えば象ですし、ここまで来たらまあ、話のネタに押さえておいても損はないか?この先の人生で、父ちゃんが象に乗れる機会もそうそうないだろうし。 「金払ったるから、お前も乗るか?」と云われ、(そういやわたしも象には乗ったことないな…)と迷ったものの、何となく気恥ずかしさが勝ってしまい、辞退しました。や、何か“父ちゃんと連れ立って象に乗っている自分の図”を想像すると、滑稽すぎて…。仮にも、3年以上も世界を旅してきたベテランパッカー(自分で云うな自分で)なのに、親子で象に乗ってるなんて微笑ましすぎるじゃん!(笑)
そんなこんなでアユタヤ観光を終えてバンコクに戻ったあとは、夕食にタイスキを食べて、散歩がてら夜のルンピニマーケットをひやかしてホテルに戻りました。
何だか気持ちよさそうに横たわっている涅槃仏(@ワット・ヤイ・チャイ・モンコン)。
最終日は再び、ナライホテルへ戻りました。 シェラトンともついにお別れかぁ…儚い夢だったなあ。 ま、ナライホテルだって全然悪くはないのですが、少なくとも、王様から貴族くらいに転落した感じは否めないよね(笑)。
父ちゃん、めったに行かない海外旅行ということで、弟くんや親戚一同から飲み屋のねーちゃんまで、幅広くみやげを買わねばならないらしく、ラストスパートでせっせとお買い物に励みます。 わたくしは、みやげものショッピングのどさくさに紛れて、前々から目をつけていたサイアムのとあるブティックに、父ちゃんを誘いこみました。 そこは『CANNNEL1』という、一瞬CHANELのパチもんか?と思えるような店名なんですが、ここがねえ、んもう、すんげー素敵なんですよ! サイアムのお店はどこもレベルが高いし、カオサンあたりでも可愛いTシャツやキャミソールはいろいろ売っているけれど、ここはブランドのオリジナリティが全面に出ていて、なおかつ乙女ゴコロをくすぐるディテール満載なのです。 スカートのプリントが、何とデザイナーのおっさんの似顔絵なの!ちょっとゴルゴ13チックなその顔が、天使モチーフとかレースとかスパンコールの中に埋もれているの!この、一見「合わんやろ」な組み合わせが、“スイカに塩”効果(?)で、かなり絶妙なの!何という素敵な遊び心! 細工がかなり凝ったものでも1着5000〜7000円くらいなので、日本価格で考えれば激安なのですが、まーパッカーのわたくしに買える値段ではありません。 そこで、みんなへのおみやげを買うついでに、さくっと買ってもらおー♪という魂胆です。え?お前はもう28にもなるいい大人だろーが!?って?ええ、まあそうなんですけど…父ちゃんが未来の、日本にいるわたしに“おみやげ”を買ってくれていると思えば、ちょっと時間がずれただけの話じゃん(?)。 それでも、さすがに何着も買ってもらうわけにもいかないので、悩みに悩んで、おっさんプリントではないスパンコールギラギラの花柄スカートと、天使の絵が入ったボーダーのタンクトップを買っていただきました(ああ、でも、おっさんプリントも欲しかった…)。 しかし、この先の旅路には無用の長物。日本に帰るまでしばしのお別れです。
そして、バンコク最後の夜は、わたくしの希望でバンコク名物・ニューハーフショーへ。 まさかゴーゴーボーイズに親子で行くわけにはいきませんが、ニューハーフショーなら純粋なエンターテインメントだから大丈夫でしょ♪ってことで、「MANBO」という有名キャバレーに行って来ました。 歌ありダンスあり、お笑いありミニ芝居ありの盛りだくさんな構成…は、ゴーゴーボーイズと基本的に同じですが(笑)、こちらはもっとショーらしいショーで、タカラヅカのレビューをB級にしたようなキッチュなキラキラ具合が楽しい。松田聖子似のニューハーフによる聖子ちゃんショーもあります。 聖子ちゃんニューハーフは大人気のようで、近くで見てもほぼ完璧に可愛いし“女”っぽい(まあ、超間近で見るとやっぱどっかオカマっぽいんだけど…でも、松田聖子じたいもちょっとオカマっぽいからいいのか(笑))。舞台終了後、小銭を払うと一緒に記念撮影できるので、父ちゃんもわたくしもしっかり写真を撮りました。どこにでもいるミーハー観光客そのものです。父ちゃんは、「ホンマにどっから見ても女やな〜。飲み屋に行ったら『俺のタイの彼女やねん』って自慢しよ」と、意外と喜んでいました(笑)。
オカマさんたちの華麗なる競演。
帰りに、劇場の近くの屋台で、タイラーメンを食べました。 タイ旅行の最後の夜なのに、もうちょっとちゃんとしたレストランにすればよかったかな…と思っていると、「こういう屋台の食べ物もけっこう美味いなあ」と父ちゃん。 常にこういうものを食べて旅を続けているわたしは、父ちゃんが、屋台の食べ物を美味しいと云ったことが、何となく嬉しかったりして。貧乏旅行も悪くない、ってことを、少しは分かってもらえたような気がして。
そのままホテルに帰るには何だか惜しくて(と云うか、オカマショーでバンコク終了っていうのもどうかと思って(笑))、ちょっとお茶でもするかと、たまたま見つけた小洒落たカフェに入りました。 夜風に吹かれながらアイスコーヒーなどすすっていると、父ちゃんから、まったく予期せぬ発言がぶっ放されました。 「もしな…もしやけど…再婚するって云ったらどうする?」 さ、さいこん……?って、ええええええええええ!?!?マジっすか!? …いや、薄々は、いずれはそんなこともあるかも?って、思ったこともあるけどさ。 わたしも今さら「お母さん以外の女の人と○○▲▲××なんて…フケツだわ!」といった反応を示すような年頃でもなく、父ちゃんには父ちゃんの人生があり、わたしが今好きなように生きているように、父ちゃんも好きなことをすればいいと思う。 思うけど…やっぱビックリだわ、感情レベルでは…。
わたしは、ひどく現実的な頭で、父ちゃんが再婚する場合のメリットとデメリットを、光速で考えました。 でも、明確に分かることと云ったら、もし財産分与とかになった場合、その人も絡んで来るんだろうな…ということくらいでした(←サツバツ)。 父ちゃんが本気で再婚を望むなら、わたしに反対する権利なんかない。わたしが一生父ちゃんと暮らすと確約できない以上は。 誰か、父ちゃんの側にいてくれる人がいれば、父ちゃんにとっても、わたしにとっても、メリットは大きいのかも知れない。 ただ、家族として、娘として要望を云わせてもらうなら、ひとつは、わたしはその人のことをお母さんとは呼べないこと。もうひとつは、父ちゃんの死後、醜い遺産争いにならないようにあらかじめ手を打ってくれること。それくらいでしょうか。 ま、遺産と云うほどのもんはおそらくないのですが、いちおう持ち家だし、生命保険とかも入ってるしね…って、普段は意識していなくても、潜在的にそういう気持ちがあることに気づいて、己の旅人らしからぬガメツさ(いや、値段交渉とかはいつもガメついけど…)に愕然としつつ、わりと真面目にその辺の話もしました。 いろんなことが、そのままではいられないんだよな。 父ちゃんはいつか再婚し、わたしもいつか旅を終え、結婚もするかも知れない、そして新しい家庭を築いていくうちに、父ちゃんは老いていくだろう。そして、何らかの不幸によって順番を間違わなければ、父ちゃんはわたしより先に死ぬだろう。 分かってはいるけれど、それが疑いようのない事実として胸に迫ってくるようでした。 そして、手前味噌だけれど、父ちゃんと一緒にタイを旅したこの4日間は、多分お互いの人生の道の中で、いつまでも小さく光り続ける思い出になるんじゃないか、と思ったのでした。
ところで、衝撃の話はもうひとつありました。 これまでお話しする機会もなかったのですが、実はわたくし、この旅路で一度、
「テレビに出ませんか?」
というメールをもらったことがありました。 確かあれは、グアテマラだかニカラグアだか、とにかく、中米旅行の真っ最中でした。 内容は、“海外に長く出ている人と、家族や友人との感動の再会”的な番組。 最初は「海外に長く出ている誰かを紹介してくれませんか?」という話でしたが、いつの間にか、「野ぎくさんが出るというのはどうでしょう?」という方向に変わってきたのです。そこで、家族か友人と連絡を取らせてもらえないか…と。 わたしは考えました。 家族と連絡なんて、まずありえない。となると、友人か…。 わたしはこの後、ニューヨークに行く予定にしている。ニューヨークなら友達も来やすいだろうし、あわよくば溜まった荷物なんかも持って帰ってもらえると助かるし(笑)…。
それで、古い付き合いの友人から急遽5人を選抜し(←何様?)、それぞれにメールで、もしそういう企画があった場合、協力してくれるかどうかを尋ねました。 その中で、すぐに連絡の取れた友人3名のアドレスを、簡単なプロフィールを添えて、その担当者に送ったのです。 …しかし、その後しばらく音沙汰がありません。何だ何だ、わざわざ友人にヘンな頼みをして、連絡先まで送ったっていうのに、梨のつぶてかえ。 と思っていたら、「今回は他のネタに決まりそうなので、しばし保留にさせてください」とメールが。それでいったん、その話はなくなりかけたかに見えました。 ところが、それから1週間後、「また野ぎくさんの話が再浮上しており、連絡を取りたいのですが」というメールが来ていました。 それでわたしは、云われたとおり、今後のルートをなるべく詳細に書き送ったのです。 しかしその後、ニューヨークに着く頃になってもメールは返って来ませんでした。こちらから催促するのもヘンな話なので、そのままにしていましたが、いつだったか、思い出したようにメールをしたら、「今回は他の企画になってしまいました。」 こっちが頼んだわけでもないのに、勝手に申し込まれて勝手に断られたのも若干恥ずかしいけど、無くなったなら無くなったで、メールの1本くらい送ってくれればよくない?テレビ業界って何様なの!?と大いに憤慨しました。が、ともかくもその話は立ち消えになったのでした。
…すでに風化していたその話が、ナゼか父ちゃんの口から出てきたのです(前置き、長っ)。
テレビの人は、わたしが紹介した友人の1人に、実際に連絡を取っていました。 ところが、友人がどう云い包められたのか、家族の連絡先を教えたらしいのです。 そりゃ、テレビ的には友人より家族の方が面白いに決まってます。加えて、友人が子持ちの主婦で海外には行けないということもあったのでしょう。テレビの人はこれ幸いと(?)、父ちゃんに連絡を取りました。 「『娘さん、どこにいるかご存知ですか?』って電話がかかって来よってなあ。『イギリスにおりますけど?』って答えたら、『…本当にそう思われてるんですか?』って云われて…」 何じゃそりゃあ!完全に誘拐犯の脅迫電話やんけ!!! ひでえ…テレビ的に楽しければ、人のプライバシーとか全く無視なんかい!?(しかも一般人なのに!)自らの保身のためとは云え、家族にはずっと黙っていたことで、事前のやり取りでちゃんとそれを話しているのに!? しかし、そんなむちゃくちゃ失礼な電話から始まったにも係わらず、父ちゃんは、「向こうが『とりあえず大阪まで会いに行きます』って云うから無碍に断るのもなあと思って、リーガロイヤルのロビーで会ったんや」…って、会ったんかいーっ!!!
そして、どうやらそこから話はかなり具体的に進んだらしく、父ちゃんに同行するタレントが○井○○になるとかならないとかいう話にまでなっていたそうな(ひょええ)。そして父ちゃんも、会社に休みを申請しようとしていたらしい(笑)。 が、ここで思わぬ伏兵登場。放送系の専門学校に行っている弟くんが、断固反対したというのです。曰く「そんな番組に出るなんて、どうせ面白おかしく取り上げられて、さらし者になって恥かくだけやで。絶対やめとき!」と。 息子にそんなふうに云われては…と、父ちゃんも思いとどまり、その話は丁重にお断りしたそうな。 以上、バンコクから、父ちゃんの実況でお伝えしました。
うーーーーーむ。。。 わたしの知らないところで、何という恐ろしい事態が繰り広げられていたものでしょうか…。いや、マジで背筋が凍ったぜ。。。 そうか、それであの話って、いつの間にか消えたような感じになってたんだなー…。 今、このバンコクにいるから、何だか笑い話のように聞こえるけれど、冷静に考えると、1年以上も父ちゃんと弟くんは、わたしがすでにイギリスにはいないことを知ってたってことか……? 道理で、たまに弟くんから「コラ!全然連絡ないけどお前は何をやってんねん!?」てなメールが来てたわけだ(苦笑)。 そのときは単純に、連絡を怠っていることに対する叱責かと思っていたけど、この話を聞いた後で考えると、いろいろと納得がいくことばかりです。わたしの知らないところで、えれー心配かけてたってことかい。。。
しかし、どこまでバレているかを詳しく突っ込むのはやめました。そんなことを訊いたら、己の首を絞めることになるのは明白です。 どうやらHPの存在は知らないようだし、せいぜいアジアとヨーロッパの国をバックパッカーで旅していたというくらいの認識のようだし…(でも、テレビの話が実現していたら、父ちゃんとわたしはどこで再会することになっていたんだろ?)。 東南アジアに入って、残すはあと4カ国。勝手な望みだけれど、あと数ヶ月の旅、父ちゃんにも弟くんにも黙って見守っていて欲しい。もう帰るから。あとちょっとで帰るからさ。 それに、せっかくのバンコク最後の夜。わたしはそれ以上は言及せず、「タイ、楽しかった?」と無難な方向に持って行き、父ちゃんも特に突っ込んでくることはありませんでした。
これまでヨーロッパしか行ったことのない父ちゃんでしたが、タイ旅行は楽しく、新鮮だったようです。 ここに来るまで、海外旅行の行き先として「タイ」という選択肢は多分、1ミリもなかったはず。でも、「タイがこんなに旅行しやすい国やとは思わんかった。日本からも近いし、また来てもええなあー」と云うくらいには気に入ったみたい。 そして、わたしにとっても、「親との旅行もなかなか悪くないな」と思えた4日間でした。
そして、翌日の早朝、父ちゃんは日本に帰っていきました。 わたしは、もう二度とこの水準のホテルには泊まれないので(涙)、チェックアウトギリギリまでホテルで過ごすことにしており、出て行く父ちゃんを、寝惚け眼で見送っただけでした。薄情な娘ですみません。 「また連絡せえよ」「んー、わかった」というのが、最後の会話だったでしょうか。
そして、魔法の解けたシンデレラよろしく、昼の12時を回った後、庶民の町カオサンに舞い戻りました。ああ、何だかんだでやっぱ落ち着くぜ(笑)。 と云ってももう、その足ですぐ夜行バスのチケットを買って、タオ島に向かうのですけどね。 束の間の休息を終え、ここからいよいよ本格的に、最後のステージ・東南アジア旅です。行くぜ、ラストスパート!(遅いっ!(笑))
水を飲みながら座禅を組む仏さん(手に注目)。
※ちなみに、前回と今回のタイトルは、近藤紘一著『バンコクの妻と娘』から拝借しました…って、たったの一文字しか違わんやんけっ;
(2005年5月10日 タオ島)
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