皆さま、日々健やかにお暮らしですか?健康っていいもんですよね☆いや、ほんと。。。 というわけで、ヤンゴン総合病院のご厚意により晴れてもとの体に戻ったわたしは、めでたくと云うかしぶとくと云うか、ミャンマー国内を着々と旅しています。
あれから、ヤンゴンには2日ほど滞在し、ミャンマー最大のパゴダ(仏教寺院)であるシュエダゴオンパゴダを観光しました。 退院直後は、あれほど己を反省し、腐った性根を入れ替えようと堅く決意したにも関わらず、民族衣装でミャンマー人のフリをして入場料をちょろまかすという行動を取ってしまいました。。。で、調子に乗って写真をバシバシ撮っていたせいで、正体がバレて捕まったという、バカげたオチ付き。 や、もともと警備が厳しければ大人しく払うつもりだったのですが、それまで1時間半近くバレずに来たもんで、いざ払うとなると惜しくなり(あと数枚写真を撮ったら帰ろうとしていたところだったの)、この期に及んでまた、必殺技「お金がないんですよ」を使い、結局、2ドルと500チャットというよく分からない金額を払ったのでした。 入場料は5ドルと聞いていたので、半額で入れたことになるわけですが、よくよく他のレシートを見てみると、3ドルだの500チャットだの、てんでバラバラ。。。どうゆうことなんでしょうか。 そしてわたし、捕まったのがよほど悔しかったのか、名前のところに汚いひらがなで「やまだはなこ」と書き殴った上、国籍をchinaと偽り、サインの欄には日本で云うところの○○○(自粛)マークのようなものを書いてしまいました。最低な人間ですみません。。。 でも、パゴダは素晴らしかったです。
ヤンゴンを出て、まず向かったのはミャンマー北部にあるインレー湖でした。 バスで18時間という果てしなく長い移動で、病み上がりの身体にはどう考えてもハードでしたが、いざ来てみれば、そんな労苦も忘れ去るくらい、期待をはるかに上回る素晴らしい場所だったのです。 拠点となる村・ニュアンシュエ(覚えにくぅ〜;)に着いたのが朝5時半。バスを降り、ピックアップトラックを捕まえるまでの道すがら、赤い玉のような朝日が、田園のはるか向こうに昇り始めていました。つい数日前まで病院のベッドから動けなかった自分が見ている光景とは思えないほどそれは美しく、心を揺さぶるものでした。
そして、宿がまた素晴らしいんですよ。 1泊5ドルで、何とまるまる1棟、籐のコテージが与えられるのです。しかもバストイレ付きでホットシャワーまで!
あまりの嬉しさに、部屋の中でくるくる踊り出してしまいました。 そんな快適な部屋でひと休みして、ニュアンシュエのマーケットに行ってみれば、不思議なものや可愛いものやつまらないものがたくさん売られていて、少数民族たちが各々の民族衣装で売り買いをしています。人と店の間を縫うようにして、買い食いなんぞしながら気ままに歩いていると、えも云われぬ幸福な気持ちになります。ああ、マーケットって最高〜。 ひとしきり満足したあとは、運河に沿ってお散歩。村の中心を離れると田園風景が果てしなく広がり、遠くの方に、パゴダと大仏が忽然と建っています。それを目指してずんずん歩いて行く道すがら、農家の人に「ミンガラーバー(こんちわ)」とミャンマー語であいさつすれば穏やかに微笑み返してくれ、遠くの方からちびっ子が手を振ってきます。 ああ…何という美しい時間、そして世界は何という美しさなのか。その中にいる自分の、何と幸福であることか。大仰なことを云っていますが、本当に、そんな気持ちになってしまいます。 再び集落に戻ってぶらついていると、地元のおばさんが家に上がらせてくれて、遊びに来ている親戚たちに囲まれて何となくにこにこしているうちにもう夕方。 「また来ますね」と云って家を出て、村に1軒だけある人形劇小屋で素朴なパペットショーを観て、2ドル弱で出べられる美味しいバジリコスパゲッティを食べて、宿に戻って。不思議なほどにゆるやかで、しかし満たされた、麗しい1日。
ニュアンシュエの市。
カラフルなかごバッグ。こうゆうの、日本のおされ雑貨屋でで買ったら1000円くらいしそう。
というわけで、村だけですっかり満足してしまいそうになりますが、インレー湖をさらに堪能するならやはりボートトリップに行かねばなりません。 わたしも、同じ宿の旅行者たち4人とボートをシェアして、朝も早よから行って参りました。 三日月形の木のボートでインレー湖上を滑るように進んでいくと、高床式の住居が点在し、カヌーやボートで行き交う人、あぜ道の上を水牛に乗って歩く人などが、時折目に飛び込んできます。その穏やかな美しさに、いちいち胸を撃ち抜かれます。 時々、おみやげ購入を兼ねた織物工場や鍛冶工場に立ち寄りつつ集落に上陸すると、水の上で生活している人たちの姿が見られます。洗濯する女性がいたり、小さな商店があったり、卓球台で子供たちが遊んでいたり…。
水上の集落。
途中、観光スポットにもいくつか立ち寄ります。まあ、水上を走るだけでも充分に素晴らしき観光なのですけどね。 最も見ごたえがあるのは、草木生い茂る中に古いストゥーパが1000塔以上も林立するインダイン遺跡でしょう。 長い長い参道には、その長さの分だけおみやげもの屋台が並んでいますが、訪れる人も少ないようで、真昼の奇妙な沈黙の如き時間が、参道をすうーっと通過しているかのようです。 ストゥーパは、てっぺんが折れて傾いていたり、レンガが崩れていたり、はたまた中の仏像の首がなかったり…となかなかの崩壊ぶりで、廃墟好きのココロをくすぐってくれます。草の生い茂り具合もいかにも廃墟っぽくていい感じ。 それとは対照的なのが、ファウンドーウーパゴダ(しかし、ミャンマーの固有名詞はことごとく覚えにくいな〜…)。こちらは現代的な水上建築。そこだけがひとつの城塞都市のような巨大さです。 パゴダの中心には、金箔で塗りたくられた仏像が4体ほど鎮座していて、これがひとつの見どころ。仏像と云うよりもはや金の雪だるまなのですが、これは、信徒たちが信仰のしるしとして貼り付ける金箔が、いつの間にか仏像の形を見えなくしてしまうほどの量になったのだそうです。ミャンマーの人々の信仰心の厚さに感心しつつも、見た目はやっぱり笑えます。 そして、ラストに訪れたガーペー寺院は、別名“猫寺”…とは別に云われていないようですが、大量の猫が棲んでいます。しかも、お坊さんが芸を仕込んでおり、輪をかざすとそれを飛んでくぐるのです(笑)。 しかし、ほとんどの猫は思い思いの場所で丸くなっており、日が傾き始めて寺院の中にも薄闇が広がり始める中、その猫たちの不思議な落ち着きは、ひとつの完成された世界を見るようでした。 そして、ひと通りの観光が終わったところで、ボートはニュアンシュエへと帰路につきました。夕暮れの湖上は、すべての色彩が溶け合って、まるで抽象画の中にいて自分も溶けていくような感覚を覚えました。
朽ち具合がそそるインダイン遺跡。
水上とは思えないほど、豊穣な世界。 小さくて簡素だけれど、そこには、生活を営むことの美しさが詰まっているように見えました。きっと彼らは、金銭的にはそれほど豊かではないのでしょうが、ゆったりと暮らしているように見えました。 それにしても…アジアの美しさ、ここに極まれり!という感じです。 田舎の美しさにここまで感動したのはいつぶりでしょうか。田舎なら、例えばポカラやランガマティも素晴らしかったけれど、それらが霞んでしまうほどです。何だったら、もう1回ボートトリップに行ってもいいくらい(笑)。多分、まだまだ奥地がありそうだし。 ま、行くところ行くところ、けっこうおみやげ屋が待っていたりはするものの、ツーリスティックな印象をそれほど受けなかったのは、普通の人々が普通に暮らしている感じがしたからでしょうか。 決して裕福ではないのでしょうが、せこせこした感じは無く―と云うか昼間っから何もしていなさそーな人が村にはたくさんいる―、こんなに呑気ではとても発展は望めないだろうなあと思いつつも、この呑気さの爪の垢でもせんじて、日本のサラリーマンたちに飲ませてあげたい気持ちにもなります。
ともすればさび付きかけていた旅のときめきというものを思い出させてくれる、インレー湖はそんな場所でした。 ああ、世界にはまだ、まだまだ、こんなに美しい場所があったのだ。これだから、旅はやめられないんだよな。 そして、多くの旅行者たちが、東南アジアにはまる理由が分かる気がしました。 カテゴリー的には“アジア”である隣国バングラデシュでも、インドでも、中国ですら感じなかった、初めての空気。 アジアとひと口に云うけれど、“日本を含むアジア”という意味で最もそのイメージに近いのは、東南アジアではないでしょうか。 暑く、湿り気を帯びた気候。ゆるやかで、何だか田舎臭い雰囲気。やけに懐かしく落ち着く感じがするのは、日本の田舎に似ているせいでしょうか。 車窓からのどうってことない風景ひとつ取ってもそうです。簡素な木造住宅。食堂。路上にはプラスチックのテーブルと椅子が並べられたチープなオープンカフェが出ていて、あまり仕事をする気のなさそうな店の女性が、客を待ちながらどてっと腰かけていて。 顔の造作が近いことも、落ち着く理由のひとつなのかなと思いましたが、それで云えば、もっと近いのは中国で、中国にももちろん“アジア”はあるけれど、どちらかと云うとあそこは“アジア”と云うより“中国”。金太郎飴の如く、中国はあまりに“中国的”で、アジアのぬるい感じは薄いんですよね(あ、雲南省なんかは別だけど)。
ガーペー寺院の縁側で鎮座するにゃんこ。麗しい姿。
インレー湖、時間とお金があるならもっと居たかったのですが、名残惜しい気持ちを抱きつつ、次なる地、マンダレーに移動しました。 マンダレーは、ミャンマー第2の都市。 ミャンマー最後の王朝があった場所であり、かつての王宮の周囲は広大な堀がめぐらされています。
夜行移動明けの疲れを癒すべく、マンダレーの日本食屋「ホームパーティ」に昼ごはんを食べに行きました。 この何気ない行動が、今後の旅の進路を決める運命の出会いになるとは、誰が予想しえたでしょう(ちょっと大げさ)。 そこに置いてあった、宮田珠己著『東南アジア四次元日記』を何気なく手に取ったところ、ミャンマーにはどうやら、『歩き方』のコピーでは知りえなかった衝撃の観光地が点在していることが判明したのです。 中でも、わたしの目を釘付けにしたのが、マンダレーからバスで3時間のところにあるモンユワという小さな町でした。 ここにある、ボディダタウンという仏教施設とタンボーティパゴダ。世界遺産だとか、歴史的価値があるとか、はたまた芸術的に見ごたえがあるとか、まっっったくそーゆーことではありません。 無理やりひと言でまとめると、ボディダタウンは仏教テーマパーク、タンボーティパゴダは独特の様式を持つ寺院なのですが、何しろ、超巨大な涅槃仏が3階建てのビルを枕に寝ていたり、托鉢僧侶の石膏像が1キロくらいにわたって連なっていたりと、全く意味不明。 これは…どーーーしても行きたい。 この3年あまり、世界中で珍しいものをいろいろと見ましたが、こんなにも、湧き立つような気持ちで「これが見たい!!!」と熱望することは、ここ最近ではかなり珍しいのです。
しかし、このモンユワ、ロンプラでフィーチャーされている、マンダレー近郊のミングン遺跡などと比べても、どうやらマニアックな部類に入るらしく、アクセスが面倒なのです。 何せ、早朝5:50にホテルを出て、戻ったのが夜10:30!バスで3時間とちゃうんかい! 度重なるバスの故障と食事休憩のため、モンユワに着いたのがすでに11:00過ぎ。そこからボディダタウンへの足を確保するのに3時間近くかかったのです。 まず、バスがモンユワに着いた時点で、ハイエナの如きサイカー(ミャンマーのリキシャみたいな交通手段で、サイドカー→サイカーとなまっている)運転手その他もろもろに囲まれると、一瞬で理性が吹っ飛んでしまいました。 手をばたばたさせてそのハイエナたちを追い払い、ピックアップトラックを探します。何故かと云うと、宮田氏の本に「ピックアップで20分」と書いてあったから。 ところが、サイカーに聞いてみると「ピックアップは早朝しかない」とな。 わたしはその情報を、ハナから信用しませんでした。バスを降りたときも、ハイエナたちが口を揃えて「ピックアップはない」「バスもない」と声高に主張しており、ははー、これはよくある“公共交通機関は何もないと出まかせを云ってタクシーに乗せるパターン”だなと踏んだのです。
ちなみにミングンはこれ。
メインストリートに出てみると、何台かのピックアップが停車していました。 ほらみろ、やっぱりあるじゃん、と勝ち誇った……のは、ほんの数分でした。 誰も英語なんか話せないし、わたしもミャンマー語はサッパリなので、とりあえず行き先だけを「ボディダタウン」「タンボーティ」と何度も主張してみます。 どうやら通じてはいるようです。が、肝心のトラックはいつまでたっても微動だにしません。しかも、荷台で誰か昼寝しとる! 20分くらいは待ったでしょうか…一向に埒が開きません。待つのが大っ嫌いなわたしは、早々に(でもないが)見切りをつけてバスターミナルに戻りました。そして、片っ端からバスを当たって行き先を告げて回るも、まったくダメ。ただでさえ時間押してるのに〜…あぐぐぐ…。 バス会社の人たちも、基本的には親切なのですが、結局は「まあ座って待て」と云うばかりで、イライラは募るばかりです。しかも、座っていたベンチが木製のせいか、大量の蚊の刺し跡が猛烈にかゆくなってきて、あああ、マジで死にそうなほどかゆい!!! さらにさらに、明日からの水掛け祭りを、早速フライングしているアホなガキに水鉄砲をぶっ放され、ガキ相手に本気でブチ切れそうに…。こちとら、てめーに付き合ってるヒマはねーんだよ!!!
業を煮やし、一番頼れそうなおっさんに、「この際、サイカーでもバイクでもいいから」と詰め寄ると、サイカーを連れて来てくれ、金はもう払っておいたから、などと云うのでホロリと来てサイカーに乗ったら、何故かバスターミナルの周辺を1周して、5分もしないうちに再び元の場所に戻ってきました…って、きいいいーーーーー!!!何でやねんっ! 言葉が通じない中、とにかく地名だけはと“ボディダタウン”を連呼したとゆうのに…。時計を見ると2時。もうダメかも…って、いやいやいや!ここまで来て何も見ずに黙ってマンダレーに帰れるほど、わたしは時間にも金にも心にもヨユーはありません。何たって今朝は5時起き。ここまでの道のりを考えると、引き返せすなんてとても出来るわけがない。 こうなったら、多少の出費は覚悟の上で、バイクをチャーターするしかない。でも、手持ちのチャットが乏しいため、おっさんに「チャットはないけどドルならある!」と5ドル札を差し出しました。今のわたしに5ドルは大金だが、この際目を瞑ろう…… 「いや、チャットじゃないとダメだよ」 って、おっさん!!!くそー、何なんだよこの国は…。いちいちモノによってドル払いとチャット払いを分けんじゃねー!
もはや天命尽きたか(って大げさ)…と思ったそのとき、どこからともなく、英語の話せる別のおっさんが現れました。 わたしは、地獄で仏にすがるような思いで、これまでの経緯をペラペラとまくし立てました。するとおっさんは、「オレの友達がバイクを持っているから、それで行かないか?往復2000Kでどうだ?」 2000K…何とか手持ちのチャットで支払える額です。相場が今イチ分かりませんが、一時は5ドル払おうとしていたことを思えば、この申し出は納得すべきか…(2000K=2ドルちょい)。 「でも、今日中にマンダレーに戻らないといけないの。今から行って間に合う?」と問うと、3時間あれば充分と云うので手を打ちました。今さら値段交渉などナンセンス。
そして、やっとのことで足を確保し、一路ボディダタウンへ。 ボディダタウンは、ここまで苦労したかいあって、期待以上の素晴らし…いや、面白さでした。 まず、ここのシンボルとも云うべき涅槃仏…でかーーーっ!!! いくら土地が余っているからって、こんなにでかくせんでも…と云うくらい、でかい。でかければいいってもんじゃ…いや、いいんだろうなきっと…。丘の上に、と云うより丘自体をベッドにして横たわるというスケールの大きさも注目したいところです。 しかも、仏が枕にしているのはナゼか4階建てのビルなのですが、このビルの中には何もないのです。まさか、枕用にわざわざビル建てたんじゃないですよね??? 家でテレビでも見ていそうな仏の表情、足の裏の巨大さ、その背景のアホみたいに晴れた青空…なんかもう、とてもすっきりと、潔くバカバカしい! ちなみに、無意味に巨大なのかと思いきや、仏の背中がドアになっていて、中に入ると“仏陀の一生”みたいな人形ジオラマが展示されており、いちおう博物館的な役割も兼ねているようです。いや、それにしてもでかいけどね…。
ビルが枕の涅槃仏。
そして、その丘には、どこから始まっているのか、小豆色の袈裟を着用した托鉢の僧侶の行列が延々と連なっています。ざっと見積もって200?300体くらいはいるでしょうか。 ニュアンシュエに着いた朝、生身の托鉢僧の行列を見て、何と清潔で美しい光景だろうと思ったものでしたが、このセメント僧侶の行列には、一体どのような感想を抱けばよいのでせう。まるで、僧侶のクローンみたいで、セメントの無機質さがさらに不気味さを増幅しています…。
この涅槃仏で満足すればいいものを、どうやらまだまだ巨大な仏を建設中(しかも複数)。 さらには、この敷地内を仏で埋め尽くす予定なのか、人間等身大くらいの仏が続々と造られているのです。パゴダの下では、職人たちが今まさに仏に色を着けたりと作業の真っ最中。この作業に終わりはあるのでしょうか…。すでに出来上がった仏像たちは、広大な庭園のようなところに、碁盤の目のように規則正しく鎮座されていました。その数、100や200ではききません。 一体全体ここは、どういう目的と方向性で造られ、何を目指しているのでしょう。サッパリ分かりません。が、意味不明なエネルギーを感じることだけは確かです。 どうせなら、この巨大な敷地を活かして、ジェットコースターやフリーフォール、お化け屋敷(地獄を再現するとよいかも)などを併設し、世界初の仏教遊園地を造るというのはどうでしょうか。マニア向けすぎるでしょうか。。。
続々と増産される仏像。
まだまだ細かいところを突付けば面白いものが出てきそうな気配ですが、バイタクの兄ちゃんを待たせているので、お次のタンボーティパゴダへと急ぎました。 ボディダタウンで8割方満足したわたしは、食後のデザート的な気持ちで観光に臨んだのですが、これがまた、デザートはデザートでも、食後にいきなり大盛りパフェが出てきたようなインパクトでありました。 ミャンマーのパゴダはそもそも、金色に光り輝いているド派手なものが多いのですが、このタンボーティパゴダは、屋根は金なのに壁やその周辺の色使いが、やけにファンシーなパステル調なのです。メインのパゴダはともかく、その周辺を取り囲むストゥーパなど、ウェディングケーキにしか見えません。しかも、細部を見て行くと、モチーフも妙にカワイイ。花やら蝶やら、月やら星やら、でもその中にしっかり仏像や僧侶の像が配されているのが、何ともシュールで味わい深い。 壁面がちっこい仏像で埋め尽くされているパゴダ内部もすごいのですが(埋め尽くすのが好きな人たちだね)、境内にはパゴダ以外にもナゾの建造物がてんこ盛り。えっと、ここって確か、仏教寺院でしたよね?
でも…若干モスクとか教会も混じってますよね??? 派手さという点では、ミャンマーのパゴダの伝統(?)を踏襲してはいるものの、このパゴダの方向性はいかがなものか?楽しければすべてOKだということでしょうか?(違うか)ううむ、コンセプトがよくわかりませんが、まあ造った人の頭には常にメリーゴーラウンドが回っていたことは確かでしょう。 左を見れば、ロシア正教風のたまねぎ屋根の塔があり、右を見れば上半身裸で組み体操的なことをしているおっさんの群像があり、ナゼか「タイガーバーム」の胡一族の建てたオレンジ色の館もあり、ナゼかその入り口にはナゾのサラリーマンの像があり、ナゼかそのサラリーマンの足は裸足であり…。疑問をさし挟めばキリがないほど、ツッコミどころ満載です。
何なんだこの色使いは…。
いやー、この極彩色&デコラっぷり、メキシコのウルトラバロックを越えたかも…(わたしの中で)。 チベットのゴンパを見たときも思いましたが、仏教寺院って、意外と派手ですよね。日本のお寺が地味だからか、どうしても仏教=質素、ってイメージを抱きがちなんですが、本当はキリスト教やイスラム教よりも突き抜けているんじゃないかしら。仏教のルーツであるヒンズー教が極彩色の宗教文化であることを鑑みれば、この派手さかげんは故無きことではないのかも知れません。 まあそれにしたって、ボディダタウンとタンボーティパゴダは、派手とかそういう論議の前に、ギャグの領域ですけどねー。 宮田氏の本によれば、東南アジアには他にもいろいろとフザケた観光地があるようなので、できる限り訪れたいと思います。
完全に、寺院ではなくテーマパークの入り口。ああ楽しい。
(2005年4月14日 ヤンゴン) |