旅先風信162「ミャンマー」


先風信 vol.162

 


 

**リアルタイム闘病(?)記**

 

ともかくもわたしは今、ヤンゴン総合病院にいる。
ただでさえ乏しい現金が入院&検査費に消えてしまうのは何とも口惜しいけれど、死ぬよりはマシだ(当たり前か…)。

昨日はずっと点滴を打って、注射も2本くらい打って、薬も飲んだ。
でも、相変わらず37度台の微熱が続いており、それに伴う頭痛もなくならない。
これだけ長く熱が続いているなんて、異常じゃないのか?マラリアというのはそういうもんなのか?マラリアは何種類ものパターンがあるって云うし、これがもし治りにくい類のものだったら…確か、チッタゴン丘陵のマラリアは、クロロキンの効かない悪性のマラリアだって書いてあったっけ。
くそっ、バングラ、どこまで人を苦しめれば気が済むんだよ!マラリアのおみやげまで持たせていただいて、本当にサイコーの国だよな。

頭がズキズキ痛む。
寝すぎだからだろうか?二日酔いのときの頭痛に似ている。
昨日採った血液と尿検査の結果はどうなっているんだろう?
咳が止まらない。咳をすると頭に響く上に、横隔膜が痛む。
食欲もまったく湧かない。食べ物のことを考えただけで気持ちが悪くなる。
何度もうとうとと眠りに落ちているけれど、眠る前は、このまま目が覚めなかったら…と考えてしまう。マラリアの毒が脳に回って頭がイカレたら、身体が動かなくなったら…と。
ケニアのガリッサで、マラリアで亡くなったという日本人旅行者の話を思い出す。あくまでも噂だったけれど、自分で勝手に入院を切り上げて旅を再開したら、マラリアがぶり返して死んでしまった…と聞いた。
こんなところで危篤になったら、父ちゃんに合わせる顔がねーな。もう、やっと旅も終わりに差しかかっていて、何とか父ちゃんを騙し果せたまま(笑)帰国できそうだっていうのに。
話のネタ?そんなのもういいんだよ。わたしの旅はそんなにも面白くないかい、神様?そんなことよりも、1秒でも早く治りてえよ。

………

検査の結果、マラリアではないということであった。何だそりゃ…。
しかし、頭痛と熱は続いたまま。頭が割れそうだ。孫悟空のあれ、何て云うんだっけ、金色の冠。あれでギュギュっと締め付けられている感じ。
病気の身体って、こんなにもつらいもんだったっけ…。痛みのせいで、生きる気力まで減退してくる。もう、何もかもがどうでもよくなる。
睡眠薬が投与されているのか、やたらに眠りに落ちる。眠れば痛みは忘れられるからいいけれど、夢と現実が地続きになっているみたいだ。夢と現実を分けるのは、痛みだけ。痛い現実なら、痛くない夢の方がいいか…。
それでも、咳は軽くなってきたから、少しずつ回復はしているのだろうか…。
ドクターの話だと、血糖値がかなり下がっているそうだ。何か食べた方がいいみたいだけど、パンだの麺類だのは、考えただけで吐き気がする。
ケニアで入院したときは、比較的早く食欲も回復したのだが…。
いかん。また頭がモーローとしてきた。しかし、横になるとまた頭痛がひどくなりそうだ。ああ、軽く吐き気もする…。

………

マラリアでないとしたら、何の病気なのだろう。胸がムカムカするのは何でだろう。気持ち悪い。動けない。2メートル先にあるミネラルウォーターのボトルが取れない。
動かない身体って、本当に邪魔でしかない。まるで重い着ぐるみみたいだ。身体を精神と切り離す術があるなら、どんなにラクだろうか。
かれこれ1時間くらい吐き気が続いている。いっそ吐けた方がラクになるだろうに、吐けない。
でも頭だけはわりあいシャキッとしていて、何故かインド映画のことを考えたり「クイズダービー」の後の20時からの番組は何だったかを思い出そうとしたりしている。まあ、大半はどーでもいいことばっかりだ。
この先の旅程を考えると、どんどん気が滅入るな。。。
今のわたしに、あのクソ重たい荷物を担いで、十数時間もバスに揺られて、レンタサイクルで遺跡をめぐって…そんなこと、とてもじゃないけれど出来ない。
頭の中はまともだけど、ハタから見たわたしは、ちょっとヤバイ病人かも知れない。目が死んでいるし、表情もないし、動きがのろすぎるし…。コルカタの「シャンティ・ダン」の患者にでもなったみたいだ。目の動かし方が、われながら普通ではない気がする。
マラリアではないとすると、今回の症状は、メキシコで長く引いていた風邪と似ている。咳がひどくて、咳き込んで吐いたりすることとか…。
ドクターは、「チェストインフェクション」とか云っていたっけ。直訳すると、胸の疾患?それって何だろう。肺炎は「ニューモニア」だし…。

………

そうめんが食べたい。何の味付けもない、刻みねぎとそばつゆだけで食べるやつ。
缶ジュース1本飲み切るのもせいいっぱい。普段から食は細い方だけど、ここまで何も食べられないのは初めてだ。
ああ、でも、熱は昨夜、今朝と37度に下がっているし、咳もちょっと軽くなったし。今日退院できるかな…。

………

…退院どころじゃない。
血糖値が下がっているせいか、まったく力が出ない。書く文字が歪んでいる。
頭痛がなかなか治らないと云うと、CTスキャンを取ろうと云われる。しかしそれが340ドルかかるって!まったくもってムリだよ!払えるわけないじゃん!
そんなにわたしは重病なの?起きると少しは頭痛も軽くなる。でも熱は37度から下がらない。
手に力が出ないのは、点滴を刺しているせいなのか?
体力と気力の問題。ゴール目前にして、病で帰国はあまりに哀しいな。今まで、帰国の危機は何度かあったけれど、何とか乗り越えてきたのに。悔しい。悔しすぎる。いや、まだそうと決まったわけじゃないか…。

………

体力が衰えているせいでこんなにしんどいのだろうか。
やっぱりマラリア以外、これと思い当たる節がない。パラゴンのドミでもらった風邪だったら、ここまでひどくなるだろうか?
ダメだ、全身から力が抜けていく感じ。人は、こうやって弱りながら死んでいくのだろうか。
ジンバブエで頭を叩き割られたときさえ、死ぬとは思わなかった。でも、誰も身寄りのない、金もない、今の状態では、つい不吉な想像をしてしまう。それもやむなしか。
ああ、身体が臭いな…酸っぱい臭いがする。3日間風呂に入っていないうえに、汗もかいているから当然だ。しかし、どうしょうもない。しかし、やっぱり臭い。この臭くて弱い身体を、洋服の如く脱ぎ捨てることが出来たら、どんなにいいだろう。
今日はいつもの先生(眼鏡の女医さん)がなかなか来ない。

………

部屋を移ることになった。先生の部屋に近いところ。
CTは値段が高すぎるので、取らなくていいことになった。そりゃ調べてほしいのは山々だけど、何たって金がない。
ヘルパーっぽいおばさんに、身体を拭いてもらって服を着替えたら、人心地がついた。
改めて自分の周りを見渡してみる。
古い病院らしく、天井が高くて昔の洋館みたいだ。

昨日からずっと、左頭部の頭痛が治まらない。そして、鼻をかんだら血が出た。。。何だこりゃ。
先生は、気管支だか肺だかに炎症を起こしていると云っていた。「喘息なの?」と聞いたら、そうではないらしい。英語がよく聞き取れなかったが、「肺炎(ニューモニア)」ではないかと思う。肺炎なんてまた、どこから来たんだろう…。風邪をこじらせたってことなんだろうか。

………

昨夜、やっとリンゴを食べることができた(30分くらいかかったが…)。
心身ともに持ち直してきたような気はするが、左頭部の頭痛がいつにもましてズキズキと痛み、のた打ち回りそうになる。脳髄に怪物が住んでいるみたいだ。
脳腫瘍だったらどうしよう。その思いつきは、一瞬にして心身を支配し、絶望感でいっぱいになる。そうだったら、バンコクに行くとか旅が終わるとかいう問題ではない。
ああ、保険に入っていれば、CTスキャンを取れるのに。いや、そもそも保険があれば、とっくにどこの病院にだって入院できたんだ。
それにしても、これが旅の終わりだったら、あんまりな運命じゃないか???

………

ミルクがゆを持って来てもらったが、2〜3口食べただけでベッドに倒れこむありさま。
どういうことなんだ、これじゃむしろ悪化してるんじゃねーか…?
鎮痛剤と他の薬を飲み、そのまま眠りこける。
…2時ごろ起きると頭痛はやわらいでいた。おかゆを食べる。熱はほとんどない。こうしてペンを走らせる手も、一昨日、昨日よりはしっかりしている気はする。
教授(一番えらいドクター)のお話では、頭痛はただの偏頭痛らしい。
偏頭痛…。そんな、病気とも云えないような病気で苦しんでいるわたしって、何てくだらないんだろうと思う。

………

睡眠薬でも飲んだのか、今日は1日中眠っていた。こんなにもぐっすりと眠るのは、ここに来て初めて。
そのおかげか、頭痛がほとんどなくなっている。点滴も外れた(針はささってるけど)。
パン1枚とコーヒーを食した。鼻水にずっと混じっていた血も消え、咳もずいぶんと軽くなり、熱は36度7分まで下がった。少しずつ、悪い部分が消えて行っている。
今ほど健康な身体のありがたみを思い知ったことはないかも知れない。顔を洗う、つめを切る、散歩する、シャワーを浴びる、食事をする…そういった当たり前のことが、今のわたしには出来ないのだから…。まして、クソ重い荷物を担いで旅することが、出来ようはずもなく…。

………

ついに頭痛が消えた!
多少ふらふらするものの、これはもう“治った”と云ってもいいのではないか?
病体という着ぐるみを脱いで、自分の身体を、やっと取り戻した感じがする。痛みのない人生。ああ、素敵だ。
これで、あとは体力が元に戻れば、また旅ができるだろう。

元気になってくると、とたんに鎌首をもたげてくるのは、入院費の件だ。いったい、いかほどになるのだろうか…。
ここに付き添ってくれた日本人のYさんによれば1日20ドルって話だったし、眼鏡の女医さんの話では無料だと云う。
無料?そんなバカなとは思うが、彼女からそれを聞いたのは、実は一度きりではない。
外注(?)したらしい検査代とコーヒー代はすでに手持ちの現金で払っているが、本当にそれ以外は支払わなくてよいのだろうか?
わたしに今支払える限界は、100ドルがマックスだ。手持ちの現金が200ドルを切っていることは、最初から病院に何度も話している。1日20ドル計算じゃないと追いつかない。
どんなときでも、金の問題はどこまでも付きまとってくるな…。世の中には、けいさんとかSさんとか、金なんかなくても元気に旅行している人もいるってのに。所詮わたしは、金銭の限界を越えられない旅人なのだ(って、何のこっちゃ)。
冷たい水が飲みたい。何でもいいから冷たくてさっぱりしたものが食べたい。そうめん。刺身。オクラの和え物。麦茶。これが現在の私的ベストミール。まあ、ここにいたら200%叶えられないけど…。
教授によれば、月曜日には退院できるそうだ。今日は「You have to stay.」とのこと。そりゃそっか…。まだ病み上がりもいいとこだもんな。
お金が減っても、最悪、ヤンゴンの一番大きなパゴタと、パガンだけは行けるといいな…と思う。我ながら執念深い。

………

昨夜からこの午前中にかけても、怖いくらい眠った。そのせいか、また偏頭痛がぶり返してきて焦る。
水風呂だけど、久しぶりに頭と身体を洗って、生き返る思いがする。
食欲も復活してきたので。勝手に購買部に行ってプリンを買う。
とは云え、しばらく寝たきりだったために、足元がおぼつかない。これではとても、20キロ以上は確実にあるバックパックを担いで、宿探しなど出来まいて…。
早く点滴の針を外してほしいな。いつまでも病人みたいで、何だか落ち着かないから。
プリンは3口食べただけで、もう充分だった。まだ食欲も微妙だ。そろそろパッキングしないと。でも頭がうまく働かない。この数日間、眠りすぎたのかも。
こんなに弱っている自分が、なんとも情けない。
日曜日のせいか、病院内がいつもより静かで人が少ない。古い建物なので、何だかそれが不気味に感じられる。

………

退院の月曜日が来た。
パッキングはとうに済ませて、ベッドの上でぼんやり座っている。眼鏡の女医さんに「しばらく待つように」と云われてからすでに2時間以上が経過し、外を見たら激しい雷雨で、何だかつらくなる。
旅するモチベーションも上がって来ず、ああ、もう早く帰国して結婚したい、とか意味不明なことを思う。
土砂降りだよー。先生が来ないよー。ドラクエでもやろうかな…って、パソコン出してる場合かよ!?ゲームボーイだったら、今すぐ電源入れて遊べるんだけどなあ、と云っても仕方のないことを思い、さらに空しくなる。
夕方の6時半になっても、埒が明かない。4時ごろ、晴れて退院できそうな雰囲気だったのだが、何と入院費用を日本大使館に請求する、てなことを云われ、しかもその額がゆうに500ドルは越えそうな勢い。
入院費を100ドルまでで見積もり、無料などという話もあながち聞き間違いではないのかも、と思っていたわたしは、頭から冷水をぶっかけられたように、完全に面食らった。
そんな額、逆立ちしたって自分では払えないが、さりとて大使館が肩代わりしてくれるというものでもなかろう。宿で電話したときだって、とてもそんな金の面倒見てくれそうな感じじゃなかったし、第一、どうやって返済するんだ。大使館に突然そんな金の請求が行ったら、わたしはブラックリストに載せられたりしないんだろうか???
入院費がそんなにかかると分かっていたら、無理にでも退院すべきだった、ってことになる。「discharge」と、先生がしきりに云っていたのは、何だったのだろう?

…先生は帰って来ない。もう外も暗い。早く、早くここから解放してほしい…。
何だってこんなことになるんだろう。朝から、ジュースと少量のシリアルしか口にしていない。空腹。ここに座っていれば何とかなるのか?誰も来ないのはどうして?
もうほんと、情けなすぎて死にたい気持ち。本当はわたしの命なんか、500ドルの価値もないんだよ。こんな弱っちい身体、最低だ。
父ちゃん。ごめん。父ちゃんのところに帰りたいけど、まだ帰れないよ。

3時間も、不安なままここで待っていたけれど、別のドクターが来て「あと1時間ほど待つように」と云われる。
いっそ、このままトンズラしてしまおうか…という悪魔のささやきが聞こえる。一時的にだけど、「いつ帰れるの?」と聞いたら「もう(とっくに)帰っていいよ」との答えだったし。
でも、金の問題が解決しないことには、にっちもさっちも行かないよ。

残り、あとわずかの旅だ。旅人ランキングを取ったらきっと「最も旅しやすい地域」第1位に輝くであろう東南アジアにやっとたどり着いて、この先は、うまいもん食べて、安くて快適な宿に泊まって、移動もスムーズで。そんな、心安らかな旅が出来ると思ってた。
もう虫にも刺されたくないし、余計な出費もしたくないし、怖い目にも遭いたくない。病気も、事故も、強盗もサギも…全部お断りなんだよ。
もう戦いたくない。誰とも。何とも。帰るからさ。もう帰るから許して。

…しかし、何で500ドルもかかるのかが、よく分からん。
もしうっかりCTなんか撮っていたら、いったいいくらになったのかと身震いする。

………

すみませんでした。
結局わたしは、ビタ一文払わずに、この病院を出ることになりました。
結論から云うと、夕方の時点でこの問題は解決していたらしい。そう思っていなかったのは、わたしだけだったってことか…嗚呼。
あの時点でわたしが病院を去っていれば、すべては美しく(?)終わったのかも知れない。
しかし、あまりに待たされることにパニック気味になり、通りすがりの看護婦に当たってしまったのだ。。。これまで旅していて、「何だかよく分からないけれどとにかく待たされる」という経験を何度もしてきたけれど、未だに慣れないのである。意味不明に泣くわたしを見て、看護婦さんは相当困っていた。
ああ、わたしは本当にどうしょうもなく愚かだな…。
先生たち。看護婦。ヘルパーのおばさん。みんな、突然転がり込んで来た異邦人の病人を、無償で面倒見てくれたってわけだ…

本来なら、大使館に借金したって支払うべき金じゃないのか。だって、異国に勝手にやって来て、勝手に病気になったわたしが悪いのだから。
そう云えば、ヘルパーのおばさんには、前にも一度、つっけんどんにしたことがあったな…。わたしの身体を拭き、衣類を洗濯してくれた、寡黙なおばさん。本当にごめんなさい。自分を殺したい…って、せっかく救ってもらった身体だっての。
今ある手持ちの現金から、いくばくかでも払いたいと眼鏡の女医さんに云ったが、解ってもらえなかった。ミャンマーを出る前に、何か出来ないだろうか…。は、切ない。

タクシーを呼んでもらって、日本人オーナーのいる宿「東京ゲストハウス」に移動した(前の宿の方がドミもあって安かったけれど、戻れるわけないもんな…)。
周りが韓国人街なのか、キムチ臭だかニンニク臭だかがつんと鼻をつき、一瞬えづきそうになった……しかし、この臭いは同時に、やっと下界に、一般世界に帰ってきた、という実感を起こさせた。
安宿だけど部屋はまあまあきれいで、共同シャワーだけどホットシャワーも出る。そして、ミャンマー人の従業員が話す日本語は、わたしをひどく安心させた。

翌朝、共同スペースでひさびさに情報ノートなんてものを読んでいると、また旅が出来る、という実感がこみ上げてきて、何とも云えぬ気持ちになった。
また人の恩にすがって(と云うかメーワクかけて)旅の命が延びたわけで、後ろめたい気持ちもかなりあるけれど、素直に感謝して、残ったお金でミャンマーという国を存分に旅しよう。

………

こうしてわたくしは無事に、ミャンマー旅の再スタートを切ることになりました。
前回&今回は“リアルタイム闘病(ってほどでもないけど)記”ってことで、病室でノートに書き散らかしていた原文ほぼままで載せてみましたが、病気のときに書くものって、ほんとムチャクチャですね…。
大半は意識がモーローとしていたもんで、途中からは日付もさっぱりわからなくなっていて、何と云うのか、病気の持つ負のパワーを、まざまざと思い知らされた気がしました。健康って、宝だね(涙)。

まだ少し、体がゆらゆらとして心もとない感じではありますが…。
健康な体と、ミャンマー総合病院のみなさんに抱え切れないほどの感謝を表して、今回は終わりたいと思います。

YANGON167.JPG - 58,212BYTES ヤンゴン総合病院。お世話になりましたっ>_<

(後日談)
涙ながらに病院を去り、またミャンマーを出国する前にも病院に挨拶に行って号泣しまくったわたしでしたが、1ヶ月もしないうちに、実家の父ちゃんが、1通の封筒を受け取りました。
差出人は、在ミャンマー日本大使館。内容は、入院費用の請求(?)書。
どうやら、請求されていたみたいです。しかし、英語で書かれていて、今イチ詳細が飲み込めなかったこともあり、父ちゃんもわたしも、未だに払っておりません…でも、もう時効ですよね?ね??

(2005年3月30日 ヤンゴン)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system