旅先風信161「ミャンマー」


先風信 vol.161

 


 

**何で今さら…**

 

何でこんなことになってしまったんだろう。

(呆然)

コルカタを出発する前日くらいから、軽く風邪っぽい感じはありました。
「パラゴン」のドミにいた男の子が風邪引きだったこともあって、これはもらったかもな…って。
決定打を喰らったのは、おそらく、いや間違いなくコルカタの空港でした。
何しろ空港内、殺人的な寒さの冷房がガンガンかかっているのです。さすがはインドの冷房、めちゃくちゃアグレッシブ。と云うよりも、オンorオフ、オールorナッシングな単純構造なのか?しかも、ビーマン航空が遅延して、何とその巨大冷蔵庫に5時間も放置状態。しまいにゃ待合室にて機内食が出されましたからね。
そんなわけで、搭乗する頃にはすでに凍死しかけていたのですが、ダッカの空港に着いてからも何やかんやといちいち待たされ、ようやくホテルに着いたのは夜中の2:00。ちなみに明日は9:00出発だって!じゃあ、早起きしなきゃね!…って、ナメてんのかビーマン航空!?
1週間ぶりにダッカの街をちょっとぶらついてみるか…なんて甘い目論見は見事に外れ、部屋に入って10分もしないうちにベッドに倒れこみました。

そんな疲労困憊の状態で、それでも何とかミャンマーの首都ヤンゴンにやって来たのです。

ミャンマーの第一印象は最悪でした。
と云うのも、空港を出て、たまたま居合わせたフランス人カップルとタクシーをシェアしようとしたら、「外国人は2人までしか乗せねえ」。
あァん???何を云い出すねん。こちとら、ほんの1分前に別のツーリストが4人でタクシーに乗って行ったのを見たばっかりなんですけども!?
ただでさえわたしは、風邪と睡眠不足で死にそうなほど疲れているのです。あんたら、あんまりナメとったら承知しまへんで!(極妻風)
「さっきのタクシーは4人で乗ってましたけど!?」
「知らねえよ。とにかくオレのやり方ではこうなってんだ!」
ドライバーは断固わたしを乗せないつもりらしい。腹が立ってしょうがないけど、クソ面倒くさいのでそのフランス人カップルには先に行ってもらいました。
が、腹の虫が収まらず、その場にいたミャンマー人関係者(主にタクシードライバーども)が全員憎憎しくてしょうがありません。
結局、後から来た、ツーリストっぽくないパキスタン人2人と、聞いていた値段よりも安くシェアして行くことになったものの、このドライバーも、わたしが先のドライバーに向かって罵詈雑言を吐き散らかしているのを見て、明らかにバカにした笑いを投げつけて来た輩なのです。そのため、タクシーの中であれこれと話しかけて来ても、1ミリもフレンドリーな気持ちになれず、終始仏頂面を決め込んでいました。

「ミャンマー人は本当に親切なんだよねえ」と、さまざまな旅人から刷り込まれてきたものの、しょっぱなからこれかい…。
あの、“外人からは取れるだけ取ろう”という意気込みが、もう、とにかく萎えるんだよなー…。
宿を取ったあと、とりあえず落ち着こうと近くの喫茶店に入ってアイスコーヒーを頼んだら、でっかいハエが浮いてました。。。インドでは時々、髪の毛が食物の中に入っていたけれど(それもどうなんだよ)、さすがに虫はいなかったぞ?
その後、散歩の途中でサングラス屋台を見つけ、「日差しもキツイし、買ってみよっかな…そんな高くなさそーだし」と、いかにも人の良さそうなおばちゃん店主に値段を聞くと、インドでもありえないような高値を吹っかけて来ます。
別にさ、人の善良さやら親切さやらを期待して旅しているわけではないよ。でも、なまじ「人がいい」なんて評判を聞いていると、例えばインドで同じ目に合ったときの1.5〜2倍ダメージがあるよね(苦笑)。

そんなことがありつつも、初めての地の初散歩を楽しんでいたのですが、もともとの疲労に加え、インドよりも暑くじっとりした気候が体力をどんどん奪い始め、歩くのがつらくなってきたので、仕方なく宿に戻って休むことにしました。
しかしこれが、どうやらただの疲労ではないことが、間もなく判明するのです。
急激に熱が上がり、頭がガンガンし、咳が止まらなくなりました。喉は痛むし、悪寒はするし、関節が外れそう。ついでに、軽く腹痛までも襲って来ました。
何だ?何だこれ!?完全に体調がおかしい。大体わたしは、熱なんてめったに出さない体質なのです。熱が出るということは、けっこう重症だという証拠。
あのコルカタの風邪が悪化したのか……?

YANGON011.JPG - 78,658BYTES ヤンゴンの街角。看板にビルマ文字が踊る。

せっかくのミャンマー初日だというのに、これまでとは違う東南アジアの空気をもっと満喫したいのに…何の因果で、薄暗いドミのベッドに臥せっていなきゃいけないのでしょうか…。
ドミにいた欧米人旅行者たちが気を遣って、手持ちの薬を与えてくれたり、「水はたくさん呑んだ方がいいよ」「額に濡れタオルを載せて」などと、あれこれアドバイスしてくれる通りにして、ずっと横になっていました。

大丈夫、明日にはよくなってるよ。
アフリカで原因不明の熱が出たときだって、町医者で注射打ってもらったらすぐ治ったじゃん。
熱なんて、薬飲んで、一晩安静にしていれば下がるはずだよ。多分…。

翌朝、起床すると、体にはまだじっとりとしただるさが残っていました。
寝起きのせいだろう…と思うことにして、とりあえず体温を計ると、37.8度。かなり微妙な数値ですが、ちょっとはマシになったんでしょうか?
昨日の昼から何も食べていないので、さすがにお腹が空き、宿の朝食バイキングを軽めに摂り、ホットシャワーを浴びました。
そうしたら、何となくスッキリしたような気がして、欧米人たちにも「だいぶ良くなったみたい。ありがとう」とさわやかに云って、再び熱を計ってみます。
…したら。38.5度って!!!下がるどころか、上昇しとるやないかい!!!
そのうち、頭痛もぶり返し始め、起きているのがつらくなって、結局またベッドに倒れこみました。

昨日は、重度の風邪かと思ってたけど……
もしかしてこれ、マラリアだったりして?!?!?
心あたりだったら、ばっちりある。マラリアの潜伏期間は2週間。ちょうど2週間前にわたしが居た場所は、マラリア汚染地域であるバングラのチッタゴン丘陵…。蚊に刺された覚えは…ありまくりだよ!!!蚊帳とか破れてたし!!!
慌ててガイドブックをめくると、「マラリアは手遅れになると死に至る病です」と書いてあります。そのテの知識は、わたしの旅コンピューターにすでにインプットされているはずですが、今改めてこの字面を見ると、ものすごいリアリティで差し迫って来ます、
マラリアって確か、最後は毒が脳に廻るんだっけか…?

いかん!このままでは死ぬ!(←常に大げさ)
わたしは意を決して、病院に行くことにしました。宿のフロントに聞いた病院だし、ちゃんとしているだろう…。
と思ったら、超〜ローカルな町医院じゃん!てか、診療所?だ、大丈夫なのか…?受付のねーちゃんは英語なんか話せないし…。
それでも幸い、ドクターは英語が出来たので、症状を細かく伝えることができました。
せんせえの云うことには、「マラリアか、インフルエンザか、腸チフス」だそうです。ぐはあ!どれもそこそこ重病やんけ…。でもマラリアだけはイヤだ。何せ、死に至る病だし。
とりあえず、最も懸念されるマラリアの検査だけを受け、結果を待つことになりました。

結果が出るのは夕方です。
それまでは、ヤンゴン一の市場であるボージョーアウンサンマーケットで、ロンジー(ミャンマーの民族衣装で、腰に巻いてスカート風に着用します)を作ったり、食堂で麺を食べたりと普通に観光していました。
が、熱はいっこうに下がらず、体力はどんどん落ちていきます。午後になるとさすがに力尽きて宿に戻り、再び臥せらねばなりませんでした。
ドミで、しかも真鍮のベッドはなかなか落ち着かないのですが、シングルに移るだけの財力がありません(どんだけ貧しいんだオレ…)。

YANGON013.JPG - 66,490BYTES バリエーション豊かなロンジー。

ふと、これまでの旅路における病歴をさかのぼってみたくなり、ノートに書き綴ってみます。
一番最近だと、プリーで長患いしていた風邪。チェンナイ前後の下痢。デリーの下痢。カトマンズで突然倒れたやつ(原因不明だけど、多分貧血)。その前のカトマンズで風邪。フンザで酒飲んで死にかけたやつ。ラワルピンディでのひどい倦怠感……。
ああ、けっこう何だかんだで細かくあるんだな。さらにさかのぼったら、もっともっとあるだろう。
でも、大きな病気はしなかったのに。ケニアで盲腸で入院したのと、ジンバブエで大怪我したこと以外は…。

YANGON025.JPG - 56,617BYTES 検査結果待ちの間、街を歩いていて見つけた映画の看板。ふ、不吉だ。。。

横になったために余計に重くなった身体を引きずって、再びクリニックへと向かいました。
果たして結果は……ポジティブでした。

常に最悪の事態を考えて、心に保険を賭ける習性のあるわたしは、今回も結局は、いつものように杞憂にすぎないと思っていました。
まさか現実になるなんて…。わたしは、HIVポジティブだと宣言されたかのように激しくショックを受け、呪いの言葉を吐きながらぽろぽろと泣きました。
何で…何でこんな、旅も終盤になって、マラリアなんかに罹るんだっ!?RPGだったら、とっくにクリアしている話だろーが!(←やや意味不明)
医師はしかし、いかにも深刻ぶったわたしが可笑しいのか、妙な笑みを浮かべて「ま、もう1回テストすれば確実に分かるんだけどさー、それには5000チャット(約5.5ドル)かかるんだよねー」とあくまでも軽いノリで云い、わたしの神経を逆撫でしまくってくれました。
また5000チャットって…しかも、それも明日の朝テストして夕方に結果が出るらしく、そうなるとまた1日、悶々としなければいけないわけです。イヤだよ、そんなの!

わたしは、すがるような思いで、「今すぐに結果が分からないと困るんです!何とかならないんでしょうか?」と詰め寄りました。
するとドクターは、「うちでは難しいから、ヤンゴン総合病院に行くように」と薦めてきます。
それって、ヤンゴンで一番大きい国立病院…そんなところまで行かなきゃならないなんて…。
でも、他に選択肢はありません。よれよれの身体を引きずるようにして、道中激しく咳き込みながらも、何とかヤンゴン総合病院にたどり着きました。こんな状態でもタクシーで行けないのが、貧乏パッカーの哀れなところです。

病因に着いてからわたしは、いくつかの検査を受けたはずですが、ほとんど明瞭に覚えていません。
人心地がついたときには、広いけれど簡素な病室に運ばれていました。
半ばベッドに放置状態のまま、どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか……。

結局、マラリアかどうかは判明しませんでした。しかし相変わらず身体はだるく、熱は下がっていませんでした。
ヤンゴン総合病院は、外国人は入院できないというので、とりあえず、薬だけ与えられて宿に返されることになりました。
ヤンゴンには1つだけ外国人用の病院がありますが、海外旅行保険なんざとっくに切れているわたしに、そんな金のかかる病院で診てもらえる権利なぞありません。
さらに悪いことに、軍事政権下のミャンマーでは、カード類はおろか、トラベラーズチェックすら使えないのです。それで、ドルキャッシュを持って入国しているわけですが、わたしが持って来たのは200ドル少々。ナメてんのかって?だって、ミャンマーの物価と旅程を考えると、それくらいで行けると思ったんだよ…まさかこんな事態になるとは、思いも寄らなかったもの。
最悪は、バンコクに飛ぶという選択も考えなければなりません。バンコクなら、日本語の通じる病院もあるし、ネットもつながるし、何よりカードが使える。ここにいるよりは、はるかに現実的な解決が出来るでしょう。
でも…今さらバンコクなんてイヤだ。せっかくミャンマーまで来たっていうのに、何もしないうちに去らなければいけないなんて。旅行者として、こんな屈辱的なことはありません。

ところが…。
事情を知った宿の主人が、「ダメだ、今すぐに入院しろ」。
外国人は無理なんですよ、と云うと、だったら外国人専用の病院に行け、と。
だからさ、それが出来るんなら、最初っからそうしてますってば…。
アフリカなんかじゃ、マラリアは風邪と同じくらいポピュラーな病気で、薬で治すことだって出来るって話だったじゃん。ってか、まだマラリアって決まったわけじゃないんだし、入院じゃなくて、せめて通院で何とかしたい。
もう夜も遅いし、病院からも帰されたのだし、出来ることなら今晩だけは泊めてもらえないかと懇願しましたが、オーナーは、
「マラリアの疑いのある病人なんか、ホテルに置いておけるかよ。」

……えらくはっきり云ってくれるじゃないっすか。
いちおうこの宿って、フレンドリーでバックパッカーも多い宿ってな紹介だった気がするんですけどね。
わたしは病原菌だから、一般の旅行者のいる場所には居てくれるなってことですか。たとえひと晩でも。安宿だもの、そんなリスク背負いたくないよね。分かるよ。とってもよく分かるよ。
普段のわたしなら食ってかかりそうなもんですが、そんな体力も気力もあるわけがなく、ただ怒りと情けなさを噛み殺すことしか出来ません。

わたしの代わりに、同じドミのオランダ人パッカーたちが、そんな云い方はないだろう、彼女は病院から戻されているんだぞ、と抗議してくれました。
実は、最初に彼らがドミに来たとき、あいさつもしないで感じの悪い人たちだなー、なんて思っていたのですが、その後も病院や日本大使館に電話をかけてくれたりして…勝手に色眼鏡で見ていたことを激しく反省。。。
でも、結局彼らも「ここに泊まるのは無理だから、入院した方がいい」という結論に至り、どう話をつけてくれたのかはよく分かりませんでしたが、わたしは再び、ヤンゴン総合病院に戻ることになったのです(ちなみに日本大使館は、「ヤンゴンの外国人病院に行ってください」と云うばかりでした。だーかーら、それが出来な(以下略))。

宿にたまたま1人だけいた日本人の男性が、同じ日本人というだけで、半ば強制的に付き添い役に抜擢され(苦笑)、わたしは、名前も知らない彼とともに、深夜のヤンゴン総合病院へと運ばれて行きました。
こんなとき、相棒でもいれば…なんてまた空しいことを思ったけれど、その反面、もしいたらいたで、この病気騒ぎにずっと付き合わせることになるわけで、そんな煩わしさを誰かに与えるくらいなら、1人で苦しんでいた方がいいのかもな。
まあ、迷惑って云うんなら、オランダ人たちや、さっき会ったばっかりのこのにーちゃんに、思いっきり大迷惑かけているんだけどさ。。。

病院の大部屋は、まるで野戦病院のようでした。わたしは、その大部屋にちろっとくっついている、物置みたいな小部屋(苦笑)に運ばれました。
不気味なほど静かな部屋。ベッドに横たわって、思い出すのはコルカタ「パラゴン」の玄関で宿のみんなにさわやかに見送られたことでした。
そっか、あれは、たったおとといのことなんだっけ…。でももう、ずいぶん前のことみたいだな…。
人って、いとも簡単に不運に見舞われるもんだね。まあ、不幸な事故はいつだって、突然に訪れるものだけどね…。

YANGON020.JPG - 39,712BYTES まさか、これが最後の食事になろうとは…ううう…(涙)。

(2005年3月29日 ヤンゴン)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system