旅先風信159「バングラデシュ」


先風信 vol.159

 


 

**最後の敵・板倉(下)**

 

まったく……旅もそろそろ佳境に入ってるつーのに、何なんだよこのストレスフルな毎日はよ!

そう、まだまだ続くんですよ。板倉の攻撃。
つうこんのいちげき!
野ぎくは150ポイントのダメージをうけた!
ってか。超バカバカしい。

わたしだって、何もこの国にバトルしに来たわけじゃない。
むしろ、楽しみにしてやって来たくらいなのに。最初のダッカの印象は、決して悪くなかったのに。

板倉(ばんぐら)のムカつくところ。
@ホテルに泊まっていると(外でもだが)、夜中や早朝に、誰かしらが何回も何回も痰を吐く音がする。しかもそれが、ハンパなくエグい
Aリキシャがたまにストーキングしてくる
Bリキシャの90%がボってくる
Cリキシャが多すぎる
D声がでかい(夜中でも)
E明らかにこちらをバカにしている輩が多い(一部インドと酷似)
F一見フレンドリーだが、実はただしつこいだけ(例:何回も何回も何回も何回も何回も「ハロー」と云ってくる)
G乗り物の出発時間を誰も知らない
Hサイフぱくられた
Iやたらと他人の部屋のドアを開けようとする(犯罪では?)

……ふう。ざっと思いついただけでもこんなにあるではないか。
今ひとつ決定打には欠けるけれど、花粉症と同じで小さな積み重ねによって、一定量に達すると突如爆発してしまうのです。

いやーマジで参っているんですよ。
モロッコがカンダダ、エチオピアがバラモス、そしてインドがゾーマという流れかと思いきや、どうやらゾーマ=バングラだったみたいね☆
インドでもまあ、ゴアで大金盗まれたり、幾度となくキレる場面もあったけれど、1日も早くこの国を出たい……とまで思いつめることはありませんでしたもの。むしろ、あれだけ旅人の悪評が高い割には、そこまで敵は強くなかったかも……とやや拍子抜けしたくらい。
そんな心の隙(?)がよくなかったのでしょうか。それとも、インドを見くびった天罰が当たったのでしょうか(?)。まったくのダークホースであったバングラが、めちゃめちゃ強えじゃねーか!!!

ちなみに、最近のうざ話は、ネットカフェで店員に名前を聞かれ(しかも横柄に)、疲れていたので答える声が少しかすれてしまったところ、
「I don't understand!」だってさ。
アンタ、何様!?明らかに自分の方が英語ができるって思ってるわけですか?悪いけどね、わたしはアンタよりは話せるよ。だってフツー、人の云うことが聞こえなければPardon?とかSorry?って云うよね?いっぺん死んで出直してくれる?

あー、思い出し始めたらキリがなくなるけど、ダッカに帰ってきた朝も、ブチ切れる出来事があったわ。
夜行バスが早朝到着して、わたしがまだうとうとしていたら、運転手が起こしに来たのはいいとして、何とその起こし方が「股に手を突っ込む」というありえないやり方!殺したろかいホンマに!

またあるときは、通りすがりのヒマ男による、チンチャンチョン攻撃ね。これも幾度となくあるわけよ。
「あんた今、あたしの顔見てチンチャンチョンって云っただろ!?」
「え?何だいチンチャンチョンって?ボクには分かんないな〜」
「…っざけんな!あたしゃちゃんとこの耳で聞いてんだよ!じゃあお前以外の誰が云ったか教えろやコラ」
「アイドントアンダースタンド♪」
で、わたしが捨て台詞吐いて立ち去った瞬間、背後で、バカにしくさった笑い声あげてんだよ。まあこれはインドでもよくあることだったけど、このテのバカ者は心底ムカつくんだよね!
自分からちょっかい出しておいてさ、こっちが「何か用?」って反応すると「いや、オラは関係ねえっす」ってパターンね。
いちいち腹を立てて突っかかるわたしも負けず劣らずバカなのは分かってるけど、ムカつくもんはムカつくんだよ!
(そう云えば、長年の間、わたしと弟のケンカはちょうどこんな感じだった。わたしが本気でキレると、「アホちゃう?プー♪」てな感じでさらにこちらの神経を10本くらいキレさせるっていう……。弟はバングラ人?恋人はサンタクロース?)

はあはあ……冒頭から文句ばっか書いちゃったわ(苦笑)。荒んでるなあ……。

せっかくコックスバザールでは、チャクマに続きラカインというミャンマー系の先住民族たちに心洗われたっていうのにさ……。
この町もまた、ランガマティやバンドルボンと同じく、イスラム教徒であるベンガル人と、仏教徒のラカインがせめぎあうようにして暮らしているのです(ラカインってカッコイイ名前だね)。
バルミス(ビルマ)・マーケットと呼ばれる市場には、ラカインたちの店が集中しており、日用品を始め、ミャンマーふうの服、ラカインの織る美しい布、コックスバザールの名産であるピンクパールのアクセサリーなどが売られています。最も、このピンクパール、ラカインの売り子の兄ちゃんによれば全部中国産だって話ですが……。確かに、よくよく見ると、パールに限らずここに置いてある商品の大半がmade in chinaだわ。中国製品の脅威はこんな奥地にまで押し寄せているのですね。

バルミス・マーケットからほど近い場所には、仏教寺院があります。寺院の温かな静けさには、普段はなんちゃって仏教徒のわたしでも、何となく、本能的な親和性を覚えます。
その側を散歩していると、ラカインの女性が声をかけてきて、家に招いてくれました。
高床式になっているラカインの家は、決して大きくも立派でもないけれど、不思議に開放感があります。ベンガル語がさっぱり分からないわたしは、話すことなどそんなにあるはずもなくて、ただ黙って座って、点いているテレビをぼんやり見つめているだけです。でも何故だかそこは居心地がよくて。
過剰にフレンドリーではないけれど、穏やかな微笑み。イメージする“敬虔な仏教徒”そのまんま。
彼らはバングラデシュの少数派、ゆえに何かと差別もあるようですが、何故こんなにもやさしく笑えるのかと不思議な気持ちになります。

チャクマやラカインたちが親切だから、余計にバン(ベンガル)グラ人のアホさとかデリカシーのない感じとかが目に付いてしまうのかも知れないけど。
そして、そのアホさが愛すべきところでも……あるようなないような。無邪気な人たちだと思えばいいのかしら?

COXBAZZAR024.JPG - 62,777BYTES バルミス・マーケット内のとある商店。

ダッカに戻ってくるなり、残念なお知らせがありました。
インドまでの帰路に利用しようと目論んでいたロケットスティーマーが、運行中止になったというのです!うがああ!!!
何でも、数日前に転覆事故があったとか…。ま、いつそんなことが起きてもおかしくなさそうな船ではありましたが。
ただでさえ観光資源の少ないバングラでは、ロケットスティーマーは超一級の娯楽だったのに。こんなことなら、インドから焦ってバスで来なけりゃよかったぜ。。。

そして、再びごった煮のようなダッカの街に投げ込まれました。
二度目のダッカでは、いよいよやることもないので、増殖した荷物をまとめて送ったり(送料が安いんですよ)、アメリカ人建築家ルイス・カーンが設計したウルトラモダンな国会議事堂(ダッカにふさわしくねー!)を見学したり、センスの良いバングラみやげが揃うNGOショップ「アーロン」をひやかしたり、スーパーマーケットを物色したり、映画を観に行ったりしていました。
ちなみにこの映画、てっきりインド映画的な娯楽作品かと思いきや、村を追われた家族がひたすら漂流し、その間に次々と家族の誰かが死んでいく、とっても暗い内容でした。。。(ちなみに『ジョイジャットラ』とかいうタイトルでした。ご存知の方……いるわけねーか;)
特筆すべきは、バングラみやげが意外にも可愛いことですかね。「アーロン」は本と、可愛いものがてんこもりでした。NGOのショップなので、バングラ物価からすると少々お高く、お客のバングラ人もことごとく富裕層っぽいのですが、ま、日本でこの値段じゃ絶対に買えないもんね。ああ、ここから帰国なら、いや、もう少しお金が残っていれば、いろいろ買って帰りたかった……。
何と云っても可愛いのが、「ノクシカタ」です。ベンガルの伝統的な刺繍のことで、もともとは着古したサリーや古着の薄い木綿布を重ねて刺し子にし、布を丈夫にしたものだそう。その美しさに着目したNGOが、商品としてのノクシカタづくりを奨励し、今やバングラを代表する工芸品となっているのだとか。
花や動物、生活風景などをモチーフとした緻密な図案は、パナマのモラなどに通じるオリジナルの美しさがあります。リキシャペイントと並ぶ立派なバングラアートだと思うわ〜。
ほかにも、木の食器やろうけつ染めの布なんかも素敵。バングラ、意外と可愛いものの穴場かも?信じがたいけど(笑)。

COXBAZZAR014.JPG - 918,701BYTES これはコックスバザールで見た、おみやげ用の安価なノクシカタ。

それにしても……バングラというところは。
人の森だから。いい人も悪い人もたくさんいて、いいことも悪いこともたくさん起こるってことなのか。
そしてわたしはこの国が、好きでもあり、嫌いでもあり。
でもどうせ今日でサヨナラ。せいせいする反面、少し寂しく、しかし寂しいなどと思うのは腹が立つ。そんなフクザツな心境。
バイバイ、ディープ板倉。ハエの如き大量のリキシャとも、頭痛がするほどの汚れた空気ともおさらば。

色んな意味で、濃密な場所なんだよな。
バラナシのゴドーリヤ交差点辺りをさらにかき混ぜて煮詰めたような、ダッカの凄まじい混沌。
身体に欠陥のある物乞いもインド以上に目に付くし、路上の物売りの数もハンパじゃなく多いし、リキシャの数も本家を圧倒的に凌いでいるし。
ポスターの貼り方、ゴミの捨て方、交通のムチャクチャさ、人の数と職業の種類の多さ……いや、しかしこれらはインドですでに見たことのあるものばかりなのです。でも多分、バングラは――とりわけダッカは、インドよりも何かが濃くって、むき出しで、ギラギラしていて。それが何なのかを的確に表現することは出来ないけれど、「インドの方がラクだった」と思ったことは、幾度となくありました。

DHAKA161.JPG - 1,378,360BYTES 何て云うか……ぐっちゃり。

よくも悪くもバングラを象徴するリキシャとの交渉は、最後まで揉めました。
宿からモティジール(バスのオフィスがある)までは10タカが相場のはずですが、10台以上当たっても「20」「30」しまいには「50」とか云い出すので、またもブチ切れです。
リキシャを捕まえるのを手伝ってくれた通りすがりのポリスも「10はムリだぞ」と云うし、いつの間にか出来上がっている野次馬の群も「20で行けよ」と余計な口を差し挟むしで、コトはどんどん面倒くさくなってきます。
さらにはポリス&野次馬が「金がないんなら歩けやコラ」とまでのたまったので、くっそ、そこまで云われたら1時間かかってでも歩くしかねえ!とまた無意味なこぶしを固めそうになったのですが、そこに身なりのよいヤンエグ(死語)風のバングラ人が登場し、間に入ってくれました。
……そしたらあっさり10TKのリキシャが見つかったじゃねーかよ。
ほれみろ、と勝利の美酒に酔いつつ、野次馬どもに唾を吐いて(ウソ)その場を後にしました。

が、リキシャに揺られながらふと、あと5TKくらい残ったところでもう出国するんだし、いらなくない?と思い直しました。
もしこの兄ちゃんが、言い値どおり10TKで行ってくれるんなら、正直者チップとして5TKを上乗せしよう。それだったら、15で行くって云ってたリキシャを断った意味ねーよなと思いつつ……。
果たして兄ちゃんは、わたしがこれまで乗ってきたリキシャのように「もっとくれ」とはひと言も云わず、笑顔でフツーに10TKを受け取りました。
わたしは、その素直な笑顔に無性に感激し、財布の中にあった1TKをとりあえず追加しました。
その後、兄ちゃんはバスオフィスの側のリキシャの溜まり場で、他のリキシャワーラーたちと談笑していたのですが、彼がそこを立ち去ろうとした瞬間、わたしは慌てて5TKを渡しに行きました。
兄ちゃんは、たいそう不思議そうな、と云うか不審そうな顔をしていましたが、通じていないのを知りつつ「チップ、チップ」と云って5TKを押し付けました。
彼はさっきと同じ笑顔で「ドンノバッド」とお礼を云って、あらゆる車両の渦巻く夜の道路へと消えていきました。

我ながら、つまんないことしてるな……と思ったけれど、車のごった煮みたいな夜の道路を果敢に走っていくその後姿が、何故だかとても美しく、感動的に見えたのですよ。そして、10TKを受け取ったときのためらいのない笑顔に、どうせ明日にはいらなくなるバングラマネーくらい差し出す価値はあると思ったのさ。これまで、物乞いにあげてこなかった分も含めて。

DHAKA180.JPG - 53,917BYTES バングラ最後のリキシャ兄。顔が濃い(笑)。

……ここでバングラの話を終わらせるつもりでしたが、そうは問屋が卸さないのが、さすが最後のボス、ゾーマ……いや、バングラ(涙)。

ダッカから国境のベナポールまでは、夜行バスを利用しました。
こーれーが、深夜12時発の早朝6時着。行きは確か8時間くらいかかったのに……どうやらめっちゃ飛ばしたらしい。
中途半端な睡眠で眠い目をこすりながら、バスを降り、運転手に促されるままにオフィスらしき一室に入りました。デスクに座っている男が数冊のパスポートを手にしているのと、乗客たちが300TKの出国税を払っているのを見て、「ここがイミグレ?」しかし、わたしの順番に至るまでには時間がかかりそうだったので、バックパックを枕にして、ついウトウトと眠ってしまいました。
気がつくと7時、周りを見渡すと、到着したときからずっとベンチで寝そべっている男以外、誰もおりません。……やべっ、完全に出遅れたかも。
少々焦りつつ、その男に「ここはどこ?イミグレなの?」と詰め寄ると、男は「まあちょっと待て」と繰り返すばかりで、ラチが開きません。
仕方なく外に出てみると、先ほどデスクに座っていた男がいたので、「ここはイミグレ?そしてアンタは誰?」とまた詰め寄ると、どうやらここはイミグレでも何でもなく、おっさんも何者なのか分かりません。え、何、ここは単なるバスの発着所だったってこと?
昨日出会った日本語使いのおじさんによれば、バスの発着所からボーダーまでは50メートル。てことはすぐ近くだし、とりあえず歩くか……。

と思ったら、めちゃめちゃ遠いんですが!ゆうに2キロ以上はあるだろ、この距離…。
ダッカで7キロ近い荷物を送ったとは云え、まだまだ重量感あふれるわたしの荷物。そいつを担いで汗だくになりながら、行けども行けども見えないボーダーを目指してよろよろ歩いていると、道の脇からでっかい声で、
「チンチャンチョン!」

……即行ブチ切れました。
朝も早よから、お前らはそんなことしか云えんのか、おい!?
わたしは、つかつかと……いや、荷物が重すぎるのでよれよれと、声の主のもとへと歩み寄り、
「あんた今、チンチャンチョンって云ったよね!?一体何なわけ?あたしに何か文句でもあんの!?」
そこにいた男3人は全員、いや何も云ってねえっすけど?という態度を決め込むのみならず、やたらニヤニヤしていやがります。そのニヤケ面からして、どー考えたっておめーが云ったんだろーが!
もはや怒りを止められないわたしは、日本語と英語とベンガル語のミクスチャー言語で怒鳴り散らしました。しかし、怒鳴れば怒鳴るほど、こいつらはわたしをナメきった態度でニヤニヤ笑いをやめません。
激昂のあまり、わたしは思わずそいつの胸倉をつかみました。……って、我ながらよーやるわ。アフリカだったら間違いなく殺されてるよ、君?
しかし、そこまでして怒りをアピールしても、いやすればするほど、奴らはわたしをバカにするという、わたしの大嫌いなパターンにまたしても陥っていました。
ああ、ベンガル語のファックユーを覚えとけばよかったぜ……と今さら後悔。そんな言葉、誰に教えてもらうんだ、っつー話ですが(しかもイスラムの国で)。
腹の虫が収まらないので、そいつらの足元に脱いであったサンダルをあっちこっちに投げまくりました。ただ、わたしは遠投の選手ではないのであまり遠くに飛ばせず、かなりカッコ悪いことになりました。
結局、最後に「バングラデシュ、カラップ(悪い)!」という、まるでヒネリのない幼稚な捨て台詞を吐いて立ち去りましたが、どうせ彼らには痛くもかゆくもないんだろうな。それどころか、いい物笑いの種になっただけ、ネタを提供しただけなんでしょう。あー本と、最後まで腹立つうぅぅーーー!

そしてまた、永遠のように長い、ボーダーまでの道のりを歩き出しました。
この感じ、何だかエチオピア→ケニアの国境みたいです。あのときも、「やっと、やっとこの国を出られる……」というこみ上げる気持ちで、国境への道を歩いていたっけ。
たった半月だったけど、バングラの旅はむちゃくちゃ長く感じたよ…。
旅も終盤になって、こんな印象的な国に遭遇したことを、嘆くべきなのか、それとも喜ぶべきなのか。

すべての手続きを終えて、出国したのは8時過ぎでした。
インド入国の後、乗り合いリキシャでバンガオン駅へ。あらかじめ仕入れていた情報どおり、コルカタのメトロ・ダムダム駅行きの切符を買って列車に乗り込んだのはいいけれど、これがまた果てしなく長く、のろく、しかも超満員。。。
バンガオン→ダムダム間の距離がいかほどなのかは知らなかったのですが、まさかこんなに長いとは思いも寄りませんでした。一体何駅を過ごしたでしょうか。ゆうに20の駅は停車したと思われますが……(ちなみに各停)。ひどい暑さで、たびたび気を失いそうになりました。
そしてようやくダムダム駅に着くと、バーゲン初日なみの降車バトルが繰り広げられ、それをかいくぐってやっとのことでメトロの切符売り場へ赴くと、何と長蛇の列が!
コルカタのメトロは何度か乗っていますが、こんなことは初めてです。しかも、列がまったく進んでいません。一体何なの!窓口に座っているのは人形!?
20分近く待っても何も状況が変わらないので、前の人に尋ねてみると、
「誰か自殺したらしいよ」だってさーーー!うっそでしょ?!インド人も自殺とかすんの?!(失礼)
一刻も早く落ち着きたい状況で、このような事態に遭遇するとは、バングラの呪いでしょうか……。

30分待ったところで、結局らちが開かなかったので、バスに乗ってサダルストリートに向かいました。
そんなこんなで、パラゴンホテルに着いたのは14時。早くも1日の仕事を終えたような心持で、思わずドミのベッドに倒れこんだのでした。

DHAKA153.JPG - 36,696BYTES ダッカにおいて、もっともダッカらしくない国会議事堂。

(2005年3月21日 コルカタ)

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