旅先風信158「バングラデシュ」


先風信 vol.158

 


 

**最後の敵・板倉(上)**

 

旅すれば旅するほど……。

この国の印象が悪くなっていくのを、止めることができません。
それは、旅人としてヒジョーに悲しいことではありますが……腹立つもんは腹立つので仕方ない。

思い起こせば、チッタゴンを出たその日から、まる1日を安寧に過ごせたことがあったでしょうか。否。否否否!
パーミッションの件はわたしが悪いとしても、いちいち列挙するのもバカバカしいほど、何やかんやと不快な目に遭うのです。
リキシャとの小競り合い、軽いセクハラ、こちらを明らかにバカにした言動&態度……などが、まるで顔の周りをしつこく飛び回る小虫の如くまとわりついてくるので、イライラが少しずつ蓄積され、一定量を越えると大なり小なり爆発を起こしてしまうわけです。そしてまたムダに疲れる、と……。

先に、誤解のないように書いておくと、ランガマティで出会ったチャクマの人々は、奇跡的にやさしかったです。
チャクマとは、チッタゴン丘陵に暮らす先住民族のひとつで、仏教徒であることや、日本人にも通じる風貌は、バングラデシュと云うよりもむしろ、隣国ミャンマーに近い人々です。
ランガマティにはチャクマが多く暮らしており、仏教寺院や、ミャンマー風の民族衣装を売る店、籐(?)で編んだ壁の家といった、ダッカやチッタゴンではお目にかかれなかったアイコンが見られ、これまでに久しく味わうことのなかったアジア的長閑さに癒されます。仏像とか、まさに“地獄で仏”って感じだよ(笑)。
インドもバングラも南“アジア”なんだけど、何かどうしても、脂っこくてギトギトした感じなんだよなあ(苦笑)。

仏だ仏だ〜。

ああ、歩いているだけで和むなあ……なんて思いながら集落をうろついていると、チャクマのおねえさんが声をかけてきました。
モンゴリアン系の親しみある風貌。やわらかな控えめな微笑み。ここんとこずっとバングラ人のギラギラした目にさらされていたわたしは、懐かしい人にでも会ったように、ひどくホッとしました。
だから、「よかったら、家でお茶でもどうぞ」と云われたときは、いつものわたしには珍しく、ほとんど警戒心もなくついて行ったのでした。

オッチョナという不思議な名前のおねえさんは、ランガマティで学校の先生をしていて、聞けばわたしと同い年。しかし、顔のつくりのせいもあるでしょうが、わたしよりもずいぶんと大人に見えました(老けていると云いたいわけでは……ありません。念のため)。
お世辞にも広いとは云えませんが風通しの良さそうな部屋には、お母さんがブッダガヤに巡礼に行った際の写真がたくさん飾ってありました。
彼女はそれほど英語が達者なわけではないので、会話は途切れ途切れになりつつも、わたしは不思議な落ち着きを感じていました。やさしいけれど、過剰にフレンドリーではない、居心地のよい距離感。
その後、彼女が学校の仕事に戻ると云い(どうやら昼休みで帰宅していたらしい)、わたしはおいとますることにしたのですが、また遊びにいらっしゃいと云われて翌日も家を訪ね、今度は親戚の家にもお邪魔しました。オッチョナ以上に言葉の通じないおばさんやイトコたちでしたが、何だか自分の田舎にでも帰ってきたようで、バングラに来て初めてとも云えるくらい、ゆったりと安らかなひとときでした。

オッチョナとママ。

またある日は、偶然チャクマの結婚式に出くわし、(何だろ何だろ……)という感じでこっそり覗いていたら、中の皆さんがこぞって手招きしてくれました。
花嫁さんの写真や飾りつけなどを撮らせてもらった後、ごちそうのお相伴にまで預からせてもらうことに。いつの間にか、まるで親戚の一員かのように同じテーブルでご飯を食べている自分が、ちょっと可笑しくもありましたが、同じような顔の人たちに囲まれていると、不思議に疎外感が薄れますね。

続いて訪れたバンドルボンも、チャクマのほかにマルマやラカインといった先住民族たちが住んでいます。
やはり人々の顔はモンゴロイド、丘の上には仏教寺院。マルマの居住区域ではブタが飼われていて、“イスラムではないバングラ”を垣間見ることができます。
バス通りから町に入ってくると、まず“イスラムのバングラ”があって、ずんずん奥に進むに連れて、東南アジアっぽくなってくる。
こうして見ると、イスラムのバングラ、いや、ベンガル人のバングラは、やっぱりどこかアグレッシブな気がするんだよなあ……。そこがまあ、“らしさ”でもあるんだけどさ。
ちなみに、マルマのつくる布のバッグがとてもポップで可愛らしく、また物欲が刺激されうっかり購入してしまいました。

店先でミシンを踏むマルマのおねえさん。

そんな、チャクマたちの面影を胸に(その分、次の行き先であるミャンマーに多大な期待を抱きながら)、バングラデシュ最南端の島・セントマーティン島への拠点となるテクナフへと移動しました。
この町が、チャクマに癒されながら何とか回復しつつあったバングラの印象を、またも貶めてくれることになりました。

テクナフは、セントマーティン島へ行くためだけの滞在地です。
なので、到着して早速、船の時間をチェックしに行ったところ、船着場の誰も彼もが違う時間を云い放って、まったく有益な情報が得られません。知らないなら知らないって云ってくれればいいのに……。
そして、肝心のオフィスの答えは何と「バロタイ(12時)」!ガイドブックの8時という情報を鵜呑みにするわけではないけれど、それを基準に考えると、いくら何でも12時は遅すぎるのでは?そんなはずはないのでは?
どうにも納得がいかず、1人、英語のできる人を引っ張って来てもらうと(その人の英語もだいぶ怪しかったのですが)、どうやら「ウォータープロブレム」だそうで…。
確かに、午後になって天気は下り始めてはいる。いるけれども……そーゆー問題なんすか?ボートは1日1本と書いてあるし、本当に船が出るのかすら怪しいよこの雰囲気。

この直後、船の件でささくれ立っていたわたしの神経を、まさに逆撫でする出来事が。
通りすがりの青年に「ハウアーユー?」と挨拶され、にこやかに「ファイン」と会釈して通り過ぎたら、後ろの方でぷぷっと噴き出しているではないか。
てめー、ふざけんなよ。こっちが無視したんならともかく、返事したのに嘲笑かい。
目下、♪さ〜わるものみな傷つけた〜ギザギザハートになっているわたしは、よせばいいのに「何だてめえは
?何か用かよ!?」とわざわざケンカを買って詰め寄りました。青年はその友人と2人でそらっとぼけていやがります。
ああ、いっっっつもこうだよ。自分からやっておいて後は知らんふり。また、こういう時の表情というのが、実に憎憎しいわけよ。
わたしは、もう少しでそいつの胸倉を掴みそうになりましたが、万一反撃されたら適わないのでやめました(ヘタレ)。代わりに、すぐ側にあった木材にケリを入れ、中指を立ててその場を立ち去りましたが、そんなもんで気が収まるわきゃねー。

さらにさらに、市場を歩いていた時なのかいつなのか……とにかくいつでもどこでも人が多いので特定できませんが、めったに遭わないスリに遭い、財布を盗られてしまったのです。
いや、落とした可能性だってあるとは思うけど……そーいやトマト買った時に子供に囲まれたっけ。あのときか?
今まで、1ドルをケチってやり繰りしてきたのに、一瞬でパアですか。
人生って何なの!?何でこうなるの!?いつもいつも、用心してたじゃん。それが、何で今日に限って???
カイラスのSさんは、カトマンズだけで3回くらい財布失くしていたっけな……あの人は、それでも笑っていたけどさ。わたしは笑えないんだよ。心が狭くて貧しいから。あの金で、ロケット・スティーマーの1等に乗ろうと思っていたのに。それか、ノクシカタ(バングラの伝統工芸品)の小さいものでも買って帰ろうと思っていたのに。

もはや、町を歩くとヒットポイントがみるみるうちに減っていくばかりなので、宿に帰って、「ドラクエ5」の続きをやって心を癒すことにしました。
……しかし、このささやかな安寧さえもたやすく打ち破ってくれるのが、バングラクオリティさ。

まだ日も落ちきらない夕刻と云うのに、宿泊客だか地元民だか知りませんが、隣室の男集団が狂ったように騒ぎまくり。それだけでも腹立たしいのに、わたしの部屋のドアを何回も開けようとしやがるのです。あのランガマティの晩以来、こういうの、本気で怖いんですってば!
もちろん、内カギはしっかり閉めてはいるけれど、とても部屋でくつろげる状態ではありません。恐怖のあまり、
すぐにナイフが手に取れるようにスタンバったほどです。危なかったアフリカですら、ここまでしたことはなかったよ……。
オッチョナに「セントマーティンに1人で行くなんて、危ないわよ」と云われたことを、ふと思い出しました。
もし、この隣室の奴らもセントマーティンへの観光客だったとしたら?彼らでなくても、この類のイカれた男どもと同乗することになったら?
大げさとは思いつつも、軽く命の危険を感じずにはおれません。ふざけて、丸木舟ら突き落とされたっておかしくない。それくらい、わたしのバングラ人に対する不信感は募っているのです。

今まで、たくさんのイスラムの国を訪ねたけれど、ここほどイライラしたな気分で旅したことはないかも(あ、モロッコがあったか)。
痴漢が多いと悪名高いパキスタンやイランでは、女子旅行者たちはこういう目に遭っているのでしょうか?わたしはその2カ国ではいっさい、そのテの不愉快な出来事がなかったもんで、何で今さらこんなところで?って、不思議でしょうがない。
「女だから」って云いたくないけれど、久々に、女だから難しいの?って思ってしまう。何かするたびに人が集まってくるくらいは許せるとしても、明らかにナメられるし、セクハラされるし。
むしろ、今までのイスラム国であまりそういう目に遭っていないことの方が稀有なのでしょうか……。

まあ、冷静に考えるとそんなに大きな事件があったわけでもなし、何がそんなにムカつくのか、自分でも明快に答えられないのも事実ですが……。
しかも、そんなにイヤなら、さっさとインドに戻ればいいものを、しつこくもこんな最南端の地まで来ていたりするのですから、われながら意味不明(笑)。
ひとつには、「もう二度と来ないので、『あそこに行っておけばよかった』系の後悔を残したくない」というのがあります。これが最大にして唯一の理由かもなー。
いい人だって、たくさんいるのにね。そうやって、たくさんの人が働きアリの仕事のように積み重ねてくれた親切、この国に対するよい印象を、一部の悪人が全部ブチ壊してくれるのさ。いい人に会えば、その国の印象もよくなる。きわめて主観的な見方だけれど、いち旅行者だもの、それが判断基準になっちゃうよ、どーしても。
そう考えると、バングラ全体とまでは云わないけれど、少なくともテクナフの印象はサイテー

 テクナフで撮った写真はたったの4枚。そのうちの1枚がこれ。やる気のなさが伺えます。

いや、もうどっちにしたって終わりじゃないか。
ここ2〜3日がヤマで、あとは一路ダッカ、いやコルカタを目指して戻るのみではないか。
もし船が出なければ、大人しくコックスバザールに引き返そう。とりあえずやるこたやったよ。海とビーチは、コックスバザールで見ればいいのだし。
はあ……。ここで死んでも、誰にも知らされないんだろうな。別に、ツーリストが全然いないとかはいいよ。ただ、安全に旅行させてくれれば……。
ああ、よく考えたら、今日は旅立ちから3周年の日じゃないのか。
そんな特別な日(まあ、わたし以外の人にはタダの平日だが)を、こんなわけのわからん場所で、イライラ、ハラハラしながら過ごすなんて、悲しくなる。

しかし、こいつらは、そんなわたしを知ってか知らずか(知らねーよな;_;)、いつまでもいつまでもいつまでも……気が触れたかのように騒ぎまくってくれました。ある意味お祝いか?(嘲笑)
夜も11時とかになって、何と廊下で嬌声を上げながらすべり込みなどしているのです。うるさいんじゃボケーーー!!!お前らいい大人でしょ???もうちょっと紳士的に遊べないわけ?!?
騒ぐだけならまだしも、ノブをがちゃがちゃと回すのも、やたらとノックするのもやめてくれません。ああっ、お願いだからドアに触らないで!!!心臓が縮むから!!!おいこら、友達だか何だかの部屋に行くのに、何ゆえわざわざわたしの部屋のバルコニーに侵入するんだよ!?フツーにドアから入れやこのボケナス!うああああ、もう気が狂いそう!!!
だいたい、夕方から騒ぎ始めて、何でこの時間までそーなるわけ?!その騒音はいったい何なの?!夜逃げでもすんの?それともお部屋のリフォームですか???日本のNGOは、こんなアホどもを養成するために学校建ててんのかよ!?(飛躍しすぎ?)
ってかもう12時半!まだやんのか!?グゴオォゲエエエエ、って何の音!?大音量でタンを吐いとんのかい!きもいんじゃーーー!

……そんなこんなで、嵐の一夜は何とか過ぎ去りましたが(もはやどうやって眠りに落ちたのか、記憶がない)、翌朝、またも船は出るか出ないかの微妙なラインをさまよっていました。
(ガイドブックどおり)8時ってこともあるかも知れないと思い、いちおう早起きして船着場に行ったものの、3秒でそれが無駄足だったことが判明。
くっそー、本とに船あんのかーーー!?
朝食を食べる心の余裕もなく、わたしは落ち着きなく船着場と宿を往復しました。が、得られた情報は、彼らがことごとく時間にいい加減な人たちだという事実のみ。それはもう重々承知ですから!とりあえず、出るか出ないかだけでもはっきりしてーーー!
船着場には何艘もの丸木舟がスタンバイしています。でも、「セントマーティン?」と聞けば「ナー(NO)」という答えが返って来るばかり。

そうこうしているうちに、時計は11時を周り、11時半が過ぎ、完全に午前を無駄にしたかも……と、すっかり意気消沈していると、セント・マーティン島行きの船が着いたという情報が。
慢性疑心暗鬼のわたしは、「この船本当にセントマーティン行き?ホントにホントにホント?」と何度も念押ししました。ぬか喜びじゃないことを確認するために。
わたしは大急ぎで宿を引き払い、荷物を背負ってダッシュで船着場へ戻りました。地元民たちとともに船に乗り込んでからもしばし待ちぼうけを食らいましたが、船はめでたく出港。船が動き出した瞬間、軽く勝利の陶酔感すら覚えてしまったわ。

肉眼で見える距離に、ミャンマーの陸地がありました。
こんなにも近いのに、この船で行けば30分もかからないだろうに、あの陸地に入ることは出来ません。ミャンマーに至るには、ここからまた何百キロとあるダッカへ、さらにインドのコルカタまで引き返して、飛行機で……ええい、なんてもどかしい!
見えないカーテンのように分厚く仕切られた国境。人が引いた線という不可思議な重み。何て近くて、何て遠いのか。

さて、この船には、わたしのほかに何と、外人ツーリストが乗っておりました。若きえげれす人パッカー、チャーリーでした。
わたしは、あまりにも久方ぶりに見た(気がする)、自分と同じ“外人ツーリスト”という希少生物の存在に驚き、のみならず、彼が「ハロー」と笑顔で話しかけてきたときは、軽い感動すら覚えました。ああ、ちゃんといたんだねこのバングラにも。絶滅してはいなかったんだね(涙)。
彼も、そこまで大げさな感想は抱いていないでしょうが、「今までこの国を旅してきて、初めてツーリストに会ったよ」と云うので、何だか急に仲間意識のようなものが芽生えました。

船がけっこう揺れたので(丸木舟だから怖いことこの上なし!)、船上ではあまり多くは話せませんでしたが、島に上陸してから何となく行動をともにしつつ、話すのはバングラの旅のこと。
わたしが「もうバングラの旅は疲れたよ」と云うと、チャーリーは、あー分かる分かると云ってくれました。
ああ、このひと言が欲しかったんだ。誰かに共感、せめて同感してほしかったんだ……。
ボランティアでこっちに来ている彼の友達ですら苦労しているらしいので、やっぱり、外国人にはいろいろとやりにくい国なんでしょうかね。そう思ったら、別にわたしの頭がおかしいせいだけでもないってことか……。ちょっとホッ。

普段は英会話が面倒で、コルカタの宿に腐るほどいた欧米人ツーリストとも何の交流もなかったわたしですが、今このバングラで会ったチャーリーに対しては、旅人同士というだけで、英語でも何でも意思が通じるというだけでもう、とてつもなくありがたい存在に思えてきます。
その気持ちはいつしか恋心に変わり、その晩はチャーリーと、ろうそくだけが灯る部屋で……(以下次週)

……というようなことは全くなくて、シット・ヘッドというトランプゲームをひたすらやり込んでいました。
シット・ヘッドは欧米では有名なゲーム。しかしわたしは、あまり欧米人と輪になってトランプをやる機会に恵まれなかったので(寂しい奴……)、ここに至るまで、ちゃんとしたやり方を知らなかったのです。
最初はルールを飲み込むので必死でしたが(英会話だしさ)、何度かやっているうちに面白くなってきて、「もうひと勝負!」とか云ってけっこう夜遅くまで盛り上がってしまいました。相変わらず色気のないわたくしです。。。

翌日は、同士(笑)チャーリーとともに、島内を散策しました。
セントマーティン島は、いつものバングラにつきものの混沌や猥雑がまるでなく、静かで、素朴で、人がまばらで、呆れるほどに長閑で…波の音だけが胸に染み入るように聞こえてきます。本当にここはバングラですか?(笑)
島を取り囲むビーチも、取り立てて美しいわけではないけれど、全くの手付かず状態で、何だか勿体無いくらい。
ランガマティにいたときも「この世の果てみたい……」って思いましたが、ここはもっとその印象が強いですね。ミャンマーとの国境が封鎖されているせいか、本当の行き止まりのように思えます。
ま、よくよく見ると、ゲストハウスもちょこちょこあって、建設中の物件もいくつかあったので、いずれ観光地となり、ツーリスティックなリゾート島になる日が来るのかも知れませんけどねえ。
小さな島のわりに子供の数が多いようで、学校も3〜4校ありました。宿のがきんちょたちが宿題なんかしているのを見ると、ああ、この小さな島でも普通の生活が営まれているのだなあと、ほんのり温かい気持ちになります。
ビックリしたのは、宿のじいさんが1900年生まれだって云ってたこと。え?てことは今105歳?!しかも、片言だけど英語話してるし!超人!?

最果てのビーチ。

闇の中で(笑)勉強する子供たち。

それにしてもチャーリーはナイスガイでした。
英語ネイティブの人とこれだけちゃんと話せたことも、思い起こせばほとんどなかったかも。
大半は旅の話や情報交換でしたが、“ネイティブと話すのは難しい”というわたしの強固な思い込みを払拭できそうなくらい、彼の英語はとても分かりやすかった。多分、かなりゆっくり、言葉をていねいに選んで話してくれたのでしょう。ハタチそこそこなのに、ずいぶん大人びて見えたのは、そのせいでしょうか。
特にロマンチックな気分にはならなかったけれど、旅のルートが正反対の彼とはもう会うこともないだろうけれど……ただ素直に、一緒に過ごせて楽しかった、会えてよかったと心から思いました。

そして、コックスバザールまで来ました。
世界一長いビーチを持つ町として知られており、海辺のリゾートってことでバングラでは新婚旅行のメッカでもあるそうですが……とりあえず町の第一印象は「リキシャ多っ!!!」
こんだけの数のリキシャがいる時点で、個人的にはかなりリゾート気分を削がれたものの(まあ足の多さという意味では妥当だけどね)、とりあえず、世界一のロングビーチへ行ってみました。リキシャで(てへ)。
ビーチらしい華やかな盛り上がりはなく、鳥取砂丘みたいな(行ったことないけど、イメージで)茫漠たる砂地ですが、まあ、とても広くて静かなので、よしとするか。
砂浜に座って沈みゆく夕陽を見つめながら、バングラの旅もあと少しかと思うと、一抹の寂しさがこみ上げて来る……
ことはほとんどなく、どちらかと云うとやっぱり、早くミャンマーに行きてえなあ……と思うのでした。

 巨大な防砂林が何だかサツバツとした印象を与える、コックスバザールのビーチ。

 (2005年3月17日 コックスバザール)

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