旅先風信156「バングラデシュ」


先風信 vol.156

 


 

**リキシャ天国(いや地獄)、ダッカの日々**

 

「今が旬の国!自分がこれほどヒーローになれた国はない」
(もらったガイドブック『旅行人 バングラデシュ』に書かれていた落書き。この本は、数人の手を経てきたものらしい)

バングラデシュを旅したことのある人に、「見どころは?」と尋ねたら、ほぼ100パーセントの割合で「人」という答えが返ってくると思われます。
わたしがよく聞いたのは、「バングラデシュに行くと、旅行者の存在が珍しいので、すぐに現地人に囲まれる」という話。散歩していて、ふと後ろを振り返ると、人々がまるで大名行列のようにくっついて来ているとか、レストランで食事をしていて塩を探していると、4人くらいがすかさず塩の入ったビンを差し出してくるとか。
……面白いではないか。バングラデシュ人。
やたら人に囲まれるという体験は、ぱっと思い出せる範囲では、イランとかアフガニスタンとか、インドの一部地域などでも何度かありましたが、バングラではどうやら、その度合いが半端じゃないらしいのです。

そんなバングラデシュに行くことにしました。
バングラデシュと聞いて思い浮かべるのは、日の丸と色違いの国旗、世界最高の人口密度と、世界最貧国の経済。あと、友人が昔、出稼ぎのバングラデシュ人と行きずりの○○○をしたこと(何をやっとんねん)。うーむ、相変わらず貧困な知識だな(苦笑)。
さて、どんな国なんでしょうか。

************

コルカタからバングラデシュの首都ダッカまでは、国際バスで14時間。長いです。まあ、バスはそこそこ新しくて、弁当もついていたので快適でしたけどね。
4ヵ月半にわたり長い長いインド旅もついに終わりかぁ…と感慨に耽りたいところですが、実はダッカで安い航空券(ミャンマー行きね)が手に入らなかったら、またすごすごとコルカタに戻らなくてはならないので、今イチお別れという気がしません。
そして、バングラデシュに入っても、基本的な風景はそれほど大きく変わりません。この国は、元・元インドで、元パキスタン。バングラデシュとして独立したのは、わたしが生まれるたった5年前のことなのです(32歳と考えると、若いよね)。まして、コルカタと同じベンガル人が住んでいるのですから。
ただ、イスラム国なので、久々に頭にスカーフを装着します。

ダッカの安ホテル「アルラザック」に到着した頃には、すでに夜の9時を回っていました。
ここでは、ひと足先にバングラ入りしていた“タモリの弟子“ことKさんと女子大生Mちゃんに再会。
彼らは、同じくコルカタで一緒に遊んでいたツワモノ医大生パッカー・まんぼう嬢と3人で、バングラ国境からロケット・スティーマーという、バングラ名物のオンボロ外輪船に乗ってダッカに入ったのです。わたしも、かなり興味をそそられたのですが、何と26時間もかかるというので断念。ま、もしインドに帰ることになったら、その時にでもトライしたいと思います。

その晩は、コルカタから続く「桃鉄」大会で盛り上がり、翌日は3人でダッカを散策しました。
ニューマーケットというショッピングエリアでお店をひやかしたり、『NYタイムス』でも紹介されたというビリヤニ(炊き込みご飯)を食べたり、バングラスイーツ(「ドイ」と呼ばれるヨーグルト風プリンがめっちゃ美味しいのだ!)を食べたり、屋台でラッチー(ラッシーに似たバングラの飲み物)を飲んだり……と、久々に『見参!アルチュン』(ケンドーコバヤシ・藤谷文子・山内圭哉というシブイ3人組が関西をひたすら散歩するローカル番組)を思い出すようなゆるい散歩を楽しみました。
ラッチーを飲んでいると、いつの間にか背後にバングラ人の人だかりが、おいおいテレビのロケかよ?!と思うくらいわさっと出来ています。来た来た来た!これだよこれ。これがうわさの“バングラ人に取り囲まれる”体験だよ。やっぱ伝説(?)は本当だったのね〜。浅黒い皮膚の中でひときわ目立つ大きな目・目・目が、わたしたちを突き刺すように見ていて、妙に緊張します。

DHAKA004.JPG - 52,576BYTES ふり返ればやつらがいた。。。

その後、Kさん&Mちゃんに付き合ってもらって、ビーマン&バングラデシュ航空の本社へ。
そう、わたしはバングラ人に呑気に取り囲まれている場合ではなくて、ダッカではまず、“ミャンマー行きの安い航空券を入手&ミャンマービザを取得”という仕事があったのです。
旅行事情のあまり発達していないバングラデシュでは、パッカー向け格安航空券ショップなどという気のきいたものが簡単に見つからないので、とりあえず航空会社本社に来てみたわけですが、チケット代を尋ねると……何と、ダッカ→ヤンゴン→バンコクの片道が400ドル近くすることが判明!マジかえ!?
コルカタであらかじめ調べておいた、コルカタ→ダッカ→ヤンゴン→バンコク便は約240ドル。これだったら、もう1回インドビザを取り直してバングラの出国税払ってインドまでのバス代払っても、まだお釣りが来るではないか。うへえ……。ここまで差があるとは、正直予想していなかった……。
それなら最初っから、コルカタでチケット買ってバングラに入ればよかったのでは? と思うでしょ。わたしも深くそう思う。
でもそれは、さまざまな事情が絡み合って、出来なかったのさ。
まず、わたしが本人の意図に若干反して、あまりに長くインドにいたために、インドのビザが切れる寸前だったこと。そして、コルカタ→ダッカ→ヤンゴン→バンコク便が週2便しかなく、それに合わせて動くと、インドビザの範囲内ですべての仕事を終えることが出来なかったため、こんな無駄をするハメになったのです。つまり、要約すると、わたしの計画性がないということでしょうか。

まあいいか……。
救いがあるとしたら、インドに戻る頃は、ちょうどホーリー(春祭り)の時期。ホーリーのためにインドに戻ると思えば、それもアリでしょう。
それに、行きで乗れなかったロケット・スティーマーにも乗れますしね。

KさんとMちゃんは翌日ダッカを発ち、早速1人ぼっちになったわたし(……)は、インドビザ受け取りまでの数日間、ダッカをひたすらうろついていました。
何せバカみたいに広いので、どこへなりと出かける場所はあります。ま、観光地ってほどの場所はそんなにないのですが……。
いちおう観光スポットとして、
ショドル・ガットとか、スターモスジットとか、ラールバーグ・フォートとかあるんですけど、どれもこれも、ここに来るまで存在すら知りませんでした(苦笑)。さすがバングラ、マニアックさにかけてはインドの比ではありません。

DHAKA012.JPG - 53,275BYTES 本文とカンケーないけど、路上でパンツを売るおじさん。イスラム国ならではだな〜……。

そうは云いながらも、あちこち出かけてみるのですが、ダッカに来てから、いやもしかするとコルカタの後半くらいからずっと、妙に体が疲れており、観光&街歩きに今ひとつ身が入りません。
睡眠時間もやたら長くなっているし、鈍い頭痛が取れないのです。朝から出かけても午後3時ごろにはダウンし、ホテルに戻って昼寝というていたらく。うーん、もっとフルに動きたいのに……。

この疲れは、暑さと大気汚染のせいでしょうか?大気汚染にかけては、世界チャンピオンらしいし(苦笑)。
それに加えて、ダッカには人と車とリキシャが多すぎるのです。それだけじゃなく、すべてが過剰な感じ。わたしは、田舎ののどかさ以上に街の喧騒というものを愛する旅人ですが、喧騒もここまでいくと、やりすぎというか何というか……。よほど元気な時でないと、この喧騒を純粋に楽しむことはできないかも。
コルカタもかなり猥雑な街だったけれど、ダッカはそれ以上です。猥雑と云うか、単にカオス。掃き溜め。ゴミ箱(それは云いすぎです)。
街は音に満ちており(満ちすぎており)、アザーン、リキシャのベル、車のクラクションと排気音、様々な人の声…洪水のような音のミックスが、朝から晩まで絶えることがありません。

人の多さもハンパじゃない。何たって、日本の約半分の国土で、1億人以上が住んでいるというのですから、その凄まじさが伺えるというものでしょう。
とにかく、どこを見渡しても人・人・人・人・人……∞。市内移動の拠点となるグリスタン・バスターミナルなど、ものすごい人込みならぬ人のゴミのようです。ここでのわたしの命なんか、1ルピーくらいなんじゃないかってくらい多い。
何もかもが異様に密度の濃いダッカの中でも、驚くべきはリキシャの数の多さ。まるで、ダッカに生息する何かの生き物のよう。そして、これらが一気に走り出すさまは、戦国時代の足軽軍団のようで、かなり凄まじいものがあります。
インドに入ってすぐの頃、バラナシのリキシャ渋滞にか〜なりビックリしたけれど、おそらくダッカの方がリキシャ密度は高い。ほっそい路地でもガシガシ入ってきて、しかも二車線(て云うのか?)で走ったりするので、歩いているとリキシャ詰まりで歩行不可能になることもしょっちゅうです。
本来なら便利で小回りのきく移動手段であるはずのリキシャが、そもそもの人の通る道をふさいでいるっていったい。。。街じゅうを移動手段で埋め尽くしたら、移動できなくなるじゃねーか!と思わずツッコミたくもなります。そりゃ人が多い分だけリキシャも多いってことなんだろうけど、理由の一因としては、リキシャの運転手というのは、地方から出稼ぎに来た人が一番手っ取り早く就ける仕事だというので、こんなにもあふれ返っているらしい。ま、これだけ供給が多いと、大したお金にはならなそうですが……。
ちなみに、乗るとなったらメンドクサイ値段交渉が待ち構えているのは、インドと大して変わりません。

DHAKA109.JPG - 47,643BYTES 何の行列なんですか。。。

しかし、そんなリキシャにも、素晴らしい美点があるのです。
それは、わたし好みのチープでド派手なチンドン屋風ペイント。こいつがホントに楽しいんですよ〜☆
パキスタンのデコバス(デコトラ)と双璧を成す、世界でもかなりハイレベルな乗り物アートです(何気に、バングラのトラックもけっこう激しくペイントしていたりしますが)。
とにかく、背もたれから椅子からタイヤを支える棒に至るまで、ビッッッシリ極彩色!ポスターカラーのペイントだけでなく、ビニール製の花やら星やら蝶々がぺたぺた貼られていたり、房飾りが付いていたり、んもう目が痛くなるほどの装飾っぷり。デコラティブとかいうレベルを超えて、もはやただのカオス(笑。カオスだらけだ)。ハンドル部分には、ショッキングピンクのチープなラッパ(クラクションね)が付いているのも、抱きしめたくなるほどかわゆいんだよな〜。
そんな、すべてがハデすぎるリキシャの中でも、勝負どころは座席部分でしょう。
ビニールが貼られた背もたれと、座席の裏側に張られたアルミ板。それぞれペイントが施されていて、ここがどうやら、リキシャのオリジナリティの発揮どころっぽい。モチーフは様々で、花柄もの、動物もの、映画スターもの、リゾート&観光地ものあたりが主流ですが、たまにフセイン元大統領の似顔絵なんかもあったりします(イスラムつながりですか)。これをつぶさに観察するだけでもワクワクします。

DHAKA011.JPG - 74,589BYTES 祭仕様ではありません。

ガイドブックによると、この“リキシャアート”は、タンザニアのティンガティンガ絵画のように、アート方面からの熱い視線を受けているそうな。
うーん、分かる分かる、その観点。ティンガティンガと相通ずる卓越した芸術性があるよね。
そして、聞けばリキシャのパーツを販売してくれる店があるというではありませんか。これは、生活費を削ってでも先物買いしておかねばなりますまい。また荷物が増えますけどね。てへ。
とりあえず、映画スターの顔が力いっぱい描かれた、ややエグい色彩の座席シートを購入しました。座席裏側に付けるアルミ板も売られていたのですが、嵩張りそうなので断念。家に飾ったらかなりカッコよさそうなんだけどなあ……。

何もかもがカオスのようなダッカの中でも、ショドル・ガットは、やや異色で、なかなかにいい雰囲気でした。名前の響きも何だかカッコいいよね
“川と運河の国バングラディシュを象徴する場所”と紹介されている港で(確かに、川と運河の国なのだ。地図を見ると、バングラディシュの国土を川が静脈のように走っている)、迷路のように細い路地が入り組むオールド・ダッカ区域を抜けたところにあります。
港としてはそれほど大きくもないスペースに、例のロケット・スティーマーっぽい、「これいつの船ですのん!?」な雰囲気のオンボロ客船、その合間を埋めるようにして対岸渡し用の丸木舟が所狭しと並びます。客船からは今しがた地方から出てきたような、大荷物の人々が吐き出されるようにして下り、船着場には人が激しく往来し、食料や日用品の露店が並び、まるでターミナル駅のようなせわしなさ。
そして、港のあるブリゴンガ川は、旧ガンジス河というだけあって、ガンガー並みの悲劇的な汚さ(苦笑)。しかしガンガーのような荘厳さはなく、妙に懐かしさを覚えるひなびた風景が広がっています。街なかの混沌を思えば、川のパノラマがある分、穏やかとすら云えるショドル・ガット。たとえ汚くても、水の存在は、その場所を浄化する力があるのかも知れません。
わたしは、昨日気まぐれで買ったクレヨンで、スケッチを始めてみました。あら、何だかさすらいの旅人っぽいですね(笑)。物売りの少年たちが、時々後ろからじっと覗いてくるので、ちょっと気が散りますが。
もっと昔から、クレヨンなり色鉛筆なり持ち歩いて、色んな場所の絵を描けばよかったなあ……。今まで観光地では、ガシガシ観光するばっかりだったからそんな余裕もなかったけれど、バングラはあまり気合を入れて観光する場所もない分、ゆったりした行動ができるのかも知れません。

DHAKA085.JPG - 65,713BYTES 揺れる小船、ルンギを巻いた船頭。どこか懐かしい風景。

もうひとつ、ダッカで大いに感動したのが、ミルプール聖者廟(ミルプール・マジャル)。
毎週木曜日の夜、バウル音楽と呼ばれるバングラディシュ特有の宗教音楽が披露されるのを、はるばる見に行ったのです(わたしの宿のある場所からバスで30分以上かかるのです。ダッカはつくづく広い)。
ちなみに聖者廟というのは、他のイスラム国にはないバングラディシュ独自の信仰で、奇跡を行なったり、布教活動に貢献した“聖者”を祀っている場所のこと。イスラム教徒だけでなく、ヒンズー教や仏教徒も隔てなく祈りを捧げられ、また、モスクとは違って女性も入れるというのが独特です。
宿の情報ノートにオススメと書いてあったので、何となく出かけてみたところ、このバウルが、予想をはるかに上回るカッコよさ!!!
素晴らしい音楽を聴くと体の芯がブルブルしますが、バウルもまた、わたしの鈍い音楽心を震わせてくれましたね。難しいこと抜きで純粋にすごい。音楽の持つ生命力がビシビシ体に刺さってきて、涙がこぼれそうになりました。
広い境内に、各地から集まってきた人々が、各々のテントの下でバウルを歌い、奏でます。テントをいくつか渡り歩くのですが、そのどれもが素晴らしく、こんなものをタダで聞かせてもらってよいのかと申し訳なくなるほど。観光客もまるで見当たらないこの場で、迷い込んだようにやって来た異邦人のわたしを、笑顔で迎えてくれ、前の方へおいでと手招きしてくれる人々。そのさりげない温かさと、音楽の美しい魔法……。

カオスのようなダッカで、もっとも静謐で清らかな気持ちに満たされたひとときでした。

DHAKA051.JPG - 49,269BYTES とあるテントの中。よく見ると、顔の数がハンパなく多い……。

まーそれにしても……ダッカをさまよえばさまようほど、その茫漠たる広さに圧倒され、何となく疲れが蓄積していきます。
大使館が遠いのは仕方ないとしても、ネットカフェが遠いのはかなわん

そして遠くへ
行くには、一番安くて便も多いバスで移動することになりますが、肝心のバスターミナルが、果たしてどこからどこまでが乗り場なのか、さっぱりわけが分からないのです。バスやらリキシャやら乗用車やらベビータクシー(インドでいうところのオートリキシャ)やらに混じって何故か、二頭立ての立派な馬車までいるありさま。ターミナルというかただの“乗り物の集合場所”なので、バス停などという親切なものがあるはずもなく、この中から目当てのバスに乗るのはひと仕事です。人とリキシャと車の間を縫って歩くだけでも、ヒットポイントが下がりますからね……。
大都会を、例えば2つのカテゴリーに分類するとしたら、ひとつはニューヨークやロンドン、東京、ドバイといった国際都市。最先端の文明があふれ、世界中のレストランが集まり、人々はファッショナブルな服に身を包み……そういうのが大都会の一形態だとしたら、もうひとつは、デリーやテヘラン、そしてここダッカのような、何もかもがとりあえず集まって、むやみやたらに膨れ上がっている、無秩序な大都会。清濁が生々しいほどに渦巻き、得体の知れないパワーと熱気が充満している街。ダッカは、そういう“混沌たる大都会”の代表格とも云えるかも知れませんね。

DHAKA016.JPG - 65,838BYTES この、風景に隙間のない感じが、“”大都会”なんだと思う。

大気汚染にけっこうヤラレたものの、ダッカはおおむね楽しく、それなりに充実した日々でした。
しかし、ダッカを出た後、さまざまな受難がわたしを待っているとは、誰が予想しえたでありましょうか……。

(2005年3月9日 チッタゴン)

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