旅先風信154「インド」


先風信 vol.154

 


 

**第3の眼?**


結局、プリーでは何もやってなかったな……。
日本人宿「サンタナ」に置いてある岡崎京子のマンガを読み耽っていただけでした……何てこった。

何しろ、体がだるくてだるくてだるくて……。完全に病でした、あれは。
外出してもすぐ気分が悪くなって宿に帰ってしまうので、それだったら出ない方がいいじゃん、ということで、療養の名のもとに、これまでになく怠惰な日々を5日間も送ってしまいました。ここまでの頑張りはいったい何だったのか?と、少々空しくなります。
いちおう、ジャンガナート寺院と、世界遺産・コナーラクのスーリヤ寺院は行きましたが、ジャンガナートは異教徒入場禁止だし、スーリヤ寺院は入場料をケチってしまい外から中途半端に観光。あとは、宿から歩ける範囲で海辺を散歩したり。プリーの海はビーチライフには向かないけれど、いかにも漁村らしい活気と雰囲気が、何ともいい感じでした。
まあいいんだよ。プリーはのんびりするための町さ(いきなり開き直り)。ここオリッサ州は、草が合法なのでそれ目的に来る人も多く、そんな人はまさに、宿のテラスで1日中決まっているだけだったりするのです。しかも、「サンタナ」は1泊100ルピーで朝・夕食付とお手ごろ価格、その夕食も何と刺身が出たりするのよ!(さすがは漁村)さらに、夜になると部屋まで無料チャイのお運びサービス&有料のデザートのオーダー取りまであり、安宿とは思えない気合のサービス。部屋はごくごく普通の安宿ですが、ここで沈没する人が多いのはよく分かります。

PURI063.JPG - 50,433BYTES とりあえず日本人宿で、療養という名の沈没。

PURI067.JPG - 47,886BYTES コナーラクのスーリヤ寺院。金をケチって入場せず、外壁の上から望遠で撮影。。。

そのようにプリーで数日だらだらと過ごした後、次なる目的地ブッダガヤに移動しました。
ここも列車移動なのですが、プリー発朝9:30、ガヤ着翌朝3:00……って、何でそんな時間に人を降ろすんですかアンタら!?
辺りはとっぷりと暗く、ムリヤリ外に出る気もしません。仕方ないので駅のウェイティングルームで、バックパックを枕に仮眠を取ることに……。わたしは意外と、こういう環境の方が図太くすやすやと眠れたりするので、朝になっても「うーん、もうちょっと……」となかなか身体を起こす気になれなかったのですが、うっすらと目を開けると……うわわわわわわわわわわ、蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊!!!大量の蚊が、頭上で霞になっとるがな!!!(泣)
……あまりな地獄の様相に、さすがに飛び起きました。

蚊に追い立てられるようにして駅を出、ガヤから隣町ブッダガヤに移動すべく、リキシャを探そうと思ったら、探すまでもなくものすっごい人数のリキシャワーラーどもに囲まれました。さっきの蚊がリキシャワーラーに変身したのか!?と思うような勢いです。
しかもこれが、通算3ヵ月半のインド旅行の中でも、最もしつこい&攻撃的な野郎どもで、寝起きの機嫌の悪さと疲労のせいで、朝っぱらからブチ切れまくり。
これで一気にガヤの印象が悪くなり、リキシャから町を見れば何だか異様にゴミが多く、ブッダガヤに着けばそこは一大観光村状態。何が聖地だバーロー、ルンビニの静けさを見習えよ、と心の中で(いや、ちょっと口に出して)毒づくのでした。

朝からそんな感じだったので、宿を確保したら即座にバタンキュー。数時間眠った後、久々のホットシャワー(万歳)を浴び、町の散策に出かけます。
ブッダガヤは、云わずと知れた仏教4大聖地のひとつ。中でも、ブッダが悟りを開いた場所として最も重要な聖地です。他の聖地ルンビニ、クシナガル、サルナートに比べると町は賑わっており、“仏教の町”を全面に打ち出している感じ。メインストリートには仏教グッズ屋台が並んでおり、仏教国が建てたそれぞれの各国寺も林立しています。日本が建てた大仏っつあんも、町の端っこにででん!と鎮座。
まあしかし、エルサレムやバチカン、バラナシ、メッカなどと比べると、実に牧歌的な聖地ではありますね(笑)。
とりあえず、ブッダが悟りを開いたマハーボディ寺院(大菩提寺)に行くのがスジなのですが、何と営業時間が決まっており、12:00〜14:00までお昼休みだそーで……。寺もクソ暑いのでシェスタを取るということでしょうか。しかも今ちょうど休みやんけ!わたしとしたことが……しくった。

BUDDHA-GAYA036.JPG - 70,433BYTES 聖地にしては、妙にのんびりした雰囲気。

微妙に時間が空いてしまったので、散歩がてら日本寺へ向かいました。
寺はどこもかしこも12:00〜14:00は閉まっているのですが、図書館だけは開いていて、まー涼むにはいいかな、と何気なく入ったら、これがけっこう充実した品揃え。日本語の仏教関連本がたくさん並んでいて、仏教の聖地で仏教のお勉強ができるという素晴らしい環境です。どれを読もうか悩ましいところですが……とりあえず手塚治虫の『ブッダ』を読み始めます(ベタで安易なセレクト)。
大学生の頃に一度読んだことがあるけれど、改めて読んでみると、やっぱ手塚治虫って天才だなとしみじみ。創作の部分もかなり入ってはいるのでしょうが、何なのでしょうか、この迫り来るリアリティは……。これこそが本当の仏典なんじゃないかと思ってしまうくらい。ブッダの教え、考え方が、何故ああも正確に理解しているかのように描けてしまうのでしょう?
図書館で『ブッダ』を途中まで読んだ後、日本寺で座禅を組んだのですが、その時お坊さんが「一切は空である」という般若心経の教えについて話していました。
それを、手塚治虫は“(形の決まっていない)無数の生命体”が飛び交う絵で表していたことを思い出し、何故かものすごく「そうか!」と納得したのです。あの絵で、すべての生きとし生けるものがつながっているということを理解してしまえるんですから。1つの大きな生命体−宇宙というものがあり、全ての生命がそこから派生しているという考え方、とでも云えばいいでしょうか。

前々から、色んな宗教の中で、仏教がいちばん信用できるような気がしていました。
それは、信心と云うよりは親和性で、形だけでも日本が仏教国であり仏や寺というものに馴染みがあるからという部分が大きいとは思います(もっと個人的なことを云えば、歴史おたくだった小学生の頃の作文に「夢は僧になることです」と書いていたということもあります……どんな小学生だ)。
しかし、それ以上に、キリスト教やイスラム教のような「わたしを信じろ!」「それがすべてだ!」的な押しの強さがないところが、信頼をおける理由なのです。
キリスト教・イスラム教はともかく、怪しい新興宗教は、たいていが一神教ではありませんか。そして、胡散臭い方法で勧誘を試み、信者を増やすってわけさ。
己を救えるのは己自信でしかない。神がすべてを贖うのではない。それは、ブッダのこの言葉にも表れているのではないでしょうか。
「わたしが死んだ後は、あなたがたは自分自身を灯明とし、自分自身を拠り所とせよ。他の者に頼ってはいけない。法を灯明とし、法を拠り所とせよ。他の者に頼ってはいけない」

また、ブッダの目指したものが、「苦しみから逃れるためにはどうしたらいいか?」という、実にシンプルかつ人間的な問いから始まっていること。
例えば、苦行で死んでしまった聖者を見て「死んでしまったら苦行の意味がないじゃないか!」と思う場面など(まあ漫画『ブッダ』のエピソードですが)、何ていうかこう、“人間”ブッダが、多少なりとも見えてくる感じがいいのです。
ひと口に聖人と云うけれど、生まれつきの聖人なんていないと思うし、少なくともわたしはそんな人を信じられない。ブッダにしても、多分それはイエスにしても……自分自身が極めて人間的な苦しみと闘って来た人だと思うのです。だから、信者にならないまでも、敬意を表することは出来る。

『ブッダ』を読み、座禅も組んで、すっかり頭が仏教モードになった後、いよいよ大菩提寺へと向かいます。いや、別に狙っていたわけではなくて、昼間閉まってたからさ。
ライトアップされた菩提樹の下では、世界各地から来た信者たちが、思い思いの祈りを捧げています。菩提樹の枝葉は、まるでここにいる仏教徒たちを守る屋根のように、あるいは翼のように広がっています。
ああ、何だか…何だろうこの静かで絶対的な場所は……。
宗教は違っても、祈りの空間は、いつもわたしの心をひどくしんとさせます。イスラム教の激しい祈りも、キリスト教の荘厳な祈りも、この仏教の静かな祈りも……人が祈る姿には、侵しがたい何かがあって、脳から発せられる、小ざかしく文明に毒された知識を退けるのです。

BUDDHA-GAYA014.JPG - 46,763BYTES 菩提樹の下、ある者は祈り、ある者は瞑想し。

さて、その翌日のこと。
わたしは妙な出会い、というか妙な人に出会ったのです。
まさかブッダの導き?……なんてことはさすがにないでしょうが……。

昼間、今度は完全観光客モードで、写真を撮るためにマハーボディ寺院に出かけました。
その帰り、木陰でオレンジジュースを飲んでいると、1人の日本人女性が話しかけてきました。見た感じは、30代後半〜40代前半といったところでしょうか。猫のような大きな目が印象的な女性です。
「どこを旅行されてきたんですか?」というお決まりの軽い会話がひとしきりあった後、一緒にお昼でもという話になりました。
食堂にて話を聞き進めていくと、彼女は“ヒーラー”で、ここブッダガヤには自閉症の青年たちをリハビリに連れて来ているとのこと。こういうスピリチュアル系の人に対して、反射的に胡散臭さを感じてしまうわたしは、何だかなあ……と微妙な抵抗を感じつつも、好奇心もむくむくと湧いてきます。

彼女が今まで治してきた人の話などをふむふむと聞いていると、彼女は唐突にこう云いました。
「貴方の第3の眼を開けてあげましょうか」

え、え?今何て云いました?
第3の眼???

第3の眼とは、ヒンズー教の神々や仏教の仏像の顔に描かれている、2つの眼の間にあるもう1つの眼のことです。人体に7つあるチャクラの1つであり、これが開くと何やら不思議な力が得られるとか得られないとか……。
それを、この人が開けるって?ほんまかいな?
確かに、彼女には不思議なオーラというか雰囲気があり、しかも、手が異様にキレイでまさに“白魚のような”という形容がふさわしい、やわらかく吸い付くような皮膚感覚の手をしており、ヒーラーというのも納得はできます。しかし……。

彼女は、そんなわたしの疑いをヨソに、話を続けました。「あなたは、本来はとてもキレイな魂を持っているのに、わざわざネガティブなものを呼び寄せているのよ」と云われました。
わたしはそれを聞いて、旅に出る前に、二度ほど見てもらったことのある占い師の言葉を思い出しました。
「あなたの中には、何かをしようとする時、後ろから『それはうまくいかないぞ』とささやく老人が住んでいるのです」。
ああそうだ、好きな人にも云われたことがあるよ。「思考がネガティブだね」って。

「ネガティブというのはいけないことなのでしょうか?」とわたしは問いました。
この世がもし、陰陽で成り立っているのなら、ネガティブであることにも何か意味があるはずだと、わたしは常々思っているのです。世間では、“ネガティブ”なものをまるで悪のように扱い、排除しようとする傾向があるけれど…。じゃあ何かい、暗い奴は世の中を暗くするから居なくなればいいのにとでも云うんですか?!(←これが暗いのか)
「それは善悪の問題ではない」彼女の答えは、簡単にまとめるとそんな感じでした。

その後彼女は、「もし、貴方に聞く気があるなら、これからわたしの云うことを実行していきなさい。そうすれば一気に運が開けるでしょう。でも、実行しなければ運は急降下する。上がるか、落ちるかのどちらかよ。それでも聞く?」と云いました。
わたしは少し迷いました。聞きたいけれど、実行できずに運が悪くなるのはイヤだなあ(俗物的思考)。
しかし、やはり好奇心に勝てず聞くことにしました。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥なのです……って、ちょっと違うか。

「自分が最初に閃いたことを信じて実行しなさい」
ひと言で云うなら、彼女の答えはそれだけでした。
あまりのシンプルさに、わたしは少々拍子抜けすらしました。が、その示唆は、妙に心に響いたのも事実です。
でも、自分が信じられないんですよ、とわたしは云いました。
「そうでしょうねえ。だからわたしのことも信じられないでしょ」と彼女。そういうもんなのだろうか?……多分、そういうもんなのだろうという気がしました。
自分を信じ、自分を愛することからすべては始まるということでしょうか?自己啓発本みたいですが。

BUDDHA-GAYA063.JPG - 40,231BYTES 日本寺で座禅を組むツーリストたち。欧米人の姿もチラホラ。

彼女は他にも、わたしの中にいる傷ついた子供時代のわたし、いわゆる「インナーチャイルド」が、今の“自分を信じられない”性質につながっているのだと云いました。彼女曰く、わたしは3歳の時と思春期に、深く傷ついているのだそうです。
自分なりに分析すると、3歳のは多分、弟が生まれたことだと思いました。よくある話ですが、そこで母親の愛情を取られたというショックがあったことは、おぼろげながら覚えてはいます。しかし、これが未解決のままなのでしょうか?わたしは今、母親の愛情を信じているし、それで弟に嫉妬することもありません。まあ、すでにこの世にいない人なので、そんなことをとやかくほじくり返す気にもなりませんが……。

では、もうひとつの思春期とは何なのでしょうか?思春期と云ったって、それはどこからどこまでで、どの部分なのでしょう?
無論、思い当たるフシがないではないのです。小学校高学年になって、母親が勤めだしてから、わたしの身なりが徐々に汚くなり、クラスメートにいじめられはしなかったものの(勉強だけはできたもので)、やや遠ざけられ気味だったことがありました。今でもちょっと心の痛む思い出です。あるとしたらこれか……?でもそれは、とっくに終わったことではないのでしょうか?

とりあえず、わたしは彼女が為すままに(本物の)目を閉じ、第3の眼を開けてもらうことにしました。
開けると云ったって、皮膚がぱっくり裂けるわけでもなし、開いたかどうかなんて本当には分からないよな……と半分疑念を抱きつつ。
実際、「開きましたよ」と云われて目を開けても、何かが変わっているような気はしませんでした。
しかし。その直後、わたしの目からボロボロと涙が流れ出したのです。
それも「わたしは泣きました」という主体的な涙ではなく、本当に、自分でもビックリして、わけも分からずただ涙だけがボロボロと流れてくるのです。
何これ?何でわたしは泣いているの???
頭の片隅から、泣いている自分を不思議な心持で見つめながら、気の済むまで泣き続けました。

これが第3の眼が開いたという証拠にはならないけれど、何とも不思議な現象でした。
でも、ひとしきり泣き終わると妙に清々しい気持ちになり、彼女と分かれた後も、その日の残りの時間を心穏やかに過ごすことができたのでした。

わたしは多分、ただ自分を肯定したくてもがいてきたような気がします。
すべての行動の目的は、結局そこにあるのではないか?わたしの中に在る、何故だか分からないけれどやたらに根深い自己否定感情。人がわたしにネガティブで禍々しいもの(笑)を感じ取るのは、そのせいなのでしょう。
第3の眼が開いたから(?)、今後わたしは自分を肯定し、自信を持って生きていくことが出来るのでしょうか?彼女にそう尋ねると、努力を怠ると眼はまた閉じてしまうわよ、と云われましたけどね……。

次の日、日本寺の図書館に性懲りも無くマンガを読みに出かけると(『ブッダ』は読破したけれど、わたしの一番好きなマンガ『アドルフに告ぐ』があったもんで…)、彼女にバッタリ会いました。
開口一番「顔が変わったね」と彼女。
(それは第3の眼のせいではなく、昨夜眉を整え、顔剃りをしたからじゃないかなあ?)と、疑り深く意地悪なわたしは、即座に思いました。
しかし……よく考えてみればそれも、何ゆえ“昨日”眉を整えたか?という話もあるのか。その行動は、ネガティブなものを呼び込まないよう、もっと云えば自分を好きになれるようにという具体的な試みでもあったんじゃないかという解釈も出来る。自分を好きでいられるために、自分を少しでもキレイにする。眉を整えたのは、確かにそういう動機ではあったから。

何だか狐につままれたような出来事でしたが、お金を取られたわけでもないし、とりあえず第3の眼が開いたんならラッキーってことで……いいかな(やっぱ俗物)。
わたしの、目には見えない“第3の眼”は、この先の旅路に幸福をもたらすのでしょうか?

→その後、ある旅友達に再会した時、彼がやはりこのヒーラーさんにインドの列車の中で会っていて、「貴方は武田信玄の生まれ変わりだ」と云われたそうな……。それだけ聞くとかなり微妙ですが(笑)彼曰く、(信玄はともかく)何かを信じさせるような不思議な力を彼女に感じたそうです。彼女は何者だったのでしょうか……。

BUDDHA-GAYA061.JPG - 26,634BYTES 大仏っちゃんでござい。

(2005年2月20日 コルカタ)

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