旅先風信153「インド」


先風信 vol.153

 


 

**北へ**

 

 

 

やっとこさインドを北上です。
3ヶ月かかってようやく折り返し地点を周ったわけですね……って、まだ折り返し地点かい!
それでも、折り返してからはほんとに早かったのよ!カーニャクマリからここプリーまで、かなり頑張って高速移動したのです。だって、インド最南端から大陸の半分くらいまでを、観光しつつ8日間で移動したんですから。
それと云うのも、北上旅の最初の町・マドライで久々に父ちゃんに電話したところ「オマエはほんまに、いつ帰って来るんや!」と、こんこんと説教されたわけですよ(苦笑)。弟がこの6月から実家を出て1人暮らしすることが決定したというので、いつにもましてわたしの帰国にナーバスになっている模様。
まあ、それでなくても悠長に旅している余裕はないのだけれど、さすがにこの1週間あまり動きすぎて疲労したのか、風邪と下痢でちょい寝込み気味。久々の日本人宿でちょっと休養中です。

北上旅はかなり駆け足だったので、今回はそれぞれの町ごとに、さらっと(?ほんとか?)足跡を記したいと思います。

●カーニャクマリ→マドライ
途中で現れた、風力発電用の巨大風車が立ち並ぶ一帯がやけに印象的だった6時間のバス旅。インドでも風力発電ってやってるんですねえ。
最近わりと小さな町ばかりを回っていたせいか、マドライはやけに都会に見えました。都会っつーか、久々に人が多くてちょっと酔いそうなところに、通りすがりのおっさんにいきなり「日本の住所教えろ」と云われ、別のおっさんにホテルの道を尋ねたらずいぶん親切に案内してくれるなあと思ったら着いた先が全然違うホテルで(うんざりするほどよくある話)、しかしもう荷物を持って歩けるリミットに達していたので泊まることにしてレセプションで名前を書いていたら「チャイもしくはコーヒーをおごってちょ」と云われ、ホテルの従業員が部屋を案内して荷物を運んだお礼として
「金くれよ♪」(しかも2名)と請求してきて……マドライの旅はこんな風にして始まり、いきなり悪印象。。。
「南インドは人がいい」と、多くの旅人が口を揃えて云うけれど、南だろうが北だろうがインドはインド、人だってインド人に変わりないっての。まあしかし、それが悪いと云いたいわけではなく、よくも悪くもやっぱインドじゃんと思うだけなんですけどね。

ホテルに荷物を置いて、シャワーを浴びるとぐったりしてひと眠りしてしまい、気がつけば辺りは夜の闇……慌てて外出します。
マドライで一番見たかった、ミーナクーシ寺院を見に行くのです。
南インド土着のドラヴィダ文化の代表的建築物であるこの寺院には、“魚の目を持つ女神”と呼ばれるミーナクーシが祀られています。
夜の寺院の内部は、祈りの場らしい独特の雰囲気。巡礼者でごった返しているものの、冒しがたく荘厳な空気を醸し出しています。ま
「寄付には全てのクレジットカードが使えます」という看板があってちょっと萎えるけどな(笑)。
しかし!何と云ってもすごいのが、東西南北4つの塔門(ゴープラム)です。前に『けいの無銭旅行記』のけいさんに写真を見せてもらって「これは是非見たい!これの為だけでも南インドに行こう」と思った記憶があるのですが、いやーこれは来てよかった。
高さ60メートルもの塔門にびっしりと施された神々の彫刻(何と3300体あるらしい)。それが全てモノトーンではなく極彩色。原色やらパステルやら、ありとあらゆる色に塗られて超・超ポップなのだ!このデコラティブの極み!天晴れなまでの過剰っぷり!ウルトラバロックも真っ青!ヒンドゥー教のパワフルさ、ここに極まれりです。はっきり云って、狂ってます。でもわたしはこういう気違いじみたデコレーションが大好き。何なんだろう?何でここまでやっちゃうんだろう?どーやってこんなもん作っちゃったの?とゾクゾクします。ティルチラパッリという、マドライからバスで3時間のところにある町のランガナータスワーミ寺院の塔門は、これと同じノリで何と高さ72メートルあるそうな……すげー。

MADURAI014.JPG - 63,328BYTES 極彩色のデコレーションケーキのごときゴープラム。彫刻てんこもりだす。

また、寺院の外壁が紅白のストライプっていう、サーカスかい!な派手さなんですよ。もはや寺院と云うよりテーマパークっぽいな……。
寺院周りの雰囲気も、いかにもインドらしい派手さに溢れていて楽しい。夜でも門前市はにぎわっており、何だか祭りの夜みたいです。バングル、ビンディ、サリーの布、宗教グッズ、巾着袋に壁掛け……どれもこれもがチープでカラフルでキッチュで、乙女心をくすぐりまくり。キラキラしたものを見ると、テンションが上がりますよねー。

最初の印象はちょっと悪かったものの、マドライはいい感じに猥雑で、散歩の楽しい町でした。疲れたら屋台で甘いコーヒーをぐびっと引っかける。チープだけどぜいたくな旅のひとときです。南インドはコーヒーが安くて美味しいのが個人的にとてもうれしかったですね。

MADURAI015.JPG - 59,519BYTES カラフルできらきらした夜の門前市。

●マドライ→ポンディシェリー
マドライの後はマハーバリプラム、カーンチプラムと、ガイドブックに則り重要そうな遺跡スポットを周って、さっさとプリーまで北上しようと思ったのですが、ちょっと寄り道をすることにしました。

それは、「フランスが香る町、ポンディシェリー」という、『歩き方』の豆情報コラムがふと目に留まったのがきっかけでした。
読み進めていくと、「整然と立ち並ぶ白い建物、通りにあふれる花と緑の木々、どこからか漂う焼きたてのパンの香り、昼間から海沿いのバーでビールを飲む人々……」ってホンマかいな!?!どー考えてもインドの町の描写とは思えません。
なるほど、インドの中のフランスということね……魅惑的なコピーに弱い、ジャケ買い志向の旅人であるわたくしが、心を動かされないはずがありません。まあ、ゴアとかコーチンあたりもヨーロッパの香りがする町だったけれど、何てったっておふらんす。“仏蘭西”と“印度”のイメージのかけ離れ具合を思うと、これはもう、ぜひともこの目で確かめなくては。

というわけで、マハーバリプラムからわざわざ8時間かけて夜行バスでやって来ましたポンディシェリー。
早速町を歩いてみます。

PONDICHERRY37.JPG - 65,196BYTES

……おい。↑のどこがフランスやねん!(怒)

この色彩は、どっからどー見てもインドやんけっ!と、思わずコケそうになりましたが、あきらめずに(笑)歩いてみると、確かにインドらしからぬ瀟洒な邸宅があったり、インドにしては町が整然としています。中南米によくあった、いわゆるコロニアル調の雰囲気と建物。通りの名前も「ナントカROAD」ではなく「RUEナントカ」と、しっかりフランス仕様。リキシャも、この街角で見ると何だか優雅なアンティークの乗り物に見えるから不思議ですな。ま、焼きたてのパンの香りはいっぺんも嗅いでおりませんが。

PONDICHERRY04.JPG - 48,265BYTES この辺りはフランスっぽいかな。

この町はオーロヴィルという新興宗教の影響が強いらしく、アシュラムも一等地的な場所にあるし、オーロヴィル系のショップもたくさんあります。オーロヴィル教の現在の教祖が通称“マザー”と呼ばれるフランス人女性なためか、さすがは『Olive』な国!と思わせる洗練された店構えと品揃えで、とても宗教系ショップとは思えません。お香とか、その辺の市場で売っているものの倍の値段しますが、種類が豊富で選ぶのが楽しい。お香立てやらキャンドルホルダーも、日本のお洒落な雑貨屋に置いていても違和感ない感じなのです。わたしも、半額になっていたキャンドルホルダーをつい購入……って、旅行中絶対使わねーだろ!また荷物増やしやがって。でも、お香とかもっと買っとけばよかったなあ、と性懲りもなく思うわたしなの。死んだ方がいいですね。

オーロヴィルがどんな信条の宗教なのかよく知らないけれど、こういうセンスのよいクラフトを信者に作らせているのは悪くないですよね。それで金儲けするのもまあ、強引な勧誘とかインチキ商品で稼ぐよりははるかに健全な気がします。
……とにわかに興味を持って、オーロヴィルツアーに参加したのですが、これは期待に反して、さほど面白くありませんでした。時間も短かったし、見学できる場所もサイババのアシュラムに比べるとほとんど皆無と云ってもいいくらい。だって、最初の説明ビデオみたいなのがツアーの半分くらい占めてんだものしかも英語だから半分くらいしか分からん!唯一、メイン施設らしき黄金のドームは遠巻きに見ることが出来たほかは、特にこの宗教を垣間見られる機会もなく、ちょっとがっかり。。。

PONDICHERRY41.JPG - 31,897BYTES ナゾの黄金ドーム。

●ポンディシェリー→マハーバリプラム
バスで2時間。再び海の見える町にやって来ました。
マハーバリプラムは石の町ということで、メインの見どころである「海岸寺院」を始め、観光スポットは全て、石にまつわるエトセトラ。巨大岩に彫られた壮麗な「アルジュナの苦行」というレリーフや、坂の途中で何故か止まっている巨大岩「クリシュナのバターボール」……って、巨大岩ばっかりですか。
町のおみやげも石関係ばかり。町の中心からパンチャ・ラタ(5つの寺院)にかけての道は、石工房がずらりと並び、どの店先にも、まーよくもこんだけ作ったねというくらい石の像が満載。ちょっとしたギャラリー通りっぽくなっています。
ちなみに海岸寺院は、例のインド観光地一律料金により250ルピーかかるのですが、すっかり貧乏に拍車がかかっている昨今なので、無料で忍び込ませていただきました。すみません。文字通り海岸に建っているので、海側から周ってこっそり入ったの。てへ。ちょっと危なかったので、良い子のみなさんは真似しないで下さいね♪

MAHABALIPURAM006.JPG - 40,185BYTES 粘土でつくったケーキみたいな海岸寺院。

さて、この町はベンガル湾に面しているため、津波の被害もあったようでした。
たまたま入った食堂のおっちゃんは、その日は店が浸水してしまい、海から離れた親戚の家に避難したと云っていました。で、水が引いた頃に店に戻ったら、火事場泥棒ならぬ津波泥棒に、テーブルを盗まれていたそうな。二次災害ってやつだね……。おっちゃん的には津波の被害より、泥棒の被害の方がどうやら深刻だったらしい。
町を歩いていても、目に見えるような被害には出会わなかったものの、津波で行方不明になった子供のポスターが貼られていて、ちょっとドキッとしました。

MAHABALIPURAM059.JPG - 53,570BYTES 最高傑作・マッキントッシュを操るガネーシャくん。いやげ物……。

●マハーバリプラム→カーンチプラム
またバスで2時間。ヒンズー教の聖地のひとつと云われていますが、聖地らしい荘厳さはなく、ちょっと大きな田舎町って感じで、いたってのんびりムードです。
ここでは久々に下痢に襲われ、ちょっと外出も危うい体調に……。しかも、日中のクソ暑さと云ったら!(怒)
それでも、カイラーサナータ寺院とエーカンバラナタール寺院(覚えにくいっ!)の観光は死守しました。いぇい☆便意と闘いながら町のはずれのカイラーサナータ寺院まで歩いたときは、われながら「そんなに頑張らんでもいいのでは……」としみじみ思いました。しかも、このテの寺院(石の彫刻系)に、ぶっちゃけそろそろ飽き始めているしなあ……。
もう少しお金と時間に余裕があれば、「アガスティアの葉」の場所に行きたかったのですが、さすがに断念しました。

KANCHIPURAM030.JPG - 43,851BYTES 寺院内でピクニック中の家族。

●カーンチプラム→チェンナイ
ここも2時間のバス旅。小刻み移動が続いております。
チェンナイは、インド4大都市のひとつだけあって、かなりの都会。近代的なショッピングセンターもあり、街の規模も、ここまで周って来た町とは比べ物になりません。このレベルの街は、バンガロール以来でしょうか。マドライくらいでびびっていた自分があまりにも可愛すぎます。

しかし、大都会でもそこはインド。ジョージ・タウンと呼ばれる旧市街は、花屋、布屋、文房具屋、金物屋……などなど、業種ごとにバザールが連なり、ボロい建物に極彩色の看板、通りの端っこにはもちろん牛(笑)。実にエネルギッシュで垢抜けない下町です。これぞインド、このイケてなさこそインドですよ(笑)。
汚かろうが、うるさかろうが、わたしはこういう雑多でごみごみして、色んなものが氾濫しているバザールを歩くのがもう、本能的に好き。店先をちょいとひやかしては、ごく小さな買い物をしたり、思いつくまま写真を撮ったり。花屋のおじさんが、写真を撮ったお礼(?)にバラの花を一輪くれて、それを髪に挿して歩くと何だか無性にウキウキしてくる。歩きつかれたらチャイショップで一服。また歩き出して、のどが渇いたら屋台の切り売りスイカを食べて。こういう何でもない散歩のひとときに、わたしは旅の至福を感じます。

CHENNAI026.JPG - 56,076BYTES ピンクのお花に囲まれるおっちゃん。ラブリーな光景(なのか?)。

それはそうと、ベンガル湾に面したチェンナイは、津波の被害が大きかったはずですが、街は、これまでの街と同様に、一見何事もなかったかのように、普通に動いています。
唯一それらしきものを見たのは、世界で2番目に長いと云われるマリーナ・ビーチででした。倒された木や柵。破壊された遊歩道のコンクリートの破片。
そんなものを目にする一方で、海岸には、たくさんのインド人が夕涼みに来ていました。若い娘たちはおしゃべりに花を咲かせ、子供たちは波打ち際を走り回り、それぞれが思い思いのひとときを過ごしているその光景は、津波の悲惨さなどは微塵も感じさせない、ひどく穏やかで平和なものでした。この人たちは海が怖くはないのだろうか?と訝しくなるほどです。屋台が並び、ピーナッツやアイスクリームを売る男たちが、人々の間を練り歩き、手動のメリーゴーラウンドで子供たちは遊び、それを両親は見守る。どこを切り取って見ても、平和なビーチのひとコマ。これが、目の前にあるものが現実なら、それでいいんじゃないのか?ここから無理矢理、津波の悲惨さを感じ取ろうとする必要はあるのだろうか?

CHENNAI059.JPG - 35,747BYTES マリーナビーチの夕暮れ。

わたしは南インドを旅しながら、ずっと津波のことが頭から離れませんでした。
しかし、わたしが見てきた風景の中に、津波の凄まじさをリアルに喚起させるほどのものは、正直、ありませんでした。
被害の大きかった街へ行ったり、人にもっとあれこれ聞いてみるべきだったのかと思わなくもないけれど、ジャーナリストでもないただのツーリストに過ぎないわたしが、犬のように事件(?)を嗅ぎまわるのも何だかいやらしいような気もしたり……。
南インドの旅も、ここチェンナイで終わりです。この先はもう、津波との関わりもほぼないでしょう。
何を知るべきで、知らなくてもいいのか?わたしは通り過ぎるだけの旅人だけど、それだけでいいのか?

ビーチから戻って、夜行列車に乗るまでの時間、宿のレセプションの兄ちゃんに津波のことを聞いてみることにしました。
兄ちゃんの巻き舌英語とわたしのヒアリング能力では、かなりの溝はあったものの、少しだけ分かったことはありました。
津波が来たのは日曜の朝、8:30頃だったこと。日曜だから、ビーチに遊びに来ている人もたくさんいて、チェンナイでは1000人くらい死んだこと。市街地の方は、手前に大きな川があって水がそこに流れ込んだので大丈夫だったこと。2週間くらい前までは海の色が黒かったこと。兄ちゃんの家族や友達は無事だったこと。

目に見えるものが現実でいいじゃないか、と思った自分を少し恥じました。
知ったからどうなんだ、って話だけれど、それでも、堂々と知らないでいるよりはいいような気がしました。
まあ、それもただの自己満足というか、安心したいだけなんでしょうけど……難しいな、旅人の立ち位置って。そんなもんは、もともとないのかも知れませんが。

CHENNAI041.JPG - 61,826BYTES 破壊された遊歩道。

(2005年2月10日 プリー)

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