旅先風信148「イエメン・オマーン・UAE」


先風信 vol.148

 


 

**INTERLUDE〜帰路〜**

 

2005年、明けましておめでとうございます。
2002年春に日本を出て、気がつけばもう2005年。うちの父ちゃんならずとも、「お前はいったい何をしておるのだ?!」と叱り飛ばしたくなるような現状ですが、今年の春くらいにはきっと帰りたいと思います…。

旅人生活もあと数ヶ月で終わりかと思うと、早くも寂寥感に襲われますね。
「寿司が食いてえなあ」とか、「マンガが読みたいなあ」とか、「キレイな服が着たいなあ」と夢想すること数知れずでしたが(未だに)、本当はそんなこと、どうだっていいんですよ。
面倒も、危険も、不安もあるけれど、やっぱり旅はいいもんです。この自由さに比べたら、帰国後の楽しみなど、何ぼのもんでしょうかね…。

ほんと、帰国したらどうなるんでしょう?自分でもさっぱり分かりません。

え?今年の抱負ですか?(誰も聞いてないって)
そうですねえ…今年は帰国の年(になるはず)なので、帰国後のこともボチボチ考えなければいけません。
NO MONEY、NO FUTURE。おお、英語にすると、何となくカッコがつきますね。そんなタイトルのアルバムとか、ありそうだし(笑)…って、笑ってる場合かっつの。日本語に戻すと、だいぶ絶望的だぞ?しかしまあ、そんなダメっぷりも、8割不安だけど、2割は楽しみだったりします。

岡本タローおじさんは、こう云っていました。
「おもしろいねえ、実に。オレの人生は。だって、道がないんだ」
ま、わたしはタローさんのような潔さはないけれど、見えないことを恐れないで、そのときどきに、やるべきことをやっていければいいなと思っています。

というわけで、今年のスローガンは、「ハッタリと執念」。
ものごとを実現に導く要素とは、この2つではないかと、バス移動中、あまりにヒマだったので(笑)考えました。
帰国したら、ぜひとも実現させたいことがいくつかあるのです。ハッタリと執念で、何とかしてそれらを叶えたいと思います。

**********

何事もない静かな大晦日の翌日、元旦もまた、ひたすら移動だけの1日となりました。
アル・ムカッラからサユーンへ。そして、サユーンからサラーラ、ドバイまで、ぶっ通しで移動するのです。
…とは云え、サユーン―ドバイについては、確証はありません。あくまでもそれまで収集した情報の結果、大丈夫だ、行けるであろうという判断を勝手に下したまでのこと。

ムカッラ―サユーン間のドライブでは、惜しげもなく次々と絶景が現れ、改めてこの東部イエメン砂漠地帯―ワディ・ハドラモットを好きになりました。
マッチ箱のような土の家の集落、背後にそびえる巨大な岸壁、ナツメヤシの並木。完璧な絵画のようなシチュエーションは、これぞ砂漠!これぞアラビア!イエメンも最後というときになって、改めて感嘆せずにおれません。

ADEN-MUKAHLA-SAYUN11.JPG - 55,394BYTES 砂漠でナツメヤシを見ると、妙に心が和む。

半月ぶりくらいに戻ってきたサユーンは、特に変わりはありませんでした。ま、数百年前の家が建ち並ぶような町が、たかが半月くらいで変わるはずもないのですけど(笑)。
乗合タクシーに降ろされたのは、何かの事務所らしき建物の前でした。バスのオフィスでもなさそうですが…何だろ。しかし、運転手が云うには、バスが出るまで、ここで荷物を預かってもらえるとのことなので、ありがたくそうさせてもらいました。

荷物を置いて、まずはバスチケットの確保を…と思ったら、何てこった。オフィスがことごとく閉まっているではないか。。。
ああそうか…カートタイムかよ。ううむ、こんなときに…イライラ。
不安になりながら、とりあえずオフィスが開くという4時まで、時間を潰すことにしました。イエメン最後の食事になるであろう昼食を安食堂でもくもくと食べ、その後もネット屋やら郵便局に行って時間を稼ぎました。何せ元々娯楽が少ない上に、カートタイムで人がいないので、ヒマなことこの上なしです。

ADEN-MUKAHLA-SAYUN13.JPG - 49,250BYTES イエメン最後の食事はチキンライス定食。ここのはけっこう美味しかった。

やっとのことで4時になり、バスのオフィスが開きました。
ところが…ここからが受難の始まりだったんですねえ…。

確証のなかったバスも、今日の便はあるとのこと、よっしゃこれでフライトに間に合うぞ!…と喜んだのは、束の間のことでした。
「パーミットを見せなさい」
…え?パーミットって?この期に及んで、何のパーミットですか?

一瞬ハニワになりましたが、はっと気づいて、持っていたムカッラ発行のパーミットを見せました。
ムカッラを出るとき、何故か車が勝手に警察署に立ち寄り、ぼんやりしているうちに勝手に書類が作られ、それを持たされたのです。あのときは全くわけが分からなかったけれど、そうか、ここで役に立つことになっていたのだな。ドラクエでは、アイテムは必ずどこかのイベントで使われることになっているしね。
やや得意になって差し出すと、「これはコピーだからダメだ。ツーリストポリスで判を貰って来い。」
コピー?ツーポリに判?何なのそれは?話が分からなすぎなんですが?
バス会社のおっさんは、サユーンのツーリストポリスに電話をかけ、今から旅行者が1名行きますんで、とかなんとか連絡しています。どうやらわたしは、判を頂戴しに行かねばならないらしい…。

文句を云っても仕方ないので、大人しくツーリストポリスに行くと…何と。
閉まっとるやんけ!!!
わたしは急に不安になりました。万一このバスに乗れなかったら、4日のフライトはパーになるかも知れん…。一応オープンチケットだけど、乗り過ごした場合でも変更はきくのだろうか?
わたしは、ポリスのドアをばんばん叩き、何の反応もないことに苛立って、さらに足で蹴りました(←お前というやつは…)。しかし誰も出て来ません。
通りすがりのイエメン人をつかまえては、「ポリスはどこ?!」と尋ねまくっていると、1人の親切な男が、ポリスは王宮にいるよと教えてくれたので、猛然と乗り込んで行きました。

そこにはヒマそ〜〜〜に喋くっている4人の警官がいました。カートタイムはとっくに終わってるんとちゃうんかい!
そのうちの1人に、わたしは見覚えがありました。
前回、サナア行きの際に会った男で、何となくこちらを小馬鹿にしたような雰囲気を醸し出していたので、印象に残っていたのです。
彼にムカッラのパーミットを見せると、「何だこれは?コピーじゃないか。オリジナルを持って来い」
だーかーら、知らねーよそんなこと!!!こっちは、ムカッラで渡されたモンをそのまま持って来ただけなんだよ!!!
そう云うと、ポリスはバカにしたような笑顔で、その紙を、のらりくらりと眺め回しました。わたしは”キレちゃダメだ、あと3分、3分だけ我慢しよう…”と自分に云い聞かせながら、ポリスの次の言動を待ちました。

「ふん、このパーミットはサナアのやつだな」
何だそりゃーーー!?!あのなあっ、それは、たったの7時間前にムカッラのポリスが勝手に発行して下さった、出来たてホヤホヤの書類なんだよ!!!
しかし残念ながら、100パーセントアラビア語で書いてあるので、わたしには真実を知る術がありません。一体パーミットのシステムはどうなっているの?!そもそも、サナアでパーミットをわざわざ取りに行ったら、わたしのルートでは必要ないって云われたんですけど?!
「これはコピーなんだよ。オリジナルを持って来いと云ってるだろ」
だから!そんなもんどこにあんだよ!?何でムカッラでわざわざコピーを渡されなきゃいけないんだよ!?

自分に課した限界の3分はとっくに越えていました。
「ああ、きっとそのオリジナルってのは、ムカッラにあるんだね。もういいよ。今からムカッラに戻って取って来らあ!」
…まったくもって意味のないタンカを切って、わたしは踵を返しました。しかし、王宮を出ようとすると何故かドアが開かない…。「何なんだこのボロドアは!?」とボコボコに蹴りまくり、やっとのことでドアが開くと、猛ダッシュで事務所に帰りました。「ざけんなよ腐れポリス野郎!!」などと叫びながら、阿修羅のごとき形相で…。

事務所に戻ったのは、もしかしたら、ドライバーが事務所の人に何か預けてはいないかと思ったからでしたが、そんなものは淡い期待に過ぎませんでした。オリジナルのパーミットなるものが一体どこに存在するのか?わたしに分かるはずもなく、すっかり途方に暮れてしまいました。
「ねえ、どういうことなの!?これはどういうことなの!?」と事務所の人に訴えましたが、こんなところでわめいたって、どうしようもないことはわたしが一番よく分かっているのです。分かっているのですが、わめかずにはいられません。

またツーポリに走るしかありませんでした。バス会社を出てから、一体同じ道を何度往復すれば済むのでしょうか…おかげさまで、ヒットポイントは1桁台に激減していました。
その道すがら、1台のパトカーとすれ違い、先ほどのポリスが「おい、どこ行くんだ?」とわたしを呼び止めました。あんたのとこに決まってるだろーがっ!!!

結局、すったもんだのあげく、ポリス同行のもとチケットを買えることになったのですが…て云うかさ、パーミット問題はなんだったの?…事が終わった後、ポリスはこう云いました。
「アイムソーリー、ユークレイジー」
@*$#+☆ёΩ???今何つった?!
「あのー、何とおっしゃいました?」と問うと、ポリスは、意味が分からないのか、またも同じ言葉を繰り返しました。
英語が通じていないのだろうか?と一瞬考えました。が、彼はご丁寧にも身振り手振りを添えて、
「お前がさっきワーワー云いながら走っていくのを、町の人々が驚いて見ていたぞ。お前はクレイジーなんだよ」
と説明して下さいました。ははあ、なるほどー。わたしってやっぱり頭がおかしいんですねー。わざわざのご説明、どうもありがとうございますー。

…いつもなら、2秒後にはケンカになっているところです。
が、わたしはそのとき、怒りよりも先に、背筋に冷たいものが走るのを感じ、ふり上げかけた拳が、自然に引っ込んでしまいました。
“わたしはクレイジーか…。”
昨日もアデンでキレたばっかりだ。さっきもツーポリでキレた。こいつの云うように、わたしは本当にクレイジーなのかも知れない…自分が本気で怖い…。

最低だな。最後の最後で、こんな風にイエメンを去るなんて…。
何でこうなってしまうんだ、いつもいつも。やっぱクレイジーだから?(苦笑)
これでわたしがイエメンを嫌いになるわけじゃない。むしろ、わたしがイエメンに嫌な足跡をつけていくことが悲しい…。

心身ともに疲れ切って、バスに乗り込みました。バスが出発すると、すべてから解放されたように、ひどくホッとしました。
2時間くらい走った後、食事休憩になりました。わたしはもうイエメンリアルを使い果たしていたので、外にも出ず、座席で寝腐っていると、近くの席に座っていたイエメン人家族(多分)が、水とジュースとロールケーキをわたしに買って来てくれました。
「ショクラン…」と、やや戸惑いながらお礼を云うと、彼らは、何でもないことのように、ただ微笑んだだけでした。

数時間前、ツーリストポリスでキレまくっていた自分を殺したくなるほど、その家族のさりげない親切は、身に応えました。
親切にしてくれるのは、いつだってこんな“普通の人たち”だ。金持ちでも貧乏でもない、見た感じ特殊なところもない、平凡とも云える人たちに、わたしは何度も助けられてきた。日本に帰ったらわたしも、人に普通に親切にできる、普通の人になりたいな…。
いただいたロールケーキを齧りながら窓の外を見ると、半月が煌煌と輝き、夜の砂漠の輪郭を浮かび上がらせていました。「月の砂漠だ…」と、わたしはしばし、その冷たく神秘的な光景に魅入られていました。このまま眠ったら、その間にイエメンともお別れか…そんな感傷に襲われながら。

…でも、国境越えで、夜中っつーか朝方のさっぶい時に叩き起こされて、感傷も吹っ飛びましたけどね;

バスはオマーンに入っても、ひたすら、ひたすら走り続けます。
オマーン走行中は、泥のように眠り倒しました。暖かいせいか、目が覚めてもまたウトウトと眠りに吸い込まれて行くのです。まともに覚醒したのは、夕方近くになってからでした。

TO YEMEN03.JPG - 27,992BYTES オマーン男子隠し撮り。

(終わっていくのだなあ…)
だだっ広いオマーンの砂漠地帯を、夕陽がピンク色に染めていくさまを車窓越しに見ながら、ドバイに降り立ったその朝、金色の太陽が、空に大きく輝いていたことを思い出しました。あのとき、「これがアラビアの太陽なんだ…」と、これから始まる新しい旅に、胸を躍らせたんだっけな。
憧れのイエメンの地を踏み、旅仲間にも再会し、目的はほぼ果たして、今はこうして帰りの路についている。往復チケットは好きじゃないな。同じ道を戻ると、そこが同じ道である故に、“行き”に通った時とは明らかに変わってしまった自分や状況が、やるせなくなるから。

憧れをひとつひとつ叶えていく、叶えられる今の状況は、疑いようもないほどに幸福なんだと思います。ただ、叶えてしまった後に残る、一抹の寂しさを否定することはできません。
色んな想いが重なって、イエメンへの憧憬は相当量に達していました。そこに行けたことの満足感はもちろんあるけれど、それは、訪れる前の憧れの量を上回るかというと…。
期待が大きすぎて現実に失望したとか、そういうものではないのです。期待通り、いや期待以上でもあったのですから。ただ、それを手に入れた代わりに、”まだ見ぬ憧れ”という気持ちは失ったわけで、下世話な例えですけれど、憧れの女とついにヤった後の感情に近いのかなあ、なんて。いや、“祭りのあと”のような気分と云った方が、お上品でいいわよね(笑)。

…そんなしょうもない感傷に浸っているうちにも、バスは刻々と、ドバイへと近づいていきます。それとともに感傷はフェイドアウトし、代わって、今夜の宿の心配が頭を占拠し始めました。現実って、こういうもんなんだよね(苦笑)。
一体何時に着くんだろう?この調子だと、日付が変わるのは間違いない。そんな時間に、華僑のデビッドに電話するわけにもいかないし、かと云ってこの時間からホテルに泊まって何千円の宿代を払うのもバカらしいし…。

オマーン―UAEの国境を越えてからも、バスは意外と長い間走った…ように感じました。
停車するたびに「ドバイか?」と思って緊張するのですが、数名の乗客を降ろしていくだけで、またバスは走り出します。
そして、ようやくバスが止まったのは…夜中の3時過ぎ。
しかも、ここは何処?わたしは誰?な巨大パーキングに止まり、「ここでハラース(終了)だ」…っておい!この時間に、こんなところにか弱い女一人放り出す気ですかあんたら?!

ドライバーのせいではないのは分かっているけれど、はいそうですかと大人しく放り出されるわけにはいきません。放り出されたら、文字通り路頭に迷うしかないのです。
さすがにキレたりはしませんが、わたしはむっつりと押し黙ったまま、席に座り続けました。「わしらにどうしろっていうんだ??」を連発するドライバーと添乗員のオッサンも、断固無視。
此処がどこだかも分からないし、タクシーに乗るお金もない、わたしが知っているのはバニヤススクエアだけなの。

30分近い押し問答の後、ドライバーは根負けし、夜明けまでバスの中で眠ってよいことになりました。成せば成る。世の中ゴネたもん勝ちです。
彼は本来なら、オフィスの仮眠室で眠るはずだったのが、わたしに付き合って車内で眠ることになり、とっても気の毒なことをしました。ごめんね。でもさー、仮眠室には空きベッドがあるらしいから、そこにわたしを泊めてくれればよかったのに。イスラムの国だからか(?)「女は泊められない。オフィスに見つかったら叱られる」だそーで…。男の旅人だったらよかったのか?男とか女とか云う以前に、“困っている旅人”には変わりないんだけどなあ…。

バスの中で5時間弱眠った後、再びドライバーに叩き起こされました。
もともと寝起きが悪い上、まだ充電し切れていなかったわたしはすこぶる不機嫌でしたが、朝になった以上は、約束どおり出て行かなければなりません。
イエメンから着の身着のままの黒装束でバックパックを背負う姿は、我ながらみすぼらしく哀れに見えました。

ドバイでの時間はまる2日ありますが、フライトは夜なので、寝るのは1泊だけです。
デビッドにも連絡を取っていないので、今回はホテルに泊まることにしました。デイラ地区にあるその安ホテルは、1泊90DH(約2700円)!今これを書きながら、鼻血が出そうになりました。何て値段だよ…。しかも後で気づいたことに、値切り方を間違えて10DHほど損してしまいました…くっそー…。10DHあったら、スタバでコーヒーが飲めるのに…。

DUBAI099.JPG - 52,866BYTES デイラ地区の夜の賑わい。

前回のドバイでそれなりに観光もしたし、せっかく払ったホテル代ももったいないしで、あまり外に出る気がせず、大半をホテルの部屋で過ごしていました。
華僑のデビッドとは、ドバイに着いた日に電話で話したのですが、どうやらかなり忙しそうでした。一応は翌日の夕方○時に華僑ドミで待ち合わせよう、という話になったものの、結局会うことは出来ず、イエメンみやげのモカコーヒーとお礼の手紙を大家のおばさんに言付けて、もう二度と来ることもないであろう華僑ドミに別れを告げました。

その後は当てもなくデイラ地区やショッピングセンターをうろつき、インドに戻れば当分お目にかかることのないクリーンな街並を目に焼き付けました(笑)。
さて、そろそろ空港に行くかな…。

さすがはドバイ!な、完璧に近代的なエアポートバスに揺られて、空港に到着しました。
インドから来た時に、空港係員に怒鳴られるという忌まわしい思い出のある空港ですが(笑)、空港内外を彩る無数の電飾を見ると、改めて「これこそが現代のアラビアン・ナイトかもなあ…」と感嘆します。この新しい近代都市は、これから一体どのような発展を見せてくれるのでしょう?

エア・インディアに搭乗し、入り口でスッチーのお姉さんと「ナマステー」という挨拶を交わすと、ああそうか、インドなんだなという感慨が湧いてきました。
機内食のカレーを食べて、数時間もすれば、もうそこは再びのインドの地、なのです。

DUBAI102.JPG - 74,790BYTES 宝石箱の中にいるような…ドバイの空港。

**********

さて…ここで話は変わって、年末の、スマトラ沖大地震のことを少しだけ。
どこをほっつき歩いているか分かったものではないわたしのこと、友人知人から、「大丈夫?」との心配メールをほんの数通(涙)もらいましたが、おかげさまで、このとおりピンピンしております。

しかし…もしもイエメン行きをあきらめていたら、わたしはインド南部かスリランカにいる予定でした。インド最南端のカーニャクマリで初日の出を見よう、なんて旅人らしい計画も抱いていたのです。もし、もしもそうしていたら…死んでいた可能性も、ないわけではありません。カーニャクマリでなければ、スリランカにいたでしょう。そうなるとますます、人ごとではなかったのです…。己の悪運の強さにかなり驚き、半ば呆れます。
旅仲間の誰かが、被害地域の中にいなかっただろうか…と、今のところ思い当たる人はいないけれど、心配です。

被害に遭われた方々に、深くお悔やみを申し上げます。

(2005年1月4日 ドバイ→ムンバイ)

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