旅先風信147「イエメン」


先風信 vol.147

 


 

**憧れの地(下)〜ハッピー・アラビア〜**

 

12月31日。年末です。
その夜わたしは、寝るだけのためにしては広すぎるホテルのトリプルルームで、ムダ毛の処理をしながら、英語放送のテレビ番組をぼんやり見ていました。
「…何という静かな、静か過ぎる年末なのであろうか…(うっすらと涙が滲む)」

2004年最後のこの日、わたしは、アデンからアル・ムカッラへ、まる1日のバス移動に明け暮れていました。
1月4日のゴア行きの飛行機に乗るために、サナアを出てからというもの息もつかせぬ観光&移動DAYSを続けているのです。翌日、つまり2005年1日1日新年第1日目は、このアル・ムカッラからサユーンへ移動し、その夜に出発するドバイ行きのバスに乗るという、これまたひたすら長い移動(30時間)の予定。

アデン―ムカッラ間。何気に絶景。

思えば、昨年末はメキシコの日本人宿、一昨年末はエジプトの日本人宿で、楽しくもぬる〜い大晦日と正月を迎えたものでした。
今年は、誰も一緒に新年を祝う人たちがいません。それどころか、国全体が誰も新年を祝っていないのです(涙)。
これまでとはものすごい落差ですが、こんな寂しい年末も、何だか旅人らしくていいような…気もしました(気のせい?)暮れゆく年の瀬に思いをはせる…なんて、そんな感慨すら湧かないほど、いつもと同じ旅の1日です。

時計が12時を回ったとき、少し気になって、窓から外を見てみましたが、誰も歩いてもおらず、何事も起こっていませんでした。しーん…。
やっぱりね…と至極納得しながらも、テレビのチャンネルを回して、少しだけ正月らしい映像(海外のニュース番組)を発見し、しばらくそれを眺めていました。

………

サナアでのちんたらした毎日は、際限もなく続きそうに思えましたが、クリスマスパーティーの翌日は、イエメン北部の町シャハラへ行きました。
シャハラ…そこはかつて、アレフガルドと呼ばれていた闇の世界であり、魔王ゾーマの支配下にあった。…おっと、これは特別企画の原稿だった。
えーとシャハラは、イエメン北部にある小さな村です。と書くと大そうつまらなく見えますが、実はここは、イエメン旅行経験者をして「サナアと同率首位」とまで云わしめる、恐るべき(?)見どころ…らしいのです。
らしいというのは、わたし自身は、シャハラがどんなところだか何も知らないの。「イエメンの観光ポスターには必ず出てくる“石橋”がある場所」と説明されるのだけど、見たことないんだよね…『歩き方』にも写真載ってないしさ。でも、『ロンプラ』には、「ありえない(extraordinary)眺め」と説明があり、ううむ、ありえないって一体どんな…と、大いに興味はそそられます。

しかし現在、シャハラへのアクセスは、どうやら個人では無理なもよう。部族抗争などで、治安面がよろしくないのだそうで、旅行会社で車をチャーターして、護衛の者まで付けて行かなければいけないというのです。そのチャーター代は、160ドルとけっこうなお値段です。
船乗りK氏はイエメンを出てしまったので、チュウゾウさんとわたしでとりあえず2人。でも2人では高すぎます。最低でもあと2人は欲しい…。

さて、その頃わたしは(多分チュウゾウさんも)、イエメンがドラクエの世界に見えてしょうがない病に罹っていました。
旧市街のアンティークショップなどを見ても、「あ、こんなところに(ドラクエの)宝箱が…いやミミックかも」などと、頭が勝手にドラクエモードに切り替わってしまうのです。いや、これは単に、部屋で「ドラクエ3」をやっていたせいか。
船乗りK氏とチュウゾウさんと3人で、ワディ・ダハール(ロック・パレス)という観光地に行ったときも、K氏は戦士、チュウゾウさんは商人、そしてわたしは紫のほっかむりをしているので「ドラクエ2」のムーンブルグの王女(魔法使い)という設定で、マニアックに盛り上がったものでした。

そんなわけで、シャハラ行きのメンバーを募るときも、すっかり「ルイーダの酒場で仲間を探す(@ドラクエ3)」調になっていました。
「とりあえず、商人と魔法使いはいますから(戦士Kはすでにリタイア)、あと必要なのは僧侶と武闘家あたりですかね」
「ていうか、商人と魔法使いのパーティって、すぐ全滅しそうなんだけど…」
と、意味不明の会話をしつつ、『旅行人』掲示板のイエメン板にも、「シャハラへの車をシェアしていただける方募集。当方、商人と魔法使い。できれば僧侶希望です」などとナメた書き込みをしていました(苦笑)。
その掲示板を見て来てくれたのが、『女の子・ひとり旅・推進委員会』という旅サイトの管理人さん・ひろさん。そしてもう1人、わたしがイエメン門近くのチャイ屋で偶然知り合った日本人旅行者Hさんが、シャハラツアーのパーティに加わってくれました。

そして、シャハラに行くにあたり、わたくしはついに、念願のアバヤ(黒装束)を入手いたしました。
チュウゾウさんとHさんが、白いアラブ服にターバン、ジャンビーアという正装で臨むと云い出し、ひろさんもアバヤを購入したと云うので、わたしのコスプレ魂に、完全に火が付いてしまったのです。
ここはもう、わたしも黒装束を手に入れて、本格的に魔法使いに変身しなければ、ドラクエファンの名折れです。ムーンブルグの王女は、かなり中途半端なコスプレなので、気に入らなかったんですよね…。
もともと黒装束は、20ドルくらいするというのであきらめていたのですが、ひろさんは10ドルくらいで揃えたと聞いたのです。それで早速、黒装束専門店に乗り込み、子供相手に値切り倒して、7ドルくらいで買ったのでした(いつもながらせこい…)。

一度着てみると、これがなかなか気に入りまして、その後は嬉しがって毎日着用。
これまで色んな現地衣装を着てきましたが、この黒装束はかなりコスプレ度が高いです。だって覆面ですよ、覆面(笑)。目だけ出して歩くという、この隠蔽感がたまらん(変態っぽい発言)。まあ、一生これしか着られない現地の女性は気の毒ですけど…。

シャハラまでは、われわれの乗るランクルに、護衛のトラックが1台つきます。
サナアから数時間は快適な舗装路、その後砂漠地帯をえんえん走ったあと、シャハラの麓に到着します。

麓から、標高2600メートルのシャハラの村へ上がるのには、ランクルから小さなピックアップトラックに乗り換えて行きます。すでにここから、小さく小さくシャハラの村が見えます。そそり立つ岩山の上に、サイコロかマッチ箱のように、建物が点在しているのが肉眼でかろうじて分かります。そして、切り立った崖と崖の間を、幻のようにつなぐ石橋も…。

空との境界線に見えるマッチ箱のようなものがシャハラ。

トラックの荷台に乗って、狭い未舗装の道を――ていうか、これ道なのか?(笑)道がボコボコなのはもちろんのこと、幅も狭く、しかもその向こうはすぐ崖……というような道のりを、じりじりと上って行きます。トラック、えらくつらそうだけど、大丈夫か?最後まで走りきれるのか?(笑)荷台に立ち乗りしているため、絶えず激しい振動が来て、片時でも手すりから手を放したら吹っ飛ばされそう。とても気軽にカメラを出せる状況ではありません。
しかし、標高が上がるにつれ、眺望は劇的なまでに絶景になっていきます。あああ、写真撮りてええ!乾いた土地に作られた段々畑が芸術的な曲線を描き、いく重もの山々がパノラミックに連なって…これはまさに“extraordinary”だわ…。まるで天に昇っていくような景色の変化に、身体の芯からゾクゾクしてきます。あまりにすごい光景なので、崖沿いの悪路を走っている怖さはほとんど忘れ、振動すらもアトラクションぽくて楽しくなってきました(←マゾ)。

写真ではそのすごさの半分も伝えられないのですが、一応。

天空の村・シャハラ――なんて、これまたドラクエに出てきそうなシチュエーションではないですか。あああ…ここが現代の光景なんて、とても思えません。いや、現実世界とすら思えません。ドラクエの冒険の世界そのまんま。
このありえない立地ゆえ、イエメンがオスマントルコに占領された時も、シャハラだけが唯一、陥落しなかったそうです。確かに、車で上がるのさえ困難なこの地形を攻め込むのはほぼ不可能でしょうね…。

約1時間少々で村に到着し、宿に荷物を置いた後、シャハラでもっとも有名な見どころ(って、多分これしかないけど)、石造りの橋を見に行きます。
ものの本によれば、17世紀、この近辺がオスマン・トルコ軍に包囲された時、山を下りずに隣の集落と連絡をとるために架けられた橋だそうな。幅3メートル、長さ32メートルという小さな橋ですが、足場のないこの断崖絶壁の間に、いったいどうやって造ることができたのか…しかも、人の力で。わたしの小さな文系頭では、考えても全くその原理は分かりません。

断崖をつなぐ奇跡の橋。この石橋の上でドラクエ風撮影大会が始まり、超大作「ドラクエ8.5」が生み出されることに(笑)。

橋見学を終えると、あっという間に日が落ちて夜になり、宿に帰って夕食を食べたらもう何もやることがありません(苦笑)。外に出ても明かりもやることもないので、部屋でとりとめのない話を紡ぎながら時間を過ごしました。長く日本に帰っていないわたしは、日本から来たばかりのひろさんとHさんに、流行っていたものや大きなニュースについての講義(笑)を受けていました。

翌朝、トラックが出る前に、少しだけ宿の周りを歩いてみると、茶色い山脈の下に雲が泳いでいるのが見えました。ずいぶん高く上って来たのだな…と改めて実感します。
シャハラの朝は恐ろしく清冽で、下界とは明らかに違う空気が流れています。
しかし…すべてが奇跡みたいな場所だよなあ、ここは…。”絶界”という言葉があるかどうか分かりませんが、これほどに非現実的で、俗世と隔絶されたような土地は、聖地と呼ばれるようなところですら、なかなかないかも知れません。あー来てよかった。

雲が下に見える。

シャハラから帰って、翌日はまる1日サナアで休息。そして、12月27日にいよいよサナアを出ることになりました。
ここからは、1月4日のフライトに向けて、1日足りとも無駄にすることなく、観光しながらドバイまで帰らなければいけません。
サナアからのルートは、以下の通りです。
サナア→ジブラ→タイズ(イッブ)→アデン→アル・ムカッラ→サユーン。ここからは直行バスでオマーンを越えてドバイまで行っちまうのです。一応、計算上はそれで間に合うことになっていますが、サナアでぐだぐだの日々を過ごしていた身には、なかなかハードではあります。

サナア以降の観光は、実に一瞬、光陰矢の如しでした。なので、あっさりめに書きます。
まずはジブラ。サナアのイエメン建築とは違う、石造りの建物の並ぶ町です。小さな町ですが、その全貌はまるで堅固な要塞のようで、迫力があります。サナアとは雰囲気を異にしますが、やはりここも中世っぽい。斜面にはりつくようにして建てられた家々が、沢山の路地を作り出し、迷宮のように入り組んでいるのがまた、旅ゴコロをそそります。
ここは11世紀、アルワ女王の時代に首都であった場所で、ロンプラには「大きな歴史を持った小さな町」と、何だかうまいこと書かれていました。

要塞チックなジブラの町。

お次はタイズ。ここのメインは、町を覆うようにそびえるザヒル山ですが、あまり時間も体力もないので上るのはやめて、町なかだけを観光することにしました。
イエメン第3の都市ということで、交通量も商店の数も多く、町らしい雑多な活気がありました。。風情や特徴にやや欠ける感じはしましたが、スークを細かくひやかすのは楽しゅうございました。
イエメンでは(イエメンに限らないのでしょうが)、やたら香水の小ビンが売られていて、それも欧米のブランドのバッタものとかではなく、メイド・イン・イエメンと書いてあるオリジナル?香水が、ざっと50種類くらい並んでいるのです。このパッケージがアラブっぽくてなかなかそそるんですよね。わたしも1つ買ってみましたが、日本でつけるには、かなりくどそうな香りです。

市場はこんな感じ。向こうにそびえるのがザヒル山。

そして、タイズからさらに下って、南の果ての港町・アデン。イエメンに来て、初めて海を見ました。アラビア海です。あと、初めて「ピザハット」も見ました(笑)。
ここは、19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーが放浪の中でたどり着き、7年を過ごした町。ランボー好きのわたしにとって、アデンという町には特別な響きがあります。
天才詩人と謳われながら19歳で筆を折り、その後は商人として一生を終えたランボー。アフリカの灼熱の大地に憧れていた彼は、37歳で病に倒れるまで、アビシニアと呼ばれた当時のエチオピアと、このアデンを行き来していました。エチオピアのハラルにもランボーの住んでいた家があるので、そこにもちゃんと参詣いたしましたわよ。

ガイドブックに「ランボーハウス」と記されたその建物は、いかにも港町の商館といった風情でした。
現在は、安めの中級ホテルとして営業していますが、レセプションに頼めば、中を見学させてくれます。フロント台や壁には、さりげなくランボーの肖像が飾られているものの、特に当時を偲ばせるものはありません。それでもホテルの雰囲気は、時間が止まったように静かで、心がしんとします。

ランボーハウス。現在はホテル兼レストラン。

ここがランボーの部屋だったらしい。可愛い…と云うより、ラブホっぽいか?(笑)

ところで、イエメンでは全くブチキレたことのなかったわたしが、アデンでついにやらかしてしまいました。。。
アデンの安宿は他都市に比べて値段が高く、あーでもないこーでもないと物色するも、なかなか納得のいく宿が見つかりませんでした。
5軒目くらいの宿が、あとひと息だな…という値段だったのですが、部屋と値段を天秤にかけると、やっぱり決めかねてしまう。例によって値引き交渉するも、かなり頑固に応じてくれません。
そこで「ほかに安い宿はないか」と聞くと、そこからはやや離れていますが、わたしのいう値段で泊まれる宿があるというので、黒装束の上に荷物背負ってひーこら云いながら歩いて行きました。
すると、何とそこは先ほどの宿よりも高く、わたしは、絶望のあまり床に倒れこんではらはらと泣き、宿の人間をぎょっとさせました。
結局は、あの宿が一番安いのか…。「高い!」とタンカ切って出てきた手前だし、元来た道を戻るのはかなりシャクにさわりますが、仕方ありません。

おめおめとその宿に戻ると、「やっぱりな」といった感じでやや横柄に迎えられました。が、その時点ではまだ、自分の中で何かが起こる気配はありませんでした。
お金を払ったあと、「パスポートを預かる」と云われて、わたしは思わず顔をしかめました。イエメンに来てから、宿でパスポートを預けなければいけないことなどなかったからです。
「コピーがないから、原本は持って歩きたいんだけど」
「ダメだ。こっちで預かる」
「どうして?チェックインで見せているんだから、それでいいんじゃないの?」
…といったやり取りが何往復かしたあと、男はいきなり、
「お前はもう泊めない」と、お金とパスポートをつき返して来ました。

さんざん宿を探した結果、もうここに落ち着かなければどうしようもない、アデンを観光する時間もなくなってしまう…と追い詰められていたために、わたしは一瞬パニックに陥りました。そしてとっさに、「ご、ごめんなさい…」などと、弱気に云ってしまったのですが(珍しい)、男は、100万円積まれてもわたしだけは泊めない!というくらいの勢いで、わたしを追い出そうとしました。

…実は、そこから先のことをよく覚えていなくて、またわたしったら、いつの間にかブチキレて何やらわめき散らしていたらしい…らしいと云うのは、こいつが放った「お前、病院に行け!」と罵声だけが、耳に残っているからです。そして、そのひと言でわたしはさらにキレて、最後はもう何がなんだか、ボロボロの状態でその宿を後にしました。

あまりにも体力と精神力をムダに使ってしまったわたしは、結局、最初の方に回った、決して安くない宿にチェックインしたのでした。もう、多少金を出してでも、1秒でも早く落ち着きたかったのです。汗まみれの身体をベッドに横たえると、汗の引きとともに、寒気が急激に襲ってきました。
「またやってしまった…」
インドのラジャスタンからこっち、ほとんどこんな意味不明なキレ方はしなかったのに。また病気が再発してしまった。あの男じゃないけど、やっぱりわたしは病院に行った方がいいくらい、頭がおかしいのだろうか…。何でこんな風になってしまうんだろう…。

こんなことなら、最初からもう少し金を出すことにして、ランボーの家に泊まればよかった…(泊まれるって知らなかったけど)。

アデンは海のすぐそば。

そしてこのアル・ムカッラへとやって来たわけです。
アデンからのバスが到着したのは、午後6時を過ぎた頃でした。
宿は、バスを降りた川沿いの道に「ホテル」と看板の出ている建物が並んでおり、まあ何とかなるだろう…と余裕しゃくしゃくでいたのですが…どこもかしこもフル!
予想していなかった事態でした。町を見る限り、年末らしい慌しさもなく、特にホテルが込む理由は見当たりません。女1人だから断られているのか…?
7、8軒を回り、1時間近くを費やしましたが、宿は決まりません。そんなバカな…。1年の終わりの日に、こともあろうに宿がないなんて…。ムカッラの地図は持っていないし、宿のありそうな場所の見当がつかない…。

このまま、強行突破でサユーンまで行こうか…とも思いましたが、こんな時間からはもうバスもタクシーも出ていません。
夕闇が少しずつ迫って来ていました。困った…困った…困った…。
ちょうどそこに、警官が2人通りかかりました。わたしは、わらをも掴む思いで、彼らに「宿がないの。どこもフルって云われるの」と半泣きですがりました。
警官たちは、んなコト俺らに云われてもなぁ…といった感じで困惑しきってはいたものの、わたしを見捨てることはせず、わたしが明日サユーンに行くと話すと、乗合タクシー乗り場の近くのホテルへ、パトカーで連れて行ってくれました。決して安くはなかったけれど、今さら贅沢は云えません。それに、年末なんだし、それなりのホテルで泊まったって、いいんじゃないだろうか。

人心地がついてから、夕食を食べに外に出ました。相も変わらず食べるもののないイエメン、年末だからと云ってレストランのメニューに変化があるはずもなく、ケバブサンドとミックスジュースで簡単に済ませました。もちろん、1人で。
帰り道、イエメン男性の着用する巻きスカート(マアワズ、フータとか云うそうだ。インドのルンギみたいなもんか?)を物色し、さんざん悩んだあと何も買わずに店を出、もう少しうろつこうかな…と思ったけれど、このような田舎町を、黒装束の女が夜間に1人でウロウロするのもどうかと思い直し、大人しく宿に帰りました。

テレビを見ながら、ゆっくりコーヒーでも飲もうかな。タイズでモカコーヒーを仕入れてきたし。
そう思って、コイルヒーターの電源を入れた途端、いきなりヒューズしてぶっ壊れ、部屋の電気が全部消えてしまいました。。。くっそー…わたしには、1杯のコーヒーでくつろぐことすら許されないのか。
慌てて助けを呼び、新しい部屋に移してもらったのが、冒頭に書いたムダに広い部屋です。もう湯は沸かせないので、とりあえずテレビをつけ、原稿を書くわけでもないけれどパソコンの電源を入れました。

ここにいると、新年なんて実感はまるでなく、今年の前半で旅を終えることへの感慨も湧いて来ません。ただ、明日にはこの国を去ることへの感傷だけが、うっすらと胸に広がるのみです。
チュウゾウさんは、今ごろアフリカ行きの船に乗っているんだろうか…。
船乗りK氏は、もうとっくにエチオピアのどこかにいるんだろうな…。
わたしも含めて皆が長い1人旅の途中だったから、何だかこう、同士のような気持ちを彼らに抱いていたのです。だから、願わくは彼らも、1人きりで、孤独の感傷に襲われながら、静かに年の暮れを迎えてくれているといいのに、なんて…なんだ、わたしは寂しいのか?もうこんな寂しさには、とっくに慣れたはずなんだけど…。

そしてわたしは、電気を点けたままでいつの間にか眠りに落ちていました。

夕暮れのシャハラ。隔世感のある風景。

(2004年12月31日 アル・ムカッラ)

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