旅先風信146「イエメン」


先風信 vol.146

 


 

**憧れの地〜ハッピー・アラビア(中)〜**

 

サユーンからは、アル・ムカッラに南下して、そこから西へと、アラビア海岸沿いを旅して首都サナアに入るのが無駄のないルートですが、早漏なわたくしには、お楽しみ(サナア)をおあずけにしておくことがどーしてもできません。というわけで、直行バスで一気にサナアへ行ってしまうことにしました。

サユーン→サナア間は、早朝出発でまる1日のバス移動です。
道中は、ひたすらミニマルな砂漠地帯が続き、青空と砂しか見えない景色に「すげーなあ…」と口を開けて感嘆していたのですが…。
ふと、エライことに、唐突に気がついてしまいました。

途中下車。

そう云えば…財布の中身の減りが激しいような気がする。
残額を計算してみると、どうもおかしい。イエメンに来て今日で4日目、宿代とバス代以外、大してお金も使っていないのに、何っっっか少なくないか…?
確か、サユーンに着いたその日に、残ったオマーンリアル(OR)を両替した。残ったというか、イエメンでは現金しか使えず、手持ちのドル現金が乏し目なので、オマーンリアル現金をATMから多めに引き出したのだ。で、両替したのが、20OR=9500イエメンリアル(YR)。
だが待て。確かオマーンでは、1OR=3.8ドルだった。あまりの高さにおったまげたのでよく覚えている。これに対して、イエメン通貨は、1ドル=185YR。
ということは…。

わたしは、必殺・比の公式(小学校4年で習うやつ)を使って、何度も何度も何度も計算してみました。
やっぱおかしい!!!だって、普通に考えたら、20OR=76ドルになるハズです。でも、9500YRは、どうやっても76ドルに満たない。そして、9500YRは……52ドル。

ぐはああああっ!(←喀血)すんんんっげーーーーー損な両替じゃねえかっっっ!!!
何だこれ!?両替屋のオヤジに詐欺られたのか!?
イヤ、そうではない…。だって、米1ドルは184YRだったもの。つまり、詐欺は詐欺だけど、両替商個人のではなくて、国家ぐるみの犯罪ってわけか!ここまで損なレートを、オマーンリアルに課すなんて…なんか恨みでもあんのか?
にしても、何故気づかなかったんだ…。どういう計算をして、20ORも替えてしまったんだ…。手持ちのドルを確保するためにオマーン通貨を替えたけれど、この損し具合はタダごとじゃねーぞっ!
ていうことはナニかい、オマーンリアルを両替すればするほど、わたしの金は減っていくってことかい!!!一体何のために、オマーンリアルを大量に下ろしてきたというんだ!金を減らすためかいっ!?

あんまりにも腹が立ってしまい、とてもバス旅を楽しめる心の空き容量がなくなってしまいました。もうこれは寝るしかない。寝て全て忘れよう、全て…。

午後3時過ぎくらいに目が覚めて外を見ると、それまでの風景とは一変し、ごちゃごちゃと建物が増え何やら町らしき様相を呈してきました。どこだここ?と思ったら、どうやらここがサナアらしい。
「あれ?サナアってこれなの?」
と、わたしは少々拍子抜けしました。やたらと工事中の建物が多く、「アラビアンナイト」で「お菓子の家が並ぶ」町には、とても見えません。

しかし、そのあとガイドブックをよく読んでみると、サナアは、新市街と旧市街に分かれており、写真で見るあの景色は、どうやら旧市街のそれであるらしい。
なるほど。ここは新市街なのか。道理でインパクトに欠けると思った。写真で見たサナアは、こんな“よくあるそこら辺の地方都市”みたいなのじゃなかったもの…。

とりあえず新市街の安宿にチェックインしましたが、くつろぐ間も惜しく、外に飛び出しました。
旧市街の入り口である、その名も「イエメン門(バハル・ヤメン)」を目指して、タハリール広場から歩くこと数分…街並みが一変しました。薄い茶色の壁に白い飾り縁のついた箱型の建物群が、視界にどっかん!と入ってきたのです。
「ああ、サナアだ…これがサナアだ…」
わたしは、何かに突き動かされるように、ガツガツと歩きました。これだ、これだ、これだ…これが見たかったんだ…。

イエメン門に到着し、そこからいよいよサナアの旧市街に足を踏み入れたその瞬間、わたしの興奮メーターはマックスに振り切りました。
「何だこれ!?!」

イエメン門を入ってすぐの広場。これを見られただけで、もう死んでもいい…とまでは云わないけど。

ちびりそうになる、って云うけれど、本当にそんな感じです。
ケーキのような家、石畳の狭い道、濃いオレンジ色の街灯、白いアラブ服に三日月剣(ジャンビーア)を差した男たち、真っ黒なアバヤに全身を包んだ女たち…。人々の作り出す喧騒は、どんなBGMよりも心地よく、夕暮れの迫る空はほんのりと紫に色づき、ここは現実世界なのだろうか?と思うほど、すべてが舞台装置のように完璧に美しい。
憧れの街。その憧れをまったく裏切らない圧倒的な光景。この地を確かに踏んでいる、この光景を目の当たりにしている…これが旅だ。旅したからこその幸福なんだ。
わたしはほとんど泣きそうになりながら、宵の口のざわめきの中に身を浸して、闇雲に歩き回りました。

この日は、わたしより1週間先にイエメンに来ていたチュウゾウさん(いろいろと情報をもらっていたのです)、元・海上自衛隊員Kさん、短期旅行で来ているOLのHさん、と日本人が集まり、ゴア以来…いやアーマダバード以来の日本人旅行者との食事になりました。食事どころか、ずっと日本語を喋っていなかったわ…。
こんな辺境の国で日本人が4人も集まるというのは、奇跡とは云わないまでも、何だか不思議なものです。まあ、日本人旅行者は世界のどこにでもいると云われており、実際そうなんですけど、イエメンはなかなかマニアック度が高いと思いますもん。

さて、着いてから数日は、新市街・タハリール広場の近くの宿に泊まっていたのですが、チュウゾウさんが泊まっている旧市街の宿を見せてもらって、その立地、その内装、その眺望…すべてがあまりにも素晴らしく、あまりにも羨ましくなってしまいました。
本来なら、旧市街のその宿「オールド・サナア・パレス」は、1泊10ドルという、とても貧乏パッカーには泊まれないお値段なのですが、チュウゾウさんが拝み倒して格安で泊めてもらっていたのです。
そこで、半分ダメ元で宿の兄ちゃんに「ねえねえ、サナアで一番ハンサムなお兄さん。わたしも友達と同じ値段で泊まってもいいかしら?1週間は絶対滞在するから〜ん」と色目を使って(ウソ)お願いすると、あっさりOKになりました。
わたしが移ってきて、しかも同じ値段で泊まることを告げたとき、いつもは温厚なチュウゾウさんの目に、一瞬、怒りの炎がちらついた気がしましたが……見なかったことにしようっと。

新しい我が家。イエメン建築の部屋。寝床はベッドではなく、地べたにマットです。

晴れて旧市街の住人となってからは、のんびりと起きて、あてのない散歩にふらふらと出かける毎日です。
連日歩き倒していると、次第に、この迷路のような旧市街も、大まかですが把握できるようになってきます。 「この角には水タバコ屋がある」とか、「ここを右に入るとジャンビーア屋街」とか、「この先がカート市場ね」という感じで分かってくるのが楽しい。ひとところにしばらく滞在すると、こうやって街が自分に(いや、自分が街に?)馴染んで来るのがいいですよね。

ああ、それにしても…。アラビア半島の果てに、こんな世界が存在していたなんて。
アラブ最貧国だろうが、文明の恩恵から取り残されていようが、イエメンという国は、この世の至宝ではないだろうか…と真面目に思います。
最も、イエメンが南北に分かれていた時代は、イエメンはエジプトにも匹敵する観光国だったとか。そりゃ、このサナアがあって、砂漠の摩天楼があって、シバの女王のマーリブ遺跡があって…と来ればねえ。しかし、内戦が勃発して旅行どころではなくなり、1994年には終結したものの、危ないというイメージが定着してしまって観光客がなかなか戻って来ないのだそうです。
しかし、以前は観光立国だったとしても、これだけの街がきちんと残っているというのは本当にすごい。「古いものを保護しましょう」というヨーロッパ的な考え方とは、多分あまり関係なく、普通に生活している流れの中でこの街並みが保たれてきたのだとすれば、神の計らいにも等しい奇跡を見る思いがします(毎度ながら大げさ)。

金物屋スーク。

旧市街は、その時間ごとに趣を変えて、色んな顔を見せてくれます。
宿「オールド・サナア・パレス」の屋上は、わざわざツアー客がやって来るほどの見晴らしポイント。この地上8階に位置する屋上からの眺めは、いつ見ても涙が出るほど絶景なのです。太陽の出ている日中だと、薄い水色の空の下に、クッキーを詰め合わせたような街並みが広がり、夕方になれば、空は薄紫色に染まり、街全体が薄い靄に包まれます。ゆっくりと闇が忍んで来るその束の間、街には魔法がかかっているかのようです。
夜には、建物群は黄金色にライトアップされて、これまた幻想的な眺めを作り出します。夕食を終えて宿への帰路を歩いていると、いつの間にか人気がなくなって、わたしと、黄金の石の建物だけがそこにあって…まるで自分が絵画の中の住人にでもなったような錯覚を起こさせます。

「オールド・サナア・パレス」屋上から見る夕景。

ああ、しかし…こんな舌足らずでありふれた説明ではなくて、もっと、自分だけの言葉でこの街の魅力を表せたらいいのになあ…。
「中世のような」とか、「アラビアンナイト」とか、「おとぎの国」とか…それらはどれも正解だけれど、そんな形容の器に収めてしまうのは、何だかあまりにもったいない気がするのです。

宿の屋上の1階下は、「マフラージ」と呼ばれる、共有のくつろぎスペースが設けられているのですが、ここがまた素晴らしいんですよ。天井が高くて、窓にステンドグラスが埋め込まれていて、ペルシャ絨毯が敷き詰められていて…まるで貴族の家の居間みたい。チュウゾウさんが、「1人でこの部屋にいると、自分が世界の王にでもなったような気分になります」と云っていましたが、本当にそんな感じです。

シバームやタリムと違って、さすがに首都だなあと思うのは、人が心なしか洗練されていて、物腰がやわらかいこと。サナアの子供たちは、「カラム!(ペンくれ)」とか云いません。「アッサラーム、アレイコム」と挨拶すると、笑顔で控えめに返してくれる。
あと、驚いたのが、旧市街にゴミ箱が設置されていること!シロート目に見てもゴミ問題の深刻さが伺えるイスラム諸国で、ゴミ箱がある街なんて…世界遺産だから?でもシバームはゴミだらけだったけどな(笑)。

イスラム国と云えば、1日5回のお祈りのアザーンがつきものですが、ここイエメンでも、もちろん流れます。
ところが、これがめっちゃうるさいのよ!これまでイスラムの国を旅していて、アザーンをうるさいと感じた記憶はあまりなく、どちらかというと風情のある音として好意的に認識していたのですが…イエメンのアザーン、うるせーーーっっっ!!!
それも、まだ暗い朝の5時から、消防署のサイレンかよ!と思うくらいの大音量で流れて来るのです。心臓に悪いってば!毎朝、必ずこれで目が覚めます。わたしはイスラム教徒じゃないので、別に目を覚ます必要はないっつーのに…。
もっともメーワクなのは朝ですが、昼でも夕方でも、いつ聞いてもやっぱりうるさいんだよなーこれが…。スピーカーの性能が悪すぎるんじゃないのか?

お菓子みたいで美味しそうな家。

日が経つごとに、そろそろ出ないとなあ…と思いながらも、日が経つごとに、サナアを離れるのが惜しくなってきて、出る汐どきを見失いつつありました。
と云ったって、日々やっていることは、観光は5日に1回くらいで、あとは街を散歩して、部屋やマフラージで本を読んだりPCを叩いたりしているくらいなんですが…ああ、またもや沈没の症状が顕著に出始めている…。
もっとも、わたしはこの後インドのゴアに帰らねばならず(往復チケットを持っているので)、オープンチケットとは云え、フライトは週に1便しかないので、あまりスケジュールに余裕はないのですが…。

宿の居心地もいいし、チュウゾウさんや船乗りK氏という話し&夕食相手もいるし、ネット代は安いし…何と云ったって、街にいるだけで満たされる。
レバノンで会った旅人めいよーさんは、「オレはサナアに来て、いきなり1ヶ月沈没してた」と云っていましたが、サナアというところは、居るだけでもう観光していることになるような街なのです…って、何だかイイワケくさいですけど(笑)。
旅の経験値が、ちょっと街を散歩するだけで、いや宿に居てすら積めてしまう。つまりドラクエ3で云えば「しあわせのくつ」(※はぐれメタルが落とすアイテム。1歩歩くごとに経験値が1アップする)を履いているようなものです。

しかし、そんな素敵な素敵なサナアにも、大きな欠点が…それは食生活。
すでにサユーンにて、イエメン料理のバリエーションの無さに愕然としていたわたしですが、首都サナアに来れば多少マシになるかと思いきや、全然そんなことはないのでした。ガクッ。
家庭料理はいざ知らず、旅行者がありつけるイエメンの食事は、それはそれは種類に乏しいのであります。ちょっと、以下に書いてみましょう。

@チキン&ライス(orホブス)
Aサルタ(シチューみたいなもので、パンをつけて食べる)

…って、2つで終わってしまったやん!
本当に…ほかにないのか?ああ、それから、
Bオムレツ(というか、卵を焼いたもの)
Cチーズパン
D焼き魚(1回だけ)

…んーとんーと、あとは……チャイ?(食べ物じゃないじゃん)

サナア初日、日本人4人でつついた、巨大焼き魚。しかしテキト…いや、ゴーカイな料理です。

ダメだ。本当にもうこれ以上出て来ないです。
確か、イランを旅していたときも、「毎日毎日毎日…同じもんしか食べてないやん!」と文句をこぼしていましたが、イランなんて、今思えばとても食の豊かな国だったよ…。多分それは間違った認識だけど、そう思えるくらい、イエメンという国は…(以下、あえて略)。
だいたい、イエメンだけでなく中東の国全般に云いたいのですが、何故こんなにも食生活に対しての情熱が乏しいのでしょうか。まあ、わたしだって、食にこだわりのある方ではないけれど…。

「でもなあ、俺たちには、食べ物がなくとも、明日がなくとも、カートがあるんやあ!」(と、イエメン人の叫び)
そ、そうだった…君たちにはカートがあるのだったね…。
へ?カートって、何ですの?と思われた方、多数いらっしゃることでしょう。イエメン人と、イエメンを旅する人と、ドラッグ好き以外の人には、一生耳に入らないかも知れない特殊ワード「カート」…学術的にせつめいしますと、イケナイ植物のことです(どこが学術的やねん)。

カートはアカネ科の植物で、隣国サウジアラビアでは麻薬として認識されているものですが、ここイエメンでは、国民的嗜好品として、タバコよりも上の地位に鎮座しています。その普及たるや、女性は知りませんけど、男性でカートやらない人なんてイエメンに存在するのか?というくらい。
昼の2〜4時までは、カートをやるための「カートタイム」になっており、商店はほぼ閉店。ものの本(『歩き方』ですけど)によれば、カートの流通システムは、日本の宅配サービスもビックリなくらい発達しているのだとか…。芸能人は歯が命ならば、イエメン人は葉(カート)が命なのです。
カートのやり方は、葉っぱをちぎっては噛み、ちぎっては噛みとひたすら噛み続け、その汁を味わいます。その際、葉っぱは吐き出さずに、片方のほっぺたに詰め込むようにしてどんどん葉をためていくのです。町を歩いていると、片方のほっぺたが「こぶとりじいさん」化している男性をよく見かけますが、あれは笑えます。 わたしも、宿の兄ちゃんに少しもらって噛んでみましたが、この”ほっぺたにためる”作業は、かなり難しい…。
そうこうしているうちに、“きまってくる”、正確には
、頭がスッキリするのだそうですが、わたしはそこまで噛み続ける根性がありませんでした。味も、ホントに葉っぱ噛んでる以上の何モノでもないしねー。

カート市場の男たち。

ということで、「カートがあればメシはいらん!」とイエメン人化できればよかったのですが、そうもいきません。カートよりも美味いメシ。それが重要だ。
ある日の夕食時、チュウゾウさんが、「サナアは本当にいい街なんですけど…この食生活だけは何とかならないものなんでしょうか…」としみじみ云い、わたしも、まったくその通りとおりですと同意しました。
「確か、『地球の歩き方』には、郊外に韓国料理レストランがあると書いてありましたよ。高そうなので、これまでは見なかったことにしていましたが…。今日、ちょっと行くだけ行ってみませんか?あまりに高ければ帰るということで…。」

その提案は、いつの間にか「今日は何が何でも、イエメン料理以外の美味いものを食う!」という固い決意と化し、われわれはタクシーで、その“韓国料理屋”を目指すことに。
『歩き方』には正確な住所が載っておらず、○×ホテルから徒歩5分、てな記述のみ。この頼りない情報だけで本当にたどり着けるのだろうか…とは、ほとんど心配しておらず、ただ食い意地だけが激しく先行しているわれわれは、あと30分後くらいには美味しい韓国料理が食えるものと信じて疑いませんでした。

ところが、世の中は、いや、イエメンはそんなに甘くなかった。
○×ホテルの近くであれば、ホテルのフロントに聞けば一発で分かるだろう、サナアの韓国料理屋なんて1軒しかないだろうし…という目論見はあっさり破れました。
しかし、それ以上の情報がないわれわれは、とりあえず自力で周辺を歩いて“それらしき”ものを探すしかありません。明りの少ない、閑散とした道路沿いを無言で歩き続けます。てくてく…てくてく…てくてく…それらしき看板を探し、開いている店に入って聞き、タクシーをつかまえて尋ね、再びタクシーに乗り…。

そうして、かなりの聞き込みと紆余曲折を経て、やっと目当ての(らしき)店にたどり着いたときには、宿を出てからすでに1時間以上が経過していました。ていうか、『歩き方』の情報と、全然違う場所なんだが!!!
疲れ切った足取りでそのレストランに入ると、「今日は団体で貸切だったので、やってないんですよ」…あっそう。
ここまでの苦労は一体!?!
名残惜しいのでとりあえずメニューだけ見たところ、1人7〜10ドルはかかりそうだったので、どの道予算オーバーで帰っていたでしょうけどね…はあ、パッカーってつらいね。

しかし、このままおめおめと旧市街に帰り、チキン&ライスを食べるなんてことは、もはや許されない(のか?)。 飢えたハイエナのように、今度は中華料理屋を探し始めました。
そして、何のあてもないけれどまた聞き込み開始。すると、さすがは世界各国どこにでもある中華料理、ちゃんとサナアにもありましたよ(笑)。
何だかここも高そうな店構えですが、先ほどの韓国料理屋よりはお安く、手の届くお値段です。まあ、あれこれと頼めるわけではないので、スープとおかず2品と白飯で、久々の美味しい食事にありついたのでした。ふう〜。
たかが夕食に、ここまで長い道のりと手間をかけることなんて、人生のうち、そうそうあるもんじゃない気がします。少なくとも、日本にいたらありえん。

中華料理は当たり前のように美味しかったけれど、何せ遠いし、毎日通える値段ではありません。
さりとて、またイエメン料理ルーレットの日々というのもなあ…えーと昨日はチキン&ライスだったから、今日はそろそろサルタかな…って、それはおととい食べましたし!
でもね、ある日偶然にも、サナアの新市街で立派なスーパーマーケットを発見したのです。これはもう、神様が自炊しろと云っているに違いないので、早速パスタの材料を買い込んで、宿のキッチンで作りました。作ったと云っても、ただパスタを茹でて、市販のトマトソースをぶっかけただけなのですが、何だか無性に、しみじみと美味しく感じましたねえ。

…と、何やらイエメンの食事についての失礼な記述が続いていますが、決してマズイと云っているんじゃないのよ。ただ、バリエーションが少なすぎるというだけで…いや、“だけ”っていうか、それはかなり重要なんだけど(笑)。
気に入って食べていたものもあります。ひとつは朝食。普通のコッペパンに、チーズとジャムとバターとオリーブの実を和えたナゾのソース(?)という簡素なものなのですが、これがけっこう美味しい。この、いかにもくどいソースが、妙に食欲を増進させるんですよね。
あとは、フルーツジュース。果物の種類は、たいがい何でもあって、わたしが好きでよく飲んでいたのは、グアバジュースとミックスジュースでした。ミックスが30YR、フルーツジュースが50YRというのが相場で、日本円に換算すると、各々18円、30円といったところ。この1杯で喉も心も癒されるのですから(笑)、実に安上がりなものです。

小学生女子。まだ黒装束ではない(笑)。

そのような感じで、ゆるいサナアライフを過ごしているうちに、クリスマスが近づいてきました。
イエメンは敬虔なイスラム国。クリスマスとは何のカンケーもないので(ちょっとはあると思うんだけどね…キリスト教とイスラム教は、根元は一緒なのだし)、街にクリスマスの飾りつけなどは微塵もなく、サンタクロースがケーキ屋の前にいることもなく、24日の晩にラブホテルが満員御礼になることもありません。
まあ、わたしだって、クリスマスとは何ら関係ない人種(色んな意味で)ですが、この日が近づいてくると、何となく心がはやります。しかも、旅先でのクリスマスとなると、迎える場所が気になってしまったりして。去年はカトリックの国メキシコで過ごしましたが、その前はやはりイスラム圏のエジプトだったな…うーむ。

サナアで仲良くしていた船乗りK氏は、折から体調を崩し、クリスマスを前にイエメンを出てしまいましたが、入れ替わりにやって来た、北部の町シャハラへのツアーをご一緒する「女の子・ひとり旅・委員会」の管理人ひろさんと、年に3回くらい海外旅行に出るという旅好きの会社員Hさん、それに、イエメンで唯一の日本人留学生Aさん、チュウゾウさん、わたしの5人で、ささやかなクリスマスパーティーをすることになりました。
ひろさんが日本から、カレー粉やうどんだしや日本のお菓子あれこれ(もはや宝の域)を持参してくれたので、カレーライスとサラダを作り、お菓子を広げ、アルコールはないので炭酸飲料で「メリークリスマス!」と乾杯。
アラビアの果てで、偶然出会った同国人たちとのクリスマス。何だか不思議なもんです。街にはクリスマスの行事は皆無だし、この中にも誰1人キリスト教徒なんていないし(笑)。
でも、この小さなパーティは、闇夜に灯るろうそくの光みたいに、1人旅の道のりをほっこりと照らしてくれるようで、静かに心が温まるのでした。Merry- Chirstmas in Arabian-Nights☆

ライトアップされる、旧市街の家々。クリスマスっぽいと云えば云えなくもないかも?

(2004年12月27日 サナア)

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