旅先風信145「イエメン」


先風信 vol.145

 


 

**憧れの地〜ハッピー・アラビア(上)〜**

 

マスカットから、オマーン西南部の町・サラーラまで夜行バスに乗り、早朝着いたその足で、イエメンはサユーン行きのバスに乗り込みました。
サユーン行きは、1日おきに出ると聞いていたので、うまいことその日に当たってラッキーでした。何せオマーンは、宿代がバカにならないですからね…。

見事なほどに何もない砂漠の大地をえんえん走り、真っ昼間のクソ暑い時間にバスが故障して長いこと足止めを食らったりしつつも、何とか夕方には国境を越えました。
国境越えは、わたしがオマーンビザなしで入国していたのが少々問題になり、またも時間を食ってしまいました(乗客のみなさん、すみません)。通常オマーンの入国にビザは必要なのですが、UAEに空路で入国している場合に限り、免除されるという特殊ルールがあるのです。しかし、このマイナーな国境の職員はそんなことは知る由もなく…。

何もないな〜誰もいないな〜♪(ちょっといる)

昼間の遅れのため、サユーンに到着したのは、何と…夜中の2時過ぎでした。
普通はこんな時間に新しい町に着いたら、本気で命の危険を感じるところですが、イエメンは治安がいいと聞いていたので、それほど恐れはありませんでした。
とは云え、町には外灯こそ点っているものの、見事なまでに誰も、何もいません。これぞ、まごうかたなきゴーストタウン…と感心している場合じゃないです。宿はどこ?ていうか、今降ろされたこの場所は、どこ?町の中心?それとも外れ??

まごまごしているうちに、バスの乗客たちもいつの間にか消えてしまいました。
怪しげな英語使いのおっさんがタクシーをつかまえてくれたのはいいけれど、タクシーの運ちゃんはまったく英語ができません。「ホテル」すら通じねー…どどどうしよう。

…と戸惑う一方、この人気のなさ、そしてオレンジの外灯は、砂漠の乾いた町並みを妖しく美しく浮かび上がらせていて、まるで自分が絵本の1ページの中にいるような錯覚を覚え、思わずうっとりしてしてしまいました(うっとりしとる場合かよ)。

何とも幻想的な。

思えば、わたしは何をきっかけに、イエメンという国を知ったのだったか。
「ランボーが住んでいた」というので、興味を持って、図書館でガイドブックを借りたのが最初のような気がします。
そこには、イエメンを表して、“幸福のアラビア”と書かれていました。これは、ローマ人がつけた名前で、砂漠地帯にありながら、変化に富んだ地形と気候を持つ恵まれた国ということで、その名がついたそうです。
そんな由来は、当時は軽く読み流していましたが(笑)、その“幸福のアラビア”という響きには、抗いがたい魅力と、強烈な印象を受けました。

紀元前10世紀にさかのぼる、「シバの女王」のシバ王国。それ以前から続く、気の遠くなるような古い歴史。
そして、今なお中世の、アラビアン・ナイトさながらの世界が残る、アラブ世界の精神的な故郷。
アラビア半島の最果てであり、紅海を隔てたそこにはアフリカ大陸が広がるという、そのロケーション。
ガイドブックのページを繰れば繰るほど、どこを取っても、イエメンには、旅人にとって魅力的な、旅心を刺激するイメージがぎゅっと詰まっているように思いました。まさに幸福のアラビア…何て美しい国なのだろう。
ま、その実態は”アラブ最貧国”(石油があまり出ないんですね、気の毒に)であったりもするのですが、大切なのはお金じゃない、愛なんだよハニー。

やはり世界一周していた旅人が、「どうしてもイエメンは外せない」とイエメンに行ったのち、「あの国を見たら、ほかのアラブ諸国が色あせて見えてしまう」という感想を送ってきましたっけ。彼のみならず、わりと旅慣れた人たちが口をそろえて「イエメンに行ってみたい」と云い、行った人は決まって「いいところだ」と云うので、わたしの憧れは、ますます募るばかりでした。

昨年春、イランからアフガニスタンに入る直前、わたしは、ひとつの選択を迫られていました(って、大げさですけど)。
アフガニスタンに行くか。アラビア半島に下るか。
トルコからアジア横断を始めるにあたって、あらかじめ、その2つのルートを候補に上げていました。どちらに転んでもいいように、アフガニスタンのガイド&地図(かの「ぐれねこMAP」です)と、ロンプラ・アラビア半島編をコピーして持ち歩いていたのです。
結局、アフガンルートを選んだわたしでしたが、イエメンへの憧憬は捨てられず、コピーもしぶとく保管していました。中国で会ったツーリストに、「何か読むものがあれば下さい」と云われて、UAE編とオマーン編を譲り渡してしまったものの(荷物を少しでも軽くしたかったので)、イエメン編だけはやはり渡せなかった。
いつか、いつかのために。それが本当にあるのかどうか分からないけれど、このコピーを持っていることが、そのいつかにつながるのではないか。そんなことを思って。

インドから、アラビア半島に渡るというコースは、そんなにポピュラーなものではないと思います。
わたしも、それは考えたことがなかった。このルートを取る前は、タイのバンコクあたりから、飛行機で往復できればいいな、と思っていたのです。
しかし、「CHUZO.NET」のチュウゾウさんに会ったとき、「インドのムンバイから、ドバイに船が出てると思うんですよ。どちらも大きな港があるし、距離的に見ても、航路があってしかるべきではないか」というのを聞いて、なるほど…そんなルートがあったか、と。
結局、インドからアラビアに渡る船はないことが判明したものの、飛行機は飛んでおり、そんなに高くはならしいことも分かり、これはもう、イエメンがわたしを呼んでいるのでは???と思ったわけです。

で、出発の直前になって、でっかい盗難に遭ったんだけどね♪ 全然呼ばれてなかったね♪
でも、来ちゃったよ。てへっ。

とまあ、そんなこんなで、イエメンには、莫大な憧れの気持ちを引っさげてやって来たのです。ごめん、また前置きが長くなってもーた(苦笑)。

さて、その後ホテル探しに少々手間取ってしまい(ドライバーとはまったく意思の疎通が図れず、サユーンの町を出た遠いところに連れて行かれて、さすがに怖くて半泣きになった)、その晩は疲れ切って、即刻ベッドに倒れこみました。
翌日、軽く寝坊しつつも外に出てみると、見事な快晴。昨夜とは打って変って、人と車が行き来し、商店が開き、喧騒が小さな町を満たしていました。

サユーンの町は、旧王宮の白い建物を中心に広がっています。王宮以外、特に観光する場所もないけれど、砂色のマッチ箱のようなイエメン建築が並び、男たちは赤いターバンに、何故かサラリーマンみたいな背広とYシャツを着て、インドのルンギのような布をスカート風に巻き、腰にはチャンピオンベルト、そして何と短剣(ジャンビーヤ)を差して歩いている…それだけでもう充分、興奮に値します。
そんな町を歩いている外国人は、わたし1人だけ。大げさだけど、世界の果てにでも来たような気持ちになりました。

サユーンの中心、旧王宮。

とりあえず朝食でも、と近くの軽食堂に入り、サンドイッチがあるというので頼んでみました。
「…え?サンドイッチって、これなの?」わたしは、しばしその、手渡されたブツを凝視してしまいました。
それは、細長い15センチくらいの白パンに、真ん中に切り込みを入れてそこにチーズを塗っただけのシロモノ…自分で作れるし!
これまで、色んな国でサンドイッチを食べてきましたが、こんなに簡素なのは初めて…食の乏しいイランですら、サンドイッチはバリエーション豊富だったといふのに…。
ほかにはないのかと尋ねたら、卵サンドがあったよ…チーズの代わりにゆで卵つぶしたやつが入ってました。どっちにしても、もっと具がほしい(涙。

イエメンの食が乏しいということを、わたしは、初日にして早速思い知るのでした。
もともと、中東の食事は大したことがないのは知っているので、特に期待はしていなかったけれど、それにしてもイエメン…もうちょっと頑張ってくれないか(苦笑)。
夕食は、トマトと玉ねぎの入ったオムレツに、ホブスというでっかいパン(というよりでっかいチャパティみたいな感じ)。それにチャイ(紅茶)。別にさー、マズいワケじゃないのよ。でも、食堂に入ってメニューを聞いたら、それしかないって、どういうことなのさーーー?
サユーンには、ツーリスト向けレストランはおろか、イエメン料理屋以外のレストランはありません。唯一、ジューススタンドでサモサが売っていたので、躊躇する間もなく買って食べました。いやー美味いよサモサ!ちょっと感動すら覚えました。本場インドではほんの軽食に過ぎないサモサなのに…。インド料理にはいいかげん飽きていたけれど、ここに来て、「インドって、実はとても料理の豊かな国だったのでは?」ということに気づかされました(笑)。

王宮から見下ろすサユーンの町。

ご飯の話のついでに、服装の話も少し(と云いながら、また長くなるのですが)。
イエメンは、イスラム諸国の中でもイスラム色の強い国ということで、旅行者であっても現地人同様に、女性はアバヤと呼ばれる黒装束をまとわなければならない…とまでは云わなくても、まとった方がいいことになっています。イランと同じですね。
趣味は現地人コスプレであるわたくしですから、黒装束には何の抵抗もない…はずなのですが、今回は珍しく躊躇しているのです。

何故かというに、それは、とってもつまらん理由でして…。
メキシコの「死者の日」に購入した死神の衣装を、イラン対策にずっと持ち歩いていた話は、以前書きました。パキスタンまでは持ち歩いていたのですが、チベットに行くにあたって余計な荷物を日本に送った際、この衣装も送り返してしまったのです。だって、もうイスラムの国に行くことはないと思っていたんだもの・・・。
あの衣装は、色といい、シルエットといい、フードが付いていることといい…ここのアバヤにそのまま流用できるほどに完璧な黒装束でした。ああ、今「どこでもドア」があったら、すぐにでもあの衣装を取って来るのだが…などと云ったって、空しさが募るばかりなんですが、それでも「本当は持っているのに!」と思うと悔しくて悔しくて…(笑)。

加えて問題なのは、アバヤの値段が高いこと。ワンピース、スカーフ、覆面(笑。すべて黒)一式揃えると、何と20ドル近く!バカバカ、そんなに高いもの、買えるかよ!そんな金あったら、ゴアで可愛いワンピースでも買うよ!黒装束なんて、それこそ今後使うことないんだから!忍者のような覆面にはかなり惹かれるものの、それだけでも6ドル7ドルといった具合で、うかつに手を出せません

仕方ないので、アバヤには見えずとも、一応イスラム女性らしい格好を…と、手持ちのアイテムで取り繕っているのですが…。
頭髪を隠すスカーフは必須なので、インド製の神様スカーフ(紫)を使用。身体全体を覆うワンピースの代わりに、インドで作った半袖のパンジャビードレス(紫、膝丈)を着て、腕を隠すべく黒いパシュミナで上半身をぐるぐる巻きにして、下は普通の長ズボン。
これで何とか、肌を見せないことには成功しているものの、ズボン着用でも膝下が見えているのはいただけないかも、と、苦し紛れにインド製のピンクの布を腰に巻き、パシュミナに汗をかくのがイヤで、さらに暑いのを我慢してフリースを着用し…ここまで来ると、もはや何がしたいのか、何を主張したいのか、自分にも他人にも分からない服装です。ていうか、スカーフは女ものだけどさ、腰巻はイエメンのおやじと一緒じゃん?オカマなのかあたしは?
というわけで、努力は思いっきり裏目に出て、必要以上に浮いているもよう。。。

サユーンに着いた翌日、“砂漠の摩天楼”として名を馳せる町・シバームへ足を運びました。
何てったって“砂漠の摩天楼”です。世界にはそういうカッコいいコピーの観光・景勝地がいろいろとありますが(例:緑の地獄=アマゾン)、その中でもベスト5に入るくらいの秀逸なコピーかと。
砂漠の中に忽然と現れる高層ビル群…想像しただけでくらくらしませんか?それってわたしだけですか?
ま、すでに行った人の中には、「あれは…摩天楼というより、団地だ」という意見もありまして(笑)、あんまり期待しない方がいいのかなと思いつつ…。コピー負けしている観光地も、世界には多々ありますからねえ。

サユーンから乗合タクシーで40分少々、シバームに到着しました。
おおっ…これが摩天楼かあ…すごいじゃん!これ、団地なんて云っちゃ失礼だよ。まあ、摩天楼と呼ぶにはやや可愛らしいけれども。
高いものだと、10階以上あるかも…普通のビルにしてどのくらいかは分かりませんが。建物が密集しているため(500平方メートルの敷地に、500のビルが建っているらしいです)、ひとつひとつがとても大きく見えます。
驚くべきは、これらがすべて、土でできた建物という点。高層ビルなのに土。素朴で、手作り感があっていいですね(笑)。今ある建物は16世紀頃のもので、その多くは再建されているようですが、それでも100年前とかだからねー。よく残ってるよなあ。。。

つくられた絵葉書のような光景(笑)。

丘に登り、絵葉書や世界遺産の紹介で必ず採用される“あの角度”(笑)からシバームの町を見下ろしたとき、わたしは、イエメンの地を確かに踏んでいるという実感と喜びで、胸がはちきれそうになりました。
念願の地を踏み、憧れていた景色を見ることができた。何て素晴らしいんだ。生きててよかった。旅しててよかった。今までの道のりにあった災難なんて、これで全部帳消しだ。神様、それから、ここまで関わってきた色んな人たちに、これを見せてくれてありがとうと云いたい。心から感謝するよ。普段、そんな殊勝な気持ちにはならないけれど(なれよ)、何せこの景色が素晴らしすぎるんだもの。あーほんと、来てよかったよー…うっうっ(←感極まって泣いてる)。

それにしても、何と遠いところまで来たものでしょうか…。
広大な砂漠の中に、唐突に存在するシバームの町を見ていると、今さらながら、そんなことを思います。日本とは、似ても似つかない、ある意味では日本からもっとも遠い場所。
家族も友人もなく、そんな場所に、ただ1人いるわたし…。心地よい旅の孤独。そして、静かにこみ上げてくる、旅の熱。

これです、これ。これが見たかったんだ〜。

土壁の高層建築がひしめく中を、わざと迷うようにしてウロウロします。こういう場所は、迷えば迷うほど楽しいんですよね〜。
城壁に取り囲まれているシバームの町は、大きな箱の中に、小さなマッチ箱を所狭しと並べたかのよう。と云っても、ひとつひとつの建物を間近で見ると、これまた巨大な箱のようです。電化製品屋に並ぶ冷蔵庫みたい…とか、またしょーもない感想を抱いてしまいました。建物には、小さな窓がぽこぽことついていて、そこから時々、人が顔を出していたり、下から水がめを引き上げていたりします。
わたしのほかにツーリストは見ないものの、何軒かのアンティークショップが英字の看板を掲げ、子供たちはわたしの顔を見ると「カラム!(ペンちょうだい)」とうるさく声をかけてきます。誰がやるか。

サユーンに比べると、多少ツーリスティックさが漂うとは云え、世界的に有名な観光地にしては、驚くほど静かな町です。建物と建物の間で、子供たちが遊び、ヤギがうろつき、男性は建物の補修をし、女性はいない(多分家にこもっている)。建物が造られた16世紀当時からきっと、生活もそんなに変わっていないのではないか?と思えます。

見上げる高層ビル。窓がかわいい。

シバームに引き続き、タリムという町にも行ってきました。
食堂で知り合った、英語を少し話せる兄ちゃんに「シバーム同様に古い町で、観光スポットでもある」と聞き、サユーンからは1時間くらいで行けるので出かけることにしました。せっかくの憧れのイエメンですから、とことんまで満喫しないとね。

しかしまあ、タリムは、シバームほどのインパクトのある町ではありませんでした。
岩の丘のふもとに、イエメン建築の土塀の家々が並ぶのですが、高層建築ではありません。それに、やたらボロい…古いというかほとんど廃墟?みたいなのも多い…(笑)。
昼間の一番暑い時期に行ってしまったため、ほとんどの商店は閉まっており、人の行き交いもまばらでした。そんな、“砂のゴーストタウン”のような町を歩いていると、何だか不思議な気持ちになります。

ここでも、あてもなくふらふら歩いていると、その辺で遊んでいるガキどもに遭遇します。
シバームのガキと違って、ここのガキどもは、「カラム」とは云いません。おお、エライじゃん
。と思ったら、わたしを宇宙人か何かと勘違いしているらしい。。。
遠くの方からにこやかに手を振ってくるので、近づいて行こうとすると、「ギャアアー!」とか叫びながら、ものすごい勢いで逃げてしまいます。カメラなんざ向けようものなら、あたしはピストルでも向けてんのか?と思ってしまうくらい、ビビられます。でも、怖いもの見たさなのか、建物の影からこっそり追ってきたりする…で振り返るとまた「ギャアアー!」……完全にバケモノ扱いじゃねーか。わたしはただ、素朴で可愛い子供たちと、ウルルンなひとときを過ごしたいだけなのに(それはウソ)。
せめて、アラビア語が話せればいいのですが、わたしが覚えているのは、「こんにちは」と「ありがとう」と「さようなら」と「旅行」くらいで、自分の立場を説明することもできません。オカマのような服装であることも、よくないのかも…くよくよ。

丘のふもとに広がるタリムの町。

タリムの建物はこんな感じ。シバームにしてもそうだが、イエメンの建物を見ると、『キン肉マン』に出てくるサンシャインなんとかっていう超人を思い出す。

この後は、いよいよイエメンのハイライト、首都サナアです。

(2004年12月12日 サユーン)

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