旅先風信143「アラブ首長国連邦」


先風信 vol.143

 


 

**アラビアの大都会*

 

「どうしても行きたい」という、根拠のないワガママを貫き通して、見事(?)、アラビアはUAEにやって来ました。
まさに執念の勝利…と云っていいのだろーか???

右の写真の男性は、先日亡くなったばかりのアブダビ首長。

インドのゴアからUAEのドバイまでは、たった3時間のフライトでした。
エア・インディアの機内食は、当然のようにカレー。欧米並みの物価を誇るドバイに乗り込むべく、ヨーグルトやチョコレートはせこく残して、後々の食料に備えることにしました(ううむ、悲しい…)。
ドバイ時間で夜8時30分到着。微妙な時間帯ですが、ドバイのホテルは、最安のユースホステルのドミで1泊65DH(約20ドル)もするので、この日は当然空港寝です。

とりあえず、寝られそうな椅子を確保したのはいいものの…むむむ、ここは…寝袋を出して眠れるようなフンイキじゃないぞ…。
わたしは、あくまでも、周囲のラグジュアリーかつスマートな空気に溶け込むべく、すました顔つきで日記を書き、本を読みして時間が過ぎるのを待ちました。
12時近くになり、人の出入りが少なくなったところを見計らって、すかさず寝袋を取り出してもぐりこみました。眠ってしまえば、羞恥心などカンケーないさ…。

目が覚めたのは、夜中3時前でした。
正確には、覚めたというよりも、覚まされました。みの虫になっているわたしを、突然、揺り動かす手があったのです。
「こんなところで寝るな!ここは空港だ!寝るところじゃない!」
…目を開けると、そこにいたのは、ものすごく厳しい形相のアラブ人―どうやら、空港の係員か何かでした。
わたしは、まだ眠っている身体を、ゆっくりと起こしました。眠い眼をこすりながら。
「家に帰れ!GO HOME!ゴーーーーホーーーーム!!!

一気に目が覚めました。
アンタ、気でも違ったか?と思うくらい、すさまじい怒りっぷりでした。
GO HOMEっていわれても、NO HOMEなんだけど…と心の中で韻を踏みつつも、何も云えるワケがなく、わたしは、あっけに取られたままのハニワ顔で、その係員の去っていく後姿を眺めるしかありませんでした。

…はははっ、サイコーじゃねーか。
これまで、何度となく、空港で寝るという経験をしてきたけれども、こんなことは初めてだよ。アメリカなんて、係員自ら、寝られるベンチを教えてくれたくらいだぜ。
大金持ちの国は、空港で寝ることも許さないってか。金払ってホテルで寝ろ、金がないならウチの国には来るな!ってか。それでゴーホームか!

金がないのは事実だし、顔も洗っていないから薄汚いツラをしてはいるかも知れない。見下されたって仕方ない部分はある。
しかし、いくら何でもあの云い方はヒドくないか?
「マダム、ここで寝ることは禁止されていますので、ホテルへ行ってください」とかなんとか、普通はそうじゃないのか?ポリスでも、あんな怒鳴り方しないだろうよ…。

何なんだこの国?!入国する人間は、全員金持ちじゃないといけないのか?
札束で顔張り飛ばされたような気分だよ。 貧乏で悪かったな。そーだよ、金なんかねーよ。
でも、貧乏が恥ずかしいなんて、思わないよあたしは。金持ってたって、お前みたいな人間にはなりたくねーよ。 くっそー、エアロスミスじゃないけど、EAT THE RICH!って叫びたい気分だぜ!

…ここまで、どんな思いして来たか。
清水の舞台を飛び降りるような気持ちで、ここまでのチケットを買った、毎日毎晩、悩みぬいた末のことだ。
この選択が、吉と出るか凶と出るかも分からない。あのまま、インド旅行を続けるのが、選択としては妥当だったはずなんだ。
半ばムリして、やっとのことで来たアラビアの入り口で、ゴーホーム!と怒鳴られて…本当に、バカみたいだ…。

フライトインフォメーションをふと見ると、「KANSAI」の文字が飛び込んできました。
JALとEMIRATESの2便が、大阪に飛んでいるのか…。
急に切なくなりました。

この一件で、“ただでさえ物価の高いドバイ、さっさと抜けるに越したことはない”という思いは強固になり、くそっ、朝になったらイエメン大使館に直行してビザ取りだ、あわよくばそのまま夜行バスでオマーンに抜けてやる、誰がこんな国に長居してやるもんかい…とこぶしを固めました。

世界にただひとつ、7つ星のホテル「バージ・アル・アラブ」。宿泊客とレストランの予約客以外は入れない。なのでわたしも当然入れない。けっ。

…ところが。運命というのは、しばしば不思議な展開をするものです。

途方に暮れ、下半身を寝袋につっこんだままぼんやりと椅子に座っていたところ、中国人の若い兄ちゃんに「アーユーチャーニーズ?」と声をかけられました。
それがきっかけで、しばらくの間、旅のことやら日中関係について(笑)あれこれと話していたのですが、「ところで、これからどうするの?」と尋ねられたので、
「うーん…多分ユースホステルに行くと思うけど…ドバイは宿代が高いから、可能なら、今日中にイエメンのビザを取ってドバイは出ようかと思っているの」と話しました。
すると兄ちゃんは、しばし何かを考えたあと、意外なことを申し出ました。

兄ちゃん―デビッドの申し出はこうでした。
自分が今空港にいるのは、上海からの便でこちらに来る仕事関係の人たちを迎えるためである。自分は、これから数日、その人たちと行動をともにすることになっており、その間は彼らと同じホテルに泊まるので、今自分が住んでいるフラットが空く。もしよかったら、そこに泊まったらどうか――。

何と!そんなウマイ話があってよいのか?これはまさに、“棚からぼたもち”ではないか!
ドバイにて最も懸案だったのは、宿のことなのです。宿さえ何とかなれば、ドバイを数日見て回れる。
“求めよ、さらば与えられん”とはまさにこのことか。
見知らぬ人(しかも男)について行っていいのか!?…と警戒するココロが皆無だったわけではありません。しかし、自分と同じ顔した(笑)中国人だからか、何となく「大丈夫だ」と思ったんですよね。

かくして、わたしはデビッドの厚意に甘え、ドバイで何と5日も滞在することになったのです。
というのも、わたしが到着した日から3日間、ドバイはナショナルホリデーに入り、当然ながら大使館はお休み。それまでビザもお預けです。
もし、彼の申し出がなかったらわたしは、バカ高い宿代を、無意味に3日間も払い続けることになっていたワケで…ほんと、助かったとしか云いようがありません。

上海からの客人たちを迎えたあと、デビッドの車で、フラットまで送ってもらうことになりました。
窓の外を見ると、黄金色の大きな太陽が、煌煌と東の空に上っていました。
まるで、石油が燃えさかっているように見えて、
「アラビアの太陽だなあ…」
とよく分からない感想を口走っていました。アラビアに来た感慨が初めてわいてきて、そのギラギラした輝きが、新しい旅の始まりを祝福しているように思えました。

…しかし、いざ物価高いちじるしいドバイに来てみると、このアラビア行きは、祝福だの勝利だのでは決してなく、無謀そのものの暴挙だった…と、反省せざるをえないのでした。
実は、ドバイ到着後、日本の銀行に電話し、残高を聞いたところ、もはや1ミリも気を緩められないほどの額しか残っていないことが判明したのです(ちょっと大げさ)。
事件後、ATMで残高をチェックしたときは、「おお、予想外に残ってるなあ」と思い、それ故に今回のアラビア旅を決行したわけですが、それは恐ろしい勘違いでした。
どういうことかと云いますと、残高表示がてっきりルピー換算だと思っていたのが(普通そう思うよね?)、何と円換算で出てきていたらしいのです。ルピーと円は、大体2.5倍計算ですから、例えば100ルピーあったと思ったのが、実は40ルピーしかなかったということなのですよ…。

残高を知った瞬間、真剣に血の気が引き(苦笑)、今すぐにでもインドに戻りたくなったのですが、来てしまった以上仕方ありません。
賢い主婦のように何とかやりくりして、切り抜けるしかないでしょう…。

ドバイの象徴である、クリーク(運河)。アブラと呼ばれる船が対岸同士を運航している。

さて、UAEという国ですが、どこやねんそれ?という方も多いかと思いますので、付け焼刃の知識を駆使して、簡単にご説明しましょう。
正式名アラブ首長国連邦は、7つの首長国からなる国です。首都はアブダビですが、経済の中心はドバイ。UAEを知らなくても、ドバイは知っている人が多いのでは?競馬で有名ですよね。
主要産業は、石油。うん、いかにもアラブらしくてわかり易いぞ(笑)。
この国が金持ちになったのは、トーゼンながら石油のおかげですが、加えて、81年にドバイがフリーポートとなったため、外国企業がばんばん進出し、さらなる発展を遂げたのでした。

この国の人口分布は、20%がいわゆる地元民で、残り80%は外国人なのだそうな。確かに、歩いていると、かなり人種が入り乱れていることに気づきます。そして、地元のアラブ人は全員金持ちだということにも。下っ端労働は、外国人―特にインド人とかパキ人とかアフリカ人―が請け負っているのですね。
日本人も1500人いるらしく、この小さな国にしてはかなり多い数だと思います(でもみんな、大企業の駐在員=金持ってる人ばっかだろーな…)。

国際都市・ドバイの都会っぷりは、想像以上にすごいです。
世界には、大都会と呼ばれる都市がいくつもあり、わたしもいろいろと見てきたわけですが、ドバイは、今まで見たどれとも違う“大都会”なのでした。
これから行くイエメンは、“アラビアン・ナイトの世界”だと云われていますが、わたしには、このドバイもまた”現代のアラビアン・ナイト”であるように思えました。
だってほら、砂漠地帯に忽然と、超近代的な街があるなんて、何だか現実離れしているような気がしません?

ドバイをひとことで表現するならば、“すべてがピカピカ”。…って、小学生みたいな表現ですみませんが、本当にそうなんですよ〜(苦笑)。
発展の歴史が新しいので、建物は高層&現代建築ばかりだし―ウルトラモダンなデザインのものも少なくない―、道路も芸術的なまでに整備されているし、道端にゴミがほとんどない。アラブの国々というのは、たいていゴミに無頓着で、その辺にぽいぽい捨てて平気な顔しているのですが、ここは本当にアラブなのか?と疑いたくなるほど、クリーンなのです。
歴史地区すらピカピカと新しいのには、いったいどういうことなのかと問いただしたくなりますが(笑)。

ざっとこんなもんです、ドバイ。

クリーンなのは、見た目だけではなく、ドバイの雰囲気がまた、クリーンそのもの。
在留邦人の間では、“東京よりずっと安全な街”と云われているそうですが、それも深く納得です。あんまり危険な香りがしない。
たとえば、東京にしろ、ニューヨークにしろ、大都会には、必ず光と闇の部分がありますよね。
高層ビルが林立する一角もあれば、貧しい層の集まるガラの悪い地域もある。お洒落エリアがあれば、昔ながらの下町もある。
いろんな顔が、モザイクのように絡み合っているのが、大都会ってものではないかと、わたしは考えるのですが、ドバイはかなり、単一的な感じがします(人種は入り乱れているのに)。“闇”または“汚”の部分がない。
いや、アンタが知らないだけでしょ、と云われてしまえばそうなんですけど…少なくとも、わたし=旅行者の見える範囲にはなかったね。
強いて云うなら、問屋街であるデイラ地区は、インド人や中国人の商売人たちが闊歩していて、やや猥雑な雰囲気でした。また、クリーク(運河)を行き来しているアブラという船、その船着場などはひなびた感じで、何だかほっとしてしまう(笑)。

何か行動しようとすると、必ずお金がかかってしまうドバイですから(ビーチすら入場料取られるからなー)、いつものように、精力的に観光するワケにもいかず、何とかしてお金のかからない娯楽を…と、わたしがドバイで主にやっていたことは、ショッピングモールめぐりでした。
…って、それ、一番金かかんだろ!と云われそうですが、もちろん、何かを買うわけじゃなくて、ウインドウ・ショッピングです。

まずは、ドバイ最大といわれる、「デイラ・ショッピングセンター」へ行ってみました。休日のせいか、買い物客でたいそうにぎわっていました。
ここには、スターバックス、コスタコーヒー、マクドナルド、イケア、ウールワース、カルフール、ヴァージンメガストア…etcと、世界的チェーンが揃っており、お馴染みのロゴたちが軒を連ねています。カルフールなんて信じがたいほど巨大だし、もう、絵に描いたような、これぞショッピングモール(笑)。
この、いかにも欧米的なショッピングモールの中で、異彩を放っているのが、誰あろう、純UAE国民だったりします。
何たって、女性は頭からつま先までの黒装束(化粧はめちゃくちゃハデだけど)。男性も、頭に赤い布を巻いて輪っかつけて、白いアラビア服で、スタバのテーブルに座っているのよ(笑)。すごいミスマッチです。

本当ならわたしも、スタバで優雅にモカチーノでも飲みたいところですが、日本と変わらないお値段なので断念…ていうか、スタバに限らず、どの店にも、わたしに買えるものがないっつーの!
まあ、「カルフール」(スーパー)なら、お菓子くらいは買えるけどさ…。
「ZARA」(スペインのブランド)でかわいいパンツ(下着)を見つけたので、買おうか迷ったけれど、30DH=約900円…わたしにはもはや、パンツを新調することすら許されていないのでした。
ああー、値段表記が全部、インドルピーに変わったらいいのにな。そしたら、カイリー・ミノーグの新しいアルバム75DH(約2200円)が、75RS(約180円)で買えるのにな(笑)。それか、全部90%オフのセールになったらいいのに…って、メチャクチャ云ってますな。

ショッピングモールのベンチで休みながら、わたしは、うらめしそうに、大きなショッピングバッグを下げて歩く人たちを見ていました。
(金だ。金なんだ。金さえあれば、たいていのことはできるんだ…。)
日本に帰って働けば、わたしだって、同じことができるでしょう。キレイな服を着て、お化粧して、街を歩くなんてことは、日本じゃ特別なことでも何でもなかったのですから。でも、今のわたしには、それはとても遠いものです。今だって、特別汚い身なりをしているわけではないけれど、懐が寂しいので、つい思考が暗くなってしまいます。

とは云え、久々の文明のシャワーに、何となく癒されるのもまた事実だったりして。
こういう、やたら発展した街を、「おもしろくない」という旅行者は少なくないのですが(実際このあと、何人かのツーリストに云われたのだ)、わたしは大都会がけっこう好きなのです。田舎ものだから、ってのは置いておくとしても、ウルトラモダンな街もまた、それはそれで、旅する楽しさがあると思いますね。
いやほんと、ドバイの都会ぶりは天晴れ、中途半端さがなくて気持ちいいほどです。貧乏旅行者はあんまり憩えないけれど(笑)、住むのは快適そう。駐在員とか、いい暮らししてそう(笑)。

デイラショッピングセンター内部。

さて、話は変わって、目下のわたしの宿のこと。
デビッドに連れられて初めて此処に足を踏み入れたとき、「こんなとこだけど…大丈夫?」と聞かれ、一瞬コメントに困ってしまいました。
“フラット”と聞いて、てっきりイギリスにあるような、共同キッチン&リビング+各個人の部屋がいくつか、という構成を想像していたわたし。ところが、そこは6人部屋のドミトリーでした。ほかにもいくつか、同じ構成のドミトリーがあって…そう、ここは、ドバイで働く華僑たちのための、格安宿泊施設だったのです。つまりわたしは、デビッドの空きベッドを借りるという話だったわけ。

朝まだ早く、ドミの住人たちは全員眠っていました。
男性が4人、女性が2人。女性2人は、1つのベッドをシェアして寝ています。部屋には、ばかでかいスーツケースや、洗濯物や、生活を感じさせるものが目につきます。何というか、お世辞にも快適な宿泊場所には見えません。
とりあえず、デビッドもわたしも疲れているので就寝し、昼過ぎまで眠りこけました。
その後、トーゼンながら、大家さんらしきおばさんはじめ、ドミトリーにいた全員が(休日なので全員昼まで寝ていたのだ)わたしに気づき、いかにも胡散臭そうに見ているので、うへー気まずい…と、気が気ではありません。
まあ、そりゃ当然の反応です。いきなり、見知らぬ日本人女が転がり込んで来たのですから。
デビッドが事の成り行きを説明し、わたしは一応ここに迎え入れられることになったのですが、誰かが「君はいつも驚かせるようなことばかりするなあ」とデビッドに云ったのを聞いて、ごもっとも、と納得至極でした。

中国人、しかも男性の多いドミでうまくやっていけるのだろうかと心配していたものの、いざ暮らしてみれば意外と不自由でもなく、どこでも“住めば都”。
よくよく見れば、YHや日本人宿のドミトリーと同じようなもので、ただ、全員が、旅行者ではなくて働いてる中国人、というだけの話です(笑)。
そして、何よりもここは、立地が素晴らしいのです。デイラ地区のど真ん中だし、どこに行くにも便利そうだし、スーパーは同じ建物の中にあるし。

さらにうれしいのが、昼と夜の食事がついていて、つまりわたしはタダ飯食わせてもらえるってこと(笑)。
しかも、華僑だから、当然中華料理なワケですよ。物価の高いドバイでは、美味しいものにありつこうと思えば、どうしてもお金がかかってしまいますが、ここの食事があれば、外食の必要は皆無に等しい。

愛想はないけれど、やさしい人たち――ここの住人たちや、デビッドの友達と接していると、強くそう感じました。
中国人って、大方の人がそうじゃないかなあ。何せ表情は堅いし、物言いは早口でぶっきらぼうだしで(人のこと云えないけど…)、最初はほんと、何を考えているのか分からなくて、とっつきにくい。でも、いったん輪の中に入れば、とても親切にしてくれる。シャイな性質なんでしょうかね。
このドミでも、電話をかけようとしたら誰かが「オレの携帯使いな」と貸してくれたり、水やらガムやら細かいものを買ってくれたり、菓子を分けてくれたり、ドライブに連れて行ってくれたり、食事も数回おごってもらいましたっけ…。
なので、最初は「追い出されるかも」なんてヒヤヒヤしていたのですが、その心配も自然に消えてなくなりました。

わたしはあまり中国語ができないし、ドミの人たちも大半が英語を話せないので、それが本当に残念でしたね。
ドミの中でおそらく最も英語を話せる、同い年の海明くんとは一番よく話しました。
彼は医者であったにもかかわらず、「違う可能性を試してみたい」といって商売の道に飛び込んだ、なかなか勇気ある男です。ドバイでは、テキスタイルの会社で働いているそうですが、このあとは、エチオピアで知り合いの商売を手伝うかも知れない、と云っていました。エチオピアで商売か…わたしにはムリだな(苦笑)。

中国人、とりわけ華僑という人たちは、すごいというか、世界的に見ても特異な存在だなあと思います。
全世界にチャイナタウンがある、と云われるけれども、ほんと、商売になりそうなら、どこへでも行っちゃうんだもの、彼らは。それも、日本のように、大企業が海外進出してくるのとは違って、個人企業とか商店みたいなのが、どんどん来ちゃうんですものね。
しかも、大半の人たちは、英語も現地語もまるで話せないにもかかわらず、しっかり儲けて暮らしているのがすごい(笑)。パワーあるよねえ。
それ以上にすごいのが、それでもOKにしてしまう、華僑コミュニティの強さだな。中国人同士の結束の固さって、多分、日本人のそれよりもずっと強いような気がするんですよ。

デビッドや、海明くんや、同ドミのお兄ちゃんたちは、「時間があるなら、しばらくいていいんだよ」と云ってくれるのですが、いつまでも厚意に甘えるわけにはいきません。
それに、いくら宿代とご飯代がタダといったって、この町で動いていれば、余計な出費をしてしまうし、早くイエメンに行きたい気持ちもあって、ビザが下りた翌々日の早朝、オマーンに行くことにしました。

出発の朝も、時間が早いにもかかわらず、わざわざデビッドが車を出してくれ、「何か食べる物はあるか?買ってこようか?」などと最後まで気を遣ってもらって…本当に、何とお礼を云ったらいいのか分からず、ひたすら、サンキューと謝謝を繰り返すばかりでした。
まさか、こんな大都会で、こんなウルルンな目にあうなんて…空港で怒鳴られたときは、思いも寄らなかったよなあ(笑)。

思えば、ゴアで盗難に遭ってから、ゴアではスペイン人のデビッドに助けられ、ここドバイでもまたデビッドに(笑)助けられたわたしでした。助けられてばっかり…。
うーむ、次回はデビッド・ベッカムに助けてもらえるのではないか?としょーもないことを考えつつ、「人生はプラスマイナス、うまいことできてるのかもなあ」なんてしみじみと思ふのでした。

デイラ地区にあるゴールドスーク(市場)のショーウインドウ。まぶしすぎだって!

(2004年12月7日 ドバイ→マスカット)

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