旅先風信141「インド」


先風信 vol.141

 


 

**捨てる神あれば・・・**

 

その宿の部屋は、地獄のように暑かった。
後になってつくづく思い返すのは、そのことだ。
あの部屋が、もう少し涼しければよかったのに、と思う。無論、それは直接の原因ではない。でも、やっぱり、 あの部屋が異様に暑かったことを、どうしても考えずにはいられないのだ。

………

その夜、わたしは、宿の近くにある「PARADISO」というバーのパーティに行っていた。とは云っても、前の土曜日と違って、客の入りはそれほどでもなく、盛り上がっていなかった。1時間ほど、トランスのドコドコいう音をBGMに、ぼんやりとアラビア海を眺めたあと、宿に帰った。
ずいぶん疲れていたらしく、眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。12時を過ぎたところだったと思う。

ゴアは、昼夜の寒暖差が大きい。昼間は灼熱の太陽が照り付けるが、夜は肌寒いくらいの気温になる。
にもかかわらず、わたしの宿の部屋は、異様に暑い。昼間、閉め切って部屋を出ようものなら、帰ったとき、地獄の暑さになっている。ファンを回しても、一向に涼しくなることはなく、ただ、煮えきった空気をかき回すだけである。
上半身は下着だけで眠っていたが、何度も暑さで目が覚めた。そのたびに、ファンをつけて眠るのだが、今度は、ファンの音が気になってまた目が覚める。その繰り返しであった。

はっきりと目が覚めたのは、ファンとはまったく別の音のせいだった。
わたしは、ベッドで眠っていた。部屋の電気は消してあった。音の正体に気づいたとき、わたしは、久しく味わったことのない驚愕と戦慄、そして、奈落の底に突き落とされるような感覚を覚えた。

「やられた……!!!」

未だ半分眠っている身体を無理やり起こしたとき、2人の男が、まさにわたしのサブバッグをつかんで飛び出していくところだった。
恐ろしいパニックに襲われながら、Tシャツも着ないで、裸足で追いかけた。しかし、男の足は速く、マヌケなことにわたしは、石か何かにつまづいて転倒してしまった。
起き上がったときには、男たちの姿は、とっくに闇に消えていた。

わたしは、完全に正気を失った。
そのバッグには、貴重品袋と、パソコンバッグと―パソコン本体は机に出してあった―、写真データを焼いたCDすべてが入っていた。
他のものを失っても、それだけは失くしてはならないものばかりだった。
バッグは、ジャイサルメールで買ったラクダ皮のボストンバッグで、鍵のかかるチャックがついている。バックパックのカギが壊れてしまったので、大事なものはすべて、そっちのバッグに移してあったのだ……。

部屋に戻って、Tシャツを着、また飛び出した。
見つかるとは思えない。でも、部屋で打ちひしがれているよりはマシだ。わたしは、何の当てもなく走った。
一台のジープが停まっていた。ワケもわからず、その窓を叩いた。欧米人ツーリストが数人乗っていた。
「どうしたの?」
わたしは、ろれつの回らない舌で、泥棒が……お金が全部なくなった……全部なくなったの、と訴えた。
彼らは、とにかく警察に行こうと云って、わたしを車に乗せた。走り出して5分もしないうちに、見回りだか何だかの警官が2人見つかった。
明らかに頭のおかしくなっているわたしの代わりに、欧米人ツーリストたちが事情を説明してくれ、彼らの車で全員、現場に引き返した。

……鍵。
部屋の鍵はかけたはずだった。これまで、鍵をかけずに眠ったことなど、一度もないと云ったっていい。
ただ、自信がないのは、ちゃんと閉まっていたかどうかだ。
部屋の鍵は、引き金式である。もともと、さび付いていて閉まりが悪かった。一度、力を入れて引いたとき、指の皮を挟んで血が出たことがあった。
深くは閉めていなかったのかも知れない……でも、そんなに簡単にドアが開くような閉め方をしただろうか???
窓は開けていた。そうしないと、暑くて死んでしまうからだ。しかし、鉄格子が嵌っている。いや、何か道具を使えば、窓から鍵を開けることも可能かも知れない……。

部屋は荒れに荒れていた。
泥棒のせいではない。わたしがもともととっ散らかしていたのである(苦笑)。
思えばそれもよくなかった。ゴアには、いつもより少し長めに滞在するつもりだったので、荷物をぶちまけていたのだ。
「他に盗られたものは?」警官が訊いた。ない、とわたしは即答した。
宿の周辺―泥棒が逃げたと思われるあたりを、懐中電灯で照らしながら歩く。わたしも、足を引きずりながら、よろよろと警官についていく。

終わった。何もかも失ってしまった。
何だよ、旅の終わりって、こんなもんなのかよ。こんな風にして終わってしまうのかよ。……くだらねえな、ホント。まあ、くだらない人間には、ふさわしい終わり方か。
それにしても、何てあっけないんだ。2年半以上も続けてきた旅だっていうのに。

ともかく、どうしよう?
有り金全部とパスポートがなくなったのだから、帰国は間違いない。
でも、どうやって帰るんだ?パスポートもないのに?
再発行のために、デリーの大使館まで行かなきゃいけないのか。遠いな、デリー……ってか、デリーまで戻る金なんかねーよ。
パスポートか……。この旅の直前に、新しく取り直したやつだった。この旅のすべてのスタンプが、あそこにあるのだ。もったいないな。

それよりも、写真データだ。
やっぱり、どこかから、日本に送るべきだったんだ。届くかどうかが心配で、ずっと手元に置いてあったけれど、こんなことになるなんて……。
写真。今まで、必死で撮ってきた、すべての思い出。わたしにとっては、どんな宝にも換えられないものだ。
何だよ、バカみてえだな。もう少しで世界一周だってのに……。中途で終わって、今まで築いてきたものも失って。いったい何だったんだ、この2年と8ヶ月……こんな結末のために、ここまでやって来たのか。
何だよそれ。何だよそれ???

ああ。でも、とにかく、もう帰るしかないんだ。
父ちゃんに助けを求めて、送金してもらって、帰らないと。
やだな、洗いざらい話すの……多分、怒り狂うだろうな。
……そっか。もう帰るんだ。帰ったら、もうあのクソ重い荷物を背負って歩くこともない、荷物を盗られる心配もない・・・結構なことじゃないか、ええ?

誰かが小さく叫んだ。
全員が、声の方に向かった。足場の悪い道を、よろめきながらわたしも歩いていった。

バッグがあった。
貴重品袋、パソコンバッグ、CDケース。貴重品袋の中には、パスポート、キャッシュカード、クレジットカード、その他もろもろが残っていた。
が、現金と、トラベラーズチェック(T/C)は失くなっていた。

喜ぶべきなのだろう。多分。
わたしの資金源は、キャッシュカードだし、パスポートもあった。
写真データも帰ってきた。これはでかい。
首の皮一枚つながった……って云うのか、こういうの。不幸中の幸い、とも云うのか。まだ、何とか旅は続けられそうだ。何てこった。しぶといやつだよな、わたしって人間は……。

しかし、現金とT/Cの額は、膨大であった。
先日、アウランガバードで下ろしたばかりのインドルピーが13000RS、USドルキャッシュが120$、日本円が¥20000、そしてドルT/Cが600$……しめて、14万円くらいである。
14万円!!!日本でも、マクドナルドのバイトだったら、1ヶ月じゃ稼げない金だ。

それでも、T/Cは戻ってくる可能性はある。
面倒だが、やり方も分からないが、再発行手続きをすれば……。100%戻ってくるのかどうか自信はないけれど、やる価値は十二分にあるはずだ。
またしてもT/Cに救われた。中国のカシュガルで、一切のATMが使えなかったときも、T/Cがあったから乗り切れた。今回も、失った額の約半分がT/Cだったことで、損失はずいぶん抑えられるだろう。T/Cさまさまだな、まったく……。

再び部屋に戻り、現場検証――いや、そんなたいそうなものじゃない。
警官は、どうでもいいものを取り上げて、好奇心で「これは何だ?」などと聞いてくる。まあ、どの道検証したところで、部屋には何の手がかりもありはしない。バッグに残っているはずの指紋でも取ってくれるならいいけれど……。

欧米人ツーリストたちにお礼を云って分かれたのち、わたしは警官に連れられて、病院に行った。
転倒したときに地面にぶつけた右ひざが、ズキズキと痛み始め、まともに歩けなくなっていたのだ。痛い。ひざが曲がらない。ズボンのひざは、無惨な破け方をしていた。カトマンズで買った、お気に入りのやつだ。
車に乗り込むのに、警官の肩を借りねばならなかった。「金がないのに、病院なんか行けない」と云ったら、タダだという。よかった……。

病院で応急処置と、痛み止めの注射を打ってもらって、警察署に行った。
レポートを書くためだ。
警察署で、初めて時計を見た。5時30分だった。
ということは、あの事件は4時過ぎだったのか。何だってまた、そんな時間に―――。
もともと、狙われていたんだろうか。外出のとき、窓を開けて出ていたから、そこから部屋をのぞいて、事前調査していたのかも知れない。こいつならやれると思われたのかも知れない。
・・・ああ、もう疲れた。考えれば考えるほど、自分が情けなくなるだけだ。

警官が、レポート用紙を差し出す。日付とパスポート番号、事件のあらましを英文で書く―こんなもの。こんなものが一体、何の役に立つんだろう?
誰か、誰か、これは悪夢だと云ってくれ。ときどき、都合の悪い夢を見て、夢の中で冷や汗をかくことがある。でも、決まってちゃんと目が覚めて、「何だ、夢だったんだ……」とホッとするのである。今回も、そうじゃないのか?
……いや、分かってる。これは夢じゃない。あの、悪夢が覚める時の予感めいた感覚は、今は微塵もない。現実だ。悪夢なんかよりよっぽどひどい、現実なのだ。

レポートを書く手が止まる。
不意に、膨大な後悔と絶望が襲いかかって来る。
14万円だ、14万円……。T/Cの分を差し引いても7万円だ。
このあと――本当ならば、明日――、ボンベイに引き返して、ドバイ行きのチケットを探すつもりだった。迷った末、やはりアラビアに、イエメンに行こうと決めたのだった。たった数時間前、「PARADISO」で月に照り返るアラビア海を見ながら、この向こうにアラビアがあるんだ、と思いを馳せていた。
……それが。この忌まわしくもバカげた事件である。
失った7万円は、アラビア旅の貴重な資金だった。7万円、7万円……。

堰を切ったように、涙があふれてきた。
これまでのところ、パニックはしつつも、どこか冷静な気持ちも残っていたが、一気に消し飛んだ。
あんなつまらない泥棒に、これまで血と汗のにじむ思いで節約してきた金を盗られてしまった。デラックスバスではなくローカルバスに乗り、200RSのこぎれいなシングルはやめて60RSのドミトリーを選び、食事は菓子で済ませることもあった。
今の宿にしたって、あと100RS出せば、もっと安全で快適な―少なくとも、サウナのように暑くはない部屋に泊まれたのだ。
アラビアに行くために、せこせこと切り詰めていたのだ。
泥棒どもは、今ごろ嬌声でも上げて、これほどカンタン、ラクチンに大金が入ったことを喜んでいるだろう。それこそ、勝利の美酒に酔いしれているのだろう。
7万円。普通のインド人なら、数年遊んで暮らせる額なのではないか。
結構なことだ。君たちは、一夜にして金持ちになったんだ。よかったな、ホントに……。
あんな奴らに、わたしの金が使われるのか。物乞いにもほとんど上げてこなかったっていうのに……。

わたしは本物のバカだ。いっぺん死ななきゃ治らないだろう。
悔しい。悔しい。悔しい。
すべてをリセットしたい。旅も、できることなら、人生そのものも……。

わたしは、警官の前で、嗚咽しながら、呪文のようにつぶやいた。
「おっさん、あたしもう金がないんだよ……金がないってのはつまり、死ぬしかないってことだよ……海に連れて行ってくれよ……そしたら、飛び込んで人生終わらせるよ……もう何もかも終わりにしたい……」
通帳に金は残っている。クレジットカードもある。旅はまだ続けられるだろう。
分かっているけれど、気分的には、すべて失われたに等しかった。何よりも失われたものは、この先もまた、何ごともなかったように旅を続けられるだけのモチベーションだった。
「神が助けてくれる。神を信じろ」とポリスのおっさんは云った。
今さら神なんて、どうやって信じろっていうんだ。神が存在するなら、わたしをこんな目に遭わせたのも、同じ神だろうがよ。

気がつくと、空が白んでいた。
レポートを書き終えたのち、わたしはずっと、警察署の固いベンチ(しかも外の)に座らされていた。
「待て」とポリスは云う。何を?と思いながら、しかし、成すすべもないので大人しく座っている。
若い警官が声をかけてくる。何があったんだ?泥棒に有り金全部盗られたんだよ。1ルピーも残ってないよ。日本に帰ることもできないよ。大使館が助けてくれるだろう。大使館が?ムリだね。日本に帰るための金は貸してくれるかも知れないけど。レポート書いて終わりだよ多分。そのためにデリーに戻るなんて、まっぴらだね。

話しているうちにまた、惨めな気持ちになって、涙が出て来る。
「もうダメだ……わたしはどうしたらいいんだ……」
こんなとき、誰か、少しでも頼れる友達が傍にいれば……。ジンバブエで強盗に遭ったときの方が、ショックも、身体の傷もでかかったけれど、あのとき助かったのは、同じ宿に泊まっていた人たちが、励まし、話し相手になってくれたことだった。
今は誰もいない。この悔しさを分かってくれる人がいない。誰もこの事件を知らない。一人で処理しないといけない。
――でも、それは当たり前か。一人旅なんだから。リスクを承知で、一人を選んでいるんだから。甘えたこと云ってんじゃねえよな。お前が悪いんだよ。いや、悪いのは泥棒に決まってるけど、責任はわたしにある。

不注意だったのだ。結局は。鍵を深く閉めなかったこと、貴重品袋を腹に巻いて寝なかったこと、外出時に窓を開けていたこと……。
そう云えば、宿のおばはんが、やたら口酸っぱく云ってたっけ。「貴重品の管理には十分気をつけて。この辺は泥棒が多いからね。もしわたしを信用できるなら、お金はわたしに預けてちょうだい。」
しかし、わたしは特に気に留めなかった。おばはんを信用できないわけでもなかったが、お金を預けるのは躊躇していた。何よりも、自分で守れると過信していた。だって、今までだって、そうやってきたんだから……。この2年と8ヶ月、貴重品だけは、どんな場面でもずっと守り通してきたんだから……。

ゴアに来て、確かに気が緩んでいた。
貴重品は、いつも腹に巻いて寝ていたのに、部屋があまりにも暑くて、ここでは外していた。
少し、ほんの少し注意力を上げていれば、防げたはずだった。
ボタンの掛け違えのように、ささいな不注意が積み重なって、こんな大事になってしまったのだ。改めて、自分の愚かさを激しく呪った。

無論、泥棒に対しても。もし、カルマとか因果応報ってものがあるのなら、奴らには今すぐ死んでほしいくらいだ。逃走中、交通事故で死んだとしても、わたしは1ミリも悲しまない。1年後でも、10年後でもいい、奴らか、奴らの大事にしている人間に、何かしら天罰が下ることを、切に祈る。そのときに、自分たちのやったことを、思い知るがいいのだ。わたしは、自分の敵を許し、愛せるほど、できた人間ではない。自分を苦しめた人間には、同等かそれ以上の苦しみを味わってもらわなければ、気がすまない。
ジンバブエの強盗には、何か罰が下っているだろうか……。

7時になった。8時になった。9時になった。
その間、わたしはベンチに座って、何かを待っていた。待たされていた。
警察が何をしてくれるのかは分からない。でも、藁をもつかむ気持ちで、次の展開を待っていた。「もう帰ってよし」と云われるまで、わたしはこの場を動くべきではない。今頼れるのは、彼らしかいないのだ。

9時30分になって、ようやく宿に連れて行かれた。オーナー(おばはん)に会って話をするという。
わたしは、おばはんがこの事件を知ったら、「だからわたしが、あれほど気をつけるように云ったのに・・・」と云うであろうことがありありと想像でき、うんざりした。
おばはんとポリスはヒンディ語で話しているのでよく分からないが、ポリスがおばはんを叱責しているような雰囲気だった。
また軽い現場検証が行われた。すると、ポリスの一人が、丸められた領収証のような紙を手にしてわたしのところにやって来た。
「これは君のか?」
丸められたその小さな紙から出てきたのは、600$のT/Cだった。
サインを見る。間違いなくわたしのものである。包んだ紙に見覚えはなかった。犯人のものか、犯人がその辺で拾ったものか……。

卑屈な笑いがこみ上げてきた。
何とまあ、ご丁寧にもT/Cまで見つかったとはね。つくづく悪運の強い女だよ。神も驚いていることだろう。
「親切な泥棒だね!」と、わたしは吐き捨てるように云った。
何という巧妙なやつらだろう。パスポート、T/C、クレジットカード、データCD……要するに、彼らにとって役に立たないものは、すべて置いていってくれたわけだ。それとも、温情のつもりなのか?

とは云え、彼らが現金という現金を根こそぎ持っていくつもりだった(そして、実際そうした)のは、パソコンバッグの中がぐちゃぐちゃに荒らされていたことから推察された。パソコンバッグの中身を整理しながら、何だか寒気がした。陵辱されたような気分だった。

再び、署に戻った(って、刑事かわたしは)。
ポリスレポートをもらうためである。すぐにくれるものかと思っていたが(ジンバブエのときはそうだった)、一向にくれる気配がない。
わたしはまた、ベンチに座らされていた。一体、この固いベンチに、何時間座っていたことだろう、そして、あと何時間座らされるのだろう?まるで、わたしが何か悪いことでもしたみたいじゃないか?
10時30分を過ぎ、わたしの我慢は限界に達した。身体も精神も疲労困憊していた。
「一体わたしは、ここで何を待っているんです?何故レポートをもらえないのですか?」
ポリスの答えは常に、「5分待て」である。そう云われ続けて、すでに何時間になるだろうか。また涙が出て来た。喘息のように喘ぎながら、「レポートを下さい。わたしはもうずっとここに座っているんです。わたしは何をしているのですか?宿に帰れないのですか?」と訴えた。云いながら、オンオン泣いた。自分でも抑えられなかった。金を失ったショックがまたよみがえってきた。

もういやだ……もういやだ……。

一人のポリスが、そんなわたしにイライラしたらしく、「お前な。オレらは、お前のバッグと、T/Cまで見つけてやったんだ!ほかにまだ、何が望みなんだ?!え?!もう充分だろうが!」と怒鳴った。
……何という言い草。確かにそれは事実だが、そんな云い方ってあるだろうか?充分だって?不幸中の幸いじゃんって?お前はラッキーだって?
わたしは、“不幸中の幸い”を、甘んじて受け、感謝しなければいけないのか。命があってよかった、パスポートがあってよかった、写真があってよかった……他の人はもっとヒドイ目に遭っているじゃないか……。

わたしは、こういう考え方に納得できない。
自分を、他の不幸なケースと引き比べて「それよりは、まだマシだ。わたしは幸せだ」という風に考えるのが、好きじゃない。浅ましいとさえ思う。
わがままかも知れない、ぜいたくかも知れない、それでも、今、わたしは決して幸せな気持ちにはなれないんだ。金を盗られた。その事実は、ほかのどんな不幸な事件に引き比べたところで、なくなるわけじゃない。
それに、本当にラッキーなら、泥棒になんて、入られるワケないじゃんか。
まだマシ。でも、決して幸運じゃない。

結局、ポリスレポートは明日か、今晩、わたしの宿に届けられるという話になった。
宿まではジープで送ってやるが、今そのジープが出払っているのでしばし待て、?ジープがいつ帰ってくるのかって?それは知らん。
……まともに歩けない今、ジープに送ってもらうのが得策であることは分かっている。多分、宿と警察署は、3、4キロは離れている。この足で、そんな距離歩けるわけない。
でも、ここで、置物のように黙って座っているのは耐えられない。
わたしは、泣きはらしながら、足を引きずって警察署を出た。誰も引き止めもしないし、誰も助けようともしなかった。やっと厄介なのがいなくなったと、むしろせいせいしていることだろう……。

足は、自分の身体の一部と思えないほどに、重かった。
この調子で歩いたら、宿まで何時間かかるか、分かったものではなかった。
誰か、親切な人に拾ってもらえないかな……と甘えたことを考えながら、照りつける太陽の下で、カメのようなスピードで歩いた。
数台の車、リキシャ、バイクがすれ違った。インド人とツーリスト。わたしが足を引きずっているのを、誰も気に留める様子はなかった。
あ、そうか、インドで足引きずってるやつなんて、いくらでもいるもんな……引きずるどころか、足のないやつだっていっぱいいるんだし、こんなの、気の毒でも何でもないのか……。
泥棒も当たり前、かたわも当たり前、死ぬことすら、特別なことではない……そういう国なんだろうな、ここは。その混沌に惹かれて、旅人はこの国に何度もやって来るのだろう。わたしも多分、その一人だ。

日本だったら、どうだろう?
こういう場合、誰か助けてくれるだろうか?助けてくれるような気がする。
ああ、でも東京のど真ん中だったら、そうはいかないか……。

……そのとき、1台のバイクが、わたしの側で止まった。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
男性。欧米人。明らかにツーリストだった。
わたしは、未だ混乱している頭で、ことの成り行きを説明しようとしたが、舌がうまく回らなかった。また涙があふれてきた。

(続く)

(2004年11月23日 ゴア)

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