旅先風信14「イギリス」


先風信 vol.14

 


 

**この世のものならぬダンジェネス**

 

冥界から帰ってきました。…なんちって。
前々々回もったいぶって明かさなかった、マイナーな場所に無事行くことができましたのでその様子をご報告します。

イギリス南東部・ケント州ダンジェネス。
ロンプラにもミシュランガイドにも(もちろん『歩き方』にも)載っていない、ホストファミリーにも「何でそんなところに行きたいの?」と不思議がられたその場所に一体何があるのかと云いますと(引っ張るなっての)「プロスペクトコテージ」、イギリスのゲイの映画監督、デレク・ジャーマンが、エイズで亡くなるまで住んでいたコテージが今も残っているのです。

デレク・ジャーマンがどんな映画を撮っているのかを一言で説明すると、ワケの分からない前衛映画です。
『エドワードU』というクリストファー・マーロウの史劇を元にした映画以外、わたしはほぼ理解できませんでした。有名な『BLUE』はまだ観ていないので何とも云えませんけど…。
でもまあ、そもそも筋が大切な映画でもない気もするので、映像に感覚をゆだねるような、そんな感じで観ています。意味は分からないけれど、映像はとても美しくスタイリッシュです。

そんな難解なジャーマン映画のひとつ『ザ・ガーデン』の舞台になっているのが、このダンジェネス。
聖書をモチーフにしたというこの作品は、例によってほとんど意味が分かりませんでしたが、とにかく何とも云えない不思議な映像に惹かれて何度もビデオを観返しました。
このガーデン=庭というのが、ジャーマンの住んでいたプロスペクト・コテージの庭のことで、この実在する庭の写真集『デレク・ジャーマンズ・ガーデン』はイギリスのガーデニングブックのロングセラーになっているとか。
映画もさることながら、これが実に素晴らしい本で、エイズで亡くなる前のジャーマンの心象風景とダンジェネスの風景が見事に折り重なり、単なるガーデニングブックとは一線も二線も画しているのです。

と云うわけでジャーマンファン以外には何にも面白くないダンジェネスですが、イギリスのYahoo!u.k.で調べるとちゃんと引っかかって来ましたねえ。これだからインターネットはすごい。
ダンジェネスの観光ページ(!)やらダンジェネスに至る鉄道のホームページに行き当たり、時刻表までゲットできてしまいました。

ロンドンからハイスという街までバスで2時間と少し。
ハイスは本当に小さな田舎街。メインストリートも10分くらいで歩けてしまいます。

そしてハイスからダンジェネスまではRH&DR鉄道という路線が走っているのですが、何とこの列車がミニ蒸気機関車。
おそらく鉄道好きの人には有名な機関車なのでしょう。ダンジェネスに観光に来るヤツなんているのか?と思っていましたが、どうもこの鉄道目当てで来ている観光客がちらほらと…。
こんな面白いものに乗れるとは思っていなかったわたしには、予想外のラッキーでした。

NESS2.JPG - 150,523BYTES わたしの身長と比べてみてこの大きさですから…。

このトロッコ列車のような機関車から見える風景が、ちょっとすごいのです。
あまりの美しさに涙が出そうになりました。昔、やはりイギリスに来た折に行ったケンブリッジ郊外のグランチェスターというとんでもなく美しい場所があるのですが、そこをも凌ぐほどの光景。
コッツウォルズが、湖水地方が何だと云うのでしょう(行ったことないけど)。イギリスにはまだまだ知られていないこんな美しいところがあるのです。
アップルグリーンの芝の大地、牧草を食む羊の群れ、突如現れる広大な菜の花畑、ささやかな小川…
何という如何にもイギリスな風景なのでしょう。これぞイギリス、This is the イギリスです(断言)。嗚呼、くらくら…。

NESS14.JPG - 140,087BYTES 列車からでも手に届きそうなほど近い菜の花畑。

また途中の駅が何とも可愛らしい。
さすがにこのミニ列車の停車する駅だけのことはあって、本当にささやかな駅なのです。看板建ってなかったら分からないくらい。
ダンジェネスに近づくにつれ、それまでの如何にもイギリスの田舎といった風景が少しずつ変化していきます。
緑が少なくなり、どことなく乾いた雰囲気になってきます。

そしてミニ機関車に乗ること1時間10分。
ついにダンジェネスに到着です。おおお、これまた何にもない小さな小さな駅…。
線路のすぐ脇には、映画で、そして写真で見た石ころの不毛の大地が広がっています。
これがジャーマンの愛した地、ダンジェネス。
そしてわたしが、死ぬまでに一度見たいと思っていた風景…。
人間、本気で行きたいと思ったところには必ず辿り着けるものなのかも知れません。

プロスペクトコテージは駅から歩いて15分(競歩で10分)くらいのところにあります。
少なくともダンジェネスでは観光名所のひとつになっているはずなのですが、気がつくと一緒に列車を降りた人はどこか別の場所(ってどこ???)へ行ってしまったようで、コテージに向かっているのはわたし1人…。
メイン通り(と云うかこれしか道路がない)の脇に、ほかのコテージと同じように並んでいて、特別な看板などは出ていません。
今も個人の所有物なので(恋人のHBが住んでいるのかしら?)、家の中を見たりすることはできませんが、お庭くらいなら近くまで行って見ることができます。
ただこの日は工事中で、大工さんがずっと屋根の上にいたので、何となく家の周りをウロウロするのもはばかられ、あまりじっくり見られませんでした(でもちゃっかり写真は撮ってもらった)。
映像や写真集のような妖しい雰囲気はそれほどなく、もっと素朴に、普通に建っていて、周りの風景ともすっかり同化していました。

NESS23.JPG 夢にまで見たプロスペクトコテージ。黒壁に黄色い縁飾りが目印。 

ジャーマンのお家以外にもいろんなコテージがあるのですが、なかなか味わい深いものもたくさんあります。
全部ちゃんと名前がついているんですよ。「ネス・コテージ」「サンビレッジ」「ホワイト・コテージ」などなど。
「プロスペクト・コテージ」の2軒手前のお家は、どうやらアーティストの住まいらしく、庭に色々な、ガラクタまがいの作品が並べられていて面白かったです。

さて、プロスペクトコテージを見てわたしの目的はあっと云う間に果たされたわけですが、ここはそれだけで帰るにはあまりにももったいない場所でした。
時間も余ったのでとりあえずぷらぷらと散歩をすることにしたのですが・・・これが危険でした。

と云うのも、見るもの見る風景すべてがフォトジェニックで、フィルムが何枚あっても足りない!
本当に、どこにカメラを向けても素晴らしい写真が撮れてしまうので、カメラマンでもないのに写真集が出したいと思ったほどです(バカだ)。
とある英語のホームページにも「まるでアナザーワールドに来たかのよう」と書いてありましたが、まさにここはアナザーワールド。
石ころの大地、それを縫うように生える野性の植物、古い灯台、点在するコテージ、そして海岸線沿いに要塞のように建つ原子力発電所。
あちこちに「NO ACCESS」やら「DANGER」といった看板が立ち、その向こうには使われなくなった船やクレーンが朽ちている…。
何という逆説的な美しさ。まるで生と死がぶつかり合い、交錯しているかのような、或いは生と死の隙間に存在するような。
ジャーマンの感性にこれほど見合った場所が他にあるでしょうか

ダンジェネスは海沿いの町でもあり、海の向こうはフランス、ヨーロッパ大陸です。
水はそんなにきれいではなさそうなのですが、海面がこれでもかというくらいキラキラと日に照り返して、実に美しく、そしてどこか妖しい光景でした。
わたしのほかは、遠くの方に見える地元の釣り人くらいしかいません。
映画『バタフライ・キス』の舞台ともなった、寂しくも清冽なイギリスの海岸線。

NESS53.JPG 本当に誰もいない海。

最後にもう一度、プロスペクトコテージを見に行きました。
ダンジェネスの風景をひと回り見たあとでは、プロスペクトコテージもまた違った風に見えました。
わたしがまたうろうろしていると、1台の青い車がコテージの前に止まり、中からスキンヘッドにグラサンのお兄さんが1人出てきました。
その人は、コテージの周りをしばらく感慨深そうに回ったあと、風のように車に乗って去って行きました。
彼はジャーマンファン、そしてゲイに違いありません(しかしわたしもこのテの妄想ばっかだなー)。

最終の列車までここにいたかったのですが、イギリスの列車は意外といい加減なので、大事をとって1本前の便で戻りました。

嗚呼、ここの素晴らしさをわたしのつたない筆で表すことなんて到底出来ません。
興味のない人にはただのさびれた田舎町としか写らないかも知れませんね。
ただここは、イギリスの、心和む典型的な田園風景とは違ったもうひとつの顔を見られることだけは保証できます。
興味のある方は写真館もご覧になってみて下さい。
さらに、ジャーマンの『ザ・ガーデン』と『デレク・ジャーマンズ・ガーデン』(日本語で読めます)を読めばカンペキ、あなたも立派なダンジェネス・マスターになれます。 

(2002年5月15日 ロンドン)

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