旅先風信137「インド」


先風信 vol.137

 


 

**砂漠の思ゐ出**

 

アグラからは、ジャイプルを経由して、砂漠の町ジャイサルメールに向かいました。
ジャイプルのお話は次回にして、今回はジャイサルメールでの出来事を書きます。

“砂漠”と聞くと、パブロフの犬のごとく腰を浮かせてしまうわたしは、インド西部の砂漠地方・ラジャスタンに、かなり心を惹かれていました。
中でもジャイサルメールは、パキスタンとの国境から約100キロに位置し、この町の先はタール砂漠と呼ばれる砂漠が横たわるのみ。 つまり、ジャイサルメールは、ラジャスタンの“果て”の町。ああ、いいですねえ、この“果て”という響き。“砂漠”で“果て”と聞けばこれはもう、旅心を否が応にも掻き立てられずにおれませぬ。
ついでながら、この”ラジャスタン”という名前も、何だかカッコいい。いかにも砂漠っぽい、乾いた響きがしませんか?

ジャイプルからジャイサルメールまでは、列車で約16時間の旅です。車中は暖かいので、寝て寝て寝腐っていました。
駅に降り立つと、砂漠特有の強烈な太陽光線が、ビシーッと身体を照りつけました。
駅前には、ホテルの送迎車がずらりと並んでおり、はげたかの如く旅行者どもを引っ張って行きます。
普段なら、こういうのはさっさと無視して歩き出すところですが、ここは大人しくカモになることにしました。何故なら、町までは歩くとかなり遠いし、ホテルの車ならタダになるからです。
たかだが1泊50ルピーくらいの安宿が、何でわざわざフリーサービスの車を出しているの?と思いますが、もちろん裏があって、彼らはみんな、キャメルツアーのエージェントを兼ねているのです。
だから、はした金の宿代なんかより、キャメルツアー代を見込んでのサービスってわけですね。

ジャイサルメールは、都会のジャイプルから来ると、実にこじんまりとした、いかにも辺境の町といった感じがします。
町の中心となっているのは、オールドフォートと呼ばれる巨大な城砦。この城砦の中には、人家が密に建ち並び、細い道が毛細血管のように入り組んでいます。途中の広場まではぎりぎりオートリキシャも入れますが、あとは人がすれ違えるくらいの路地ばかり。
土壁で造られた家々には、レースのように繊細な装飾が施され、これが実に、神業級の美しさ。今ではもう、この装飾を出来る職人はいないそうな。

オールドフォート。

「ああ、歩いているだけで幸せー…」
わたしは、ウキウキしながらこの箱庭のような町を嘗め回すように歩きました。
車が通れない、細くてややこしい路地をあてどなくふらつくのが、この上なく大好きなのです。それも、古い建物の残る町ならばなおのこと。
路地の美しい町はいいですね。モロッコのフェズとか、ザンジバルのストーンタウンとか、ラサの一部地域とか、イランのヤズド、カトマンズ、バラナシなんかもそうでしたっけ。路地裏を無目的にさまよっていると、無上の喜びを感じます。人生の裏街道を歩いてきたせいでしょうか…というのは真っ赤なウソですが、これぞ旅の醍醐味!と思います。

しかし、ジャイサルメールは見るものすべてがフォトジェニックだわね…。ほんと、どこを撮っても絵になりすぎて(わたしの基準だけど)、また気が狂ったように写真を…あああ、パソコンがパンクしちまうぜ…。
オールド・フォートから見る夕暮れの町と、その向こうの開発されていない砂の大地。そして、やはり夕暮れ時、外から見るオールド・フォートは、上品にライトアップされ、紫色の空にぼおっと浮かび上がって、まるで砂漠の宝石のような美しさです。

ジャイサルメールの夕景。

とこのように、町歩きだけで充分楽しいジャイサルメールですが、ここまで来たからには、ジャイサルメール名物・キャメルツアーに参加しなければなりません(いいカモだな、オレ)。
ラクダに乗るのは、モロッコとチュニジア以来で、かなり久々です。
聞けば、1泊2日で10ドル少々と、モロッコあたりで払った金額からすれば、破格の安さ。まあ、値段を鑑みると、サハラやナミブのような壮大さは望めないでしょうが…。
ジャイサルメールといえばラクダ、ラクダといえばジャイサルメールには、まさに腐るほど斡旋業者がいます。町の規模は小さいのですが、人口の3分の1はラクダツアー稼業をやっているのではないかと思うくらいです。

早速、泊まっていたホテル「サムラット」でツアーの相談をすると、相場よりもはるかに高い値段。何でこんな高いわけ?と訊くと「ウチのツアーでは、他のツアーでは行かない村やサンセットポイントに行くからな」とのこと。うむむ、いかにもな、ありがちな説明じゃのう…。
他の会社もいくつか周った方がいいなと思い、ちょっと考えさせてもらえる?と云って立ち去ろうとしたら、「決めるんだったら今日中に決めてくれ。もし明日行かないんなら、どの道ホテルは出てもらう。インド人の団体客の予約が入ってるからな」 ……。
何だそりゃ!?最初にそれを云えよ!!ていうか、今からホテル探さなきゃいけないじゃん!!!くっそー、ほんまに腹立つわー…。

この分だと、今日中にツアーに申し込んで明日には出発した方がいいな…。
とりあえず、値段がサムラットより安くて(相場に近くて)、砂漠で1泊できて、サンセットが見られて、ラクダに乗れればそれでよし、とカンタンに条件を決めました。
たまたま客引きされたオールドフォート内のとあるエージェンシーで話を聞き、あと2軒くらい回ったあと、最初の会社が条件に見合っている気がしたので、そこに申し込むことにしました。時間もないので、あんまり深く考えずに。

翌朝7時、サムラットからオールドフォート内のエージェンシーへ向かいました。
と書くと何でもないことのようですが、この距離はけっこうなもので、しかも荷物背負って歩いているので、朝からすでに50パーセントくらいの体力を失いました。
このツアーに参加するのは、わたしと、イスラエリー夫婦オシとミシェル。
オシは、スポーツ刈りの温厚そうな30歳。ミシェルは同い年だけど、何となく気だるいオトナの女な雰囲気を醸し出しています。ともかく、2人とも大人しそうな人たちです。
「あれ、あなただけ?確か他にもメンバーがいるって聞いてたんだけど…」
そう云えばそうだったかも…。でも、どうやら3人しかいないようです。

ああっ、それにしても久々のさっ・ばっ・くっ!胸がトキメクなあ〜。ラクダはラクだ〜
…って、ほんとはそんなにラクじゃないです。ただ、ラクダツアーの関係者が必ず日本人に云うギャグを云ってみたかったまでのことです。長時間乗っていると、股ずれするし、絶えず振動があるので、けっこう疲れるんですよね…。
でも、砂・岩・乾いた木と草、たったそれだけで構成された世界を、ラクダの背に揺られて行くのは何とも気持ちのいいものです。何だか理由もなくニコニコしてしまう。強い太陽光線すら、身体が喜んで吸収していくみたいです(…って、あとでどーなっても知らんぞ〜;)。

しばらくは、砂漠というよりも、荒野という感じの乾いた大地を進んでいきます。
そして、夕方近く、サンセットを狙って砂丘エリアに到着。
サハラやナミブなら、この砂丘の10倍くらいのでかい砂丘が、どこまでも果てしなく続くのですが、ここは残念ながら、砂丘のある場所は限られています。砂丘って、そう簡単にできるもんじゃあないのね…。
それでも、砂丘の向こうに沈む夕日は美しく、砂の上に広がる風紋は見事なものでした。その模様を崩すように、クワガタみたいな虫が、ちょこちょこと足跡を残して走っていくのも可愛い。

ま、実際はごく一部なんですが(笑)。

夜は、ここで1泊です。
え?ここで?そう、砂の上で。
これまでの砂漠ツアーはすべてテント泊でしたが、今回はテントなんか用意されちゃいません
砂丘を防風壁にして、その下でマットを引いて、寝袋と布団で眠るのです。何てワイルドなのでしょう。
ワイルドと云えば、ガイドさんと助手は、砂に穴を掘って、そこでチャパティを焼いていましたね。食器も何と、砂で洗っちゃうのです。砂を手ですくって、食器の汚れた部分を砂でこすると、意外とキレイになるんですよ。びっくり。生活の知恵ですねえ。日本でも使ってみよう(?)。

ツーリスト3人+ガイド+助手の5人なので、それほど大きな盛り上がりはないものの、ガイドさんがポリバケツを太鼓代わりにして叩きながら、ラジャスタンの民謡を聞かせてくれました。
その渋い歌声と太鼓のリズムは、砂に水が染み渡るように心に響いてきて、何だか胸が切なくなりました。わたしと、2人のイスラエル人と、2人のインド人とが、たまたま集い、この砂漠の夜を共有していることに、えも云えぬ旅愁を覚えたのです。

…ところがだ。
この後、3砂丘くらい向こうに陣取っていた別のツーリストグループが、ジープのカーステレオから、低音をガンガンきかせた音楽を、大ボリュームで流していやがりました。ここからはかなり離れているのに、実にようく聞こえます。狂ったような嬌声とともに…。
わたしは、メラメラと怒りが込み上げてきました。
こういう日常と隔絶した世界に、うるせー音楽とかわめき声とか、俗世まみれのものを持ち込まないでくれ!この完璧な静けさを、そんなもんで破壊しないでくれ!
そりゃ、開放感のある場所で騒ぎたい気持ちは分からないでもないけどさ、ここはお前らだけのもんじゃないんだろーが!まあ、わたしのもんでもないから、文句は云えないのかも知れんが…。

このバカ騒ぎはかなり遅くまで続き、わたしのイライラは爆発寸前まで煮えたぎっていました。砂丘を超えて怒鳴り込みに行ってやろーかとすら思いましたが、この暗い砂漠でそんなことしたら、命を落としかねないのでやめました。あああっ、腹立つーーー!
でも、大人数で来たがっていたオシとミシェルは、さぞうらやましい気持ちで聞いていることだろうな…。サンセットのときも、同じエージェンシーから日帰りで来ていたカップルに、「本当は、あなたたちも一緒だと思っていたのよ。わたしたち、団体を希望していたのに、たった3人なのよ」なんて話していたし…。わたしみたいなショボい日本人1人しかいなくて、つまんねーなとか思っているのかな…へっ、すみませんね。ああ、何かユーウツ。

砂漠の夜はさすがに肌寒く、何度か尿意を催して目が覚めました。
砂漠にはトイレなんかないので、もちろん野トイレ、つーか砂トイレです。
真っ暗な静寂の中、じょぼじょぼ〜と尿が砂の中にしみこんでいく音だけが聞こえて、何とも云えぬ不思議な気分になりました。

翌朝、目が覚めると、物凄い…としか云いようのない朝焼けが、砂丘の向こうの東の空を満たしていました。
規則正しい文様のように連なる雲、赤と青とその中間色のグラデーションで染まった空が、まるで電気を帯びているかのような挑発的な色合をしています。
(何だ…何だこれ…)
今というこの空間と時間すべてに、魔法がかかっているのではないか…そう思うくらいに、この朝焼けの美しさは特異でした。今まで旅してきて、こんなにも凄絶な朝焼けは見たことがありません(単に忘れただけという可能性もあるけど)。

恐ろしいほど美しい朝焼け。

言葉を失って、ただひたすら空だけを見ていました。
昨日の夕焼けも美しかったけれど、あれは云うなれば、平凡な美しさに留まっていました。
でも、この空はいったい何でしょうか?本当に同じ空なのでしょうか?

やがて赤いガラス玉のような太陽が、砂丘の向こうから顔を出し、空はだんだんと白んできました。魔法の時間はいつの間にか終わっていました。
われわれは、すべてが白日の下にさらされた砂の上で、チャパティとチャイの朝食を取りました。

その後も、一行はラクダに揺られて荒野を進みます。
時折、赤やピンク、オレンジなどの鮮やかな色のサリーをまとった女性たちが、頭に水がめを載せて歩いているのが見えます。ベージュしか色のない荒野に、美しい花が咲いたようです。子供たちが、女たちのあとを追ってぱたぱた走っていく様子が何とも可愛らしい。
砂地の中に突如現れる大きな池。その周りで、100匹近い羊の群れが休んでいます。砂漠にしては大きな木の陰で羊とともに休む、羊飼いの男。
素朴さと荒々しさの入り混じった美しさ。わたしが砂漠を好きな理由は、人や動物や植物が、あまりにも大きな自然の腕の中でちんまりと、つつましく生きているこからかも知れないな…。

ラクダに揺られて。

こうして、ツアーは滞りなく穏便に終わっ……たかに見えたのですが、ジャイサルメールに戻ると、予想もしなかった事件が勃発したのでした。

それは、エージェンシーに戻ってきてすぐのことでした。
イスラエリー夫婦が、ものすごい剣幕でレセプションの男に「このウソつき野郎!!!」と食ってかかったのです。
ええええ、なっ、何なんだいきなり……?
わたしはあまりに唐突な展開に、目を白黒させながらも、黙っていきさつを見ていました。と云うか見ているしかありませんでした。

話はどうやらこういうことでした。
最初、彼らが契約する際の話では、われわれのグループは5人で行くことになっていました。しかし、いざ出発になって集まったのは3人。あと2人は?と尋ねると、昨日の夕方、急に病気になり来られなくなった、とのこと。
その時点で夫婦は「急に病気ですって?誰がそんな話を信じるっての!」と軽くキレ気味だったのですが、出発の時間が迫っていたので、その場でのバトルは未遂に終わったのです。
で、そのバトルがここに来て改めて行われているというわけなのですよ。

完全にキレまくっているミシェルは、キャッシュブックを出すようにと云い、それを荒々しい手つきでめくった後、「ほら見なさい!わたしたちの前の契約は、5日も前の日付じゃない!5人って云ったのはやっぱり大ウソだったってわけね!」
見るからに温厚な印象だったオシも、ものすごい勢いで机をドン!と叩き、ミシェルに負けない大声で激しくまくし立てました。
レセプションの男は「でも、昨日のサンセットのとき、2人カップルが来てただろ?」と、あんまり言い訳になっていないことを云いますが、当然「あの人たちは日帰りでしょーが!」という反論が返ってきます。
前にも書いたように、彼らは大人数の団体のツアーを希望していました。何軒もエージェンシーを周り、他の会社で決めようとしていたところを、このエージェンシーに勧誘され、「ウチも団体だからさ〜」とか云われて口説かれ、ここに決定したのに、フタを開けてみれば、たったの3人…と。
わたしは、自分1人でなければ、デカい団体だろうが少人数であろうが、特に気にしてもいなかったので、彼らがそこまで大グループにこだわる理由はよく分かりませんでした。
しかし、彼らがここまで怒り狂っているのは、つまり契約違反であるということであり、ウソをついて勧誘したということに対してのようです。確かに、このレセプションの男、押しが強かったきらいはあるけど…。
夫婦は、ツアーの最後にラクダ使いのおっちゃんにチップを弾んでいましたが、エージェンシーには払いたくなかったからでしょう。

ミシェルは不意に、わたしの方に向き直り、「ごめんなさいね、こんなに騒いで。ツアーそのものは楽しかったし、ガイドもいい人だったし、わたしたちだって、いつもこんな風にケンカしているわけじゃないのよ。でも、この男は許せないのよ」と云いました。
確かに、こんなキレる人たちには、どう見ても見えなかったけど…。
しかし、そう云われてもわたしは、曖昧な笑みを浮かべて、「うん、分かってるよ」と答えるしかありません。

レセプションの男も、最初は困惑していたもののさすがはインド商人、負けじと応戦しています。インド商人VSユダヤ人か…なかなか見ものだなこりゃ(笑。←笑っている場合ではない)。
どうなることかと生唾を飲み込みながら観戦していたら、イスラエリー夫婦が、200ルピーをドカンと机に叩きつけて出て行きました(※ツアー代金は600ルピー)。
レセプ男はマヌケにも「全然足りないじゃないか!」と彼らを引き止めましたが、「本当はこれだって払いたくないわよ!」と一喝されたため、レセプ男もキレてしまい「それならいらん!こんな金受け取れるか!持って行けやオラ!」…あああ、もうグチャグチャだー…。

嵐が過ぎ去った後、わたしはエージェンシーと提携しているホテル(ロンプラの一番上に乗っている有名な安宿)に移り、従業員のおっさんとその辺の話をしました。
おっさんが云うには、悪いのはエージェンシーの方で、あの夫婦の怒りは正当であるということでした。
エージェンシーは、5人来なかったという以外にも数々のウソをついており、ジープで40キロのところまで行くと行ったのに20キロ地点までしか行かなかったとか(ひょええ、知らんかった)、3つの村を訪問すると云ったのに1つしか行かなかったとか(これは確かにそうだったかも。でも今日、疲れたからって理由でやめたんじゃなかったっけ?)、ウソつき呼ばわりされても仕方なく、金を規定どおりもらえなくて当然、ということだそうな。

「でもさー、じゃあ何であんたの宿はあのエージェンシーとつながってるわけ?」
とわたしは尋ねました。当然のギモンです。
「ウチは関係ないのだ。あの男は以前ウチで働いていたが、物を盗んだり、女性客にセックスを迫ったりするので追い出したのだ」
げげげっ、めちゃめちゃ悪者じゃねーかよあいつ!

でも待てよ、何で契約書の紙が、このホテルの名前になってたんだ?以前働いていたときに持ち出したとか?そーいや、あっちでもらった名刺には、ここのホテルの名前はなかったけど…。
思い起こせば、妙な点はいろいろあったっちゃあ、あった。わたしも、契約のときを入れて2回エージェンシーに行って話をしているけれど、最初のときに「ほかには誰が参加するのか」と尋ねたら、メキシコ人のカップルと云っていた。メキシコなんて珍しいなと思ったので覚えていたんだよね。で、2回目はイスラエル人カップルとニュージーランド人カップルと云っていたけれど、さっきのケンカからはフランス人カップルと聞こえたよーな…。

「ま、日本人は英語がヘタだから、君は(イスラエル人たちが気づいたことに)気づかなかったんだろうな。はっはっは」
…はい?何ておっしゃいました今?
馬鹿にしてんのかテメー!?って、明らかにしてるだろ!
しかし、あの夫婦だって、決してペラペーラだったわけじゃない。ただ、ユダヤ人らしいしっかりさ加減(?)を発揮していたということだろうか…。

さらに、別の従業員のおっさんに、前に「サムラット」に泊まっていた話をすると、「君が追い出されたのは、サファリに申し込まなかったからだ」と云われました。
「昨日はインド人の団体の予約が入ってて、フルになったんだよ」
「フルじゃないよ。絶対空いてるよ。団体なんてウソに決まってんじゃねーか」
…う。そーなの?でも、団体が来ていたのを確かにこの目で見たんだけど…。
また、その「サムラット」でも、今回のエージェンシーの名刺を見せたら、「知らない会社だな。怪しいんじゃないのか?」と云われたっけな…。

でもねえ、後で、ホテルに入っているエージェンシーの名前を確認したら、わたしの申し込んだエージェンシーとまったく一緒なんだよ?同名別会社?それとも、あいつが勝手に名乗ってんのか?
ああ、誰も信用できないんですが…。
いったい今後のインド旅で、どのくらい気を張って生きていかなきゃいけないんだろう?

マハラジャの家(一部)。

また、ある夜のこと。
「あたしゃものすごい幸運の持ち主なんだよ!悪いか!?」
わたしはそう叫んで席を立ちました。

いったい何が起こったのかって?
それは、宿のレセプションで、次のジョードプル行きのバスチケットを買った時のことでした。
レセプションの男が、どうもこっちを見下している感じがする…と、最初から思っていました。目線と云い、もの云いといい、態度といい…何だかよくないものを感じる…。
「そんな闇雲に疑心暗鬼になっちゃ、旅が面白くないだろうハニー」と心の中の恋人がいさめるので、「そうねダーリン。わたしが悪かったわ」と自分を抑えていたのですが、この男が唐突に、
「お前、どうやって1人で旅行してるんだ?」
と尋ねてきました。
より正確に記述するならば、「How do you travel alone?」と。

わたしは最初、一体何を聞かれているのか分かりませんでした。
[How=どうやって。どんな風に。方法。手段。]と教科書的に確認したあと、つまりこの質問は、1人で旅しているのはどんな感じなのかという意味だと解釈し、そう聞き返してみました。
すると、そうではなく、あくまでも“どうやって旅をしているのか?”だと。
私「他のツーリストと同じですけど?」
レ「いや、全然違うな」
私「は?何が違うんでしょう!?」
レ「お前は英語が下手クソで、人のいうことを理解するのが遅いじゃねーか(それでよく旅ができてるな、と云いたげ)」

…この瞬間、神経がプチっと逝ってしまわれました。心の中のダーリン?んなもん最初っからいねーんだよ!!!
英語が下手なことくらい、自分がいっちばんよく分かってんだよ!ずっとずっとずっとずっとずーっと、それがコンプレックスになってるんだ!それに、英語じゃなくても、わたしは話すこと自体得意じゃない。たまに、脳と口の神経が切れているんじゃないかと思うことだってある。
だけどなあ、何で初対面のアンタにそんなこと云われなきゃいけなんだよ!?え?アンタ何様なんだ!?
て云うかさあ、何で同じホテルの別の従業員に、2回も「英語がヘタだ」って云われないきゃいけねーんだよ!?てめーら、日本人をバカにしてねえか?(いや、あたしだけか?)英語がヘタでもなあ、あんたらがこっちをバカにしてるってことくらい、よーく、よーっく分かるよ!

そこで、冒頭のセリフに戻るのです。
どうやって1人で旅が出来てるんだ、というので、あたしはめちゃめちゃラッキーな人なんだよ!と云い返したってわけさ。
それでも、こいつのバカにしくさった態度は変わらなかったけどね。

ホテル自体は、伝統家屋の建物で、部屋も屋上も素敵だし、居心地は決して悪くなかっただけに、残念でなりませんでした。

実は、ジャイサルメールを出るその日も、オートリキシャやバス会社と思いっきりバトルしてしまったのですが、そのお話は、また次の機会に譲ります(いや、あまりにも長くなりそうなので…)。

いかにも砂漠の町な、ジャイサルメールの町角。

(2004年11月2日 ジャイサルメール)

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