旅先風信135「インド」


先風信 vol.135

 


 

**テイスト・オブ・インディア**

 

わたしの中で、インドは特殊な国でした。
いや、わたしにとってと云うよりも、世間一般に流通するインドのイメージが、ほかの国とは一線を画しているような気がするのです。

まず、不思議なのが、インドに“はまる”旅行者がこれほど多いのは、一体いったいどうしたわけなのか?ということです。
もちろん、ほかの国にだってリピーターはたくさんいるだろうし、南米にはまる人もいれば、イスラム世界にはまる人だっているでしょう。
でも、インドほどに、“はまっちゃう”人が多い国を、わたしは寡聞にして知りません。何しろ、かのビートルズが、インドの摩訶不思議さに惹かれて、修行しにやって来たくらいですからねえ。一般旅行者の方々が、簡単にインドにはまっちゃうのは、いたし方ないのでせうか。

しかし、基本的にミーハー&俗物でありながら、反抗的な性格のわたしは、「へっ、インドが何様だっていうのさ。インドにはすべてがある、みたいなこと云う旅行者があとを断たないけど(?)、そりゃちょっと過大評価なんじゃないのか?」と、悪態のひとつもつきたくなっちゃう。

とは云え、さまざまな地域を旅してきて、すっかり“旅のプロ(@『つあーめん』)”になったわたくしも(ホントかよ)、インドには、何か得体の知れないもの、恐れのようなものを感じているのでした。
だってさあ、まずインドって云ったら、病気ネタは外せないでしょ?それも、赤痢とか、肝炎とかコレラとか、日本じゃ絶対に罹らないやつね(笑)。それから、インド人にボラれた・騙された系の話も枚挙に暇がないし、食べ物はカレーばっかだし…こりゃインド、恐るべしだな…ってかネタの宝庫?って思っちゃいますよね。
自分の旅のルートと「ドラクエ3」を照らし合わせて云うならば、モロッコがカンダダ、エチオピアがバラモス、そしてインドが最後のボス・ゾーマ、といった感じです。

何だかずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、インド入国に際しては実際、心の中で長い長い前置き―あるいは準備体操とでも云いましょうか――があったんですよ。
そりゃ、あれだけ多くのツーリストが行っているのですから、特にびびらなくてもよさそうなもんですが、ただ、何となく、“気合”は必要かなあ、ってね。

スノウリの国境を越えた瞬間、わたしは即座に「こ、これがインドなのね…」と衝撃にも似た納得をしてしまいました。ネパールの穏やかな空気とは、まったく異質の空気がそこには流れていました。
この何だか暑苦しい、埃っぽい、濃密な、煮詰めたような、混沌とした空気…を吸った瞬間、エアロスミスの「テイスト・オブ・インディア」が、頭の中でジャジャーン、と流れ始めました。まるで、インド旅の始まりを象徴する、オープニングテーマ曲のように…。

満員のローカルバスに揺られ、インド最初の都市ゴラクプールに着くと、バスを降りたまさにその瞬間、わたしは、ものすごい数のリキシャワーラー(リキシャの運転手)に囲まれました。さ、早速洗礼ですかっ!?
「どこに行くんだ?」「どこに行くんだ?」「どこに行くんだ?」
ああ、まるでドラクエのモンスターのような現れ方ではないか…もうHP(体力)も少ないし、ここは「にげる」コマンドしかない…と思ったら、このオヤジは勝手に荷物を運んどるやないかっ!誰がお前のリキシャに乗ると云うたんやあ!

もみくちゃになりながらも、何とかリキシャワーラーの攻撃を振り切ったのはいいのですが…ここ、何処だ?ゴラクプール?そりゃ分かってるけどさ、バスターミナルでも何でもないし!
一体、自分の下ろされた場所が、町の中心にあるのか、何処に当たるのかがまったく分かりません。こういうときは、大人しくリキシャに乗るべきなのですが、先ほどの攻撃に恐れをなし、とても乗る気になれず、歩いてバスターミナルを探すことにしました。
相変わらず、25キロ強の荷物を背負っているので、しんどさは尋常じゃありません。加えて、ゴラクプールはめちゃくちゃ暑いのです。 滝汗をかきながら、人に何度も尋ねながら歩くこと20分弱、やっとのことでバスターミナルに到着しました。HPはすでにオレンジ色の文字になっており、あと一撃喰らったら確実に死に至るところです。

そこから、直接バラナシを目指してもよかったのですが、通り道に仏教四大聖地のひとつ、仏陀が入滅した地であるクシナガルがあるので立ち寄りました。
クシナガルは、ルンビニのような大聖園ではなく、小さな村の一角に、仏陀入滅の地の上に建てられた涅槃堂(内部に涅槃像)があるだけの、実に素朴な聖地です。
チベット、韓国、日本、中国、ミャンマー…と各国寺があるのはルンビニと同じです。ただし、寄付で泊まれるのはチベット寺だけみたいで、金のないわたしは、もちろんそこに宿泊。ちゃんと寄付したよ、一応(笑)。

大きな涅槃像。

さて、いよいよバラナシです。よくも悪くも、もっともインドらしいと云われる街。
ここを好きになれるか否かで、今後のインド旅の方向性が決まるのではないか…って、それは大げさでしょうか。

バラナシに着いたのは、夜7時を回ったころでした。
ガンジス河沿いのガート(沐浴場)付近に、バックパッカー向けの安宿がたくさん並んでいるので、そこに宿を取るつもりでしたが、バラナシのガートと云えば“ミッシング”(行方不明)が多いことで悪名高き場所。聞いた話では、バラナシにはインドマフィアが暗躍しており、「女の子は誘拐されて、売春させられる。ブサイクな娘は、手足を切られて見世物小屋に売られる」らしい…。
そうなった場合、わたしは見世物小屋行き当確なので、この日は駅前で泊まることにしました。

翌朝、まずインドルピーを入手すべく新市街を歩き回るも、ATMがまったく見当たらず、両替に半日も費やしてしまいました。大量の人と牛と車とリキシャと排気ガス…などであふれかえるカオスのような街を、汗だくになって歩いていると、早くもインドが大嫌いになりそうでした。

カオスです、カオス。

そして、いよいよガートに向かうべく、リキシャをつかまえました(いや、つかまえられたのかも)。
何しろ初リキシャですから、相場がよく分かりません。何となくこの辺か…というところで、30ルピーで手を打ったのですが、あとで聞いたら、駅からガートは10ルピーが相場だそうで…3倍もぼったのか、オヤジ!30ルピーにするのすら、オヤジはかたくなに拒み、やっとのことで下げたってのに…。
しかも、世間話程度にサリーの話をしたら、ほい来た!という感じで、知り合いのサリー屋に連れて行かれました…それも、3軒も。「もうええから、早よガートに行ってくれ(涙)」と頼むのですが、ワンミニットだから、とか云って、しつこいしつこい。
最後、勘定のときも、「30?35って云ったじゃないか」…はああ。もうええかげんにしなはれよ。
後で、宿で知り合った旅行者から「それは、初めてのインドなら儀式みたいなもんでしょう」と慰められ(?)、なるほどと納得した次第です。リキシャにボラれ、店に連れ回される…これは、インドの旅人が必ず受けるべき洗礼なのでしょうか。

やっとガートに着き、宿も確保して、身軽になって歩き出すと、何とまあ、このガンガー(ガンジス河)&ガートは素晴らしいのか…と、感嘆せずにはおれませんでした。これまでの苦労(?)がすべて吹っ飛んだと云ってもいいくらい、この景色は素晴らしかった。
これまでに、いくつもの美しい景色を見てきましたが、ガンガーとガートは、世界のどこにもない美しさを持っていました。ガート自体、ガンガー自体は汚いんですよ。ゴミとか排泄物とか散乱しているし、建物はボロいし。でも、相反するはずの“きれい”と“汚い”が、見事なまでに調和していて、単純な美しさを超越している…とでも云いましょうか。
ここが聖なる河といわれるゆえんが妙に納得でき、意味もなく「ここにはすべてがある…」とか云ってみたくなりました(笑)。

そして、ガート裏の入り組んだ細い路地を歩けば、小さなお店が軒を並べ、牛が寝そべり、子供たちがきゃあきゃあ云いながら走り回っているのもまた美しく、フォトジェニックで、わたしの中のインド株は、ここへ来て初めて上昇したのでした。

ヴェネツィアなのか?と見まごうようなガンガーとガート。水のたゆたうさまが美しい。

バラナシは、ヒンズー教最大の聖地であり、その中心を担っているのが、ガンガーです。ヒンズー教徒にとっては、ここで火葬され位牌をガンガーに流すことが、最大の幸せと云われています。
聖地だけあって寺院の数も多く、それ以外にも小さなお堂や、お地蔵さんみたいなのが、本当にあちこちに点在しており、まさにこの街は“神様のための地”といった感じがします。
もっとも、神様を感じられるのは、ガートとその周辺だけで、街に出ればもう、
うなるほどの数のリキシャが走り、ときに渋滞を起こし(リキシャ渋滞なんて、初めて見たよ)、まるで煮込み料理の中に自分が投げ込まれたのかと思うほどに、俗臭紛々たるありさまです(笑)。 何かの用で街に出ると、冗談抜きで、生気を吸い取られますね。暑さのせいもありますが、気候と云うよりも人工的な熱気で。
そして、ようやくガートに帰り着くと、うって変わってそこには、悠久の、とでも云うべきゆるやかな時が流れている。街からは、1キロと離れていないのに、ふっと空気が変わるんですよね。不思議。それもまた、ガンガーが、聖なる河であるゆえんでありましょうか。

聖地バラナシでは、旅人も自ずとヒンズー教を垣間見ることになります。
ヒンズー教とは、宇宙の根本原理であるブラフマンと、自我の本質であるアートマンとの一致を目指す宗教であり…という話は、素人にはよく分からないので(笑)、やめておきます。
ヒンズー教でわれわれになじみ深いものは、ご存知“カースト制度”ですが、この話も深すぎて分からないので、ここではしません。
ともかくも、 インド人の8割がヒンズー教徒で、ヒンズーなくしてインドは語れない、と云っても過言ではないくらい、この宗教はインドと一体化しているように見えます。
その証拠(?)に、インド以外でヒンズー教を信じている国って、あんまり聞かないですもんね。隣国ネパールくらい?

難しいことはさておき、ここでは、素人的ミーハーな視点からヒンズー教を知るのはなかなかに楽しい、というお話をしたいと思います。
ヒンズーの神様は、かなりバラエティに富んでおり、キャラも個性が際立っています。
ギリシャ神話なんかと同じく、最高神がいて、その妻がいて、兄弟がいて、子供がいて…さらには、転生バージョンまであるので、かなりややこしいんですが、この人物相関図と各々のキャラを知るだけでも面白い。

例えば、バックパッカーにも人気のあるシヴァ神。彼の特徴は、何と云っても“マリファナ吸ってる神様”ってことですね(笑)。この神様は、見た目も中身も何となく不良っぽくて、虎柄のパンツを着用し、首にコブラを巻いて、奥さんのパールバッティとセックスばっかしてる、っていう(笑)、あんたホントに神様なのか?と問いただしたくなるような不良キャラなんですよ。
主要登場人物として押さえておきたいのは、最高神のヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーと、それぞれの嫁である女神ラクシュミ、パールバッティ、サラスヴァティ。パールバッティの変身バージョンである、ドゥルガーと、カーリー。象の頭を持つガネーシャ、猿の神様ハヌマーン。
これくらい知っていれば、お店で神様ブロマイドを買うときに困らないでしょう(笑)。

あちこちで売られている、神様ブロマイド。

ヒンズーの神様たちは、実にデコラティヴでポップです。
見た目のインパクトは、ダントツでガネーシャくんが1位なのですが、どの神様にも共通なのが、とにかく派手だってことですね。
青とか緑とかすごい色の肌をしており(笑。でも顔は人間なのよ)、手が4本とか8本とかあって、それぞれの手に小道具を持っていて、さらにペットまで連れているという装飾過多っぷり。まるで、パキスタンのデコバスのようだ(笑)。存在自体が祭りのよーな神様たちなのです。

このポップさゆえか、びっくりするくらい、神様グッズが多い。
メキシコのグアダルーペもかなり商品化されていたけれど、ここでは神様がグッズになるのは当たり前らしく、神様ポスター、神様シール、神様の写真立て、神様のミニチュア、神様プリントのTシャツにバッグにシガレットケース…神様というより、もはやスターかアイドルです。
バラナシのベンガリート(路地)を歩いていると、実にたくさんの神様グッズ屋に遭遇し、宗教グッズマニアのあたくしとしては、もう鼻血ものなんですけどね(笑)。

神様の名前を知ると、今度は当然、神話も知りたくなります。たくさん知っているわけではありませんが、ヒンズー神話はこれまた面白いのです。
一番ウケたのは、商売の神様・象頭のガネーシャの誕生秘話。
何故彼は、象の頭に人間の身体という風体なのか?
ガネーシャは、シヴァとパールバッティの息子、ということになっています。が、彼は、セックスで産まれたのではなく、何と、パールバッティの垢でこねて作られた子供なのです…って、何だそりゃ!?

あるとき、パールバッティが入浴中、息子ガネーシャに「誰も入れてはいけませんよ」とガードマンの役目をいいつけました。ガネーシャくんは、母の言いつけを忠実に守っていたのですが、忠実すぎるあまり、そこにやって来たシヴァを追い出してしまったのです。シヴァは怒って、ガネーシャくんの首をちょん切ってしまいました。ガネーシャくんは、シヴァの顔を知らなかったんですね、仮にもお父さんなのに(笑)。
それを知ったパールバッティは、深く嘆き悲しみました。シヴァは困惑し、「すまなかった。ガネーシャの首は元通りに戻すから」と云って妻を慰め、従者にこう言いつけました。「一番最初に通った生き物の首をちょん切ってこい。それをガネーシャにくっつける」と。そして、その生き物が、象だったのでした。

…うーむ、何というむちゃくちゃな話でしょうか。
そもそも神話ってもの自体が、無茶な内容のものが多いのですけど、それにしたって、ねえ。垢ですよ、垢。しかもあんた、息子の首を誤って切ってさあ、テキトーに象の頭をくっつけちゃうって、すごくないか?
でも、わたしはこの話を知って、一気にガネーシャくんに好意が湧いちゃったのでした。とりあえず、ガネーシャシールとポストカードは買っときました(笑)。

ヒンズーの神だけでなく、キリストやら仏陀まで神様勢ぞろい状態で売られている。。。

あと、旅行者がヒンズーを身近に感じる点と云えば、ですね。
牛は、シヴァの乗り物なので、聖なる動物とされています。ですから、牛肉は食べちゃいけません。(ちなみに、シヴァの飼っている牛は、ナンディくんと云って、シヴァを祀ってある寺には必ずいます。)
その結果、そこらじゅうに牛があふれ返っており、普通に道路を横断していたり、店先にいたりします(笑。買い物してんのか?)。あれだけ節操なく運転しているように見える車両も、牛だけはうまいこと避けて走っているのです。

なるほど、牛はやはり大切にされているのだな…と思いきや、よく観察してみると、その辺のゴミとか段ボールを食って生きているらしいことが分かります。また、狭い路地で寝そべっていたりすると当然邪魔なので、インド人にケツをはたかれたり、ガキどもに石を投げられたりしています。ホントに聖なる動物と思ってるか、みんな?(笑)

狭い路地を占拠する野良牛さんたち。

ガンガーに上る朝日を見るために、毎日6時前には起きていました。
この朝日の時間の美しさは、もう筆舌に尽くしがたいものがあります。線香花火の玉のように、赤く静かに燃えながら、ガンガーにその影を落としながら昇っていく朝日。 ガートは朝もやでけぶり、ガンガーの川面をボートが音も無く滑っていく…。本当に現実なのだろうか、と思うほどその光景は、静寂に満ちています。

ガンガー名物(?)沐浴もしてみました。ヘタレなので、1回だけ。しかも30秒くらい(笑)。
あの神々しい朝日の中で沐浴すると、すべての罪が浄化されるような錯覚は起きますね。そのせいで、一部のインド人たち(ぼったくり系男子)が、勝手な勘違いをしているのでは?という気持ちにもなりますが…。
水は、聞いていたほど、そして見た目ほどには汚く感じませんでしたが、顔までつけた人が、翌日下痢で寝込んでいました。。。ガンガー菌、恐るべし。でも、この水を飲んでいるらしいインド人、もっと恐るべし。

神々しい朝日。

何たって、ガンガーではありとあらゆることが行われて流されているのです。
沐浴はする、洗濯はする、ゴミは流す、そして死体も流す…と。 母なるガンガーは、何でも飲み込んじゃうのです(笑)。そして、何故かイルカも棲んでいるらしいです(すごい生命力)。
ときどきボートトリップなんかで、死体と遭遇することもあるそうな。わたしは見ませんでしたが。
その代わり、と云っちゃなんですが、火葬場は見に行ってきました。こーゆーの、絶対外せない性質なのさ(苦笑)。チベットで鳥葬見られなかったことを、未だに侮恨に思っているくらいですから。鬼畜です、はい…。

日本だと、火葬するときは、死体は釜ん中に入れられて、1時間?だか経ってから、「チン!」って感じで骨になって出てきますが、ここの火葬は、死体が薪の上で焼かれて灰になっていくさまが、克明に見られます。わたしも、ものすごい煙の中、ダラダラと汗をかきながら、至近距離で観察していました。
死体はどんどん運ばれてきて、働く男たちも実に手際よく(しかし、めちゃ暑そーだなー)死体を薪にくべていきます。

不思議と、エグイとは思いませんでした。ああ、人間ってこうやって燃えるんだな…と素直に見ていただけでした。
この死体も、昨日までは命があって、わたしと同じように息をしていたんだ…そう思って、自分の身体をふと見、足指をぴくぴくと動かしてみます。 今、目の前で焼かれている身体にも、同じような足があって、いまだ焼け落ちずにその姿を留めています。妙な気分でした。
焼き始めて20分後くらいに、ひざから下の部分が取れました。焼き係のおっちゃんは、無造作にその足を棒ではさみ、再び火の中に投げ込みました。先に焼いていた隣の死体の顔からは、白くどろっとした液体が流れ続けていました。
照りつける太陽の下、ガンガーに向かって次々と死体が焼かれていくさまは、日本の火葬場のような陰気さはまったくなくて、何だかむしろ、清潔な感じさえしました。

メインガートである、ダシャシュワメード・ガートでは、毎夕方の約1時間、プージャと呼ばれる儀式が行われます。バラモン(僧侶)たちが、ガンガーに向かって、歌と楽器に合わせ、燭台を持って踊りながら祈りを捧げるのです。
わたしはこれが好きで、毎日通っていました。
同じ儀式が繰り返されるだけなのですが、インド人たちは、まーよく飽きもせずやって来て(わたしもだが)、毎日大盛況なのです。

毎日のプージャのようす。

このプージャで、いつも出会う日本人がいました。
Kさんというその旅人とは、ネパールのカトマンズでも一度会ったことがあり、そのときは夕食をおごってもらったのでした(わはっ)。
しかし、それはもうずいぶん前の話なので、まさかバラナシなんぞにいるとは思いもよらず、「え?何してたんですか?」と問うと、バラナシの居心地がよくて、もう1ヶ月くらいここにいるとのこと。
…と聞くと、「さてはガンジャ沈没?」と即座に思ってしまいますが(偏見)、Kさんはやらない人だし、しかもバラナシは初めてではないというし…。

でも確かに、バラナシには、何するでもないのに居ついてしまいたくなる雰囲気はあります。
わたしも、数日いただけで、すっかりバラナシが心地よくなっていました。
予想していたほど、インド人にからまれないし(もちろん、皆無ではないけれど、テキトーにあしらえる程度)、何と云ったって、ガートを歩いているだけで、ガンガーを見ているだけで、えもいわれぬ充実感がありますからね。

Kさんとは、何を話すということもないのですが、プージャの時間になると、ガートの一角に一緒に腰掛けて、1杯2ルピーのチャイを飲みながらぼんやりプージャを見ていました。
そこに、友達だか顔見知りだかのインド人たちがやってきて、たわいもない会話をして。わたしは、夕方のその、穏やかな時間がとても好きでした。何だか、不思議に満たされていく感じがして。

さて、そのKさんの友達の中に、1人の若いリキシャワーラーがいました。
「ごっついええやつやねん」
とKさんはわたしに、Mくんを紹介しました。
聞けば、最初にバラナシに来たときからの知り合いのようでした。
もしリキシャで出かけることがあるんなら、こいつ使ったってくれへん?リキシャをオーナーから毎日○○ルピーで借りてやってるから、かつかつみたいやねん、とKさんに云われ、まあそういうことなら、と、わたしは一度、サルナート(仏陀が初説法をした地で、仏教四大聖地のひとつ)に行くときに、Mくんにお願いしました。
そのとき、「いくらで行ってくれるの?」と聞くと、「君の払いたい値段で」と云うので、あーそういうの一番困るんだよねえ、と思いつつ、Kさんとも話し合って往復80ルピーで話は成立しました。決して高くはないんでしょうが、いったい相場がどんなものかは、未だに分かりません。

サルナートへの道のりで、彼は「お金なんかどっちだっていいことだ。お金は重要じゃない。人間関係で大事なのは、気持ちだと思う」ということを何度も云いました。
ふうん、何だかインド人らしからぬ(笑)ことを云うのね、なんて思いつつ、そのときは聞いていたのです。

バラナシを出るその夜、わたしとKさんは、そのMくんのリキシャで、ドゥルガー祭を見て回ることになりました。前の日、偶然会った Mくんが「明日は祭りだからKも誘って一緒に見に行こう。夜8時ごろにいつものチャイ屋に来てくれ」と誘ってくれたのです。
え、でもそれだと、お金払わないとねえ、いくらくらいなの?と尋ねると、「お金のことは心配するな。トモダチなんだから」と云います。
何だかなーと思いつつも、ま、Kさんも一緒だし、何とかなるっしょ、と、あまり深くは考えないことにしました。

ドゥルガー祭は、インド三大祭りのひとつと云われていますが、神輿が出るわけでも、みんなで踊りまくるわけでも、花火が上がるわけでもなく、この祭りのために作られた女神ドゥルガーの立像が、街のあちこちに飾られ、それをしらみつぶしに(?)お参りに行く、という、楽しいんだか何なんだかよく分からない祭りです。
でも、インド人にとっては重要な祭りらしく、街は大変な人出で、屋台もたくさん出ています。最終日は、それらの女神像をすべてガンガーに流してしまうとか。それが見たかったなあ…。

その祭りのあとのことです。
わたしは、夜行列車でカジュラホに向かう予定で、駅まで行くことになるので、どうせならMくんのリキシャで行くか、と彼を引き止めておくことにしました。
そして、宿に荷物を取りに帰り、ちょうどやはり駅に向かう旅行者と一緒に、宿を出ました。「リキシャ、予約してあるんでシェアしましょう」と云って。
ベンガリート小路を歩いている途上、宿に戻るらしいKさんとばったり会い、さくっとアドレス交換をして別れました。

さて、いよいよ出発です。
「駅まで、いくら?」宿から一緒のTさんが尋ねます。
すると、Mくんの答えは「好きな額を払えばいい。あんたはトモダチだ
…出た。またそれか。
わたしは少々うんざりしました。Tさんも「何云ってんだ、いくらかって聞いてんだよ」と詰め寄りますが、Mくんは値段を云おうとしません。
駅からガートまでの相場は10ルピーなのは知っていたので、まあ2人乗るから15ルピーってとこじゃないすか、とわたしとTさんは話し合って、とりあえずわたしたちはリキシャに乗りました。
駅までは、Mくんが日本のサッカーの話なんかを和やかにし始め、最初は胡散臭そうにしていたTさんも、実はけっこうええ奴かも、なんて云ったりしていました。

駅に着いてお金を払う段になり、わたしは、50ルピーを払いました。
内訳は、駅まで15ルピー、ドゥルガー祭の分が35ルピー。
祭りの分をどう決めたかというと、先にMくんが「Kから100ルピーもらった」と云っていたことに因ります。
わたしはてっきり、この100ルピーは、2人分だと思ったのです。Kさんは、以前夕食をおごってくれたこともあり、今回も最後だしってことでわたしの分も払ってくれたのかなあ、と。
それもずいぶん図々しい考えですけど(苦笑)、相場的にそんなもんかなと思ったんですよ。2時間弱で、そんなに距離も走ってないし、1人50ルピーってとこでしょ?と。少なくとも、1人100ルピーはないんじゃないかと。ある旅友達が、タージマハルのある町アグラで、リキシャを2人で1日雇って200ルピーだった、という話もそのとき思い出したのです。
35ルピー払ったのは、プラスアルファ、てな気持ちでした。駅までのリキシャ代を入れて50でちょうどいいし、と。

すると、Mくんは、明らかに不満そうな顔をしました。
「何だこれ?これだけなのか?あれだけ案内したってのに?」
わたしはそのとき、ああ、やっぱしね…という脱力感に襲われました。やっぱりね。やっぱりね。トモダチなんて、ウソじゃん。お金なんてどうでもいいって、それウソじゃん。トモダチだから、金のことは云うなって?何云ってんの、やっぱり金じゃん。ズルいよ、それ…。
わたしは「Kさんから100ルピーもらったんでしょ?それで充分じゃない?わたしもプラスで少し払ってるんだしさ」と云いましたが、Mくんは「あれはKの分であって、あんたのじゃない。あんたはあんたの分を払うんだ」。

隣でTさんが、「どしたの?」と尋ねてきます。
払ったお金が少ないってさ…そう答えたらまた、身体の力が抜けてしまいそうになりました。
でも、お金払ったんでしょ?だったらさっさと立ち去った方がいいよ、とTさんに促され、わたしは半分泣きそうな顔で、Mくんの追撃を振り切って駅に入りました。

せっかくバラナシを好きになれたのに、何で最後にこんな後味の悪いことになったんだろう…。
わたしは、その後駅のベンチに座りながら、”本当は100ルピー払うべきだったんだろうか…という思いから、しばらく離れることが出来ませんでした。
わたしは(少なくともわたしは)、Mくんを“ガイド兼、足”として雇ったつもりなぞ、まったくありませんでした。そりゃ、リキシャ漕ぐのはMくんだから、その分くらいは払おうと思いましたが、彼はあくまでも、“トモダチと祭りを見に行く”という姿勢でわたしたちに臨んできたのです。
最初っから、足として雇っていたなら、そこで値段交渉して、もし100ルピーでこちらが納得したんなら、それでいいと思う。
…でも、違うじゃん。
君はあくまでも“トモダチ”って云ってたじゃん。トモダチっていったい何?トモダチって、お金をたくさん落としてくれる人のこと?

さすがにこれだけ長く旅をすれば、安易に“トモダチ”なんていう人は、たいてい胡散臭い、ってことくらいは勉強します。
わたしは、旅の始めの方のモロッコで、それを身を以って知り、以来警戒するようになって、このテの事故にはほぼ100パーセント遭わずにやってきました。今回だってまあ、事故というほどのものじゃありません。
ただ、こういうことがあると、多かれ少なかれイヤな気持ちになって、心に、思い出にシミがついてしまうことは、いつでも同じなのです。

別に、Mくんが悪いと云いたいわけじゃない。
完全に彼が悪いなら、わたしも悶々とはせずに済むでしょう。
Mくんがズルイんじゃなくて、わたしがケチで無知なだけなのかも知れない。
もっと時間があれば、本当に友達になれたかも知れない。Kさんのように…。
いや、でもKさんは、本当にMくんの友達なんだろうか?Kさんはそう思っているかも知れないけれど、Mくんはどう思っているんだろう?Kさんは、お金のことは割り切っているんだろうか?友情とお金はまったく別問題なのか?
……しかし、もはやそれらは分からないことです。
ただ、こんな風な気持ちでこの街を去り、人と別れることが悲しい。それだけです。

縁日のようにきらびやかな、夜のベンガリート。

(2005年10月20日 バラナシ)

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