トレッキングのフライト待ちで、よけいな日数を食ってしまったので、カトマンズ滞在は2、3日で切り上げよう…と決意していたにもかかわらず、結局6泊もしてしまいました。何をしていたかというと、相も変わらず、外食と買い物に明け暮れていただけです(苦笑)。最後の追い込みとばかり、目を血走らせて買い物に奔走し、まーた荷物が大変なことになっています。ホンマに、ええ加減にせえよ。 それにしても、カトマンズ…まるで、切っても切れない関係の愛人のような街です。いやはや、長い付き合いだった…それも、意味不明に。しかし、いつまでもここで自堕落をやっているわけにはいきません。「行かないであなた!」と追いすがるカトマンズを、涙ながらに振り切って、ようやく次の町、ポカラへ移動しました。
ところが、このポカラ嬢もなかなかかわいいオナゴだったんだよ…。 ここは、カトマンズと並んで、パッカーの間でも名高い沈没地なのですが、ポカラに来たその日のうちに、そのことを納得した次第です。
何しろここは、ホテルが安い!かつクオリティが高い!
カトマンズも安かったけれど、そこはやはり首都ですから、多少割高感が否めません。しかし、同じお金を出しても、ポカラなら、当社比1.5〜2倍のレベルの宿に泊まれるのです。 バスターミナルでバスを降りた瞬間、津波のように押し寄せてくる客引きには、思わずブチ切れてしまいましたが、腹立ち紛れにテキトーに選んで、しぶしぶ付いて行ったホテルが、これまでにないコストパフォーマンスのよい宿でした。 何と、1ドル強で、清潔なシングルルーム、24Hホットシャワー&トイレ付!部屋の日当たりはすこぶるよく、部屋もベッドも広く、停電もなく…とまあ、かなり素晴らしい環境でした。洗濯物の干せる屋上があり、外出中に雨が降ると、宿の奥さんがちゃんと洗濯物を屋内に入れておいてくれるという心遣いもうれしい。ついでに、旅行者が置いていったらしい日本語の本が読めるのもうれしい。 …と、ベタ誉めしてますが、おそらく、ほかのホテルでも、同程度のクオリティは保障されていたのではないかと思いますけどね。ポカラの宿は、供給過多なのです。
あ、そうそう、これだけ誉めると、あとで問い合わせが来そうなので、宿の名前書いておきます。「ロンリーゲストハウス」。『地球の歩き方』にも載ってます。
ポカラは、宿のレベルが高いだけでなく、食事もなかなか美味しく、これがまた沈没地たる大きな要因となっているようです。 無論、外食天国カトマンズには及びませんが、こんな片田舎にしては、かなりのクオリティを供給しているのではないでしょうか。 とりあえず、各国料理は何でもアリ。コンチネンタルから、イタリアン、フレンチ、中華、チベタン、コリアン、和食まで勢ぞろいです。あ、エチオピア料理とか、マニアックなのはないけどね(あっても行かないか…)。 もうネパールともさよならだし、久々にネパール料理でも…と思うのですが、ネパール料理と云えばダルバートかモモしか思いつかないので、ついつい逃げ腰になってしまいます。いや、ダルバートもモモも、美味しいんだけどさあ、どうしても、本格イタリアン(と、ガイドブックには書いてある)とか、唐揚げ定食の誘惑には勝てないのよ〜。
ポカラは、エベレスト方面と並ぶ、ネパール・トレッキングの2枚看板、アンナプルナ方面へのトレッキングの拠点。ただの沈没地ではないのです(笑)。 しかし、トレッキングに行かずとも、町からちゃんと、ヒマラヤの山々が望めるという、怠け者に限りなく優しい町なのでした。あー、だから沈没者が多いのねー…。 山だけでなく、レイクサイドと呼ばれるツーリストエリアには、ペワ湖という大きな湖があり、自転車で少し遠出すれば、輝く緑の田園が広がり…と、自然好き、田舎好きにはうってつけの環境です。
まあでも、こういう場所は、1人で来るべきじゃないですね。。。
いや、1人でだって、もちろん楽しいんだけど、やっぱこういう、風光明媚でのんびりできる場所には、恋人或いは狙っている男と来るべきだ!というのが、前々からのわたしの持論、というか願望です。
残念ながら、今回もまた、こういう場所に限って1人きりのわたくし。
1人寂しくチャリンコを借りて町をぐるぐる回ったり、1人寂しく1日トレッキングに出かけたり(お、まだトレッキングをやるか)、我ながら本当に「こいつ、さみしー奴やのお」と思います…。
ポカラからの1日トレッキングで見た、早朝のアンナプルナサウス(左)と聖山マチャプチャレ。
とまあ、魅力満載のポカラ嬢なのですが、前の女との関係をようやく清算したところにまた、新しい女に入れ込んでしまうわけにはいきません(何のこっちゃ)。
このあとは、インドが待っているのです。一体、どのくらいの旅日数を要するのか見当もつかない大国、インディアなのです。これまでの遅れを取り戻す意味もあり、ともかく先を急がねばなりません。
とか云いながら、ポカラにも結局6泊した後、ブッダ生誕の地、ルンビニへ向かいました。 ネパール=インド国境のスノウリにほど近く、ちょっと立ち寄るのにちょうどよい場所です。
ルンビニは聖地ですが、正確には、ルンビニ聖園と呼ばれる広大な敷地が聖地となっています。 聖園内には、仏陀の生まれた地に建つマーヤー聖堂を軸に、仏教国各国の寺が建っています。マーヤー聖堂は、コンクリート造りの、あまり愛想のない建物なのですが、各国寺は、それぞれの個性が出ていて、興味深い。チベット寺、ベトナム寺、中国寺、韓国寺…もちろん、わが日本寺もあります。 個人的には、ミャンマー寺のキンキラキン&ド派手な建物が好みでした。
そして、各寺には、宿泊も可能。料金は、お布施です。 わたしは、バスで一緒になった日本人2人組に「韓国寺がいいらしいですよ」と聞いて、彼らにくっついて行くことにしました。日本寺も魅力的だったのですが、荷物を担いで歩くには少々遠いので、断念。
韓国寺は、本堂が建築中で、僧坊も一部が完成しているだけでしたが、この僧坊が、すこぶる快適でした。
わたしは、女子1人ということで、まるまるひと部屋を与えられました。内装は簡素なものですが、10畳はあろうかというワンルームに、これまた広いトイレとバスがついており、布団、電源、蚊取り線香、蝋燭も完備。これでホットシャワーならほんと、云うことなしの宿泊施設です。 食事は、基本はネパーリー食ダルバートですが、キムチや佃煮がついてくるのは、さすがに韓国寺。バイキング方式なので、お腹いっぱい食べられました。
ブッダのお母さんが沐浴したという池。後ろにそびえる木は菩提樹。
しかし、この”聖地”でですね、わたくし、痴漢に遭ってしまったのです。
痴漢大国と云われるイランでもパキスタンでも遭わなかったというのに、何ゆえこんな辺鄙な、しかも“聖地”で痴漢なのっ!?
ああ、今思い出しても気持ち悪いのですが、ことの成り行きを説明しますと、以下のとおりです。
聖園内にある図書館&博物館の近くを歩いていたときのこと、若い男が、何やらネパール語で話しかけてきました。 わたしはネパール語はまったくわかりません。ただ、男の言葉の中に「カメラ」という単語が聞こえたのと、望遠鏡で何かをのぞくようなジェスチャーを繰り返しているので、「ああ、写真撮ってほしいのか」と理解しました。
果たして、その理解は間違ってはいなかったらしく、カメラを向けると、男は気持ち悪いほどきちんと“気をつけ”の姿勢になって構えました。デジカメなので、一応「ほら、撮ったよ」と確認させて、んじゃね、とその場を立ち去ろうとしました。
すると、男はなおもしつこく、「カメラ、カメラ」と云い、例の妙なジェスチャーもやめようとしません。 わたしは、うっとおしくなり、英語でフィニッシュ、フィニッシュと云って、追い払うような仕草をしました。しかし男は、英語はからきし分からないもよう。なおもネパール語で何かしきりにまくしたてるのですが、時折「カメラ」という単語が挟まっている以外、わたしには分かりません。 …ダメだ。こういうときはもう、5歳児になるしかない。わたしは、「終わったって云ってんじゃんかよ〜もうどっか行ってくれよ〜」と泣きわめいてやりました。男はそれでも、納得いかないような顔をして「カメラ」とジェスチャーを繰り返していましたが、やがて根負けし(?)、わたしの行く方向に去っていきました。
…ふう。何なんだあいつ。ちょっとしつこすぎないか? わたしは、何となく、少し間を置いてから、道を進むことにしました。男と距離を開けたかったのです。 20メートルくらいは差を開けたところで、わたしは歩き出しました。 …ものの1分も歩かないうちに、男が急に、元来た道を引き返してくるではありませんか。
わたしはとっさに、カメラを盗られる!と思いました。ジンバブエの事故の恐怖がぞわっと襲ってきました。
男はわたしの目の前に立ち、今にも何かしようとしてきます。肩に斜めがけしていたカメラを両手でかばい、「何なのアンタ!」と日本語で威嚇してみるも、声が明らかに震えていました。いざというときに弱い人間なのです…。
…そのときだよ。男がわたしの左乳を、ぐわしっ(@まことちゃん)とつかんできたのは。
「ぎゃあああああああああああっっっ!!!」
わたしの絶叫が、静かな聖園内に響きわた…ればよかったのですが、何しろ広大なので、誰にも聞こえなかったようでした。 全身に鳥肌がたちました。背筋に何度も寒気が走っては降りました。きもいっ、きもいーっ、きもいよーーーっ!何なんだこいつわあーーー!!! 驚きと恐怖のあまり、数秒立ち尽くしてしまったわたしですが、はっとわれに返り、男に怒鳴り散らしながら追いかけて行きました。しかし、男はものすごいスピードでわたしの視界からいなくなってしまい、わたしは地団太を踏むしかありませんでした。
そりゃまあ、カメラを盗られるくらいなら、乳のひとつやふたつ掴まれた方が、まだマシと云えばマシです。でも、それにしたって、気持ち悪すぎます!しかも、何ゆえ仏陀の生誕地でーーーっ!許せない、許せないぞ! こいつは一体、ネパール語で何をしつこく繰り返していたのでしょうか…「やらせろ」とかかなあ…。ああ、くそっ、今これを書きながらでもムカつくぜ!
こやつが犯人。ルンビニでこの顔を見たら、キ○タマを蹴ってやって下さい。
とこのように、非常に不愉快な出来事のあったルンビニですが、それ以外はおおむね、よい印象を持った地でした。
寺の夜は、実に、実に静かでクリアで、時折聞こえてくるのは、鐘の音と、犬の遠吠えだけ。僧房に1人でいると、自分の存在までもが静かなものになってゆくようでした。 ポカラで仕入れた、松本清張の『砂の器』を読みながら、PCを叩きながら、夜は更けてゆきます。こんな風に、読書と書き物だけにいそしむシンプルな生活も、悪くはないものだと思います。 小学校3年のときの作文に、「僧になりたい」と書いたわたしなのですが(よく考えたら気持ち悪い小学生だな。でもその当時、歴史おたくだったからさ…)、今でも僧侶になることへの憧れはぼんやりと持っていて、いずれ、人生にある程度満足したあとは、頭を剃って、静かな勤行生活を送りたいなあとか思うのです。
…しかし、そんな安気なことを、今は云っている場合ではありません。 明日はいよいよ、インド入り。静けさとは、全く以って正反対の、混沌と喧騒の中に飛び込んで行くのです。
この、不気味なほどの静けさが、逆に、これからのインド旅を奇妙に暗示しているようでもありますが、まあそれは、明日になれば分かるわけだね。楽しみなような、少し恐ろしいような…。 ともかくも、今日はゆっくり眠ることにしましょう。
(2004年10月12日 ルンビニ) |