旅先風信133「ネパール」


先風信 vol.133

 


 

**冷静と発狂のあいだ―エベレスト・トレッキングB―**

 

9月25日(土) ルクラ

6時に起きると、昨夕と何ら変わるところのない濃霧、悪天であった。
カラ・パタールのときのように、奇跡が起こることを信じたいが、そんな思いをせせら笑うようなヒドい天候である。

それでも一応、6時30分すぎには空港に行った。とりあえずはここで(正確には空港前のカフェで)待機だ。
日本人の、社会人らしき人の姿も2、3人見える。その1人に声をかけてみたら、「僕、今日の夜のフライトで日本に帰らんといかんのですよ」とのことだった。気の毒に。わたしのような、明日の予定は明日考える、ってなお気楽旅行者とはわけが違うのだ。
とは云え、わたしだって、何日もここで待てるわけではない。先を急ぎたいのだ。

8時を過ぎた。空模様は変わらない。前に、カトマンズから飛んだ日は、9時前だったと思う。あの日も、前日は土砂降りの雨だったのだ。だから、まだ希望はある…。
小耳に挟んだ話では、このルクラの一帯だけが曇っており、上(ナムチェ)も下(カトマンズ)も晴れているとのこと。何ゆえルクラだけが曇ってんだ!?何かの呪いかよ!?やっぱわたしのせいか!?
また他の誰かが「あと1週間は飛ばないかも知れない」などと云っている。ふざけんじゃねえぞ。1週間もこんな、なーんもない村でいられるかってんだ!昨日金貸しちゃったし、手持ちの現金もやや乏しいのだ。

…あああ、イライラするな。隣のやつらが、呑気そうに、ほかほかのダルバートを食っているのが、何だかむかつく。メシ食ってるヒマがあったら、神に祈れ!(?)
ただいまの時刻、10時15分。ほぼ間違いなく、今日は飛ばないだろう。くっそー、こんな頼りないフライトで、よくトレッキング業をやっていけるよな。もっとさあ、その辺ちゃんと整備してからやった方がいいんじゃねえの?できないんだったら、廃業しちまえよ。

12時前、下のロッジで昼食を取る。昨日金を貸した男の子が、ガイド他と何人かでゲームに興じている。この状況下で、笑顔でいられるとは、大したタマだな。わたしなんて、憂鬱の塊りになってて、今にも死にそうな顔をしているのにさ。
人間、どうしようもない状況下では、環境や運を呪うよりも、何とかしてその状況を楽しんだ方が幸せだってことは、百も承知である。でもわたしは、そんな風にはできない。正直者であるから(?)、鬱なときはとことん鬱になってしまうのだ。でも、ムリして楽しもうとするくらいなら、鬱に身を任せていた方がまだマシだ。

パキスタン以来、無意味に閉じ込められることが多すぎる。待つのは大嫌いだ。人生の時間が、こんな風にして流れていくことが、耐えられない。
こういう状況で、爆笑したり冗談を云ったりする奴らが憎い。こういう状況には、こういう状況にふさわしい表情をすべきじゃないのか?
…なんて、まあいいさ。気の紛らわし方は人それぞれだからな。

空港近くの宿に泊ろうとしたら、フルだと云われた。ま、そりゃそうだろう。空港に近い方から埋まっていくだろうし、3日間も飛行機が飛んでいなくて、乗客がクソのようにここに溜まっているんだからな。
仕方ないので、空港から少し離れたロッジを取る。

ベッドに寝転がって、ぼんやりする。時計を見る。まだ2時…。長い1日になりそうだ。
下のレストランからは、欧米人グループの談笑する声が聞こえてくる。グループで来ているやつらはいいよな。わたしなんて、ガイドもいなくて、たった1人なんだ。ま、ガイドがいたら、彼の分の宿代とか食事代まで気にしなくちゃいけないから、いない方がせいせいするけど。

前に進めない。前に進みたい。


9月26日(日) ルクラ

もう目を開けていたくない。見えるのは、霧に閉ざされた陰鬱な景色だけだものな。
今日もまた、飛行機は飛ばないだろう。また、長くて無為な1日が始まる。あれやこれや考えて、今にも爆発してしまいそうな自分を、何とかやり過ごすのに苦労する。
囚人みたいだ。囚人生活ってヒサンだよな。わたしはもし、ムショに入れられたら、1週間以内に自殺するだろうと思う。犯罪は犯さないように生きよう。。。

やまない雨はない、というけれど、この天気は永遠に続きそうな気さえしてくる。
外を歩いていると、水蒸気が流れていくのが肉眼で見える。
昨夜もかなりの雨が降った。水も飲んでいないのに、夜中に3度もトイレで目が覚めた。そうとう湿気ているらしい。

今日も、昨日同様に、ペーパーバックでも読んで時間を潰すほかない。幸か不幸か、英語の本は読むのに時間がかかるから。
昨夜見た夢のことをふいに思い出す。わたしは何かの手術前だった。そして、また別の夢で、わたしは青空を見ていた。「今飛ばなきゃ!今晴れているうちに!」と叫んでいた。夢の中でもわたしは、カトマンズに帰りたいと切望していたのだった。
風呂に入らなくなって、何日目だろうか…と数えてみると、11日目だった。もう、下着の替えもなくなった。

奇跡は起こらないだろう。でも、10%でも5%でも望みがあるなら…と、空を見る。少しでも空が白んでくると、つい希望を賭けたくなる。鳥は、このような曇天の下でも、あれほど激しくさえずるものだろうか?晴れる予兆ではないのか?
…とは云っても、わたしには、天気を読む技術はまるでない。

これは、すべての煩悩を断つための、修行か何かなのだろうか?
欲がなくなれば、死ぬほかないだろう。それでも、煩悩は断たなければいけないのか?

あと4日で、28歳になる。
もしかしたら、ここに閉じ込められたまま、不潔な身体と孤独を抱えて誕生日を迎えるのかも知れない。いや、下手したら、このままここで朽ち果ててしまうのかも…。はははっ、それでも生きているだけマシだってか。どうもありがとよ。

何が“素晴らしき大自然”だよ。呑気なコト云ってんじゃねーよ。自然はこうやって、何度も人間を苦しめてきたものでもあるんだぜ。ああ、せっかくエベレストにあれほど感動したのに、もうこんなこと云っているわたし。最低だ。

頭を空っぽにしたい。そうするのが一番いい方法だ。
無為な時間を嘆くのではなく、自分そのものが無為であると考えてしまえばいいのではないか。日にち、予定、金、人間関係…そういうものを、一切忘れてしまうのだ。それは大変な作業ではあるが…。
ビパサナ(瞑想)の真似事をしてみた。座禅もどきを組んで。「無為であること」「何もしないこと」に慣れようとつとめてみた。悪くはなかったが、結局30分も持たなかった。やっぱり、わたしには向いてない。
ペーパーバックに手をつける。しかしこれも、10ページもいかない間にやめてしまった。辞書を引く手がかじかんできたからだ。

ノートを買いに、外に出た。HPの原稿を書くために。PCで書いてまとめることに慣れすぎているため、ノートだと書きにくいのだが、この際贅沢は云えない。
途中、ツーリスト向けの小さな本屋に立ち寄ったら、『ハリーポッター』が売っていた。カトマンズの倍の値段はしそうだが、もし明日飛行機が飛ばなかったら、買ってもいいかなと思う。少し心が晴れた。

カラ・パタールで見かけた顔ぶれにも、通りですれ違った。そうだ。わたしだけが閉じ込められているわけじゃない。そう思ったらまた、1ミリくらい気分が上がった。
こういうとき、マリファナとかがあれば、すべてを忘れてリラックスできるんだろうか…とふと思う。

…ローカル食堂でミルクティーを飲みながら(ツーリスト向けの店は高いのだ)、ノートに原稿を書いていたら、日本人男性とネパーリーガイドの2人連れが入って来て、少し話をした。ガイドの話では、「天気ねえ…地元のラマ僧は、10日くらいこんな感じだって云ってたな…」さらに、3週間前にもそのくらいノーフライトが続いたらしい。あ、それって、ちょうどわたしが、カトマンズで飛行機を待っていた頃じゃないか??

カフェのはしごをして、HPを書き続ける。やっと15時30分になった。しかし、ルクラには、あまりくつろげるカフェがない。少なくとも、わたしの基準では。
何だか異様にお腹が空く。ケーキの類が食べたい。ここがナムチェなら、エベレストベーカリーあたりで、ケーキとお茶で時間を潰せるのに。
それにしても晴れそうにない。その気配すら感じられない。でもとりあえず、HPを書くということと、ハリーポッターという楽しみは見つけた。人間、結局はこうやって、ひどい状況の中でも何かしらの楽しみを探してしまうものなんだな。それって何だかちょっと、哀しいことのようにも思える。

それにしても、パキスタン、カトマンズ、ここ…と軟禁状態が続くなあ。これってもしかして、わたしが将来、何かの罪でムショに入る運命になっていて、その日のための訓練だったりするのだろうか。そうだとしたら、神もなかなか粋な計らいをしてくれるってもんだぜ。けっ。


9月27日(月) ルクラ

この村は、何かに呪われてでもいるのだろうか?
5時30分頃、トイレで目が覚めると、外は雨だった。昨日、一昨日と、1ミリたりとも変わることのない朝、1日の始まりだ。
トイレに行った隙に、熊蜂が部屋に入ってきて、追い出すのにひと苦労する。イヤな朝だ。

今日は、カトマンズではインドラ・ジャトラのお祭りで、クマリ(※神の乙女と云われる生き神)の山車が出る日だ。この日に合わせてカトマンズに帰りたかったのに、どうやら絶望的らしい。

待つ以外の方法がないとは云え、何とかならないのだろうか?
誰か、ここから救い出してくれ。もう祈るのも疲れたよ。助けてくれ。助けてくれ。助けてくれ…。
助けてくれないなら、麻酔銃でも睡眠薬でもいいから、わたしを強制的に眠らせてほしい。トレッキングの前半は、あれほどよく眠っていたのに、今はまったくダメだ。眠って、すべて忘れたい。

24日に帰ると云ったのに、帰って来ないわたしを、あの人は心配しているだろうか?してないか。Sさんはしてくれているかも知れないな。
この憤りを、誰かに解ってほしい。誕生日までにはカトマンズに帰りたい。こんなところで、何の希望もなく、腐った身体で誕生日を迎えたくないよ。

9時過ぎ。まだ雨は止まない。朝食を食べに出たいけれど、それもままならない。
何というしつこい雨だろう。
そのうち、この村は、土砂崩れが起きて、わたしも、ツーリストも、村人も全員死ぬんじゃないのか。そうなったらサイコーだな。はははっ。

10時過ぎ、あまりに空腹なので、思い切って外に出ると、カラ・パタールで話しかけてきた日本人に会った…と思ったら、実は中国人の留学生だった。あまりに日本語が上手いので、本当に気づかなかったのである。
彼は、日本の某国立大の学生で、ここには先生と一緒に、調査で来ているらしい。シェルパの遺伝子の研究?とか何とか。わたしには難しくて分からない。

今日は、彼―ユーリャンと、先生のチョマさん(彼女も中国人で、日本語も話せる)と話をして1日を過ごした。
日本語で、しかも日本に長く住んでいる人とは云え、こうして中国人とタイマンで話すと、やはり近しい人種なのだなあと思う。中国、チベットにいた頃は「人民め…何という図々しい輩なのか」と悪態をつくこともあったが、近しく接すればいい人たちなのだ。ま、それはどこの国でも云えることだけど。

ユーリャンは現在26歳。5年前、成都から東京に出てきて、1年半日本語学校に通い、その後今の大学に入ったのだそうだ。
東京に出てきた頃は、そりゃあもう、聞くも涙語るも涙(笑)な苦労話が満載で、確かに、日本人のわたしでも東京で自活していくのはカンタンなことではないのに、お金のない彼や彼の友達が暮らしていくのはさぞかし大変だったことだろう、と想像する。実際、やっていけなくて中国に帰った友達も何人かいるらしい。

その他、中国のいろいろな話(国内情勢から中華料理まで)も聞けて、とても有意義な時間だった。何だかんだでお隣の国、興味は尽きないのである。単に、旅行的な興味ではなく、国そのものに対する興味、とでも云おうか。ちょっと本気で、「中国に留学するってのもいいな…」なんて考えてしまった。中華料理がにわかに恋しくなった。

今ここは、電話も通じない状態なのだという。上から下りて来るトレッカーが、日に日に増えて今では150人くらいが、この小さな村に閉じ込められているのだそうだ。逆に、カトマンズからこちらへの飛行機を待っているトレッカーは200人とか…。まるっきり便秘状態だ。

昨日のローカル食堂で、日本人Tさんにまた会った。
「何としても誕生日までにはここを出たいですね」と云うと、「いいじゃん。ルクラで誕生日。素敵じゃん」と、ちょっと投げやりな調子で云われてしまった。彼はもうここで5日待っている。「そのうちさ、ルクラもいいとこだなーって思うようになるよ」と云ったその目は、ちょっと壊れかけていた(笑)。

夕方、ヘリコプターが1台、カトマンズへ飛んだ。
わたしはもちろん、ヘリに乗れるような身分じゃないけれど、これが、明日晴れるという兆候であればいいな、と思った。


9月28日(火) ルクラ

7時に起きる。また同じ風景が、窓の外に広がっている。雨天、濃霧。雨音がしとしといっている。ここはそういう地獄か?
毎朝こうして、絶望的な気分で1日が始まる。本当に、刑務所のようだ。4日目。戒厳令よりは短いさ、と自分を慰めてみる。
しかし、飛行機が飛ばなくなってから、もう6日目である。
今後の予定を考えると、気が狂いそうになる。わたしはいつまで、ここに閉じ込められるんだろう?…だめだ。そのことは考えちゃいけない。

本当に、待つ他に方法はないのだろうか?
ここから、ジリ(村の名前)まで歩くという方法もあるらしい。ただし、それだと6日かかり、道中にはマオイストもうようよしているという。ここに着いた日に、こうなることが解っていれば、その道も選んだかも知れないが…。

腹痛。昨夜からだ。刺すような痛み。また下痢か?
今日もまた、絶望的に曇っている。死にたい気分でいっぱいになる。
きっとわたしは、28歳の誕生日を、この地で迎えるのだろう。何の喜びも祝福もない誕生日だ。
何を、どうすれば、道は開けるんだろうか?
“部屋に閉じこもる”ってことでないのだけは、確かだが。
それにしても、何で腹が痛いんだろう。昨日のローカル食堂で何かあたったのだろうか?本当に、そのうち何か病気になって、ここで死んだりしたら、おもしろいな。

土砂降りで、外に出られない。お腹すいた…。
でも、このまま1日中土砂降ってくれれば、明日はスカッと晴れるかも知れない。それは甘い希望だろうか?

今日はHPが進む。これだけが、唯一の心の慰めだ。
気分を変えるために、いつものローカル食堂に来て、ミルクティーで粘っている。今日は1日中雨だ。隣に座っていたネパーリーの男が話し掛けてきた。天気に関して、希望のないことばかりいうのでだんだん腹が立ってきて、「つまり、わたしたちは全員ここで死ぬっていうワケね!」とつっかかってしまった。

そのあと、チョマさんが、お茶を飲みに来た。
「ここの人たちは、毎日、朝起きて、ご飯を作って、子供と遊んで、あとはおしゃべりしているだけ。今のわたしたちと同じじゃない?」
と彼女は云った。つまり、ここではそれが普通なのだ、っていう話だろう。
わたしは納得しつつも、「でも、わたしたちは、そういう過ごし方に慣れていない」と反論した。彼らには普通でも、わたしたちには各々、ここを出て、やらなければいけないこと、帰るべき場所があるのだ。

…わたしにはまだ、ここで何日かを過ごすだけの現金はある。
しかし、こないだ金を貸した男の子のように、せっぱつまっているツーリストもいることだろう。
ちなみに、昨日のヘリは、ツーリストのチャーターしたものではないらしい。ということは、Tさんもまだここにいるってわけか。気の毒に。

ふと、金を貸した男の子のことが気になって、宿を訪ねていった。
ここには、ユーリャンも泊っている。宿のおやじに、「日本人の男の子に会いたいんだけど」と云うと、ユーリャンが出て来た。
「じゃなくて、もう1人いたでしょ?」と云うと、「ああ。彼は一昨日、ジリに向けて歩いて行ったよ」とのことだった。ガイドと、他のツーリスト+ガイドの計5人で。
わたしは歯軋りした。わたしもそれに混じりたかった…。

その後はまた、ユーリャンと話して時間を過ごした。
そしたら、宿のおばちゃんに、「あんた、何してんの。7時からは外出禁止なんだよ。早く自分の宿に帰りな」と怒られた。戒厳令だとさ。
また戒厳令かよ。いーかげんにしろよ。何のための戒厳令だよ。それで天気がよくなるとでもいうのかよ。


9月29日(水) ルクラ→カトマンズ

昨夕方、わりと派手に雨が土砂降って、皆「これはいい兆候かも知れない」と喜び、中にはビールまであけているやつらもいた。わたしも、ユーリャンたちと「きっと明日帰れるよね?ね?」と云い合っていたのだが…。
最近目覚めが早くて、今日も6時に起きたら、またしても、何も変わらない、寸分たりとも違わない、いつもの曇天だった。雨もしつこく降っていた。
昨日も神に祈ってみたけれど(最近こればっかりだ)、やっぱり通じなかったらしい。3週間前は、11日間飛ばなかったという。今日は7日目だから、あと4日…。しかし、それだって分からない。最高記録を更新するかも知れないのだから。

ところが。
8時少し前、例によってHPを書いていたら、宿の娘が部屋に来て「エアポート!カトマンドゥ!」………えっ?
えええっっっ?!マジかよっ?!わたしは娘に、思わず日本語で「ホントに?ホントに?」と何度も訊き返してしまった。
昨夜、大方パッキングを済ませていたおかげで、5分後には部屋を出ることができた。宿代と食事代の清算に少し手間取りイラついたが、それが終わると一目散に空港に向かってダッシュした。

すでに空港は満杯だった。イエティ航空のカウンターには長蛇の列ができていた。
すっかりあきらめて、部屋でHPなど書いていたことを心底後悔した。
今まで見えなかった滑走路が見えている。しかし、空は完全に晴れているワケではない。いつまた、元の天気に戻ったっておかしくないような、不安な空模様だ。
搭乗の順番は、カウンターに早く並んだもん勝ちである。7日間待っていようが、幸運にも昨日ルクラに下りてきたばかりだろうが、カンケーないのである。理不尽きわまりない。

しばらくして、ユーリャンが現れ、互いにこの奇跡を喜び合った。でもわたしは、飛行機にちゃんと乗れるまでは、不安をぬぐいきれない。
列は一向に進む気配がない。そうこうしているうちにも、雲が空を覆い尽くすのではないか?
ゴラクシェプを出る日に会った、香港人の男の子2人組がやって来た。彼らは昨夜ルクラに着いたらしい。幸運なやつらめ〜…。
ユーリャンは、「乗れないってことは絶対ないと思う」と云うけれど、彼らはネパール人と一緒に来ているから、優先的にボーディングさせてもらえるみたいだ。でもわたしは1人だ。ガイドもいないし、ネパーリーの友達がいるわけでもない。こんな事態でも、結局コネか…いや、こんな事態だからこそか。個人はいつだって弱い。でも、何としてもわたしは帰るぞ、カトマンズに。

予想通り、わたしは最後のフライトになった。結局2時間ここで待たされたことになる。それでも、とにかく帰れるのだ。涙が出そうだった。
雲の量はじわじわと増えており、離陸後15分くらいして機体を覆い尽くした。窓の外は完全に視界がなくなり、機体は揺れた。「どうか無事に…」と祈る。

30分後、小さな飛行機は、カトマンズに着陸した。
カトマンズは晴れていると聞いていたが、そんなことはなかった。
着陸後、機内から拍手が起こった。

………

カトマンズ・タメルに帰って来た。フライトが一緒だった香港人2人組が、自分たちの手配していたバンで送ってくれた。
カトマンズは、またもやストライキの最中で、タメルの店も半分以上閉まっていたが、日本料理屋「一太」は開いていた。迷わず入り、トンカツ定食を頼む。クライマーのお兄さんも来ていて、帰還をしみじみと祝い合う。
何と、偶然にも、Sさんが他の日本人と現れ、これまた再会を喜び合う。Sさんは、ずいぶん心配していたらしく、「大丈夫ですか?」というメールを何度もくれていたのだ。
何だかまだ、信じられない。たった数時間前まで、カトマンズは、この世で一番遠い場所のような気がしていたのだ…。

昼から、ロイヤルハナガーデンに行く。
日本人経営の温泉である。日本食と並んで、これもトレッキング後の悲願だったのだ。
オープンの3時と同時に入場する気合の入れようである。おかげで、わたし以外は客がおらず、貸しきり状態であった。何と云ったって2週間ぶりの風呂である。それも温泉!温泉の熱で、皮膚が、というか垢がボロボロこそげ落ちてくる…。
サービスの番茶を飲みつつ湯に沈んでいると、やっぱりまだ、夢を見ているような気がしてくる。ともかくも、頭と身体を洗うと、生まれ変わったようだった。髪がサラサラになり、悪臭が消えた。オーナーのおっちゃん(日本人)が、ぜんざいとコーヒーを出してくれた。やや説教臭いおっちゃんだが、いい人だ(笑)。

夜は、香港人2人組と「桃太郎」へ、またもや日本食を食べに行く。彼らは何と、夕食代をおごってくれた上、1日早い誕生日プレゼントまでくれた。何て気のいいやつらなんだ!それも、もらったプレゼントは、かなりセンスのいいネックレスで、「うーむ、やっぱ香港人は洗練されてるわねー」なんて思ってしまった。

今日はめまぐるしい1日であったことだ。地獄から天国だな。


9月30日(木) カトマンズ

誕生日なのである。
ルクラバースデイを何とか免れ、この日をカトマンズで迎えることができた。しかも、今年は祝ってくれる方々がいるのである。
朝は、例の香港2人組と朝食。どうも彼らは、わたしの長旅をとても買ってくれている様子で、何だか照れくさい。英語と筆談ちゃんぽんで、あれこれ話す。

昼からは、Sさんと遊ぶ。「一太」(またか)で昼食を食べながら、お互いの積もる話をえんえんと語り合う。Sさんは、刺繍の入った可愛いブラウスをプレゼントしてくれた。本当にこの人は、惜しみなく愛を与えてしまう人なのである。
その後も、買い物にいそしみつつ、喫茶店をハシゴしつつ、話は尽きなかった。思えば、旅のさなかにこれだけ仲良くなれた女性も珍しい。その彼女とも、今日でお別れだ。彼女は明日から、メディテーションで山ごもりだし、わたしももう、2、3日したらカトマンズを出、ネパールを去るのだ。
カシュガルから、いや、フンザから数えると、3ヶ月以上のつきあいになる。チベットでは、彼女に対するコンプレックスで相当悩んだ。でも、今では、友愛の方がコンプレックスを越えたのだ。この人に会えてよかったと、心から思える。
別れ際、彼女はぎゅうっとわたしを抱きしめた。涙のお別れである…はずが、彼女の歯がわたしのおでこに刺さるという、バカみたいな出来事で終わった(笑)。

夜は夜とて、ユーリャン&香港2人組とお誕生日ディナーである。何と、チョマさんがわたしの食事代を出してくれたらしい。あああ、本当に、一昨日からは考えられない1日だ。「FIRE&ICE」という、美味しいイタリアンの店で、サラダとピザとスパゲッティとアイスクリームを食べる。ビールも飲んでお腹いっぱいだ。
海外3度目の誕生日が、こんなにハッピーな1日になるとは、想像もしていなかった。この1日そのものが、大きな大きなプレゼントだ。

KATHMANDU151.JPG - 42,122BYTES 巨大ピザ。カトマンズはホント、外食のレベルが高いです。


…というわけで、鬱な日記も、これで終わりです。
“このトレッキングは、
身体と精神の鍛錬”とか書いていたクセに、まったく成長のあとがみられないのは一体どういうことでしょうか?(苦笑)結局、カトマンズに帰ってこられたら、すべてOKか。やっぱ俗物っすね。
みなさま、ここまでつきあっていただいて、どうもご苦労さまでした(笑)。

最後に補足(しつこい)。
トレッキング後、「けいの無銭旅行記」のけいさんに、『神々の山嶺』(上)(下)を借りて読みました。
これは、汐見荘で会ったM&Iさんカップルにも薦められた本だったのですが、ネパールとエベレストが舞台になっているこの本を、トレッキング後というタイミングで読むことができたのはラッキーでした。
カトマンズはもちろん、ルクラ、ナムチェ・バザールといったなじみ深い地名、このトレッキングで見た或いは知った山々…情景がありありと浮かび上がり、臨場感のせいもあって、何度も泣いてしまいました。

ルクラにいたときは、「もう二度と、どんなことがあっても山なんか行かない。高い金払って苦労するだけだし」と固く決意していましたが、この本を読んで、頑なな心が融けました。
『神々の山嶺』は、山を登る、それも世界最高峰を極める、ただそれだけに命を賭けた男たちの物語です。わたしのしょぼいトレッキングとは天と地以上の差がありますし、彼らのストイックさには及ぶべくもありませんが、それでも、エベレスト登頂に命を賭けるという行為は、何となく理解できるのです。あくまでも何となくですが。
カラ・パタールから見た、エベレストのあの圧倒的な姿。わたしですら、もし出来るのなら、あの山に登りたいと思うくらいですから(ま、絶対ムリですけどね)、山に登る男たちが、エベレスト登頂に焦がれるのは至極自然なことでありましょう。エベレストには何か、人を魅入るような不思議な力が働いているのかも知れません。

ただ山を登る。それはとても不毛な行為だと思います。記録に残るかも知れないという自己満足だけで、何も産み出さない。
でも、わたしは、不毛な行為に命を賭けることに、ある種の美学を感じます。そしてそれは、自分の旅とも、少しだけリンクするような気がするのです。

その辺の思いは、わたしが一番印象に残った、本の中の以下の言葉に集約されています。今回は、その言葉を以って締めたいと思います。

「生きてゆくそのことはわかっている。そのことがわかっているのなら、死ぬまでのその時間は、何かで埋めなければならない。(中略)どうせその時間を埋めるのなら、たどりつけないかもしれない納得、何だかはわからないがあるかもしれない答え、踏めないかもしれない頂(ピーク)に向かって足を踏み出してゆくこと、そのようなもので埋めるのが、自分のやり方だろう。蒼い天の虚空に吹きさらしになっている、点―この地上にただひとつしかない場所。地の頂。そこにこだわりたい。」

しつこくエベレスト。右奥の一番高いやつです。

(2004年9月)

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