旅先風信132「ネパール」


先風信 vol.132

 


 

**冷静と発狂のあいだーエベレスト・トレッキングAー**

 

9月21日(火)ゴラクシェプ⇔カラ・パタール、ゴラクシェプ⇔エベレストBC(途中まで)

5時30分に起きたら、窓が水滴で曇って外が見えない。相当な濃霧らしい。昨日あれだけ祈ったかいはなかったってワケか(※実はあのあと、さらに300回ほど祈ってしまったのである。本当に狂気じみている)。

ガイドくんは、早々に「今日も見られないな」と判断を下し、6時過ぎにさっさと下山してしまった。今日中にルクラに着こうとしているらしい。大して仲がよかったワケではないが、今後のことを考えると、どうしても心細くなる。わたしはいつまでここにいるのだろう?とりあえずの限界は、24日まで。ガイドくんから受け取ったお金で、何とか5日は持たせられると思う。食費を削れば大丈夫だ。冷静に考えよう。3日くらい日程が延びたところで、旅行にそれほど差し支えるわけではない。ここからは、完全に自分との闘いだ。

先日会った、日本人クライマーが云っていた。「2週間前に、雨季は明けたと思ったんだけどさ、またモンスーンが来たみたいで、この通りの天気だよ。」モンスーンか。どうせわたしが呼んだのだろう(?)。ここ数日の悪天候は、わたしに、青空のイメージを忘れさせている。
昨夜は寒くて、熟睡できなかった。夢に、初恋の人が出てきて、少し甘酸っぱい気分になった。いっそのこと、夢の中で生きられればいいのにと思ったりする。

執着が、わたしを苦しめる。エベレストを死んでも見たいという執着、それから…個人的な執着がいろいろとあって、わたしを縛っている。天気と人の心はどうしようもない。“人間、あきらめが肝心だ”とは、よく云われる言葉だ。確かに、執着しなければ、心はずいぶんとラクになるだろう。しかし、あきらめないこともまた、大切ではないのだろうか?

とりあえず、今日は何をして過ごそうか。英語の辞書でも読むか?(苦笑)

…執念の勝利だ!
7時を過ぎた頃、何気なく窓の外をのぞいて見たら、何と、山がくっきりと見えているではないか!
目を疑った。一体これはどうしたことか?ともかくも、慌てて荷物を担ぎ、部屋を出る。ちょうど、別のツーリストについていたガイドの兄ちゃんが、親切にもわたしを呼びに来てくれたところだった。朝食を急いでかきこみ、7時30分過ぎ、ロッジを出る。1時間前からは、想像も出来なかった眺望が、目の前に広がっている。雲ひとつない青空、とはいかないにしろ、まるで奇跡のように、ヒマラヤの山々がその姿を現している!わたしは夢中でカメラのシャッターを切った。涙がこみ上げてきた。

TREK125.JPG - 106,670BYTES 山が見えた!!!

1秒を惜しむように、カラ・パタールへと登り始める。あまりに興奮しすぎて、必要以上に息が切れる。興奮を静めなければ、苦しくて登れない…そう思いながらも、身体の奥底から湧いてくるこの感情を、抑えることができない。まだエベレストも見ないうちから、わたしはボロボロ泣いていた。風景を見て涙することなんて、そうそうあるものではない。しかし、今回はダメだ。これが泣かずにいられようか?!
20分くらい登った時点で、エベレストが姿を現し始めた。頂上に、少しかさのように雲がかかっているが、はっきりとそれと分かる。ついに、ついに、エベレストに会えた…。また感極まって、涙がどっと出て来る。われながら、どうしたのかと訝しむくらい、涙が止まらない。

カイラスを見たときも、何と美しい山かと思った。でも、エベレストを今まさに見ているこの感動に比べたら、それすらも褪せてしまうほどだ。マーブル模様の、世界一高い山。これが、世界一の山なのだ…。この山の前には、どんな言葉も無意味に思える。有無をいわさない、圧倒的な姿だった。

刻一刻と雲の量は増していた。カラ・パタールの背後にそびえるプモリは、とっくに姿を消していた。しかし、エベレストだけは、ほとんど隠れることなく、ずっと見えていた。カラ・パタールの頂上に着く頃には、もうダメかと思ったが、結局10時過ぎに下山するまで、エベレストは見え続けた。下山中も、雲の隙間から、ひょこひょこと顔を出してくれた。何という、サービス精神旺盛な山であろうか(笑)。

TREK151.JPG - 45,862BYTES ついにご対面!エベレスト!!!

下山中に挨拶したネパーリーのガイドに、「今、本っ当〜に幸せだよ。神様に感謝するよ」と云ったら、彼は「そうだな。エベレストにもな」と返してきた。そうだ。わたしは、エベレストに感謝しなければいけない。本当に、本当に心からありがとう。この日のことを、エベレストの姿を、わたしは一生忘れないよ。
…今だって、これを書きながら、身体が震えているくらいなんだから。

ロッジに戻って来た。勝利の美酒に酔いしれたいところだったが、パキスタンでのトレッキング中に酒を呑んで死にかけたことを思い出し(苦笑)、大人しくミルクティーを頼んだ。美味い。充実感とともに、身体にしみわたっていくようだ。同じく今朝、カラ・パタールに登っていたコロンビア人夫婦とそのガイドと乾杯などして、食べ物もおすそ分けしてもらった。みんなニコニコしていた。上で会ったトレッカーたちもそうだ。誰もが幸福そうに見えた。そりゃそうだ。だって、エベレストだぜ!

…もうこのまま下山してもよかったのだが、しつこい性格のわたしは、もう1日粘って、さらなる眺望を頂きに行くことにした。明日は多分、もっといい天気になるはずだという予感があるのだ。
今日はまたここに泊るので、午後からはヒマになる。天気も朝ほどではないが、まあまあよかったし、散歩がてら、エベレストBCに行くことにした。散歩でBCとはナメくさった話である。その罰がどうやら当たってしまったらしい。

死にかけた。
行きはそれでも、ラクラクだった。2回目ということもあろうが、昨日感じたほど危ない道だとも思わなかったし、道に迷うこともなかった。ところが帰り、どこでどう間違えたのか、気がつくと岩だらけの谷底に落ち込んでしまっていたのだ。ロッジの青い屋根が見えていたので、方向は合っているはずだ…と、ずんずん前進してしまったのがいけなかった。それも、鼻歌なんぞ歌ったり、しょーもない考え事にふけっていたせいだ。本当に、自分の愚かさ加減を呪いたい。
這い上がろうとしても、足場が弱くてすぐにずり落ちてしまう。「たすけてーーーーっ!」などと叫んでみても、喉を枯らすだけだった。このままここで、遭難してしまうかも知れない…本気でそう思った。全身に脂汗が噴出してきた。カイラスの巡礼で、6日間遭難した日本人のことを思い出した。「ほんっとに、死ぬかと思ったよ…。」彼の言葉がよみがえる。わたしも今まさに、そういう状態に陥ろうとしている…。何しろここには、人という人がまるでいないのだ。助けてなんて云っても、誰にも聞こえやしない。上がれそうなところに当たりをつけて、よじ登ってみるが、何度やってもずり落ち、全身砂まみれになるだけだった。

…少し冷静になった方がいい。
わたしは、来た道を戻ることにした。すでに、道に迷い始めてから、30分以上は経過しており、その道をまた引き返すのは気分的につらかったが、他にどうしようもない。“来た道”と云ったって、ただの岩場だから、正しく戻れるという保障もない。しかし、それしか方法がない。
…20分くらい戻っただろうか。無我夢中で歩いていたら、道が現れた。本気で「命拾いした」と思った。その後は、慎重に、人の踏み跡をたどって、ロッジまで戻った。

まったく、何という1日であろうか。地獄→天国→地獄…っておい、最後は地獄かいな。
教訓。山道はぼんやり歩かないこと。


9月22日(水)ゴラクシェプ⇔カラ・パタール→ディボチェ

6時15分起床。朝食をさっと済ませて、6時45分にロッジを出る。カラ・パタールの登山も、3回目だが、しんどいことには変わりがない。息もかなり切れる。それでもまあ、カイラスコルラのドルマ・ラ(※最高地点)よりはよっぽどマシだ、と思う。
カラ・パタール着8時20分。昨日の予想は的中し、眺望はさらによくなっていた。エベレストのみならず、わたしが求めていた“360度のパノラマ”が、まさに目の前に広がっていた。エベレスト、ヌプチェ、ローチェ、ロブチェイースト&ウエスト、プモリ…アマ・ダブラムまで見える。もはや思い残すことはない。エベレストも昨日同様に、よく見えた。エベレストに向かって手を合わせる。今日も、下山するまでその姿を留めてくれていたのだ。

ロッジで軽く昼食を取ったあと、11時過ぎ、下山を始める。12時20分ロブチェ、14時20分ペリチェ。ここからが長く、ディボチェ着は17時過ぎだった。ペリチェまではさくさくと歩けたが、そこから先が歩行困難に。足の豆がじくじくと痛み出し、雨まで降ってきた。それでも、カイラスコルラの初日は、10時間以上歩いたのだ、それに比べればラクなものだ…と自分にいい聞かせ、歩き続ける。早く歩けばそれだけ、カトマンズに近くなるのだ。美味しくて安い食事と、ホットシャワーと電源のある快適な宿と、可愛い洋服に雑貨、インターネット、焼きたてのパンとコーヒー…。カトマンズには何でもあるのだ。思い出せる限りの歌を歌いながら、歩き続ける。
トレッカーには殆ど会わなかった。ゴラクシェプからペリチェの手前までは、ヤク使いの兄ちゃんと一緒だったのだが、いつの間にやらものすごく離されてしまった。わたしは、他のトレッカーと比べても、かなり速く歩く方だと勝手に自負していたが…。ヤクって、あんな愚鈍そうな図体をしているのに、実は足が速いのである。

しかし、われながら健脚だなあと思う。足の裏は痛むが、それ以外の部分は何ともない。まあ、さっき宿の階段を上ろうとしたら、筋肉痛になっていたが…でも、歩いている間は、まったく平気だったのだ。

下の居間から、家族たちの楽しげな歓談の声とともに、ギターの弾き語りが聞こえてくる。ネパールの音楽だ。ちょっとのぞいて見たかったが、疲労の方が勝ってしまい、ベッドから動く気がしない。しかし、すぐに寝つけるかと思ったら、寒さのせいか、なかなか眠れなかった。

TREK183.JPG - 183,042BYTES カラ・パタール頂上からプモリを望む。

TREK184.JPG - 147,796BYTES 中央左がエベレスト。手前右はヌプツェ。


9月23日(木)ディボチェ→ナムチェ・バザール

今、これを書いているのは、ナムチェ・バザールの「エベレストベーカリー」である。BGMに「ホテルカリフォルニア」の流れる暖かい部屋の中で、絵葉書を書いたりしている。
本当は、今日中にルクラに着くつもりだったが、どう計算してもムリそうなので、ここで1泊することにした。1泊する、と決めるとひどく心が落ち着いた。ナムチェのツーリスティックさ(ミニミニタメルって感じだ)にも、何だかホッとする。
行きに寄ったときは、着いてすぐ眠ってしまい何も見ていないので、ここで1日ゆっくりするのも悪くない。まあ、見るものと云っても、ゴンパとバザールくらいだが。でも、ナムチェの建物はどれも、チベタン+チロルって感じ(どんなんや)で、とても可愛い。
今日は、7時45分発。30分上りを歩いて、タンボチェに到着。
しかし、あと5分早く着いていれば、タンボチェのゴンパから、エベレストとアマダブラムを両方、しかもでっかく見られたはずであった。まあ、そこまでの道中でも、このセットを拝むことはできたが、ゴンパからの眺めの方が10倍は素晴らしかったに違いない。タンボチェまであと少し、というところで、いきなり雲が出始めたのだ。くそっ!

思ったのだが、前回ここに来たとき、ガイドくんは「タンボチェにはいい宿がないから」と云ってディボチェに泊ることになったのだが、これは間違った選択ではないのだろうか?
ディボチェからも、山は見えたが、どう考えてもタンボチェからの方が眺望はいいに決まっている。晴れるのは早朝、と大体相場が決まっているのだから、それなら、タンボチェに宿泊して、翌朝山を見るというのが、正しい選択ではなかろうか?
宿がよくない、と云ったって、別に寝るだけだし、ディボチェの宿が特にいい宿っていうわけでもなかった。思うにこれは、ガイドくんの個人的思惑が働いているのではないだろうか?例えば、宿の娘とできてるとか(笑)…ってのはないにしても、その宿と懇意にしているとかいうことはあったのかも知れない。

いずれにしても、タンボチェからの眺めをわたしに見させてくれなかったのは、ガイドとしては、ダメな仕事だと云わなければならない。そう云えば、彼は、ダルバートを2日以上食べられないと身体がおかしくなる、などという軟弱な発言もしていた。ダルバートは、米の手に入らない山岳地域では、他の食べ物の倍の値段はする(お替り自由だしね)。「上(ゴラクシェプ)はダルバートが高すぎるから、何日も滞在できない」とかいう理由でさっさと下山の道を選んだ彼である。あんまり優秀なガイドではなかったのかも…なんて。

というわけで、1人で下山するというのは不安ではあったが、今のひとり身の方がずいぶんと気楽である。宿も、レストランも、好きなように選べるというのは、やっぱりいいもんだ。

タンボチェ→ナムチェ間は、予想以上にキツかった。行きは5時間かかった道であるが、帰りは半分くらいで行けると踏んでいたのだが…。地図上の直線距離は、まったく大したことはないのに、実際は、山の周りをうねうね迂回しまくって歩くことになり、結局4時間近くかかった。山道は、まるで輪廻のようだった。特にきつかったのは、途中の、1時間強の上りである。トレッキングも終盤というときに、上りがやって来ると、どっと疲労感が襲ってくるのだ…。

そうそう、途中、ヤクのチーズを売る店があり、何の気なしにのぞいてみた。値段を訊くと、直径20センチくらいのホールセールで、何と5000ルピーとか!ホントかよ!?しかし、とりあえず100グラムを買って(100ルピーもしやがる)店を出、歩きながら食べてみると、これがメチャ美味い。もっとクセのある味かと思っていたが、何というか、絶妙な味わいである。慌てて引きかえし、さらに200グラムほど購入。
(ところが、その後ルクラにて、半額以下の値段=1キロ350ルピーで買えることが判明…ショックだったが、とりあえずルクラでも1キロ買った。チーズ食べすぎ)
で、勢いあまって、ナムチェでは、ヤクのステーキまで食べてしまった。これまたなかなかのお味。

メモリースティックの容量が終わってしまったので、あまり出歩く気がしない。今日はこのカフェでのんびりしようと思う。


9月24日(金)ナムチェ・バザール→ルクラ

今朝は7時過ぎまで眠った。ひさびさに熟睡だ。身体にエネルギーが充電されたような気がしないでもない。
歌手のHITOMIが、何故かテニスの選手としてオリンピックに出ており、しかも決勝までいくという夢を見た。何のこっちゃ。

8時過ぎ、宿を出て、「ナムチェベーカリー」で念願のチョコレートケーキを食する。『歩き方』に、ナムチェではチョコレートケーキが食べられる、という記述があり、とりあえずこれを目標にして下山してきたのである。110ルピーもしたが、まあいい。たまには贅沢するのだ。コーヒーの量が多くてうれしい。

ゴラクシェプから続いている下痢が治らない。ゴラクシェプで、お金をケチってローカルの水(タダ)を飲んでいたのが原因である。道中でせっぱつまるってことはないのだが、何か胃に入れると、必ず下す。クライマーの人が、登山中に寄生虫にかかったと云っていたが、それだろうか…。

まあ、カトマンズで日本食を食べて静養すれば治るだろう。日本食と温泉。今日はそのことだけを考えて下山しよう。
禁欲ならぬ、禁浴生活も、ついにカイラスの1週間を更新してしまった。髪の毛が大変なことになっている。恐ろしくて帽子が脱げない。

ナムチェから、サガルマータ国立公園の入り口であるジョウサラまで、2時間もかかってしまった。
後半1時間、どうやら道を間違えたらしく、トレッカールートではなく、アップダウンの激しいシェルパ道を歩くハメになってしまった。1時間の間に、100人以上のシェルパとすれ違った。ガイドくんの話では、1人あたり50キロくらいの荷物を背負っているとか…わたしなんて、この6キロの荷物でこんなにふうふう云っているのに…彼らは超人か。半ズボンから伸びている足は、芸術的なまでに締まっている。

しかし彼らは、何という過酷な仕事を生業としているのだろう。あの危険な道を、あの大荷物を担いで往復して…大げさでなく、命がけの仕事だろうと思う。男だけではない、女も、ばあちゃんにいたるまで、荷物を運んでいる。1人、吐きそうになりながら歩いている女性を見た。痛々しかった。
ビール、ジュース、ヤクの生肉、乾麺、米…これらのほとんどが、われわれツーリストの口に入るものだ。彼らの足が、ナムチェの快適なツーリストライフを支えているのである。そう思うと、何だかいたたまれなくなる。

…やっとルクラに着いた。
ここまでの道のりが、これほどつらいとは思わなかった。この11日間で、最もつらかったかも知れない。
ジョウサラを11時30分に出て、パクディンに着いたのが13時50分。さらにそこから2時間半かけて、ルクラに戻って来た。行きはヨイヨイ、帰りは…とはまさにこれ。行きはハイキングのようにラクラクだったのに…いや、行きがラクだった(つまり下りが多かったのね)からこそ、帰りがツライのか。「もう二度とトレッキングはしない」と、最後の上り坂で固く決心した。ルクラに着くまでの30分くらい、口もきけないほど疲れきっていた。高度は確実に下がっているはずなのに、何故こんなにも息が切れるのか。

そう云えば、途中でトイレが我慢できなくなり、誰もいないのを見計らって、“必殺・どこでもトイレ”(よーするに野トイレだ)を行使した。これは、カイラスで覚えた技である。しかし、見極めが甘かったのか、スッキリしてズボンを上げようとしたまさにそのとき、シェルパの群れが現れたのである!人の気配がないことを確認したハズだったのに…ていうか、シェルパが歩くのが速すぎるのか。何にせよ、マヌケな失態であった…。

さらに、まだ事件があった。
パクディンのレストランで、先日ゴラクシェプで会った日本人の男子学生とまた会ったのだが、彼は、かなり困った事態に陥っていた。
話はこうである。タンボチェからヘリコプターでカトマンズに帰るハズだったのが、ヘリが来ず、エージェンシー(どうやら悪名高いSトレックという会社)に電話したところ、まったくラチがあかなかった。仕方ないので、ルクラまで戻って飛行機のチケットを買おうと思ったら、そのときの電話代が1万円近くかかり(衛星電話か何かだったようだ)、予定外の出費で無一文同然になってしまった。彼についているガイドも、彼の飛行機代を出せるお金の余裕はない。しかし、とりあえずはルクラまで歩いて戻り、空港で日本人を見つけてお金を借りるしかない…。

というときに、天から降って湧いたように現れたのが、わたしだったというわけである。わたしにしてみれば、いいメーワクだが、帰国日も迫っており、どうにも抜き差しならない状態らしかったので、金を貸してやることにした(←エラソー)。6000ルピー、日本円にして1万円である。1000円くらいなら返ってこなくてもあきらめもつくが、1万円がもし返って来なかったら、旅に支障が出る(かも知れない)。一応、身元は確かそうだと踏んだのだが(だましにしては、名前が珍しすぎるとか、身なりとか人相でそう判断したのだ)、われながら、よく貸したなあと思う。
帰国したら、銀行口座に振り込んでもらうということで、借用書を書いてもらって、手を打った。まあ、結局は、“自分が逆の立場だったら…”と考えた末のことである。

これまでになく天気が悪い。外を見ると、ものすごい濃霧だ。聞けば、一昨日、昨日とカトマンズ行きの飛行機が欠航したらしい。最後の最後まで天候に悩まされる。ともかくも、明日は晴れてくれなきゃ困る。風呂に入らないのも、そろそろ限界だし。


日記はしつこく続く(ってもあと1回)のでありました…。

 

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