旅先風信131「ネパール」


先風信 vol.131

 


 

**冷静と発狂のあいだ―エベレスト・トレッキング@―**

 

パキスタン、チベットと、己の性分に似合わない“トレッキング”というやつに何故か励んでしまっていたのですが、チベットのカイラスを最後に「もうトレッキングは充分ナリ」と結論を出したわたしでした。
それが、いったい何をとち狂ったんだか、エベレストへのトレッキングなんぞに申し込んで、また要らぬ苦労とお金を費やすことになった、愚か者のわたくしめでございます。いや、ホントにバカだよおいら。バカバカバカ!オレのバカ!

何でこんなことになったのか?
それには、さまざまな要因があるのですが、順を追って
説明しますと、以下のような成り行きです。

カトマンズに着いたその夜、日本食レストラン「桃太郎」で1人カレーうどんを食べていたら、ほっそりした、ちょっとロリータな風貌の女性が、「日本人ですか?もしよかったら、席をご一緒してもいいですか?」と声をかけてきました。
断る理由もないので、相席になり、食事をしながらあれこれ話をしたのですが、彼女は今日、エベレスト方面のトレッキングから帰って来たばかりで、久しぶりに日本語が話したくなってわたしに話しかけてきたとのことでした。ちょうど、と云うべきか、わたしは、カトマンズにこれから来る旅友たちと、待ち合わせでもないけれど、まあ会えたら会いましょうということになっており、それだと、10日くらいはカトマンズでヒマをもてあますことになりそうだから、いっそ、トレッキングに行って時間を潰すか?と、漠然とではありますが、考えていたところでした。

どうせトレッキングをやるなら、アンナプルナではなく、世界最高峰のエベレストを見に行きたい。2本もトレッキングをするような財力も体力もないのだから、どちらかと云われれば、エベレストに決まってる。エベレスト…山に興味がなくたって、その響きには得も云われぬ憧れがあります。消極的な動機からのトレッキングですが、エベレストを見に行くというのは、なかなか悪くない思いつきだと思いました。

結果的には、カトマンズは、ヒマをもてあますには非常にうってつけの場所であり、何もわざわざトレッキングに行かなくとも、カトマンズで大人しく待っていればよかったのですけどね。今にして思えば、カトマンズで10日や2週間なんて、あっという間に過ぎてしまうのに…何故かそのときは、妙に焦っていたんですよね。

それで、その女性の話をふむふむと聞いているうちに、「ちょっとエージェンシーを回ってみるかな」という気になり(なってしまい!)、とりあえず次の日、彼女が申し込んでいたエージェンシーに話を聞きに行くことにしたのです。ちなみに彼女は、ルクラからタンボチェまでのトレッキング7日間で550ドルかかったということでした。わたしは、どうせやるなら、タンボチェまでではなく、エベレストを大きく見られるカラ・パタールというポイントまで上がりたかったので、それだとかなりお金がかかるな…と思っていました。そこのエージェンシーでは結局、600ドルという話になり、相場より高いのか安いのかよく分からないので、とりあえず保留にして、オフィスをあとにしました。

その後、ネパーリー食堂で昼食を食べていたところ、日本語使いのネパーリーが話し掛けてきました(あとでわかったのですが、『世界一周デート』に登場するチャンドラという若者でした)。エベレストのトレッキングを考えているという話をすると、僕の知っているエージェンシーを紹介しますよ、と云われ、ちょっと胡散臭いなーと思いつつも、一応話だけ聞きに行くことにしました。
結局、そこのエージェンシーで申し込むことになったわけですが、はっきり云って“勢い”だけで申し込んでしまった感があります。前のエージェンシーよりさらに30ドルほど安くなったので、まいっか、と思って…。

ところが、トップページにも書いたように、カトマンズ→ルクラ間の飛行機が、天候不良で2日間も欠航しやがり、3日目もどうなるか…といった不安定な状況でした。
このときの日記は、「欠航なら欠航でハッキリしろよ。何で朝早くから半日も潰して、出るか出ないか分からん飛行機を待たなきゃいけなんだ!」とか、「人生において、このようなムダな時間を費やすことにわたしは耐えられない」「これは神の悪フザケなのか?」とかもう、呪いの言葉で埋め尽くされています(笑)。2日待った時点で、エベレストに行くモチベーションはかなり下がっていたのですが、キャンセルは出来ないという。今思えば、強引なエージェンシーだという気もしますが…キャンセルがきかないのは、どこも同じなのかなあ?

さすがに3日目は空港に行く気にならず、結局、2週間ほど出発を延期しました。その頃なら、雨季も終わって、より天候がよくなっているハズだという算段もあって…。

今回は、日記形式でお届けします。日記は、あとでまとめたものではなく、そのときまさに書いていたものに少し手を入れたという程度のもの。いや、この方が緊張感&ライブ感があるかなと思いましてね。単にまとめるのがめんどくさかった、っていう話も、実はちょっとあるんですけど(笑)。


9月14日(火)カトマンズ→ルクラ(2400M)→パクディン(2650M)

このトレッキングは、身体の鍛錬と精神の浄化という、崇高かつ真面目な目的を持っている。
本来ならば、それはカイラスでやるべきことだった気もするが、まあ、山は山だ。しかも、世界最高峰の山を拝みに行くのである。
…なんて云いながら、昨日まではホント、行くのが億劫でならなかったのだが。しかし、来てしまった以上、それなりの何かを得て帰りたい。何しろ、このトレッキングには、遊びじゃ済まされない、
けっこうな元手がかかっているのだ。

今日は、ルクラからパクディンまで2時間30分の、ハイキング程度の歩きだった。初日だから、このくらいでちょうどよいだろう。今のところ、体調は悪くない。悪いとしたら、精神状態の方だが、まあ精神の方は、多少悪くても、山を上るのに支障はなかろう。

今回のガイドくんは、前に来るはずだった、ハタチの愛想のない若者よりはよいガイドのように見える。彼も23歳の学生だ。日本語もカタコト程度に話す。しかし、会話になるほどではないので、話は英語でする。ツインの部屋でこれから10日間…というのは、何となく緊張するが、彼もその辺は気を遣っているのか、部屋にはあまり入らず、下の食堂で、ネパーリーの他のガイドや宿の主人たちと話している。

昼食後、寒いので寝袋にくるまっていたら、いつの間にかコテンと眠っていた。気がつくと夕方になっていた。


9月15日(水)パクディン→ナムチェ・バザール(3440M)

眠る。自分でも怖いくらいによく眠っている。身体も精神も、貪欲なまでに睡眠を求めているのが分かる。

今日は8時出発、13時ナムチェ・バザール到着。途中20分の休憩と、こまごました休憩以外は歩き通した。後半2時間は、完全に上り道でキツかった。しかしまあ、耐えられないほど辛くはない。歩いていると、さまざまな想念が、訪れては消える。カイラスのコルラ中と同じだ。しんどくなると、野口謙の「前へ、前へ」という言葉を自分に云い聞かせる。とにかく、この片足を前に出すこと。それが全てだ。
他人によく「苦行好きだね」と云われ、自分では、しぶしぶ認めつつも意識の上では納得いかないわたしであるが、今回は100パーセント自覚的な苦行である。まだ2日目だ。ロクな装備も持たずに来てしまったが(※バックパックではなくズタ袋、トレッキングシューズではなく2年半履いてボロボロのスニーカー、ダウンジャケットなんて持っているはずもない)無事にこの苦行を果たせるだろうか…。風呂に入れない記録も、おそらく最長記録を更新することだろう。

ふと、アラビアに渡ろうかと考える。インドのボンベイからUAEのドバイまで、船があるかも知れないというのだ。こことはまったく違う、砂の世界、か…。どうもわたしには、先のことばかり夢想してしまうよくないクセがあるようだ。「瞬間瞬間を生きる」と、カイラスで一緒だった仏のSさんはよく云っていた。それは、今自分のやるべきことを見据え、まっとうするということではないだろうか、と、勝手に納得してみた。

TREK034.JPG - 203,496BYTES 上から見たナムチェ・バザール。


9月16日(木)ナムチェ・バザール→ディボチェ(3860M)

3日連続、トレッキング後にスイッチが切れてベッドに倒れこんでいる。昨夜はそのせいで、なかなか寝つけなかったというのに…。どうも悪いサイクルにはまりつつある。

今日は8時30分出発、14時過ぎディボチェ到着。11時30分に昼食休憩、その後もちょこちょこ休憩を取ったので、実質歩いたのは、5時間というところか。昨日同様、最後の2時間が上りっぱなしでキツかった。でも、まだ余力はある。

ディボチェの手前、タンボチェには有名なゴンパ(チベット寺院)があり、てっきり今日はタンボチェに泊るものと思っていたわたしは、ホテルにチェックインしてからお参りに行こうと思っていた。そうしたら、タンボチェから30分も離れたディボチェに今日の宿を定められ、わたしは軽く憤慨してしまった。「そんなの、もっと早く云ってくれないと困るんだよ。」何もそんなことで怒らなくても…と自分でも思ったが、何となく心に余裕がないのだ。ガイドくんとも、最初の日はあれこれ話していたが、そのうち疲れてきて、今は業務連絡以外、余計な口を叩かなくなった。

どうも内省的になっているみたいだ。いかんな…と思えば思うほど、いかんともしがたい。今は、自分の中に起こっているさまざまな感情を、気の済むまで見つめ、考えたいときなのだ。…などとカッコつけたことを云いながらも、歩いているときに考えていることといったら「カトマンズに着いたら何を買うか」とか、「HPのデザインをどう変更するか」とか、限りなく俗っぽいことばかりである。何だかんだで、ラクなことを夢想するわたしなのだ…。
カレンダーの日付を塗りつぶすが如く、早くこのトレッキングの日程を消化することだけを望んでいる。まだ3日しか経っていない。そして、これからどんどん高度が上がり、キツくなっていくのだ。自分で選んだこととは云え、因果なものである。


9月17日(金)ディボチェ→ペリチェ(4250M)

昨夜も実によく寝た。昼寝も入れると、確実に半日は寝ている。昨夜―明け方くらい、何故か『聖闘士星矢』のキャラがぞろぞろ出て来る夢を見た。どうやら十二宮編の始まりのようであったが、舞台がどうも、わたしの小学校とその近辺っぽかった。一輝とカノンが、自作のテレビゲームに夢中になって戦闘に遅れて来るなど、内容もめちゃくちゃであった。で、わたしは一体、何のキャラだったのだろう…?

7時20分頃、ガイドくんに起こされる。ものすごく起きたくなかったが、「エベレストが見える」との声に慌てて飛び起きた。宿の2階から、確かに、遠くではあるがエベレストの先端と、ローツェが見えた。しかし、エベレストだとは、云われないと分からない。

8時20分、宿を出発。2時間少々は、緩やかな道。アマ・ダブラムが目の前にそびえ立っている。エージェンシーの兄ちゃんが、「一番好きな山」と云っていたが、美しく、迫力のある山である。「これがエベレストっすよ」と云われても、信じるかも知れない(笑)。
9時30分頃着いたパンボチェ村からも、エベレスト&ローツェのセットが見えたが、10分もしないうちに、雲の中に消えていった。10時30分、早い昼食。ここから先は、レストランがないのだという。11時15分出発、ペリチェ着は13時前。今日はわりとラクだった。上りが長く続くこともなかったし、道も歩きやすかった。なのに、ホテルにチェックインすると、またしてもすぐに眠ってしまった。いろいろ夢がやって来た。昔好きだった人が、このトレッキングに、何日かずれて来ていて、お互いの日程を話し合っている夢だけ覚えていた。貪欲に眠るのは、もしかすると、夢を見たいからかも知れない。

TREK063.JPG - 116,771BYTES 魔法使いが手を広げているように見えるアマ・ダブラム。


9月18日(土)ペリチェ→ロブチェ(4930M)

昨夜はあまり眠れなかった。妙な夢をいくつも見た。盗撮された自分の写真がポスターになって家に送られてくる夢、いかにも好色そうな男にハダカで首輪につながれている夢、クリスマスの日に昔のクラスメートたちと地酒をふるまうボランティア(?)をしている夢…。

起きたら、信じがたいほど天気が悪い。霧が、手の届きそうなところまで立ちこめている。これまでのところ、朝は必ず晴れていたというのに…。カラ・パタールは大丈夫だろうか?ベネズエラのロス・ジャノスで、誰でも見られるハズのアナコンダを見られなかったわたしである。カラ・パタールがこんな天気だったら、死んだ方がマシである(←まーたすぐに死ぬとか云う…)。

8時30分、ペリチェ出発。1時間は平坦な道。途中、ふり返ると、ロクシェ(?ガイドはそんなことを云っていたが、そんな山、あったか?)が、雲を従えてそびえ立っていた。まるで天空に浮かぶ要塞のようで(ドラクエ6のゼニスの城のようね)圧巻だった。
その後、1時間近く上りが続く。しかも雨に降られる。雨での上りはツラい。10時20分頃、途中の山小屋で早い昼食。雨宿りがてら、多くのトレッカーがいる。日本人にも初めて会う。その3人のうち、1人は本格的なクライマーで、今回この地域に登りに来ているらしい野口謙ともしばらく一緒に登っていたそうだ。ていうか、野口謙、来てるのか!?特にファンだったわけではないけれど、会えるもんなら会ってみたいな…。

クライマーの彼いわく、高度順応は2〜3ヶ月は持つそうで、カイラスに行っているんならこのコースは余裕だよ、とのこと。そう云えば、これまでのところ、高山病の症状はまったく出ていない。その話を聞いたせいか、急に身体が元気になり、ロブチェまでさくさく歩けてしまった。まるで靴に羽根が生えたようだった。歩いていること自体が楽しくてしょうがない、とでもいった風だった。しかし、ガイドくんには、あまり早く歩くなと注意された。無論、高度を急に上げると危ない、という配慮の上の注意なのだが、つい「あんたが遅いだけでは?」などと生意気なことを思い、さらには「ガイドは要らなかったかも…」とさえ思ってしまう。
と云うのも、さっき会った日本人2人は、ガイドなしで来ているのだ。それだと、ずいぶん安上がりだし、これまでのところ、道は一本道で迷いようもないし…まあ、わたしの場合は1人だから、保険という意味では雇っておくべきなんだろうけど。

今日で5日目。やっと半分消化した。あと1週間後には、ロイヤルハナガーデン(※カトマンズにある、日本人経営の温泉&レストラン)で思う存分、温泉につかってやるのだ。日本食もばかばか食って、買い物もがっつりやってやるぜ。
目下の懸案は、カラ・パタールの日にちゃんと晴れるかどうか、ということだ。

ロブチェ着は12時50分。今日も3時間30分くらいしか歩いていない。今のとこ、楽勝だな。とか云いながら、また昼寝してしまったけど。でもこれは、ほかにやることがないからってのもあるな、と今日気がついた。


9月19日(日)ロブチェ→ゴラクシェプ(5280M)⇔エベレストBC(5350M)

最低最悪。昨日に増して、濃霧、悪天。山どころか、10メートル先の視界すらきかない。ガイドくんは、「今日はここに泊って、もし昼頃晴れたら、カラ・パタールに行ってまた戻って来よう」などと云っている。わたしはそれに対して、猛然と反対する。ここからカラ・パタールまでは、4時間以上かかるのだ。それで、もし上で見られなくても、荷物をここに置いてしまったら、また4時間かけて戻ってくることになる。そんなの、ムダもいいとこだ。

それにしたって、この天候はひどすぎる。ここまで、何のために、大枚はたいて、修行僧のようにひたすら登って来たっていうのだ?!エベレストを、間近で、それもクリアに見られなければ、これまでの苦労とストレスとお金は、すべてゴミと化してしまうのだ。「天気は運の問題だから」と云って済む問題なのか?もうイヤだ、こんな人生。肝心なことがダメになるような人生なんて。…考えてみれば、今までこんなことが、何回あっただろうか。誰もが上手くいくハズのことが、わたしに限って上手くいかないっていうことが…。

天候は意志の力ではどうにもならないが、エベレストを見ることは意志の力で出来よう。ガイドを帰してでも、わたしはエベレストを見るまで、山を下りないぞ。無論、明日のカラ・パタールが晴れてくれることが一番いい。でも、どちらにしたって、エベレストを見られるまでは帰れない。ここまで来て、見ずに帰るという選択はありえない。

…少し陽が差してきた。でも、青空は見えないし、この程度の晴れ間では甚だ心もとない。
8時20分、ロブチェを出発した。空全体の7分の1くらいの青空から、太陽も顔を出している。しかし、山は雲に覆い隠されたままだし、後ろを振り返ればすぐそこに霧が迫っている。こうなると、太陽が出ているのも、ムダに暑いだけだ。そして、天候は徐々に悪くなっていく。何だか許せなかった。ちょうど1週間くらい前は、カラ・パタールはきれいに晴れていたらしいのだ。それが何故?普通に考えるなら、今は日に日に雨季が明けつつある時期、1週間前よりも天気は上向きになっているハズなのに?

急に怒りがむくむくと湧いてきた。それはものすごいスピードで膨れ上がり、わたしは軽い錯乱状態に陥ってしまった。「エベレストが見られないなら、わたしは何のためにここまで来たのよ!」そう叫んで、何かに取りつかれたように早足になり、息が切れるのも構わず、そのスピードのまま歩き続けた。後ろを歩いていたガイドくんが異変(なのか?)に気づき、慌てて追いかけてきた。「どうしたんだ?!」
わたしは、どうしてもエベレストが見たい、もし見られないなら、わたしは1人でここに残って、何日でも待つ、と云い、何故こんなに天気が悪いのか、何故山が見えないのか、とガイドくんに当り散らした。
「山が見られないのは君だけじゃない。運が悪いのは他のトレッカーも同じだ」
「違うね。天気が悪いのは、わたしがここに来たせいだよ。全部わたしが悪いんだよ。わたしなんか死んだ方がいいんだよ!
…われながらムチャクチャである。が、以前からの雨女疑惑もあって、半ば本気で、自分のせいだと考えてもいるのである。今回もし、エベレストが見られなかったら、わたしはまた、さらに人生に対してネガティブになってしまうだろう…。

ともかく、その場に関しては、ガイドくんの「エベレストが見られるまで、僕も何日でもつきあうから」という言葉で収まった。わたしも「取り乱してごめんなさい」と謝った。
しかし、その後天気がよくなることはなく、ご丁寧に雪まで降る始末である。ゴラクシェプに着いたのは10時30分。ロッジに日本人の男の子がいたので、カラ・パタールの天候のことなど聞いてみる。彼は、一応見られたと云っていたが、雲の切れ間からうっすら…という程度だったようだ。わたしはそんなんじゃ満足できない。

昼食後、エベレストBCに行く。ゴラクシェプからは往復4時間。もっと大変な場所にあると思っていたのだが、そんな程度の労力で行けてしまうのである。
しかし、道はけっこうハードだった。岩、岩、岩、岩、岩…。パキスタンのパスー氷河のトレッキングを思い出した。あれよりもハードだ。この世のものとは思えない光景である。もし、地獄というものがあるとしたら、こんな地獄(岩地獄ですか)もあるんじゃないかと思う。途中、太陽が差してくるが、雲はなくならない。暑いだけで、役に立たない太陽め…。

BCに着く頃には、雪が降っていた。BCには何もない。岩と氷河の混じった丘。見るべきものと云えば、墜落したヘリコプターくらいだ。まあ、ここに来たのは完全に自己満足である。エベレストBCという響きへの憧れを満たしたという、それだけだ。何しろBCは、エベレストの裾野にあるワケではなく、あくまでもエベレスト登山の拠点というだけであって、従ってBCに行っても、エベレストに足を踏み入れたコトにはならないのである…。

それにしても、BCも、晴れていれば、さぞかし素晴らしい眺望が見られたことだろう。きっと、わたしが2年半かけて旅しても見られなかったような光景に違いない。そう思うとまた、悔しさがふつふつとこみ上げてくる。
とにかく、明日だ。明日晴れれば、万事OKなのだ。果たして明日、このノートには何が書かれるのだろうか?

TREK113.JPG - 141,991BYTES BC周辺の光景。何という、優しさのない光景であろうか…(笑)。


9月20日(月)ゴラクシェプ⇔カラ・パタール(5550M)

惨めだ。何という惨めな成り行きであろうか。「昨夜は星も見えていたし、今日はいい天気だ。君はラッキーだなあ」などと云われて、朝の6時過ぎに送り出された(ちなみに、ガイドくんは腹痛のため、わたしは他のツーリスト&ガイドにくっついて行くことに)にも係わらず、天気は昨日にましてひどいことになっていた。辺り一帯に霧が立ちこめ、ロクに視界もきかない。晴れるどころの話ではない。

それでも上っていると、下痢と胃痛が同時に襲って来た。それらと、寒さに耐えながら、ただ黙ってカラ・パタールを目指して歩くしかなかった。どう見たって、晴れる見込みなんかない。それなのに、引きかえすことも出来ずに歩いている。この行為に、どんな意味があるというのだろう?
「あきらめたらダメだ。ここであきらめたら負け犬じゃねえか。絶対に負けない。そう思っているうちは、何回だって勝負出来るんだ。」自分にそう云い聞かせて、重い足を前に出す。途中、ほんの少し陽が差して、うっすらと、ヌプツェの輪郭が見えた。わたしはそれを見て、思わず泣いてしまった。輪郭だけれも何と神々しい姿なのだろうかと…。でも、それで満足するわけにはいかない。

カラ・パタールにいたる最後の上りは、完全に岩山―というか、岩が積み重なった山で、しかもひとつひとつの岩に、ご丁寧にも雪が積もっており、足場が非常に悪かった。足を踏み出すのが怖い。次の一歩は滑ってしまうんじゃないかと思って立ちすくんでしまう。こんな命がけ(?)の思いまでして、カラ・パタールの頂上まで登っても、天気は悪くなる一方だ。たまに太陽が顔を覗かせても、それは昼間の月のようにひどく弱々しい。雲はしつこいほどに重く垂れこめている。雲と足元の岩、それしか見えやしない。

8時30分、下山を始める。途中で会った欧米人ツーリストが、「もう少し待った方がいいよ。ほら、少し見え始めているだろ。あと10分も待てばクリアになるはずだよ」とわたしを制した。確かに、裾野の方が見え始めていた。どうせ帰ってもやることはないのだし、と思い30分くらい待ってみた。雲はどんどん増えていく一方だった。また雪がちらつき始めた。胃痛がひどくなってきた。もはや、何も見えないのは自明の理だった。早く帰って横になりたかった。

…ガイドくんとの話し合いの結果、もし明日見られなかったら、ガイドくんは1人で下山し、わたしは、いつまででも、見られるまでここに残るということになった。契約期間の残り分の生活費(3日分)とタクシー代をもらって、自力で下山するのだ。来た道を戻るだけとは云え、事故や強盗に遭う可能性だってないとは云えない。ガイドと帰った方が、身の安全は保障されよう…。
現実的な計算では、あと5日くらいはここで待てるだろう。お金の問題よりは、自分の精神が耐えられるのがその辺だという計算だ。ゴラクシェプには何もない。ここでそんなに長く居たら、発狂しかねない。ただでさえ不安な上に、孤独とも退屈とも闘わなければならないのだから。カトマンズの戒厳令下のように、PCも小説も食べ物もあるという、生半可な状態ではないのだ。

さっきは思い余って、というかヒマすぎて、チベット式の五体投地礼(簡易だけど)を200回もやってしまった。われながら、ちょっとキチガイじみていると思う。でも、祈る以外に、わたしに出来ることは何もないのだ。
16時。空はぼんやりと明るい。明日に希望を賭けたくなる。でも、昨日だって、この時間帯は太陽が差していたのだ。今朝のあの、絶望的な気持ち。思い出すだけでいたたまれない。明日も、明後日も、同じようなことが起こったら…。
一切のものと切り離され、当てにならない天気の回復だけを願っている。もうあきらめて、帰ることが出来たら、どんなにラクだろうかと思う。


日記は次回に続きます。

 

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