旅先風信129「チベット」


先風信 vol.129

 


 

**さらばチベット、怒涛の長距離移動**

 

ショトン祭が始まりました。

ショトン祭は、チベット最大の夏祭りです。
ラサの二大ゴンパであるデプン寺とセラ寺にて、巨大なタンカ(仏画)が開帳され、人々がそれを拝みに行くというのが、祭りの簡単な流れです。御開帳は1年に1度、このショトン祭初日だけということで、霊験もあらたか、ご利益当社比100倍というわけです。

巡礼者および観光客は、まだ夜も明けない4時くらいからごそごそと動き出し(徹夜組もいる)、ラサの郊外にあるデプン寺へと急ぎます。
わたしも、Sさんやドミトリーの面々とともに、夜明け前に宿を出、参拝客に混じって歩きます。デプン寺までの参道はすでに大行列。暗い中、足元も不安な状態で、人の波に押されるように進みます。
こんな大群衆の中でさすがにチケットチェックはねーだろ、と今回もタダで入ることを目論んでいたのですが、しっかり捕まってしまいました…。この日のチベタンコスプレは、何故かえらく中途半端だったのです。それで、「何でもっと完璧なコーディネートにしなかったんだ!」と歯軋りするハメに…くくく。

タンカ台は、寺の上の、丘のようになっている場所に設置されています。
空が少しずつ白み始める頃には、タンカ台を囲むようにして、参拝客がそれぞれの位置を陣取っています。早朝の薄暗い中を、群集が人が蟻のようにうごめき、何やらものものしい雰囲気が…。
そして7時ごろ、いよいよ御開帳の準備が始まります。数十人の僧侶たちが白い布に包まれたタンカを運び出し、タンカ台まで運びます。そのさまは、さながら白い大蛇のよう。
大量に炊かれたお香の煙とルンタ(お札)が舞う中、ブオオオオーン…という低い笛の音と太鼓の音に合わせて、タンカがゆっくりと開帳され始め、チベタンも、観光客も全員タンカに注目。
ついに巨大なタンカの全貌が現れると、群集のどよめきが起こり、楽器の音、説教の声なども一気にボリュームが上がります。タンカの周辺はもう、人の行き交いでわけのわからないことになっています。

僧侶たちがタンカを運ぶようす。

タンカオープン。とにかくでかい!

ものすごい人出と、目が潰れそうなくらい多量のお香の煙のせいで、一緒に来た人たちとははぐれてしまいました。最後まで一緒だったSさんともいつのまにか離れ、仕方ないので 1人でデプン寺の観光をしつつ、祭りの喧騒の中に身を浸していました。
寺の敷地内は、ラサじゅうの、いやチベット中のチベタンが集まっていると云っても過言ではないくらい、人でごった返しています。宿の近くの屋台で食事をしていると毎回「金くれ」となついてくる(涙)少女の物乞いも、今日は寺まで出張に来ています。
しかし、祭りと云ってもこのショトン祭、飲めや歌えや踊れや系(何だそりゃ)の躍動的なものではなく、タンカを拝んで、お寺にお参りして、あとは家族でその辺に弁当を広げて食べる…という、えらくユルい、ピクニックの如き祭りなのでした。日本の行事で無理やり喩えるなら、初詣+花見のようなノリですか。

デプン寺参拝のあとは、セラ寺へ。ここでもタンカの御開帳があるのです。
セラ寺のタンカは、夕方まで開帳されているので、多くのチベタンは、デプン寺からハシゴして参拝するもよう。わたくしも、ここまで来たからには、両方拝んでいくのがスジというものでしょう(何のスジだか)。

まあね、タンカ自体のありがたみはよく分からないにしても、祭りの熱気というのはいいものです。人の作り出すエネルギーが満ちている空間に身を置いていると、自ずから気分が高揚します。長くいると疲れてぐったりしてしまいますけどね。この日も、早朝から夕方まで人混みの中を出歩いていたので、宿に帰ると即、ベッドに撃沈してしまいました。

セラ寺のタンカ。

タンカの開帳で祭は終わりかと思いきや、それから1週間近く、ノルブ・リンカにて毎日、踊りと演劇の舞台が催されます。
ノルブ・リンカにも当然コスプレして無料で入場し(実際は引っかかって、強引に突破した)、チベタンオペラなる催し物を見ました。 舞台の内容はさっぱり分かりませんでしたが、次々登場する華麗で奇抜なチベタン衣装だけで、充分興奮できました。いやーほんと、何であんなにカッコいいんだろう?デザイナーは誰?クリスチャン・ラクロワ?それとも高田賢三?

チベタンの舞。

ショトン祭が終わった直後、まずTさんがラサを出て、中国・雲南省へ向かいました。
わたしも、中国ビザがあと数日で切れてしまうので、あまりのんびりしている余裕もなく、荷物を送ったりあれこれと用事を済ませたあと、すぐに出ることにしました。
Sさんは、わたしよりも1週間ビザが切れるのが遅いので、もう少しラサに滞在するとのこと。「またカトマンズでお会いしましょう」と再会を約して、しばしのお別れです。

西チベット以来のひさびさの移動に、わたしは武者震いしました…というのは冗談、かなり不安でした。
ここまでは、TさんとSさんと3人で、3人4脚で助け合って来たけれど、ここからは…1人ぼっち。みなしごはっち。
ラサ→シガチェ間はバスがあるからいいとして、そこから先、ネパール国境までは、おそらくヒッチハイクになるでしょう。1人でヒッチハイクなんて、つらいなあ…。それも、確実な情報は何もないのです。車は、あるかも知れないし、ないかも知れない。あったとしても、乗せてくれるかどうかは分からない。バカ高いかも知れない。そんな状況の中、わたしのビザ期限は着実に迫っていて、何日も車を探したり待ったりする余裕もない。

わたしに残された日は、あと6日です。
まずは、ラサ→シガチェ間の移動で1日。シガチェとギャンチェを観光して2日。ということは、ネパール国境までの移動に要する日数は…3日。
もちろん、無理な日程ではありません。その辺は一応計算して、ラサを出る日を決めたのです。ただ、車があるかどうか。それがすべてを決定するのです。
ラサで、ネパールに向かう旅行者を探してランクルをシェアするのが一番いいのだけれど、あいにく、わたしの日程に合いそうな人々は見つかりませんでした。

ともかくも、まずはシガチェに移動です。
普通なら6時間くらいで行けるところが、現在道路工事中のため、山道を迂回せねばならず…12時間。バスは当然ローカルのボロバス。はー、つらーいー……。
悪路はまあ我慢できないレベルではなかったのですが、今回(も)きつかったのは、乗客がタバコを吸いまくることでした。乗客の99パーセントはチベタンでしたが、彼らも漢人同様、車内でガンガン喫煙するのです。
風邪を引いていたわたしには、かなり応えましたね。で、何度も嫌味のように咳き込むのですが、誰もおかまいなし。勝手にむせてろってなもんです。ええ、勝手にむせさせていただきました。
しかも、吸殻は窓から捨てず、通路に捨てて火を消そうともしません。いつの日か、タバコで火事を起こして丸焼けになればいいんだこいつら(こらこら…)。

漢人のマナーもひどいもんですが、チベタンのそれも大して変わりませんね…。
その後、ギャンチェの白居寺を観光していたとき、リュックを置いてひと休みしていたところにチベタンのガキが来て、いきなりわたしのリュックを開け、中からトイレットペーパーを出して鼻をかみやがったことがありました。ガキと云っても、5歳や6歳の小さな子供じゃありません。呆気に取られていると、ガキとその仲間たちは、遠巻きにこっちを見てニヤニヤしています。周りには大人たちもいてその様子を見ていたのですが、誰も注意しません。

社会的に虐げられている人々=心の美しい人々であるという図式が、世の中には何となくあると思うんです。チベットにしたって、つい、中国人=侵略者=悪人、チベタン=被害者=善人、という図式を描いてしまいそうになりますが、コトはまあ、そんな単純なもんじゃないですよね。むしろ、虐げられることで心がゆがむことだってあるだろうし…いや、決してチベタンがゆがんでいるというわけじゃないんだけど。
何が云いたいのかというと、チベタンもマナーが悪い!中国人と同じ!ってことです。本来なら対立する存在なのに、やってることは一緒…と云いたかったという、それだけっす。

シガチェ、ギャンチェと観光してまわりました。
あいにくチベタンコスプレグッズは、日本に送ってしまったので、大人しく入場料を払っての見学です…って、それがフツーなんですけども。

シガチェは、いかにも中国が造った町、という感じがします。だだっ広い道路が格子状に走り、中華系の商店が軒を連ね、すべてが奇妙に新しい。広い分、アリよりもスカスカした印象です。
シガチェ最大の見どころは、タシルンポ寺です。ラサのポタラ宮がダライ・ラマのものであるのに対して、ここはナンバー2であるパンチェン・ラマの本拠地。ダライ・ラマは観音菩薩の化身ですが、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身だそうで…ってことは、菩薩より如来の方が格が上のはずだから、パンチェン・ラマの方がエライのでは…と、素朴な疑問が湧いてきますが、まあそれ以上は追求しまい。
ともかくもここはかなりの巨大僧院で、それ自体がひとつの町のようです。
そう云えば、ダライ・ラマの後継者同様、パンチェン・ラマも2人いる(中国政府が選んだ人と、ダライ・ラマが選んだ人)はずですが、その後どうなっているんだろう…。

ギャンチェも、町のいたるところで工事が行われ、おそらくシガチェのような町並みになるのであろうと予想されますが、白居寺(パンコル・チューデ)の周辺はまだチベット家屋が多くを占めており、古都らしい風情があります。
白居寺には、他とはやや造形の変わった大きなチョルテン(仏塔)があり、右回りにらせんを描いて階段を上ると、タントラ(密教の経典)成立の過程をたどれる仕組みになっていて、頂上まで上がれば、解脱できます(笑)。中にはいろいろな仏の皆さんが祀られているのですが、これがなかなか、アーティスティックかつアヴァンギャルドな創意あふれる彫像ばかりで、チベット仏教のユニークさに改めて感服した次第です。

城塞の上から見たギャンチェの町。

しかし、観光よりも大事なことは車探し!観光はあくまでも、その片手間です。
シガチェに着いてまず探したのは、旅行者のランクルです。旅行者がいそうなホテルをいくつか当たってみたところ、ランクルは皆無。どころか旅行者もほとんどいませんでした。
次に、町なかに停車しているトラックを数台当たってみました。いずれもダム行きではなかったのですが、1人の運ちゃんが、「トラックじゃなくても、バスがあるだろ」と云うではないですか。
何だ、バスがあるの?!早く云ってよそれを〜!!!

バス停に行ってみると、やはりダム行きはあるとのこと。1日おきに出ているらしく、次回出るのは明後日。
そうかそうか、じゃ、楽勝じゃん。ビザ期限にもばっちり間に合う。よかったよかった。一件落着。
…と確認したことに満足して、わたしはチケットを買わずにそこを去りました。

そうやって、余裕こいていると、決まって落とし穴があるんだね。
翌日の夕方、ダム行きのバスチケットを購入しようとすると…ないんだって。売り切れたんだってさ!
はああ、やっぱりかい…。売り切れは予想していなかったけど、何かしらつまづくような予感はあったんだ。じゃあチケット買っとけよと思うでしょ?でもねー、あらかじめ、しかも2日も前にチケットを購入するという行為は、風の旅人であるわたしの辞書にはないんですよねー(書き加えろって)。
仕方ないので、「あさっての分は?」と尋ねると、あさっては、「バスは出てない」んだってさ!まあ素敵!世界って素晴らしいね!それだと1000パーセント、間に合わないんですけどね!
すっかりパニックに陥ったわたしを、チケット売り場の女どもは、猿回しの猿でも見ているかのようにケラケラ笑っていました。久々に、殺意とゆうものを覚えた次第であります。。。

その後、男性の係員と(筆談で)話したところ、「もしかすると空きが出るかも知れないから、明日7時30分に来い」とのこと。しかし、それも甚だ心もとない話です。係員も明らかに自信なさそう。ま、あればラッキーってことで…くらいのノリです。いや、それじゃ困るんですよ!こっちは、朝も早よから巨大な荷物を背負ってここまで来なきゃいけないんですから…。それでもし、「やっぱ空きはないみたい。てへ♪」なんて云われた日には…殺すしかない(こらこら)。

シガチェの町にあった、「美味しくない」という名前のレストラン…何故?!

それからというもの、ふたたびシガチェ中を歩き回って、車探しです。
とにかく、車の影があるところをしらみつぶしに訪ね歩きます。駐車場、ホテル、道端、旅行会社…などなどをたらい回しになること1時間、シガチェでは高級ホテルの部類に入る「日客則飯店」なら車があるのでは?との有力情報を仕入れ、わらをも掴む思いでそこに出向きました。

フロントに尋ねると、どうやら車の管轄(?)は守衛室がやっているということ。
それも何だか意味不明ですが、とりあえず守衛さんに事の次第を話しました。すると「車はあるよ」とのありがたいお言葉が!よかったー!これでチベットを脱出できる!
「で、おいくらですかね?」
「300元」
って、アホか!高すぎるわボケ!ダム行きのバスは、150元なのです。ランクルなら多少割高でもいたし方ないとしても、それは高すぎる。だって、チャーターじゃないんだよ?
「まあまあ、もうすぐしたら運転手が来るから、詳しくは運転手と話しなさい」
という守衛さんの言葉に従い、しばしそこで運転手を待つことになりました。

…なりました。
…なりました。
…なりました。

「ねーおじさん、まだなの?」
「うーん、まだみたいだね」
「……」

30分後。
「ねーおじさん、運転手さんは?」
「来ないねー(とあさっての方向を向く)」
「……」

1時間後……以下同文。
「って、おっさん!わたしはいつまでここでぼんやりしてればいいんですかね!?」
「まあまあまあ、そう怒るなって…もうちょっと待ってみようではないか」

そうなんです。怒ったってもはや、どうしようもないのです。怒ろうが泣こうが、この車がなかったらわたしはシガチェを出られない…。
結局、日客則飯店の保安室で2時間待ったあげく、運転手は来ませんでした。…っておい!今までの時間は何だったんだっ!?
しかし「明日の朝7時にもう1回来てみてくれ」と云われれば、そうするしかないのです。ああ、何て弱弱しい、浮き草のように儚いわが身…ああ、今夜は不安で、とても眠れそうにない…。

翌早朝、外の暗いうちから起き出し、云われたとおり7時に日客則飯店に行きました。
そして、羊のように大人しく待つこと30分が経過。そろそろバスターミナルの方もチェックしなければならないので、守衛のオッサンに「あの、車は…?」と尋ねると、「車はない。」
…はあっ?!オッサン、あんた今何ておっしゃいました?!
昨日2時間待たされて、さらには50元のデポジットまで取ろうとしていた、その結果がこれかい。え?人をナメるのも程ほどにしなはれよ、ホンマに!!!

しかし、ここで怒り狂っている時間はない。最後の頼みの綱であるバスターミナルへ、やはり昨日云われたとおり、7時30分に行きました。
そして、ダム行きのバスを探すと…あった!おお、神よ!…しかし何だこれ、バスじゃなくて、ちっこいハイエースじゃん。そりゃチケットも速攻売り切れるわのう…。
とりあえず、運転手にダムに行きたい旨を告げ、しばし待ちました。すると、このハイエースの係員(?)みたいな女がやって来て、「あんたは外人だから300元ね!」と、当たり前のように、しかもすこぶる高圧的におっしゃって下さいました。
ぐぬぬぬ、何が悲しくてこんな女に威張り散らされた上、チケットを300元などというありえん値段で売りつけられねばならないのでしょう?!
こんなボロハイエースにそれだけ払うくらいなら、レンタカー屋でランクルをチャーターした方がよっぽどマシです、ていうか同じ値段だしな!

隣に、ネパールへのもうひとつの道である、キーロン(吉隆)行きのミニバスが停まっていました。
何ならもう、ダムをやめてキーロンに行くか、ちょっとハードそうだけど…などと考えていたら、先ほどの女が「200元でどう?」と声をかけてきました。女の態度にムカついていたわたしは、このハイエースに乗る気はかなり失せていたので「不要(プーヤオ)」と云って追っ払うと、「じゃ、いくらなら乗るの?」と尋ねて来ます。何だこいつ。さっきまでのエラソーな態度はどこへ?いや、エラソーには変わりないけど。
一昨日聞いていた150元以上で乗る気はさらさらないのでそう云ったところ、あっさりOKになりました…何だそりゃ、買い手市場だったのか?まあこれも外人料金なんでしょうけど…。

シガチェからのルートを簡単に説明しますと、シガチェ→ラツェ→ティンリー→ニャラム→ダムと進みます。この道は、中尼公路といって、ラサとネパールを結ぶ道路であり、途中にヒマラヤ山脈を臨みながら走る、旅行者にとっては憧れのルートのひとつです。
シガツェ以外はすべて非開放地区のため、検問で見つかったら一巻の終わりです。それでも、たった1日の移動のために、何十元ものパーミット代を払いたくなかったので、パーミットは取らずにぶっちぎることにしました。あー大丈夫だろうか…。

シガチェ出発、8時30分。
1時間もしないうちに、悪路(世界ランク:Sクラス)に突入いたしました(涙)。
ぐはあ、これはつらい、つらいぞ…。今日1日これが続くなんて、ちょっとありえないぞ…。さすがは世界の秘境チベット…って、感心してる場合じゃないっす。
ランクルであればいくぶん快適にもなったのでしょうが、何しろこいつはボロハイエース、振動が半端じゃありません。道路が波打っているのだろうか、あるいはこの車には地震機能がついているのだろうか(どんな車やねん)…。ああ、お願い、30分でいいから普通に走って。このままじゃ、座っているだけで体重が激減しそう…あ、もしかして、これって新しいダイエット?悪路ダイエット?
さらに悪いことに、車内はみっしり満席。荷物の置き場もないので、わたしはクソ重いバックパックを膝に乗せたままの姿勢で、えんえん悪路を揺られ続けているのです…拷問!?こうゆう拷問、確か江戸時代とかにありましたよね?
また、最初に隣の席だったおっさんの口臭(にんにく)にも悩まされ、それがいなくなったと思ったら、新しい隣人は、眠りこけてわたしの方にガッコンと倒れ掛かってくること数十回…頼むから、わたしに充分な生活空間を分け与えて下さい(涙)。

というわけで、道中はひたすら苦痛に耐えることに専念していたのですが、それでも、時折心に余裕が生まれれば車窓に目を移します。
チベットのダイナミックな自然を見るのもこれが最後かと思うと、何やら胸に迫ってくるものがあります。
後半、ティンリーを越えた後、ヒマラヤの山々が見え始めました。さすがにエベレストを判別できる距離ではなかったですが…。 夕暮れの中、白い山脈があぶり出しのように浮かび上がって、それはもう、この世のものとは思えないほどに美しく、幻想的な光景でした。
車は、その山々の間を切り裂くように走り、まるで空を飛んでいるかのようです。山々は、不気味なほど間近に迫って見え、「ここには本当に神々が棲んでいるのではないか…」という、ベタながらも美しい錯覚にとらわれました。
このときばかりは、ボロハイエースに乗っていることを忘れ、神の馬車にでも乗っているような崇高な気分でした。

道中の風景はだいたいこんな感じ。

揺れまくる車内で必死に撮ったヒマラヤ山脈。

やがて闇が降り、半月がチベットの山と荒野の上空に輝き始めました。
黒い影となった山々が、月の薄明かりでその輪郭を浮かび上がらせ、何ともミニマルで神秘的な眺めを作り出していました。
乗客の半分近くはすでに途中下車しており、車内は不気味に静かでした。わたしは何だか、ずっといつまでもこの車に乗って、どこか知らない場所を目指しているような気持ちになりました。いつ果てるとも分からない永遠の旅路にいるような…。

しかし、もちろん旅路は永遠ではありません。
ダム到着、23時30分。遅っ!!!あと30分で今日が終わるよ!いったい何時間このボロ車に乗せられていたんだよ!?
…15時間か。まあ、アリ→ラサ間の80時間に比べれば、屁でもない…って、比べるハードルが高すぎるっての!!
ああ、何て、何て長い移動だったんだろう…。チベットの旅は、移動が主役と云っても過言ではないかもな…。

道中、心配していた検問はほとんどなかったものの、一番厳しいと聞いていたニャラムでは、冷やっとさせられました。
全員が外に出てチェックを受ける中、運転手が「お前は隠れてろ」と、わたしを押しとどめ、窓の外から見えないように後部座席に横たわり、息を潜めていました。ここまで来て捕まったら、笑えないくらいマヌケだ…。闇の中で1人、心臓をバクバクさせていましたが、検問官は、わざわざ車内まで調べることはせず、無事に通過できました。

その検問を潜り抜け、ダムまであと30キロと、もう着いたも同然!と喜んでいたのも束の間、この道が半端じゃなくキツかった…くそー、最後の最後で嫌がらせかよーーー!!!
夜道な上にガケ道な上にボッコボコの月面悪路。滝くぐりのお楽しみ付録つき。そんな道にも関わらず、運転がかなり荒く、本気で命の危険を感じました。あまりの振動で、首の骨が折れそうになったり、腰を何度も強打して、息が止まりかけました。もうっ、何なんだよこれは!?完全に罰ゲームじゃねーかよ!!!

さて、やっとダムに着いたのはいいけれど、意味不明な地点で降ろされてしまいました。ここがダムの何処なのか分からず途方に暮れていたら、運転手はわたしの荷物を、まるでゴミのように放り出し、しっしっ、と追い払うようにわたしを下ろすと、疾風の如く走り去って行きました。外国人を乗せているのがヤバいのかも知りませんけど、かなりムカついたわー…。

それでも、何とか宿を確保し、チベット(及び中国)最後の夜を過ごします。
これまでで最安の、シングルで10元。安いだけあって、実にうらぶれています(苦笑)。
外は雨。部屋は何となくじめじめしていて、ラサを出て以来5日間風呂に入っていない自分の身体が、改めて気持ち悪くなりました。
…コーヒー。そうだ、コーヒーを作ろう。
ああ、コーヒーを買っておいてよかった。1杯の温かいコーヒー。それだけで心が慰められる。
どんな安宿にも、お湯(カイシュイ)のサービスがあるのが、中国の宿のいいところです。
コーヒーを飲み終えたあとは、さっさと歯を磨いて、雑記帖に本日のつらかった移動のことをぐちぐちと書き連ねているうちに、そのまま眠りに落ちていきました。

翌朝、目が覚めて外を見ると、昨夜とは打って変わって、快晴の空が広がっていました。
昨夜は到着が遅すぎて何も見えなかったけれど、ダムの町は山の斜面に張り付くようにして在り、あふれんばかりの緑に囲まれ、うねうねと続く坂道に沿って建物が並ぶさまは、日本の田舎の温泉街を彷彿とさせます。ここはチベットの南の果てですが、それまでにチベットで見てきた光景とは、何もかもが違っていました。こんなにみずみずしい緑を見たのは、いつぶりだろう…。それに、気候の暖かいこと!

緑の山に映えるタルチョ。

国境までは、細い坂道をひたすら下って行きます。
相変わらず荷物が重くて死にそうですが、長かったチベットの旅のゴールがそこにあるのかと思うと、胸がはやります。
さらばチベット。長く、つらく、苦しく、しかし何と思い出深い旅路であったことか。
頭上にすぐ近い空と、薄く冷たい空気と、生き物のようにうねる雲と、何も誰もいない原野と、すすけた顔のチベタンと(誰かが「ドリフのコントで爆発した人みたい」と云っていた。確かに)、祈りの数だけ連なる五色の旗と、バター茶のにおいと…そして、一緒に旅した2人の仲間と。

インドなどと同様に、チベットに”はまる”旅行者というのは意外と多いみたいです。しかし、わたしは特に、チベット文化に造詣が深かったり、マニアックな思い入れがあったりするわけじゃない。特定のチベタンと仲良しになったわけでもない。
あまりにも遠いこの地には、多分、もう来ることもないでしょう。
でも、この旅が終わったあとも、チベットの美しい空と冷たい風、さまざまな場面を思い出して、胸が切なくなる瞬間が、きっと何度もあるような気がするのです。

(2004年8月24日 コダリ)

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