旅先風信127「チベット」


先風信 vol.127

 


 

**花の都?ラサ**

 

アリからラサまでの旅路は、イエチョン→アリ間のそれよりも、長くつらく険しい道のりでした。
例の、きつきつせませまの寝台バスで、実に80時間!!!その間、舗装路いっさいなし!
前回と違って、今回は一番後ろの、下のベッドだったんですが、何とこの最後列は、5人並んで寝なくちゃいけないのです。隣の人とは、完全密着。それで80時間ですからね…。
しかもあなた、ニコチン中毒の中国人たちは、車内でガンガン煙草を吸うのよ!「禁煙」って書いてあるだろーが!でも、誰もそんなことは気にしない。せめて窓開けて吸ってくれりゃあいいものを、そんな配慮すらないからね。嫌味ったらしく咳き込んだりしてみたけれど、それもまったく効果なし。中国人の肝っ玉の太さに、感服いたした次第であります(もちろん皮肉)。
トイレのために外に出るにも、一番後ろだからなかなか出られなくて大変。出るだけで体力消耗しますから、しぜん動かなくなります。すっかり寝たきり老人のようになり、風呂に入っていないこともあって、身体が腐ってしまいそうでした。

そんな旅路の果てに、もはや仮死状態でやっとこさたどりついたラサ。わたしにとっても、多分TさんSさんにとっても、ラサはひとつの象徴的な意味合いを持つ街でありました。
“ラサに行けば、すべてがある”
そう、たとえて云うなれば、アメリカ横断ウルトラクイズにおける、ニューヨークの如き存在だったのです(違うか?)。“花の都ラサ”なんですよ。

その予想というか期待どおり、ラサには何でもありました。
いくらアリが何でもアリだからと云って、このラサの文明っぷりを前にしたら、大人と子供くらいの違いがあります。
日本のそれと寸分違わぬスーパーマーケット、日本語の打てるネットカフェ、ファーストフード店、欧米人の好みそうなおしゃれなレストラン…。
その後ラサで泊まり続けることになる「スノーランドホテル(雪域賓館)」には、日本人欧米人中国人…さまざまなツーリストたちが大挙しており、久々にお仲間たちを見つけたなあという、新鮮な喜びもありました。

しかし、その一方で、軽い失望感もまたこみ上げて来るのでした。
「何だ…まるっきり中国だな」
そうです。ラサは、文明的である=中国的である、のです。
もし、西チベットを経ずに、先にラサに来ていたら印象は違ったのかも知れません。まあ、アリも中国色が強かったけど…。しかし、西チベットのあのミニマルな風景を見てきた後では、ラサにはチベットのにおいをそれほど感じられないのです。
「ラサ」とは、チベット語で”神の都”という意味だそうですが、少なくとも、その言葉から想起するイメージとは、かけ離れているように思えました。

わたしは、アリからラサまでの道中で見ていた車窓風景を思い出しました。
そのほとんどは、何もない荒野でしたが、時折、コンクリートの箱のような建物が見えることがあります。それらはおそらく、中国解放軍に関連する建物でしょう。
わたしはそれを見るたびに、何だかやるせない気分になったものでした。

チベットの荒野には、それにふさわしい建物があると思うのです。
中国政府の造った、味も素っ気もないコンクリートの建物は、荒野にあって、いかにも寒々しく見えました。それらがまた、“侵略”の一端だと思うと、憤りすら覚えました。
それに対して、チベットの伝統的な家屋や、遊牧民のテント、風になびくタルチョなどを見ると、ひどくほっとしました。あるべき姿、と云うんでしょうか、「そうだよな、そうでなくちゃな…」なんて妙に納得したものです。

以前、グアテマラの稿にて、そこで出会った映像作家Kさんの作品『チベットチベット』を見て、わたしが大いに感銘を受けたという話を書きました。
チベットに来たこと自体は、わりとノリの部分が大きかったけれど、『チベットチベット』を見て考えたことを、実際のその地で反芻してみたかったという理由もあったのです。

映像で見たとおりの、いや、それ以上の“ラサの著しい中国化”を目の当たりにして、何だかな…これでいいのかな…という違和感が、ふつふつとこみ上げてきました。
チベタンが普通に中華食堂でご飯を食べているのを見ると、「いいのか?中国に同化して?チベットの誇りはどうなってるんだ?」と、“余計なお世話”なことを思ってしまいます。でもまあ、チベット料理より中華料理の方が美味しいから、そこは仕方ねえか(苦笑)。
ダライラマの元住居であるポタラ宮の前には、バカでかい人民公園があり、正面からポタラ宮の写真を撮ろうとすると、公園に掲げられた中国国旗が入ってしまうという芸の細かさ。きっとこれ、偶然じゃないんだよね…。

こんな感じで。

チベタンが、どのくらい虐げられているのかは、一見しただけでは分からないけれど、チベタンの乞食が、他国に比べて大変アグレッシブなのを見て、「やっぱり貧しいのかな…」と思わざるをえませんでした。
わたしがアイスを舐めながら歩いていると、5歳くらいのチベタンのガキんちょが「それくれ」と手を伸ばしてきたので、当然「やだよ」と断ったら、何と、手づかみでアイスを分捕って逃走したのです。これまで無数の物乞いを見てきましたが、こんなことは初めてで、しばらく呆然としてしまいました。

行ったことがないけれども、ダライラマ14世を戴くチベット亡命政府の町・インドのダラムシャーラーの方が、よりチベットらしいのではないか、気概や活気があるのではないか、という気がしましたが、どうなんでしょう?

…そんなことを思いつつも、ラサに着いたその日は、個人的には、久々に、安堵に満たされたひとときでありました。
シャワーを浴び、荷物を整理してひとしきり落ち着いたあと、わたしは、宿のまわりをテキトーにぶらつくことにしました。

わたしはこの、“初日の散歩”が大好きなんです。
到着が、その日の午後2時とか3時くらい、あるいは夕方に近い時間帯になって、夜になるまでは中途半端な時間があって。
気合入れて観光するには時間が足りないし、かと云って、ホテルで昼寝するのももったいない…そんなとき、「まあ、とりあえず町に出てみるか」と、ぶらっと散歩に出る。ゆっくりと、特別な目的もなくそぞろ歩く。すると、自分が何者でもなく、その風景に溶けていくような感覚とともに、自分がとても自由な何かになったような気がする。絶えず持ち続けている“旅の義務感”からも、このときばかりは解放される…。
何だか大げさに書きましたが、けっこう真剣に、このひとときこそが、旅の至福ではないかとすら思っているのです。

ジョカン(大昭寺)のまわりをコルラするチベタンたち。

そぞろ歩きを終えた後は、西チベット仲間、TさんSさんと解散式です。解散とは云っても、3人ともラサにしばらく滞在するので、これでお別れではないのですが、今後はドミトリーも別々だし、寝食をともにするようなこともなく、お互い独立した旅人同士に戻るのです。
今日くらいはちょこっと贅沢しましょう、ということで、『旅行人』に載っている「座敷で日本食が食べられる店」に行きました。
実際には、座敷はなく、日本食も“もどき”感が否めませんでしたが、そして、このチームの解散は、身体の一部がなくなるようでとても寂しいのですが、それでも、オープンテラスの席でビールなんか飲んでいると、ひどく落ち着いた、平和な気持ちになるのでした。

…と思ったら、いざ勘定の段になって、わたしは、財布を落とした(すられた?)ことが判明!中身は約100元(1500円)と、国際学生証…財布も、グアテマラのトドス・サントスで買ったお気に入りのやつだったのにーーー!!!
しかもあんた、100元っていったら、アリ→ラサ間のバスを、Tさんが頑張って値切ったその差額やないかい!
旅に出てから、財布を落としたことなんて一度もなかったのに、何という不覚…。着いて早々、ついてなさすぎです(ちょっとダシャレ)。新しい場所に来て浮かれていると、必ず痛い目に遭うんだよな…ジンバブエの強盗とかさ(苦笑)。

しかし、人生楽あれば苦あり…なのか、この後はまた、うれしい驚きがあったのでした。
何と、わたしのHPの読者だという人に会ったんですよっ。みんな、聞いてくれ、読者だぜ読者!いや、この際、本人がそう云ったので、“ファン”と書かせてもらおうじゃないか(笑)。おおっ、何て素敵な響き…。
この出会いは偶然ではなく、その人が事前にメールをくれていて、「ルートがかぶりそうなので、会えそうだったらご飯でも」ってな話になっていたのです。
で、解散式の前に、久々にメールチェックしたら、「今、スノーランドホテルの○×△室に泊まっています」というメールが来ていたので、あら、同じホテルじゃん、と。それで、訪ねていったわけです。作者自ら訪ねていくところが、どうにもイケてないんだけど(苦笑)。

その人は、わたしがサンフランシスコで会ったTさん(でゅーくさん)のお友達で、チュウゾウさんという人でした。
なので、友達の友達といった間柄であり、また彼もリアルタイム旅行記(リンク参照)を持っているのでモバイルパッカー仲間でもあり、純血のファン(何だそら)ではないんですけどね。
彼は、持ち上げ上手なのかも知れませんが、HPのことをずいぶん誉めてくれ、さらには「お会いして本当に乙女だということが分かりました」などと痺れるセリフ(笑)を吐いたりするので、恐縮する一方、「もっと云ってくれー!」と思っている自分もいて、すっかり木登り豚になってしまいました。だって普段、他人様から賞賛されるなんてこと、皆無ですもんね。
いやー、HPやっててよかったなあ。つーか生きててよかったよ、うん(笑)。西チベットの苦行?のあとということもあって、喜びもひとしおでした。

その後、8月15日のショトン祭を待って、2週間近くラサに滞在することになるのですが、巡礼旅での長い禁欲生活の反動か、すっかり享楽的な毎日を送っていました。
だって、ラサでやってたことって…大半が「買い物」。
同じドミに泊まっていた日本人のHさんという人が、男子のくせにかーなーり重度の買い物フリークで、わたしは、このにーちゃんやドミのみなさんとともに、毎日のように買い物に励んでしまったのです。
Hさんは、ウルムチに語学留学している留学生なので、中国語はペラペラ。なもので、買い物要員としては、かなり強力なのです(笑)。

ラサの中心とも云うべきジョカン(大昭寺)のまわりは、バルコル(八角街)と呼ばれており、このエリアには、信じがたいほど大量のおみやげ屋台&店が並んでいます。過当競争なんじゃないの?と思いますが、オンシーズンということもあってか、どの店もけっこうにぎわっています。

売られているものは、マニ車、数珠、仏像、アクセサリー類、アンティークものあれこれ、チベット暖簾、タンカ(仏画)、タルチョ(五色旗)、経典、お供え用の白い肩掛け布…といったところでしょうか。仏像や数珠はともかく、他のものはチベットならではで、チベタンたちも日常的に使用しているものです。
もっとも多く売られているのはアクセサリーですね。チベタンのアクセサリー(特にネックレス)は、他ではなかなか見つからないような、サイズもインパクトも大!なものが目白押しです。
主に使われているのは、ターコイズ、琥珀、山珊瑚、目玉石(縞瑪瑙)、ヤクの骨、金、銀。もっとも、そのどれもがプラスチックやメタルのニセモノである可能性は非常に高いのですが(笑)。青・黄・赤・黒・白・金・銀の組み合わせという色合いもかなり目を引きます。できればホンモノが欲しいに決まっていますが、面白いデザインのものが多くて、ニセモノと知りつつもついつい手が伸びてしまう。ニセモノだから、安いしね。

ドハデなチベタンネックレス。

しかし、明らかにニセモノなターコイズなどを、平気でものすごい値段で売ってくるからびっくりするよね(笑)。バルコルのみやげもの屋は、実に神経が図太い。
こちらにとって幸いなのは、競争過多なので、「そんな値段で買えるか!」と云って立ち去ろうとすれば、かなりの確率で引き止めてきて、「いくらなら買う?」と交渉が始まること。
この攻防も、疲れるっちゃ疲れるけれども、ゲームのようでもあり、面白いですね。どうやら買い手市場らしく、こちらも強気で臨めたし、欲しいものを頑張って交渉したのちに獲得すると、ちょっと達成感があるし。

Hさんや、宿の人たちと一緒に、毎日のように買い物ツアーを開催&参加していたわたしでしたが、最も欲しかったもの―それは、チベットの民族服でした。
西チベットにいる頃から、「チベタンのファッションは、実はかなりアヴァンギャルドなのではないか?」と思っており、ラサに着いたら、是が非でもチベタンルックを一式入手するべく、虎視眈々とそのときを待っていたのです。

そう。チベタンファッションは、グアテマラ以来、ひさびさにわたしの心を揺さぶった民族衣装なのです。
まず、男性の着ている「チュパ」という上着。
これは、云ってみれば半纏とかドテラみたいな形のジャケットなんですが、決してドテラのような情けないシロモノじゃないんです(笑)。
黒とか、深緑とか、紺とか、渋めの色が多くて、生地もごわっとしていて、裏側にはヤクの毛がみっしり、防寒には持ってこいのごっついコートジャケットです。
それを、チベタン男性は、ただ羽織るんじゃなく、片方の腕を抜いて遠山の金さん風に肩出しして、抜いた袖をだらりと背中に垂らすんですが、これがとーってもカッコいいの!
浅黒い肌のチベタンおやじが、この着方で、カウボーイハットで、アップリケ風のラブリーなブーツなんか履いているともう、しびれますね(笑)。渋く煙草吸ったりしてさあ…いやーハードボイルドだわーとか思っちゃう。

男性用チュパの着こなし。縁取りがかっこいい!カウボーイハットとの組み合わせもいい!

男性でも、ジャラジャラの首飾りを何重にも付けているし、でっかいピアスしてるし、そうそう、あと長髪が多い!しかも、赤い糸を何本も織り込んで三つ編みにしたりして。
あんまりお風呂に入らない人たちなので(笑)、髪の毛はもう、とってもナチュラルなドレッドで、三つ編みもくちゃくちゃなんですけど、これが妙に決まってるんだよなー。

おしゃれグランプリに輝く、タルチェン・チベット医学院の患者(とはとても思えないな、この服装…)。

女性は、何故か同様に「チュパ」と呼ばれるジャンパースカートのようなワンピースに、柄物のシャツを合わせる、というのが一般的なスタイル。
このワンピースに、わたしは何故か強く心惹かれてしまい、「家にあるフリフリのロリータブラウスと合わせたら、超可愛いかも…さらに、カシュガルで買ったメーテル帽を合わせて…」などと、あれこれ頭の中でコーディネートするだけで胸が震えていたのです(笑)。

チュパは、胸のところが着物のようにY字に重なっており、基本的にはノースリーブ。
腰の上…というより胸の少し下くらいできゅっと紐を締めるので、かなり足が長く見えます。これ、わたしにとっては非常に重要なポイントね(笑)。そして、腰もとても細く見える。素晴らしい!
また、男性の上着チュパの女性版もあって、男性が着ているのに比べると迫力に欠けますが、これまたなかなか渋いんです。

以上の標準装備に加え、チベタンファッションの重要なアイテムは、帽子です。
基本はカウボーイハット。色のバリエーションも、黒、赤、ベージュ、カーキ、からし色…など様々です。でも、何ゆえチベタンでカウボーイハットなんだろ?遊牧民だから?女性は、中途半端にマダムっぽいレースのつば広帽子が多いんですが、これには全然惹かれなかったですね。安っちくて。
ちなみに、帽子マニアのSさんは、着いたその日から探すものは当然、帽子。老舗の帽子屋で180元もするヤクの毛のカウボーイハットを買った上、何故かヤフオクでも帽子を次々と落札。完全にビョーキです
(笑)。

これらすべて手に入れたかったところですが、わたしの財布はそれを許してくれません。Hさんは短期旅行なので、かなり羽振りがよくてうらやましかったですね…。
最終的に手に入れたのは、チュパ2着、シャツ3着(これは100円くらいの安物)、赤いカウボーイハット、チベタンバッグ2つ、チベタン僧の袈裟、アクセサリーもろもろ…って、けっこう買ってんな(苦笑)。袈裟なんて、どこで着るんだよ!?帰国したら坊主になるのかオノレは?

コスプレ坊主ども(笑)。でも、1人だけホンモノがいます。

さて、これまでの記述を読むと、バカみたいに買い物していただけじゃねーか、と思われるかも知れませんが(ごもっとも)、今回のテーマは、何を隠そう、「買い物と寺めぐりから、チベタンカルチャーを考察する。」なのです。気づかなかったでしょ?ま、今思いついたんですが。

買い物しながら、そして寺をめぐりながら(そう。何も買い物しかしてなかったんじゃないのよ。観光病のわたしが、観光してないわけがない)わたしは、「チベタンカルチャー、アツいな」という確信を持つようになりました。
服装のお話は上記のとおりですが、チベット仏教文化も、かなり個性的で面白いのです。「仏教って、どうも地味なんだよなー…」と思っていたけれど、ゴンパ(チベット寺)見学を重ねるにつれ、その偏見は見事に覆されました。

チベット仏教のことなど、ほとんどまったく知らないわたしですが、ゴンパに行くと、その独自の世界観に触れることができます。
惜しむらくは、各ゴンパごとの個性が今ひとつ薄くて、いくつも見ていると「ああ、またこのパターンね…」と飽きてしまうんですが(笑)、それでも、チベット仏教の世界が作り出す濃密で特異な空間は、まるでひとつの小宇宙のようです。

ゴンパの外観は、えんじ色と白色に塗られており、部分部分に金色を差しているのが一般的。形状は巨大なマッチ箱のようで、そこに縁取りをした小さな窓が等間隔についています。
正面には、白地に青い縁取りと模様の入った大きなチベタン暖簾が垂れ下がり、それをくぐって中に踏み入れば、緻密すぎる壁画がみっしり描かれ、天井からも大量の、極彩色の仏画の掛け軸がぶら下がっています。
時計回りにコルラしつつ、徐々に主仏壇に近づいていきますと、祀られているのは一体(一仏)ではなくて、中心にブッダ、その隣に菩薩だか聖人だか高僧だか妖怪(笑)だか…がいろいろ連なっていて、誰が何なんだかさっぱり分からない状態です。名前もとても覚えられないレベルのややこしさ…。
仏壇の前には、デコレーションケーキのようなバター細工の供物。これがちょっと乙女チックで可愛い。お菓子作りの本とかに出てきそうなファンシーさなのです。その前には、鈍い金色の灯明壺が無数に並び、薄暗い寺の内部をぼおっと照らすのが何とも神秘的。 そこに、あずき色の袈裟を着たチベタン僧が祈っていたりすると、絵としては完璧です。

ゴンパ外観。これはデプン寺(の一部)。

別のゴンパの内部。ダライラマの写真は祀れないため、中国政府の要人でもあったパンチェン・ラマ(故人)が祀られている。

細部を見れば見るほど味の出てくるゴンパですが、何と云っても素晴らしいのが、仏画=タンカ。
タルチェンの医学院で、偶然にも工事途中の図書館に入ると、ちょうど壁画を描いているところへお邪魔できたのですが、これがもう、神業としか思えない手つきで、信じがたいほど細かい筆を入れていくのですよ。日本が誇るアニメ&漫画の技術もビックリな緻密さ!それも、Gペンとか使ってるワケじゃなく(笑)、筆ですからね!
色の鮮やかさにも惚れ惚れします。グゲ遺跡などで見た古い壁画も素晴らしかったけれど、新しく描かれるタンカを見ると、往時の輝くような美しさを偲ばずにはおれません。

その素晴らしいタンカは、おみやげとしてもしっかり売られているのですが、 さすがにわたしは手が出なかった…だって、多分ラサで買ったすべてのおみやげの額よりもはるかに高いんだもの。もはや、おみやげのレベルではなく、れっきとした美術品ですね。ちなみに、買い物キラーHさんはしっかり買っていました。あの人は、チベットみやげをすべて制覇したと云っても過言ではないな(笑)。

ちょっとボケとりますが…タンカの一部。

また、ゴンパでのひそかな(個人的な)楽しみは、おどろおどろしいモチーフを見つけること。
ラサには、「呪いの寺」などと呼ばれている寺もあって(行ってみたけれど、他のお寺とそんなに変わらなかったな)、チベット仏教には、“陰”のにおいがぷんぷんするのです。何せ、陰陽で云えば陰の人間ですから(笑)、どうしてもそういうものに惹かれるんですねー。ゴスロリ好きだしさ。

壁画をつぶさに見ると、仏以外の、やたらにおどろおどろしいものたちが、そこここに描かれています。いろんな動物の首がごった煮にされている絵とか、どっからともなく飛び出ている目ん玉の絵とか…。
祀られている仏像にも何だかすごいのがいて、例えば、首からガイコツのネックレス下げて、金棒を振り回した3つ目の鬼みたいな仏とか…ってそれ、仏なのか?(笑)どっちかって云うと、閻魔大王に近いような。

各ゴンパには大体、メインの仏壇の裏側に、通路くらいに狭い小部屋があって、そこに祀られている仏は、そういう怖いものが多いんです。裏に隠されて(?)いるのがまた、何やら意味深でそそりますよね(笑)。
タンカ博物館を見学していると、神仏のバリエーションというのは、キリスト教の聖人やヒンズー教の神様どころの数ではないことが分かります。中には恐ろしげな、“異形のもの”としか云いようのない風貌の神仏もたくさんいて、手が10本くらいあるなんてのは朝飯前で、男と女が合体したやつとか、ただの骸骨とか(笑)。無数とも思えるその神仏の種類の多さに、「あれ?仏教って多神教だったっけ?」なんてとぼけたことを思ってしまいます。ブッダが仏教を開いたときからすでに、こんなにたくさんいたんでしょうか?

おどろおどろ壁画の一部。目玉がにょろにょろしています。

…っと、よく知りもしないのにまあ、エラソーに、薀蓄のごとく書き散らかしてしまいました。
しかし…これほどの強烈で個性的なカルチャーを持ちながら、チベットは徐々に、確実に中国文化に侵食されつつあるのです。もちろん、中国文化とかぶる部分だってあるんでしょうけど…。中国化の一途をたどるにつれ、お寺も服装も、やがては過去の遺物となって、おみやげや博物館でしか見られないものになってしまうんでしょうか?だとしたら、あまりにも寂しすぎる。

国のルーツ、文化のルーツは、さかのぼればさかのぼるほど曖昧になって、「一体日本って、いつから日本だったの?日本文化って、何のことを指すの?」って話にもなっちゃうんですが、それでもやはり、“国”と“文化”を拠り所とする共同体は、自覚している以上に個人のアイデンティティが根ざしているわけで…。
Kさんの『チベットチベット』を見ながら考えていたのは、「自分の国を失うということは、どれほどの痛みを伴うものなのだろう?」ということでした。もし、日本がチベットのように、ある日突然侵略されて、「今日からお前たちは日本じゃなくて、○△に属するのだ」と云われたら?日本はその逆のことを、100年前韓国ほかに対してやってしまって、韓国はもちろん、中国にもずーっと恨まれているわけで、そりゃ当然なんですけど、中国は、まったく同じことをチベットに対してやっているんじゃないの?そこんとこはどうなの?と思ってしまいます。

ともかくも、チベット文化の火が絶やされないことを祈るばかり。ダライラマ14世、どうか頑張って下さいましです。

(2004年8月13日 ラサ)

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