旅先風信126「チベット」


先風信 vol.126

 


 

**巡礼行Cーアリ帰還編ー**

 

カイラスコルラを終えた翌日、今度は内院コルラというものにまで出かけ(これは4時間くらい)、さらには、マナサロワール湖、ティルタプリという2箇所の聖地も制覇し、チベタンもびっくりの?敬虔な巡礼っぷりを発揮しているわれわれ3人組。なかなか根性あるじゃん(笑)。

マナサロワール湖(チベット語でマパム・ユムツォ)は、アジア四大河の源流と云われる、青く美しい湖です。しかし、実際には、四大河のうち、本当に源流になっているのは1本だそうで…フカシかい。
チベット仏教のみならず、ヒンズー教の聖地でもあり、マハトマ・ガンジーの位牌は、ここにも撒かれたそうです。

湖の色は、青というより、透明感のあるクリアーな水色、という感じでした。
黄土色の荒野の中に、ぽとりと水色のインクを落としたように水をたたえる湖。と云うと、かのアフガンのバンダミール湖を思い出しますが、バンダミールの方が、青さ対決では上かなあ(やはりアフガンに行ったTさんも同意見)。

チウ・ゴンパから湖を臨む…って、この写真、あんまり臨んでないな(笑)。

ちなみに、この湖から少し離れたところに、“悪魔の湖”または“毒水の湖”と呼ばれている湖があります。
正式名称はランガク・ツォと云いまして、タルチェンの町からも臨むことができます。そのときは、「あれがマナサロワールじゃない?」と云っていたんですが。これまた非常に不思議な水色の湖で、個人的には、こっちの方がより神秘的な印象です。毒水の湖って!あの青さは、毒の色なのか…と思うと、何だかゾクゾクしますねえ。

さらにちなみに、マナサロワール湖沿いにあるチウ・ゴンパ(寺)の近くには、温泉なんていうイキなものが(笑)あります。
1人20元と、けっこうなお値段ですが、何しろまる1週間風呂に入っていないわたしたち。しかも、巡礼とハードな移動で、汗かきまくり、汚れまくり。もはや、髪の毛はポマードべったり状態で、身体も白い粉を吹いており、洗濯物も溜まりに溜まっていました。”温水を溜められる浴槽”を目の前にして、我慢できるわけがなかったね(笑)。
ええい、20元なんざ、日本円にしたら300円!日本の銭湯にも入れんわい!ってなわけで、浴槽にたぷたぷとお湯を溜め、頭から足の先までしつこく洗いまくり、汚れきった服もガシガシ洗濯。
風呂から上がると、生まれ変わったのか?!と思うほど、さわやかな気分になりましたね(笑)。

最後の聖地、ティルタプリは、霊験あらたかな温泉の湧く地です。
マナサロワール湖に続き、また「温泉」。すばらしー、西チベットで2回も温泉に入れるなんてー、とはしゃいで、すっかり巡礼ということを忘れていましたが(笑)、実際は、温泉と云っても、身体を沈められるような深さはなく、足だけ浸かるのが限度でした。やっぱ、こんな辺境の高地で、2回も温泉に入ろうなんざ、カイラスの神が許してくれないんだね(笑)。
それでも、濃い青空のもと、足浴しながら3人でお喋りしていると、ほっこり幸せな気持ちになれるのでした。

ティルタプリへのアクセスは、ムルツェンという町から徒歩で3時間です。
ということは、行き帰りで6時間かかるわけですね(苦笑)。
もはや、そのくらいの歩きは散歩レベルと化している西チベット旅ですが、ムルツェンへの帰り道、「ああ、もうこれで、チベットの荒野を歩くのも最後か…」とふと思い、何やら神妙な感慨が湧いてきました。
無数の石ころと、短くたよりない草だけで構成された荒野。猛々しくも神々しい山々。薄く清冽な空気。大気圏が見えそうなほど青い空。フランスパンのように連なる白い雲。
すっかりなじみになったチベットの大地に、たった1本、永遠のように延びる道を、仲間から離れて1人で歩いていると、不思議に癒されていくようでした。癒されると云うか、それらのもの、空間を構成するものたちが、ただ在るがままに在ることに安堵を覚えたのです。そして、このミニマルな空間に、とてつもなくちっぽけな存在として自分が在ることへの、単純で壮大な開放感…。

いつも思うのですが、何故終わりというのはこうもすべてを浄化し、愛しいものに変えていくのでしょう?
まるで視界が激変したように、何もかもが美しく見えてしまう。そして、何故今まで、これほど時間があったのに、それに気づかなかったのだろうと、後悔するのです。一歩歩くごとに、この巡礼旅が終わっていく、そのことが分かって初めて見える、さまざまなこと…。

この乳白色の部分が、天然温泉。つかるには、ちょっと熱すぎるかも。

そして、われわれは無事、巡礼行を終えて、アリの町に戻ってきたのでした。

話は前後しますが、アリという町は、今回の西チベット旅行の拠点であり、われわれにとっては、一種のふるさと的な町でありました。
ハードな旅を終えてアリに帰ってくると、「やっぱり家(アリ)が一番ね」などと、小旅行から帰ってきたオカンのようなセリフをつぶやきたくなるほどです。
多分、その理由のひとつが、前にも書いたように、“アリには何でもアリ”なことでしょう。
何だかんだ云っても所詮、文明の申し子ですから(笑)、物が豊富で便利なところの方が快適なんですよ。アリには、電気も通っているし、ホットシャワーも一応可能だし、スーパーもあるし、美味しい中華料理屋もあるし、日本語の書けるネット屋も…とくれば、西チベット唯一のオアシスと云っても過言ではない(笑)。
それも、中国の“侵入”がもたらした結果であることを鑑みると、とても複雑な気持ちにはなりますが…。

そんなわけで、アリにいたからと云って特に何するわけでもなく、ただ文明に飢えた心を癒すのみなのですが(笑)、ちょっと変わった(?)体験もしました。
それは、床屋とディスコです。

床屋、というのは、文字通りの意味だけではなく、売春宿を兼ねたピンクの照明の床屋さんのこと。アリは、軍人の多い町なので、需要がたくさんあるんでしょう、売春床屋も、町の規模からは考えられないほどたくさんあります。
アリには、南北に走る2本のメインストリートがありますが、そのうちの1本は、ピンクストリートと云ってもいいくらい、夜になると、そこそこにピンクの明りが点ります。しかしまあ、ピンクの照明がなくたって、昼間でも、ソレ系のお店は区別がつきます。だって、明らかにケバいおねえちゃんたちが、中で雑誌読んだり、編物したりしてるんだもん(笑)。

わたしはかねがね、こうした“色町”に、並々ならぬ興味がありまして…ほら、やっぱり、あの世界は男性の楽しみで、自分には入っていけない世界なわけですよ。そういう禁断の世界には、どうしても好奇心がうずくでしょ?
まあ、働けば中に入っていけるんですけどね(笑)、さすがにその勇気はないです。

このピンク床屋に、わたしは髪を切りに行きました。
だって、ピンクだけど、一応床屋って書いてあるじゃん?という少々無理やりなイイワケのもと(笑)、わたし、そして、おねえちゃんを買うお金はないけれど興味だけは人一倍ある若い男子Tさんは、1軒の床屋の門を叩いたのです。
この際、床屋自体の腕は、論外レベルでなければ許す。ということで、どうせなら、一番濃そうな店にしよう…と選んだのは、以前通りかかったとき、8人くらいのおネエちゃんたちが、猫背でご飯をがっついていたお店でした。そのご飯の食べ方に、“場末”を感じたんですよねえ(笑)。

何も知らない客をよそおって、「ニーハオ。髪切りたいんですけど♪」とさわやかに入店…あっ、入店って書くと、いかにもそれっぽいな(笑)。
すると、やはり今日も8人くらいのおねえちゃんたちが、明らかに“何だこの女?入る店間違ってねえか”という視線をこちらに投げかけてきました。
「だから、髪切りたいんですう〜」と髪を切るジェスチャーをして、無邪気さをアピールしつつ店内を見渡すと、ヤンキーっぽいというかオミズっぽいというか…な、いかにもなおねえちゃんたちばかり(笑)、奥のベンチには、顔面中にキュウリのパックを貼り付けたキュウリ星人が横たわっています。ううむ、これはかなりディープだぞ…。

しばらく手持ち無沙汰に突っ立っていたのですが、奥の部屋から、どうやら髪切り担当らしいおねえちゃんが、実に面倒くさそうな顔をして出て来ました。
胸の大きく開いたキャミソールから、こぼれそうな巨乳(笑)がのぞいています。風体は、一昔前の日本のコギャルといった感じ。
町なかに貼ってあった中国人女優のポスターをデジカメで写しておいて、それを見せつつ「こんな感じでよろしく」と頼みました。おねえちゃんは、無表情でその画像を3秒くらい見て、早々と仕度に取りかかります。
「おいおい、もうちょっと真剣に見てくれよ」と不安になりましたが、あにはからんや。おねえちゃんの腕前はすこぶる確かなものでした。床屋といっても、本業は売春だしなあ…と少しあなどっていましたが、ちゃんと床屋もやってるのね(笑)、これで10元(150円)なら格安だわ、と大いに感激。

わたしが髪を切っている間、Tさんは、キュウリ星人ほか、おねーちゃんたちに中国語で次々と話しかけられ、すっかり顔がだらしなくなっていました(笑)。キュウリ星人は、キュウリを剥がしたあと、今度は何とパックの牛乳で顔を洗い始め、しかも残った牛乳をTさんに「飲むー?」なんてすすめています。

散髪中のわたくしと、おねえさま方。何故かみんな、編物に励んでいる(笑)。

散髪後、ちょっとためらいつつ、「みんなで写真撮らない?」と云うと、おねーちゃんたちは快く応じてくれました。ほら、やっぱこーゆー店だしさ、写真とかヤバいんじゃないの…なんて思いましたが、みんな多分、すごく若いんだろうな、きゃあきゃあ騒いで、ピースして、撮った写真はまるで友達同士の楽しげなスナップのようでした。
何だかわたしたちも、妙に清清しい気分で店をあとにしたのでした。別に、一発抜いたからじゃなくてね(笑)。

わたしはそのあと、1人散歩しながら、ふと考えました。
どう見ても蓮っ葉で、下品とすら云えるおねえちゃんたち。 でも、あの突き抜けたような明るさは何だろう?
たとえば、ここのチベタン労働者たち、あるいは日本ならばドカチンの人々…など、社会の下の階層にいる人たちに特有の明るさと、垣間見える奇妙な美しさに、わたしは時々、はっとするのです。
猫背で白飯にがっつくおねえちゃんたちや、シャベルを担いで口笛を吹きながら仕事に向かうチベタンたち。その口笛の音色の、清清しい美しさ。これはいったい、何なのだろう?…と。

もうひとつは、ディスコのお話です。
「アリにはディスコもある」という、ウソみたいな記述をガイドブックで読んで以来、わたしとTさんの間では、「アリに着いたらディスコに行く!」が合言葉(?)になっていました。その後この言葉は、「ラサに着いたらディスコに行く!」に変化するのですが(笑)、床屋だのディスコだのという、B級もののお楽しみになると、妙に意気投合するわたしとTさんなのでした。そんなわれわれを、Sさんは「困った人たちねえ」と、おねえさんのような目で、あるいは少々白い目で(笑)見ていたと思います。

ディスコには、イエチョン→アリ間のバスで、Sさんが仲良くなった中国人のお医者さんに連れて行ってもらいました。Tさんと2人で探してたときは、見つからなかったんだよなあ…。
「景州夜総会」という名のこのディスコは、外観および内装はちょっとした高級キャバレーのようで、パッカーのわれわれが入るにはためらわれる雰囲気です。
ところが、中に入ってみれば、実に爆笑ものの、全世界探してもありえないくらいおもしろいディスコだったのでした。カンケーないけど、中のトイレはニーハオトイレでした。

何がすごいって、どんな曲がかかっても、客がチークを踊る!チークしか踊らない!
その昔大ヒットした、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」(中国語バージョン)で、やっぱりチークだったときは、おったまげましたね〜。あのテンポでチークって…チークというより、ワルツみたいになってる人もいました。。。
ノースリーブ&大胆スリットの真っ赤なチャイナドレスを着た、ウェイトレスというかホステスのおねーさんたちが、曲がチェンジするたびに、お客を踊りに誘いにきます。
きれいなおねーさんに、踊りませんか?と手を差し出されたときは、「え?女なんですけど?…もしかして、髪短くして、オトコと間違われてる?!」とか思っちゃいましたが、どうやらこの国では、女同士でもチークを踊るのが普通らしい(笑)。

お医者先生のオゴリで、われわれは一応遠慮しつつもビールやらコーラやらを飲みまくり(だって、おねーさんたちが、ガンガン注ぎに来るんだもんよ)、おねーさんたちに誘われるままに踊り、歌あり舞踏あり寸劇ありのショータイムを見…とやっているうちに、気がつくと、何と朝の3時をとっくに回っていました。
ここしばらく、夜遊びなんぞしたことのないわれわれ、翌日は、昼過ぎまで死んだように眠りこけました(笑)。

それにしても…と思うんですが、アリは、どこか現実感のない、まるで空中に浮いているような印象を受ける町ですね。
それは多分、解放軍のために造られた町、つまり、もともと人が暮らしていた場所ではなく、ここにいるのは、ほとんどが中国本土からの出稼ぎばかり、ということに因るのでしょう。チベタンですら、四川やアムドからはるばる来ている人たちなのです。
イエチョンから、何もない荒野をひた走って、忽然と現れる蜃気楼の町…って、そんなカッコいいもんでもないんですけどね、ピンク店多すぎるし…いや、このピンク店の多さがまた、マボロシ感を掻き立てるような、そうでもないような(笑)。

楽しいチークの時間…って、ずっとチークだっつーの。。。

今回は何だか、明るく楽しげなフツーの旅行記風ですが、煩悩とコンプレックスはその後どこへ行ったのか?と云いますと、もちろんどこかへ消えてなくなるハズはなく、相変わらずくすぶり続けているのでした。

Sさんは、すばらしい。
わたしは、しょーもない。
その考えを、どうしても振り払うことができないまま、わたしは旅を続けていました。

Sさんを、勝手に”聖人視”することは、間違っていると思います。
まず、本人に迷惑でしょうし、本人は多分、自分が聖人などとは1ミクロンも思っていないでしょうから(ま、それが聖人の聖人たるゆえん、とも云えますが)。
それに、そういう風に考えることは、完全な逃げでもありましょう。
「どうせあの人は聖人、わたしは逆立ちしたってああいう風にはなれない」という、開き直りでしかない。まあ、開き直りも、時には有効ですが…。

彼女の日本での日常や、過去の思い出話を聞けば聞くほど、彼女は、世間一般から見れば、かなりの変人であることが分かってきます(笑)。
わたしが高校生だったころ、バタイユを読むような同級生はいなかった。パンクスや黒づくめで登校してくる友達もいなかった(制服だったし)。
わたしは、家の近所の小川で、服を着たまま流れたりしないし、台風のときに身体が総毛立って、いきなり自転車をぶっ飛ばして山を越えたりもしないし、会社に行くのがつらいときに、マジックで顔に涙のしずくを描いて出勤したりもしない。
いや、そうしない方が当たり前なのですが(笑)、彼女はそれらをこともなげにやってしまうのです。「え?何かヘンですか?」と逆にかわされて、こちらがたじたじになりそうな勢いで。

彼女の“ヘンさ”には、暗いところ、いじましいところがないのです。
ヘンだけど、すごく健全なエネルギーを感じる。
好きな本や音楽を尋ねれば、「は?」というようなアングラ系のマニアックなものばかりが返ってくるにもかかわらず(笑)、そういうものにつきまとう暗いイメージが、彼女の口を通すと、消えてなくなるような気がする。いや、暗いのは暗いけれど、それがマイナスイメージに見えない、というのでしょうか…。

わたしには仏か菩薩に見える(笑)彼女だって、実際には、人知れず、何かしらの暗黒面を抱えて生きているのだと思います。
そのことを彼女は、「破壊と血を好むヒンズー教の女神カーリーが、わたしの中にも脈々と生きているんですよ」という言葉で表していました。
その暗い部分は、彼女の表面に見える、白くて清らかな部分と同じくらいの量があるのでしょうが、その暗黒面のパワーを、上手に生かしながら生きている人だと、わたしには思えました。

ともかく。彼女を知れば知るほど、「この人にはかなわない」という思いが、わたしを圧倒するのです。
ただ清く正しいだけの人じゃない。
ヘンだ。
それはもう、潔いほどに。
清く正しく美しい変人。
それって、最強じゃないか?
この人は、無敵だな…。

もちろん、わたしが彼女になることは、無理です。別に、彼女じゃなくたって、他人になろうとするのはそもそも無理なのですから。
でも、彼女になくて、わたしにあるものって、何だろう?
彼女に対抗できる何かが、これが自分だと胸を張れる何かが、わたしにあるだろうか?
……ない。何もない。
わたしは、凡人にも変人にもなれない、聖人にも悪人にもなれない、一番中途半端なやつじゃないか。強いて云えば、俗人か…でも、そこに開き直れるほど、徹底もしていない…。
まるで、鳥にも獣にもなれないコウモリだな。

わたしが何故、Sさんにこれ程心を揺さぶられるのかと考えるに、多分彼女が、とても幸せそうに見えるからなんじゃないか?
「一瞬一瞬を生きているから、明日死んでもそれ程後悔はないんです。」
そんな風に云える彼女が、うらやましくてしょうがない。明日死んでも後悔しないほどに、彼女は自分の生を全力で生きている、だから幸福なんだ…。
人に親切にするのだって、彼女に云わせれば、「それが自分にとって気持ちがいいから」。そこには、”他人に親切にしなきゃいけない”なんていう堅苦しい義務感は微塵もなくて、あくまでも、そうすることで、自分が幸せな気分になれるから…。
そうか、もしかしたら…彼女の無敵さかげんは、ここから来ているのかも知れない、人に見返りを求めない、人に過剰な期待をしない、だからあんなにも、堂々とやさしくいられるのかも知れない…。

わたしは、そんなSさんが、幸せそうに生きている彼女が、妬ましいだけなのではないか・・?
自分にはできないやり方で、幸せに生きている(かのように見える)、そのことが悔しいのではないか…?
だったら、自分は自分なりに、幸せに生きる方法を模索し続けるしかないのではないか…?

………

チベタン大集合!実に個性的なファッションの方々ばかり(タルチェンのチベット医学院にて)。

その後、わたしたち3人は、西チベットからラサに向かい、そこでこのチームは解散することになります。
ラサに着いたその日、Sさんが「今日は解散式をしましょう」と云い、わたしたちは、無事に巡礼を終え、ラサに到着できたことを祝って、ツーリスト向けのレストランで、久しぶりに日本食(もどき)を食べ、ビールを飲みました。
ようやくラサに着いたという安堵感で満たされながらも、もうこうして3人で食卓を囲むことが、当たり前ではなくなるのだ…という寂寥感で、わたしの胸はしみるように痛みました。

風呂、電気、食事、通信…いろいろなものを制限された、いつものお気楽な旅の日常とは違う、ちょっとした極限状態の中で、わたしたちは寝食をともにしてきました。頼れるのはお互いだけ。だから、協力し合い、助け合い、いたわり合いながら、ここまでやってきました。
わたしにとって、Sさん、Tさんと築いてきたこのチームは、小さな家族のようなものでした。
Sさんがやさしくてしっかりものの長女で、わたしがぐうたらで少々(かなり?)頭の弱い次女で、Tさんが血気盛んな若き弟で…毎日をともに過ごしているうちに、そんな気になっていたのです。
1ヶ月あまり見慣れた風景の中に、Sさんが、毎朝Tさんの髪を梳かして結う、という場面がありました。Tさんは、中途半端な長さの髪をもてあましており、いつもSさんにちょん髷のようにしてもらっていたのです。わたしはその、いかにも仲睦まじい姉と弟のような2人の様子を見るのが好きでした。それを見るたびに、ああ、こんな辺境の地にいても、わたしは1人ぼっちじゃない…という安心感につつまれるのでした。

年齢も、性別も、趣味も、育った環境も、旅のスタイルも…何もかも違う3人。
わたしがSさんへのコンプレックスに苦しんでいたように、わたしもまた、コンプレックスではないにしろ、彼らにいらぬストレスを与える場面もたくさんあったでしょう。
たとえば、トリン・ゴンパの入場料をがめようとする(笑)わたしとTさんを、Sさんはいたたまれない思いで見つめていたかも知れない。
アリから各方面への足を探すのに一番働いていたTさんは、怠け者の年上女2人(笑)を、苦々しく思っていたかも知れない。
しかしそれでも、お互いが適度な距離を保って、助け合い、遠慮し合いして、1ヵ月以上もの間、本当にうまくやってきたと思います。

お互いが違うがゆえに、学び、発見することもまた多かった。
自分とは似ていない2人(ある部分ではよく似ている2人)と接しながら、自分というものが、彫刻のように削られ、また肉付けされていくようでした。
端的に云うならば、自己解体と自己再生の繰り返し、ですね。
旅においては、いや人生においてもそれは絶えず繰り返されるものですが、この旅路はとりわけ、そのサイクルのめまぐるしかったことでした。

わたしが果たして、西チベット旅の中でどう成長し、変化したのかは、自分でもよく分かりません。コンプレックスは消えてなくなったわけじゃないし、 成長どころか、退化していったのかも知れない(笑)。
でも、ひとつ云えることは、この巡礼行は、何かとても重要なものを、自分に与えてくれたんじゃないかということです。それは、今は言葉に出来ないし、目にも見えないけれど、確実に自分の中に存在している“何か”なのです。

最後に。
Tさん、Sさん。本当にありがとうございました。
これまで、色んな人と、旅の中の短い旅をともにしてきました。
でも、貴方たちは、その中でも特別な存在です。
貴方たちと旅をともにできてよかった。貴方たちでなければ、この巡礼行はできなかった。
感謝しています。
チベット編は、貴方たちに捧げます。捧げられても、あんまりうれしくない内容でしょうが 、まあ許して下さい(笑)。

おみやげ売りのチベタンにーちゃん&ねーちゃん。

(2004年8月13日 ラサ)

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