旅先風信125-1「チベット」


先風信 vol.125-1

 


 

**巡礼行Aーカイラス編ー**

 

「ただ現存するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動じることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。」
(ブッダの言葉)

……

グゲからいったんアリに戻って、しばし休養したのち、カイラス巡礼の拠点となる町、タルチェンを目指しました。
何てことない町なのに、妙に居心地のいいアリでのあれこれは、次回にまわすとして、今回は、チベット旅行のメインイベント、カイラス巡礼のお話です。

カイラス。
チベット語でカン・リンポチェ。中国語で神山。
ヒンズー教、ボン教、ジャイナ教、仏教の聖地。特に、仏教徒にとっては、最高の聖地である。
仏教においては、カイラスは、仏教の世界観を描いたマンダラそのものとされる。また、ヒンズー教においては、カイラスは、シヴァ神の住むところとされ、また、その山頂をシヴァ神の男根(リンガ)と見なしている。ちなみに、カイラスはヒンディー語。

アリ⇔タルチェン間の道中で見えるカイラス。

この世に聖地と呼ばれる場所は数多くありますが、カイラスほどに神秘性を帯びた地は、そうそうないように思います。
かのエルサレムにも匹敵する、超一級の聖地と云っても過言ではないかも知れません。カイラスは、山でありながら、聖地ゆえに、何人も登頂を許されていません。ここを登ることは、神を侵すことに等しいのです。

とかたいそうなことを云いながら、このカイラス行きを決めたのは、ほとんどノリというか、色んな人から薦められたからというか、かなり脆弱な動機なんですが(苦笑)、巡礼というのは、なかなか悪くない響きです。
巡礼―チベット語でコルラと云うのですが、コルラは、カイラスの周りを周回するほか、ティルタプリ(温泉)、マナサロワール湖という2つの聖地を含めた3箇所を回るのが正式とされています。
別にわれわれは、信者でも巡礼者でもないけれども、ここまで来たからには、すべてを制覇するのが、真の旅人というものです(ホンマかいな)。

アリからタルチェンへは、やはりヒッチハイクになります。
前回の、グゲ遺跡へのヒッチが案外うまくいったので、タルチェンならさらに交通量も多いだろうと、タカをくくっていました。
ところが、そういうときに限って、なかなかことはスムーズに運ばないものです。

1日目、トラックもランクルも、なかなか止まってくれませんでした。
そんな中で1台、南の町プラン(普蘭)に向かう公共バスがあり、どうやらそれは、タルチェンにも立ち寄る様子。
客がいないのか、運転手と交渉すると、230元を150元にすると云います。
150でもちょっと高いね、と云いながら、まあ最悪はこのバスで行きましょうか、という意見でまとまり、バスの出発の11時まで、保留ということにしました。

しかし、結局その時間になっても車はつかまらず、半ばしぶしぶといった感じでバスに乗ることに。
われわれを乗せたバスは、客を拾うためなのかアリの町を20分くらいぐるぐるしたあと、もとのバスターミナルに戻ってきました。
そして運転手が、われわれのところに来て、「切符売り場で切符を買え」と云います。いくら?と尋ねると、「230元。」

…はア???
最初に150元って云ってなかったっけ?だから乗ったんじゃないの、と云うと、平然と「云ってない」という答え。
ざけんなよっ!!!たった2時間やそこら前に云ったことを、そんなカンタンに覆していいと思ってんのかオッサン!?
あのときは、客がいなかったけれど、今はほぼ満杯に近くなったので、あの話はナシだ…とかいうことに、オッサンの頭の中ではなっているのでしょうか。
そんな都合のいい話、はいそうですかと飲めるわけがありません。

わたしがキレるより先に、Tさんがキレちまいました。
Tさんは、普段はとても温厚な人なのですが、いったんキレると、すっかり人が変わってしまうのです(笑)。うらあ!という感じで運転手につかみかかり、運転手は運転手で、「この日本人野郎!」と吐き捨て、完全にバトルの様相を呈していました。
人が先にキレてしまうと、どうもキレる意欲(?)をそがれてしまうわたしは、さすがに一緒になってキレるわけにもいかず、かと云って諌める気にもなれず…。

結局はまわりの仲裁によって、何とか収まったのですが、さすがにこんな状態でこのバスに乗る気もせず、われわれはその日の移動をあきらめ、アリで1泊することにしました。
Tさんは、自分のせいだと思ったのか、宿に帰るなり、「トラック探して来ます」と云って出て行きました。
残ったわたしとSさんは、ホテルのロビーで休みながら、ぽつぽつと話をしていました。
「あんな風にキレる姿を見ると、疲れてしまうんですよ…」 とSさん。
何故ああやって、怒りをぶつけてしまうのだろう、憎しみをぶつけたら、相手からも憎しみしか引き出せないのに…。わたしはできるかぎり、美しいものを見て生きていきたい…。

ひとことひとこと、噛みしめるように云うSさんに、わたしの心は、トリン・ゴンパでのときのようにまた、ざわざわとさざなみが立ちました。
(何でだ、何であなたはそんなに正しくいられるんだよ?)
人を憎まない、争わない、感情のまま突っ走らない、人を思いやる、愛を以って接する…あああ、そんなことはもう、昔っから知ってるんだよ。うちの親はフツーの人間だったから、そういうことはすべて、しつけられてきたはずだった。なのに、何故なんだ?わたしは、それと正反対のことばっかしてるじゃんかよ。わたしの心は、欲望と間違ったことでいっぱいだよ…。

そう云えば、母親から「あんたは何でそんなにヒネクレ者なんや」と、幼少の頃からずっと叱られてきたっけ。それとセットで、素直な人間になれ、と口酸っぱく云われてきたっけ。そして、そう云われれば云われるたびに、わたしは素直というものがキライになっていったのだっけ…。

「でも、わたしはそんな風には生きられないです。そんなきれいな心だけで生きていけない。そうしようと思えば思うほど、よけいにできなくなるんですよ」
自分でそう答えながら、その言葉のネガティブさに、また自己嫌悪に陥り、死んでしまいたくなりました。わたしは声も出さずに、ただ涙をポロポロと垂れ流していました。

これまでの旅を振り返って、わたしは、今日のTさんのように、ブチ切れる場面が、いったい何度あったことでしょうか…。
頭の中でカウントするごとに、自分が生きている価値のない人間であることが確定されていくようで、いたたまれない気持ちになりました。
「旅は、人の中に飛び込んでいく修行のようなものではありませんか?」というSさんの言葉を聞きながら、一体何のために旅をしているのだろう?わたしがこれまでにやってきた旅とは、何だったのだろう?日本の恥を振りまいてきただけじゃないのか?という思いが、わたしを責め立てました。

美しいもの、正しいものを、選び取っていきたい――。
理想を云えば、Sさんは明らかに正しいのです。正しいというか、ごく当たり前のことを云っているのだと思います。
でも、わたしは、キレてしまうTさんのことを、否定することもできません。それは、自分もそうであるからという、単なるシンパシーだけではないのです。

キレる背景には、「バカにすんなよ!」という感情があるのだと思います。
外国に来るということは、その国に「お邪魔します」と行って入っていくことです。わたしたちはあくまでもヨソ者であり、わがもの顔して練り歩くことは、無礼にあたると思います。
しかし、だからと云って、必要以上にへりくだる必要ってあるんだろうか?とも思うのです。

たとえば、外人だからという理由で、明らかにバカにされたとき、それは黙って耐えるべきことなのでしょうか?バカにする背景にはいろいろあるのかも知れませんが、それでも、こっちがヨソ者であるとかいう以前に、人として云って(やって)いいことと悪いことがあるんじゃないの?って思うんですよ。
たとえば、こっちの顔見ただけで爆笑してくるようなやつとか、大人なら「はいはい、バカだねあんたら」と云って寛容になるべきところなのでしょうけど、わたしにはムリ。天誅のひとつも加えなければ気がすみません。

…が、そんなことは、表層的なものです。
Sさんがわたしに、(本人の意図とは関係なく)突きつけた問題は、もっと根本的なことでした。
正しく生きるとはどういうことか?あるいは、善く生きるとはどういうことか?
…とまあ、そのようなことです。

わたしがSさんを前にして考えていたのは、「醜いものも、汚いものも、わたしは切り捨てずに生きていきたい。美しいものも醜いものも、ある意味では平等であるはずだ」ということでした。
わたしは、醜いもの、特に醜い感情というものを、否定することはできません。
それもまた、“人”の要素だと思うからです。醜さも、汚さも、ゆがみも…人を人たらしめる大きな要素じゃないのか?と。

もちろん、それによって他人を傷つけることは、できれば避けたいと思います。でも、まったく誰をも傷つけずに生きていける世界、というものが果たしてあるのかどうか?
極端な話、わたしなどは、生きているだけで誰かにメーワクをかけている存在とも云えるわけです。だとしたら、周囲を傷つけない究極の方法は、自分が死ぬことではないのか?しかし、自殺することで傷つく人もまた、少数ながら存在するわけで…。

弱く、醜い自分というもの。それを抱えて生きていくってこと。
人に嫉妬もすれば、人よりも自分が助かりたいと思う。人よりもいい思いをしたいと思う。自分を守りたいと思うし、そのために卑怯にもなるし、ウソもつく。
そういうことを、経験するたびに、自分を否定し、死にたくなり、しかしまた、しばらくすると自己再生する。その繰り返し。
自分の弱さや醜さを思い知るたびに、傷つき、もがき苦しむ。そしてそこから這い上がる。そのサイクルには多分、終わりはない。人生とは、そのようなものであり、それが、ある意味では人間らしい生き方というものではないのでしょうか?

…と、考えつつも、「美しいものを選びながら生きたい」と云い、それを実践して生きているSさんの前には、どんな理屈も萎れてしまうような気がしました。
理屈じゃなく、この人にはどうしたって適わないんだ。その時点で、どちらが正しいかは、明白になっているじゃないか。
お前もいいかげん、素直になって、清く正しく美しく生きたらどうだよ?なあ、みんな?

………

翌日もまた、ヒッチは失敗。
3日目でようやく成功し(乗せてくれたのは、解放軍の若い兄ちゃんだった)、その日の夕方、タルチェンに到着しました。
タルチェンの町は、想像していたよりずっと小さく、ひなびていました。ドラクエに、“世界の果ての村”として登場しそうな感じです(笑)。
土で出来た簡素な家々、真言を彫ったマニ石が積み重ねられた小道、つながれている家畜のヤクたち、擦り切れたタルチョ、年季の入ったチュパ(チベタン服)を着込んだ浅黒い肌のチベタンたち…町の北側にはカイラスとそれを取り巻く山々があり、南側には、まるで大海原のような荒野が豪快に広がっています。
…と書くと、おおーいかにもチベットだわねえ、と旅心をそそりますが、その反面、燃えないゴミは散乱しまくっているし、トイレはすこぶる汚いしで、お世辞にも美しい町とは云えません。野犬もちとコワイ。

タルチェンから見る夕暮れ。

この日は、「阿里茶館」というところに宿を取り、翌日からのコルラに備えてパッキングし直したあとは、とっとと就寝。電気もないので、寝るしかないのです。

朝起きると、空はどんよりと暗く、鈍い鉛色をしていました。
「これじゃあカイラスが見えないじゃないですか!オレ、もう1日待とうかなあ…ああっ、何でこんなに天気が悪いんだ…」と、Tさんはすっかり萎えており、わたしも、(ううむ、やっぱ雨女であるわたしのせいか?)と悶々と悩んだのですが、明日は晴れるかも知れないし…という希望を一応持って、コルラを決行することにしました。

コルラは全行程が52キロ、最高地点は5668メートルという、かなり過酷な道のりです。
早い人で1泊2日、普通の人だと2泊3日、チベタンは超人なので1日、というのが一応のスピード基準。
われわれ3人は、体力にそれほど自信もなく、超人でもないので、2泊3日で余裕を持って周りましょうということになりました。

われわれは、チベット仏教徒に倣って、時計回りのコルラです。ボン教徒はその逆で、ゆえに、コルラ中に出会うチベタンのほとんどが、ボン教徒でした。「タシデレ」(こんにちは)と挨拶すると、たいがい笑顔で返事が返ってきて、気持ちがいい。うーん、巡礼っていいものですね(笑)。でも、タシデレタシデレと呪文のように云い過ぎて、ちょっと疲れた…。
初日は、アップダウンも緩く、わりに平坦な道のりで、それほど疲れることはありませんでした。ただ、距離は異様に長く、しかも景色が、山と空と石ころの大地、なんていうすこぶるミニマルな構成なので、まるで輪廻をさまよっているかのようでした。
この日は結局、朝9時過ぎに出て、宿のあるところまで到達したのは、夜7時過ぎ…まるまる10時間歩き続けたわけです。

チョルテン(石を積み上げてつくった仏塔)は巡礼路のいたるところに見られる。

ボン教の巡礼家族。

巡礼と云ったって、わたしはそれほど厳かな気持ちで歩いているわけでもなく、大半は、しんどいなー、早く着かないかなー、といったことで頭はいっぱいであり、考えることも、かなりしょーもないことばかりです。
この先の旅の予定、帰国後のあれこれ、あるいは旅前のさまざまな思い出、叶えられなかった欲望、これから手に入れたいもののこと…。
具体的に云えば、「ああ、早くこのコルラが終わらないかな。早くラサに行きたいな。ラサにはきっと、何でもあるハズだよな。ラサに行ったら、チベタン服を買おう。色は、そうだな、黒地に白のストライプかな、あと帽子もそろえよう…」とか、そんなことです。
せっかく巡礼しているのだから、もっと、宇宙のこととか、生と死についてとか、壮大(?)で哲学的な思索にふけろうよ、と思うのですけど、根が俗物なもんで…。

10時間かかってようやく着いたディラ・ブク・ゴンパ(の側のテント)からは、その日のご褒美のように、カイラス北面の美しい姿が見えます。
コルラのハイライトのひとつとも云える光景。空は相変わらず鉛色をしていたものの、カイラスの姿はくっきりと見えました。チン○ンの形には見えませんでしたが、雄雄しく、堂々とした、そしていく分不思議な山だと思いました。

この山に近づいたら、少しは浄化されるのかも知れないな…。
ふと、そんなことを思いついて、わたしはカイラスに近づくようにして、丘を登り始めました。いったん歩き出すと、あとはもう、何かに取りつかれたように足が前へ前へと動きました。
カイラスは、徐々に迫っているように思えましたが、実際はそうでもなく、蜃気楼のように消えたりはしないものの、歩いても歩いても、カイラスは遠くの方に在りました。チベットの日没は遅いけれど、それでも刻一刻と闇が降り始めており、このまま歩き続けると、引き返せなくなる…それでもわたしは、歩くのをやめられませんでした。

後ろから、Sさんが登って来ていました。
わたしは、それを見て、ちょっといまいましい気分になりました。
「あなたは、カイラスなんかに近づかなくても、充分浄化されているだろうに」と。
何故わたしは、そんな風にしか考えられないのでしょうか?

カイラスが見える。

夜は、持参したカップラーメンを作って、ずるずるとすすりました。チベットに入ってから、インスタント麺を食する機会が、異様に増えましたね…。しかし、たかがインスタント、されどインスタント、ここでは貴重な食べ物です。
寝袋にくるまり、毛布をかけると、意外と寒くはなく、よく眠れそうでした。
チベタンたちがバター茶を飲みながら静かに話している声と、ラジオの音だけが、夜更けまで、テントの中を満たしていました。

(2004年7月23日 カイラス)

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