旅先風信125-2「チベット」


先風信 vol.125-2

 


 

**巡礼行B―カイラス編つづきー**

 

コルラ2日目の朝。
外に出ると、昨日の曇天はウソのように晴れており、カイラスが、青い空を背景にして、壮麗な姿を見せていました。てっぺんに少しだけ雲がかかっていましたが、それでも充分素晴らしい眺めです。
灰色の山に、シロップのようにかかる白い雪。カイラスの形自体とあいまって、「何だかカキ氷みたい…」と思いました。ううむ、もっとマシな感想を云える人にわたしはなりたい…(汗)。

堂々のカイラス。

本日のメインイベント、それは、ドルマ・ラ越えです。
ドルマ・ラとは、5668メートルに位置する、コルラ中の最高地点。ここで祈ると、すべての罪が浄化されると云われています。
昨日見られなかった、ディラ・ブク・ゴンパ(チベット寺)を見学し、川にはまってしまったお坊さんたちのトラクターを引き上げるのを手伝い…とやっているうちに、時計は11時を回り、少々遅いスタートになってしまいました。

昨日の感じだと、このコルラは、それほどハードでもなさそうに思えましたが、ドルマ・ラまでの道は、そんなに甘いものではありませんでした。
昨日のように、アップダウンの繰り返しではなく、ひたすら、アップ、アップ、アップ。高度がどんどん上がっていくため、わずかな傾斜の上りでさえも、一歩を踏み出すのに息が切れ、十歩も歩いたらもう立ち止まってしまいます。
“心臓破りの坂”なんて言葉がありますが、ドルマ・ラまでの道は、すべてが心臓破りの坂ではないかと思えました。

昨日よりも、風景はさらにミニマルになっていきます。
白い岩がゴロゴロと積み重なるだけの、あまりにも非日常的で、超自然的な光景。
歩く道が、まるで地獄へと続いているかのような、どこかにぽっかりと、あの世への入り口が空いているのではと思えるような…あの小川は、三途の川か。
いや、チベタンが手を洗っているから、違うな(笑)。

“この坂を上りきったら、ドルマ・ラに違いない…。”
そう思って、力を振りしぼって上りきるとそこはドルマ・ラでも何でもなく、その影すら見えないところだったりする。その繰り返しです。
そうして、1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、3時間…。
身体に鞭打つ、とはまさにこのことだな。
チベタンは何であんなにさくさく歩けるんだろう。

ああ、つらいなあ…。
何でこんなことしてるんだろう。別に、熱心な仏教徒でもないのに…。
足が重い…。
身体がだるい…。
息が苦しい…。

歩けば歩くほど、そしてそれがつらければつらいほど、煩悩は増えていくばかりです。
早くこのコルラが終わればいい。これが終わったら、美味しい中華料理が食べたい。西チベットを出たらラサで買い物したい。そんで、チベットが終わったらカトマンズで日本食食べまくってやるんだ。
…なんて。そんなことしか思いつきません。

でも、そんなくだらない煩悩が、わたしの足を進ませているような気もします。
何かが待っている、何か素敵なことが待っているかも知れないという希望、それがなければ、何故わたしは歩き続けるのか。天命が尽きるまでは生きていかなきゃならないなら、どんな些細な希望だって、あるとないとじゃ雲泥の差です。
美味しいものを食べたいし、キレイな服を着たい。本をたらくふ読みたいし、まだまだあちこち行ってみたいし、ショッピングに明け暮れたいし、好きな人と幸せに暮らしたい。わたしが望んでいることなんて、たかがそんなこと。そのために生きているわけじゃないけれど、それらがわたしを動かしているとは云えるかも知れない。

煩悩、欲、執着心…そういうのが、わたしを苦しめているのは分かる。
でも、それがまた、生きる原動力でもあるんだと思う。
…てことは、生きるってことは、苦しむってことと同じなのかも知れないな。
ああ、もうどうでもいいか、そんなこと・・・早くドルマ・ラに着いて、休みたい。ははっ、これもまた、俗っぽい欲なのかな

いく山超えても終わらない、ドルマ・ラへの道。

ドルマ・ラに着いたのは、昼の3時過ぎでした。
おびただしい数のタルチョが縦横に張り巡らされ、風になびいています。
これが、ドルマ・ラか…。
祈りの数だけタルチョが捧げられているとしたら、ここは何と特殊な場所でしょうか。
地面に落ち、汚れたタルチョは、祈り―人の想い―の死骸のように見えました。

ドルマ・ラで祈れば、すべての罪が浄化される、なんて。
そんなわけないだろう、と思いつつ、ここまで来たからには、祈ることにします。
手を合わせながら、わたしは一体、何を祈ったものだろうか…と悩みました。
とりあえず無難に、「世界平和」と「各人それぞれの幸せ」を祈ってみたけれど、その祈りは、何だか空虚に響きました。

わたしが優先的に願っていることは、現世利益なのです。しかも、自分の。金でも愛でもいいけれど、そういう、この世で幸せになれるアイテムが欲しいのです。
Sさんは、現世利益にはまったく興味がないと、いつか云っていました。それを聞いてまた、自分の俗物さかげんに嫌気がさしてしまったわけですが…。
でも、例えば、ここで祈ればすべての罪がチャラになるのさ♪と単純に信じて巡礼しているチベタンがいたとして、わたしはそいつを「バカなやつ」とは思うけれど、悪いとは思わないんです。むしろ、可愛いじゃんって(笑)。俗っぽいって、そんなにもいけないことなのかなあ?

Tさんは先に到着しており、わたしがお菓子を食べながら休んでいる間に、Sさんもやって来ました。
3人そろったところで、わたしはアリで買っていたルンタ(お札)を取り出し、みんなで撒くことにしました。
カイラスに届け、という気持ちで撒くのですが、風向きが悪いのか、ルンタは思うように飛ばず、すぐに地に落ちたり、あらぬ方向を舞ったりします。
わたしたちはそれでも、ルンタがなくなるまでひたすら撒き続けました。撒き終わったとき、特におごそかな気分になったわけでもないけれど、ひとつの儀式を終えたような心持がしました。

ルンタをまく、Tさん(左)とわたし。

ドルマ・ラを越えると、ジェットコースターの如く、いきなりガガーッと下りの道になります。
ドルマ・ラまでは、Tさんが、さすがに一番若いだけあって最も速く、その後にわたし、Sさんという順番だったのが、下りになると、Sさんがいきなりぶっちぎり(本人いわく、「体重が一番重いから」だそうだ。なるほど)、わたしは最後になってしまいました。何しろ、2年半近く履いているボロ靴で、底がすっかり磨り減っており、下りは本当に歩きにくいのです。
下りきってしまうと、あとは平坦な道になり、それから3時間近く歩いたでしょうか。
予定では、ゴンパまでたどり着くつもりでしたが、遊牧民のテントが見えたので、この日はここで1泊することにしました。ちなみに、夕食はまたインスタント麺(涙)。

そして、最終日。
この日は、ドルマ・ラ越えから比べたら、ハイキングのような楽な道のりです。ゴールのタルチェンまでは、普通に歩いて6時間。
わたしは、1人歩きながらまた、つまらぬ考えごとの渦の中に身を沈めます。

欲だらけ、煩悩だらけだな。
それが、自分を縛っていることくらい、よく分かってる。だから、苦しいのは、自分のせい。自分で自分を苦しめているんであって、誰のせいでもない。
でも、わたしは、欲も煩悩も、悪だとは思わないよ。いや、悪だったとしても、わたしはそれを否定するつもりはない。
目も手も心も汚さずに、きれいなものだけ見て生きていければ、きっと幸せだろうさ。

嘘もつけば、喧嘩もする。人を傷つけることはしょっちゅうある。
わたしがやらないことといったら、盗みと殺人と売春くらいなもんさ。ああ、あと麻薬もやんないか(笑)。
それだって、状況が状況なら、やってしまうかも知れない。
わたしはそれくらい、弱くてどうしようもない人間なんだ。

それでも、苦しみながら、もがきながら、煩悩もろとも生きるしかない。
醜い自分に、開き直るつもりはないし、やっぱり、少しづつでも、よい方向に進んでいきたいとは思う。
それでもし、やっぱりいつまで経っても醜いままだったとしても。醜くてサイテーの人生を送ったとしても。
それはそれで、ひとつの選択じゃないのかな?
ランボーが云ってたっけ。「詩人はすべてを経験しなくてはならない」って。
別にわたしは詩人じゃないけど(笑)、大いに笑って、大いに泣いて、大いに苦しんで、大いに喜んで、きれいも、汚いも、全部ひっくるめて、それが生きるってことじゃないのか?人生も、人間も、いろんな側面があるからこそ、面白いんじゃないのか?

そうなんだ。煩悩もろとも生きていくという覚悟。それが“どう生きるか”ってことへの答えじゃなかろうか。

ゴンパ(寺)の内部はこんな感じ。

…そうして、妙に清清しい気持ちで歩いていたコルラ終盤、またしても、わたしを打ちのめす(笑)出来事が起こったのでした。

チベット仏教には、五体投地礼という祈りの様式があります。
その名が示すとおり、五体―つまり身体全体を地面に投げ出して祈る、かなりハードで苦行じみた祈り方です。ゴンパなどに行くと、そうやって祈っているチベタンを見ることができますが、さすがに、五体投地しながら巡礼している人はほとんどいません。
…と思ったら、この日、数人ですが、五体投地でコルラする尼僧に出くわしました。

「すげえなあ…」と感心しながら通り過ぎようとすると、1人が近づいてきて、食べ物を分けてほしい、と云いました。
わたしはちょうど、コルラ中に知り合ったツーリストから余分なお菓子をもらっていたので、それを差し出しました。さらに、“頭が痛い”というジェスチャーをするので、高山病かな、と思い、薬を上げました。まあこれももらいものですけど(笑)。

何だかちょっと“いいこと”をしたような自己満足を得て、ふたたび歩き出すと、またしても、五体投地の尼僧2人組とすれ違いました。
そしてまた、食べ物を分けてほしい、と云います。一瞬、タイムスリップしたのか!?と思いましたが、もちろんそうではなく、別人です。おそらく、わたしが先の尼僧に食べ物を渡していたのを見ていたのでしょう。

わたしが持っているのは、昼食のクッキーだけでした。
“これを上げたら、わたしが食べるものがなくなっちゃうよ…”
そう思ったので、丁重に(?)お断りしましたが、彼女らは食い下がります。「さっきの人にはあげて、何であたしたちにくれないのよ」とでも云いたげに…。
わたしは、手に持っていた飲みさしのお茶を差し出してみましたが、バカにすんなよこのやろー、という目でにらみ返され(苦笑)、ううむ、どうしたものか…と困惑していました。

そこに、ずっと後ろを歩いていると思っていたSさんが現れました。
尼僧たちは、新しいカモ(?)であるSさんの方に向き直り、やはり食べ物を要求します。
すると、彼女は、何のためらいもなくバックパックを下ろし、ひもを解いて、中から食べ物を出そうと手探りを始めるではないですか。
…いや、これは驚くにはあたりません。予想通りの行動です。この人なら、食べ物を惜しむことは1ミリたりともないだろうと思った通りの…。
わたしはそれを目の当たりにして、これまでに何度も味わった敗北感に、またしても襲われました。
何故だ?何故この人は、平気な顔して善行が出来るんだ…?!

怒りをぶつけるようにして、わたしは自分の持っていたクッキーを、尼僧たちに押しつけるようにしてくれてやりました。
正確には、Sさんが食べ物を出すのに手間取っていたので、それを見かねたといった風に「いいですよ、わたしが出しますから」と云って、渡したのです。
そして、二度とそっちを振り返らずに、大股で歩き出しました。その後、Sさんがどうしたのかは知りません。さらに自分の食べ物までやってしまったのかも…と思いつつ、わたしは惨めな気持ちを、足元の石ころを蹴ることでしか、発散できないのでした。

もう、やめてくれよ…。もう、見たくないよ…自分の醜い姿なんて…。
って、何だよ、さっきまでは、醜くてもいいじゃんか、なんて云ってたクセに。1時間もしないうちに、もうそんな弱音吐くのかよ?
醜い自分をいざ見せつけられると、やっぱり耐えられない自分。何故こんなにも、わたしは弱いのだろうというやりきれなさと、求めている答えの切れ端をつかんだと思ったら、単なるボロ切れに過ぎなかったという失望感とで、わたしの心は、また転落していきます…。

ふと視線を上げると、そこには、カイラスを取り巻く山々が、気味悪いほどに大きくそびえています。
「カンケーないね、オレたちには。そんなこと、どーだっていいじゃん?」
山たちは、そう云っているかのように見えました。

山の中腹に建つゴンパ。マッチ箱みたい。

タルチェンの町まで、あと3〜40分というあたりだったでしょうか。
ずいぶん離したつもりだったSさんが、再び追いついてきました。「もうちょっとだねえ」なんて、ニコニコして云いながら。
わたしは、先ほどのクッキー事件(?)のことが頭にあり、冷静を装ってはいるものの、どうしても笑顔を返すことができません。

Sさんも、わたしが相当ささくれ立っていることを理解したのでしょう、わたしたちは、しばらく無言のまま歩いていました。
先に沈黙を破ったのは、Sさんでした。
「“心の貧しき者は幸いである”とは、一体どういう意味なのかと、さっきからずっと考えているのです」。
暑さと疲労のせいもあって、心はとっくに腐っていました。わたしは瞬時に、「心の貧しき者=わたし、ってことか」と判断し、惨めな気持ちが津波のように押し寄せてきました。
「そんなのありえないですね。心の貧しい人間は、不幸に決まってるじゃないですか。キリストもつまらないことを云いますね」と吐き捨てるように云って、彼女から離れました。

その後、1人で黙って歩きながら、その言葉についてしばらく思考を巡らせました。
そして、「確かあの言葉は、“心の貧しい(つまり、醜かったり弱かったりする)人の方が神に救われる余地がある、とかいう意味じゃなかったか」と思い出し、Sさんにもそう伝えました。

Sさんによれば、もともとは“貧しき者は救われる”だったのが、時代が変わって、それほど貧しい人間もいなくなり、その言葉が意味を成さなくなってきたので、どこぞの聖職者が、“心の”と付け足した、という説もあるとのことでした。
何だそりゃ、と思いながら黙って聞いていると、彼女は、
「全く関係ないかも知れませんが、さっきクッキーを分捕って行った人たちを見て、その言葉を思い出したんですよ」と云いました。
てっきり自分のことを云われていると思っていたわたしには、彼女の意味するところは分かりませんでした。

何故わたしという人間は、こうも醜いのか?
この思いは多分、一生かかっても拭い去ることはできない気がする。
「こんな人間で、生きていてもいいのだろうか」という、ある種の罪悪感にずっと苛まれながら、生きていくのだろう…って、太宰治かわたしは。生きててすみません、ってか。

…となると、わたしを根本から救ってくれるのは、死だろうか?
結局、「バカは死ななきゃ治らない」が如く、わたしのどうしようもなさは、死ななきゃ治らないのだろうか?
わたし1人で生きられるなら、それでもいいけれど、問題は、この醜さが、いつも周りに迷惑をかけているということなのだ。
わたしが生きていると、多かれ少なかれ、他人を不幸にする。逆はありえない。
その証拠に、わたしは、自分の美点というものを、全く以って発見できないのだ。
そんなんだったらもう本当に死んだ方がいいに決まっているのだが、自殺したらしたで、迷惑をかけてしまう人もいるわけで、立ち往生してしまう…。

それに、何よりも、わたしは死が怖いのだ。痛いのも苦しいのも大嫌いだ。
明日もし人生が終わることが分かったら、「えええええっ、ちょっと待ってくれっ!」と、なりふりかまわず抗議するだろう。せめて、寿司食ってから死なせてくれ、って(←俗物)。
Sさんは、死ぬのはそんなに怖くないと云っていたっけ。ほかにも、死ぬことにそれほど恐れを抱いていないと云い放つ友人はいたりするのだが、その理由は、彼らには、今をきちんと生きているという実感があるからだとわたしは推測する。
わたしには、それがない。今に満足できないのだ。
わたしは絶えず、何かを求めている。満足できるのは、ほんの少しの間だけだ。そのあとはまた、渇望に支配される。

…って、あああ、またわけわかんなくなってきた。
わたしの思考は一体どうなっているんだよ?何で、死ぬとかそんな話になってんだよ?

「コルラをしたら、よけいに煩悩が増えましたよ」とSさんに云うと、Sさんは不思議そうな顔をしました。
彼女は、まるでカイラスから宇宙のパワーでももらったかのように、活き活きしていました(ように見えました)。コルラを終えたことで、さらに精神の高みへとたどり着いたかのように…。
コルラを終えたら救われるなんて、ハナから思っちゃいなかったけど、相変わらず地べたを這いまわっているわたしは、いったい何のために生きているのでしょうか?

コルラ中に見た、目が潰れそうな朝日。

煩悩コルラ。
何だか、椎名林檎がつけそうなタイトルですね(笑)。
でも、まさにこのコルラのテーマは、“煩悩”でした。
そう云えば、アリで会った中国人旅行者は、「108つの煩悩を消すために、108回コルラする」とか云っていたらしいですが、多分、そんなことしたって、煩悩なんて消えません。少なくとも、わたしはね。
もしかしたら、108回コルラしている間に気がふれて、煩悩とかもはやカンケーない世界に行っちゃう可能性はあるけど(笑)。
煩悩を消すことが、果たして、幸福になるための正しい道なのか。
少なくとも、Sさんを見ていると、煩悩のない(少ない)人生は、幸福なのかも知れないとは思いますが…。

ともあれ、コルラは終わっても、煩悩はまだまだ続く、のでありました…。

(2004年7月25日 カイラス)

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