旅先風信124「チベット」


先風信 vol.124

 


 

**巡礼行@〜グゲ遺跡編〜**

 

西チベットの玄関口アリは、これと云って特徴のある町でもないのですが、妙に居心地はよく、Tさんなど「オレ、ここで沈没してもいいかも…」と、いきなり沈没宣言をする始末です。こらこら。
気持ちはわたしもTさんと同じなのですが(笑)、そんな悠長なことを云っている場合ではありません。西チベット旅行は、ここからが本番なのです。
われわれはまず、グゲ遺跡に向かうことにしました。

グゲ遺跡とは?
「15世紀、グゲ王国を再興したナムギェル・デ王の時代に建設された砦と王宮。その後、グゲ王国の都として栄え、数千人の人口を擁したとされている」(『旅行人 チベット』より一部抜粋)
…だ、そうです。ガイドブックには、グゲ王国の成り立ちなども書かれているのですが、ランダルマ王だの、イェシュ・ウーだの、あまりに馴染みのない名前ばかりなので、どうも頭に入ってきません。
そんなわけで、この遺跡の歴史的背景には、特に思い入れはないのですが、アフガニスタンで会ったたるや夫婦が、「超おすすめ」と力説していたものですから。100カ国をまわった2人がそう云うくらいなら、これは相当すごいに違いない、と思うのです。

アリから、グゲ遺跡の拠点ツァンダまでは、ヒッチハイクで行くことにしました。
人数がいれば、ランクルチャーターという手もあったのですが、3人で2000元をシェアするのは、どうにも高くつきすぎる。アリのホテルで会った旅行者に、「ヒッチなら1人100元あれば行ける」と聞いて、少々賭けにはなるけれど、ヒッチにしようということになったのです。
朝7時くらいから始めた方がいい、というその旅行者のアドバイスにより、われわれは、まだ空も明けきらないうちから、夜逃げのように荷物を担いで、ヒッチポイントに出向きました。…しかし、早すぎたのか、そこには誰1人いませんでした。太陽が出ていないと、さすがに寒くて、わたしはぶるぶる震えていました。

8時ごろになって、中国人のおじさん3人組、日本人男性パッカー1名もヒッチポイントにやって来ました。
しかしその後、車はいっこうに止まってくれず、待つだけの時間に疲れ、とりあえず近くのイスラム食堂に入り、「タンメン」と注文したまさにそのとき、おじさんたちが「車が来たぞ!」あわてて注文を取り消し、わらわらと食堂を出ました。
止まった車は、貨物トラックでした。運転手は、チベタンの若い兄ちゃん。交渉の結果、助手席150元、荷台100元で話がまとまりました。

わたしとSさんの女子2人は、助手席に陣取り、Tさん、日本人パッカー、おじさんたちは荷台に乗ることに。
荷台には、中身の詰まった米袋が山積みになっており、乗客が座るのはその上。おじさんたちは何とそこで、持参した布団を慣れた手つきで広げ、すっかりくつろぎ体勢です。米袋のせいで、荷台の高さはすごいことになっており、もしここから振り落とされたら、死なないまでも重傷間違いなしなんですが…。途中からは未舗装の道を走るので、砂煙もすごいし。

荷台をベッドにする中国人たち。

そう。アリを出て1時間くらいは、見事な舗装道路なのですが、いきなりぷつっと途切れ(工事中なのね)、その後は地獄のような未舗装の山道が続くのです。こんな道、ランクルでも厳しいだろーと思うのですが、貨物トラックは、果敢にも、ゴゴゴゴゴゴ…とうなりながら、しかしあくまでものろのろと進んでいくのでした。
「無理やり走ってます。つらいっす。」
と、トラックが全身で訴えているような走りっぷりでした。

しかし、せっかくこの過酷な移動を体験するのなら、荷台も経験しておくべきであろう…という妙な義務感が働き、わざわざ自ら荷台を所望してみました。無論、ヘタレなので、ずっと乗るつもりはありません。
が、これがなかなか気持ちのよいものでした。米袋のクッションが効きまくっていて、振動はむしろ心地よいくらいだし、何より、車外にいると、ものすごい開放感なのです。チベットの空は頭上に近く、自分と空とがつながっているような、不思議な感覚にとらわれます。

夕方が近づいてきたころ、景色が一変しました。
それまで、荒涼とした谷間をうねうねと走っていたところに、“土林”と呼ばれる奇観が現われ始めたのです。
このあたりの光景を、ガイドブックは「グランドキャニオンの100倍すごい」と書いてあります。ま、いくら何でもそれは大げさだろーと思いましたが(第一わたしはグランドキャニオンを見ていないので、比べようもない)、確かに、次々と奇岩が現れては消えていくこの光景は、自然の圧倒的な力を見せつけられるようでした。
わたしは、カッパドキアをはじめとする、不思議な形の岩が大好きなのです。そこに、宇宙的なものを感じるからかも知れません。

ヘンな岩。テンションが上がります。

ようやくツァンダの町が見え始めましたが、トラックはなかなか町に到着しません。
トラックがのろすぎるのか、道がかなり迂回しているのか、はたまたあの町は蜃気楼なのか…。
結局、町が見えてからさらに1時間以上も走り(!)、着いたのは、夜9時30分でした。チベットの日の入りは遅いので、その時間でもまだ夕暮れどきといった感じです。町を歩いていると、恐ろしいほど赤い夕焼け空が見えました。ああ、チベットの空だ…と思いました。

さすがにこんな小さな町で中華料理は無理か…と思ったら、ここもまた解放軍の造った町ということで、中華食堂がずらり並んでいました。町の規模からは考えられないほど、ピンクの床屋さんの数も多い(笑)。
疲労した身体に、美味しい中華料理は、こんこんと染み入ってくるようでした。

翌日、ツアンダの町から遺跡までは、空のトラックをヒッチしました。今回はタダで。ラッキー。
昨日の土林の光景も素晴らしかったけれど、トラックの荷台に立ち、振り落とされそうになりながら見るグゲの景色は、それ以上でした。まるで、違う星に来たのかと思うような不思議な世界。また、このトラック移動も、ビッグサンダーマウンテン・リアル版とでも云うべき楽しさで、何だかもう、幸福感で胸がはちきれそうになり、意味もなく「うわああああああっ!」と叫び出しなりましたね。
Sさんが隣で「生きててよかったよ〜」と云っていましたが、わたしも全く同感でした。

グゲ遺跡には、ほとんど訪れる人もいないようです。
アクセスが大変なせいもあるのでしょう。
時間から置き去りになったようにたたずむ、天空に通ずるかのようにそびえ立つ遺跡群。マチュピチュじゃないけれど、何だか宇宙と交信できそうな雰囲気です。
いつも云うように、遺跡というのは、見捨てられ感が強ければ強いほど、素晴らしさがが際立つのです。
建物ごとにカギを開けてもらわねばならず(有料!)、写真禁止というのが残念ですが、この静かなお堂の内部に広がる、目も綾なる仏像画群は、隠された宝という感じがして、胸がざわめきます。

チベット仏教の絵画は、色彩が実に豊かで、線が非常に細かく、細部をつぶさに見るのが楽しいのです。表情やタッチは、何となく山岸涼子(マンガ家)の絵を思わせますね。これで、仏像の名前とか由来なんかが分かれば、さらに面白いのになあ。ラサに行ったら、仏像図鑑を買おうっと。
この絵画が表している世界観というものが理解できれば、鑑賞の楽しさも10倍くらいに膨れるんでしょうね。宗教画は、えてして退屈だと云われがちですが、わたしはけっこう好きなのです。その宗教がどんな世界観、宇宙観を持っているかが、絵にははっきりと打ち出されていると思うので。あと、よくよく見るとありえないことが描かれているのも面白い。普通なら残虐なシーンも、宗教画においては、実にあっさりと描かれているように思います。

ここの地獄絵図なんかも、ガイコツや鬼に、串刺しにされたり、ボコボコにされたりして、ぶっしゅーっと血を流している人々が描かれているのですが、このガイコツが、「死者の日か?」と思うような、ファニーなガイコツだったりする。
鳥につつかれて血を流している人間がいるのは、鳥葬の習慣のあるチベットならではだなあ…とか、細かく見ていくと飽きないもんです。

天空の城のような。

行きもあっさり車が見つかったし、帰りも何とかなるでしょ、と軽く考えていたわたしたち。しかし、残念ながら、トラックもなければ、ランクルをヒッチするもことごとく無視され、やむなく18キロの道のりを、5時間かけて歩いて帰りました。陽をさえぎるものもない荒野をえんえんと歩くので、喉はカラカラになり、途中からは唾すら出ないくらいでした。
「うう、コーラがのみたい…コーラがのみたい…」わたしの頭の中は、1秒でも早くツァンダに帰って、冷えたコーラをがぶ飲みすることでいっぱいでした。しかし、5時間の道のりというのは本っっっ当に長い!途中で休憩するにも、日陰もないし、まして喫茶店があるわけでもないのです。
ツァンダにようやく到着するとすでに夕方。われわれは、「冷的可楽!冷的可楽!(冷えたコーラ)」と叫んで、片っ端から商店をめぐり、5軒目でようやく、キンキンに冷えたコーラを獲得しました。あまりに一気に飲みすぎて、しばらく胃がきゅーっと痛くなって息苦しくなったほどです(笑)。

遺跡の上から下界を見下ろす。

さて、年齢も性別も性格もまったく異なる3人が一緒に旅をするというのは、かなり困難なのではないかと心配していましたが、あにはからんや、この凸凹なチームは、意外にいいチームワークとバランスを保っているのでした。
わたしは、単なる旅のパートナーという以上の絆を、TさんSさんに対して感じていました。寝食をともにし、苦楽をともにしているうちに、不思議な連帯感が生まれてきて、この人たちなくしては、このチベット旅はありえない、とすら思うようになっていました。

しかし、よい仲間に恵まれ、旅が順調に進んでいく中で、わたしは人知れず、わざわざ抱えなくてもよい悩みを抱えて悶々としているのでした(うーん、またかい…)。

悩みの原因は、Sさんでした。
と云っても、Sさんとケンカしているとか、ウマが合わないとか、そういうことではないのです。むしろ、Sさんのことは好きだと断言してもいいくらい。何しろ女に厳しいわたしのこと(笑)、知り合って日も浅い女性に対して、これほど心安くなることは珍しいのです。

では何がわたしを悩ませるのか?
それは、彼女が、あまりに人間が出来すぎているということでした。
インド・コルカタのマザー(テレサ)ハウスで、2ヶ月ほどボランティアをしていたそうですが、あんたがマザーテレサの生まれ変わりなんじゃないのか?と思ってしまうほどです。

彼女の特質を、思いつくまま書いてみます。
太陽のような明るさ、大海のような包容力。
誰とでも仲良くなる才能があり、誰に対しても親切であり、それは何人相手だろうが関係ない。
さまざまなジャンルに精通しており、政治からアングラまで、話の幅が広い。Tさん曰く「360度ですよね」。
よく食べ、よく喋り、よく動き、身体は健康そのもの。
そして、常に笑顔。本人も、意識してそうしているというよりは、本当に、心からハッピーな様子で、かのインドにおいて「インドにいると、ゴキゲンが加速して止まらないんですよ〜。」(わたしだったら、フキゲンが加速して止まらないだろう…)
帽子狂だったり、謎の舞踏集団で踊っていたり、女子なのにボクシングを習っていたりと、かなり変わった人でもあるけれど、そのヘンさにまったく嫌味がなく、世にはびこる“不思議ちゃん”(不思議さを売りにした人たち)とは、一線どころか百線くらい画している。

…本当にこんな人がいるのか?と思うでしょ?
でも、いるんですよ。実際に。わたしだって、驚いているのです。何だこの人は、いや、人じゃない、仏か何かに違いない、ってね(笑)。
何とかしてアラ探しをして、自分を慰めたいところですが(笑)、彼女には、アラ探しなど許さない、わたしの矮小な試みなど消し飛んでしまうほどの圧倒的オーラが漂っているのです。

こんな人を前にして、わたしの眠れるコンプレックスが、目を覚まさないわけがありません。
さまざまな場面での行動、話している中でのささいな言葉が、いちいち引っかかってしょうがない。
気がつくと、反射的に己とSさんとを引き較べ、毎回敗北感に襲われている自分がいる。悪循環だと思いつつ、それをやめることができないのです。

彼女に対するコンプレックスが、メーターを振り切りそうになったのは、ツァンダのトリン・ゴンパ(托林寺)を見に行ったときでした。

ツァンダで会った日本人旅行者から、トリン・ゴンパは50元で入れると聞いていました。ところが、いざチケットを買う段になると、定価(?)の80元からはどうしても下がらなくて、わたしとTさんは、激しく機嫌を損ねていました。
学生証を見せたり、「昨日入った友達は50元だったよ」とごねたり、手を合わせて懇願しても、一向に負けてくれる気配はありません。

そんなわたしとTさんの横で、いつもなら、交渉事を買って出てくれる(何故なら、3人の中で一番中国語が話せるので)Sさんが、ずっと黙っていました。
そして、とても静かな声で、「わたしは80元で入るけど、いいですか?」と云いました。「負かるのは権利ではないでしょう…」
…そりゃそうです。そうだけど、昨日入った人間と値段が違うなんて、解せません。どうやらその人は、「自分は仏教徒で、巡礼に来た」と云ってその値段になったということでしたが…。

「そんな(不機嫌な)気持ちでゴンパを見たって、楽しくないと思うよ」
と、あくまでも静かに云うSさんに、わたしはついカッと来て、
「もうすでに楽しくないですよ」
と云い返しました。
「じゃあ、入らなければ?」
と、Sさん。鈴の音のように涼しい声でした。
わたしは、どう考えてもSさんの方が正しいことを、しぶしぶながら認めざるをえませんでしたが、同時に、無性に腹が立ちました。Sさんに対してと云うより、自分の卑小さに対して。

その後、結局80元を払って入り(Tさんも)、寺院内の仏像画を見ながら、わたしは、死にたい気持ちでいっぱいでした。
「わたしは醜い、わたしは意地汚い、心が狭い、欲にまみれている…」
壁に描かれた仏たちは、Sさんと同じように、涼しい顔でわたしを見ていました。
俗世間に生きて、悩み苦しむわれわれを救ってくれるのが、神であり仏ではないのか?
手を合わせたって、わたしの醜さは、1ミリたりとも拭えやしない。
視界の隅には、恐ろしく清らかな顔で仏像に手を合わせているSさんが居ました。
わたしはそれを見て、反省するどころか、ますます腐った気分になり、「こんなに醜悪な自分のまま生きてくのか、それならいっそ、死んだ方がいいんじゃないか」と思いました。悔しさのあまり、涙が出てきました。

おにぎり岩群の向こうに臨むトリン・ゴンパ。ちなみに、このおにぎりは、数キロにわたって連なっている。

そんなに悔しいなら、自分も、彼女を見習って、清く正しい道を進めるように、努力すべきではないのか―と、誰しもが考えることでしょう。わたしとて、同じです。
しかし、そんな風に簡単に姿勢を正せるなら、とっくの昔にやっています。悪しき考え、習慣、そして自分自身を断つことは、口で云うより10000倍難しいのです。醜悪で、間違ったものでも、それが自分を苦しめていることが分かっていても、長く慣れ親しんだものであれば、愛着を持ってしまいます。明日から、まったく正反対の自分で生きていくというのは、それまでの自分を殺すことで、想像以上の勇気と痛みがともなうと思うのです。

自分と正反対の、自分よりも優れた人に出会う。
すると、自分の心の池に、さざなみが立つ。それは、時には津波に変わり、自分の存在を根底から揺るがしそうになる。自分が自分でいること、自分であることが、耐えられなくなる…。

わたしは、以前にもこんなことがあった…と、苦い気持ちで思い出さざるをえないのでした。
長年の読者の方なら、ああ、と思い当たるかも知れません。
中東方面を旅していたとき、同行者だった“彼女”のことです。
あのときのわたしは、今思い出すとバカバカしいほどに、彼女に対するコンプレックスに悩まされていました。
明るくて、しっかり者で、英語がペラペラで、誰とでも仲良くなれる…そんな彼女が、あまりにもまぶしく、自分にはない美点ばかりを持っていることに、大いに嫉妬し、激しい自己嫌悪に陥っていたのです。

…またここで、同じことを繰り返すのでしょうか、わたしは?
人間は、学習する生き物のはずです。わたしはバカ者ですが、前回のことで、多少は成長したはずです。すなわち、”コンプレックスと如何に折り合っていくか”という課題において。
自分以外のものになろうとするところに、人間の不幸がある。バカにはバカなりの、ダメなやつにはダメなやつなりの生き方があるはずだと、そのときわたしは自分なりに納得したつもりでした。
わたしの尊敬する作家や芸術家を見てみれば、誰しも、人格者とは程遠い(笑)人々です。むしろ、その欠陥ゆえに、その人が魅力的だとすら云えるではありませんか…。

中東の彼女とは、今も連絡を取っていますが、あるとき、彼女がわたしのHPに、自分のことが書かれているのを読んで、「野ぎくちゃんのこと)が、わたしをあまりに買いかぶりすぎてるので、笑ってしまったよ。わたしだって、英語がペラペラの友達の前では、英語を話すのがすごくイヤだしさ、そんなにしっかりもしてないんだよ」とメールをくれました。
その後、メキシコで再会したとき、一緒に来ていた彼氏とだらだら沈没しているのを見て、「ああ、この人も普通なんじゃん」と、妙な安心感を覚えたものです(笑)。

そうだよ。人間は完璧じゃない。
それは、当たり前のことじゃないか。
わたしが完璧じゃないように、ほかの人だって何かしら、欠損した部分を抱えているはずなんだ。

しかし、自分の中の、もうひとつの声が、追いかけるようにこう云うのです。
「完璧であろうとなかろうと、Sさんはすばらしい人だよ。少なくとも、アンタの100倍はね。アンタは本当にしょうもない人間さ。完璧でないとかいう以前に、人並みにすら達してないね、多分。コンプレックスでうじうじ悩んでいるヒマがあったら、彼女の爪の垢でも煎じて飲むくらいのことをしなよ。アンタはただ、嫉妬しているだけなんだよ」

「彼女はきっと、彼女の人格にふさわしい、すばらしい旅をするだろうね。
いくら、アンタの旅が、HP上でごく一部の人に支持されているからと云って、本当はつまらないもので、ほかの人なら同じ条件でもっと実りある旅ができるはずだってことは、自分でもよく分かっているんだろう?」

頼むから、そんな風に云わないでくれ…。
自分の本当の姿なんて、見たくない。そんなもん、醜悪きわまりないに決まってんだから。それを何とかごまかしながら、人生をやり過ごしているんだ。このままごまかしながら生きていくつもりなのに…。もう、ほっといてくれ。ほっといてくれ…。
ダメだ。もうわけがわからん。 どうすればいいんだわたし。どうしたいんだわたし?

わたしの西チベット巡礼行は、このことによって、ただ楽しいだけの旅路ではなくなるのでした。
このあとのカイラス巡礼で、旅的にも、精神的にも、まさに山場を迎えることになります(また大げさな…)。

(2004年7月16日 ツァンダ)

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