旅先風信123「中国・チベット」


先風信 vol.123

 


 

**西チベットへの道(後編)**

 

さて、いよいよ西チベットを目指すことになったわけですが、その前に、今回の西チベット旅は、わたし1人ではなく、3人旅であることをお話しておく必要があるでせう。

西チベットの旅は、公共交通手段がなく、移動はすべてヒッチハイク、加えて、4000メートル以上の高所を旅することになるので、体力的にかなりハードになることが予想されます。
軟弱なのは承知の上で、やはりここは、誰か同行者がいるとずいぶん助かるのではないかと思い、ちょうど時期が合いそうな2人の旅行者とともに、西チベット・カイラスを目指すことにしたのです。

彼らとの出会いは、パキスタンのフンザでした。「ハイダーイン」の食堂に、「カイラスへの同行者を募ります」という張り紙をしていたTさんと、「ハイダーイン」の宿泊客だったSさん。
これから、重要な登場人物となるであろう2人のプロフィールを、簡単にご紹介しておきましょう。

Tさん(26歳・男性)…元医療器具メーカー勤務。旅は10ヶ月目で、アジア・中東をたったの4000ドルで周っている。小柄で、物腰の丁寧な青年。しかし、現地人に対しては、けっこう容赦なく怒る(わたしと同じ)。値段交渉に関しては、3人の中でもっともシビア。以前、「あいのり」に応募し、最終専攻まで残ったという、意外な過去の持ち主。旅に出る際にスキンヘッドにしたらしいが、現在は肩くらいまでのやや長髪。ちょっと女の子みたいだが、実は九州男児である。

Sさん(3?歳・女性)…元政府系コンサルタント会社勤務。旅は8ヶ月目で、南アジアを中心に周っており、いずれは世界一周予定。大柄で、物腰の柔らかいお姉さま。やたらマダムな雰囲気をかもし出している。現地人に対しては、常に、仏のようににこやかで親切(わたしと大違い)。しかし、暗黒舞踏集団で踊っていたり、ボクシングをやっていたり、大学に8年通っていたり…と不思議な経歴満載でもある。筋金入りの帽子狂で、何どきも帽子を着用。しかも髪型は三つ編みのお下げである。

いやー、こうやって書いてみると、実にヘンな2人ですね(笑)。最も、2人からは、「自分のことは棚に上げて、よく云いますね」という反応が返ってきそうですけど…。
正直なところ、フンザで、ともに旅する話がまとまったときは、「こんなに凸凹な3人で、上手くやっていけるんだろうか…」と大いに不安も感じていました。いやいや、珍道中になりそうだわ…。

Tさん、Sさんは、わたしより約1週間遅れでカシュガルにやって来ました。
わたしは、中国ビザの期限が迫っていたので、ひと足先にカシュガルに入っていたのです。Tさん、Sさんはすっかりフンザに沈没していたので、「もしかしたら、『やっぱカイラスはもうちょっとあとにします』なんていって、見捨てられるかも…」と心配していました(笑)。
集合したところで早速、西チベット旅行の具体的な準備を進めるべく、買い出しツアーへ出かけました。

まずは、みやげもの市場へ。
…え?何でみやげもの市場なのかって?ごもっとも。
いきなり西チベット旅行とはカンケーのない買い物に、われわれは出かけて行ったのでした(笑)。
というのは、帽子マニアのSさんが、昨日の日曜マーケットで買い漁った帽子コレクションを披露してくれたのですが、これが、帽子など特に興味もなかったわたしの心にどかんとヒットしてしまったのです。
羊毛製のうさ耳つき帽子、黒い別珍にキツネ毛のつばがついた帽子、山猫帽子(足つき)…“実験に失敗した博士の爆発頭”風の、ちょっとかぶれそうにないのもありましたが(でもSさんは日本でかぶるそうだ。日本で!)、とにかく、「かわいいっ!」と感激し、ぜひ帽子屋に連れてって下さい、とお願いしたのでした。

カシュガルはどうやら、動物の毛製品が特産らしく、帽子屋もかなり多彩でユニークな品揃え。Sさんが買ったもの以外にも、素敵な、そしてちょっとヘンな帽子がたくさんあります。
わたしは、あれこれ試着して、ロシア人ぽい、いや、「銀河鉄道999」のメーテルっぽい帽子を買いました。ダメもとで、「50元!」と値切ったところ、最初の言い値が180元であったにもかかわらず、5分くらいの交渉で下がって、いい買い物でした。Tさんも、山猫帽を80元で購入。
同じ帽子を、2倍近くの値段で買っていた素直なSさんは、とても悲しそうでした(ぷくく)。

KASHI128.JPG - 52,081BYTES 魅惑の帽子屋さん。

下着、コップ、水筒、靴下…といった、こまごました日用品をそろえたあとは、メインイベントである(?)食糧の買出しに、スーパーへ。
チョコレート、クッキー、ポテチ、キャンディ…まるで遠足の前日のようにウキウキとお菓子選びに励みます。「お菓子は300円までね」なんて冗談を云いながら、もちろん300円以上の菓子をじゃんじゃん購入。
ついつい果汁グミを3袋も買ったりしているわれわれは、本当にこれから西チベットに行くのか!?と自ら疑わしいくらい、呑気なもんです。

買出しの翌日、われわれは、イエチョンに向かいました。
イエチョンは、カシュガルからバスで6時間。西チベット行きの寝台バスがこの町から出ているのです。
Tさんたちは、カシュガルに着いたばかりだったので、急がせるのは少々申し訳なかったのですが、わたしはすでに1週間いて、いい加減飽きが来ていたのと、情報収集の結果イエチョンから西チベット・アリへのバスは、3日後か4日後に出るらしいと分かり、ともかくもイエチョンでチケットの確保をした方がいいのでは、という話にもなり、慌しくカシュガルを発ったのでした。

イエチョンに着いた次の日の朝、すぐにチケットの手配をしに、イエチョンの隣町・アーバーに行きました。
アーバーは、いわゆる“非開放地区”、外国人は入ってはいけない場所なので、あまり目立たないようにこそこそと行動です。
その非開放地区から出ている寝台バスも、おそらく外国人には非開放なのでしょうが、そこはまあ、やってみるしかありません。

しかし、“チケットはアーバーで買える”ということ以外、その場所も、どうやって買うのかも、まったく情報のないわたしたち。“それらしい”場所を探しつつ、地元の人に尋ねつつ…公安局を過ぎたあたりに、「大从旅社」という看板が出ていたので、旅行会社かな?と当たりをつけて入ってみました。どうやらホテルのようでしたが、一応そこの主人に「アリ行きのバスチケットを買いたいんですが」と尋ねると、おもむろにどこぞへ電話をかけ始めました。げげっ、まさかアンタ、公安に通報してるんじゃないだろうね?…冷や冷やしているうちに、制服の青いシャツを着たオッサンが現れ、肩についているワッペンを見ると…「公安」と、しっかり刺繍されているではありませんかっ!
ちょ、ちょっと待って、これって、まだ何も始まらないうちから、いきなり西チベットへの道を断たれたっていうことーーーっ?!そりゃないっすよー!わたし、そしてTさんは、苦虫を噛みつぶしたような顔になり、「どうします?やばくないですかこれ?」とオロオロしていたのですが、Sさんは1人冷静で「この人は公安じゃないと思う。もう少し様子を見ましょう。」

果たしてオッサンは、公安ではなく、バスターミナル(客運站)からわざわざ出張してチケットを売りに来てくれた、関係者でした。ワッペンも、よくよく見ると、客運とか何とか書いてある…(じゃ、この公安って文字は一体何なの?目の錯覚?)。つまりは、ホテルの主人が親切でこの人を呼んでくれたってワケですね。疑ってすみませんでした。へへっ(←ゲンキン)。

寝台バスのチケットは、上ベッドが500元、下ベッドが700元。けっこうなお値段ですが、まあ、3日間くらいの長旅になるそうなので、距離と時間を考えれば仕方ないのか?わたしとTさんは、安さ優先で上ベッド、Sさんは快適さ優先で下ベッドを買いました。出発は3日後の夕方。ともかくも、こうして、最初の関門はクリアしたのでした。

イエチョンは、特に見るところもなく、ホテルも高く、あと3日をここで過ごすのはあまりに有意義でないので、われわれは、翡翠で有名なホータン(和田)に足を延ばすことにしました。
イエチョンからは、カシュガルと反対方向にバスで走って6時間。タクラマカン砂漠を車窓に見ながらの旅路です。途中から、未舗装道路になり、相当バスが揺れ、疲れてしまいました。

ホータンも、カシュガル同様に、大開発が進んでいるらしく、昔抱いていた“シルクロードの砂漠のオアシスの町”というイメージを、見事に裏切ってくれました(もちろん、悪い方向にね)。あのバカでかい人民広場!誰も憩ってないし、にぎわってもないから!ムダな土地の使い方はやめようぜ。
雰囲気があるのは、金曜日のマーケットと、その周辺の町並み(中心部からは少し外れる)です。カシュガルのマーケットよりもローカル色が強く、ウイグルらしさ、シルクロードの空気をほんのり味わうことができました。

HOTAN34.JPG - 44,838BYTES ケバブ屋のおじさんと近所の娘。

しかし…ホータンにて強烈に印象に残っているのは、中国製バイアグラのお店でもなく(何だ、中国にもあったのね。また仕入れそうになっちゃったわ)、名産のひすいがバカ高かったことでもなく(もはや値段も覚えていないくらいのハイプライス)、泊っていたホテルのトイレが、阿鼻叫喚ものの汚さだったことでした。
われわれのホテルは、バスターミナルに隣接する、主にバスの運ちゃん用の安い招待所で、通常外国人は泊まれないところを、何とか頼み込んで泊めてもらったのです。部屋は簡素だけれど、不潔ではないし、1、2泊するだけの宿としては特に問題のない…

と思ったら、トイレが恐るべきことになっていた。
タシュクルガンの交通賓館のトイレでびびった自分を恥じてしまうくらいに、このトイレはすごかった…。これだよ。この、溝だけの、ドアなんてあろうはずもないニーハオトイレ、そしてこの超ド級の汚さこそが、中国のトイレの真の姿さ…ふっ。

6年前、中国の昆明で、腹が抜き差しならないことになり、仕方なく鉄道駅のトイレに駆け込んだときのことを思い出しました。入った瞬間、わたしはそこの空気が、本当に茶色をしていることに驚愕し、次の瞬間、目が潰れそうになりました。臭いは、強烈とかそんなレベルをとっくに超越しており、まともに息を吸ったら窒息死するのではと思うほどの凄まじさ。あれはまさに、アンモニア地獄でした。

で、この和田のトイレだ。昆明のそれよりは規模も小さいし、目がつぶれるほどのアンモニアは漂ってはいないけれども・・・くーさーいー!!!きーたーなーいー!!!夜だったので、ヘッドライトを点しながら用を足したのですが、足場をしっかりと確保したあとは(万一暗がりで足を滑らしたりしたら…ああ、想像もしたくない)、すぐにライトを消しました。ライトを点ければ、ただちにこの、オシッコとウンコと血のついた生理用品と茶色く汚れたトイレットペーパーの山が、視界にどかん!と飛び込んでくるからです。息も、できるだけしないように…。斜め前には、「ふぬぬぬぬっ!」といきみ声を上げてきばるオバハンがしゃがんでおり、頭の中が真っ白になりました。い、1秒でも早くここを立ち去らなければ…。
翌朝も、トイレには行きたくなくても尿意はやって来るものですから、勇気を振り絞って突入しました…夜と違って、否が応にも、すべてが明るみに、白日のもとにさらされ、わたしの頭は完全にショートしてしまいました。

再びイエチョンに戻ったのは、出発前日の夕方でした。
「もう中華料理も最後かも知れないですねえ…」なんて3人して嘆きながら、ギョーザを食べ、ホイコーローを食べ、チンジャオロースを食べました。
出発の日は、再び補足の買い出し。600mlの水をダンボールで仕入れ(3人分)、さらにお菓子も買い足しました。

バスの出発時刻は夕方6時。われわれは5時過ぎに、ミニバスでアーバーに向かいました、チケットを買った大从旅社の斜め向いに、水色の空に雲の絵が描かれた、ややファンシーな大型バスが2台停まっています。どうやらそれらが、われわれの乗るバスのようです。
すでに車両の上には荷物が山と積まれ、乗客も半分くらい乗り込んでいました。われわれも荷物を積み、自分のベッドを確認しに車内に入ります。わたしは上の窓際のベッド。隣がTさんで、下がSさんです。

ベッドは幅40cm、多く見積もってもそれくらいしかないだろうと思われる超極細サイズ。寝返りなど1ミリも許されない狭さです。それもそのはず、ただでさえ狭い車内に、ベッドは縦3列に配置されており、ベッドの間にこれまた極細の通路があり、「全てのスペースを限界まで使い切りました!」とでも云わんばかりの省スペースぶりなのです。肥満の人は間違いなく乗れません。ま、中国人には肥満はほとんどいなそうだけど(金持ち以外)…。
綿の入った布団が1人に1枚づつ支給されており、何とか寒さはしのげそう。上のベッドだと、座れないくらい天井が近いのかと心配していたけれど(ましてわたしは座高が高いし)、それもまあ、問題はなさそうです。

…出発時刻を過ぎること2時間、バスは一向に出る気配がありません。
夕食を終え、トイレを済ませ、さらにはアイスまで食べたので、いつ出発してくれてもいいのですが…。
いつものわたしなら、イライラして、とっくにバスの車体に2、3発ケリを入れていてもおかしくないところが、今回は不思議と、まだまだ待てそうな心境なのでした。
今日までの約1週間、チベット行きの準備に明け暮れ、Tさん、Sさんと毎日行動をともにし、仲間意識も強くなり始めた今、何だかもう、チベット旅行の楽しみの半分くらいを費やしてしまったのでは?というほどに、毎日充実していたのです。
わたしは早くも感傷モードに入り、毎食中華料理をつつき合ったことや、ホータンの人民解放軍ショップでそれぞれ赤・黄・緑の雨合羽を買って「信号機ですねえ」なんて云って記念撮影をしたことやらが、ランダムに頭に浮かんでは消えていきました。

バスは結局、夜8時30分にアーバーを出ました。
ベッドは思ったより寝心地は悪くなく、高山病対策にと、ちょこちょこお茶を飲み、ドライフルーツを齧り、ぼんやりと考え事をしているうちに時は過ぎました。
1300mのアーバーから、バスは一気に4000mの高地へと上がっていくので、急に頭痛が始まったり、息が苦しくなるかと思いましたが、特に異変はありませんでした。

午前1時30分、バスが停車しました。クティの検問所です。多くの旅情報によれば、「ここさえ突破すればアリまで突っ切れる」。
普通は、ドライバーに頼んで、自分たちの存在を隠してもらい、検問をやり過ごすというのが一般的な突破方法。このバスには、われわれの他に、欧米人ツーリスト2名、アジア系ツーリスト1名、計6人の外国人が乗っていました。6人も隠しきれるのでしょうか…。
とりあえず、車内の中国人たちが出払ったあとも6人は残り、様子をうかがいました。息を吐く音すら抑えてしまうほど、わたしは緊張していました。
…ところが、何を思ったのか、欧米人2人が外に出てしまい、間もなくして「おい、全員外に出ろ!」という声が車内に響きました。しばらくぐずぐずしていましたが、どうやら、どうしても出なければならない様子。ああ、何ということでしょうか。こんなにあっさり検問に引っかかってしまうなんて…。ていうか、あの欧米人たちは、何を血迷って外に出たワケなのか?われわれ日本人はともかく、明らかに中国人に見えない君たちが外に出たら、目立ってしょうがないだろう!

…そしてわれわれは、検問にさらされることになりました。深夜、しかも高度の高い山道、寒さは骨身にしみわたり、不安も相まって、わたしはぶるぶる震えていました。
中国人の検問が済み、いよいよ外国人の番です。最初は、欧米人の女の子から。わたしは最後尾から、ことの成り行きをじっと見つめていました。
…あれ?彼女は堂々とパスポートを見せ、検問官はそれをパラパラと見たあと、あっさり彼女に返して、彼女はすたすたと行ってしまったではありませんか。

次も、その次も、われわれも、同じようにして、あっけないほどカンタンに検問をクリアしてしまいました。えええっ、何これ、フツーじゃん?突破とか、そんな大げさなものじゃないじゃん?バックパックにも、それとバレないように米袋をかぶせてあるけれど、それも必要なかったってワケかよ。何だ、そんなにビクビクしなくてよかったんだ…。

クティさえ過ぎれば、あとは検問もなく、アリまで突っ切るだけです。
翌朝、三少里で朝食タイムを取ったあとは、どこにも停車することなく、ひた走りました。2〜3時間に1回、トイレ休憩もあるのですが、5分もしないうちに出発合図のクラクションを鳴らされてしまいます。
ちなみに、トイレと云っても、完全野トイレです。それも、ほとんど隠れるところのない、チベットの荒野で…。
トイレのたびに、いちいちベッドを降りて、狭い通路を抜けるのも苦痛でした。外は激寒いし、なるべくなら出たくないのですが、そういうときに限って、やたらと尿意が襲って来るんだよなー…。高所では、膀胱が縮んでトイレが近くなるらしいんのですね。なるべく水分を採らないようにしていたけれど(高山病にはよくないと分かっていつつ)、そういう問題でもないみたい。

車窓の風景は、見事なまでに、荒野オンリーでした。ペンペン草も生えないような荒野が、永遠のように続いているのです。時たま、鈍いアクアマリン色の湖がふっと現れる他は、特筆すべきものはなく、雪山と、岩山と、赤い砂丘と…見て記憶にあるのはそれくらいです。
人家や集落はもちろんのこと、人っ子1人、動物1匹すら見当たりません。あ、何故か1匹だけ、黒い犬が荒野にぽつねんと座っているのを見ましたが、あの犬はどうしてあんな所にいたのでしょうか…。

IECHONG-ALI17.JPG - 27,029BYTES まごうかたなき荒野。

夜中、ついに頭痛が襲って来ました。それまでもずっと、4000〜5000mの地をアップダウンしてきても平気だったのに、余裕こいて読書までしていたのに、何故今ごろになって…。どうも、高山病というより、車の揺れが激しすぎて、それが頭に響いたらしい。三少里を過ぎてからは、完全に未舗装の道―いやあれは道ではない、轍だな―になり、とにかく激しく、地震かと思うくらい揺れまくったのです。ううう、苦しいよう、眠れないよう…。

午前8時。バスが市街地に入ったかと思うと、そこが目的地・アリでした。
アーバーから36時間。あと1日はかかると思っていたので、意外な早さでした。まあ、故障で止まることもなかったし、まる一昼夜ひた走り続けていましたからね。

アリに着いて、まずやらなければいけないことは、公安への出頭です。
アリおよび西チベット全域は非開放地区なので、ここに来た時点で罰金300元と旅行許可証50元を支払わなくてはならないのです。全部でおよそ50ドル!…まあ、ビザ代と思うしかありません。
ところが、のちに会った旅行者が、これらを払わずにまんまと旅行していたことが判明。羊のように大人しく50ドルを払ったわれわれの立場は一体!?

アリは、日本人旅行者の間で「“何でもアリ”のアリ」と云われているだけあって、確かに何でもアリます。とてもここが、秘境西チベットの玄関口だとは思えません。
スーパー、デパート、銀行、ブティック(ってそんなたいそうなもんじゃないが)、中華食堂、イスラム食堂、ディスコにスナックにピンク系のお店…規模は小さいながら、解放軍を中心に回っている町なので、とりあえず彼らに必要なものは何でもあるというわけです。

とは云え、町をぐるりと囲む荒々しい砂色の山々、橋にまきつけられたおびただしい数のタルチョ(※チベット仏教の五色の旗)、シャベルを担いで労働に向かう、すすけた顔のチベタンたち…を見ると、やはりここは中国本土ではなくチベット、われわれは世界の山奥に来たのだなあ…という実感が、少しずつ心身を満たしていくのでした。

ALI36.JPG - 51,617BYTES 橋にはためくタルチョ。

(2004年7月12日 アリ)

 
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