旅先風信122「中国」


先風信 vol.122

 


 

**西チベットへの道(前編)**

 

因縁の地(笑)となったパキスタンのスストから、有名かつ旅人の憧れの場所・フンジュラーフ峠をジープで走ること5時間。中国最初の町、タシュクルガンに到着しました。
結局、中国ビザの入境期限ギリギリでの入国。てゆーかさ、中国ビザ、有効期限が申請日から1ヶ月以内って!おい、ナメとんのか!申請→受取ですでに1週間も食わせておいて、そりゃないだろーっ!

KALAKULUM08.JPG - 37,991BYTES フンジュラーフ峠の頂上。

ま、ともかく、無事に中国入りしました。
細かいことを云い募れば、パキスタン側イミグレの出国荷物検査がやたらしつこく、さんざんバックパックから物を出しまくって、もちろん入れ直すはずもなく、さらには人の下着袋の中身を見てニヤニヤしていたこと、そして、中国側イミグレが、残り少ないパスポートの白紙ページにがつんと入国スタンプを押しやがったことに、大いにムカつきましたがね。

さて、タシュクルガンは、標高3200メートルに位置する、いかにも国境らしいうら寂しさの漂う町です。とは云え、スストとは違って、道路も建物もピカピカで、商店の数も段違いに多いのは、さすが中国と云うべきでしょうか。。
何よりも新鮮だったのは、ついに漢字文化圏に入ったということでした。一見して大体意味の分かる標識、看板…おおお、ついに中国だあ、もうお隣は日本なのだね…と、えも云われぬ感慨に耽っておりました。
そしてそして、ここから先しばらくは、世界三大料理・中華料理天国っ!イラン、アフガン、パキスタン…と、あまり食文化のイケてない国で3ヶ月近くを過ごしてきたわたしにとって、中華料理は魅惑の食べ物。タシュクガンに着くと、早速レストランに入ってウイグル地区名物ラグメンを注文し、舌鼓を打ちました。いやー、やっぱうめーーー!あら、お茶も飲み放題なのね。感激…。

しかし、喜んでばかりもいられません。人生楽あれば苦あり、旅も山あり谷ありってことで、食事については文句なしにパキスタン<中国なのですが、宿に関しては悲しいかな、パキ>中国なのでした。
タシュクルガンでは、交通賓館というホテルのドミトリー(1泊10元=150円)に泊ったところ、何と、共同シャワーがないと云うのですよ!ちょ、ちょっと待って、この、中級〜高級ホテルばりのキンキラキンのフロント&ロビーで、建物もご立派で規模も大きいこのホテルで、それはないんじゃなくって?フロントの壁には、中級以上のホテルでよく見かける、北京○時、ロンドン○時、ニューヨーク○時…なんていう世界時計までついているのに、何ゆえシャワーがないのだっ!?

実は、タシュクルガンに着いた時点で、5日間シャワーを浴びていなかったわたし(汚ねーな)。パキよりも文明化されているはずの中国に入れば、トーゼンお湯シャワーをがんがん浴びられるものと確信していたのです。それがまさか、ホットシャワーどころか、シャワーがないとは…完全にしてやられました。しかし、頭のかゆさはもはや限界に近づいているので、フロントに「何としてもシャワーを浴びたいんですがね」と伝えると、この近所にハマム(共同浴場)があるのでそちらでどうぞ、とのこと…くっそー、この寒いのに、わざわざ歩いてハマムかよー…湯冷めしてしまうわっ!

さらに、トイレもまた、パキ>中国、いや、パキ>>>>>>>>中国なのです。
さすがに、ホテルの中にはあるんだけれど、はっきり云って汚い。6年前、中国を旅したことがあるので、トイレの汚さについては覚悟していたのですが、いざ目の当たりにすると、「ううむ…」と唸って、しばし用を足すのをためらってしまいました。しかし、交通賓館のトイレなど、中国では中級以上の部類に入るということが、後に判明するのですが…。

タシュクルガンでの話がさらに続きますが、わたしは、西チベットに向けての高度慣れもあって、ここで2泊するつもりでした。で、着いた翌日は、だらだらと朝10時頃まで眠りこけていたところ、急に部屋にフロントの男が来て曰く「チェックアウトしないのか?」
は?しねーよ。何なんだこいつ、人の安眠を妨げやがって…と、至極フキゲンな口調で「今日も泊るんですが」と答えると、「今日はドミトリーは満室だ」と抜かすではないですか。団体が入るから、という話だけれど、これだけでかいホテルで、それってありえるのか?!しかも、こんな辺境でさあ…。それが本当なら、せめて昨日のチェックイン時に云ってくれっつの!

もう、このままホテルを出て、カシュガルに向かおうかと思いましたが、あいにく、1日1便しかないバスはもう出てしまっていました。仕方ないので、「シングルの部屋はいくら?」と尋ねると、これまた「没有(ない)」…出たな、没有。中国人の得意技だよ。で、あるのは、100元(1500円)のデラックスシングルだとよ!ふざけんなよコラ!
わたしは、フロントに散々文句を吐き散らかしてホテルを出、昨日最初に訪れた「氷山賓館」を再び訪ねました。ところがここも、昨日も今日も「ドミトリーは没有」と云いやがり、40元と100元の部屋しかないと云うのです。どう考えても、ドミトリーが2日連続フルってことはありえない。ツーリストにしろ仕事関係にしろ、タシュクルガンで2泊する人はほとんどいないと思うのです。単に、外人だから高い部屋に泊めたいだけではないのか?
わたしは、本当にお金がないので、財布の中を見せ、「とにかく、こんだけしかないんだ」と切々と訴えると、しぶしぶ、30元のツインルームに案内してくれました…っておい、
30元の部屋もあるやんけ!最初からそう云わんかい!ホンマにがめついわ〜。

予定外の宿代出費で、手持ちの中国元が底をついてしまったので、両替のため、中国銀行を探したところ、ガイドブックには「イミグレ内にある」と書かれているそれが、見当たりません。聞けば、中国銀行どころか、タシュクルガンには、両替商も、両替できる銀行もないというのです。国境の町で両替できないなんて、お話になりません。カシュガルで両替しろ、と云われたけれど、そのカシュガルまでの交通費がねえんだっつの!
…結局、イミグレの側の商店で両替してもらいましたが、そこを教えてくれたパキ人によると、タシュクルガンでは両替できないので、みんなスストで中国元を買って来るのだそうです…って、そんなの一介のツーリストが知ってるワケないでしょーがっ!

やっとのことで全てが落ち着いたあとは、町をぶらぶらと観光しました。観光するほどの何かがある町ではないのですが、中心地を離れると、土壁の家が並ぶ、タジク人の居住区があり、その向うに広がる湿地帯にも、タジク人のパオ(モンゴルによくあるやつ)が点在しています。漢民族の住む中心地とは、全く雰囲気を異にしており、タジク女性のきらきらした民族衣装も目を楽しませてくれます。中央アジアの息吹を肌で感じ、まだ見ぬかの地に、しばし旅心を馳せるのでした。

TASHI26.JPG - 38,330BYTES タジク人女性と息子。

翌朝、カシュガル行きのバスに乗り、大人しくカシュガルに行くのかと思いきや、途中下車して、カラクリ湖で1泊することにしました。観光かつ高度順応も兼ねての訪問です。高度4000メートルの巨大な蒼い湖…というと、何やら神秘的な気がしますが、実際は4000メートルよりは低いらしく、非常にツーリスティックなところでした。

湖の側には、宿泊可能なパオがあり、わたしもそこで泊るつもりでした。
しかし、幹線道路から湖に下りる道すがら、ものすごく人相の悪いハゲおやじが、「チケット、チケット」とエラソーに云い、チケットの束を片手でぽんぽん叩きながら、わたしの前に立ちふさがりました。
はああ?チケット?何のチケットじゃい。まさか、湖を見るだけでチケットがいるのか?すでにここから見えてるってのに?わたしはパオに泊るんだし、何でチケットなんか必要なのさ?
全く納得がいかず、このおやじは見なかったことにして、突っ切ろうとしました。するとおやじは、ものすごい剣幕で怒り出し、狂ったようにチケットチケットチケットと繰り返して、わたしを力尽くで止めようとします。くそっ、何だか分からないけど、このおやじはヒジョーにムカつくな。わたしも意固地になって、断固払わない姿勢を見せ、10分以上押し問答が繰り広げられたあげく、他の、やはり関係者らしき中国人が割って入り、おやじとはまったく違った冷静な口調で「あなたはチケットを買わなければいけない義務がある。みんな払っている」と諭され、もうすっかり疲れてしまったのもあって、しぶしぶ20元を払いました。
ところが、後で湖で会った日本人ツーリストに尋ねると、「え?チケット?そんなもん要るの?」との答えが…ニセチケットやったんかい!殺すぞボケッ!(おっと、失礼)

このチケット騒動から始まって、カラクリ湖のツーリスティックさには、ヘキエキもいいところでした。
その辺につないである馬の写真を撮ろうとしたら、飼い主らしき少年がどこからか現れ「2元」、みやげもの屋のじじいの写真を撮ったら「5元」…しかも冗談ではなく、100パーセント本気モードで要求してきます。
パオも、寝るだけなのに30元もするしさあ…。
少し遠くに立っているキルギス人のパオに遊びに行ったら、パオに入るなり、みやげものの販売攻撃が…ううむ。素朴な遊牧民たちとの交流なんていう、ぬるいものは、ここにはないのだな。
まあいいさ。そんなことより、ここ、あまりにもやることが…ない。そりゃそうか…何てったって、湖しかないのだから、ここには。湖を1周しようかとも思いつつ、あまりに巨大なのでそれは却下。かと云って、湖を1日中見つめているなんて呑気なことも、わたしには出来ない…ううう、どうしようどうしようどうしよう…。
と考えているいちに、何とか時は過ぎ(笑)、その晩はクッキーをかじって夕食を済ませ(併設のレストランがこれまた高いのだよ)、すきま風の入るパオの中で1人、ふとんにくるまって眠りについたのでした。ZZZ・・・。

KALAKULI5.JPG - 36,948BYTES 何となく絵葉書になりそうなカラクリ湖畔の風景。

カラクリ湖は1日で退散し、満員のバスに揺られてカシュガルに到着しました。
久々の文明的な都市(笑)、とりあえずここまで来れば大体何でも揃います。ネット、銀行、ホットシャワー、スーパーマーケット、デパート、電化製品街…。西チベット旅行の準備も、ここで整えていくのです。

中国シルクロードの最果ての地、ということで、カシュガルには大いに旅のロマンを感じていたのですが、人民政府の容赦なき大開発によって、現在の姿は平凡きわまりない一地方都市に成り下がっています。
巨大な人民公園と人民広場、毛沢東のバカでかい立像、殺伐としたビル…シルクロードの雰囲気は、微塵も感じられません。
唯一、このウイグル地区のもともとの住民であるウイグル族の居住区だけが、その名残を留めています。エイティガールモスクを中心に広がる、ごく小さなエリアは、生粋のイスラム国とも、もちろん人民の中国とも違う、おそらく中央アジア的な、独特の空気が漂っています。道には、干草と動物の糞が敷き詰められ、行き交う人々は、男はムスリム帽、女はベールをかぶり、顔つきも、われわれモンゴロイドとは微妙に違う。土壁の家、金物や楽器を売る簡素なつくりの商店、荷物を運ぶロバ車…人民エリアから来ると、まるで外国、或いはタイムスリップしたような感覚にとらわれます。そして、こういう場所を当てもなく歩いていると、静かな興奮に満たされ、ひどく穏やかで幸福な気持ちになるのです。

KASHI021.JPG - 60,078BYTES ウイグル人地区。この混沌具合が不思議にいい感じなのだ。

とか云いつつ、文明にもすこぶる弱いわたしは、漢民族エリアの、物質の豊富さに感激し、毎日のようにスーパーマーケット(超市というのです。そのまんまやね)に入り浸ってしまうのでした(苦笑)。
日本のスーパーと殆ど変わらないお菓子コーナーのバリエーションには、本気で涙しそうになりましたよ。何しろ、麦チョコや果汁グミまで置いてあるんですからね!それも、輸入物は一切なし、全て中国製品。人民の、食べることに対する並々ならぬ情熱が伺えます。

食べることと云えば、カシュガルには、数え切れないほどの食堂が林立しています。よく潰れないなあ…と感心しますが、ま、それだけ需要があるってことなんでしょう。やはり、人民は、食に対する思い入れがハンパじゃないのですねえ。
そのおかげで、われわれ旅行者も、安くて美味しい食事にありつけるわけでして、いやはや、これほど毎食が楽しみでならない状態は久しぶり、いや、初めてかも知れません。
お気に入りだったのは、泊っていたホテル「色満賓館」から、人民西路を歩いて5分くらいのところにある食堂の「涼面」(リャンメン)でした。つゆの味と面が日本のレーメンに近く、それを、唐辛子で辛く味付けしてあるんですが、これが、たったの3元(45円)とは思えないほど美味しくて、ほぼ毎日通っていました。

1人のときは、大体麺類で済ませるのですが、中華の本領が発揮されるのは大人数のとき。
多彩な料理を、何種類も頼んでみんなでつつく。これぞ、中華料理の醍醐味というものです。何しろ、料理のバリエーションが無限にあるので、同じ店に数日通っても、違うものを試せる。これがまた、何を頼んでも美味しいってのがすごいね。高級店だろうが、その辺の食堂だろうが、ハズレってものがない。VIVA!
中華料理!中華バンザイ!

KASHI002.JPG - 25,761BYTES これが上記の涼面。

と、浮かれている一方で、非常に困った事態も起きてしまいました。
西チベット旅行の資金を、ここカシュガルのATMでがっつり下ろしていこうと目論んでいたのですが、ATMがことごとく、わたしのカッシュカードおよびクレジットカードをはじき返して来るのです。案内表示には、「暗証番号が間違っています」という文字が…そんなバカな。わたしの暗証番号は、実は、小&中学校時代に片思いしていた人にまつわる数字でして(てへへ)、10年以上も使い続けている番号なのです。それを、今になって急に間違えるワケがありません。

しかし、最後にATMからお金を引き出したのは、4月の頭のイスタンブール。あれから3ヶ月以上経っているので、その間何か異変があった可能性だってある。…ま、まさか、うちの父ちゃんが、なかなか帰国しないわたしにブチ切れ、カードを使えなくしてしまったとか???でも、いくら家族だからって、そんな勝手を銀行が許していいハズがないし…あああっ、一体何の因果でこんなことにーーーっ?!

その日は不安で寝付けず、翌朝イチで、三井住友銀行と住友VISAのカスタマーセンターに国際電話をかけました。残りわずかの中国元をはたいて…(コレクトコールのやり方が分からなかったんだよ…誰か教えて下さい)。が、どちらも、「こちらでは異常は確認できません」との答え。
とりあえず、カードと口座に問題は無いことが分かってホッとしたものの、当面必要なお金はどうすればいいのだ?肝心なのは、“今そこにある現金”なのです。困った、困った、困った…。

仕方ないので、その晩、カシュガルの立ちんぼ街を徘徊し、お金持ちそうな漢人のオッサンを捕まえ、「1回100元でいかがですか?」と持ちかけ、約5人の相手をして、約100ドルほど稼ぎました。
というのはもちろんウソで(でも、30秒くらい考えた)、実際は、虎の子の、残り少ないトラベラーズチェック(T/C)を、半分ほど現金化したのです。旅行中、「T/Cなんてなくても旅行できるよなー。T/Cは換金のときヘンな手数料取られるし、大都市じゃないと受け付けてないところも多いし、ほんと使えないよ」と、完全にバカにしていたのですが、そのT/Cにここで命を救われるとは…みなさん、T/Cはちゃんと用意して(なるべく多めに)旅に出ましょうね。

カシュガルの観光名所のひとつが、大規模な日曜マーケットです。
わたしは、同じドミトリーの、日本語ペラペーラなオーストラリア人ナオミと、これからカイラス旅をともにする日本人のTさんと連れ立って、まずは郊外の動物市場へ出かけました。動物というか、家畜市場ですね。売り物は主に、牛と羊、それにロバも少々。羊たちが何匹もつながれて、もこもこと連なっている様子は、痛々しくも何だか可愛かったです。みんな一斉にこちらにおしりを向けて、そのおしりの群れがぷるぷるしているんですよー。
市街地で開かれているメインのマーケットは、とにかく巨大で、人、人、人であふれ返っていました。わたしは、マーケットやバーザールが、大・大好き!人々の作り出す熱気と、道ばたに所狭しと並べられる日用品や衣類や食材の、色彩の鮮やかさ!祭りにも似たにぎわいに、気分も昂揚し、何を見ても楽しく感じられるのです。
わたしは、おみやげマーケットで、カシュガルの名産であるナイフを購入しましたが、買い物上手なナオミに後で訊くと、どうやら相場の3〜4倍で買ったらしく、しばらく立ち直れませんでした。2年も旅行していても、こんなもんです。情けない…。

KASHI077.JPG - 45,609BYTES 羊たちの沈黙。

そう云えば、タシュクルガンでは、ホテルの、ハリボテもいいところな外見と内容のギャップに驚かされたものでしたが、この“ハリボテ状態”は、街を歩いていると、いたるところで発見されます。
例えば、アイスクリームを買いますよね。パッケージは、日本のそれと殆ど変わらない美しい印刷で、写真もいかにも美味しそうなのですが、袋をやぶって中身を取り出すと、「うおらっ!写真と全然違うやないけゴルア!」と、思わずヤクザ口調でつっかかりたくなることが、何度あったことでしょうか…。
ひどかったのは、バニラクリームにチョコレートコーティング(写真ではたっぷり)のアイスクリームを買って開けたところ、中から出て来たのは何故かマンゴ色のアイス…。よーく見ると、キャラメル色の薄ーーーい、チョコレートコーティングらしきものが施されていたんですが・・・って、完全にサギだろ!

とは、デパートに行っても、立派な建物のわりに、売られているものが「ダイエー」よりもはるかに貧弱で、証明もやたら薄暗く、「やる気あんのかよてめー!」と云って店員の胸倉を掴みたくなります。電化製品の店も、ヨドハシカメラのようなピカピカしたハイテクな店内は望むべくもなく、倉庫か?と思うようなテキトーな陳列&薄暗さ…。ちなみに、CD-Rを3枚買ったら、2枚が壊れていました…わなわな…。
唯一まともなレベルを保っているのは、スーパーだけですね。ま、もっと大都市に行けば、そんなこともないのかも知れませんが…。

さて、話はがらっと変わって。
カシュガルでは、ラワールピンディ以来の安い&整ったネット環境にありつくことができ、これまでのブランクを取り戻すべく(?)、毎日のように、目を血走らせて(それはウソ)ネットしていました。
しばらく見ないうちに、友人の赤ちゃんは産まれたし、野村夫婦は帰国しているし、旅先で会った別の夫婦は離婚しているし、同じく旅先で会った芸大生の女の子はちょっとした有名人になっているし、取材協力した『bp』とかいう雑誌も発行されたようだし…とまあ、色んなことが変化していました。
そんな中で、一番ショックだったのは、日本のある友人の家族(の1人)が、自殺したというニュースでした。

詳細は省きますが、とにかく、わたしはそれを読んで、しばらく心臓の動悸と冷や汗が止まりませんでした。
何てことだ…何てことが起こってしまったんだ…。
何か云ってあげなければ…何を云っても下手な慰め、空虚な言葉にしかならないことは分かってる。でも、それでも何か云わなければいけない。彼女がどんな気持ちでいるかを、正しく理解することは出来なくても、きっと、痛みと疲れは、相当なものだろうから…。
わたしは、こんな外国にいて、何もしてあげられない。でも、知らなかったフリ、関係ないフリはしたくない。

こういうときに、かけるべき適切な言葉なんて、きっと誰にも分かりません。
でも、適切かどうかというのは、この際、一番重要なことではないように思うのです。
わたしは、母親が亡くなったとき、そのことを痛感しました。
下手な慰め、と人は云うけれど、当時のわたしは、周りの人に対して、何でもいいから何か云ってほしい、と切に思っていました。「つらかったね」とか、「大丈夫?」とか、つまらない言葉かも知れないけれど、それでもよかった。言葉の内容よりも、言葉をかけてくれるその行為自体が、わたしにとっては重要だったのです。少しでも「あんたのこと気にかけてるよ」っていう気持ちが欲しかった。それは、強盗のときと同様、甘えに過ぎないのかも知れないけれど…。

だけどまあ、その辺を分かってくれた友達もいれば、分かってくれなかった友達もいましたね。
わざわざ東北から仕事を休んでまで葬式に駆けつけてくれた友達もいれば(このとき、彼女とは今後何があっても友達でいようと思った)、「何て云っていいか分からん」という1行限りのメールが来たきり何の音沙汰もない友達(残念ながら彼女とは、これ以後連絡を取っていない)もいました。
わたしは、後者にはなりたくなかった。それで、何を云ったらいいか分からないまま、意味不明、支離滅裂なメールを書いて、件の友人に送ってしまったわけですが、彼女はその返信に、こんなことを書いていました。
「頭良い子ほど、何も言ってこないってのもわかったよ。もちろん悪気なんてなくて。きっといろいろ考えすぎて、言葉にならなくなってしまうんだろうな。それも辛いよね。(中略)頭巨悪い友達ほど、なんのてらいも無く「なんかあったら連絡くれよな」って電話くれて、「ああ…やっぱりバカって最高!」って思ったわ。かける言葉が重要なんじゃなくって、「俺はお前のこと、スーパー気にかけてるぜ!」っていうアピール、これこそが大切なんだな、と。」
確かにねえ。わたしのときも、すごいダイレクトに反応してくれた人って、あんまり難しい話なんかしない友達の方が多かった気がする。そう考えると、頭のよさって一体何?そんなに大事なことかい?って思いますね。わたしも、なるべくなら、人の痛みに対して素直に反応できる人間になりたいなあ、と、強盗事件以来ずっと考えていることを、また改めて噛みしめました。

わたしは、久しぶりに父親に電話をしました。
その日は、父親の誕生日だったのです。友人のそのニュースを聞いたせいもあり、「うちの家族にも、何か起こっているかも知れない」と根拠のない不安を感じましたが、電話口に出た父親の声は相変わらずボケた声で(本当にボケてねーだろーなっ!?)、すっかり腰が砕けてしまいました。
「今日、誕生日やろ。だから電話してん」と云うと、普段なら、そんなことよりいつ帰って来るねんおマエはっ!!!という罵声が真っ先に飛んで来るところが、どうやら、しんみりしているようではないですか。
「おっ、おいっ、まさか感動して泣いてるんとちゃうかっ!」と焦って尋ねると、
「い、いや…覚えててくれてありがとう…」と実に素直な返事をするので、ますます焦ってしまったぜ(苦笑)。最も、その後は、弟くんにこないだ小遣いをやったのにアイツはオレの誕生日のことなどすっかり忘れておる!などと、セコく愚痴っておりましたが(苦笑)。

ま、何にせよ、ちゃんと生きててくれればいーんだよ。
向うもわたしを心配しているだろうけれど、わたしだって、置いて来た人間のことは心配なんだ。家族にせよ、友人にせよ。ほとんど態度に表れていないかも知れないが…(反省)。
本当に、いつ何が起こるか分からないんだもの。どうか、元気でいてくれ。平和に、幸せに生きていてくれ。切にそう願うよ。

長くなりました。次回はいよいよ、西チベット突入のお話です。

(2004年7月 カシュガル)

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