旅先風信121「パキスタン」


先風信 vol.121

 


 

**風の谷のナウシカごっこ**

 

スストからのミニバスは、約3時間、カラコルムハイウェイを走って、フンザ(正式にはカリマバード、しかし以下フンザで統一します)の入り口に到着しました。簡素な売店があり、その背後には、輝くばかりの緑の棚田が広がっていました。
「やっと来られた…」わたしはしばし立ちつくし、こみ上げる感慨を噛みしめました。

フンザは、『風の谷のナウシカ』のモデルになった村、と云われているところです。
わたしという人間は、特にナウシカ好きではないどころか、『天空の城ラピュタ』も『もののけ姫』も観ておらず、日本人パッカー同士でよく挙がる話題ベスト10に入る「宮崎アニメの中でどれが一番好きか」という話にいつも置いて行かれます。何だかもう、ジブリアニメを観るのは国民の義務なのではないかとすら思う昨今…。帰国したらとりあえず、もしも万一感動できなかったら人間失格、あるいは非国民の烙印を押されるのではないかという不安におびえながら、『ラピュタ』を観ることにします。

そんなワケで、ナウシカには大して思い入れもないものの、フンザそのものには、並々ならぬ憧れを抱いていました。
そう。昔、まだ日本にいて、「くそー、旅に出たい旅に出たい旅に出たい…」と呪文のように繰り返していた頃、『バックパッカートラベラーvol.2』という、貧乏旅行者向けムックを購入したのですが、その本の巻頭カラーページが、フンジュラーフ峠+北パキスタン(主にフンザ)だったのです。それを読んで、“桃源郷フンザ”の美しいイメージが、強くわたしの中に刻みつけられ、いつかかの地を踏んでやるぞと心に決めていたのでした。

そして、ついに念願叶って、ここはフンザ!まごうかたなきフンザの地!
戒厳令下の軟禁生活にもめげず(いや、めげてたけど)、もうとっとと中国に行ってしまおうかな…というヤケな気持ちにも負けず、しつこくあがいてよかった…。今、目の前に広がるこの風景の美しさときたら!どんな苦労(ってほどでもないが)もチャラにしてお釣りが来るほどです。

フンザには、有名な3軒の日本人宿があります。
日本人宿と云ってもまあ、他の国の旅行者だって泊っているので、“日本人旅行者の間で有名な宿”と云った方がいいのかも知れません。
ともかく、その3軒というのは、それぞれ名を「ハイダーイン」「オールドフンザイン」「コショーサンゲストハウス」と云いまして、何しろ小さな村なので、3軒がすべて、歩いて1分以内のところに隣接しているのです。夕食もそれぞれの宿でまかなっており、宿泊者は基本的に自分の宿で夕食を食べることになっています。

さて、この3軒の中からどこを選ぶか?それが問題だ、とシェークスピアは云いました。(いや、他にも宿は腐るほどあるので、ここから選ばなくてもいーんだけどさ)
わたしが選んだのは、名物じいちゃん・ハイダーじいの経営する「ハイダーイン」でした。これにはわけがありまして、ラワールピンディの宿の情報ノートに、以下のような記述があったからでした。
「僕がハイダーに泊っていたときは、客は僕とフランス人の2人だけ。ハイダーじいは、毎日寂しそうに、『何故客が来ないんだ?』とつぶやいていました。僕は、そんなじいを見るのが、とてもつらかったです。」

ハイダーじい、というのは、名前からも分かるように、「ハイダーイン」の主人です。“じい”と呼ばれるだけあって、立派な御年寄りです。わたしは、これを読んで、まだ見ぬハイダーじいが、寂しそうに客を待っているところを想像し、“僕”同様に、とてもつらい気分になってしまったのです。
「じい、待ってろ、わたしが助けてあげるからっ!」なんて決意を固めて、「ハイダーイン」に乗り込んだわけですが、実際のところは、満室とはいかないものの、常時5〜6人は宿泊客がいて、じいもそれほど寂しそうではありませんでした(笑)。よかったね、じい。

荷物を置いてシャワーを浴び、ひとしきり落ち着いたところで2階のテラスに出ると、目の前には雪を頂くラカポシ山脈とその裾野に広がる緑と村々のパノラマが、例えようもないほど美しく広がっていました。わたしはそれを見て、「ああ、急いで中国に抜けなくてよかった。わざわざここに戻って来てよかった」と、しみじみと、何度も何度も思ふのでした。
いやー、正直なところ、“風の谷”なんて云ったって、けっこう誇大広告なんじゃないかと思っていたんですよ。この近辺の村、ミナヴァルとかパスーだって、かなり“風の谷”っぽかったし、何もカリマバードまで来なくてもそんなに違わないんじゃないか…なんて、ちょっとナメてかかっていました。だって、ここまでの道のりがホント長かったもんで(前回の風信を参照)、フンザに対してちょっと苛立ちのようなものを覚えていたわけですよ。「そこまで苦労して、行かなきゃいけない場所かよ?」なんて…すみません、わたしが間違っておりました。

 ハイダーインのテラスからの眺望。

その後、散歩がてら、村のメインストリートの坂道を上がっていくと、美しい眺望が次から次へと惜しげもなく現れ、わたしは興奮を抑えきれずに、いつにも増してカメラのシャッターを切りまくりました。本当に…何という美しい村なのでしょうか。こんなに美しくて許されるのでしょうか。♪美しさは罪〜(@パタリロ)ではないでしょうか。

日本人旅行者の間では、すっかり老舗(?)の沈没地としても定着しているフンザ。しかし、数あるフンザの谷の村々の中で、何ゆえここカリマバードが、旅行者(特に日本人)の沈没地として名を馳せているのか?
最大の理由はやはり、この素晴らしい景色なのでしょうが、ほかには、食事がパキスタン南部に比べてマイルドで美味しい、とか、外人ツーリスト向けのカフェやレストランがある、とか、ガンジャが安く手に入る、とか(苦笑)、まあいろいろあるとは思いますが、ともかくもここは、沈没してしまいそうな雰囲気と条件が十二分にそろっている気はします。
わたしも、ちょっと小洒落たカフェを見つけ、「ここで、コーヒーでも飲みながら手紙でも書こうかねえ」なんて、早くものんびりする気満々になってしまいました。
スストを出たときは、これまでの遅れを取り戻すという意味もあり、フンザには2、3日の滞在のつもりでいたのに、3日目には、とっくにそんな決意は消し飛んでいましたね(苦笑)。

KALIMABAD013.JPG - 50,921BYTES とにかく、何処を撮っても絵になるカリマバード。

そんなフンザでの、わたしの活動と云えば、
@ビーズ編みAトレッキング
の2本立てでした。
どっぷりと沈没したいのは山々なんだけど、性格的に沈没し切れない人間なので、だらだらした中にも何かしらやってないと、何だか尻のあたりがそわそわしてしまうんですよね…嗚呼、哀しき貧乏性。

@は、ハイダーインの宿泊者であるNさんという日本人男性が、パキスタン北部・カラッシュバレーに住む少数民族カフィール族に教えてもらったというビーズ編みを、さらにわたしが教わっていたのでした。男性でビーズ編みとは、何だか由々しき趣味のようですが(笑)、Nさんは、その中性的で絵画的な風貌から(何と目が緑色!)、妙にしっくり似合っているのです。

さて、 高校の家庭科の成績が学年で最低だった、という過去も何のその、わたしはメキシコ以来、アクセサリー作りを趣味としており、あわよくばそれを路上で売って小銭を稼ごうと考えたことすらありました。
ビーズアクセサリーは世界各国にありますが、カラッシュのそれは、デザインがちょっと変わっていて、色使いもポップでかなり素敵なのです。ふむ…これをマスターできたら、商品にバリエーションがつけられる…って、まだそんなこと云ってるのかよ?我ながら呆れますな…。
わたしもお返しに、アクセサリー作りの乏しい技を教えてあげました。かくしてわれわれは、昼間っからハイダーインのテラスにて、ちくちくとビーズやらヘンプやらを編んでいたわけですが、いい年した男女が内職のごときアクセサリー作りに励んでいる姿は、けっこう不思議な光景だったのではないかと思います(笑)。

夕食の給仕をするハイダーじい。昔はじいが手ずから夕食を作っていたのだが、不評だったのか(?)今はお隣の食堂と提携してまかなっている。

Aは、ごくノーマルなというか、フンザに来れば誰もがやるアクティビティです。
フンザを含むパキスタン北部は、世界有数のトレッキングスポット…というのは、パキスタンに来るまで知りませんでしたけどね。
アフリカ最高峰キリマンジャロも素通りし(見てもいない)、南米最高峰アコンカグア、北米最高峰マッキンリー…といった山々ももちろん登るハズもなく、よく考えてみれば、トレッキングなど、この旅でやったことないんじゃないか?ということに思い至るのですが、どうしたわけか、ここではずいぶんトレッキングに励んでしまいました。ま、この後のカイラス巡礼に向けてのトレーニングも兼ねてね。
パスー氷河(前回参照)、ウルタル氷河、ラカポシBC(ベースキャンプ)、あとは、イーグルネストという近場で軽めのトレッキング。いやー頑張った。

ウルタル氷河へは、Nさんと、フンザのみやげ物屋アリとその仲間たち大勢という団体で出かけ、わいわいにぎやかなトレッキングになりました。
とは云っても、行く前はちょっとびびってたんですよ。 何故って、最初はNさんはいなくて、わたし1人と、パキ男子ばっかのアリ軍団だったんですから。
わたしの頭には、北パキスタンで起きたレイプ殺人事件のことが、しっかりと焼きついていたのです。

事件があったのは、今から3年前のゴールデンウィーク。被害者は、北パキスタンのトレッキングポイントのひとつ、ナンガ・パルバットに1人でトレッキングに来ていた日本人女性でした。
彼女は最初、ガイドを雇っていたのですが、ガイドと喧嘩したか何かで(セクハラか?)、途中から1人で行ったようです。そして、1人でテントを張って過ごしていたところを、パキスタンアーミーたちに見つけられ、レイプされて殺された…と。

この話は、旅の途中、それもずいぶん前から、ちょこちょこと小耳に挟んでいました。そのときは、「中国でだるまにされた日本人女性」のような、旅の都市伝説的なうわさ話かと思っていたのですが、ハイダーインの情報ノートに、この事件のことが詳細に書かれているのを読んで、「事実だったんだ…」と戦慄し、ショックを受けました。事件は、被害者の親御さんたちが、世間に公表しないでほしいと希望したため、ニュースにはならなかったそうです。

それにしても、何というむごい話でしょうか…。ゴールデンウィークに来たということは、彼女はきっと、日本でOLか何かをしていて、勤め人のわずかな休暇を利用して、山に登りに来たのでしょう。多分、ものすごく楽しみにしていたはずです。それが、よりにもよって、こんな悲惨な結末になるなんて…。人生の最後に、彼女はいったい何を思ったのだろう…誰も知る人のいない場所で、見も知らぬ異国の男たちに痛めつけられて、孤独と恐怖で気が狂いそうになりながら、死んでいったのではないだろうか…。想像することすら憚られるほど、あまりにも痛ましすぎる事件です。

わたしの方は幸い、そのような事件には巻き込まれなかったのですが…実は、ウルタルでは死にかけたのでした。。。
レイプされたわけでも、足を滑らせたとか高山病になったワケでもなく、酒飲んだからです。はああ、情けなー。もともとお酒が弱いのに加えて、ウルタルBCは3000メートルの高所。それをすっかり忘れて、フンザの強い地酒を、すすめられるがままに飲んじまったせいです。このバカが!
ちなみに、何故イスラム教国であるパキスタンで酒なのかというと、フンザを始めとする北パキスタンの村では、イスマイリー派と呼ばれる、比較的戒律のゆるい宗派が信仰されているため…だそう。確かに、この辺りでは、民家で普通に酒作ってるしな(笑)。それでもまあ、大っぴらに飲めるというものでもなさそうですが。

「ちょっと休んでくる…」と、宴会の輪から外れて山小屋で横になっていたら、息が出来なくなって、さらに身体にものすごい寒気が襲ってきました。人生で、こんなに深刻な呼吸困難になったのは初めてです。やばい、息が出来ないなんて…これって、死ぬんじゃないのか?この尋常じゃない苦しさは、死の兆候でなければ、いったい何?人生って、そんなあっさり、唐突に終わるもんなの?ああ、何てバカみたいな死に方だろうか…。

と、命の終わりを10〜20秒くらい垣間見たのですが、呼吸は、徐々に元に戻りました。その後も、寒気が止まらず、そこにあった毛布をすべてかぶってもまだぶるぶる震えており、主催者であるアリは「こんなことは今までになかった…何てこった」とかなり動揺していました。
そのうち、宴会組も戻ってきて、口々に「大丈夫か?」と声をかけられ、何でもいいから腹に入れろと温かいスープを飲まされ、Nさんと日本語でとりとめのない話をしていると、だいぶ人心地がついてきました。

 ウルタルBCからの眺め。左端のとがったやつは、レディーフィンガーと呼ばれている。「女の指」と訳すと美しいが、レディーフィンガーってオクラのこと…。

そうして、一命を取り止めた(笑)にもかかわらず、1週間後、性懲りもなく山登りに出かけているわたしがいました。。。

ラカポシBCのトレッキングは、Nさんと2人で、しかも1泊2日で行くことになっていました。
雪山に若い男女が2人で泊まったりしたら、何かが起こってしまうのでは…HPに「ついにゴルゴを使いました」と書かなければいけないのでは…などと、勝手な心配(なのか?)を抱いていたのですが、どこからかわれわれがラカポシに行くことを知った、2人の日本人女性旅行者が「わたしたちもご一緒していいですか?」…いや、もちろんいいですよ。どこに断る理由があるというんです(涙)。
しかも、出発の前日になって、Nさんは高熱で倒れ、病院送りになってしまう始末(後に、A型肝炎であることが判明)。 かくしてこのトレッキングは、女性3人というチャーリーズエンジェル的構成になったのでした。さぞかしロマンチックな山の夜になることでせう(嗚咽)。

まあ、そんなことはどうでもよろしいのです。
自ら所望してやっているとは云え(しかし何故なんだろう…)、トレッキングは苦行以外の何物でもないな…ということを、改めてこのトレッキングで実感した次第です。
しんどい山道を汗かきながらえんえん歩いて、夜は粗末な小屋の中で凍えながら眠る(眠れねーよ)…はっきり云って、マゾ行為ですよ。
ラカポシBCまでの道は、道自体は悪くなかったものの、とにかく長い道のりで、しまいには発狂しそうでした。しかも、BC手前の最後の最後で、超危ないガケを渡らねばならず、ほんと、泣きそうになりましたよ…。しかも、天気悪くなるし!ああ、もう色んな意味で、わたしはアウトドアなんて向いてねー…。

BCの小屋には、放牧された牛たちの管理人らしきじいがいて、わたしたちのために、火を炊いてくれました。いやー、このじいがいなかったら、わたしたちは、自分で火を起こさねばならなかったかも…。じいは、さくらんぼをくれたり、芋をゆでてくれたりもして、本当に助かりました。
わたしは、寡黙に火をくべるじいを見ながら、じいの生活というものを想像して、何とも不思議な気持ちになりました。じいは毎日?ここで牛の番をして、火を起こして、料理をして、眠って…若い頃からずっと、そんな風にして生きてきたのだろうか?何てミニマルな生活、そして人生…。そのミニマルさは、何だか宇宙的ですらある気がします。

ラカポシBCから見える氷河。

さて、話をフンザの村に戻しましょう。
ウルタルピクニックの主催者アリとは、その後もちょくちょくと顔を合わせることになりました。と云うのも、フンザは本当に小さい村なので、数日もいれば、極小のメインストリートは、知り合いだらけになるというありさまなのです。
アリの店もメインストリートにあり、歩いていると、ほぼ確実に「おー、野ぎくさん。お茶でもいかが?」って、それじゃただのナンパですが、とにかく声をかけられます。それで、店でお茶しながら、とりとめのない話をしていると、アリの友達が来たり、ハイダーの宿泊者であるNさん(ビーズのお兄さんとは別)が来て、また話をして…と、そんな感じで実にのんびりと時間が流れていきます。大した娯楽のない村ですが、それゆえにか、友達同士の付き合いを、とても大事にしているように思えました。

そもそも、アリが最初に声をかけてきたときは、「こいつはワルモノだ」と即断したわたしでした。だって、目がぎょろぎょろして、色が黒くて、マフィアみたいな顔してるんだもの…。しかし、実際は、昔話に出てくる心のやさしい鬼のような男でした(笑)。
アリはいちおう店の主人なのですが、いつ会っても、特に忙しく働いている風もなく、いったい何で生活しているのだこやつは…と不思議に思うくらい、呑気な商売人でした。
わたしも、彼の店で買ったものといえば、1ドルのフンザ帽のみで、毎日茶をご馳走になっていた身としては何だか申し訳なかったのですが、別に気にもしていない様子。

あるとき、わたしは急に、パキスタン男性の民族衣装、シャルワールカミースが欲しくなりました。宿ですれ違った日本人の女の子が着ていて、何だか妙にカッコよかったのよね。ああ、もっと早くこのカッコよさに気づいていれば…ペシャワールあたりでは死ぬほど大量に売られてたもんなあ…。
それをアリに話すと、何故こいつは男物の衣装を欲しがるのだろう…という怪訝な目でわたしを見ながらも、「おっしゃ。そしたらオレが作ったる。オレはただのみやげもの屋やないで。こう見えても仕立て屋やで。ほら、そのはた織り機を見てみろ。これは死んだ父ちゃんが使ってたんだが、オレも父ちゃんの血を受け継いでいるんだ」と云って、布代以外の代金は取らずに、たった1日で仕上げてくれました。
「すごいじゃん。ぴったりじゃん!こんなちゃんと作ってくれたんだし、仕立て代は払うよ」と云っても、まあ気にするな、ただしほかの奴には云うなよ、とやはり代金は受け取ろうとしませんでした。

フンザを出るその日、店に挨拶に行ったら、「これからチベットに行くんだろ。高山病に効くぜ」と、フンザ名物のドライアプリコット(めちゃくちゃ美味い!)をどっさり渡してくれました。「ほかにも何かないかな…」と店内を見渡して何故か木製のサラダ用スプーンをくれたときは、さすがに胸がつまり、「もういいよ〜充分くれたじゃんよ〜」と云ったら涙がどっと出てきて、アリも「手紙くれよ!」とか云いながら一緒に泣いてしまう始末でした。うるるん。

KALIMABAD50.JPG 村の民家で唄う、ウルタルメンバーのシャヒード君。彼はローカルの歌手。フンザでは、彼のCDがよくかかっている。

本当に、フンザは色んな意味で稀有な場所だとつくづく思います。
この村のいいところは、ツーリスティックでありながら、ツーリスティックであることの悪い面が、それほど見えないことなのですよね。お土産物屋にしても、観光客慣れしてはいるし、通りかかると必ず声がかかるのだけれど(しかも日本語で)、「何が何でも買わせてやろう」とかいう迷惑な意気込みがなく、そんなんで大丈夫なの?と、こちらが逆に心配してしまうくらい商売っ気を感じさせない。

村を歩けば、村人が声をかけてきて、いちいち家に呼ばれて、ミルクティーやフンザブレッド(酸っぱいパン)をふるまってくれます。うーん、何てウルルンなのでしょう(涙)。わたしのような醜い心の持ち主が、そんな目に遭ってよいのでしょうか?わたしなど、ミルクティーに睡眠薬を入れられるくらいがちょうどいいのではないでしょうか?もっとも、ミルクティーには、砂糖ではなく塩が入っていて、嫌がらせなのか?と思いましたが、どうやらこっちの人たちは、ミルクティーと云えば塩味らしい…マズー。

正直、フンザも有名になりすぎて調子に乗ってんじゃないのかなー(ほかの観光地みたいに)と、来る以前は思っていたのですが・・・何てこった。“美しい自然と素朴な人々”って、まんまウルルン滞在記じゃねーか!
旅人の勝手な願いとは知りつつも、フンザの手つかずの自然のように、フンザの民が、いつまでも優しく穏やかな人々であってくれたらいいなあ、と思わずにはおれません。

ハイダーじい、食堂のおっちゃん、ビーズ編みじゃない方のNさん、これからカイラスをともに目指すTさんに見送られ、アリアバード行きのスズキに乗り込みました。
そして、アリアバードで入院しているビーズの師匠Nさんを見舞ったあと、ミニバスに乗って、ふたたび因縁の地・ススト(笑)へ。
前回と違って、PTDCには自腹では泊まれないので(苦笑)、適当な安宿を見つけ、そこでパキスタン最後の夜を過ごすことになりました。 PTDCにも顔を出してみましたが、世話になったおっちゃんは不在でした。

前は、越えたくても越えられなかった国境。明日になれば、わたしはその国境を越えるんだ。そう思うと、スストの町も、以前とは違ったものに見えました。ま、あいかわらずさびれた町なんですが(笑)、それでも、国境特有のひそかなざわめきが、心地よく感じられるのでした。さあ、明日はついに中国!

(2004年6月26日 ススト)

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