旅先風信119「パキスタン」


先風信 vol.119

 


**停滞**

 

ハイバル峠を越え、パキスタン最初の街、ペシャワールにやって来ました。
結局、アフガンは出国まで何ごとも起こらず、ぶっちゃけちょっとガッカリ…いやいや、冗談です(苦笑)。

アフガン色の濃いペシャワールは、アフガンから来たわたしには、まだアフガンの延長上にいるような感じが否めませんでしたが、素敵すぎるデコバス(ギラギラした装飾のバスだが、あくまで市バス)が街じゅうを走り回っているさまや、チャイ屋に入って出てくるお茶がミルクティーに変化していることに、「ああ、国境を越えたのだなあ」という実感を抱きました。そして何よりも違うのは、“気を抜いて歩いていてもいい”という点だよ(笑)。

そうそう、お茶と云えば、テレサハウス仲間・たけぢいがHPで、アジア横断のお茶(チャイ)にまつわる話を書いていまして、まだアフリカあたりにいる頃、興味深く読んだ覚えがあります。
国境を越えるごとに、劇的に風景が変わるアジアですが、風景とともに、お茶も国ごとに変化していくのです。トルコとイランでは、同じ紅茶でもグラスの型が違うし、砂糖の入れ方も違う。トルコは普通に角砂糖を入れてかき混ぜるだけど、イランでは、砂糖を齧りながらお茶を飲む、という妙なスタイルなのです。イランのお隣のアフガンでは、紅茶と同じくらい緑茶がポピュラーで、しかも砂糖入れて飲むんだよ。
(余談ですが、緑茶に砂糖という文化(?)は、昔、日本のわが家でも根付いておりまして、餅を食する際に、砂糖入りのお茶に漬けて食べていたんですよ。子供の頃はそれを、不思議とも何とも思っていませんでしたが、大人になって友達などに話すと、ことごとく気持ち悪がられたので、「ウチはおかしいのか…」と愕然としたものでした。今にして思えば、ウチのルーツはアフガンだったのか…?)
そして、パキスタンに来ると、お茶と云えば甘〜いミルクティー(チャイ)。なのです。うーん、お茶文化はおもしろいですねえ…ずずずーっ(←お茶を飲む音)。

PESHAWAR7.JPG - 65,912BYTES 祭りかよ!とツッコミたくなるようなデコバス。

さて、ペシャワールの密かな名物観光となっているのが、通称“ババジイツアー”です。
何かと申しますと、ババジイ、本名ババラマンという60歳くらいの不良じいさんが、個人的に催行しているツアーのことで、これがツーリストに好評を博しているらしいのです(一説によれば、ババジイはタリバンだそうですが…ホントかな?)。
ツアーと云っても、モスクだの遺跡だのといった観光名所をめぐるツアーでは全然なくて、トライバルエリア、ハシシBAR、銃工場、デコトラ塗装場…などなど、いわゆる“裏ペシャワール”を見せてくれるツアーなのですね。いかがわしいものが大好きなわたし、そしてアフガンから一緒のMさんは、「這ってでもこのツアーに参加するで!」と、ペシャワール到着後すぐにババジイを探しました。

聞き込みの結果(ってほどでもないが)、ババジイは通常、新市街(カントメント)はサダルストリート上のモスクの裏にあるジューススタンドに、朝9時ごろ現れることが判明。で、われわれも、翌朝から張り込み開始です。この辺では、ババジイはちょっとした有名人らしく、こうしてジイを訪ねて来る観光客の存在もよく知られている様子。ジューススタンドのお兄ちゃんに「ババジイはー?」と訊くと、そろそろ来ると思うけどなー、との答え。希望を持ちつつ、1時間近く待ってみましたが、ジイは現れません。むむ、困った…。近くのチャイ屋でさらに時間をつぶすもやはり現れず、結局この日は断念。

ジイが現れたのは、翌朝10時過ぎ、今日もいないかもねえ…と半分あきらめ気分で、チャイ屋で朝食を食べていたときでした。ババジイ自ら、「ソーリーソーリー」とか云いながらわれわれを出迎えに現れたのです。ジューススタンドの兄ちゃんほか、周辺の人々に「ジイを探しているのよー」とさんざんアピールしておいたかいがありました。
聞けば、ジイの奥さんが先日亡くなったばかりとのことで、しばらくこの辺りにも来ていなかったらしい。そんな時期にツアーなんて、何だか気の毒にも思いましたが、ジイは仕事と割り切っているようすだったので、まあ…いいのかな。

ツアーの始めに連れて行かれたのは、アフガンバザールでした。
ついこないだまでアフガンにいたわれわれとしては、どっちでもいっか…という気がしないでもないですが、雑多で埃っぽい雰囲気、いかにもボロい店、ブルカ姿の女性…などアフガンをダイレクトに思い出させるものがあふれていて、早くも懐かしい思いにとらわれました。
アフガンでも普通服、と云うかヨレヨレの服(タイ製)を着ていたMさんは、このバザールで、ババジイに「その服はイカン」と叱責(?)され、今さらシャルワールカミースを購入して(させられて?)いました。シャルワールカミースというのは、アフガンとパキスタンでしか着られていない、男子の民族衣装、つーか、制服?(笑)この2カ国では、猫も杓子も、大人も子供も、とにかくシャルワールカミース(ちなみに、シャルワールはズボン、カミースはシャツのこと)着用なのです。法律で決められてるのか?

ちなみにわたしは、ペシャワールのバザールにて、やはりパキスタンの女性の民族衣装であるパンジャビードレスをオーダーメイドしました。ま、これは元々インドの服なんですけどね。イラン、アフガンでずっと着ていた死神の衣装みたいなのは、ここでは誰も着ていなくて、かえって目立ってしまうのですよ。パンジャビーは明るめの色柄が多く、黒づくめのイラン、幽霊装束(ブルカ)だらけのアフガンから来ると、その華やかさとバリエーションに目を奪われます。わたしも、明るい水色の布で作りました。布と仕立てで700円くらいでした。

その後は、トライバルエリア内にある、ハシシBARへ連れて行かれました。
相変わらずハシシは苦手なわたしなのですが、好奇心だけはやたらあるため、興味津々でした。従業員(?)の若い兄ちゃんが、花柄のふろしきをおもむろに取り出したので、「ん?何なに?」と覗き込むと、中から出てきたのは、大量のハシシのカタマリ(笑)。思わず「おわーっ」とのけぞってしまいました。ついひと切れ欲しくなっちゃったよ(笑)。別に吸うわけじゃないけど、何となくほら、記念品にさ…なんて(笑)。いや、ホントは、こっそり隠れて吸ってもいいかなーとか、5ミリくらいは思いました。
それにしても、ハシシのこの強烈なにおい!さすがにこれだけあったら、そりゃにおうか。。。何と云うんでしょう、ものすごく独特のにおいですよね、これって。くらくらするっていうか。決していい香りだとは思えなかったです。こんなもん吸って、ホントに美味いのかみんな???

兄ちゃんが、わたしのはめていた指輪(実は安物)を欲しがったので、「じゃ、ハシシと交換で」と半分冗談で云うと、けっこうあっさりとハシシをくれたんですが、ババジイが「それはワシが預かっておく」と云って自らの腕時計の裏にペタリと貼り付け、ツアーが終わっても返してくれませんでした。ま、われわれがすっかり忘れていたってのもあるけど…マリファナ好きのMさんは、あとで気がついてしきりに残念がっておりました。

PESHAWAR52.JPG - 53,357BYTES 大量のハシシ(ウ○コではありません)。

お次は、トライバルエリア内の、何故か電化製品のお店へ。
何で電気屋?もっとシゲキ的なところに連れてってくれよなーと、最初はやや不満でしたが、実はその店では、日本製のデジカメやら周辺機器やらが、日本より安く売られているのでした(わたしの持っているデジカメも、30〜40ドルくらい安かったわ。単に型落ちだからか?)。
わたしはこのあと、西チベット旅行を控えており、西チベットでは電源の確保が難しいよーというたるや夫妻の話を思い出して、メモリースティックを買うことにしました。
何しろわたしの持っているメモリースティックは、32MB×2、16MB×1、という甚だ頼りない容量でして、ただでさえめちゃくちゃ写真を撮るので、毎日のようにPCにダウンロードせねばならない状況なのです。電源のない西チベットでは、それは不可能でしょうから、ここで容量のでかいメモリースティックを1枚入手しておけば、この先の旅において、かなり重要なアイテムとなるハズ。

で、128MBのを1枚、50ドルで購入したんですけど、これって日本より、ちょっと安いですよね?ま、そんなには違わないんでしょうが、パキスタンでまさか、ホンモノのメモリースティックが手に入るとは思っていなかったので、まあいい買い物だったと思います。

PESHAWAR50.JPG 本文とカンケーないけど、トライバルエリアのお店で見つけた、ニベアならぬニワ。ニワさんっていうお友達のことを思い出して、笑ってしまった。

次なるスポットは、銃工場。さすが、ただの工場見学とはひと味もふた味も違うね(笑)。
ここでは、1発100ルピー(200円くらい)でホンモノの銃も撃たせてくれます。実に楽しくてタメになる素敵なツアーですね(笑)。わたしは別に、ガンマニアでも何でもないけれど、せっかくなので1発、Mさんのおごりで撃たせてもらいました。いやー、あまりの衝撃波に、自分の手が吹っ飛ぶかと思ったわよ。映画では、いともたやすくパンパン撃ちまくっているけれども、あんな風に撃つには、相当の修行が必要ですね。
銃の製造現場自体は、思っていたよりもずっと素朴な印象でした。おっさんたちが、もくもくと手作業で銃を作っているのです。

PESHAWAR73.JPG - 58,922BYTES 銃を撃つMさんと、支える(笑)ババジイ。

そして、フィニッシュを飾るのは、わたしが一番楽しみにしていた、デコトラ(デコバス)塗装場。
デコトラは、アフガンからちらほらと見かけてはいたのですが、本場はやはりパキスタン。デコ乗り物は、パキの文化とも云うべき乗り物なのです(多分)。
一口にデコトラ・デコバスと云ってしまいますが、ちょっとやそっとのデコっぷりではありません。これを作った人は、頭に花が咲いているに違いない、過剰すぎる装飾。それも、とにかく安っぽくて、不必要なまでにギラギラしているのです(笑)。バスじゃなくて神輿が走ってんのかと思うわよ。祇園祭の山車が、毎日町じゅうを走っているところを想像して下さいな。ほんと、そんな感じなんですよ。ま、にぎやかでけっこうなことですが(笑)。

バスもすごいけれど、トラックがまた変なんです。異様に車高が高くて、運転席上部はまるでリーゼントのように突出したアーチ状になっており(何のためにっ?!)、運転席側面には、緻密な彫り物を施した重厚な木製のカバーが張り付けられ、壁という壁には浮かれ気分満点のペイント、さらには鈴がびっしりぶら下げられ、走るとシャラシャラ鳴っているという…うーん、何というシュールな乗り物でせうか。でも、細部をよくよく見ていくと、涙が出るほどラブリーなの。あたしゃ、そんなアンタに惚れましたよ、ええ。
で、正面を見ると「HINO」のマークが入っていて、「おおお、HINOのトラックがこんな変わり果てた姿に…」と、嘆くかわりに、大笑いしてしまうのです。

SUST09.JPG - 94,131BYTES トラック下部に施された装飾。何ゆえお魚ー!?でも、でも可愛い…。これを、濃い顔のヒゲ面のおっさんが運転しているかと思うと、さらに愛しい(笑)

しかし、塗装場に来て、実際に絵を描いたり、彫り物をしたりしている現場を見ていると、職人魂みたいなものをびしばしと感じ、「おバカな乗り物よねえ」と笑っていた自分を、少し反省。笑っていたと云っても、とっても愛を持って笑っていたんですけどねっ。
考えてみたら、これらの装飾って、かなり手もかかっているし、金もかかっていると思うんです。だって、トラックのドアカバーの彫り物なんて、“一流の工芸品”とでも云いたいくらいの手の込みようなのです。何もそこまでせんでも…って感じですが(笑)、パキの運転手たち、そして装飾職人たちの、車に対する並々ならぬ意欲がうかがえるというもの。

そーいや、日本でも、ひと昔(ふた昔か?)前までは、デコトラがガンガン走っていたのが、最近は絶滅の傾向にあるとか…。取引先が「そういう趣味の悪い、おかしな車で出入りしないでくれ」とかしょーもないことを云うため、トラックの運ちゃんも、ノーマルな車にせざるをえなくなったそうです。何て心の狭い日本社会!いーじゃん別に、どんなトラックでもさ!トラックは運搬が仕事なんだから、それさえちゃんとしていれば、ギラギラしてようが何だろうが、構わないでしょーがっ!
…はあはあ、つい興奮してしまいました。いやー、だって、デコトラって楽しいじゃん、単純にその存在がさ。そういうのを、PTA的に闇雲に「いけませんいけません」って云って排除する、それもまたひとつの文化だとして見なせない心の狭さが、わたしはどうしても好きじゃないんだよなー。
もし日本で、デコトラ復活運動ってものがあったら、署名しますぜ(笑)。

PESHAWAR76.JPG 立派な職人芸がデコ乗り物を支えているのでした。

ペシャワールの後は、ラワールピンディへ向かいました。
特に見るところもない街なのですが、首都イスラマバードと姉妹都市になっており、わたしにはイスラマバードで中国ビザを取るという仕事があったのです。
ところが、このビザが、申請後から4営業日後の発給で、わたしが申請したのは木曜日、つまり土日を挟んでしまって、結局は1週間も待たされることになってしまいました。
あああ、このペシャワールに負けないくらいにクソ暑い、そして特にやることもない街で、1週間……長えぇ。こういうときこそ、HPをがしがし書いてアップすべきなのですが、こういうときに限って、やる気が湧かなかったりするんだよなー…そんな自分が近頃、本当にダメ人間に思えてなりません。いや、間違いなくダメ人間ですね。

とは云え、ダメ人間であることに開き直れないわたし、何か動いていないと罪悪感を覚える性質のわたしは、暑いのと体調がよくないのを押して、無理矢理出かけようとします。
用もないのにバザールを物色したり、早起きしてロータスフォートというここから3時間もかかる世界遺産を見に行ったり。しかし、このような努力(?)も、ここの異様な暑さの前にしばしば敗北し、「今日は宿から出ない!」などとフテ寝を決め込む日もありました。と云うか、そっちの方が多かったかも(苦笑)。
ま、ピンディは、Mさんも一緒で、しかも彼はわたしに輪をかけてだらだらするのが好きな人間なので、「そうだ。わたしだけがだらけているワケではないのだ」と、自分を正当化し、孤独を感じずにすみましたが(笑)。

あーでも、やっぱこの暑さはいかんですたい。早く涼しいフンザに行きてえっつーの!それもこれも、中国ビザが1週間もかかりやがるせいだ。世界には、1週間何もせずに待っていてもあっという間に時間がすぎる場所と、そうでない場所があります。ピンディは、間違いなく後者なのです。フンザだったら、どうせ軽く沈没する予定だったし、1週間くらいヨユーで待てるのにさ…。

ピンディでの数少ない楽しみは、宿の近所にあるウイグル食堂で、ラグメンを食べることでした。どうせこれからウイグルには行くのだから、本場でイヤと云うほど食べればいいのですが、パキスタン料理ってのがどうも、あまり食欲をそそらないもので…。まだアフガンの方が食べようという気持ちになれました。ま、暑すぎるせいもありますが、とにかくもう、何も食べたくない、液体しか受け付けない…てな日々が、パキスタンに入ってから、ずっと続いているのです。
しかし、このラグメンだけは、するすると腹に入ったのです。麺食が久々だった嬉しさもあったでしょうが、ここの麺はまるで讃岐うどんのようなコシがあって、たいそう美味しく感じられたのでした。でも、食べると毎回、腹が怪しい音を立てていたけど…それでもパキ食よりラグメンなのです(笑)。ハッキリ云って、ピンディでわたしの身体を支えていたのはこのラグメン、そしてフレッシュフルーツジュースのみ。よく生きてたな…。

PINDI03.JPG - 32,332BYTES わたしの生命を支えていたラグメン。

ピンディでは、ここまで旅をともにしたMさんとも、ついにお別れです。
彼はこれから、ラホールに行き、そこからタイに飛んで、約2週間後には帰国という予定なのです。
思い起こせば、マシュハドを出る日、払ったはずの宿代をしつこく二重請求され、朝っぱらレセプションでぶち切れたことがありまして、思わずレセプション台にボコッとケリまで入れてしまい、それを隣で見ていたMさんとM嬢は、「これは…どえらい人をパーティ(仲間)に入れてしまったかも…」と思っていたそうです。ははは…。でも、その後はほとんどキレなかったでしょ(苦笑)。
Mさんは、3人の中でも一番温厚な性格で(のわりに戦地好きなのよねえ…よく分からないわ)、パキスタンでわたしと2人になってからも、先にプチっといってしまうのは、決まってわたしでした。で、パキの濃い〜いヒゲ面のおっさんどもに果敢にも(てか、無謀にも)食ってかかるわたしをなだめるのが、Mさんの役目(笑)。

でもねー、もしもMさんが、もっと気の短い人だったら、わたしはキレなかったかも知れない。というのも、こないだロータスフォートに一緒に行った日本人の男の子は、全国各地でトラブルを起こしているタイプで、このときもバッチリ、バス会社と大ケンカしていました。ま、その件については、確かにバス会社が悪く、わたしも大いにムカついてはいました。しかし、世の中には役割分担というものがあり、こういう人がいると、わたしはキレないというか、キレる必要性を感じなくなるのですね。先にキレてくれる人がいると、キレずに済む、ってことかな。逆に、Mさんといると、彼があまりに温厚でのんびりしているので、例えば料金交渉なんかでナメられそうになった場合、「あたしがキレなきゃ、誰がキレるっての?!」なんて、妙な義務感(って云うのかこれ?)が働いてしまって、ついつい…(苦笑)。

ま、そんなワケで、Mさんにしてみれば終始、「困ったオナゴやのう…」という感じだったでしょうが(笑)、ここまで旅をともにしていただいて、こちらは至極感謝しております。Mさんは旅も終盤ということで、ちょこちょこおごってもらったし(笑。ついでに乞食にもばんばん寄付していたわ)。
ラホールに行く彼を見送ったときは、いつもの別れのときのように、少し感傷的にはなりましたが、彼ののほほんとしたキャラのせいか、何だかあまり、シリアスなお別れ気分にはならなかったですね。そんな彼は、今ごろラホールのスーフィーパーティーでぶっ飛んでいる頃でしょうかね〜。

さて、また1人になった。次はいよいよ、念願のフンザ。新しい旅は、わたしに何を与えてくれるのでしょうか。

(2004年6月5日 ギルギット)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOP旅先風信INDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system