旅先風信116「イラン」


先風信 vol.116


**ウルルンも楽じゃない**

 

シーラーズからは、イランのど真ん中に位置する、ヤズドへ向かいました。ゾロアスター教の聖地がある街です。
この街とて、イスラムの街には変わりないのですが、それでも、ゾロアスター教という異教の入っている土地柄のためか、ほかのイランの街とは、少し雰囲気が異なる気がします。土壁の家が並ぶ静かな旧市街は、まるで砂の都とでもいった風情。歩いていると、時間が止まったような、不思議な感覚が襲ってきます。
今回のお話は、このヤズドが舞台です。

シーラーズ→ヤズド間は、夜行バスで移動しました。このところ、夜行バス続きで、体力的に少々まいっているのですが、ケチが染み付いているのと、何となく移動に焦っているのとで、ついつい夜行の移動を選択してしまうのです。この日は、ロクに夕食も食べずに乗り込み、ぼんやり考えごとをしながら、眠気がやって来るのを待っていました。
出発してしばらくの後、前の座席に座っていたお母さんと小学生くらいの息子が、サンドイッチと飲み物をくれました。突然の親切にびっくりしつつ、お腹がすいていたので、ありがたくご馳走になりました。すると今度は、後ろの席から、にゅーっと何かが伸びてきて、振り返るとそこには“フォークに刺さった生キューリ”が(笑)。これまた、後ろに座っていたおばちゃんからの差し入れだったのです。
食べ物をくれる人=いい人ってワケじゃないけれども(笑)、彼らの心遣いが嬉しくて、その晩はほっこり幸せな気分で眠りについたのでした。

YAZD41.JPG - 37,432BYTES 中央広場にある、アミール・チャグモグのタキイエ(塔)から見た、ヤズドの旧市街。真ん中に見えるタンスのような建物は、風の塔と呼ばれる、この地方独自の冷房装置。

ヤズドに到着したのは、なんと夜中の4時前でした。もちろん、外は真っ暗。客をナメとんのかい!
困ったなあ、とりあえずバスターミナルで仮眠するか…とため息をついていたら、例のサンドイッチをくれたお母さんが、あまり上手とは云えない英語で、「わたしの家にいらっしゃいな」と声をかけてきました。そう云えば、バスの中でもそんなことを云っていた気がするが…何だかよく分からなくて首かしげてたんだよなァ…わたしは半分眠った頭でそんなことを思い出しました。でも、たまたまバスで乗り合わせて、食べ物をもらったという縁だけで、いきなりその人んちにお邪魔するってのはいかがなものか…と、うっすら残った理性がそう分析します。

しかし、疲労と眠気が、理性をはるかに上回りました。わたしは、促されるがままにタクシーに乗り込み、彼らのマンションへ連れられて行きました。
到着した後は、電気が切れたようにぱったりと眠りこけ、気がつくと朝8時前になっていました。起きがけのわたしに、お母さんが、「シャワーどうぞ」と薦めてくれます。わたしはお言葉に甘えてシャワー(もちろんお湯)を浴び、さっぱりしたところで、荷物をまとめて、どこか安いホテルを探しに出かけるつもりでした。
そのことをお母さんに云うと、「そんなこと云わずに、家に泊ってらっしゃいよ」という答えが返ってきました。お気持ちは嬉しいんですけど、でも…と、しばしモジモジしていたんですが、特に断る理由も思いつかず、お母さんの押しにも負け、「じゃあ今日はお世話になります」と云って泊めていただくことに。

お母さんは、ヤズドの大学でバイオテクノロジーを教えているとのことでした。女性大学教授です。シーラーズには、学会か何かで行ったそうで、そのときのパネルなども見せてもらいました。
女性蔑視の強いイランで、大学教授(しかも理系)とは、かなりのエリートではないのでしょうか。そーいや、見るからに頭よさそうだよな…ついでに息子も賢そう。ちなみに、夫はアーミーで、現在単身赴任中らしいです。
職業差別するわけではないけれど、身元はしっかりしているようだ。このマンションもすげーピカピカだし、お金は持ってそうだよな、だったらご厚意に甘えても大丈夫かな…と姑息に判断したのです。

お母さんは大学へお仕事に、息子は小学校に、そしてわたしは観光に(桃太郎の冒頭風)、それぞれ出かけていきました。
わたしは、お母さん専用の運転手付き乗用車(!)で、ヤズドの中心地、アミール・チャグモグ広場まで送ってもらい、さらには、夜8時に同じ場所まで迎えの車が来てくれるという賓客扱いぶり…。おいおい、いいのかよこんな待遇…と、かえって不安になるくらいです。

考えてみれば、エジプト以来の“民泊”(※現地の人のお家にタダで泊めてもらうこと)です。
その後、現地在住の日本人に泊めてもらったことはあったけれど、現地人の家に泊るのは、あれ以来。しかも、あのときは、わたし1人ではなかったのです。
大学教授が、モロッコのニセガイドのようなことをするわけはない。モロッコだったら、絶対ついていかないとこだけど(笑)、これまでのところ、イランでは現地人からいやな目に遭わされたことはほとんどなく、むしろ至極親切にしていただいているという事実もあるし…これでもし何かあっても、笑うしかないでしょう。

YAZD51.JPG - 35,113BYTES かなりいいマンションなのだ。

そう。わたしが、民泊を決意(ってほどでもないが)したのには、”ここまでの旅路、イラン人は概して親切であった”という経験上の理由があったからなのです。
例えば(…と話し始めるといろいろあるのですが)、エスファハンを出る日、バスターミナルに行くのに、市バスに乗り合わせていた女子大生が、道に迷いかけていたわたしに付き添ってくれ、なおかつ見送りまでしてくれたことがありました。「家が近いからいいのよ」と云ってはいたけれど、市バス代も払ってもらって…。恐縮してしまいました。

その後のバスの中では、隣の席のおばさんがお菓子を分けてくれました。わたしはそのとき急に、旅の間に受けてきたさまざまな、そして数え切れないほどの親切を思い起こし、声を殺して泣きました。
「わたしの旅は、何と多くの人の親切によって、支えられてきたことだろうか…」
ロクに言葉もできない赤子のようなわたしを、大なり小なり助けてきてくれた、名も知らない各国の現地人たち。彼らは決して、わたしにとって特別な人たちではないけれど、彼らが今も、幸せに生きていてくれているといいなあ、とは思う。そしてそれが、わたしにとっての“世界平和”なのだ、と。

…と、歯の浮くようなキレイごとを書きつつも、そしてそれは本心ではありつつも、わたしの中には常に、現地人に対する警戒心があります。そして、それを完全に拭い去ることは、多分できません。
モロッコのフレンド詐欺を、そして、中東をともに旅していた“彼女”が遭った詐欺を、そして、「海外危険情報」や旅の情報ノートに書かれている犯罪の数々を、どうしても思い出してしまうのです。

手厚い親切を受けるたび、「頼む、これはただの親切であってくれ」と、切に、祈るような気持ちになります。
お金が惜しいわけじゃない。もちろん、惜しいには違いないけれど、何よりも、信じた気持ちを踏みにじられることが怖いのです。
「わたしは、貴方が親切な人で、この国には貴方のような優しい心を持った人たちがたくさん生きているのだ、という印象を持って去りたいのです…」。
ウルルンなんて、期待しちゃいません。それは、敢えて求めるものでもないし、なければないで、別にいいのです。だからせめて、ウルルンの皮をかぶった詐欺や強盗にだけは、遭わせないでほしい…。
まあ、モロッコでそういう目に遭ったからと云って、モロッコが嫌いになったわけではありませんし(当時は大嫌いだったけどね)、ハプニングは、致命的なものでなければ、時間が経って笑い飛ばすことができます。だから、そんなにビクビクする必要なんて、ないのかも知れないけれど…。

この日は、ヤズドの見どころである、旧市街、沈黙の塔(※ゾロアスター教徒の元・鳥葬場)などを観光して回りました。沈黙の塔でも、ピクニックに来ていた男子学生6人組(男ばっかでピクニック、というのがいかにもイランだわねえ)に昼食をごちそうになり、「やっぱイラン人って、親切な人たちかも」という認識を新たにしました(でもこの後、その昼食でお腹下したけどな(笑))。

夕方、アミ―ル・チャグモグ広場で、迎えの車を待ちがてら、ぼんやり座っていると、すぐそばの安宿「アミール・チャグモグホテル」の従業員らしき兄ちゃんが、カタコトの日本語で話しかけてきました。
「今何処のホテルに泊まっているんだい?」と尋ねられたので、夜行バスからの経緯をそのまま話すと、兄ちゃんはみるみる怪訝な表情になり、こう云いました。
「君は、バスの中で放しただけの人間の家に付いて行くんだな。現地の言葉が話せる僕でも、よく知りもしない他人の家になんか泊らないぜ」そして彼は、睡眠薬強盗が、ここイランでも流行っていることを、口酸っぱく説いてくれました。

・・・時計を見ると、約束の8時を回っていました。車はまだ来ていませんでした。
バカなことに、お母さんが書いてくれたマンションの住所を、わたしは置いて来てしまっており、そのことに、行きの車の中で気づいたので、運転手のモバイルナンバーを、念のためもらっておいたのです。
なかなか来ない車に、だんだん不安が増していきます。兄ちゃんは、そんなわたしの隣で、「それみたことかい」とでも云いたげな表情をしつつも、いちおう心配してくれて、運転手のモバイルに電話をかけてくれました。コール音が3回鳴った時点で、「きっとこのナンバーもウソっぱちだぜ」とイヤミを云うのも忘れませんでしたが(苦笑)。
しかし、モバイルはつながり、車は30分後にやって来ました。事故だか渋滞だかで、遅れてしまったとのことでした。わたしは安堵と、ちょっと勝ち誇った気持ちとが入り混じりながら、兄ちゃんに礼を云って、車に乗り込みました。兄ちゃんは、何だか釈然としないような表情で、わたしを見送っていました。

(余談:あとで分かったことだが、このお兄さんは、以前テヘランのパッカー宿「マシュハドホテル」で働いていた、“オカムラ”(ナインティナインの岡村に似ているという理由でこう呼ばれていた)だった。彼はマシュハドホテルで痴漢をして、牢屋にぶち込まれたんだよね(笑)。で、今は釈放されて、ヤズドで働いている?というわけ。本人は何故か、アルメニア人旅行者をよそおっていたけど、何でだろ?)

YAZD57.JPG - 30,372BYTES ヤズドの中央広場、アミール・チャグモグ。

それでも、わたしの警戒心は、完全には払拭されませんでした。
マンションに帰って、夕食を出されたときも、頭の中には、兄ちゃんの睡眠薬強盗話が駆け巡っており、ひと口ひと口に、過剰にびびってしまいます。
「もしこのサラダをひと口食べて、このお茶をひと口飲んで、気を失ったら…」
そんなワケない。彼女は大学教授で、かわいい7歳の子供もいる。わたしを騙すような人には見えない。…でも、でも、万が一ってことだって、ないとは云えないんだ…。
無事に完食したときは、へなへなと身体の力が抜けていくようでした。

その後は、7歳の息子アミール君とわたしのPCで「マリオカート」をして遊んだり、彼に腕輪を作ってあげたりして、夜は更けていきました。お母さんは、あまり英語が達者ではないので、それほどいろいろ話はできなかったけれど、何かと気を遣い、世話を焼いてくれるのでした。スカーフやらパジャマまでいただいてしまったわ。「貴方の部屋だと思って、リラックスしてね」と、アミール君の部屋をまるまる使わせてもらい、云われたとおりリラックスして、その晩はぐっすり眠りました。

朝がやって来ました。
もう、朝食に何か入っているかも…などという考えは頭にありませんでした。
わたしはこの日、夜行バスでマシュハドに行くことになっており、お母さんたちとはお別れです。寂しい反面、どこかホッとしている自分を否定することはできませんでした。
お母さんは、モロッコのときのように、最後の最後で「じゃ、100ドル」なんてことはもちろん云わず、例の運転手に、わたしをバスターミナルまで送り届けるよう頼み、さすがに足代は払うつもりで財布を出すわたしの手を、当然の如くに制しました。

わたしたちは、お母さんのつとめる大学まで、車で向かいました。ここでついにサヨナラです。別れ際、わたしは絶対泣くだろう、という予感があったのですが、やっぱり泣いてしまって(はは…)、お母さんの肩につかまったまま、しばらく顔を上げられませんでした。
「どうして泣いてるの?今度はわたしたちが、あなたの国に遊びに行くからね。そのときにまた会いましょうね。」と、お母さんは、小さな子供に云うようにわたしにそう云って、仕事場へ向かって行きました。わたしはその後姿に、泣きながら、ずっとずっと手を振り続けていました。
最後まで親切にしてくれたお母さん、そして、彼女を最後まで信じきることができなかった自分…。わたしは、自分の信じる気持ちを踏みにじられることが怖い、と書いたけれど、逆にわたしは、彼女の純粋な親切心を、心の中でのことにせよ、踏みにじっていたんじゃないのか…。

YAZD54.JPG - 33,259BYTES アーテシュキャデと呼ばれるゾロアスター寺院。ガラスケースの奥に、1500年前から絶えず燃え続けているという聖火が祀られている。ごくフツーの火でした(笑)。

わたしは、これだけ旅を続けていても、未だに怪しい人とそうでない人との区別がつきません。ここ1年弱くらいは、現地人にだまされた系の事件には遭遇していないけれども、それは、わたしの人を見る目が肥えたとかいうわけでは全然なくて、たまたま運がよかっただけでしょう。

日本人が大好きな『ウルルン滞在記』は、悪い番組ではないと思うけれど、罪作りな番組ではあると思います。何の番組だってそうかも知れませんが、テレビでは、きれいな部分しか映りません。『ウルルン』の視聴者は、「ああ、何てあたたかい人たちなんだろう」とコロっと感動して、海外を旅すればそういうことが多々あるんではないかと思い、“地元の(あたたかい)人々とのふれあい”なんてものに、憧れちゃったりするのかも知れない。
でも、あれはあくまでも、作られたおとぎ話であり、もちろんすべてがフィクションではないにしろ、話半分に見ておいた方がいい、というのが、現場の旅人(?)としての老婆心です。ま、ある程度大人の視聴者なら、承知のこととは思いますが…。

エジプトのときにも書いたけれど、わたしはどうしても、民泊が苦手です。民泊はリスクが大きすぎます。何もなかった場合は、とても貴重な体験となってくれるわけですが、云ってみればギャンブルのようなもの。当たればデカイ(?)し、外れてもデカイ、ってわけです。
そもそも、無償の親切心ってのが、わたしにはどうしても「???」なんですよね。怪しいということだけではなくて、「何故この人は、何のトクにもならないのに、どこの馬の骨とも分からない人間に、こんなに優しくできるんだ?」と素朴に不思議でならないんです。もちろん、金銭的なトクだけがトクではないから、「他人に親切にすることで、来世のための徳を積む」とか、「神に報いる」とか、あるいは「他人に優しくすることで、自分も幸福になれる」とか、理由はいろいろとあるのかも知れませんが…・。

ともかくも、人を信じるということは、難しいことです。仲のよい友人や恋人ですら100パーセント信じられないのですから、出会って間もない、しかも、言葉も習慣も違う異国の人を信じるというのは、至難の業と云えるかも知れません。
中東をともに旅していた“彼女”は、わたしのフレンド詐欺などよりずっと大きな詐欺に遭いましたが、それでも彼女は、後に「また、旅行に出ても、きっと誰かの親切にはホロッと来てしまうんだろうし(中略)田舎の人間ですから、人情に弱いのは一生治らないと思われます(笑)」というメールをくれました。
すげーよなあ…って、思いましたね。わたしなんか、モロッコの詐欺って云ったって、お金の被害はなかったのに、未だにことある毎に思い出してしまうっていうのにさ…この人は、信じるってことを怖がらないんだな。それは、“ダマされやすい”ということかも知れないけれども、ダマされることを怖れてビクビクしているわたしよりも、ずっとずっと強いことだと、感心せずにはおれませんでした。
でも、本当はわたしだって、疑うのではなく、信じる心の方を優先して、旅なり人生なりをやっていきたいのです。出来ることならば。

というわけで、話は戻りますが、“ウルルン”というのは、そんなにカンタンなものでも、ラクなものでもないのです。ウルルンするためには、強くなければいけない。わたしが、ウルルンを期待しないのは、自分がまだまだ、それを受け入れられるほど強くないことを、知っているからです。

YAZD1.JPG - 25,838BYTES かつての鳥葬場、沈黙の塔。現在は、走り屋の溜まり場だったりする(笑)。

そんなことを経て、現在はイラン観光最後の街、マシュハドに来ています。
ここは、イスラム教シーア派の重要な聖地です。ハラメ・モタッハル(通称ハラム)という、シーア派の8代目エマーム、エマーム・レザーの祀られている廟があり、連日連夜、各地からの巡礼者でごったがえしています。

神聖なるハラムには、われわれ異教徒も入ることができます。しかもタダです。ただし、撮影は禁止で、服装制限があります。旅行者の女子の場合、パスポートと引きかえにチャードルを渡され、それをずっとかぶり続けなくてはなりません。
ちなみに、わたしはこの、身体のすっぽり隠れるチャードルの着用を利用して、カメラを持ち込もうとしましたが、ハラムに4回行って(イスラム教徒かよ)、成功したのは最初の1回だけでした。3回目なんか、股の間に挟んで(太ももに括りつけてたの)トライしたのに、ボディチェックで見つかったし…って係員、
どこ触っとんじゃい!いくら女子同士だからってさ…。

ハラムは何と、24時間オープン(笑)。昼も夜も人が捌けることがありません。夜ならちょっとは空いているかも・・・と思って行ったら、夜の方がさらに、倍くらいに人口が膨れ上がってました。広い敷地なのに、あれだけ人があふれているように見えるということは、実際、ものすごい数の巡礼者がここを訪れているんでしょうね。

「エマーム・レザー廟はすごい」と、色んな旅人たちから話に聞いていたものの、そこで実際に繰り広げられていた光景は、今までに見たこともない、それはそれは大変な、スペクタクルなものでした。
エマーム・レザー廟は、男女は別で参拝することになっており、当然わたしは、女の側から行くわけですが、この女エリアがすごかった…ま、男エリアも同じようなことにはなっていると思いますが。
廟に少しでも触れるために、周りのことなど省みず、ひたすら廟を目指す巡礼女たち。すっかりテンパっている彼女らを、係員らしき女性たちが、モップのついた棒でつついて制しています。それでも、巡礼女たちは果敢に、わき目もふらず廟に向かって突進。日本のバーゲン初日かと思うような凄まじさです。
そして、驚いたのが、廟の周りで慟哭する女たち。誇張でも何でもなく、オンオン泣いているんですよ、これが。一体何があったんだ?と訝しく思うような、実に凄まじい泣きっぷりなのです。

聖地というのは、実にさまざまなタイプの人が集まる場所なので、不真面目なヤツとか、お祈りがテキトーなヤツってのが、必ずいそうなものですが、ここに限っては、多分全員、100パーセント真剣ですね。泣いている人なんかは1000パーセントくらい真剣かも。

「宗教のパワーって、すごい… 」
兎にも角にも思ったのは、それでした。宗教の持つ魔力というものを目の当たりにして、わたしは戦慄を覚えました。宗教的な場所は世界中にありますが、大方は“静謐な空間”であり、このような、人間の激しさを剥き出しにした場所は、見たことがありません。
宗教って何なんだ?人をこんな風にする、宗教って何なんだろう…???

人の発する熱気と、彼らの作り出す異様な雰囲気に、つい目が釘付けになってしまいますが(苦笑)、ハラムの建物がまた、大変素晴らしいのです。
これまでイランで見てきたモスクは一体何だったのか、オモチャかニセモノだったのか?と思ってしまうくらいに、ここのモスクは圧倒的な造形美を誇っていました。青タイルの緻密さ、ダイナミックなのに優雅な曲線、まさに、贅と技を尽くした、イラン・イスラム建築の極み…。うーむ、何もかもがすごすぎるぞー、ハラム!!!

MASHHAD1.JPG - 35,511BYTES ムリヤリ撮った1枚。ハラム内部の唯一の写真(ホント、命がけで撮ったかも;)。

さてさて、色んなことを書いて来ましたが、イランを出るにあたって思うことは(そーいや、この後は悪名高いアフガニスタンですわ…ドキドキ)、イラン人はとてもホスピタリティあふれる人々であった…ということです。
来る前までは、日本人旅行者にはけっこう評判の悪い国で、悪名高い「チンチャンチョン」も、イランが発祥の地ではないかという噂もありました。つまり、イランには妙な大国意識があり、自分たちをヨーロッパの一部などと思っていたりして(こらこら)、アジアとか東洋人というものを下に見ているのだ…と。
あとは、女子旅行者へのセクハラのひどさとかね。ただでさえイスラム圏では、女子旅行者はたえず痴漢の魔手にさらされる運命なのですが、中でもイラン、パキスタンは痴漢が多すぎることで悪名高いのです。むしろ、ここで痴漢に遭わないと、女子として問題がある、くらいの勢いでして(笑)、わたしも相当びびっておりました。

ところが、いざ来てみれば、イラン人たちは、日本人であるわたしをバカにするどころか、好奇心いっぱいのランランとした目で話しかけてくるわ、何かに困って助けを求めると「何なに、どうしたの?」とやたら世話をやいてくれるわで、自分の抱いていたイメージとのギャップに、何度も驚かされたものでした。
そして、幸か不幸か、痴漢にもいっぺんも遭ってないね(苦笑)。ハマダンの宿でノゾキに遭ったことはあるけれど、すりガラスだったから生の裸体は見ていないはずだし(笑)。やっぱ、女子として問題あんのか、わたし?!

イラン人の、好奇心旺盛さを語るエピソードをひとつ。
イランに入って間もない頃、タブリーズから、近郊にあるキャンドヴァン村(ここは“ミニカッパドキア”と呼ばれており、人々が奇岩の中に住んでいる)へ、日本人パッカーのH夫婦と一緒に出かけたときのことです。
たまたま遠足の中学生だか高校生だかの団体と鉢合わせたのですが、われわれがウロウロしていると、「すみません、写真一緒に撮っていいですか?」と女子学生たちが近づいて来ました。別に断る理由もないので、いいですよー、と快く記念撮影をしていたら、いつの間にか大量の学生たちに囲まれ、「オレも」「わたしも」「やんややんや」と、やたら撮影を申し込まれて、大変な騒ぎになってしまいました(笑)。
や、ほんと、アイドルでも来たのかっ?!と思うような騒がれっぷりで、「日本人がそんな珍しいワケ?」と首をひねってしまいましたよ。H夫婦は「こんなに写真をばしばし撮られるなんて、結婚式以来…いや、あのとき以上かも」とコメントしていましたから(笑)。

KANDVAN3.JPG - 39,059BYTES われわれが呼ばれて入っていった、遠足バス(女子専用)。中に入るとエライ騒ぎになり、先生が怒ってました(笑)。

これまで、ずいぶんと多くのイスラム教国を旅してきました。
次の国アフガニスタン、パキスタンで、イスラム圏の旅は終わりになるでしょう。
イスラム圏での女の1人旅は、他の文化圏とは違った面倒くささもありますが、それでもわたしは、ムスリムの国が好きです。
ま、ムスリムの男に恋したことはないし、中に入っていけば厄介なことも多そうだけれど、あくまでも旅人の目から見るムスリムの国は、平和で、人も温和で、もっとも安全に旅できる地域のひとつだとすら思えます。
よく、「親にシリア(…でもどこでも、ムスリムの国を入れて下さい)に旅行に行くって云ったら、『あんな危ないとこやめなさい!』って大反対された」なんて話を聞きますが、わたしに云わせれば、それは完全に偏見というものです。逆に、アメリカやヨーロッパなら大丈夫、という思い込み(わたしも以前はそうだったし、うちの家族などは未だにそう思っているであろう)も、間違っています。ローマやマドリッドにおける、旅行者の犯罪遭遇率の高さを見れば、一目瞭然。銃社会アメリカが危ないのは、もはや周知の事実ですしね。
ついでに云わせてもらえば、アフリカは本当に危ないです(笑)。あと、南米も気をつけた方がいいかな。

イスラム=テロというイメージが、2001年9月11日以降特に、全世界に流布しているわけですが、ムスリムのほとんどは、テロとは何の関係もない、ごく素朴な一般市民なのです。むしろ、『コーラン』の教えに忠実な彼らは、旅人にはとても親切。ま、それを逆手に取って詐欺を働く悪者もいるんだけれど、そーゆーヤカラは、どこの世界にもいるもんだしね。
『コーラン』も、間違ったこともいっぱい書いてあるんでしょうけど(イスラム教における過度の女性蔑視は、昔はともかく、現代社会においてはナンセンスに思えてしょうがない)、それ以上に素晴らしい教えが、たくさんあるんだろうと思います。そうでなければ、こんなにも長い間、そして多くの人に信じられるわけがないですよね?

…あわあわ、今回はまた、えれー長い原稿になっちまったな…すみません。もう終わりまーす…。

(2004年5月11日 マシュハド)

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