旅先風信113「トルコ」


先風信 vol.113


**国境線上の廃墟**

 

こんにちは。トルコ―イラン国境の町、ドゥバヤジットにてこれを書いています。
…おっ、リアルタイム旅行記らしい書き出し(笑)。

イスタンブールを出て、早8日が過ぎました。
時間がかかったのは、前回来られなかったトルコ東部を観光しようという欲を出してしまったせいです。もはや観光は“病”だと、しみじみ感じる今日この頃です…。

さて、トルコを旅していてつくづく思うのが、メキシコと似ている国よなぁ…ということ。
これは、さいとう夫婦著・『バックパッカー・パラダイス』にすでに書かれていることで、二番煎じな話になってしまうんですが、それでも、考えれば考えるほど共通点が出てくるので、ざっと下に書いてみます。

・国土面積
…正確には知らないけれど、旅行している感じでは、大体同じくらいに思えます。
・物価
…これも、旅していると同じくらいに感じるなあ。日本や先進国よりはもちろん安いけれど、ほかの発展途上国から来ると高く感じる、そういう物価。ちなみに、イスタンブールの日本人宿(コンヤ、ツリー)が5ドル、メキシコシティのアミーゴも5ドル。
・観光資源が豊富
…特に遺跡の豊富さでは、どちらもいい勝負。トルコはエフェスやトロイあたりのギリシャ遺跡、メキシコはマヤ・アステカ遺跡が中心ですね。
・(↑に伴い)バス路線が発達している、かつ値段が高い
…どちらもけっこうな豪華バス。トルコは必ずお茶とコロンヤ(※つけるとさっぱりするトルコ独自のオーデコロン)のサービスがある。運がよければお菓子ももらえる。メキシコはバスによりますが、コーラのミニペットボトルとピーナッツがついてきたこともありました。
・独自の食文化がある
…ドネルケバブのトルコ料理と、タコスのメキシコ料理。それ以外でも、たいがい食べ物は美味しい。
・国際的な(?)位置
…ヨーロッパの仲間入りをしようとしているトルコ、NAFTAにて北米の仲間入りをしてしまったメキシコ。文化的には、トルコはアラブだし、メキシコは中南米のスペイン語圏文化なのに、国際的な位置がそうではない…とりあえず先進国に仲間入りしようとする姿勢がそっくり(笑)
・国内に民族問題を抱えている
…トルコはクルド人問題、メキシコはサパティスタですね。

ほかにも、人のノリ加減とか、美男美女が多いとか、わたしが長居(沈没)してしまったとか(笑)、探せばいろいろあります。
ちなみに、わたしがこれまで旅してきた国の中で、トルコ、アルゼンチンが美男美女率の高い二大国家です。本当はベスト3でいきたかったところですが、もう1つを決めるのがけっこう難しい。上記二国は文句なしなんですけどね。

閑話休題。
イスタンブールを出てからの、わたしの足取りを説明いたしましょう。
まずは、首都アンカラでイランのビザ取り。この用事さえなければ、アンカラに行く必要というのはほぼ皆無と云っていいでしょう。アンカラには観光資源というものが、まったくないのです。強いてあげるなら、トルコ近代化の父・アタテュルクの巨大な廟くらいですか。
そのアタテュルク廟に行ったとき、現地の中学生たちが校外学習に来ており、「今、ツーリストにいくつか質問をさせてもらっているんですが、答えてもらっていいですか?」と声をかけられたんですが、「アンカラはどうですか?」という質問には、答えにつまりそうになりましたよ(笑)。とりあえず、笑顔で「GOOD」と答えておきましたが。
そーいや、バスのチケット買ったときも、旅行会社の人に「アンカラ?何しに行くんだ?」とか云われたくらいですからねぇ。

そうは云っても、みんなが云うほど面白くないワケではないだろう…と思いきや、アンカラは本当に面白くないのでした(笑)。
そもそも、安宿があまりないし、安宿が本当に安宿でしかない。観光地であれば、安くて快適な宿というのが存在するのですが、アンカラの安宿は、薄暗く、トイレが異様に臭い。別に不潔なわけじゃないんですよ。掃除はちゃんとされているんです。でもあの臭いは一体…。あと、シャワーが別料金。これは痛い。痛いって云ってもそんな大層な金額じゃないけれども、何か納得いかないんだよなぁ(苦笑)。

せっかくここまで来たので、イランビザだけでなく、ほかのビザも…と思い、グルジアビザを取得しようと試みました。
大人しくイランに行けばいいものを、「せっかくだから、グルジア、アルメニアを通ってイランに入るというのはどうだろう」と、まーた欲を出してしまっているわけです。それにしてもわたし、“せっかくだから”ってよく云うけれど、“せっかく”って一体何なのかしら…。
しかし、グルジア大使館、住所変えまくっているのか、探し当てるのに一苦労でした。あんたはヤドカリか!で、結局たどり着けず、電話でビザ情報を聞いたのでした。最初っからそうしとけばよかった…。
その結果、2週間のツーリストビザが何と約90ドルもすることが判明し、いくらなんでもそりゃ高すぎるので、ここでの取得は断念。とんだ骨折り損だわー…。

ANKARA1.JPG - 52,278BYTES シャレか本気か?“炎につつまれるアタテュルクの顔”という奇妙な構図のモニュメント。

それでも、グルジアをあきらめきれないわたしは、アンカラから、黒海沿岸の町、トラブゾンへ向かいました。
トラブゾンはグルジア国境とも近い町。もしかすると、安く取れるかも知れない…と期待してのこと。まあ、ビザのことがなくても、トラブゾンには行くつもりでしたが。
前回は、トルコ東部を見ていないので、どうせ東に進むなら、東部の主要な町を1つ2つは見て回りたいと思ったのです。

アンカラからの夜行バスで、朝、目が覚めると、車窓から黒海が見えました。あいにくの雨天で、海は鉛色をしていましたが、ま、”黒”海だからいいのか?この海の向うはロシアなんだ…と思うと、またむくむくと旅への憧れ、未知の国への憧れが湧いて来るのでした。

トラブゾンの第一印象は、「寒い!」のひと言に尽きました。いつまでたっても、分厚いアーミージャケットを手放せない…あああ早く暖かいところに行きたい…。
当てにしていた、サンタマリア修道院の宿泊は現在できなくなっており、仕方なく安宿を探し歩いて見つけたのはいいけれど、シャワーが何と水!さーむーいーーーーー!!!夜行バス明けで身体がべたべたしているので、仕方なく浴びましたが・・・拷問だなこりゃ。でも、ホットシャワーを頼むと、5ミリオン(400円)も取られるんだもん・・・その後2日間、シャワーなしで暮らしました。

トラブゾン最大の見どころと云えば、スメラ修道院(とされている)。
街からは46キロほど離れた山の中にある、ビザンチン時代の岩窟修道院です。
修道院って聞くと、何だかいてもたってもいられないんですよねぇ。ああいう、禁欲を絵に描いたような場所に、ものすごく憧れる。自分に足りなすぎるものだからか?(笑)
しかも、ビザンチン時代の教会や修道院には、特に惹かれるものがあって、ギリシャのメテオラの修道院群なんて、今思い出してもこう、ぞくっとするものがある…って、何かあぶねーな(笑)。
フレスコ画とか、イコンが好き!っていう自分の嗜好を、今回も改めて認識しました。
スメラ修道院のフレスコ画は、けっこう損傷が激しくて、折り悪く、建物も工事中であまり奥まで行けなかったのが残念でした。ここは、外から見るのがいいかも。岩肌に張り付くように建つ修道院が、雪の中にぼおっと浮かび上がるさまは、美しいまぼろしのようです。

TRABZON15.JPG 雪の中のスメラ修道院。

ここでは、1年半ぶりにハマム(トルコ式銭湯)にも行って来ました。前は、サフランボルで行ったんですよね。イスタンブールにも当然あるんですが、都会&観光地だけあって、高い!素入浴で15ミリオン(約1250円)とか!
地方に行けば、さすがに安くなって、トラブゾンでは、入浴6ミリオン(何と学割で5ミリオンになる)、垢すり3ミリオンでした。
いやー、ハマム、いいよねぇ。最高っす。ハマム万歳っす。トラブゾンの中心地にあるハマムは、かなりキレイで快適。しかも、2日ぶりの風呂なので、気持ちよさもひとしおってわけです。ホテルのシャワーに5ミリオンも払うくらいだったら、断然ハマムの方がいいっつーの。
温かい大理石の上で寝転がっていると、ビーチでのお昼寝を思い出して、何とも云えず幸せな気持ちになります。このまま、フライパンの上のバターみたいに、溶けてなくなってしまいたい…とか思っちゃう。
垢すりするのも、前回のサフランボル以来。実に1年半分の垢がこびりついているというわけだ(苦笑)。皮がすりむけそうになるまでこすられ、身体が軽くなったようです。

TRABZON46.JPG 赤屋根の多いトラブゾンの街。後ろにうっすら見えるのが黒海。

さて、肝心のグルジアビザはというと、ここでもやはり90ドルと云われ、思わず「学割はないんですか?」と聞いたら、鼻で笑われてしまったよ…。ま、普通に考えたらビザに学割なんてあるわきゃないんだけれども、イランで取ると、グルジアビザは学割でタダになるって話なんだもの。何だよその差は!
で、結局あきらめました。グルジアは次回、シルクロード横断の旅に出たときにでも(っておい、また旅に出るのかお前は?)。

トラブゾンからはもう、ドゥバヤジットを目指してもよかったのですが、つい欲を出して、カルスという町へ足を延ばしてしまいました。あー、また両替しないと…1回来ているトルコで、どれだけ金を使うんだわたしは…。
カルスは、アルメニアに近い町。ここには、アニという、10〜11世紀アルメニア王国の遺跡があるのです。
ガイドブックで写真をひと目見たときから、何やらびびっと来るものがあったんですよね。要するにひと目惚れ、ってやつです。
コピーがまたそそるんですよ。「1001の教会の町」…カッコよくないですか?1000ではなくて1001、ってとこがいいんですよ。ええ。いいんですってば。
アルメニア本国にある遺跡より状態がいいということだし、アルメニアを断念した今となっては、この遺跡を見てアルメニアを満喫するしかない。トラブゾンからのバスが高いことには、この際、目を瞑ろう…(ちなみに25ミリオン=2000円くらい)。

しかし、カルスまで来たはいいものの、肝心のアニ遺跡への足が確保できません。
カルスの町から遺跡までは45キロもあるのですが、公共交通機関がないのです。1日1便だけ、遺跡のすぐ側の村まで行くバスがあるのだけど、帰りの便がないのでは話になりません。この村というのも、宿泊施設なぞ皆無の小さな集落に過ぎず、その日のうちに往復するなら、タクシーをチャーターするしかないのです。

「旅行人」の掲示板によれば、“チェリルという、加山雄三似のドライバーがいるので彼に頼むのがいい”という話でした。で、ガイドブックに示されている“アニ行きタクシーの溜まり場”に、加山雄三を探しに行ったのですが…雄ちゃんどころか、タクシーも全然いないっつーの!
しかも、アニ遺跡に入るには、ツーリストインフォメーションでパーミッションをもらわなければいけないらしい。それも日曜なので休み…はああー、全てが空回りだー…。
(※ちなみに、パーミットはこの4月から?要らなくなったそうです。今後行かれる方はご参考に。)

仕方なく、カルス要塞という高台に上ったり(ここはなかなかよい)、町をぶらぶら散歩していたところ、旧アルメニア教会という一応カルスの見どころである教会にて、高齢欧米人ツーリスト団体に出くわしました。
6人くらいの小団体なのですが、彼らはきっと、アニ遺跡に行ったはず。じゃなきゃ、こんな辺鄙な町までツーリストが来る理由などないのです。わたしはグループのガイドを捕まえ、「アニ遺跡に行きたいんですが、どうやって行けばいいんでしょう?タクシーっていくらくらいするんですか?」と尋ねました。
ところが、このガイドから返って来た答えは、「そんなの知らないね。ていうか、君個人で行くの?無理だと思うよ。あきらめた方がいいんじゃない」だとよ!

KARS4.JPG カルス要塞から見下ろすカルスの町。カフカスに近いせいか、旧共産主義圏的なうら寂しさがいたるところで感じられた。

…わたしは本当にしつこい性格なので、何事も“あきらめる”ということが出来ません。
よく、学校の先生などは、「あきらめないで努力することが大切」とか教えたりしますが、わたしにとっちゃ、あきらめないことより、あきらめることの方が数倍難しい。“潔くあきらめる方法”を教えてほしいですよ(笑)。この執着心ゆえに、ムダに自らを苦しめることが多いですからねえ。
さらに、「ムリだ」とか「あきらめろ」とか云われると、かえって闘魂(?)に火がついてしまう、これまた厄介な、天邪鬼な性格。ま、最近は歳のせいか、面倒くささの方が勝ってしまったりもしますけど…。
しかし今回は、「くっそー、団体だからってエラソーにしやがって。見てろ、絶対に1人で行ってやる!」と、何が何でもアニ遺跡に行く決意を固めたのでした。

その後、たまたまわたしの横を通った、「なんとかツーリズム」と車体に書かれたバンを止め、「すみません!このバスってアニに行くんですか?!」と尋ねてみるも、相手はトルコ語オンリー、まったく意志の疎通が図れず(ほんと、言葉の壁には悩まされるぜ)、途方に暮れていると、若い兄ちゃん2人組が通りかかり、つたないながらも英語で「どうしたの?何か困ったことでも?」と声をかけてくれました。
かくかくしかじかと事情を話すと、彼らは、ツーリストインフォメーションを探してくれ、そこでいろいろ聞いてくれ、バス会社にも当たってくれ、さらにはチャイまでおごってくれたのでした。ううう…ありがとう(涙)。
結論としては、「やっぱり公共のバスはないみたいだから、君の泊っているホテルのレセプションに、タクシーを呼んでもらうのがいいよ」ということに。

ところで、この兄ちゃんたちは、クルド人とのことでした。
と云っても、カルスに住んでいるわけではなく、マラテヤという町の大学に通っているらしい。マラテヤはクルド人の町なのだそうです。というか、トルコ東部の町はどこも多いんですよね(ちなみにカルスは4割くらい)。
「僕たちは社会主義者だ」と、チャイを飲みながら彼らは云いました。そして、マルウス、毛沢東、カストロ、ゲバラなどの名前を挙げ、「(社会主義は)間違ってると思うか?」と、あまり達者とは云えない英語で尋ねてきました。あまり難しいことは云えないので、そんなことはないと答えるに留めましたが。
「独立を望んでいるの?」と訊くと、「望んでいるけど、ほかの国がそれを許さないだろう」と云っていました。

クルド人問題について、わたしはそれほど詳しくは知りません。ただ、ここにも、“民族と国家”の問題があり、「民族とは、国家とは一体何か?」という、時折考える問いを、また頭の中でめぐらせました。
普段は感じないけれども、根深いところで自分を支えている何かがある。日本国のパスポートを持って旅をしていると、自分の国、帰るべき国を持っていることに、云いようのない安堵を覚えることがあります。そしてわたしは、自分が日本人であることを、痛切に感じるのです。それはもう、理屈とかでは説明できない何かなのです。そして、故郷を持つことのできない人々が、多くの血を流してでもそれを獲得しようと試みることを、愚かだとか空しいとはとても思えない。
彼らは、クルド人のミュージシャンの名前を教えてくれました。いつか、折りをみて聴いてみたいものです。

さて、ホテルに戻って、レセプションにアニ遺跡に行きたい旨伝えると、「知り合いのタクシードライバーに連絡してみる」と話がつき、夕方頃、そのドライバーが部屋に訪ねて来ました。
ドライバーは英語が達者で、「なるべく安く行きたい」というこちらの主旨もきちんと理解してくれたようでした。…あれ、もしかして。
わたしはふと思い立って、聞いてみました。「ところで、おじさんの名前は?」
「アイム チェリル」
…って、あんたかい!チェリル!あんたを探してたんだって!なんかこーゆーの、RPGぽいよね(笑)。でも、加山雄三には似ていない気がする…。

チェリルは、「ほかのホテルに行って、アニ遺跡に行くツーリストを探してみる」と云ってくれたのですが、結局、ほかのツーリストは見つからず、1人でチャーターすることになってしまいました。しかしここまで来たら、腹をくくらねばなるまい。旅行人掲示板に書いてあった、40ミリオン(約30ドル)で手を打ちました。本当はもっと、安く行けるのかも知れないけど…。

アニ遺跡は、アルメニアとの国境線上に限りなく近いところに位置しています。
遺跡のすぐ側の峡谷の向うは、もうアルメニア。遺跡から、アルメニア側がすっかり見えるのです。
チェリルにも、「あの峡谷より向こうには絶対に行かないように。何のサインも柵もないから、気をつけて」と念を押されたので、かなりびびりました。カメラ向けたら、即座に銃弾が飛んで来るんじゃないか…とか(そんなことはなかったけどね)。

遺跡には、わたしと、管理人のおじさんしかいませんでした。
おじさんはヒマなのか、やたらと案内してくれますが、トルコ語なので分かるはずもなく、テキトーにうなづくばかりでした。

そのうち、雨がぱらぱらと降り出し、風もかなり強く吹き出しました。頭がきーんとなるほどの寒さに挫けそうになちながらも、2時間かけて、すべての廃墟を回ってやりました。ちょっと苦行に近いものがあったけど(笑)、何せ、このために40ミリオンも払ってんだからな。

だだっ広い草原に、教会やモスクの廃墟が、距離をおいて、ぽつぽつと建っています。廃墟はみな、チョコレート色のブロックチェック。明るい茶色のはミルクチョコレート、黒いのはビターチョコレート…などと考えてしまい、朝から何も食べていないわたしには目の毒でした(笑)。
一番大きな教会―カセドラルの廃墟の中は、本当に静かで、この空間だけ時間が止まっているようでした。
壁に刻まれた、見たことのない文字―アルメニア文字?というのでしょうか―をじっと見つめていると、このままどこか違う世界へ飛んで行ってしまうのではないか、とすら思えます(最近ドラクエ6にはまっている影響か?)。
わたしは、遺跡においては久々に真面目に、遠い昔のことを想像してみました。この遺跡がまだ、遺跡ではなく、現代の建物として機能していた時代…ここもかつては、繁栄を誇り、ものがあふれ、人々が絶えず行き交う、にぎやかな首都だったこと。もちろん、わたしの乏しい想像力では、人々の嬌声や往来を闊歩する馬のひづめの音など聞こえてはきません。ただ、そうであったのだな、と思いを馳せるのみです。
“夏草や 兵どもが 夢の跡”なんていう、芭蕉の句をふと思い出し、時の移り変わりというものを、しみじみと、本当にしみじみと、感じました。すべては移ろいゆく、すべては無に帰する…。そしてわたしも、ここを通り過ぎるだけの、小さな小さな存在に過ぎないのです。途方もなく大きな歴史の中においては。

雨天での観光というのは、なるべく避けたいところですが、遺跡に関しては、雨だとまた違った表情を見せてくれるのでいいですね。国境線上という緊迫した位置がまた、うら寂しい雰囲気を盛り上げてくれて、かなり満喫できました。おっちゃんがずっと一緒だったのは、ちょっと減点だけど(笑。でもいい人でした)。

ANI33.JPG - 38,657BYTES チョコレート色のアニ遺跡。

そして、ここドゥバヤジットまでやって来たわけです。
ノアの方舟がたどり着いたというアララット山がそびえる、国境の町。コピー的にはそそりますが、ま、何てことない、雑然とした地方都市です(笑)。雪を頂くアララット山の姿は、さすがに神々しいけどね。
町なかでは最大の見どころ、イサク・パシャ・サライ(宮殿)へもしっかり行ってきました。何度も云うように、観光病ですからね、わたし。町なかと云っても7キロも離れていて、しかも午後にはドルムシュ(ミニバス)がなくなってしまうらしく、もういいか…とあきらめかけたところ、地元の車にヒッチハイクされ、タダで乗せて行ってもらっちゃいました。しかも、帰りも待っててくれているという親切さ(笑)。サライ自体は高台にあり、アララット山は見えないけれど、それに連なる山々とドゥバヤジットの町が一望できて気持ちがいいです。時間のある方はぜひ。

そんなことより、久しぶりにホットシャワーが普通に出る宿に泊まれたことに感動ですよ。いやー、ほんと、頭かゆかったわー。服を脱いだら、胸に白い粉が噴いていてビックリしてしまった。こないだ垢すりしたばっかなのに、もう垢だらけ…。垢太郎と呼んでください。
思い起こせば、イスタンを出てからというもの、宿には恵まれず、旅人にも会わず、まるで修行僧のように黙々と観光し、町を歩く日々でした。夜は夜とて、うらぶれた安宿で1人、せっせと「ドラクエ6」に励んでいたわ(苦笑)。安宿のシングルって、ほーんと寂しい空間だよねー。

明日はついにイランです。おおー、何となくアジア横断らしくなってきたじゃないか(笑)。
イランはご飯がマズイという噂なので、トルコ最後の晩餐は、ロカンタ(食堂)で美味しいトルコ料理を食べ収めるとしましょうかね。それではまた。

DOGUBAYAZIT4.JPG - 34,261BYTES アララット山(ちょっと分かりにくいかな)。

(2004年4月20日 ドゥバヤジット)

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