旅先風信112「トルコ」


先風信 vol.112


**アジア横断…のその前に**

 

はるかニューヨークから、まる2日がかりでイスタンブールにたどり着いて、さあいよいよアジア横断…と思ったら、いきなし沈没。ほんまにどうしょうもないヤツですわこいつぁ…。

何を隠そう、イスタンブールはこの旅で3回目の訪問。この宿「ツリー・オブ・ライフ」も3回目になります。
1年半ぶりに来てみれば、イスタンブールは特に変わった様子もなく(あっ、でも新市街についにスタバが出来るらしい。まだ工事中だったけど)、宿はそれに輪をかけて何にも変わっていませんでした。もちろん人は入れ替わっているけどね。
「ベヤジット、アクサライ、スルタンアフメット…」メトロの駅の名を読みながら、記憶はふつふつと浮上してきて、空港から宿までの道も、地図も何もなかったわりには、迷うことなく歩けてしまいました。懐かしいというよりも、ついこないだまでここにいたような、そんな錯覚さえしてきます。

ISTAN3.JPG - 18,740BYTES 最高傑作のモスクといわれるスレイマニエ・ジャミイ(右)。

さて、前回、前々回で、アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿、地下宮殿、ガラタ塔、カーリエ博物館…etc、ほぼすべての主要観光スポットを周り尽くしているわたしにとって、今回のイスタンブールは、アジア横断の出発地点でしかありません。日本人宿で情報ノートを読んで、情報を集め終わったらすぐにでも出るつもりでした。
しかし…こういう目論みが、大体外れるのがわたしという人間なのです(苦笑)。

そもそもは、イスタン2日目のさわやかな朝、朝食のお伴にと、何気なく『MONSTER』@を手に取ったのが間違いの元でした。この『MONSTER』は、メシの片手間で読めるようなシロモノではなかったのです。読み始めたが最後、尿意すら我慢してひたすら読む、読む、読む。わき目もふらずにページをめくるさまは、我ながらなかなか鬼気迫っていたのではないかと思います。
…最終巻のQまで読了したとき、時計は午後3時30分を回っていました。さすがにカラスは鳴いていなかったけれども、「ああ…マンガ読んで1日が終わっちゃった…わたしって一体…」と、虚しさがふつふつとこみ上げて来るのでした。でも『MONSTER』は読み応えありまくりでしたけどね(勢い余って『ツルモク独身寮』まで読破してしまったよ)。

この事件(事件じゃねーよ)が引き金となって、わたくしの、めくるめく沈没ライフは始まってしまったのでした。

でもでもでもね、沈没と云っても、それなりの理由はあるんだよー。
まず、アジア横断に向けての情報収集と準備。情報は、ガイドブックや情報ノートをコピーして、準備っていうのは、とにかく荷物を整理すること。
それから、一刻も早く、たまっているHPの原稿をアップすること。どっちかというと、これがメインですね。たまっている原稿をせっせと書いても、移動し観光するたびに、書かなきゃいけない原稿(って、書かなくても誰にもメーワクかかんねーけど)が増えていくばっかりで、まるでこれでは自転車操業…いったんどこかで腰を落ち着けて、たまった原稿を片付けないと、どうしようもありません。
…しかし、因果なことに、腰を落ち着けたら、ていうか沈没したらしたで、原稿って書かなくなるんだよなー(これは、同じくリアルタイム旅行記をやっている野村夫婦も云ってた)。
結局ここでアップできたのって、グアテマラ編の風信と写真館とむだ話1本だけじゃないか。もちろん、ほかのも並行してやっているんだけど、どれもこれも完成にいたらない。神様が降りて来ないんだよ〜。

それでも、何もしないのはもったいないので、たまった写真を整理したり、CDに焼いたりはしていたんですけどね…。あああ、こんなに沈没するって分かってたら、最初っからビザ取りはイスタンでやればよかったんだよなあ、なんて、後悔してももう遅いけど。

というわけで、わたしがどんな毎日を送っていたかというと、
・起きる(8時〜11時の間)
・朝食をだらだら食べる
・シャワーを浴びる
・昼食をだらだら食べる
・コーヒーを浴びるように飲みながらパソコンをいじる(←原稿は一向に進んでいない)、もしくは本を読む
・散歩する(細々した用事ついでに)
・筋トレをする
・夕食を食べる(シェア飯)
・宿の人たちとだらだら喋る
・寝る(0時〜8時の間)

…これでも充分ヒドい生活だけど、宿から1歩も出ない日もあったなー…って、1回死んで来いお前はっ!

ところで、夕食は毎日、宿の管理人であるジンさんが作るシェア飯だったのですが、これが、その辺のロカンタ(食堂)で食べるよりも安上がりで、しかもたいそう美味しいのです。
わたしは、旅の間に得たある認識を、改めて納得するのでした。すなわち、「男性(の旅人)は、料理が上手い」ってこと。
思い起こせば、前にこの宿に来たときも、めちゃくちゃ料理の上手な男性がいて、シェア飯を仕切っていましたっけ。いやー、ほんと、みんな料理上手だよなあ。その辺の女の子より、ずっと上手だと思う。男の人は凝るととことん追究しちゃうもんねー。プロの料理人のほとんどが男性なのも分かる気がします。
それを、宿泊客の男性Dさんに話したところ、「そりゃそうかも知れないけど、やっぱ、乙女の手料理というものが食べてみたいですよ」なんて寝ぼけたことを云ってましたが、乙女の手料理なんて、美味しくも何ともないってば(笑。言葉の響きは確かにそそるけど)。結婚している女性はみんな上手なんですけどねっ。
結局ここでは、ただの一度も自炊することがありませんでした。1回だけ、インスタントラーメンを開けたくらいだな(笑)。昼食は、その辺のお店で、ラフマジュン(薄焼きピザ)とか、鯖サンドとか、ミディエドルマス(ムール貝のピラフ詰。美味い。大好き)とか食べていればいいし、そうでなければ、これまた男性が作ってくれる昼食のおすそわけに預かるかしていればいいわけで(笑)。

ISTAN111.JPG - 23,522BYTES ある日のシェア飯はカレーライス。

さて、このよーに、何もかもが怠惰な沈没生活だったのですが(沈没していても、料理はきっちりやっている沈没者は意外と多いのに…)、そんなわたしの相手を主に務めてくれたのが、前述のDさんと、Nさんでした。
どっちも男性で、ここの宿もたいがい長い人たち(笑)。てか、最近思うんだけど、わたしが旅先で仲良くなるのって、男性ばっかりだよな。もしかしてわたし、女に嫌われるタイプ?(苦笑)

Dさんは、わたしよりも3つ年下。「何となくアクセルっぽいな」というのが第一印象でした(もう少し客観的な印象を云えば、「テイ・トウワに似ている」。これはときどき云われるらしい)。
にしても、メキシコのKくんのときもそうだし、“アクセルっぽい”とか“アクセルといるみたい”というところから仲良くなるわたしって…もしかして、アクセルが好きなのか?(笑)
冗談はさておき、Dさんは、イスタンブールに来て約4ヶ月。ただの長期沈没者ではなく(笑)、何とこちらにサッカーのプロテストを受けに来ているのです。
プロテストがあるのが、この6月から7月くらいまでということで、それまでは、トルコ語の勉強と自主トレ、あとは近所の子供相手にサッカーをする日々。近々この宿も出て、部屋を借りて住むことになっており、落ち着いたらどこかのアマチュアのサッカーチームに入るのだそう。
20歳のとき、Jリーグのプロテストを受けて落ちたという彼は、「これでダメだったら、もうサッカーはあきらめます。テストに受かっても落ちても、どの道ここで燃え尽きるつもりで来たんです」と語っていました。大人しそうな風貌からは想像しにくいけれど、かなりアツい男子なのです。

一方のNさんは、わたしと同い年。しかし、歳を訊くまで、いや、パスポートを見るまで、本当に同い年だとは思えませんでした。絶対三十路だと思ってたね(笑)。
このおじさん…もとい、おにいさんは、半年間でアジア横断を終え、これから中東、アフリカと下って行く旅人なのですが、すっかりここに居着いてしまい、気がついたら1ヶ月が経っているという、どこからどう見ても立派な沈没者です(でも、その正体は薬剤師という、きわめて真っ当な社会人なのだった。何と1年間の“休暇”を取って旅をしている)。ちなみに、1ヶ月イスタンにいて、観光はブルーモスクのみという、天晴れな沈没っぷり。よいこのみなさんは見習ってはいけません。
最近では、その有り余る時間を活用し、どこからかチョコレートバーを大量仕入してきて、宿で販売する始末。わたしは来た初日っから毎日購入するという、かなりの上得意客でした。最後には、ロイヤルカスタマーとまで呼ばれていたわよ(笑)。近所のスーパーならもうちょっと安く買えるんだけど、それすら億劫で、ついこの“チョコバーのおっちゃん”(命名ジンさん)からチョコレートを買ってしまうのでした。いいカモだよな、まったく(笑)。

ISTAN114.JPG - 18,503BYTES 近所のチャイハネ(喫茶店)にて、水タバコをふかすNさん(右)とDさん。ちなみに2人とも眼鏡くん。

この2人が主催する(?)筋トレ部にも入部し、夕食前になると、せっせと腕立て&腹筋&背筋etcに励む、勤勉なわたくし。
前々から、もっと締まった身体になりたいなあと思っていたので、筋トレに誘われたのは渡りに船というやつでした(しかし、乙女なのに筋トレ部に誘われるわたしって、一体…)。
2人はこのほか、サッカー部、禁煙部、眼鏡部(?)なども創設しており、一時期サッカー部は盛況だったのですが、部員は次々と旅立っていき、Nさんは足を負傷し、ついにDさん1人になってしまいました。しかし、こういうこと書いていると、つくづく「こいつら、ヒマだよな」って感じがするよね(苦笑)。

それでも、“何かしなけりゃ病”に根深く冒されているわたくし、折りを見ては、ちょろちょろと観光してしまうのですけどね。
まずは、オルタキョイという、イスタンブールの原宿と云われる(ウソ)若者向けエリアに足を伸ばしてみました。ここは、日曜日になると、アクセサリーや小物の露店がぎっしり並び、若いカップルなどでにぎわいます。
エリアとしてはかなり小さいのですが、金角湾とそこに架かるボスポラス大橋が目の前に見える素晴らしいロケーションで、これはデートスポットにうってつけだろうと思いました。お洒落なカフェやレストランも並んでいるしね。しかし、こんな若者エリアの中にも、ででーんとジャミイ(モスク)が建っているのはさすがにイスラムの国ですな。

そして、前に金をケチって行かなかった、ドルマバフチェ宮殿にも。
いやー、ここすごいですね。豪華絢爛×100って感じ。ヨーロッパの宮殿にもまったく引けを取りません。シャンデリアなんか、信じられないくらいもこもこしてるもんな(笑)。
まるでループのように、似たような部屋がいくつもいくつも現れ、その部屋が悉くわたしの部屋より広い(そりゃそーか)。調度品も、いかにも高そうなのがトーゼンのように並びまくっており、椅子1個売っただけで、もう1回世界一周できそうな勢いです。そして、風呂とトイレは総大理石!ざけんなよまったく。あんまり何もかもがきらびやかなの
で、目がちかちかしてしまい、観光を終えた頃にはすっかり疲れきっていました。

ISTAN51.JPG - 23,497BYTES 宮殿内部。この階段は確か、森村泰昌の作品で使われていたと思う。

また、ある晩は、新市街のゲイクラブに出かけていきました(…それって観光なのか?)。
Nさんも行く予定だったのが、足を負傷してしまい、わたしとDさんの2人で行くことになったのですが、これがなかなか不思議な体験でした。
こんなこと云っちゃなんですが、Dさんは、やおい少女のわたしから見て、かなりホモ受けするタイプなのです。つるっとクセのない童顔に、サッカーで鍛えた筋肉質の身体…って、いかにもやおい小説に出てきそうじゃないか?(笑)。そうでなくとも、
こちらの濃い〜い顔のおにーさんたちから見れば、東洋人の若い男子は、まるで少女のように見えちゃったりするわけです。ううむ、こりゃ楽しみだ(エロおやじかわたしは)。

正確な場所が分からず、その辺の商店などで「ゲイクラブはどこですか?」とトルコ語で尋ねまくるDさん。女子(わたし)と一緒だからいいようなものの、1人だったらまるっきりホモだって(笑)。
ようやく店を発見し、怖々中に入ったものの、まだそんなにお客は入っていませんでした。ビールを飲みながら、薄暗い店内をじろじろと観察してみます。最初、「意外と女の子が多いねー」とか呑気に話していましたが、実は全員オネエでした(笑)。暗いから、ぱっと見分からないんですが、乳がつくりものっぽいし、声がオッサンだし(笑)。わたしもオネエと思われてたりして…。

そのうち、我々のテーブルに、1人のニヤけたトルコ人がやって来て、そのまま居座りました。
おにーさんは、Dさんの隣に腰掛け、何やら熱心に話し掛けています。トルコ語の分からないわたしは、ただニコニコして酒を呑み、珍しくタバコなど吸って、「やっぱDさんはホモと一緒にいると絵になるわねー。何かいい感じなんじゃないの?」などとノー天気に構えていたのですが、よく見るとDさんの顔は完全に引きつっていました。
おにーさんが何か云う、Dさんは「ハユール(NOの意)」を連発する。ま、それで大体の話の内容は見当がつくわけですが(笑)、Dさんはついに我慢できなくなったらしく、唐突に「もう出よう。ダメだよこいつは」と、わたしを促して席を立ち上がりました。
店を出たあと、「あのヒト、何て云ってたの?」と尋ねると、「3人でセックスしようって、そればっか云ってんだよあいつ」…なるほど、おにーさんはバイだったのかいな。。。道理でさっき、お別れの挨拶のキスがねっとりしてると思ったぜ(苦笑)。

Dさんは、わたしの予想以上にショックが大きかったらしく、「ダメだあ!もう飲まなきゃやってられねえ!ちょっと、もう1軒行きましょうよ!おごりますから!」とすっかりヤケになっていました。
「もう1軒って、もう1つのゲイクラブですかー?」と茶化すと、ちょっと、マジでゲイは勘弁ですから!と、ぎろっとにらまれてしまいました。うーん、ごめんね。だって、他人事なんだもの(笑)。

ギネスビールが何よりも好きだというDさんなので、わたしが先日発見したアイリッシュバーに行こうという話になり、そこでお目当てのギネスを頼んだのはいいのですが、350ml缶が、ななななな、何とっ、20ミリオン(1600円くらい)!!!おいっ、正気か?!
先に値段を聞いていればお断りしたかったところですが、持って来られてから云われたんだもんなー。ぼったくりバーかと思ったわよ!店員いわく「税金がすごくかかるから」とのことだけど…。

ISTAN106.JPG 世界一高い(かも知れない)ギネスビール。

そんな風にして、あっという間に(でもないか?)1週間が去り、10日が過ぎ去っていきました。
明日こそ出ると決心していたその日の晩、Dさん、Nさんに、イラン帰りのIさんも加わって、だらだらだらだら喋り倒し、何故かお互いの眼鏡を交換して撮影会になったりしているうちに、気がついたら何とっ…朝の7時になっていました。チュンチュン(鳥の声)。
「野ぎくさん、ほんとに出るんすか?」
「出ます。今日はこのまま起き続けて、12時に無事チェックアウトします」
「そんなの絶対ムリですって。だって、顔が死んでますよ。このまま出たら、何かよくないことが起こりますよ」
「ダメです、わたしは一度決めたことは曲げな…zzz(←思わず寝そうになってる)…はっ、まずい」
「出発なんて、いつだって出来るじゃないですか。ほら、そこの張り紙にも“バスのチケットは何回でも延長できます”(←これホント)って書いてあるし」
…ああ、この足の引っ張り合い(笑)。ミイラ取りがミイラ取りになる如く、沈没者は沈没者を作るのです。つまり、誰かが出発すると決意したら、みんなでよってたかってそれを潰そうと試みるのです(笑)。ま、本気で引き止める人なんていませんけどね。一種の社交辞令というか、お約束みたいなもんですか。

この後、「日曜の朝8時から『ドラゴンボール』がやってるんですよ」というDさん情報に従って、全員8時まで起き続けることになり、しかし『ドラゴンボール』は一向に始まる気配もなく、代わりにトルコ語で『準備』というタイトルのシュールなアニメがえんえんと放送され(気持ち悪いほどシュールだった…てか、“準備”って何だよ?)、眠気のせいもあって頭はすっかり遠い世界に行ってしまいました。
「もう出発はムリだ。寝る」わたしは決意してドミトリーに戻り、ベッドに入った5秒後にはもう眠っていました。

沈没のよさって、悪く云えば、“閉鎖的になることの快感”なんだろうなと思います。
毎日同じ釜の飯を食ったり、そのメンバーにしか分からないギャグを云って内輪で盛り上がったり、そういうのって、傍から見るとけっこう気持ち悪いけれど(笑)、いったん中に入ってしまえば、こんな居心地のよいものはないわけです。
Nさんが、いつかこんなことを云っていました。「昔、『フレンズ』っていうアメリカのドラマがあって、それがすごい好きだったんですよ。仲良しの男女6人がいて、ある時間になると、何となく決まった喫茶店に集まって、そこでだらだらおしゃべりをして…っていう内容なんですけど、今のこの宿も、ちょっとそれに似てるかなあと思うんですよね」。
わたしはこのドラマを知らないけれども、わたしも、そういう関係或いは共同体への憧れを、随分昔から持っているように思います。“家族”って形態の、いいとこだけ取った共同体っていうのかなあ?中国の昆明と、ハンガリーのブダペストで味わった沈没は、まさにそういう類のもので、だから今でも、その2つは特別な場所なのです。その後も、大なり小なり沈没してきたけれども、あの感覚というのは、なかなか得ることができない。
ともかく、沈没というものは、そうした“居心地のいい共同体への参加”というところに、その醍醐味があるのだと思うのです。

…と分かっていながら、わたしは、どうしても出て行ってしまうんだな。
いつも、「沈没するならするで、何でとことんやらないんだろう」って思うんです。もっと、本当に家族みたいに仲良くなれるまで、どっぷりその共同体に浸かることができたらいいのに…ってね。
なのにいつも、中途半端なところで切り上げて出て行ってしまう理由は、根っからの旅人体質だから…では全然なくて、「これ以上いると、わたしという人間に飽きられちゃう」という、つまらない見栄のせい。わたしはこの通り、非常に底の浅い、引き出しの少ない人間なので、長くひと所にいれば否がおうにも化けの皮がはがれてしまう…それがイヤなんですよね。正体を知られたくないというか(笑)。それで、「わたしはここが居心地がいいと思っているけれど、もしかするとほかの人には歓迎されていないかも知れない。ここは、わたしの居るべき場所ではないのかも知れない」と考えてしまうわけです。
実は、ブダペストのテレサハウスのときも、そんなことを思って出て来たフシが、大いにあったりして。昆明のときは、単に時間がなかっただけでしたが…。

今回だって、もうすぐ宿を出るDさんとNさん(Nさんは本当に出るのかどうかギモンだけど(笑))のお別れパーティーまで、出るのを待ってもよかったのです。たかだか1週間やそこら、何故延ばすことができないのか。ホームページだって進んでいないし、原稿を書いていれば1週間なんてすぐに過ぎていくじゃないか。
…なのに、それでも、わたしは出てしまうのです。おかしな見栄と、得体の知れない焦りに突き動かされて。

最後の晩も、いつものように本をぱらぱらめくってはおしゃべりに興じ、水タバコなども吸いながら、ゆるゆると時間は過ぎてゆきました。
夜11時前、「あ、じゃあそろそろ行きますね」と挨拶して立ち上がり、久しぶりに荷物を背負ってみると異様に重いことに気付いて愕然としつつ、「気をつけて」「行ってらっしゃい」という声に見送られながら、宿を出ました。

ISTAN34.JPG - 16,513BYTES トップページに飾って物議を醸した(?)拳銃写真。管理人のジンさんが買ってきたベレッタのモデルガンです。部屋でばんばん撃ちまくって、怖かった…でも撃たせてもらったら、けっこう気持ちよかった(笑)。

1人でオトガル行きのバスに揺られながら、わたしは、今までに何度も味わってきた、別れの苦さと寂しさをまた噛みしめていました。でもその一方で、そうした別れの感情に、何となく慣れてきている自分というものも感じました。
「いつものことだ。そして、この寂しさはまた、新しい出会いによって、かき消されていくんだろう…」
出会い、別れ、また出会う。旅も人生も、恐ろしいほどにこの繰り返しがなされていく。出会いは別れの寂しさを忘れさせ、別れは出会いのはかなさを呼び起こす。全く…心の休まるときがありませんね(苦笑)。

でもまあ、とにかく旅は進んでいくのです。もちろん、人生もね。
そして、さあ、やっとここから、最後の大仕事、アジア横断が始まる。新しい旅が。
イスタンブールは旅人の交差点だとよく云われますが、わたしにとっても、図らずもここはすべての旅への分岐点になっているようです。ヨーロッパの終わりと一時帰国、、中東・アフリカへの旅の始まり、そして、アジア横断の…。
ははっ、また感傷的になっているな。でも、イスタンブールってところは、そういう感傷を掻き立てる場所なんですよ。

(2004年4月16日 トラブゾン)

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