旅先風信111「アメリカ」


先風信 vol.111

 


 

**愛と哀しみのニューヨーク滞在日記続き**

 

ニューヨーク滞在後半戦です。
前半と大きく変わったことは、住居ですね。在住日本人の貸し部屋が空いたので、そこに移ることになったのです。1泊20ドルのところを、2人で1部屋に泊るってことで1人15ドルにしてもらいました。
ニューヨークに来てから、ヤドカリのように次々と宿を替えているわれわれですが、替えるごとに部屋は広くなり、値段は下がる…という嬉しい展開になりました。それでは、続きをどうぞ。


3月23日(火)晴
今日は、待ちに待った引越しである。チャイナタウンからハーレムと、けっこうな移動だ。昼頃部屋が空くというので、遅起きでのろのろと準備する。

ハーレムと云えば、マンハッタンで最も治安の悪い場所、というイメージがある。最近の事情はともかく、ちょっと前までは実際にそうだったんだと思う。昼間でも、あまり人気がなく、バックパックを担いで歩いている身としては、かなり怖かった。友人には「ビビりすぎ」と云われたが…。

荷物を置いて一段落したのち、自然史博物館に行く。あんまり自然に興味のないわたしだが、友人はかなり楽しみにしている様子。わたしは、ここの目玉のひとつである、世界一大きなサファイア”スター・オブ・インディア”を見られればそれでOKである。石のコーナーはかなり面白い。メキシコで石マニアたちに会って以来、一般の人よりは詳しくなったのだ。友人はわたし以上に石好きなので、食い入るように展示物を見ていた。

その後、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダゴタ・アパートを見に行く。ここは、入居に際してかなり厳しい審査があるそうだ。何せ、マンションのくせに門番が立っているようなところである。さらに、その近くにある、ストロベリー・フィールズの記念碑を見る。真ん中に“IMAGINE”と銘打たれた円形の記念碑のまわりには、いくらかの花が備えられている。その側で、若いストリートミュージシャンが、ビートルズの弾き語りをしていた。

その後…その後は…BOOK-OFFに行きました。すみません。

NY99.JPG - 844,817BYTES これがスター・オブ・インディアです。誰かわたしに買って下さいませんか…。


3月24日(水)晴
Hくんに、15ドルの独房宿を教えてあげるために、一緒にチャイナタウンに行く。わたしは女子で部屋を見られないので、「どんなんだか教えてねっ、ねっ」と目をキラキラさせて待っていた。部屋を見て戻って来たH君に「どうだった?」と尋ねると、「…かなりキツいね」と苦笑いしていた。でも、ここより安い宿はそうそう見つからないだろうから、しばらくは泊るようだ。

少しHくんのことを書いておくと、彼はもともとコロンビアを旅行していて、まだしばらくいるつもりだったのだが、そこで会った、NY在住の日本人女子と恋におち、勢いでニューヨークまで来てしまった、アツい男である。ところが、NYに来て1週間も経たないうちに、ナゼかふられてしまったという、可哀想な男でもある。
女子の家を追い出された彼は、現在、彼女の友達の家に居候しているのだが、さすがに長居するワケにもいかず、今すぐにでも住処を確保し、さらにお金もないので(コロンビア→NY間のエアチケットがかなり高かったらしい…つくづく気の毒だ)仕事も見つけなければならない、というせっぱつまった状況下にいるのであった。

仕事の方は、先日めでたく決まったようである。何の仕事かというと、日本人相手のキャバクラのボーイ(笑)。NYまで来て水商売とは、なかなか不思議な展開であるが、Hくんはノリもいいし、けっこう向いているんじゃないかと思う。

その後、チャイナタウンでご飯を食べ、ソーホーとかノリータの辺りを当てもなくぶらぶらする。いったんHくんと別れて、わたしと友人が行った先は…またしてもBOOK-OFFであった。わはは。友人は、村上春樹と村上龍の文庫本が1ドルコーナーに移動する日を待っているのである。ここのBOOK-OFFはわりと回転が速いので、毎日通っていれば、掘り出し物もけっこう見つかるのだ。しかし今日は、友人の求める本はなかった。閉店ギリギリまで立ち読みして帰る。

NY112.JPG - 40,439BYTES メトロ(地下鉄)構内でのストリート・パフォーマンス。黒人に混じって、日本人らしき女の子の姿が。


3月25日(木)晴
午前中は、遅起きしてだらだらと部屋で過ごしてしまった。
最近、日を追うごとに、起きる時間が遅くなってきている気が…。

午後から五番街へ行く。「紀伊国屋」と「ティファニー」。友人は、豆形のシルバーのネックレスを、妹のプレゼントに買っていた。
そのあと、タイムズスクエアへ。ピザチェーン「スバロー」でピザを食べる。1ピース4ドル近くする。高い。でも美味い。さらに、トイザラスをひやかす。
時間が余ったので、イーストビレッジへ行って、服屋を見て回る。
そして最後は、お決まりのBOOK-OFF参り。オナニーを覚えたサルのようなわたしたちである。。。

NY115.JPG - 55,178BYTES 「トイザラス」のディスプレー。

3月26日(金)晴
金曜日と云えば、美術館の入場料が寄付制になる日である。この日は、MOMAQUEENSとグッゲンハイム美術館のハシゴ。寄付制になるのはいずれも夕方からなので、けっこう大変だなア…と思いきや、あっさり周れた。予想に反して、2つとも、そんなに大きな美術館ではなかったのだ。MOMAQUEENSは、かのMOMAが現
在リニューアル中ということで、臨時的に移されたらしい美術館。ゆえに、大した規模ではないのである。

MOMAのコレクションには、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」、マティスの「ダンス」、シャガールの「私と村」などなど、よだれものの傑作が揃っているのだが、MOMAQにはいずれの絵もなかった。キュレーターに尋ねると、「今その辺の絵は、ドイツと日本に行ってるんだ」とのこと。ドイツは仕方ないとして、何ゆえ己の国へーーー!?ヤラレタ…。結局見たのは、ゴッホが1枚(郵便配達のオッサンの肖像画)、セザンヌが1枚、ロートレックが1枚、ルソーの「眠れるジプシー」、ピカソ、マティス、キリコ、マグリット各1枚、あとはウォーホルとかリキテンシュタインとかがちょろっとあるだけだった。これで通常料金の8.5ドル(学割)は高すぎる。1ドルだからまあいいかと思えるけど。
ちなみにここには、友人の好きなダリの「記憶の郷愁」とかいう絵もあるはずだったが、それもどこぞに貸し出しているらしい。またしてもダリに裏切られた友人は、本当に意気消沈していた。気の毒。

グッゲンハイム美術館。MOMAのリニューアルにともなってか、ニューヨークの現代美術館と云えば専らこちらになりつつあるようで、かなり楽しみにしていた。が、この日の特別展が、ミニマリスム展だか何だかで、白いカベに蛍光灯が貼り付けてあるだけとか、地面に鉄板が置いてあるだけとかの作品ばっかりで、あまり見ごたえがなかった。通常展示は、ピカソの絵が多かった。これはなかなか。でも、全体的にはちょっと期待外れだなあ…。

帰りはワインセラーで10ドルのワインを買って帰る。夕食は、ハーレムの中華のテイクアウト。しかし、部屋に帰ってご飯を食べると、2人ともぐったりしてしまい、ワインは空けないまま、朝まで眠りこけてしまった。

NY120.JPG - 30,180BYTES 好きなアーティストの1人、キリコの作品。ちょっと『キン肉マン』のペンタゴン(超人)っぽい。


3月27日(土)晴
ブルックリンに行く。ウティラ島で会ったニューヨーカーによると、昨今熱いのはブルックリンだという話なのである。ブルックリン、とひと口に云っても広いので、一番のお洒落スポットらしいベッドフォード・アベニューに向かう。
ここの古着屋で、15ドルのドレスシャツを買う。オリエンタルかつヒッピーな感じでなかなか可愛い(と自画自賛)。友人はやはり15ドルのリーバイスのジーンズを買っていた。その店は、古着好きの友人いわく、かなり質のいい古着が揃っているようだ。

その後、ニカラグアで会った同い年のニューヨーカー、R嬢の家を1人で訪問することにする。彼女はブルックリン在住なので、そのまま足を延ばす。
R嬢は、アパートを5人でシェアして暮らしている。みんな、同年代くらいの若い人ばかりだ。R嬢はデザインの仕事をしているというだけあって、部屋はチープシックなセンスのいい内装である。“NYの片隅で好きなことをしながら過ごしている若者たちの棲家”という感じで、何だかわくわくする。
このときは、1ヶ月前にマイアミから出てきたという兄ちゃんと、スパニッシュ系の顔立ちの女の子がいた(このコがまたお洒落さんだった)。しかし、相変わらずの英語コンプレックスに加え、全員ネイティブなので、何を喋っているのかさっぱり分からず、途方に暮れっぱなしである。R嬢は親切に、「部屋も空いてるから、よかったら泊ってって」と云ってくれたが、これ以上いると頭がパニックしそうだったので、大人しくハーレムの我が家に帰ることにした。情けない…。
帰って友人の顔を見たときは、心からホッとしてしまった。

NY136.JPG 倉庫を改造した、ブルックリンの古着屋(われわれが服を買ったところとは別)。


3月28日(日)晴
朝から教会のゴスペルを聞きに行く。何せ、せっかくハーレムに泊っているのだ。教会までは、歩いて5分少々。教会に入ると、真っ赤やショッキングピンクのスーツを着た黒人のオバサンたちがひときわ目を引く。唄う気マンマンという感じだ。ゴスペルは、お祈りと合わせて2時間以上あった。お祈りの間は退屈だったが、ゴスペルはさすがに迫力があって、思わず身体が震えた。

ゴスペルの続きで、ハーレムを散策。われわれの住処もハーレム内なのだが、中心地に行くのは初めてである。メインストリートは、「H&M」や「OLD NAVY」といったユニクロ系大量生産の洋服屋、バーガーキング、マクドナルドなどのファーストフード飲食店など、あたりさわりのない店ばかりが並んでいる。ヨーロッパ以来「H&M」ファンであるわたしは、何処にでもあると分かっていながら、「H&M」の店舗を見つけるとつい入ってしまう。ここハーレムの「H&M」では、下着のセットを買った。その辺の中途半端なお店で買うよりもずっと、可愛くて安いのだ。

昨日、R嬢宅に向かう途中、ソーホーの端あたりを通ったのだが、けっこういいお店が並んでいたので、午後からは、その辺を潰そうということになった。しかし、相変わらずモノが高く、手に入れたのはフライヤーのみ。。。虚しい。

夜は、H君と誘い合わせて、3人でジャズバーに行く。「歩き方」に載っている20軒近くの中からH君が「ここいいんじゃない?」と選んだ、「Arthur's Tavern」は、古きよきジャズバーという感じで、演奏しているジャズもスタンダードなものだった。ビールを飲みながらジャズの音に身をゆだねていると、難しいことなどどーでもよくって、ただほんわりと幸せだなあ、と思う。 それにしても、今日は音楽尽くしだったなあ。

NY147.JPG - 45,284BYTES 「Arthur's Tavern」

3月29日(月)晴
夕方から、エンパイヤ・ステートビルに上る。平日の夕方だが、ものすごい人数が並んでいる。ニューヨーカーはそんなに何度も上らない気がするので、ほとんどはツーリストだろう。われわれも、
11ドル払って行列に連なる。
ビルの内部は、さすがに老朽化しているというか、古ぼけた感じが否めない。ローカルな喩えをすると、大阪駅前第3ビルのようである。
途中、エレベーターの乗り換えがあって、72階だかその辺りで降りたのだが、ガラス越しに下を見ると、恐ろしいほど高いところにいることに気づく。

夕焼けと夜景はやはり、人気の時間帯なのだろう。最上階の展望台とみやげもの屋は、歩くのも困難なほど混雑している。びゅうびゅうと風が吹きさらす中、歯を食いしばって寒さを我慢し、辺りが夕暮れていくのをひたすら待つ。
大自然の中で見る夕陽も美しいけれど、こうした大都会で見る夕陽もまた、凄絶な美しさがあると思う。ハドソン川に沈んで行く太陽と、その反対側から迫ってくる闇のコントラスト、そして眼下に広がるビル群。闇が濃くなるごとにイルミネーションが増え、完全に空が暗くなった頃には、圧倒されるほどきらびやかな光の海になる。「これがニューヨークなんだ…」と、今さらながらその大都会ぶりに感嘆してしまう。

わたしは人の手で作られた風景が好きだ。自然の造形にはもちろん感動するが、ちっぽけな存在である人間が必死こいて作り上げたものには、刹那的な美を感じるのだ。
そう云えば、こんな風に大都会で夜景を見るのは、ずいぶん久しぶりだ。思い出すのは、エッフェル塔から見たパリの夜景である。あの美しさも相当なものだった。次にこのような夜景を見るのは、いつ、どこでだろうか?

NY161.JPG エンパイア・ステート・ビルからの夜景。


3月30日(火)晴
ニューヨーク最後の日である。
だからというわけでもないが、グランドst駅構内にある「オイスターバー」へ行く。友人が、「昔、テレビでNYの地下鉄の中にオイスターバーなるものがあるのを見たことがある」と、前々から云っていたのだが、場所が分からなかったのである。しかし、ガイドブックをよく読んでみたら、ちゃんと載っていた。有名な店なのだ。ともかく、カキ好きのわたしにはたまらん店である。高いのは承知の上である。いいんだ、最後だし(笑)。

その後、チャイナタウンへ。海外在住の友人は、日本食をおみやげに買い込んでいた。わたしも、中国製の「出前一丁」と「スッパイマン」を買っていく(…って、どういう取り合わせだよ?)。

イーストビレッジで、Hくんと待ち合わせ。先日発見した、寿司食べ放題のお店に行くのである。
お1人さま17ドル+TAX。この辺では格安の方である。アフロというかパンチパーマの日本人のおっちゃんがやっている店で、チープな内装が何だかいい感じ。何でも、おっちゃんの趣味が切り絵らしく、店内のいたるところに切り絵細工が掛けてある。
食べ放題だし、味はそれほど期待していなかったのだが、これが意外と美味しかった。ニューヨーク最後の晩餐としては、申し分ない。ていうか、今日はかなり贅沢してないかわたしたち?

夕方、ホイットニー美術館に行く。展示を見に行ったわけではなく、前に来たとき目をつけていた画集を買いに来たのである。ところが、運悪く今日は休館日。とは云え、スペシャルイベントが開催されるので、それなら本屋くらい入れてくれても…と思って頼んだのだが、まったく相手にされなかった。クソっ。もう少し融通ってものをきかせてくれたっていいのにさ。
ちなみに、このイベントは、わたしの好きなアーティスト、エリザベス・ペイトンがゲストで、「何という幸運!」と思ったのも束の間、よく考えたら、今晩空港に行くことになっているので、これからパッキングとなると…時間が惜しくも足りない。まあどうせ、英語は聞き取れないだろうし、まいっか…と自分に云い聞かせてあきらめた。

友人は、ニューアーク空港へ。わたしは、JFK空港へ。
本当は、わたしのフライトは朝8時だったので、早朝出てもよかったのだが、早朝のハーレムなど怖くて1人で歩けないので、朝5時発フライトの友人と一緒に、夜11時ごろハーレムを出た。その時間でも、かなり怖かったけど…。

友人と別れて1人、JFK空港に向かう。郊外へ行くにつれ、景色が寂しくなっていく。東京や大阪の郊外の風景に、とてもよく似ていると思った。友人と別れた寂しさと相まって、しばし感傷的な気分に襲われた。
また1人になった。そして、長く親しんだアメリカ大陸を離れて、1年以上ぶりのユーラシア大陸へ戻るのだ。すべてが新しく、がらりと変わるだろう。
旅立ちのときは、いつだって身を切られるような思いがする。寺山修司が、「旅とは、風景を切り捨てていくこと」と書いていたけれど、本当にその通りだと思う。きっと人生だって、同じことだ。ただ、旅はそのスパンがあまりにも短いから、“切り捨てていく”作業がいちいち身に応えるのかも知れないな…。

…そんな感傷に浸りながら、人っ子1人居ないホームで、JFK行きのシャトルをぼんやり待っていたのだった。

NY151.JPG - 39,558BYTES 久しぶりの生ガキ!あっと云う間に食べてしまいました。これで○十ドル…夢マボロシのようだ…。


…てな感じで、2週間のニューヨーク旅行は終わりました。
読み返してみると、可もなく不可もない、平凡な観光旅行という感じですね。一体どの辺が、“愛と哀しみ”なのか?と云われそうですが、まあ、深くはつっこまないで下さい(笑)。

でも、主だった美術館、観光スポットはひととおり押さえられたので、8割方満足はしています。ま、初めてのニューヨークはこんなもんでしょう。
汚点と云えば、ニューヨークの最大の楽しみのひとつ、きらびやかなナイトスポットにまったく足を運ばなかったことでしょうか(ジャズバーには行ったけどさ)。
ブロードウェイも見ていない、ライブもクラブも行ってない…。
ナイトライフを完全に逃しているのは、かなり片手落ちなNY観光と云わざるをえませんが、まあ、お金ないから仕方ないよねえ。

で、ニューヨークで一番多く行った場所というのが、日記を読んでいただければ分かるように、「BOOK-OFF」…かなり情けないというか、死んでしまえおマエは!というか…(苦笑)。“長旅ゆえのビョーキ”ということで、ご容赦下さい…。

そうそう、来る前までは、“NYは世界一おもしろい街”という思い込みがあったんですが、実際に来てみたら、「東京の方がおもしろくない?」という印象でした。一番顕著なのはショッピングに関して。5番街あたりの高級ブティック街はともかくとしても、東京の方が絶対、お店の数もバリエーションも多いと思うんですよ…って、わたしは東京在住じゃないから、そんなに詳しいわけではないけれども。少なくとも、「うーん、さすがはNY、東京はまだまだ遅れてるわ」と思うような、超イケてるお店とかはなかった気がします。

そういうわけで、ニューヨークは、期待していた以上の街では(でも期待値は満たしてくれましたよ)なかったのですが、離れてみて思い出すニューヨークというのは、何だかこう、ある種の切なさを伴う街、だったりします。
特に、到着した日の吹雪のニューヨーク、出発の夜の霧雨のニューヨーク・・・の風景を思い出すと、泣きたくなるような、心臓をぎゅっと掴まれたような、そんな気持ちになるのです。あの街には多分、訪れた無数の人々の思いが深くしみこんでいて、それが建物や街のいたるところから漂ってくるのかも知れません。
陳腐な云い方をすれば、都会に特有の哀愁が、ありありと感じられる街なんですよね。それは、東京にも云えることなんですが。

最後に、アメリカ旅行の総評(なのか?)を。
とにかくお金がぶっ飛んでいったなあ…というのが、真っ先に思いつく感想ですね(笑)。しかしまあ、その話はしつこくやっているので置いておきましょう。
お金の面以外でも、アメリカを避けるパッカーは少なくありません。わたしも、「行けたら行ってもいいけれど、別にどっちでもいっか」と思っていました。

アメリカには歴史も文化もない(或いは浅い)、とはよく云われることだけれども、戦後日本はアメリカの影響を相当受けているワケで、わたしも、アメリカに来て、自分の中にあるアメリカ文化の影響というものを、改めて痛感したのでした。
それを、ひと言で云い表すならば、“わたしは
つくづく、マテリアルガールなんだなあ”ということです。
世界一の国とか云って威張ってんじゃねーよ!と普段は思いつつも、いざアメリカに来てみて、物質の豊富さに目がくらみ、無意識に胸をときめかせている自分に気づく瞬間が、どれだけあったことか。
キラキラしているもの、楽しそうなものがいっぱいあるなあ…って、気がつくと、何処かのお店にふらふらと入っている自分。そういうものが大好きな自分…。
アメリカ的なポップさ(というかキッチュさ?)が好きだし、親しみもあるんですね、多分。その辺は、写真館を見ていただけるとより理解しやすいかと思います。ああいうのが好きなんですよ。“人工着色料色の文化”とでも云うのかしら(笑)。巨大スーパーやドラッグストアに入って、あふれんばかりの物質に囲まれていると、思わず恍惚としてしまう。スーパーの起源が何処にあるのかは知りませんが、アメリカの文化というのは、巨大スーパーに象徴されている気がします。よくも悪くも。

…んー、何だかとりとめがなくなってきましたが、云いたかったのは、アメリカという成り上がり国にも文化ってものはあって、それは色んなところに影響を与えているんだなあ、ってことです。
文化ってのは何も、古ければいい、深ければいい、というものでもないんですよね。安い文化、ちゃちな文化だってあるだろうし、それはそれとしてやはりある種の“文化”なんだよね。どっちがエライってもんでもなくて。
わりと多くのパッカーが、「アメリカにはまったく興味がない」と云うのだけれども、何でかなあ?と思いますね。確かに、古いものや歴史を感じさせるものはほとんどない国ですが、あの巨大なる物質文化は、一見の価値があると思うんですけどねー。そういうものに、多くの人が少なからぬ影響を受けているでしょうし。

アメリカ政府、そしてアメリカという国が持つ傲慢さには鼻持ちならないものがあるけれども(例:アメリカ人は他の先進国に比べて海外旅行をする割合が低い。自分の国が一番だと思っているので、格下である他の国々には興味がないというわけ)、多くのパッカーが云うように「行かなくてもいい国」「何も学ぶべきところのない国」だとは、少なくともわたしは思いませんでした。何かしら得るものはあると思います。メトロポリタン美術館の膨大かつ優れたコレクションが、金にあかせた結果だとは云ったって、すごい美術館であることには変わりないんだし。
まっ、世界一の国かどうかってのは疑問ですけどねー。

まただらだらとくだらないタワゴトを繰り広げてしまいました(せっかく日記形式にしたのに…)。キリがなくなりそうなので、この辺で終わっておきます。

(2004年3月)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system