| |||
**愛と哀しみのニューヨーク滞在日記** | |||
もともと大して来る気なぞなかったアメリカですが、ニューヨークだけは、ずっと行ってみたかった。 当てにしていたユースホステルは聞いていたよりもずっと高い値段で、しかも1泊しかできないと云われ、そこの紹介でほかのホステルに行ったらまた満室。そのホステルの別館のようなものが、マンハッタン島の端っこの方にあり、そこまで、例のクソ重い荷物を持って移動…こんなに長時間、バックパックを担いで歩かされたのは久々です。寒さが本気で身に沁みました。 ニューヨークは、珍しく1人旅ではなく、友人と一緒の旅行です(しかし、初日のホテル探しは1人だったのだよ…つらかった…)。 ちょうどその頃、今回旅をともにすることになった友人が、やはり「ニューヨークに行きたい。出来れば長めに」というので、それなら一緒に部屋を借りてシェアすれば、最も懸案である宿代がかなり節約できるのでは、と提案し、友人の賛同を得て今回のNY行きは決まったのでした。 当初は、最低1ヶ月はニューヨークにいるつもりで、「1ヶ月もいれば立派なニューヨーカーだぜ」とウキウキしていたのですが(典型的イナカ者)、土壇場になって友人が、何を思ったか2週間FIXの航空チケットを取ったことが判明。おかげで、1ヶ月部屋借りる計画=ニューヨーカーになる計画は見事につぶれ、単なる観光旅行となってしまったのでした…ぺっ(←唾吐いた)。 今回は、特に思うところがあるわけでもないのですが、日記形式で書いてみたいと思います。 3月16日(火)雪 仕方なく、そこの紹介で別の、もう少し安いホステルに行ってみるが、そこも満室。聞いてはいたが、この時期は旅行者が多いらしく、どこもこんな感じらしい。「このクソ寒いニューヨークで、早くも路頭に迷うのか…」と途方に暮れるが、そのホステルには別館があるというので、そちらにベッドを確保してもらう。ホステルがあるのはマンハッタン島の北の端っこで、メトロを降りてみると、店もロクにないような場所であった。でも、この際贅沢は云っていられない。 宿を確保したあとは、イースト・ビレッジへ。日本人マーケットで、安い部屋を探すのだ。とは云っても、2週間という中途半端な期間で部屋を貸してくれる人はなかなかいない。2、3件、目ぼしいのを見つけて、連絡先をメモっておく。どちらにしろ、友人が来てからの話だし。 ホステルに戻る気がしなくて、日本人マーケットで場所を聞いた「BOOK-OFF」に行ってみる。BOOK-OFFてのは、ご存知日本の古本屋チェーンのことである。ここNYにもあるのだ。LAでもSAでも、「紀伊国屋」で日本語の本を読み漁っていたが、高いのでほとんど何も買えなかった。BOOK-OFFならその点、100円コーナーならぬ1ドルコーナーがあり、手軽に日本語の本が手に入ってしまうのだ。これまで慢性的に活字に飢えていたわたしにとっては、オアシスのような場所である(笑)。早速、中村うさぎと姫野カオルコの文庫本を買って帰る。 雪降るイーストビレッジの街角。 3月17日(水)雪 とりあえず、吉野家の牛丼を食べる。日本ではちょうど、吉牛が牛丼を廃止した折だったので、美味しさもひとしおである(まー日本にいた頃もほとんど食べてなかったけど…)。ちなみに、牛丼は税込みで約4ドル。ほかには鶏丼、ベジタブル丼、コンビ丼もあった。 そのあと、イースト・ビレッジのマーケットで再び部屋を探し、さらに友人の希望でBOOK-OFFへ。友人も長く日本を離れているので、日本人マーケットの品揃えやBOOK-OFFにずらりと並んだ日本語書籍に大いに感動していた。 なかなか雪がやまないので億劫になりつつ、有名な五番街を歩きに行く。高級ブティックもがんがん並んでいるが、「H&M」とか「GAP」といった量販店系のお店もフツーに並列している。友人が、妹の誕生日に「ティファニー」のアクセサリーを買うというので、それにつきあう。NYのティファニーと云えば、映画『ティファニーで朝食を』の舞台である…とか云いつつ、わたしも友人も映画は見ていないのであったが、お店の前には古風な制服を着たガードマンが立っていて、老舗の風格を感じさせる。 夜、マクドナルドで話しているうちに、ケンカになる。はっきり云って、友人が悪いと思うのだが、拗ねてしまってひと言も喋らない。そんなに話したくなければ話さなくてけっこう、とこちらも開き直り、マクドを出てからも友人を無視してスタスタとメトロの駅に向かったのだが…気がつくと、友人の姿が見えなくなっている。てっきり付いて来ていると思っていたのに…ていうか、やつはホステルの場所を覚えているのだろーか??? しばらくメトロの入り口で待ってみるが、現れない。マクドナルドまで引き返してみるが、道中にもやはりいない。一体何処へ行ったのだろう?もしかすると、こっちに知り合いがいると云っていたから、そっちに行ったのかも…。仕方ないので、とりあえずホステルに帰ることにする。ホステルに戻っている可能性だって、無きにしもあらずなのだ。と云うより、わたしに出来ることは、それしかない。 祈るような気持ちでメールを開くと、友人からメールが来ていた。「ホテルの駅の名前も覚えてないので、何処に行ったらいいか分からん。とりあえず、今はタイムズスクエアのネット屋にいる」。わたしは、友人にムカついていたことも忘れ、「すぐに迎えに行くから」と返信し、一目散にタイムズスクエアに向かった。 ネット屋は、何故か警察によって封鎖されており(一時的にだが)、ドアの前で「友達が中にいるのよ!入れてよ!」わめき散らして何とか入った。友人は、捨て猫のようにコンピューターの前に座っていた。「いきなり(わたしを)見失って、自分が何処にいるのか分からなくなって、怖かった…」。そう云われると、とても申し訳ない気がしたが、よく考えたら、ことの発端はこいつなんじゃねーのか?…と思いつつ、とりあえず仲直りしてホテルに戻った。メトロ券を買っておいてよかった、としみじみ思った。 いかにもニューヨークらしい、ポップな内装のマクドナルド。ここでケンカが勃発した。。。 3月18日(木)晴 友人が「チャイナタウンに、めちゃくちゃ狭いけど1泊15ドルの宿がある」という情報をにわかに思い出し、とりあえずチャイナタウンに安宿を探しに行く。なかなか見つからなかったが、BRWAY沿いに数軒、いかにも安宿風のホテルを発見。部屋を見ると確かに狭い。シングルの部屋など、独房より狭い。しかも壁から床からベッドから、真っ白。まるで人体実験しそうな部屋だ。しかし、ダブルの方はまだしも人間的?な空間で、1泊40ドル(TAX込)と、ドミに泊るより、雀の涙ほどは安い。ちなみに、15ドルの宿は本当に存在したが、男性専用だった。 宿が確保できたので、精神的に余裕ができた。チャイナタウンで、安くて美味しいご飯を食べて、足取りも軽くなる。チャイナタウンと、隣接するリトルイタリーをさらっと歩く。 その後、セントラルパークまで足を延ばす。ニューヨークの象徴的な場所のひとつとも云えるセントラルパークだが、何しろ連日の降雪で雪がびっしり積もり、木々は全て枯れている。こんなところでくつろいでいる人間など、誰もいない。散歩すらしていない。何と寂しい光景…巨大なだけに、寂しさもひとしおである。とりあえず、記念写真だけ撮って、早々に立ち去る。 友人の、「アメリカでマクドナルドのセットを食べたい」という幼稚な野望(笑)を叶えるべく、その辺のマクドナルドに入る。ちなみに、昨日もタイムズスクエアのマクドに入ったが、食後だったため、ジュースだけしか飲まなかったのだ。せっかくニューヨークに来たのだから、何かそれらしいことをしたいのだが、あまりに寒いため、足が向くところ=暖かい場所、と、ついなってしまう。寒さは旅行の大敵ナリ。マクドナルドは、ジュースの大きさ以外は、日本とも他の国とも、特に差はない。久々にフィレオフィッシュを食べてみたら、懐かしい味がした。 チャイナタウンに押されがちで、今いち地味なリトルイタリー。 3月19日(金)晴 チャイナタウンからそう離れていない、ソーホーへ行く。ソーホーと云えば、わたしの中ではNYのおしゃれ発信地というイメージなので、かなり楽しみにしていた。確かに、ステキなお店がいくつもあったが、LAのメルローズのように、どどーんと並んでいるワケではなく、あのときほどの感動はなかった。しかも、聞いたところによると、最近ではSOHOには高いブティックが入り込んできて、昔のような、いわゆる“ビンボーな若者向けのエリア”“ビンボーなアーティストたちの溜まり場”ではなくなりつつあるとか。ちなみに、若者向けのお店でも、値段はさすがにニューヨーク、靴下ひとつ買えそうにない。 そのあと、チェルシーに行ってみることに。チェルシーは、イケてるギャラリーが立ち並ぶ区域というふれこみだったが、うらぶれた雰囲気の倉庫街だった。結局見つけたのは2軒だけであった(しかし、あとで聞いたところ、やはりいろいろといいギャラリーはあったようだ)。 夜は、ホイットニー美術館に行く。現代アート専門の美術館である。金曜夜8時からは寄付制になるので、この日を狙ったのである。とりあえず1ドル払って入る。ジョージア・オキーフやエドワード・ホッパーなど、20世紀アメリカの現代アート作品が目玉なのだが、常設展は何故か閉鎖されており、特別展がほとんどのフロアを占めていた。ちょっと裏切られた気分になったが、この特別展は意外といい拾い物だった。現在活躍しているアーティストの作品ばかりで、作品数もかなり多く、わたしがヨーロッパあたりで見てきた作家のものもけっこう見かけた。中でも、イギリスで知って以来注目している、エリザベス・ペイトンの作品が見られたのは嬉しかった。あと、草間弥生の”光の部屋”(?タイトル忘れた)もあり、人気を博していた。 SOHOはこんな感じ。 3月20日(土)晴 途中、かなり大規模なデモを見る。おそらくスローガンは“戦争反対、ブッシュ反対”みたいなところだろう。アメリカにもこういう動きがあるのだなあ、と意外な思いがする。 そのあとは、ユニオンスクエアあたりの古着屋を物色して歩く。残念ながら、それほど目ぼしいものは見つからず。天下のニューヨークと云えども、ブティックのレベルは東京の方が高いんじゃないかと思ったりする。 その後、BOOK-OFFへ。どうも、時間が空くとBOOK-OFFに行くクセがつきつつある…いかんなあ…。 フリマで見つけたゴルビー(ゴルバチョフ)指人形。 3月21日(日)晴 その後、メトロポリタンと共通券になっているクロイスター美術館に行く。ここは、中世的な宗教画をメインにした美術館で、友人はまったく興味がなさそうだったが、2人とも貧乏性なのでとりあえず行ったのである。マンハッタン島の最北部にあり、しかもバスでしか行けないという不便な場所であった。古い城をそのまま使ったような建物は雰囲気があってなかなかよかった。それに、宗教画は退屈だという人が多いけれど、わたしはけっこう好きなのだ。メトロポリタンでの鑑賞の影響もあり、にわかに中世に興味が湧いてくる。 その後、またしてもBOOK-OFFに行ったところ、友人の友人、Hくんに偶然出会う。お互いNYに来ていることは知っていたらしいのだが、まさかこんなところで出くわすとは…とかなり驚いていた。再会を祝して、イースト・ビレッジの大衆居酒屋「ケンカ」で激しく飲み食いする。友人は、何故か気が大きくなっており、「ここの支払いは全部持つ」などと云い出し、おいおい大丈夫かよ?と思いつつも、わたしとHくんはしっかりゴチになった。久々に、もずくやらカキやらを食べ、チューハイを飲み、幸せいっぱいであった。 メトロポリタンの極私的ナンバー1、ティファニーのアクセサリー。ムーンストーンとサファイアをふんだんに使ったネックレス。美しい! 3月22日(月)晴 その前に、ワールドトレードセンター跡を見に行く。現在は”グラウンドゼロ”と呼ばれているこの場所は、ナイロンの網にぐるりと囲まれ、ぱっと見には普通の工事現場のようにしか見えない。あの陰惨な事件を想起させるものは何もない。それこそ、拍子抜けするほどに…。それでも、立っていると、静かに涙がこみ上げてくる。哀しいのか、痛いのか、分からないけれども、何かが心を刺す。冬のニューヨークの冷たい風のせいだろうか。 今日は本当に寒い。風が身体に突き刺さってくるような感じ。しかし頑張ってウォール街を歩き、自由の女神を目指す。世界経済の中心とも云えるウォール街は、予想外に小さく、「こんな狭いエリアが世界を牛耳っているのかよ!」と、軽く憤りすら覚える。 マンハッタン島から臨む女神はあまりに小さく、これじゃあ見たことにならんだろーと思い、大枚10ドルをはたいて女神の立つリバティ島へ船で向かう。 その後、エリス島なども周遊したが、寒いので観光するモチベーションが上がらず、何を見たのかも全く覚えていない。多分何も見なかったのだろう…。 ワールドトレードセンター跡地。 …ざっと、このような感じで前半1週間は過ぎて行きました。 食事は、大体チャイナタウンか、ファーストフードでしたね。 ニューヨークに来たら、ちょっとくらい買い物を楽しもうと思って、ロス、サンフランシスコでずいぶん我慢していたんですが、意外とそんなに心惹かれるものがなかったですね。 物価の高さには、だんだん慣れてきました。少なくとも、アメリカ入国当初ほど、いちいち驚いたりはしなくなりました(笑)。 …というわけで、日記は次回に続きます。 (2004年3月) | |||
画面TOP/INDEX/HOME | |||