旅先風信108「パナマ・アメリカ」


先風信 vol.108

 


 

**パナマ出国からアメリカ入国までのありえない話**

 

…何でわたし、こんなところにいるんだろー?????????????
(ホテル「エル・パナマ」の一室にて)

3月6日。いよいよ、アメリカ行きの日がやって来ました。
トップページにも書いたように、わたしは、アメリカ入国に際して、不安で不安でいっぱいでした。
新しい国に行くのに、今だかつて、これほど緊張したことはありません。

2001年のテロ以降、アメリカの入国は厳しくなっています。
そりゃまあ当然なんですが、テロとは何の関係もないはずのバックパッカーの間でも、アメリカは、イギリスと並んで入国の難しい国として名を馳せているのです。
とにかく、出国チケットを持っていることが絶対条件で、南米→中米→北米という、これまでの王道陸路コースが困難になっているのだそう。つまり、メキシコからアメリカに、バスで、かつ片道で入ることはおそらく不可能だというのです。メキシコに飛ばなければ、わたしもこのコースを取っていたでしょうから、ひとごとではなかったわけですね。

アメリカ入国に関するさまざまなエピソード。
サルバドールで会ったY嬢は、ワーキングホリデーでカナダで働いた後、カリブ海の島々と南米をめぐる旅行を始めたのですが、プエルトリコ(アメリカ領)入島に際してアメリカのビザが要るというので大使館に取りに行ったところ、「あんた、カナダでウェイトレスしてたってことは、アメリカでも働く気だろ」という理由でビザが却下され、しかも”ビザがキャンセルされた”という証拠のスタンプまでデカデカと押されてしまったらしい(おいらのニカラグア出入国みたいだな)。それで結局、プエルトリコには行けなかったのだそう。

さらに彼女から聞いた話。
とあるアラブ系の旅行者が、トランジットのためアメリカの空港に降りたところ、おそらくアラブ人だからってことで疑われ即行別室行き。飛行機の出発を過ぎても部屋から出してくれず、しかも飛行機代はもちろん返ってくるわけなし。自分でまた帰りのチケットを買ったそうです。ひでえ話…。

また、『世界一周デート』の吉田夫婦は、ロンドン⇔サンフランシスコの往復を持って入ったのですが、パスポートをぱらぱらとめくってパキスタンビザのページにぶち当たった瞬間、イミグレ官の眉がピクリと動いたそうな。2人はパキスタンには入国していないのですが…。

…というわけで、わたしは、アメリカ入国にはかなり不安を抱いているのです。
往復チケットこそ持っているものの、わたしのパスポートには、シリア、ヨルダン、レバノン、スーダン、エジプト…etcと、イスラム圏スタンプがまるでコレクションのように並んでおり、これらがイミグレ官の神経を逆撫でするのではないでしょうか?(ああ、イラクのスタンプがないのが不幸中の幸い

それに、往復チケットを持っているとは云え、それがパナマ往復ってのも何となくヘンだし、何よりヘンなのは2年も日本を出たっきりで旅してるってことだろう(笑)。そろそろこいつ、金もなくなってきてるだろうし(それは事実)、アメリカで不法労働しようなんて考えてるんじゃねえのか、と思われてもおかしくない。

しかし、朗報もありました。
アンティグアで会ったTくんが、不可能と云われていた片道陸路入国を見事果たし、そのままカナダまで突っ切ったという話なのです。
やはり、1年も旅に出ていることなどは怪しまれたようですが、イミグレ官も少々バカだったらしく(何故か半年と勘違いしてくれたらしい)、うまいこと質問の数々を交わして切り抜けたそう。
「とにかく、笑顔と愛嬌だけは忘れずにね!」とメールには書いてありました。

パナマ出発は午後7時15分。
それまでは、またしてもたまってしまった荷物を送ったり(もちろん友人宅へ)、写真のデータを焼いたり、父親や祖父に電話したりして、慌しく時間が過ぎていきました。
ケチなのでタクシーではなく市バスを使って空港に行ったため、軽く渋滞に巻き込まれたりして少々焦りましたが、なんとか2時間前に到着。あとはチェックインして、出発を待つのみです。

PANAMACITY54.JPG - 54,973BYTES 中米名物チキンバス(よーするにボロバス)ともついにお別れ。

…まさかそこから、あのよーなワケの分からない展開になるとは、誰が予想しえたでしょうか???

ことは、チェックインの際に、アメリカ・ロサンジェルス空港の空港税を払えと云われたことから始まります。
てっきりチケットに含まれているものとばかり思っていたので、「は?ウソでしょ?」と、思わずハニワになってしまいました。しかも、その額が何と50ドルというではないですか。50ドルって!おい!関西空港の2600円(あれ、これってもう廃止になったのかな)より高いじゃねーか!そんな高い空港税、聞いたこともないわ!一体どんな素晴らしい空港やねん!アメリカという国は、とことん人をナメているらしい。

…いや、その前に。そもそもチケットに含まれていないというのが問題ではないのか?
わたしは、旅行会社でちゃんと聞いたはずなのです。そして、相手は確かに「全部込み」だと云ったはずなのです。いくらわたしの英語がつたないと云っても、そんな大事なことを聞き漏らすワケがないし、確認したのも1度2度ではないのです。

しかし、チケットには何も、そのことを裏付ける記述はありませんでした。
チケットまでしっかり見なかったわたしのミスでもあるけれど、やっぱ悪いのはあの旅行会社だ!うう、許せない…この期に及んで50ドルもの大金…ビタ一文払いたくない。

カウンターでそのことを話すも、航空会社にしてみれば「ウチはカンケーありませんから」ってなもんです。
とにかく払わないとアメリカには入国できない。でも、でも払いたくないよー…。
カウンターの女性は、「クレジットカードでも払えますよ♪」などとトンチンカンなことを云ってくるので、だんだん腹が立ってきて、しつこくごねていると、「列が並んでますから」と追い払われてしまいました。

…とりあえず、どうしたものか。
いや、どうしたもこうしたも、払わないといけないんですが、あまりに理不尽な出費に「はいそーですか、では払いませう」と引き下がるのが悔しく、一大決心でもしないと払えないくらいの心境になっていました。ごねてどうなるものでもなさそうなことは分かっていましたが、とにかく、深呼吸して、気合のひとつも入れないと、払う気になれない…。
そもそも、何ゆえわたしはこんな大金を払ってまでアメリカに行くのか?そうだ、ニューヨークで人と待ち合わせしているんだ。でも、その待ち合わせが、そんなに重要なことか?そのために、こんな苦労して(?)、何だかバカみたいじゃないか?

涙をにじませながら悶々としていると、コパAIRの職員の男が、「おい君、アメリカに行くのか?行かないのか?」と話し掛けてきました。
少々高圧的とも取れるその云い方に、わたしはムカッときました。「何でそんなことを聞くんですか?」とにらみ返してやると、「50ドル払わないつもりなら、君はアメリカには行けない。よく考えることだ」と、まるで刑事か何かのようにエラソーに最後通告?しやがるのです。悔しい、悔しい、悔しいーーーっっっ!!!

…悔しさは収まりそうにないけれど、もはや仕方ない。払う意を決して、もう1度列に並び直しました。
すると、先ほどのエラソーな男が、
カタコトの日本語で、「オカバンハ?」と声をかけてきます。「お鞄は?」と云っているのは分かっているのですが、わたしの腹の虫はまだ収まっておらず、媚びるように日本語で話し掛けられたことに、無性に腹が立ってしまいました。わたしはとっさに、そいつの日本語が分からないフリをしました。
すると、今度は「日本語は話せるか?」と尋ねてきました。当たり前だ!もちろん
話せるに決まっているではないか。…が、しかし、わたしの腹の虫が、そこでにわかに騒ぎ出しました。
”コイツムカツク、コンランサセテヤレ…。”(←宇宙人?)

わたしは「話せない」と答えました。からかってやるつもりだったのだと思います。多分。
「話せない?」コパAIRの男は、明らかに不審げな表情で訊き返してきました。
「話せない」わたしはもう一度はっきりと答えました。
そのやりとりが3往復くらいしたのち、男はにわかに表情を変え、ちょっと待ってろ、と云い置いてどこぞに消えて行きました。何だ何だ、と思っていると、間もなく男は見知らぬオヤジを引っ張ってきました。
…誰だこいつ???コパの制服は着ていないし、乗客でもなさそうだし…?

オヤジはわたしに向かって、いきなり「お前、何処から来たんだ?」と質問してきました。
私「日本です。はい、これパスポートね」
オ「日本の何処からだ?台湾か?(←おいおい…)」
私「台湾は中国でしょ!(←正確には違います)大阪です、大阪」
どうやらオヤジは、イミグレの係員のようでした。オヤジも、何で日本語が話せないんだ?と訝しげに尋ねてきますが、こちらももは、引っ込みがつかなくなっているので、無理矢理、日本語が話せないキャラを演じ続けました。

すると、オヤジはわたしの荷物を勝手に担ぎ上げ、ついて来い、と促して、あっという間にイミグレを通り抜けてしまいました。荷物もわたしもx線チェックを受けたことから、わたしはつい、「もしかして、イミグレ通過出来ちゃった?ごねたかいがあったのか?」と勘違いしてしまいました。もちろん、世の中というのは、そんな甘いものではなく、わたしが連れて行かれた先は、怖そうな別のオヤジが鎮座しているイミグレのオフィスだったのです。

わたしはどうやら、いや、間違いなく、日本人であることを疑われているのでした
そんな…つい出来心で、日本語が話せないって云っただけなのに…まさか国籍を疑われるなんて。ホンモノのパスポートだって持っているのに…ああ、そっか、これも偽造パスポートと思われてるってこと?
でもさあ、もしかしたら、日本語が話せない日本国籍の人だって、実際にいるかも知れないじゃん?(少ないだろーけど…)

ともかく、事態は予想以上に困った展開になってしまいました。
オヤジからの尋問に加え、英語の出来る係員がやって来て、「アメリカに何しに行くんだ?」だの、「お金はどうやって稼いでいるんだ?」だの、アメリカ入国の予行練習のような質問を次々浴びせられ、そうこうしているうちに、飛行機の出発が刻々と近づいて来ました。
「すみません、もう時間がないんですけど」と、大げさな身振り手振りを交えて“急いでいる”ことをアピールするのですが、相手は、まあまあ、ちょっと待ちなさい、大丈夫、ノープロブレム…と、はっきり云ってワザととしか思えないほどのらりくらりして、わたしを解放してくれません。

…やっとのことでイミグレを出たのは、離陸の15分前でした。
それでも、何とか間に合うのではないかと希望を捨てなかったことは、まったく意味がありませんでした。
乗客なんて1人も並んでいないコパAIRのチェックインカウンターに戻り、職員を捕まえてチケットを見せると、「君はもうこの飛行機には乗れない。明日の便になるが、その場合は、100ドルの変更料がかかる」とのたまうではありませんかっ!
おいこら!お前らのしょーもない疑いのせいで(いや、発端はわたしだけどさ…)乗り遅れたっちゅーのに、さらに100ドル払えやと!?そんなアホな話があるかいっ!
これまで、とりあえずブチ切れることは避けてきました。ブチ切れても、どうにもならないんだから、と自分にいい聞かせ、イミグレでも大人しく、われながら偉くなったもんだと思うほどに大人しく振舞っていたのです。

しかし、ここで堪忍袋というやつが、切れてしまいました。
「あのなあっ!一体誰のせいで、ヒコーキに乗り遅れたと思ってんねん!こっちは、つまらん疑いをかけられたあげく、ヒコーキにも乗れず、さらには100ドル払えやとー!絶対、絶対払わへんーーーっ!!!」
わたしは、オモチャを買ってもらえない5歳児のように暴れ倒してやりました。だって、このままはいそーですかと引き下がったら、本当にバカみたいじゃないか!わたしの身と財布を守るのは、わたししかいないんだ。

その後。わたしは、コパAIRのオフィスに連れて行かれ、ここで、この件に関わった職員と話すべく、1時間ほど待たされることになりました。
今日のフライトでは確実に飛べなくなった今、わたしに課された使命(?)は、今日のホテルと明日のフライトをきっちり確保すること。その際、絶対に自腹は切らないこと。

最初に現れたのは、チェックインの際に応対した女性でした。
女「何故あのとき、お金がないとウソをついたのですか?」
私「お金がないと云ったのではありません。ただ、払いたくないと云っただけです」
女「クレジットカードもないと云っていましたよね?」
私「わたしはクレジットカードは極力使わないようにしているのです。怖いから」
女「では何故、あのとき急に泣き出したのですか?」
私「チケットに含まれているものとばかり思っていたTAXが含まれていないなんて、信じられなかったのです。わたしは、旅行会社で何度も確認したのです。それが、こんなことになっているなんて…と、すっかり混乱し、それで泣いてしまったのです」

…以上に関しては、まったくウソはありません。ま、多少の誇張はあるにしても(笑)。
とにかく、ここで負けては元も子もない。とにかく自分は正しいという姿勢を、(正しくなくとも)貫かなければ、自分の身は守れないのです。ていうかもともと自分のまいた種(苦笑)、自分できっちり刈り取らなければ…。
しかし空港税は、大人しく(しかし泣く泣く)支払うことにしました。こればかりはもはやどれだけごねても、どうしようもありません。金を持っていないのではないか?と疑われているらしいので、貴重品袋を全開にして見せてやりました。クレジットカードも偽造か何かと疑われたのか、奥の方に持っていかれ、取り調べを受けました(勝手に切ったりしてねーだろーな…)。
すったもんだの末、明日のフライトチケットは、何とか発券されました。これも、明日の同じ便になるか、まったく別の時間&別の経由の便になるかでけっこう揉め、結局前者の方になったんですが…あー、面倒くせー…。

女性はついに、「ごめんなさいね。わたしが悪かったわ」と謝罪の言葉を述べました。
謝られるとこっちも困ってしまいますが、「いえいえ、貴女のせいではありません。すべては旅行会社が悪いのです(こーゆーとき、自分が悪くても悪いと云ってしまったら終わりである)」と答え、束の間そこには和やかな空気が流れました。
ところが、これで終わりにはなりませんでした。「では、スーパーバイザーと話をして下さい」

次の敵は、スーパーバイザー=この事件の引き金を引いたコパ職員です。まあ云ってみれば、こいつがボスキャラか。
ボス「君はあのとき、確かに日本語が話せないと云ったはずだ」
私「違います。あなたの云っている日本語が分からないと云ったのです」
ボス「いや、そんなことはない。君は話せないと云ったんだ」
私「云ってません!」
…というやり取りが10分近く続き、やや形勢不利になりつつも、何とか自分の主張を押し通し
ました。ここまで来た以上は、何としても自らの牙城を守りきらなければならないのです。

その後、中国人のコパ職員を連れてきて、「こいつは日本語が話せるか?」と確かめたり(だから、中国と日本は違う国だっつーの)、会社の中の日本語を話せる人だかなんだかに電話をつながれ、「もしもし、こんにちは」「で、何話したらいいんですかね?」などという空しいやり取りをさせられたりもしました。
そして、やっとのことで日本人であることを納得していただけました。はあー…疲れたあー…。

しかし、これでわたしの勝利は確定しました。あれよあれよという間に、わたしの足と寝床は確保され、気がついたときには、「じゃ、このバウチャーをホテルのレセプションで見せて。明日の4時にはホテルに迎えの車が行くから」と早口で云われ、ホテルまでのプライベートタクシーが目の前に停まっていました。
慌しく車に乗り込んで、何気なくバウチャーを開いてみると…その瞬間、わたしは思わず生唾をゴクンと呑みましたよ。
だって、だって、ホテル名の欄には何と、
「エル・パナマ」
と書いてあったんですから!

エル・パナマ。それは、パナマシティで最高級を誇るホテルです。
新市街の中心地に、ランドマークの如くデカデカと存在し、わたしも、パナマシティに着いた日、市バスの運ちゃんに「とりあえずエル・パナマの辺りで降ろして下さい」と云った覚えがあります。
そんなエル・パナマに、このわたしがっ、宿泊できるというのかーーー!!!
神様、これは、戦ったご褒美なのですか?(←図々しいっつの)

タクシーに乗せられること40分、わたしは本当にエル・パナマに来てしまいました。
一発逆転とはまさに、このことを云うのではないでしょうか…。
エントランスに着くなり、ボーイがわたしの汚いバックパックとビニールバッグを運んでくれます。わたし、このホテルに最もふさわしくない客だよな…。

大体、こんないいホテルに泊ったことなんて、この旅行中はおろか、人生のうちで本当に数えるほどしかありません。
で、数えてみたら、多分これは2回目(即行数え終わったぜ)。1回目は、出版社に勤めていたとき。取材旅行でグアムに行くことになり、そのとき泊ったのがグアムヒルトンでした。さらに云うなら、あの取材も、コンチネンタル航空の主催だったんだよなあ…コンチネンタルとは何か縁があるのかわたし?

ボーイに案内され、部屋に入った瞬間、わたしは恍惚状態に陥ってしまいましたよ。
何だよ、このムダに広〜い部屋はーーー!(笑)
ベッドはでかい・豪華・ふかふか、テレビも電話も当然あり、バスタブ、タオル、それにアメニティキットまで付いてる!あああ、すげー!すげーよ!(←もはや意味不明)
今までわたしが泊っていたホテルは一体何なの?独房?(笑)
くっそー、こんなホテルに涼しい顔して泊っている奴らが、世の中にはちゃんといるんだよなー。

PANAMACITY55.JPG これが部屋。ベッドが恐ろしくふかふかざんす。

このバウチャーには、3食分のバイキングお食事券も含まれており、毎回、胃がちぎれそうなほどのごちそうをいただくことになりました。旅に出てからすっかり胃が縮小しているので、実際にはそんなに食べられなかったんですが…ああ、もっと食べたかった(セコい)。
しかし、少なくとも、このパナマ1週間の滞在で摂ったすべての栄養分以上のものを摂取したことは確かです(笑)。キャビア美味かったよー…。

どうせパナマは昨日出るつもりだったし、今日は日曜日。わざわざ今さら市内観光なんてするくらいなら、もう2度と泊れそうにない最高級ホテルのホテルライフを堪能した方がいいに決まってる。余計な金もかからないし。
というわけで、朝食をたらふく食べたあと、ゆっくり朝風呂を浴び、MTVを見ながら、パソコンをいじりながら、ひたすらベッドでごろごろする。本当は、プールで泳ぎたかったけれど、水着が乾かなくなっちゃうので泣く泣く断念しました。で、気がつくともう昼食の時間(笑)。またまた腹をパンパンにして、部屋でごろごろ。オマエは家畜か!?

そのように過ごしているうちに、空港までの送迎車(こんな待遇、生まれて初めてかも)がやって来ました。今日はもう、何も考えずにこのまま飛行機に乗るだけだ。はあーラクチンラクチン。
…と思ったら、チェックインの段になってまた、窓口の女性が「あなたのフライトは昨日で、今日にチェンジするなら罰金100ドルを払わないといけない」とか云い出し、あのですね、その話はすでにカタがついているんですよ、つまり…と、いちから説明し直さなくてはならず、あげく、パスポートに”こいつはプロブレム”みたいなメモをホッチキスで貼り付けられてしまいました。
「ちょっとっ、これ何ですか?」と問うと、気にしないで、ノープロブレムよ、と返って来るのですが…ホントかよ?

当然、イミグレを通る際、「ん?何だこの紙は?」と見咎められ、しばし列の外に出されて待たされましたが、特に尋問などはなく、やっとのことで、正式に(笑)パナマを出国することができました。
ああ、やっとこの忌まわしい空港ともおさらばだ…そう思って、飛行機に搭乗しようとしたところ、フライトアテンダントがわたしを手で制しました。「パスポートを寄越しなさい。これは、アメリカ着陸までこちらで預からせてもらう」
えええ?何だよそりゃ?この期に及んでまだそんなこと云うのかよ!?
…そして、わたしのパスポートは、フライトアテンダントに預けられたまま、飛行機は離陸しました。

7時間のフライトの間、不安と疲労のためか、ほとんど一睡も出来ず、考えることは暗い内容ばかり。
――戦い、戦いの連続。まるでドラクエだよ。少しは平穏無事に、旅が進まないものなのか。何のためにこんな、無駄な労力とストレスを払って、他人に迷惑かけてまで、旅をしているんだろう。
そう云えば、おとといネット屋に行ったら、叔母から叱責のメールが来ていたな。一体いつ帰って来るのかって。その後、父ちゃんに電話して、「ごめん。まだしばらく帰られへんけど…わたしの人生がかかってるから、もうちょっと待っててほしい」なんて、意味不明な弁解をしたけれど、本当は、別に人生なんてかかっちゃいないんだ。この旅はもちろん、わたしの人生だって、何の価値もありはしない。もう、このまま飛行機が落ちたって構わないくらいだ。痛いのはイヤだけど…。ああ、でも、とりあえず、父ちゃんのためには五体満足で帰らなきゃな…。
本当に、何もかも、バカみたいだ。何をやっているんだ、わたしは――。

…ロス着陸後、パスポートを要求すると、今度こそ大人しく返してくれるのかと思いきや、出口に待ち構えていたモンスター…もとい空港職員のオバハンにそれは手渡され、何とこのババアが「イミグレまで同行します」などと云いやがるではないですか。
ちょ、ちょっと待って。アンタが付いてきたら、いかにも「わたし怪しいですよー」と宣伝しているようではなくって?清廉潔白な身でイミグレとの最終決戦(?)に臨もうとしているのに 、アンタがいたら、すべて台無しじゃないですか!明らかに、コイツ何かあったんか?と思われるでしょーに?(事実だけどさ)
もうダメだ…これはきっと、尋問に次ぐ尋問→別室行き→徹夜で尋問&荷物検査コースになるに違いない。もはや今日は一睡もしない覚悟で臨まねば…。

わたしは、心臓をばくばくさせながら、しかし「絶対にキレちゃダメだ。冷静に、余計なことは喋らずに、このオバハンの云うことにだけ従うんだ」と自分にいい聞かせました。ここが正念場。今必要なのは羊のように素直な態度と平常心。大ボスとの戦いに向けて、化粧直しのひとつもしたいところでしたが、そんな猶予は与えられず、そのままイミグレ直行です。
わたしを連れたオバハンは、列を作るほかの乗客たちをよそに、柵をまたいでイミグレに入って行きました。何だかそれも、いかにもわたしが要注意人物みたいで、穴があったら入りたいとはまさにこのこと…とほほ。

そして、心の準備をする間もなく、大ボスとのご対面の時がやって来ました。
大ボス=イミグレ官は、何故か東洋系の人でした。愛想もへったくれもない、むっつりとした顔つきでわたしを一瞥すると、「君はビザを持っているのか?」
予想外の質問に一瞬戸惑いつつ、努めて冷静に「日本人はビザはいらないはずですが」と答えると、大ボスは、その通り、とうなづき、わたしのパスポートをぱらぱらとめくり始めました。今の質問は、何を試したのだろうか…?

シリアビザ、スーダンビザのページも特に気にしない様子で拍子抜けしていたら、何故かレバノンビザのところで、大ボスの手が止まり、
「レバノンには何をしに行ったのか?」と尋ねてきました。
「観光です」
「どのくらいいたんだ?」
「1週間くらいです」

大ボスはそれ以上のことは何も聞かず、今度は、「アメリカに来た目的は何だ?どのくらいいるつもりなのか」と、ごく基本的な質問をしてきました。
この1週間くらい、あれこれシミュレーションし、いろいろこざかしい答えを考えていましたが、とにかくここは、どんな問いに対しても、正直かつシンプルに答えるべきだと直感的に思いました。ほら、やっぱワシントンの国だしさ。
「観光です。1ヶ月くらい旅行するつもりです」

それについても、特に突っ込まれることはなく、次の質問に移りました。
「日本では何をしていたのか?」これも、フリーのライターだと云おうかと考えていたけれど、
「出版社で働いていました」と、素直に答えました。“何をしているか”ではなく、“何をしていたか”だったから、ウソをつく必要もなかったんですけどね。

次は何を聞かれるのやら…とあれこれ考えをめぐらせていましたが、あにはからんや、大ボスの攻撃(質問)は、そこで終わりました。
往復チケットの提示もなく、所持金を聞かれることもなく、日本を出て2年も経っていることについても、何ひとつ質問のないまま、大ボスは、3ヶ月有効の入国スタンプを、ぽんっとパスポートに押して、「行ってよし」。

…わたしはその瞬間、逆さに振ったコーラのように、気持ちがはじけそうでした。
蛭のようにくっついていたオバハンからもついに解放され、ラゲッジクレームへと荷物を取りに向かう間、空飛ぶ靴でも履いているみたいに足取りは軽く、会う人全員に「ハロー!」と云いたいような気分でした。
ついに、ついにアメリカに入国!ここまで本当に長くつらい(笑)道のりだったけれど、実に、あっけに取られるような、拍子抜けするような結末ではないか。
一瞬たりとも、愛想笑いを作る必要もなければ、こざかしいウソもいい訳も要らなかった。別室で荷物検査を受けることもなかった。
案ずるより産むが易し、ってやつか。とにかく、このゲームはクリアしたんだ。感動のエンディング、ってほどでもないけれど(笑)。

到着が夜11時だったので、その晩は空港で寝るつもりでした。
これも、「テロ以来、セキュリティが厳しくなっているから、追い出されるかも」という話でしたが、ベンチに座って書き物をしていたら、警備員のお兄さんの方から、「もう遅いし、もしそこで寝たいなら、寝ても大丈夫だよ。空港の中は安全だから。お腹がすいたんなら、2階に行けばレストランもあるよ」と声をかけてくれ、これまた拍子抜けしてしまいました。

フードコートの中のベンチに寝袋を広げて、長々と横になりながら、「アメリカは、けっこう寛大な国なのかも知れないな」と思いました。もともとアメリカなんてあまり好きじゃなかったし、別に来なくてもよかったのにと思っていたけれど、何かいいことがあるかも知れないな。小さな期待を抱きつつ、暖かい空港の中で、わたしはぐっすりと眠りについたのでした。

(…いやー、いつにも増してくどい内容になっちゃったな。すみません…)


(2004年3月8日 ロスアンジェルス)

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