旅先風信107「パナマ」


先風信 vol.107


**中米のゴール**

 

アメリカに行ったら、間違いなくシングルの部屋には泊れないので、今のうちに更新しときます(って、今もドミ泊なんだけどね)。

やっとパナマまで来ました。
南米大陸に比べたら盲腸のように小さい中米(メキシコ含むけどさ)に、4ヶ月以上もかかってしまいました。南米を、陸路で4ヶ月半で回ったことから考えると、時間がかかりすぎており、かなり反省しております。。。

コスタリカからパナマまでは、初めて国際バスを使いました。
これまではなるべくローカルバスを乗り継ぐようにしていたのですが、サンホセ→パナマシティ間は、国際バスの方が安く上がるという情報を聞いたので、そのように計らったわけです。
中米最後の国境、また何かあるんじゃねーかと思うでしょ?でも、そこは情報を仕入れており、ツーリストカード5ドルの支払いは前もって知っていたので、大人しく払いました。これは周りもみんな払っていたしね。しかし、追加で変な切手風シールを売りつけられ、これが1ドル。何だこりゃ???まーたナゾの支払いですか?!
ローカルバスなら、ごねる時間もたっぷりあったでしょうが(実際、ツーリストカードすらごねまくって払わなかった旅行者も、1人だけ知っている)、国際バスでは置いて行かれるリスクの方が高いため、さすがのわたしも羊のように大人しく6ドルを払いました。

パナマシティに着いたのは、まだ夜も明けきらない、午前5時過ぎでした。
(このとき、わたしはまだ、コスタリカとパナマでは1時間時差があるということを知らなかった)
「5時か…ある程度予想はしていたが…」
早すぎる。まだ外は真っ暗。こんな時間に、目指す宿が開いているとも思えない。とりあえず、降ろされた場所で待機することにしたのですが、これがいけなかった。

乗客は、あっという間にタクシーやら迎えの車やらに乗って、散らばっていきました。
あとに残ったのは、わたしと、ニカラグア人らしいおねーさんのみ…。そして、客にあぶれたのか、1人だけタクシーの運転手がいました。3人とも、完全に出遅れた感ありまくりです。
6時前になって外もやっと明るくなって、そろそろ行くかと腰を上げたところ、例のあぶれたタクシー運転手につかまりました。信じがたいほど腹の膨らんだタヌキのようなこの運転手、何となく信用ならない感じがしたのですが…。

わたしの目指す宿は、「ボイジャーインターナショナル」という名前のユースホステルです。
歩き方に書いてあるホテル情報を見せると、何と「このホテルはもうないぞ」という答えが。はあ?そんなことないだろ?これ最新のガイドブック(のコピー)だぜ?
何となく胡散臭い気がして、いいからとりあえずこの住所まで行ってよ、と車を走らせました。
そして15分くらいは走ったでしょうか、車は廃墟になりたてのような建物の前に止まり「ここだよ」とオッサン。
…確かに、ボイジャーと書いてある。てことはホントになくなっちゃったってこと?でも、コピーには「マンションの8階」って書いてあるんだけど、これ、どーーー見ても一戸建てじゃないスか?
「何か違うんですけど…もう1回ちゃんと住所見てよ」とゴネると、オッサンは「だから、見ての通りクローズしてるじゃないか!」と突っぱねるばかり。目の前にボイジャーの看板がある限り、わたしとしても分が弱いのですが、じゃあこのマンションの8階って情報は一体何?!

とりあえず、わたしの予算は1泊10ドルが限界です。
パナマのホテル代は高く、ドミトリーのあるボイジャーがかろうじて、1ベッド8ドルという値段設定。ドミで8ドルなんて、これまでの中米諸国では考えられません(あ、メキシコは除く)。
オッサンは、よくあるパターンとして「オレの知っている宿を紹介する」と云い出したので、わたしは10ドル以上は絶対出せませんからと断言。オッサンはそんな安い宿はないと云い、勝手に連れて行くホテルすべてが予算外。
ていうかどこ走ってんだよこれ…。パナマシティは治安がよろしくないと聞いているのに、地理の分かんないところを連れまわされ、わたしの不安と疲労は早くも限界に達しそうでました。

結局、水シャワーの狭いシングルに10ドルで手を打ったのですが、この後新市街に出たついでに、自力で歩き方の住所を辿ってみると…ボイジャー、ちゃんとマンションの8階にありましたから!!!
あンのたぬきオヤジめ…ふざけんなよ!無駄な出費と時間と苦労をさせやがってからに…。

…とこのように、いきなり出鼻をくじかれ、思いっきりシケた気分になっていたのですが、落ち込む間もなく、わたしにはやることがありました。
ニューヨーク行きエアチケットの手配です。
別に、いつ行ってもよさそうなものですが、向うで人と落ち合う約束があり、あまり自分勝手もできないのです。
ところが、チケットが予想以上に高い!
ニューヨークまで往復540ドル、しかもTAXは抜きでこの値段です。
パナマではドルが流通しているくらいだから、アメリカとの関係は深いはず。だからチケットも安いものと踏んでいたのですが…。

そのあとすぐ、今度はサンブラス諸島行きのエアチケットを予約しに行きました。あー、久々に仕事してるって感じがするね(笑)。
サンブラス諸島というのは、カリブ海に浮かぶ350の島々のこと。ここは、クナ族という少数民族が昔ながらの暮らしを営んでいる場所なのです。
特筆すべきは、クナ族の女性が作る「モラ」という美しいパッチワークの布。リアルタイム旅行記「三十路夫婦の世界放浪」の野村夫婦とアンティグアで再会したとき、この「モラ」の話題になったことがあり、旦那さま曰く「ヨーロッパでは、実質3ドルくらいのモラが、300ユーロくらいで売れるらしいよ」ということらしい。それを聞いてすっかり商売っ気を出していたわけです。よっしゃ、ニューヨークの路上でモラを売りさばくか、と(笑)。
しかしまあ、先にサンブラスに行った奥さまから、「古いモラで5ドル、新しいので10ドル、作りのいいものは15ドル」とメールで知らされ、こりゃ元手がかかりすぎる…と断念したのですけどね。
買い付けだけが目的なら、買い占めても損はしないかも知れないけれど、わたしはただの貧乏パッカーですから無理です。

SANBLAS74.JPG - 78,265BYTES これがモラ。ランチョンマットサイズが基本形。

さて、パナマシティは、これまで見てきた中米の首都の中で、最も栄えていると云っていいでしょう(メキシコシティを除いて)。
数字的には、サンホセの方が大都市らしいのですが、高層ビル群と云い、お洒落なブティックが並んでいることと云い、やたらとファーストフード店が充実していることと云い、さながら”プチ・アメリカ”といった雰囲気。しかも、通貨はドルだから、まんまアメリカと云ってもいい(笑)。
スーパーマーケットの品揃えも、ここまでの中米諸国とは段違いのレベルの高さ!久々にこういうキレイで充実した陳列を見ると、単純にうれしくなっちゃう。
これからアメリカに行く身としては、「ここでしばらく都会の空気というものに慣れていった方がいいかも知れない」なんて思います。

まあしかし、アメリカチックなのはセントロの辺りだけで、バスに乗って外を眺めていると「そうでもないか…」という感じなんですけどね(笑)。それに、この”バス”も、中米じゅうを走っているデコバス(チキンバス)だし。
カスコ・ビエホ(旧市街)へ向かって歩いていくと、中国製衣料がこれでもかとばかりに大量に売られた激安量販店が軒を連ね、中米というよりアジアの途上国の都市部のような、ごちゃごちゃした雰囲気。
そして、世界遺産でもあるカスコ・ビエホは、キューバのハバナ・ビエホを思わせるような、渋くてボロいコロニアル調の家々が並ぶエリア。わたし好みの、”腐りかけの果実”の如き味わいのある街並です。このカスコ・ビエホから海を挟んで見る、アメリカンな高層ビル群は、何とも不思議な眺めです。
実はこの辺も、中米の都市部だけあってけっこう危ないらしいんですけど、日中歩いている分には、何も不穏な空気は感じられませんでした。

PANAMACITY16.JPG - 33,871BYTES ちょっとした摩天楼。

ちなみに、ボイジャーでは、メキシコのグアナファトで会ったYくんと偶然の再会がありました。
「まだこんなところにいたの?どう考えても遅すぎるよね?」
確かに、こんな盲腸…いや十二指腸くらいはあるか?みたいなエリアに2ヶ月かかるとは、自分でも予想外だったさ…。
Yくんはこれからコロンビアに飛んで、南米を周るとのこと。これからアメリカに行くわたしとは一瞬の邂逅です。
宿の周りはあまり安い食堂がないので、自炊シェア飯などして、テラスでビールを飲みながら旅の話に花を咲かせました。長期の旅人とサシで話すなんてのもけっこう久々で、何だか妙に心に残る夜でした。

束の間の都会を楽しんだのち、いよいよサンブラス諸島へ。
パナマシティからサンブラス諸島までは、小型機で40分ほどです。
チェックインの際、何も考えずに荷物を全部預けたら、何と超過料金を6ドルもふんだくられ、出発早々超フキゲンに。たまたま近くにいた、こっちで働いているという日本人に通訳してもらって、何とか払わずに済まないものかとゴネてみたのですが、ビタ一文負からなかったわ…。
いくらわたしの荷物が多いと云ったって、超過料金を取られたのは初めてのことです。これ、実は帰りも取られたんだよなー…。それを見越して、手荷物を重くして、バックパックを軽くしてみたのだけれど、それでも2ドル50セント取られてしまいました。これも、見るからに重そうな手荷物を、係員に見つからないように隠して、何とかごまかした末のこと。多分、10キロオーバーしたらもうアウトっぽい。今後行かれる方はご参考に…。

空港のあるポルベリーニ島に着くと、客引きが待ち構えていました。
普段なら「ほっといてくれ」と思うところですが、ここのように宿泊施設が限られている場所にあっては、客引きにちゃんと捕まるのが得策。
パナマシティの宿で、「ホテル・サンブラスが15ドル、3食つきで泊れる」という張り紙を見てきたので、そこの客引きについて行くことにしました。

15ドルのプランというのは、おそらくサンブラス諸島の中では格安の部類に入るでしょう。
もう1軒、”8ドルでドミトリー、食事なし”という宿もあるらしいのですが、そもそもレストランのない島で食事なしは厳しいので、大人しく3食つき15ドルに泊まることに。
しかし、ほとんどのツーリストは、35ドルで3食+ボートトリップ付きのプランを選んでおり、15ドルで泊っていたのはわたしだけでした。
何が違うのか?と思ったら、食事のグレードが違ってた。しかも、食べる場所も別。わたしだけ、別の時間に別棟に運ばれてきて(病人かよ)、寂しく1人で食するのです。ほかのツーリストに「あなた、ご飯は食べたの?姿が見えないからどうしたのかと思ったわ」などと云われ、かくかくしかじか…と説明する悲しさと云ったら(涙)。でも背に腹は、いや、寂しさに金は変えられない。
あとは、ボートトリップ代が別、という点ですが、これも、午前、午後のトリップで各3ドルなので、合わせても最大消費21ドル。35−21=11ドルも1日で浮くわけです。11ドル浮けば、モラが1〜2枚は買えてしまうのです。
えらくケチな話ですみませんが、もう旅も後半戦真っ只中だし、これからアメリカだし、浮かせられる金は浮かさないとねえ…。

お昼からは、早速1発目のボートトリップに参加。
約350島からなるサンブラス諸島の、どこかの島(笑)に渡るのです。
これがですね……超、超、超〜〜〜怖かったのよ〜〜〜!!!(涙)マジで命の危険を感じたよ…。
小さなモーターボートで海を渡るんですけどね、ウガンダのラフティングの軽く20倍は怖かった…。だってラフティングは、一応安全が保障されていたもの。貴重品も身につけてないし。でも、このボートトリップって、すべてを持って来ているのよ!ああ、ホテルに置いとけばよかった…なんて嘆いても後の祭り。
何しろ、むちゃくちゃ揺れる上、波が今にもボート全部を飲み込んでしまいそうに高いのです。死なないまでも、ボートはいつ転覆してもおかしくなさそう。己は泳げば助かるかも知れませんが、カメラが!命の次の次の次の次くらいに大事なカメラが沈んでしまったらどどどどうしよう…沈まなくても間違いなく壊れるよ…。
「わたしはどうなってもいいから、カメラだけは助けて下さい」と、まるでわが子のために身を投げ出す母親のような気持ちで祈りながら、島に到着するまで、片時も心が休まりませんでした。
でも、近くに座っていたアメリカ人の女子2名はきゃっきゃ云って大喜びしてました。2人とも、わたしの2倍くらい体重がありそうなぷよぷよぶりで、「そりゃー君たちはボートが転覆しても浮いて来れるだろうねえ…」と、失礼なことを思ってしまった(笑)。体格が立派なせいか、奴らは肝も据わっている様子。さすが世界を牛耳るだけのことはある。

この日上陸したのは、ジェルバ島でした。
ホテルのあるナルネガ島も小さいけれど、この島は、ひと目で全貌が見渡せてしまうほど小さい(笑)。そして、そんな島に、たった1軒の家があり、1家族が生活しているのです。入島料がかかるということは、この島は、この家族の私有地だったりするのでしょうか?
それにしても、何とまあ、ミニマルな世界…。
わたしの住んでいる世界って、いったい何なんでしょうか。ムダに巨大で、星の数ほどの物質と情報があふれ、電気なしでは考えられない生活。コンピューターウイルスがオフィスのコンピューターを全て破壊してしまったら、すべての動きが止まってしまう世界って、何なんだろう?
ボートトリップで、溺れるんじゃないか、カメラが壊れるんじゃないかと心配しておびえるわたしは、何という弱い存在なのでしょうか。生物として強いのは、きっとここにいる人たちの方だろうと思えてなりません。

もっとシンプルな人間になりたいな。
いつも細かいことにイライラして、よくよく考えたらつまらないものを守ろうと必死になって、肝心なことは何も見えていない、そんな人間ではなくて、大事なものだけを大事にできる、そういうものにわたしはなりたい。

SANBLAS5.JPG - 22,196BYTES 世界の、誰も知らない場所に降り立つような。ジェルバ島。

翌日は悪天候のため、ボートトリップはなし。
ここ数日慌しかったこともあり、ちょうどよい安息日です。
ナルネガ島は、ぐるりと歩いても10分もかからないくらいの大きさなので、観光を兼ねてお散歩…なんて云ってもあっという間に終わってしまいますが、モラを物色したり(ときどき押し売りされたり)、宿の側の広場で村の若者たちとバレーボールをしたり(おお、珍しくちょっとウルルン)、ゆるゆると時を過ごしました。
わらぶきの簡素な家の軒先に、色鮮やかなモラが吊られているのを見ると、心が激しくときめきます。サイケデリックとすら云えるカラフルさといい、子供の絵のように素朴な図柄といい、何だかものすごく生命力が宿っているような、実に不思議な布。この素朴すぎる生活環境の中で、何故、どうやってこんな芸術(と云ってもいいでしょう)が生まれたのでしょうね?
惜しむらくは、もうちょっと安かったら…せめてパンツのように3枚1000円売りだったら、たくさん買えるのになあ…。

SANBLAS08.JPG - 59,933BYTES わらとモラとの絶妙なコントラスト(何気に韻も踏んでます)。

そんなモラは、本当はただの美しい布ではなく、あくまでもクナ族女性の衣装の一部としての役割を果たしているものなのですが、この衣装ってのもまた、えらくアバンギャルドというか、超個性的なんですよね。
まず頭に、赤地に黄色の模様が入った手ぬぐい風の布を巻き、上半身は、ふわふわした薄い生地のシャツ(袖は大きなパフスリーブ)、モラは2枚組みで使い、胸の下あたりの位置で、身体の表と裏に装着。云ってみれば帯みたいなもんでしょうか。下は、紺地に緑or黄色模様の布を、スカートのように巻き、足には色鮮やかなビーズのこてのようなものを着けて完成。うーん、だいぶ分かりにくい説明ですみません(苦笑)。
頭とスカートの布については、パナマシティの布問屋で普通に売られているので、特に伝統的なものなのかどうかは不明です。

PANAMACITY48.JPG - 59,515BYTES パナマシティのカスコビエホあたりにいる、出稼ぎクナ族。町なかでこの衣装を見るとすごく違和感が…。

そして最終日は、イグアナ島とかいうまたしても極小の島に渡ったのち、ナルネガ島からすぐ近くのヤントウプ島へ。
この島は、比較的大きな島で、クナ博物館なんてものがあるあたり(ってもわらぶきの小屋ですが)、サンブラス諸島の中心地なのかも知れません。
サンブラス諸島は、実は自治区になっており、
「われわれは独立しているのだ」
と島の人は少し誇らしげに云っていました。パナマとは違う、ここはわれわれの国なんだと。わたしの英語力でははっきり分からなかったけれど、多分、税金も納めてないみたい。違うのかな?
この島では、何とオカマのクナ人を見たのですが(見るからにオカマだったので笑ってしまった)、ガイドによれば「島の誰かがホモセクシュアルでも、誰も気にしない」とのことでした。昔ながらの生活を営んでいるのに、そういうところは先進国よりも開けていたりするのが面白いですね。
発展って一体何なのでしょうね。自分の育ってきた先進国って、何が”先進”なんだろう。

しかし、中米はどこもそうですが、やたらとグリンゴさん(アメリカ人、引いては白人全般)のグループが多いですね。
ここもアメリカ人客がほとんどで、あとは、英語のできる白人客。英語のできない東洋人客はわたしだけ。完全にマイノリティです。
しかも彼らは、長くても1ヶ月とかその辺の旅行なので、お金をたくさん持っており、島の高いビールをばんばん飲み、当然35ドルの全コミプランで優雅に宿泊しているのです。いや、優雅たって、寝るのは簡素なコテージだけどさ、それでも何かが違うんだよ。

グリンゴ宿に1人で泊まると、決まって疎外感を味わいます。
グリンゴツーリストたちが浜辺で、宿のオーナーを囲んで楽しげに酒盛りしているのが離れのベランダから見えたとき、何だかものすごく憂鬱な気分になりました。
英語が下手。そのことがずっとわたしの旅を苦しめているということに、またしても気づかされるのです。
彼らは、基本的には”いい人”たちなので、自分から輪に入っていけば、ウェルカムの姿勢を取ってくれるのだろうと思います。でも、早い段階で会話につまづくことが見えすぎているので、わざわざ入っていくのが億劫でなりません。まあ、すでに出来上がっている輪に唐突に入っていくのは、それが日本人の輪であっても難しいところですが…。
日本語なら、頭で考えなくても勝手に口をついて出てくる話題も、英語だとどうしても頭が先に働いてしまってうまくいきません。
それに、やはりグリンゴたちは、アジア人であるわたしを、どこか”異質なもの”として見ている気がするし、わたしも同様です。アジア人でも、英語がペラペラであればもっと近しいものとして見られるのかも知れませんが…。
いつでもどこでも、明るくフレンドリーで誰とでも仲良く出来る。そんな人に生まれていたら、わたしの人生も旅も、もっとキラキラしたものになっていたのではないだろうか…なんて考え出すと、余計に暗い気分になったりして。われながら、どうしてこうも思考が暗いのかと、ほとほとイヤになりますね…。

再びパナマシティに戻り、アメリカへの出発を待ちつつ、残していた観光に手をつけることにしました。
パナマシティで忘れちゃならない最大の見どころ…それは”パナマと云えば、パナマ運河”。
太平洋とカリブ海を結ぶ、歴史上最大の工事と云われる運河です。社会の授業で必ず出て来ますよね。
まあ、運河なんて見ても、その素晴らしさが素人のわたしに分かるはずもないのですが、パナマと云えばパナマ運河なので、見逃すわけには参りません。これを見てこそ、中米のゴールも切れるというもの。

タクシーだと片道8ドルもかかってしまうので、ローカルバスを乗り継いで行ってきました。
これだと宿からでも往復で2ドルしないのです。
『歩き方』には、”バスだと幹線道路で下ろされそこから上り坂を20分歩かなくてはならない”と書いてありますが、実際はそんなことはなく、せいぜい10分、普通の道を歩くだけでした。
ミラ・フローレス水門の側には、旅行者向けの、それはそれは立派なビジターセンターが建っており、運河を見るための観覧席まで設けられている始末です。何度も云いますが、やはり、パナマと云えばパナマ運河なのです(笑)。
よく考えたらこの運河って、長〜いアメリカ大陸の中で唯一、太平洋と大西洋を結んでいる航路なんだよな。ヨーロッパからの船が太平洋に抜けるためには、ここか、北極圏か南極圏しかないという…うーむ。歴史上最大の工事というのも、色んな意味で、決して大げさなコピーではないのですね。
なんてことを思うと、運河を通り過ぎていく巨大な船の姿は妙に感動的。中米のゴールにふさわしい眺めだわ、と、1人納得するのでした。

PANAMACITY32.JPG - 44,827BYTES 運河の観覧席の様子。

パナマ第2の都市、コロンにも足を延ばしました。
コロンは、その可愛らしい名前に似合わず、中米で一、二を争う危険都市として名高い町です。うーん、中米の都市って、そんなのばっかしなんですが…。
しかし、そんな危険なだけの町ならわざわざわたしも行きません。ここの(本当の)売りは、香港に次いで世界第二の規模を誇るフリーポート「ソナ・リブレ」。そして、郊外にある世界遺産・ポルトベロ要塞。
ソナ・リブレでお買い物♪と、けっこう気合を入れて行ったのですが、半分以上がホールセールのお店で、ショッピングセンター的なものを求めていた個人客のわたしには、買えるものがあまりありません。一応、ブランドものの服とか売っていたりするのだけれど、どーしても欲しいものはなし。それでも、せっかく来たので、1ドルのアイシャドーセットを購入しました。ほら、これからアメリカだし、腐っても女子として、化粧の1個くらい持っていた方がいいかなーと思ってね。
あとは、キューバでデータを吹っ飛ばした苦い苦い経験から、CD-Rを10枚ほどまとめ買いしたのですが、宿に戻ってデータを焼こうとしたら、全部ぶっ壊れてやんの!くっそー、腹立つわー…。

ポルトベロ要塞は、コロンからさらにバスに乗って30分ほど。
コロンブスが”美しい港”と名づけた港町は、かつてはスペインとの重要な輸送拠点として栄えたそうですが、今はその面影もなく、ひっそりとした小さな田舎町です。要塞も、世界遺産なのにタダだしな(笑)。近所の家族たちが、石垣の上でのんびり佇んでいたりして、こんな素朴で飾り気のない世界遺産もまたよいですね。

COLON16.JPG - 41,427BYTES 兵どもが…な雰囲気のポルトベロ要塞。

再びパナマシティに戻り、久々に父ちゃんや祖父ちゃんにも電話し、またも溜め込んでしまった荷物を送り(パナマは送料が安いのだ。ここまで粘ったかいがあった)、珍しく洗濯機を使って大量に洗濯し、宿にあったニューヨーク『歩き方』もこっそりスペイン語会話本と交換し(※よい子は真似してはいけません)、アメリカに行く準備は万端です。あとは飛行機に乗るだけ。

……だったはずが、まさかあんなことが起ころうとは、一体どこの誰が予想しえたであろーか……。

(2004年3月5日 パナマシティ

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