旅先風信105「ニカラグア」


先風信 vol.105


**グラナダでアルテサニア修行**


レオンを出たあと、わたしが向かったのはラ・コンセプシオン(ラ・コンチャ)という町でした。
歩き方の地図にも載っていない、めちゃめちゃローカルなその町に何の用があったのかというと、海外青年協力隊で派遣されているNさんという女性に会うためでした。
彼女とは、メキシコのグアナファトの宿で会いました。そのときはごく簡単な世間話しかしなかったのですが、別れ際「もしニカラグアに来ることがあったら、家に遊びに来て下さいね」と連絡先をもらっていました。
図々しいなとは思いつつそれをずっと覚えていたわたくし。旅に出てから、人の厚意にはなるべく甘えるようにしているので(迷惑な心がけだが)、ありがたくお邪魔させてもらうことにしたのです。

わたしがお邪魔した日は、ちょうど年に1度のラ・コンチャのお祭りに当たり、小さな中央広場には、所狭しと屋台が並び、移動遊園地も来ていました。
小さな町とは云え、町じゅうから人が集まって来ると、けっこうなにぎわいです。観覧車に、メリーゴーラウンドに、射的場に、輪投げに……それらのにぎやかな色彩、木や紙で作られたゲームの類はノスタルジックで、祭り特有の儚い美しさが凝縮された光景に、何だかちょっと切なくなります。

われわれも、少々アナクロな(笑)観覧車に乗ったり(逆回転&高速で、かなり怖かった〜!)、屋台をひやかしたりして楽しんでいましたが、ふと、目に留まったものがありました。
それは、やはりアナクロな、木製のパチンコらしきものでした。
「おねえちゃん、ちょっと試してみなよ」と声をかけられ、んなコドモだましの賭け事なんかやるかよ!と通り過ぎようとしたのですが、何の魔が差したのやら、ふとやってみようかと思い足を止めました。

こいつ。

遊び方はいたってシンプルなものです。
パチンコの中には10種類くらいの絵(動物だの植物だの)があって、まず挑戦者は「鳥」とか云って絵を指定。その「鳥」のところに玉を弾いて入れば勝ち。
ちょっと練習させてよ、と何度かやってみると、何と100発100中で命中し、「これはイケる」と思ったわたし。
ところが……。
このおもちゃみたいな機械に、わたしってば、一瞬にして150コルドバ(10ドル)も持っていかれたんですよ!!!うぎゃあ!!!
何でだ?練習の時はあんなに当たっていたのに?しかも、カンタンすぎるくらいカンタンな原理じゃん?

頭に血が上り始めたわたしに、カタキを打つわ!と身を乗り出したNさん。しかし彼女も、あれよあれよという間に70コルドバほど擦ってしまいました。あああ、何やってんだわたしたち…。
しかし、さすがは協力隊員(カンケーないか?)、急に冷静な顔つきになり、「分かった!これ、絶対しかけがあるよ。本番になるとこのおじさんが下の方で玉の通路を切り替えるんだよ!」
すっかり熱くなっていたわたしは、そこまで思い至りもしませんでした。なるほど…確かにそうだ。練習の時にあれだけうまくいって、本番ではかすりもしないなんて、おかしいよな。
Nさんはスペイン語で「何かしてるでしょう?」とオッサンに云いましたが、もちろんオッサンは「そんなことはない」としらばっくれ、さ、次やるのか、やらないのか、と急かしてきます。
わたしは思わず「あと1回やってみてダメだったら…」という、賭け事にはまるときにありがちな感情に突き動かされそうになりましたが、寸でのところで現実に戻り、10ドルを失った悔しさを抱えたまま、歯噛みしてその場を立ち去ったのでした。あー何てムダな出費。。。

翌日は、彼女の仕事がお休みだったので、一緒に遠足することになりました。
と云っても、2年近く住んでいる彼女にとっては何度も来ている場所ばかりでしょうから、実際のところはわたしを案内してくれた、と云った方が正しいですね。
目的地は、首都マナグアから30キロのところにある町マサヤ&カタリーナ。
ガイドブックでは大してフィーチャーされていませんが、マサヤ火山国立公園があり、マサヤ火山の火口そばまで行くことができます。
ひたすらもくもくと温泉のような煙を立てているのみで、いわゆる“噴火”は見られませんでしたが(それともこれも噴火?)、この旅で火山に訪れたことも初めてだったので、それなりに感動しました。ほとんど人がいなくて、独占状態だったしね。

わたしのマサヤでの目的はしかし、火山ではありません。
実は(でもないけど)マサヤは、民芸品の町としても名を馳せており、わたくしのお目当ては断然こちらの方。ニカラグアの民芸品?と見くびるなかれ、これがかーなーりレベルが高いんですよ。
そもそもは、Nさんの家に飾ってあった絵や壁掛けがどれもこれも可愛いので、どこで買ったのかと聞けばすべてニカラグアだと云うのでビックリして、ぜひともわたしも入手したい!とNさんにお願いしたのです。
素朴な可愛さ―とひとことで云ってしまえばそうなのですが、ニカラグアの民芸品は、素朴さの中にもどこかポップさがあって、他の中米のおみやげよりも独自のセンスが光っているの。
Nさん宅にあった、い草(?)で編まれた壁掛けがものすごく気に入っていたので、似たようなのを探して購入。あとは、素焼きの太陽&月の壁掛け、カラフルな色で絵が描かれた木の十字架なんかも買いました。またこれが安いんで、嬉しくなっちゃう。荷物がまたどんどん増殖してるけど…。他にも、民族衣装っぽいブラウスなんかも可愛いかったなあ。
レオンの美術館を見たときのように、意外なところに素敵なものがあって、思わぬトクをした気分でした。

一番のお気に入り・い草の壁掛け。ポップで可愛い!

これはNさん宅にあった陶器の太陽。ヘタウマな表情が実に味わい深い。。。

さて、Nさんのことをもう少し。
日本では理学療法士をしているNさんは、現在ラ・コンチャの保険センターで働いています。
住まいは半分ホームステイというかたちで、ニカラグア人家庭の母屋のはなれで暮らしています。簡素すぎるほどの小さな部屋ですが、Nさんがニカラグアの民芸品で素敵に彩を添えて、女性らしい雰囲気のある部屋にカスタマイズしていました。
入浴は、お湯シャワーどころかシャワー自体が出ないので、水をバケツに汲み置いて、それで行水するのがNさんのバスタイム。腰近くまであるキレイなロングヘアの持ち主が、こんなところで頭を洗っているというのが、ちょっと信じられなかったのですが、「もう慣れたよー」と笑顔のNさん。わたしなんて、未だに水シャワーが苦手な軟弱者だというのにさ…。
協力隊というのは、けっこう大変なことをやっているのだなあ…と改めて思います。
2年間も、云っちゃなんだけどこんな辺鄙なところで暮らして、現地の人と、ウルルンとかではなく普通に一緒に働いて。わたしみたいな責任のない気楽な旅行者と違って、嫌になっても、ハイさよなら、って逃げられるワケじゃない。
協力隊の人たちには、バックパッカーとはまた違った逞しさを感じます。わたしも昔は、協力隊に参加しようかと思ったっけな…。でも、旅行者である気楽さを知った今、見知らぬ土地で(期間限定とは云え)定住して根を張っていく根性は、もはやない。

普段のラ・コンチャはこんな感じ。

そんなお気楽旅行者のわたしは、Nさんが仕事に出ている間も、ラ・コンチャから日帰りで、首都マナグアに遊びに行きました。
Nさんには「マナグアは何もないよ〜」と云われており、中米諸国の首都でおなじみの危険情報も満載なのですが、わたしは密かに楽しみにしていました。
と云うのも、南米で会った旅行者から「本っっっ当にーに何もないし、誰もいないんだよ。昼間なのに中央広場に人が存在しない街なんて、あそこくらいだよ」と聞いており、ううむ、何もないのはフツーはいただけないが、そんな異様な首都を見てみたい気もするなあ、とねじくれた好奇心をずっと抱いていたのです。

そんなマナグアで一番最初に見たものは、カテドラル・メトロポリターナという教会でした。
これが、“何もないマナグア”に似つかわしくない、巨大かつアバンギャルドな建物でして、いきなり度肝を抜かれてしまいました。
まさか、ルイス・バラガンか安藤忠雄が建てたのではあるまいな…と思うような、バリバリのコンクリート現代建築(本当にそうかと思ったけれど、名前を見たら違う建築家だった)。右手奥の礼拝堂は、安藤忠雄の光の教会よろしく、コンクリートを十字架型にくりぬいて祭壇にしており、左手の礼拝堂は、赤いドームに水玉模様に穴が空けられ、キリスト像がカプセルに入っているという…「おお、今度は草間弥生の『光の部屋』かっ?」と、1人勝手に興奮していました。

その後、同じカテドラルでも、今度は古い方のカテドラルへ。
ガイドブックの「マナグアのおもな見どころ」のトップに載っているのがここです。1972年の地震で崩れたまま、かろうじて外観だけ保っている教会の廃墟です。廃墟なので、中には入れません。正面玄関から、牢屋の囚人のように檻越しに内部を見られるだけです。
教会の前には共和国広場(公園)があり、すぐそばに国立宮殿もあります。かつては、このカテドラルが中心となって街が栄えていたのでしょうが、今は昼間でも静かなもので、前述の旅行者が云っていた「何にもないマナグア」を目の当たりにした感がありました。
近くには、大して美しくない、いやむしろ汚濁した(笑)マナグア湖があり、湖畔には、いくつかのレストランと動いていない遊園地が、実にひっそりとたたずんでいました。確かにこれが首都だなんて、何だか脱力するなあ…。
しばらく周辺をあてもなく歩きましたが、時が沈澱しているかのような何とも云えぬ気だるさが漂いまくっています。

その後、ラ・コンチャに帰りがてら、バスターミナルそばのロベルト・ウェンベス市場に行ってみると、ちゃんと人がいたので、妙にホッとしてしまいました(笑)。

新しいカテドラルと 古いカテドラル。

ラ・コンチャを出て向かった次なる町は、グラナダ。レオンと並ぶ、ニカラグアの古都です。ニカラグアの中では多分、最も旅行者人気の高い町ではないでしょうか。
ここでもまた、あらかじめ決まっていた出会いがありました。
メキシコのサンクリストバルで会ったアクセサリー職人Mさんが、「もしグラナダに行くことがあれば、そこにカルロスというアルテサニアがいるから、作り方を教えてもらうといいよ」と云ってくれて、以前Mさんと一緒に路上でアクセサリーを売っていたウルグアイ人のガブリエルに、事前に連絡をしてくれたのです。

ガブリエルにはすぐに会えました。
町の中心であるコロン公園に行き、アクセサリーを売っている人は…と探していたら、アクセサリー屋台は2、3軒しかありませんでした。てことは、この内の誰かだよな、うーん、この人かなあ、でも違うかも…と、とりあえず遠目から観察し、意味もなく公園を一周してから、もっとも目ぼしい金髪の兄ちゃんに声をかけたところ、見事命中しました。
「さっき公園を歩いてたろ?もしかして、そうかなと思ったんだよ」と、どうやらガブ君(って、有森裕子のアノ人みたいだけど、云いやすいので以下この呼び方)もわたしを見ていた様子。

32歳と聞いていたけれど、見た目はもっと若い感じがしました。
「で、何を教えてほしいんだっけ?」
わたしは、紐のアクセサリーが編みたい、と云いました。
「それなら、俺よりもカルロスだ。でも、今日は来てないな」
ガブリエルは、基本の編み方(ツイストというねじり編み)をさくさくっと実演&教授しました。ツイストはわたしも編めるのですが、さすがに彼は年季が入っており、編み方は平凡なのに、センスのよいブレスレッドをさくっと作ってしまいました。後々、知り合った欧米人旅行者たちに、たびたび「それどこで買ったの?かっこいいね」と云われたそのブレスレッドは、黒いイロセラードで、1センチくらいの黒い豆を4つ編み込んだものでした。わたしの腕にはちょっと大きかったけれども。

それから連日、昼頃からガブ君の屋台に修行に出かけました。手作りなぞ、超のつくほど苦手だった自分の行動とはとても思えませんが…これはもう、アクセ作りに“はまった”とした云いようがありません。
3日も通っていると、ここにいるアルテサニアたちの顔ぶれというのも分かってきます。
立派なドレッドに小猿のような顔をしたエルサルバドル人・レネ、その彼女、背が高くて物静かなドイツ人・アラン、いつもマリファナできまってぼんやりしているイタリア人・マリオ…などなど。
あとは、地元グラナダのニカラグア人アルテサニアたちが、入れ替わり立ち代りといった感じです。ヒモ編みの師匠、カルロスもグラナダの人。190センチはあろうかという大男なのですが、いかにも純朴で人のよさそうな兄ちゃんです。

ガブ君は、生活がかかっているのか(笑)、ほとんど皆勤で店を出していましたが、他の人たちは、来たり来なかったり、けっこういいかげんなものです。
なので、カルロスがいないときは、他のアルテサニアたちに編み方を伝授してもらいます。作っているアクセサリーは一見似たり寄ったりに思えるのですが、人によって作り方が違うので、いろいろ覚えられて楽しい。

ところで、ガブ君ほかアルテサニアのみなさんは、スペイン語しか話しません。英語はほぼ100%通じない。ドイツ人のアランですら片言しか話さないのです。これまでの体験上、海外に出ているドイツ人は英語が出来るものと思い込んでいたので、意外でしたね。
それにしても…中南米合わせて8ヶ月旅して、旅行に差し支えない程度のスペイン語は身につけられたと自負していましたが、トラベル会話と日常会話では、実はかなりの壁があることに今さらながら気づかされ、愕然としたしだいです。。。

その後も毎日、まあ他にやることもないのでせっせと公園に通い、ちくちくもくもくとアクセサリーを作り続けました。
そのうちガブ君は、どこぞで引っかけたらしいドイツ人の女の子を屋台に呼んで、アクセサリーの作り方を教え始めたので、わたしの指導には全くやる気が感じられなくなりました(苦笑)。その子には「ちょっとていねいすぎるんじゃないのかー?」と云いたくなるほど完全マンツーマン体制なのに、わたしには、「ま、テキトーにやっといてよ」的扱い。。。何だこの差は?まあいいけど…。

コロン公園のアルテサニアたち。

それにしてもグラナダはグリンゴの多い町ですな。
わたしの泊まっている宿はんもう、完全にグリンゴの巣。いかにも白人パッカーが好きそうなポップでヒッピーな内装(壁のいたるところにグラフィティがある)に、リラックス出来る中庭があり、ハンモックが吊るされ、クオリティ高めのレストランとバーが併設…ううむ、日本人宿とはえらい違いなんですが(苦笑)。こういう宿は、南部アフリカ以来かも…。

何ともアウェーな空気を町全体に感じつつも(地元のメルカドに行くと、妙にホッとする)、アクセサリーを作るほかは、宿のツーリストたちと連れ立って近くの山にハイキングに出かけたり、夜はバーのレディースナイトに行って珍しく英会話で欧米人旅行者たちと盛り上がり、しこたま飲んで帰ったり…と、珍しくグリンゴとの接触が多い生活。己のキャラじゃねー。。。ちょっとわたし、ムリしてないか?(笑)この旅路でかなり異彩を放っている日々かも知れないわ。相変わらず英語はどーしょーもなく下手なのですが、何でしょうね、環境の問題なのかな?

ある晩、眠れなくて、宿のバーに飲みに出たところ、アルテサニア軍団のアランとマリオとその友人らしきグループがたむろしていました。男女入り混じって、皆スペイン語で騒いでいます。
楽しそうだな…と思いながらも、中に入っていく勇気も気力もなく、バーのカウンターでぼんやり酒をすすっていました。
すると、アランがわたしの姿に気づいたらしく、「よう。そんなところで1人で飲んでないで、こっち来なよ」と声をかけてきました。
「でも、わたしスペイン語話せないしさあ…」と云うと、何だ、そんなこと気にするな、と、普段寡黙な彼にしては珍しく打ち解けた様子でわたしを招き入れ、その場の皆に紹介してくれました。
そして、その後はみんなで、地元のディスコテカに連れ立って出かけて行きました。町外れにあるにも関わらず、地元民もツーリストもたくさん遊びに来ていて、なかなかの盛り上がりようです。地元の仲間たちと来ているカルロスにもばったり遭遇して、「オラ〜!元気〜?」なんて笑顔であいさつして。
ああ、楽しいなあ…何も考えないでただその場の雰囲気に浮遊するよな、軽〜い幸福感。
酒の酔いが適度に回っていたせいもあり、わたしはアホみたいな顔をして、ひたすらくるくると踊っていました。
ひとしきり楽しんだあとは、皆で連れ立ってフラフラと、マリファナを回しながら宿まで帰りました。このときばかりは、いつものポリシーを捨てて、わたしも口だけつけました。この空気に、少しでもヒビを入れるのが何だかもったいなくて。

その道すがら、数日前から顔見知りになっていたカナダ人の男子が近づいてきて、「僕の部屋に来ないか…」とささやいてきました。
彼は、よく云えば谷原章介を欧米風にしたような、悪く云えばちょっとカマっぽい雰囲気の優男(笑)。やけに物腰がやわらかいので、欧米人ツーリストのアグレッシブな陽気さにしばしば付いて行けないわたしには、わりと敷居の低い話し相手でした(っても、わたしの英語では大した話は出来ないのであるが…)。
……が。まさかそんな誘いを受けるとは。何だこの展開???
わたしはそのとき、自分に巣食っている寂しさを見透かされたのではないかと思い、必要以上にどぎまぎしました。グラナダのコロニアルな建物を照らし出すオレンジの街灯が、妖しい火のように揺らめき、一瞬、魔が差しそうになりました。

そうは云っても、基本が臆病のカタマリのわたくし。
反射的に「明日の朝早くにグラナダを出るから…」とかなんとかテキトーなことを云って断り、無事に(?)宿に帰ったのですが、付いて行ったらどうなったのだろう…と妖しい気持ちに苛まれ、しばらく寝付けませんでした。欲求不満か?(苦笑)

別に彼とはカンケーないけど、そろそろ本当にグラナダを出ることにしました。
時間にしてみればたった数日、いちおうアルテサニア集団の端っこにいて、みんなの顔と名前も覚えて、ちょっとずつ居場所を確保できそうな気がしたけれど、もう少し居ればもっと仲良くなれて、楽しみも増えたのかも知れないけれど。
でも、いつまでも一箇所に留まっている時間もお金もないから、わたしはいつもこうして、中途半端なところで去ってしまう。仕方ない。そうしなければ、前に進めないのだから…。
エルサル人のレネは、最後にアクセサリー用のきれいな貝殻をくれて、「次会うときは、隣同士でアクセサリーを売っているかも知れないね」なんて云うので、「またグラナダで?」と聞くと「違うよ。世界の何処かでだよ」
…ああ、こういう台詞って、何だかすごく嬉しくなる。流れ者同士だからこそ通じる、この空気感。そうだね、いつか世界の何処かで、きっと会えそうな気は…しないけれど(笑)、そんなあいさつが何故かとてもしっくりくる。
レネと一緒にいたアメリカ人レイチェルも、「次はニューヨークでね。来る前にメール送ってね」と云ってくれました。
ていうかその前にわたし、この人がアメリカ人ってことに、全然気づかなかったのよねー…。ずっとスペイン語で話していたし、顔立ちもいかにも白人って感じでもなかったし、何よりレネの彼女だったので、こっちの人だと思っていたのです。
もっと言葉が出来たら、あるいは時間があったら、友達になれたかも知れないのにな…残念。

妙にフォトジェニックなポテチ売りの少年(inグラナダ)。

そして今いるのはオメテペ島。
ニカラグア湖に浮かぶ島で、淡水湖の島としては世界最大だそうです。
ここは、白人パッカーの方々が口をそろえて「オメテペはいいよ」と云うので来てみたのですが…うーん、何もないではないか。。。
白人パッカーは(いや、日本人も一緒かな)、“リラックス”するのが大好きだなーとつくづく思いますね。例えば、とある国のどこそこという場所がいい、てな話になるでしょ。で、「何がよかったの?」と尋ねると、たいがい返ってくる答えが「リラックスできる」。あるいは、○○にこれから行くというのでそこには何があるのかと問うと、「いやあ、特になにもないけどJust Relaxing(ただリラックスしに)」。
ここもまさにその典型。いや、多分、この何もなさこそがいいのだろうけれど、いい加減リラックスに飽きた(笑)わたしとしては、そう長居する気にもなれませぬ。
だって、行く先々でいちいちリラックスしてたら、旅が進まないじゃん。こう長旅にもなると、人生で休みばっかりだと楽しくないのと同じで、メリハリというものが必要になってくるのです(多分)。
あと、自分のそのときのモードというのもあるかな。「ああもう疲れた、どっかで沈没したい」てなモードのときと、「急がねば、バリバリ観光せねば」というモードのときと。今は完全急ぎモードに入っているので、リラックスし切れないんですよね。もったいないけどね…。

ということで、明日にはここを出てコスタリカに向かいます。
ではまた、次回のおたよりまで。

オメテペ島のコンセプシオン火山。

(2004年2月17日 オメテペ島)

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