旅先風信102「グアテマラ」


先風信 vol.102

 


 

**もうひとつのモード(後編)**

 

興奮のマーケットめぐりは、まだまだ続くのだった。

チチカステナンゴから次に向かった先は、グアテマラ第2の都市、ケツァールテナンゴ(通称シェラ)。アンティグアに次いでスペイン語学校が多いことで有名ですが、あと4カ国くらいでスペイン語圏が終わるわたしにはもはや遅すぎる話。
それよりも何よりも、マーケット、マーケット。シェラの周辺の町もまた、曜日ごとに各地で市が立つことで有名なのです。

しかし、マーケット話の前に、シェラでお気に入りだったカフェの話を少し。
Cafe LUNA(”月”の意)」というお店で、『歩き方』にもしっかり載っている有名カフェなんですが、ここが素敵すぎました。
坂を降りたところの角っこに、ひっそりと建っているそのカフェは、コロニアルな古い街並に馴染んでいながらも、そこだけがぼうっと薄明かりで包まれているような、不思議な存在感を持っていました…なーんて、ちょっとカッコつけてみました。
宝石箱を開けるような手つきでそっとドアを押して入ると、…
※#”дΘ@&?$!!!(←声にならない様子)
あまりにも乙女好みな内装に、マジでひっくり返りそうになりましたよ。店名の”月”にちなんで、さまざまなマテリアルの月のオブジェがいたるところに飾られているのもいいし、アンティークな家具や小道具がさりげなく配置されているのも素敵だし、5つくらいの異なる内装の小部屋に分かれているのも楽しいし…クラシックさとチープさが、とってもいい具合に交じり合っていて、こりゃカフェ王国・京都に出店したって堂々わたりあえそうなレベルのお店だわ。
さらに、この地方特産の飲み物チョコラータも美味しい!ケーキも美味しい!飲み物は6〜10Q、ケーキは15Qと、1泊25〜30Qの宿に泊っている人間がそんなもん食うな!って感じですが、シェラにいた4日間、毎日通って毎日お茶してました。わはっ。でも、日本円に換算したら、全部で300円くらいなものよ!…と都合のいい解釈をする様子は、ボリビアの「アレキサンダーコーヒー」にとち狂っていたときのことを思い出します。

こういうカフェは、もしかするとアンティグアにたくさんあったのかもと思うけれど、あそこは数が多すぎて今いちありがたみが湧かなかったのか、1回しか行かなかったなあ。

XELA3.JPG - 19,136BYTES カフェ・ルナの外観。中は入ってのお楽しみ。

そろそろ本題であるマーケットに話を戻しましょう。
シェラからまず最初に行ったのは、サン・ミゲル・トトニカパン。トトニカパンって、名前が可愛くないですか?
理由はそれだけではなく、その名も『グアテマラ・レインボー』という写真集を立ち読みしていたら、「あっ、この写真可愛い!」と思ったものが大体トトニカパンのものだったんです。
トトのウィピルは、アンティグアでもよく見かけたタイプで、パステルカラーのレース地、襟元を囲むように花の刺繍が施されています。店先にたくさん連なっていると目を奪われるんだけど、単体で見るとそれほどでもない気が…レース地がやや安っぽい感じがして。あと、7色の幾何学模様のウィピルもあって、こちらはかなり手が込んでるなーという印象でした。

翌日水曜日はアルモロンガ。ここはツーリストにも有名な市ですが、わたしが行ったときは、ほとんどいなかったですね。
売られているものは野菜がほとんどで特筆すべきものはなし。しかし、衣装は美しいです。ウィピルは黄色orオレンジをベースにしたダイヤ柄の織で、頭に巻きつけているぼんぼり付の鉢巻みたいなのがまた可愛い。こんなの、わたしが着用したらただのキ○ガイですが、この人たちは、かぶりもの(?)が実によく似合う。頭に布のっけてるだけでもさまになるのですから素晴らしいですねー。

ALMOLONGA2.JPG - 29,354BYTES アルモロンガの市。

アルモロンガの衣装以上に目を引いたのが、隣村のスニルの衣装。
ウィピルもさることながら、スカートが恐ろしく素敵なのです。スニルのスカートを履いている女性を見つけると、「おおっ、あれは幻のスニルスカートだわ!」なんて云って、ハンターのように付狙ってしまいました。

トトにしろ、アルモロンガにしろ、ウィピルは可愛いのだけれど、スカートが今ひとつ、ぐっと来なかったんですよ。
どちらの村も、おそらくグアテマラで一番よく見かけるタイプの、黒地or青地に白い絣の入ったスカートで、まあ悪くはないものの、どうも鈍臭いというかババ臭い感じがして、あまりそそられないんですよね。しかし、よく見かけるってことは、人気の品で、大量生産でもされているのかしら?
ともかく、せっかくウィピルが個性的で可愛いんだから、スカートも独自のものにすればいいのになあ…なんて、余計なお世話を焼きたくなっちゃうのです(あ、でももしかすると、ウィピルを引き立たせるための引き算おしゃれなのかも?)。

そこをいくと、スニルのスカートは天晴れです。
地の色はさまざまなんだけど、猫とか天秤とかさくらんぼとか、ひとつのモチーフを色んな色で刺繍して(この刺繍が毎度ながら細かい)、それを配列しているんですが、このパターンがやけに可愛い。
あいにく市の日ではなかったので、写真を撮るのが困難でしたが、とりあえず無理矢理シャッターを切りまくりました。
スカートが目を引きすぎるので、ウィピルの印象が今いち薄いんですが、よく見ると何気にウィピルもカッコよかったりする。大ぶりでカラフルなストライプ地に、襟元をぐるりと囲んででっかいバラの花が刺繍されているの。これが日本のアンティーク着物みたいでそそるんだ〜。

ALMOLONGA32.JPG スニルの着こなしの一例。

スニルの帰りは、マーケットめぐりの疲れを癒すべく、ロス・バニョスという温泉街へ行きました。
温泉、と聞くと身体がムズムズしてしまうのは日本人の性なのか、日本人パッカーは温泉が大好き。わたしももちろんその1人です。
温泉街と云っても、田舎の幹線道路に10数軒のお風呂屋が建ち並んでいるだけで、日本の温泉街のような風情を期待していると少々がくっとしてしまいますけどね。
全部個室になっていて、自分で湯をためるシステムなんですが、お湯がいい感じに熱くてめっちゃ気持ちいいんです。たまに、どっから来たのかでけー蜘蛛がプカプカ浮いてたりはしますけれど…。
あー、これカップルだったら超楽しかっただろうなあ…あんなこともこんなことも出来るじゃないか(笑)。1人で「あーいい湯だ…」なんてオッサンみたいにつぶやいているわたしって、つくづく女としてしょうもないわね。

マーケットめぐりもいよいよ佳境にさしかかってきました。
次に向かったのは、シェラからさらに北にある、トドス・サントス・クチュマタン。

前回登場した映像作家Kさんが、「トドス・サントスと、サン・ファン・アティタンは別格だった」と云っていたのを思い出すんですが、まさにその通りでした。サン・ファン・アティタンについては後述するとして、まずはトドスです。
ここの衣装というのは、いっぺん見たら二度と忘れられないくらい個性的なデザインでして、そもそもこの村の存在を知ったのは、ボリビアで一緒だったGさんが、ここの、赤地にストライプの入ったズボンを履いていたからでした。まーとにかく人目を引くズボンで、最初の頃のGさんの印象と云えば「あの赤いズボンの人ね」と思っていたくらい。以来、トドスの赤いズボンのことは、ずっと記憶に残っていたのです。

赤いズボンもかなり派手だけど、それ以上に派手なのが、セットになっているジャケット。
これは本当に、文句のつけようがないほどカッコいいです。ただ、着こなすのはかなり難しいけれども。
写真を見れば一目瞭然なのですが、いちおう口で説明しませう。型としては、いわゆるGジャンのそれと同じですね。ただ、生地が全然違って、白地に細かいストライプなのです。このストライプもさまざまなんですが、ピンクとか紫系統が多いです。なので、むちゃくちゃ派手に見える。この生地も、はた織機で村の女性たちがちゃんと織っているものなのですよ。あんまりにも整然とストライプが入っているので、まさか手織りだとは思わなかったですね。

そして、特筆すべきは、このジャケットの襟。極彩色の幾何学模様の、それはそれは細かく編まれた10×25センチくらいの襟をつけてあるんです。これが非常に美しく、このジャケットの最大の見せ場と云っても過言ではないでしょう。聞けば、この襟を1枚作るのに2ヶ月とかいう、そんな話らしいんですねー。何という気の遠くなるような仕事だ…わたしには生まれ変わってもできねー。
襟に施されているこの織は、女性のウィピルにもちゃんと活用されていて、トドスの衣装=男性のそれのイメージが強かったのですが、女性のウィピルもとっても美しいのです。わたしの好きな、サン・アントニオ・パロプの衣装をもっと凝らした感じで、具体的に云えば、細かいストライプの生地(男子のジャケットの生地とは別)に、胸元・背中にびっしり、例の幾何学模様の刺繍が施されている、と。下の巻きスカート(コルテ)は、いたって地味な紺色の布で、これがウィピルの柄を引き立たせるというわけです。サン・アントニオも確かこの地味なスカートでしたっけね。

男性は、上記の衣装に、手編みのショルダーバッグを下げて、青いリボンのついた麦わら帽をかぶって、完成です。さらにレベルアップアイテムとして、黒いフェルトの股当てみたいなのもあります。ズボンの上から装着するの。
このニットのバッグを、オッサンとかが幼稚園児みたいに肩掛けして持っているのが何とも可愛いんですよ〜。ちょっとマヌケでもあるけれど(笑)。しかもこのバッグ、男性の手で編まれているものなんだよねー。自分のお気に入りの柄をせっせと編んでいるオッサンの姿を思い浮かべると、思わず和んでしまいますね(実際に編んでいるところは見られなかった)。
あと、ちびっこバージョンもいいですね。まったく同じものを小さくしただけなんだけど、小さきものが可愛いのは『枕草子』の時代からの普遍的真理、「鼻たらしたガキがいっちょまえに民族衣装なんか着ちゃってさ〜」なんて、微笑ましくって。

TODOS20.JPG - 25,838BYTES トドス男女ペア。男性の黒い股当てみたいなのは正装用なんでしょうか???

トドス・サントス・クチュマタンは、桃源郷と云われるのもうなづけるような、山間の、本当に小さな村です。
昨今は観光客も多く、スペイン語学校まであるくらいですが、メインストリートなんて端から端までゆっくり歩いて10分くらいの小さなものです。
それでも、市の立つ土曜日には、中央広場とメインストリートは、人人人でごったがえします。
ここは、グアテマラの村々の中でも民族衣装着用率が高いのかな。なので、人があふれるともう、圧巻の光景なんです。みーんなあのジャケットに、赤いズボンに、麦藁帽に、ウィピルに、コルテ…なんですから!

よくもこのような小さな隔絶された村で、これほどオリジナルな衣装が産みだされたものよなあ、と関心せずにはおれません。トドスの衣装は、シャネルとかエルメスみたいな、とは云わないまでもれっきとした”トドスブランド”。個性と云い、希少性と云い、ここでしかありえないブランド服!この衣装を最初に考えた人(デザイナー)はすごいよねー。この無茶な上下の合わせ方は、パリコレでもなかなか見られないかも知れない(笑)。普通に考えたらありえないなんだけど(配色とかさ)、でもやっぱカッコいいという。

ところで、この素敵すぎる服を着た人々が、のんびりと機を織り、編物をして暮らす桃源郷のような村も、決して平和一辺倒の場所というわけではありません。
2000年4月、添乗員2人を含む19人の日本人ツアーが村人たちに暴行され、ツアー客1名、グアテマラ人ドライバー1名が死亡、5名が負傷したという事件がありました。当時、この地方では、「幼児をさらう悪魔崇拝教団が活動している」という噂が流れており、そこに訪れたこのツアーが、人攫いと勘違いされたのが原因でした。同時期、グアテマラのほかの地域でも、類似の事件に外国人観光客が巻き込まれたそうです。

この村では、1982年の内戦時、反政府武装組織との関与を疑われた住民が、200人以上惨殺されたという事件がありました。そのこともあり、外部の者に対する警戒心が強いのですね。
外界から隔絶された場所というのは、よく云えば桃源郷ですが、反対から見れば、非常に閉鎖的な空間であり社会なわけです。2000年の事件は、後者の面がモロに出てしまったゆえの事件と云えるでしょう(なんて、冷静に書いていますが、人の命が奪われてしまっては、どんな説明も意味がないですね)。
純粋無垢の桃源郷なんて、世界中探したって何処にもありえないのかも知れませんね(ディカプリオの映画になった『ザ・ビーチ』もそういう話だった気がする)。それに、ここの住民たちが、桃源郷だと思って住んでいるわけでもないでしょうし。

TODOS56.JPG - 27,739BYTES トドスの中央広場で、何するでもなく立っている男たち。

トドスで100枚近く写真も撮ったし(撮りすぎだよ)、もう満足してシェラに戻ろうかと思ったのですが、欲深いわたしは、もうひとつの大本命、サン・ファン・アティタンまで足を延ばすことにしました。
しかし、アティタンに関する情報は皆無と云っていいほど。手持ちの『歩き方』には名前すら載っていませんし、唯一の手がかりであったKさん情報によれば、「トドス・サントスから徒歩3時間くらいと聞いていたのが、実際歩くと8時間かかり、あげく帰れなくなって村で1泊した」とのこと。いくら何でも、乙女のわたしにそんな道のりはこなせないので、出来ることなら公共交通機関をうまく使って行きたいところです(車をチャーターしようという発想は貧乏人にはないのである)。

とりあえず、グアテマラ北西部の交通の要所、ウエウエテナンゴまで戻り、バスターミナルで情報収集することにしました。しかし、それによれば、バスは途中までしかなく、その先はピックアップトラックで行くしかないということなのです。うひー。こりゃまたかなり辺鄙なところにあるらしいな。大体、ピックアップトラックなんて、そうそう簡単に拾えるもんなのかよ…。

どう考えても面倒くさいのでやめようかどうしようか、ウエウエテナンゴでひと晩悩んだのですが、結局行ってしまうところがエラいというかセコいというか。で、予想通り、なかなか面倒な道のりでした。。。
まず、”途中までのバス”というのが、昨日は「サンタなんとか行きに乗って、そこから乗り換え」とか聞いていたのが、「違う、あのバスだ」と云われて乗ったバスが、何とメキシコ国境行きのバス。「ちょちょちょっと、こんなところまで来てまさかメキシコに舞い戻るなんてことにならないでしょうね?!」と、乗っている間じゅう、不安でそわそわしっぱなし。
ドライバーに行き先を告げたのに、そのまま忘れ去られて、「おかしーなー」とか思っている間に終点まで来てしまうというケースはよくあります(わたしだけ?)。それで本とにメキシコに戻ったりしたらあまりにマヌケすぎるので、ドライバーに「わたしはアティタンに行きたいの!アティタンね、アティタン!」としつこく念を押しまくり、1時間15分ほど乗ったのち、幹線道路の途中でぽいっと降ろされました。「えっ?」

一瞬、またとんでもないところに間違えて降ろされたのでは?!と、不安で顔が引きつりましたが、道路の脇に立つ看板に、「san fan atitan」の文字が見え、ひと安心。どうやら村へは、ここから山づたいに延びている未舗装の道を、ピックアップトラックで上がって行くらしい。1人、ほかにアティタン行きトラックを待っているらしい若者がいたので話しかけ、「おにーさんもアティタンに行くんだよね?そうだよね?ね?」と、しつこく念を押してしまいました。彼がいなければ、またわたしは「トラックなんか来ないんじゃないか?」と不安→パニックになっていたことでしょう。まだ冷たすぎる朝の空気に身を震わせながら、30分近く、突っ立ってトラックを待ちました。

やって来たのは、トラックではなく、ボロい4WDでした。
しかしまあ、車なんて何でもいい。とにかく迎えは来たのですから。
舗装されていない山道を、まさに”ゴトゴトゴト…”という音を立てて車は走っていきます。遠い昔、エチオピアのムルシ族に会いに、やはりものすごい道をえんえん揺られまくったことを思い出します。つまり、あれ以来の、久々にヒドすぎる道を走っているというわけです。身体が絶えずシェイクして頭がくらくらしますが、これで本当にアティタンに到達できるんだ、という安堵と嬉しさで、気持ちは落ち着いていました。
そうして車に揺られること(本当に揺られた…)1時間15分。サン・ファン・アティタンは、
トドス・サントスよりもさらに小さく、素朴な、地上世界とはほぼ隔絶したような、山の中の村でした。
そして、ああ…ここにも、トドスに引けを取らない美しい民族衣装が、諸手を広げて(ウソ)わたしを待っていたのでした。

アティタンが特殊なのは、トドス同様、男性の方が華やかな民族衣装を着ていることです。
アティタンの衣装について簡単に説明しますと、型としては、トドスのジャケットを、もっとシャツっぽくしたような上着、これが艶やかなる赤紫色。襟と袖口には青系の細かい刺繍が入って、服の赤とのコントラストが非常に
いい感じです。この上に、チャンチャンコみたいな黒いフェルト地のベストを着用し、下は無地の白いパンツ。そう来たか!って感じですね。それに、お手製のニットかばんと麦わら帽で完成、というのはトドスと同じ。
女性は、赤系の大きな花柄のウィピルに、コルテはトドスと同じ、紺1色の地味なもの。
通常ウィピルはコルテの中に入れている(シャツインというやつですね)のですが、ときどき、ウィピルを出している女の子もいて、それが日本の着物、それも江戸時代の町娘チックで(説明が難しいな〜)可愛いんです。

それにしても、この村の生活というのは、どのように成り立っているのかとても不思議です。
村役場の前では、衣装に身を包んだおじさんたちがショルダーバッグをちくちくと編んで、おばさんや若い女性は家の軒先で機織をして、少年少女は、広場でバスケットボールに興じている…そんな場所。もちろん、何もせずにぶらぶらしているおじさんもたくさんいる。店と云えば、駄菓子と日用雑貨を売る小さなキオスクのようなものばかり。あとは、フライドポテトを食べさせる屋台が2、3軒。
メインストリートは、トドスのそれよりも小さく、端から端まで歩いて2分くらい。中央広場があって、教会があって、村役場と学校があって、終わり。…って、終わっていいのかよ?(笑)

そして、こんなにシンプルな村なのに、衣装だけは、超ド級の派手さ&特殊さ。
村自体には何も特別なものはなく、ひたすら地味なのに、赤い衣装だけが異彩を放っている、このギャップの凄まじさ。
何故なんだろう?何故、服装だけがこんなに発達(?)を遂げているのだろう?
小学1年生くらいの子供たちが、ミニサイズの民族衣装をまとってわらわらと駆けていくのを目の前にしながら、わたしの頭はすっかり混乱をきたしていました。

アティタンはまるで”隠された宝石”のよう。桃源郷と云うならむしろ、トドスよりもこっちの方がイメージに近い気はします。
村を散歩していると、自分がまるで、違う星から迷い込んできたエイリアンのようで、何だか可笑しくなりました。
これだけ隔絶された村だと、先述のトドスの事件を思い出し、少々びびってしまうのですが、ときどきチーノ(中国人)と云われる以外は(これはいつものこと)、特にイヤな目にも怖い目にも遭いませんでした。

村の人によれば、観光客はほとんど来ないそうですが、確かにねー、アクセスは悪すぎるし、レストランはおろか、コメドール(食堂)も全然ないもんなー(一応COMEDORと書いてある建物が1軒あったけど、誰もいなかった)。でも、安宿らしきものは1軒あるんですよ。中を見ていないけれど、確かにHOSPEDAJE(ホテル)と書いてある。Kさんはここに泊ったのかな?
しかし、観光客が省みないこのような場所に、観光客がいっとう喜びそうな美しい民族衣装が当たり前に存在しているというのは、何だかワクワクします。自分だけの宝物を発見したような、ちょっとした優越感も覚えたりして。普段、何のかんの云っても結局は、名だたる観光地にしか行っていないわたしなので、たまに、偶然、こういう場所にめぐり合えたりすると、これぞ自由旅行の醍醐味!なんて浮かれてしまうのです。
帰り道、村人たちとともにトラックの荷台に乗って、何度も吹っ飛びそうになり、何度も尻を打ちながら、それでも心は、不思議と満たされるのでした。

ATITAN10.JPG - 1,457,021BYTES 村役場の前で編物をしていた男性群をパチリ。意外に快諾してくれました。

ATITAN20.JPG - 898,651BYTES 昼間っから酔っ払っているおやじを撮影。酔っ払っていても衣装はカッコいいのであった。

マーケットめぐりレポートはこの辺で終わることにします。
我ながら、興奮しすぎて支離滅裂な文章だなぁ、と反省する点も多いのですが、興奮しているんだから仕方ないのです。わはっ。
聞けば、ウエウエテナンゴとメキシコ国境(ラ・メシヤ)の間には、コロテナンゴ、アカテナンゴなど、まだまだ素晴らしい民族衣装を持った村があるそうです。コロテナンゴのスカートは、アティタンの女性の1人が履いていたのを見かけ、あまりの可愛さに踊りだしたくなりました。
おねえちゃんに「すっげー可愛いよー!」と連発していると、彼女も嬉しそうに「ほかのもあるわよ♪」なんて云って、わざわざ家の中から持って来てくれたりして。やっぱ、国や民族が違っても、可愛い服ってのは人を幸せにするのだね。
そんな感じで、まだまだ素敵な民族衣装はあるけれど、キリも金もないし、専門家でもないので、そろそろ切り上げて次の国へ向かうことにしましょうかねー。

(2004年1月24日 ケツァールテナンゴ)

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