旅先風信100「グアテマラ」


先風信 vol.100

 


 

**ここからが勝負だ中米旅行**

 

1月5日。グアテマラ入国。
国境なんて、越えてしまえば何でもないものです。

実はわたし、シティ沈没のせいでとっくにメキシコをオーバーステイしていました。
キューバからの帰国時に、30日の滞在期間しかもらえなかったのですが、そのときはまさか自分が30日以上もメキシコにいるとは到底予想していなかったため、まあいいか、とそのままにしておいたのです。
…で、フタを開けたらこんなことになってたわけですね。面目ない。。。
まあしかし、そんな人たちはいくらでも(アミーゴに)いまして、ではどうしているのかというと、自分で勝手に書き換えるんです(笑)。ボールペンで、このように打ち消し線を引いて、横に”180(日)”とか書くわけです。そんなんでいいのかよ!?と思うけれど、どうやらそんなんでいいらしい。

とは云え、多少なりともびびっていたわたしでした。
しかし、ツアーバスに乗っているのだし、大した検閲はないだろう…シャトルバスを利用したのは、そういう理由もちょこっとあったのです。
で、いざ出国の段になってみると…ツーリストカード、回収せず。
え?ここって、そんなテキトーな国境だったの?とあっけに取られている間に、国境にまたがるスマシンタ川を渡す船に乗せられ、気がついたら「さよーならーメヒコー」。うーん、いい加減すぎる。。。

ともかくもグアテマラに入国し、目指すはティカル遺跡観光の拠点、フローレス。
グアテマラ側国境には、アフリカ以来乗ったことのないようなボロバスが待機していました。
もしや、これがうわさに高い(つーか悪名高い)チキンバスというやつだろうか…。
旅行者たちから聞く話によると、グアテマラでチキンバスと呼ばれる安バスは、とにかくボロイ上に、とにかく人を詰め込みまくるということなのです。
おいおい、シャトルバスじゃなかったのかよー…そう云えば、昨日エージェンシーの机の上に、2枚のバスの写真が貼ってありました。右はよくある観光バス、左は…そう、今目の前にあるこいつでした。
「おじさん、明日乗るバスはどっち?」
「もちろんこっち(と右の写真を指して)に決まってるじゃないか」
…おやじはうそつきだったのでした。

それでも、腐ってもツアーですから(笑)、バス自体はほぼ貸切のようなもので、地元民がわんわん乗ってくるようなことはなかったんですけどね。
しかし、道はかなりの悪路でした。舗装されていない上に、ところどころぬかるんでおり、一度ぬかるみにはまって10分くらい立ち往生していました。
窓から見る風景は、ジャングルと草原が入れ代わり立ち代わり、たまに簡素な人家がちらほら現れます。この道と云い、バスと云い、風景と云い…どこかで体験したことがあるような…えーとえーと…そう、アフリカだ。
アフリカかあ…。自分で云っておきながら、妙に感心してしまいました。このいかにも発展途上な雰囲気は、南米ではあまり感じたことがなかったけれど(ボリビアくらいか)…。もう半歩くらいで先進国の仲間入りをしそうなメキシコからやって来ると、非常に新鮮な感じがします。

GUATEMARA6.JPG - 21,107BYTES 昔何となく見たことのある気がする光景(笑)。

フローレスに着いたのは午後3時前。
フローレス、と一般に云いますが、正確には、フローレス島とその対岸のサンタ・エレーナ地区に分かれており、われわれのバスが到着したのはフローレス島でした。
フローレス島は、まるでツーリストのために出来たのではないかというような町ですが、こじんまりしていて、静かなのはよろしい。ちょうど何かのお祭りだったらしく、夜になると花火がたくさん上がって、ちょっとトクした気分でした。

フローレスからティカル遺跡までは、旅行者のためのシャトルバスが走っています。ローカルバスもあるのですが、発着の時間が悪すぎるのでほとんど利用する人はいません。
ここからは観光と移動に明け暮れるつもりのわたしは、張り切って、始発である朝5時のバスに乗り、遺跡一番乗り状態で到着しました。
このHPでもしつこく書いているように、遺跡観光の醍醐味は、人気のない遺跡を1人で占領し、もの思いにふけること。首からカメラを下げた観光客がうじゃうじゃいるような遺跡は、元がどんなに立派でも、はっきり云って魅力半減なのです。

ま、わたしと同じことを考えている人間もうじゃうじゃいるので、始発のバスのくせに満席でしたが、それでもツーリストの姿はまだ少なく(バスに乗っていた奴らしかいないからね)、しかもティカルはたいそう広いので、けっこうな時間、1人になることが出来ました。
ジャングルの中に点在する、苔むした石の廃墟。まわりには誰もおらず、ただ静寂と遺跡と自分だけがそこに在る。ああ、何て素晴らしいの。このままふっと、どこかに消えてしまいたいなあ、ここなら本当に、時空を越えたどこかへ飛んで行けそうだなあ、なんて思いにとらわれます。

4号神殿という、ティカルで一番高い場所に立てるスポットがあるのですが、そこから臨むティカルの全貌は凄まじいほど壮大なパノラマです。遺跡自体はあまり見えないけれども、見渡す限りの樹海は圧巻。その樹海の中からひょっこりと、神殿の頭が突き出しているのです。ジャングルの中の遺跡というと、パレンケと似た感じかな、と思っていましたが、規模が全然違いますね。さすが、マヤ最大の遺跡と云われるだけのことはあります。
とりあえず、ここで1時間ほど眠りました。朝、早かったもんで。遺跡で眠るのって、なんて幸せな行為なんでしょう。

ティカルの中には、6つ、神殿と呼ばれるピラミッドがあります。
グランプラザと呼ばれる中央広場に、互いに向かい合わせで建つのが、1号神殿と2号神殿。ここはよくポスターや絵葉書になっていますね。その奥に3号神殿、さらに進むと一番高い4号神殿。
そこからはまったく離れたところに、5号神殿、6号神殿があるのですが、5号神殿は素晴らしかったですね。目の前に現れたとき、そのあまりの荘厳な姿に、身体がぶるっと震えました。この現れ方がまたよくて、ジャングルの中をえんえんと歩いていると、本当に突然、そこにそびえているんです。
近くに、5号神殿発掘の際のパネル写真が展示されているのですが、それによれば、この神殿は、横倒しになった木々の中に埋まっており、それを取り除いて今の姿になったらしい。パネルを見る限り、かなり大掛かりな作業だったようで、発掘のロマンを感じました。

TIKAL31.JPG - 32,151BYTES 堂々たる姿の5号神殿。

まーとにかく、ティカルは歩き倒しましたね。
遺跡もさることながら、ここはジャングルなので、遺跡観光がてらネイチャートレッキングも出来てしまうのです。一粒で二度美味しいわけですね。わたしは見られなかったけれど、ハナグマなんかも見られるらしい。
色んな意味で、見ごたえのある遺跡でした。のちに会ったある長期旅行者が、「ティカルねえ…遺跡はもうたくさん見たし、どっちでもいいなあ…」とだるそうにつぶやいていましたが、そこにいた全員が「ダメですよ!ティカルはほかの遺跡と違うんですから!」と猛反対していましたっけ。とりあえず、グアテマラまで来たら、見ないで通り過ぎるのはあまりに惜しいと云えます。

ティカルのあとは、リビングストンという、カリブ海沿岸の町に行きました。ここは、グアテマラの中でもかなり異色の町。ガリフナ族と呼ばれる、カリブ系黒人が多く住んでおり、”グアテマラのジャマイカ”なんて云われているところです。
フローレスの宿で一緒だった、日本人のRくん、Hさん、それにメキシコ人の女の子2人組とともに、早朝フローレスを出発して、計7時間の旅路です。

リビングストンに着くと、早速ラスタマン風の兄さんが、「ガンジャ買うか?」と声をかけてきました。
さすがは”グアテマラのジャマイカ”、来た来た、ってな感じです。RくんとHさんは早速交渉していました。わたしは例によって、遠巻きにそれを眺めているだけでした。
よく考えたら、ガンジャも吸わないのに、何でジャマイカ(っぽい町)に来たんだろうわたし…。ジャマイカっつったらそれだよなーやっぱ…はぁ。

LIVINGSTONE2.JPG - 23,884BYTES ガンジャを売りに来たお兄さん。いかにもなこの雰囲気(笑)。

ここではあまりねちっこく書くのはやめておくけれども、ほんっと、何でバックパッカーはガンジャが大好きなんだろ?ガンジャって云うか、ドラッグ全般だけれども。
わたしとRくんHさんは3人ドミトリーに泊っていたのですが、外に出ていたわたしが帰って来てドアを開けると、別の宿に泊っていたメキシコ人女子2人が遊びに来ていて、それはいいんだけど、みんなでガンジャ吸ってるんだよねえ。何度も云うように、ガンジャが苦手、というかこういう雰囲気が苦手なわたしは、荷物だけ置いて、すぐにまた部屋を出ました。いつものように、ある種の疎外感を覚えながら。
あとでまた帰って来て、みんなでご飯を食べたのはいいけれど、何だかほかの4人は心なしかハイになっている感じでした。お酒を呑んで酔っ払っているような感じというのかなあ。
けっこうなことだな、とまたわたしは、孤独な思いにとらわれるのでした。

“リラックスする”というと、すぐにガンジャと結びつくのも疑問なんですよ。
何も見どころがないのに「○×はすっごいいいとこだよー」とやたら薦められる場所というのがあって(例:サン・ペドロ・スーラinグアテマラ)、何でかなあと思っていたら、大体が”ガンジャが安く手に入る”ところなんだよねー。つまり、そこで1日中何もせずにきまってるわけだね(多分)。それをリラックスと彼らは云うのだね。
ガンジャがないとリラックスできないのかー???
別にガンジャなんかなくったって、ここリビングストンは充分リラックス出来る場所だと思うんですよ。散歩しているだけでも。狭くて暗いドミトリーでガンジャ吸っている方がリラックスできるの?(そうなんだろうなあ)
何かね、リラックスする=ガンジャを吸う、っていう図式が、どうにもついていけないんだわたし。
吸ったこともきまったこともないクセに(あ、1回だけアムスで吸ったけど)、生意気なこと云うな!って罵られそうだけど、最近どうも、ドラッグが極度に苦手になってきて…一時は少し偏見も薄れていたのに、どうしちゃったのかしら。
その辺の話はまた、旅先むだ話の方で綴ってみることにします。

それは抜きにしても、リビングストン自体はのんびりしたいいところでした。
素朴な木造あるいはわらぶきの家、裸足で走り回る元気な子供たち、端から端まで歩いても10分もかからないメインストリート。やしの木があちこちに生え、家の軒先ではハンモックが吊られ、いかにも南国らしい雰囲気です。
住んでいるのは黒人ばかりかと思っていたけれど、先住民系と半々くらいですね。

すっかりリラックスモードのRくんとHさんは、しばらくここで滞在する模様でしたが、わたしは2泊で出て、アンティグアを目指すことにしました。
ガンジャがどうとかいう問題ではなく、とにかく移動に焦っているのです。メキシコでの遅れを取り戻すというのもあるし、とある約束のために、わたしはこれからニューヨークを目指すことになったのです。
確実な約束ではないけれども、これ以上ダラダラする気はないので、いい目標です。”2月末にニューヨークに行く”。どちらにしても、今のわたしには、1歩でも旅を進めることが、一番大事なことなのです。

LIVINGSTONE68.JPG - 22,910BYTES ライブハウス(?)はもちろんラスタカラー。中を覗くと、黒人のおばちゃんたちが踊りの練習をしていた。

アンティグアの日本人宿・ペンション田代に着くと、メキシコのオアハカで会った野村夫婦がすっかり沈没していました(笑)。沈没と云っても、旦那さんはスペイン語学校に通っており、奥さんはペンションの娘さんの家庭教師をしているのですけどね。
カイロのサファリホテルで同室だったSさんともこんなところで再会しました。実に1年以上ぶりです。
さらにびびったのは、ジンバブエでともに強盗に遭ってしまったUくんとまで再会したこと。彼は田代には泊っていなかったのですが、たまたま入ったレストランでばったり!いやー、オバケかと思ったよ(笑)。彼は上記のSさんとベリーズで一緒にダイビングツアーに参加していたそうで…うむむ、世間は何と狭いのか。

ほかの宿泊客たちは、ほとんど初対面だったのですが、それでも旅行ルートが似ているだけに、共通の知り合いが必ずいる(笑)。
N夫婦は『つあーめん』のトシヤス氏とウシュワイヤで会っており、『どこやねんグアテマラ』のきょきーとさんとも友達。TくんはI 夫婦とブエノスアイレスで会っているだけでなく、わたしがサンパウロの荒木に居た頃、本人は別の宿にいたけれど、よく荒木に出入りしていたらしいのです。「絶対すれ違ってるよ!」なんて云ってお互い驚いていました。
さらにこの3人は、わたしがベネズエラのエンジェルフォールツアーで一緒だったTさんのことも知っていました。Tさんは旅の間に4回強盗に遭ったという伝説の持ち主で、Tさんと云えば強盗話ってことで、しばし彼女の話題で盛り上がってしまいました(すみません)。
もちろん、メキシコシティのアミーゴから流れてくる人も少なからずいるので、「いやー、旅人社会は狭い。悪いことは出来ないなあ」と改めて思うのでした。ま、日本人宿に泊らなければカンケーないけどね。

ここでの出会いで印象的だったのは、映像作家のKさんとのそれでした。
ある朝、グアテマラのトドス・サントス・クチュマタンという村の民族衣装を着ている人が食卓に座っていたので、「ああ、それはトドスの衣装ですね?わたしも欲しいんですよー」と話しかけたのが最初でした。
そのとき、彼の撮った『チベットチベット』というドキュメンタリー映画の話題になり、Sさんがちょうどそのビデオを、通っている語学学校に返しにいくところだというので、「それなら今から見る?オレも返す前にもう1回見たかったし」と、急遽上映会が開かれることに。

この映画が、非常に素晴らしかったんです。
在日韓国人であるKさんが、自分のルーツを求めるような形で旅に出、そこでチベットという地域と文化に出会う。亡命を余儀なくされながらも、自分たちの文化やアイデンティティを確固として守ろうとする彼らに興味を持ったKさんは、何と、かのダライ・ラマ14世とコンタクトを取り、10日間ダライ・ラマの一行と行動をともにすることになるのです。
最後は母国・韓国に立ち寄るところで映像は終わるのですが…泣けましたね。それも1度や2度ではなく。
ダライ・ラマが、インドのダラムサラに新しくやって来た亡命者たちに励ましの言葉をかける場面や、ダラムサラで生まれた亡命者の2世に「チベットに帰りたいですか?」と質問すると「はい。チベットはわたしの国ですから」と答えが返って来る場面、最後の方で、ダライ・ラマがKさんに「ありがとう」と云って握手を求めてくる場面…それに、映っている現地の人たちがとてもいい顔をしているのも印象的でした。
国とは何か、民族とは何か、といったことを、久しぶりに、真剣に考えさせられました。詳しくはいずれ、稿を改めて書いてみたいと思いますが、この感動を、とにかく本人に伝えたい!という興奮に囚われたわたしは、その日の晩、彼をとっ捕まえて(?)あれこれ話を聞き出しました。

彼は、新作の撮影のためにグアテマラに来ていました。
今回の作品は、民族衣装がテーマ。と云っても、前回のようにシリアスなものではなく、純粋に”美しい民族衣装”を撮っているのだそう。
民族衣装を見るためにグアテマラに来たと云ってもいいわたしは、この映像が出来上がるのが本当に待ち遠しくてなりません。「完成したら絶対連絡下さいね!すっごい楽しみにしてるんで!」と熱い口調で迫るわたしは、まるっきりファンのそれでした(笑)。
『チベットチベット』に興味を持たれた方は、こちらへ飛んでみて下さい。

さて、個人的な話題が長くなりましたが、アンティグアという町についてもう少し。
火山に囲まれたコロニアルな町並が残る世界遺産の町という顔と、スペイン語学校の多い町という2つの顔を持つアンティグアは、グアテマラの旅では、ティカルと並ぶ一大観光地です。
観光とは云っても、何か特別なものを見るという感じではなく、町全体の雰囲気を満喫すると云った方がいいかも知れません。広い石畳の町を、特に目的もなく歩いているだけでも楽しめます。コロニアルな町並にふさわしい、お洒落なカフェや雑貨屋もそこここにあるし。
しかし、コロニアルエリアを少し外れると、庶民の味方メルカドがあり、美しい民族衣装をまとった先住民系の女性たちが闊歩しているのもまたいいですね。
感じとしては、メキシコのサンクリストバルと少し似ているかも。アンティグアの方が若干洗練されている気はしますが。

そして、日本人旅行者にとっては、日本人宿があるせいもあって、中米随一の(?)沈没ポイントでもある。南米へと南下していく旅人が、ここでスペイン語を習いがてら沈没するというのが、ひとつのモデルコースになっている感があります。
ここに沈没者が多いのは何となく理解できますね。学校に通うという大義名分もあるから、それなりに有意義な沈没(という云い方もヘンだけど)ができるし。
わたしも、少しばかりゆっくりしてしまいました。と云っても4日くらいですが。ここで本格的に沈没している場合ではないので、明日から、本来の目的である”民族衣装めぐり”の旅に出かけます。

ANTIGUA91.JPG - 17,181BYTES 十字架の丘から、フエゴ火山とアンティグアの町を臨む。上から町を見ると、まるで箱庭のようだった。

(2004年1月12日 アンティグア)

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