旅先風信0「ドイツ・チェコ」


先風信 vol.0

 


 

**カタロニア人男子1名+日本人女子2名の奇妙なアルチュン旅行**

 

3月14日(木) 大阪→フランクフルト→デュッセルドルフ 「野ぎくちゃん旅立つの記」

準備なんて実際には半年も前からやっていたはずなのに、徹夜でパッキングしてもまだ終わらないのはどういう所業なのだろう。昨日もかけずり回って買い物していたのに、何かが足りない気がする。もともとカンペキな用意なんて無理だとは思っていたけれど、かなり不安が残る。関空まで見送りに来ると云っていた友人から寝ぼけた声で電話が入り、寝坊したので行けなくなったと云う。こやつは結構かっこいいこと云って「絶対見送りに行く」と硬く云い放っていたのに。出発早々ケチつきまくりである。まあ下手に見送りなんかない方があっさりしてて旅立ちらしいか、と前向きに考えることにする。最寄の駅までは父親が送ってくれた。泣かれるかと思ったがそんなことはなく、むしろ、会社に出勤する娘を送りに来たような普通さだった。

京阪電車に乗ると、燃えるようなオレンジ色の朝日が差しこんできて、ああ旅に出るんだなあという実感が少しだけ込み上げる。久しぶりに背負うバックパックの重みが適度に心地よい。…などと感慨にふけっていたのは関西空港に着くまでだった。前日に銀行口座に入れられなかった現金30万円を振り込むべく銀行を探し回ったり、嶽本野ばらファンクラブの会報誌代を振り込んだり、これから訪ねるドイツの友人への土産に買ったカルピス(瓶入)を家に忘れたためカルピスを探してえんえんショッピングモールをうろついたり、もちろん外貨を替えたり搭乗券を引き換えたりetcと、搭乗ぎりぎりまで汗をかくほど慌しく、旅立ちの感慨にふける間もなく飛行機に乗ることになった。

飛行機は大韓航空。10時関空発でソウルを経由し、17時35分フランクフルト着。飛行機の中はほとんど寝ていた。フランクフルト国際空港からICEという特急列車でデュッセルドルフへ。切符を買うのにも右往左往し、ヨーロッパなら何とかなるとナメてかかっていた自分に早くも不安を感じ始める。デュッセルドルフの中央駅には、これからしばらくお世話になる日本人留学生の乙女友達(※嶽本野ばら氏のファン仲間)Kさんと、明後日から一緒に旅行することになったKさんのお友達でカタロニア人のアルバートが迎えに来てくれていた。思ったよりも気温が低く、外に出た途端咳が止まらなくなってしまい、アルバートに苦笑される。Kさんのアパートは日本では考えられない広さのワンルームで、間接照明がとてつもなくいい感じ。これぞ、ザ・ヨーロッパの一人暮らし、と勝手に感激する。


3月15日(金) デュッセルドルフ 「久々の海外第一日目の記」

どこに行きたいですか?と聞かれて、わたしは一も二もなくスーパーと云う。明日からの旅行のための食糧買出しも兼ねて「real」という大型のスーパーマーケットに連れて行ってもらう。スーパーは楽しい。わたしは海外に来るとどこの国でもとりあえずスーパーに行く。洗剤のパッケージがアルファベットになっていたり、色とりどりの菓子の陳列を見ただけで本気で興奮してしまう。家に戻ってサラダやスープやサンドイッチでちょっとカフェ気分な昼食を取る。ああ、何かしあわせ。あれほど気になっていたお笑いのことも、日本の家族や友人のことも不思議なくらい考えなくなっている(父よすまぬ)。

デュッセルドルフの街を案内してもらいつつ、Kさんと色々話をする。Kさんは半年前からこっちに来ていて、現在はデュッセルドルフ大学の語学学校でドイツ語を勉強している。わたしよりも2つも年下の女の子が、こんな異国の地で一人で生活しているということは、実際に目の当たりにして初めてすごいことだと感じる。その上、ドイツ語はもちろん、英語も話せるので素直に尊敬してしまう。わたしはすっかりKさんにおんぶに抱っこ状態である。

夕方からアルバート宅へ。今日はここに泊って明日の早朝から出発するのだ。わたしはドイツ語は話せないので必然的に英語になるわけだが、いざ食事をしながら歓談となるとさっぱりダメ、と云うよりもはや壊滅状態で、失語症でも患ったかの如く何も話せない。ご飯もあまり喉に通らない。そんなわたしにアルバートはすっかり困惑していた(と思う)。安く上がるだろうと思って、元々はKさんとアルバートの二人旅だった旅行に便乗したわけだが、やっぱり止めとけばよかったのかも…とすっかり不安になる。

GERMAN4.JPG - 15,264BYTES 楽しくて安上がりなカフェごっご。


3月16日(土) デュッセルドルフ→ニュルンベルグ 「奇妙なアルチュン旅に出るの記」

今日からKさんとアルバートとの3人旅行だ。日本人女子2名にカタロニア人男子1名という、世にも奇妙な3人組は、アルバートの黒いシトロエンで一路ニュルンベルグへ。あまりにヘンな組み合わせのせいか(?)、街を歩いていると道行く人に振り返られる。わたしは突如、関西でやっていた『見参!アルチュン』というテレビ番組を思い出した。これは、女優の藤谷文子、芸人のケンドーコバヤシ、役者の山内圭哉が、3人で大阪の街をひたすら歩き倒し、ヘンなものを見つけては勝手なことを想像しあうというヘンな番組で、わたしは結構好きで見ていたのだ。奇妙なアルチュンだわこれは、と一人考えてちょっと可笑しくなる。アルチュンinドイツ(まあ国際的)。ニュルンベルグは赤い屋根にとりどりの色の壁の家が立ち並び、想像するヨーロッパの街そのものという感じ。土曜市のにぎわいもいかにもヨーロッパらしく、写真を撮りまくる。

夜は、サッカーの試合を見たいというアルバートの希望によりスポーツバーを探しに行く。が、1時間くらいさまよった挙句見つからず、結局その辺のパブに入ることに。そこに居合わせたポルトガル人のアントニオ(38)が、日本人女子が珍しいのか何故かビールをおごってくれる。彼は、ポルトガルで失業したのを機に、アジアまで旅に出ようとしたのだがニュルンベルグでサンドイッチを買った時点で資金が付き(とほほ;)、警察に泣きついたところたまたまその警官がポルトガル語が話せて、金がないならニュルンベルグにあるポルトガル人のコミュニティに行くようにと薦められ、そこでその日の内に仕事が見つかり、気がつけばそのまま11年…という、放浪人生を絵に描いたような成り行きの男だ。こういう人生もあるんだなーと感心すると同時に、人生何とかなるもんだなと妙な安心感を覚える。ビールがいい具合に回って気分がいい。

GERMAN6.JPG - 48,087BYTES ニュルンベルグにあるカイザーブルグ城。


3月17日(日) ニュルンベルグ→プラハ 「乙女の国でわれを忘れるの記」

チェコ、そしてプラハという地名は、旅心とともに乙女心をもくすぐる響きだ。そこから連想する数々のキーワード―カフカ、ミュシャ、ゴーレム伝説、マリオネット、チェコアニメーション、その代表格であるヤン・シュヴァンクマイエル…おどろおどろしさと可愛らしさが共存した、奇妙なチェコ文化。しかし、ドイツからチェコの国境を越えてしばらくの間窓から見える風景は、東欧ならではの殺伐さと貧しさを感じずにはいられない。しかも、何となく日本の田舎のさびれた国道沿いみたいだ。そして、到着したプラハ中央駅の中も妙に薄暗く、地下道はボロボロ。軽く失望しそうになる。

だが、プラハの中心地に入るなり、印象は一変した。道に迷っていらつくアルバートをよそに、わたしは密かに興奮しながら車の外を眺めていた。古色蒼然としたクラシカルなヨーロッパ、もとい欧羅巴な街並は、ニュルンベルグの印象がすっかり色あせるほどだ。街の中心を流れるモルダウ川、そこにかかる有名なカレル橋、丘の上に立つ巨大な要塞のようなプラハ城、黒く尖った屋根のゴシックな教会群、そしてすべての建物にほどこされたやや過剰な装飾…。もう見るものすべてがロマンティックでクラシカルで、イメージしていた以上の乙女の国。ああ、うっとり。街を走るトラムまで可愛い(ボロいけど)。

さて、見どころ満載のプラハだが、あえてわれわれはこの日、ヤン・シュヴァンクマイエルのアトリエに向かった。これはKさんとわたしの希望である。実はわたしは最新作の『オテサーネク』くらいしかまともに見ていないのでファンとはとても云い難いのだが、チェコのイメージとしてずっと抱いていたのが彼の映画だった。Kさんが事前に調べていた住所を手がかりに、カレル橋をわたって丘の方に向かって歩く。日も落ちてきて、街灯が点されると石畳の街並みはいっそう幻想的になる。丘の方は中心地よりも静かで、ほんの一瞬だが、違う時代に紛れ込んでしまったような気分に襲われる。そんなロマンティックな街並みを抜けて、丘の一番高いあたりにヤンのアトリエはあった。普通の家なのでとても分かりにくく、何度も通り過ぎては住所を確認したほどだ。しかも30分近く上り坂を歩いてやっとたどり着いたというのに閉まっていた。閉館時間にはまだ少し余裕があったのに…残念としか云いようがない。意気消沈するわれわれを見てアルバートは笑っていた…。

ところで、この日はアルバートが適当な安食堂のようなところを見つけてそこで夕食を取ったのだが、ここのウェイトレスが異様に皿を下げるのが早いのには笑ってしまった。これってチェコの習慣なんだろうか。でも料理は美味しかった。何の飾り気もないいたってシンプルなスープとポテトとアップルパイというコース(?)で、素朴な味わいは学校の給食のような懐かしい感じがした。

CZECH20.JPG - 13,959BYTES 閉まっていたが一応記念撮影。ヤンのアトリエ。


3月18日(月) プラハ 「アルチュンinプラハの記」

今日はプラハ城へ。ミュシャの手がけたステンドグラスがある聖ビート大聖堂は圧巻だ。このデコラティブさ、まさにゴシックという感じで大感激。やや白け気味のアルバートをよそに写真を撮りまくる。城内にある黄金の小道は、かつてカフカが住んでいたという家があり、現在は本屋になっている。この黄金の小道に並ぶ店は、観光客相手とは云え、かなり乙女心をくすぐるものばかり。中には中世の武器屋なんかもあるが(マニアがいるんだろうか?)。そして、プラハ城から見るプラハの街並は、ああ、これまたいかにも欧羅巴。

お昼は昨日いつの間にやらアルバートが見つけた安い食堂で食べることに。彼のこういうことにかけての嗅覚(?)にはちょっと感心する。例の給食の味がするスープと、ポテトの肉詰めにザワークラフトをかけた料理。チェコ料理、素朴な味でわたしは好きだ。食後の運動がてらまたまたアルチュン的に街をうろつきながらユダヤ人墓地に行く。しかし中に入るのは金がかかるのでやめよう、ということに。アルバートは墓なんかを金払ってまで見ようとするわれわれの気持ちが全く理解できない様子。まあ分からないでもないけど。歩きすぎて疲れたためいったんホテルに戻るが、わたしは墓地があきらめきれずこっそりまた街に出る。地図も持たずに出たわりには難なく辿り着く。しかしもう閉まっていてショックを受ける。

その後も夕食まで時間が有り余っているのでとにかくうろつき回る。うろつくのがこんなにも充実した街はそうそうないだろう。もう何を見ても価値があるような気がしてくる。夕闇を背にライトアップされたプラハ城は何度見ても幻想的で美しい。ぼんやりとカレル橋を歩いていると、日本人旅行者(男子)が声をかけてきた。卒業旅行で来ているそうで、ご飯を一緒に食べる人を探していたらしい。日本でやったらただのナンパだが、旅先になると声をかけやすいと云うか、人恋しくなってつい声をかけてしまうんだろうな。しかしわたしは宿に戻って食べることにしていたので、丁重にお断りし、ホテルに向かう途中まで話をしながら歩く。

夜はまたまたアルバートの直感により、橋向こうのジャズバーみたいな店に入ってビールを飲む。Kさんとのツーショットの写真をデジカメで撮ってほしいと云われシャッターを押したところ、上手い具合に電池が切れてしまう。デジカメってすぐ電池を食うんだな。だが、Kさんが「電池をこすり合わせるとちょっとだけ復活する」という豆知識を思い出し、やってみると本当にちょっとだけ復活し、大いに笑う。これから先の旅でかなり役に立ちそうな知識だ。

CZECH13.JPG - 11,334BYTES 夕方のカレル橋。写真が暗いが実際はとても幻想的だ。


3月19日(火) プラハ、クトナー・ホラ 「ガイコツに呪われ物乞いをするの記」

今日はアルバートを置いて、Kさんと二人でクトナー・ホラというプラハ郊外の街へ出かける。4万人の人骨でできたコストニチェ(墓地教会)があるのだ。相変わらずそんなものばかり見に行くわれわれに、アルバートは呆れていた(と思う)。プラハ中央駅でパンをかじりながら電車を待っていると、日本人旅行者らしい男子が声をかけてきた。彼は一人でヨーロッパくんだりまで来ているわりには全くやる気がない様子で、プラハって何があるんですか?などと尋ねてくるのでちょっと驚いた。こんなんでいいのか?と自分の無知は棚にあげて思う。クトナー・ホラまでは55分。何ともうら寂しいローカルな駅だ。人気もなく、雨も降っているしで、意味もなく不安になる。

教会までは歩いて10分くらいだ。こじんまりとした町の教会という感じだが、中に入るとうわさにたがわずガイコツの嵐。シャンデリア、祭壇はもちろん、壁に書いた文字も骨、膨大な量のガイコツでできた釜みたいなものまである。しかしこれだけやられると怖いというより面白いくらいだ。観光客もちらほらいて、みんな写真を撮りまくっていた。ガイコツにさわると(こらっ)何だかすべすべしていて、本物の人骨という感じがしなかった。

CZECH16.JPG - 20,648BYTES 墓地教会。すべての装飾が人骨。現在も空きがあればここに埋葬してくれるそうだ。わたしも埋葬してもらおうかな…。

目的を果たしたわれわれは、ここで満足して大人しく帰るべきだったのだ。だが、中途半端に時間が余っていたため、中心地まで足を伸ばして聖バルバラ教会というゴシック様式の壮麗な教会(と『歩き方』に書いてある)に行くことにした。雨は小雨ながらいつまでたっても止まず、寒いことこの上ない。いつしか二人とも無言になる。プラハのように親切な案内板もないため、歩けど歩けど目的地に近づいているような気がしない。地方都市ならではのさびれ感がひしひしと身に沁みる。団地とかいかにも貧しげで辛気臭い(ボロかす云ってんなわたし)。20分近く歩いただけだったが、身も心も疲れてしまい、結局あきらめて帰ることに。

帰る道すがらお腹が減ってしまったので、行きしなに見つけた何故か「アルバート」という名前のスーパーに寄る。ここでへらへらと買い物していのがいけなかった。アルバート(スーパーではない方)に遅くなる旨を電話し、駅に戻って時刻表を見ると…電車が全然ない。1つ前の電車は20分くらい前に出てしまい、あと1時間近く待たないと次が来ないことになっているではないか。「これってガイコツに呪われているんじゃ…」とどちらからともなくそんな言葉が出るほどブルーな展開。空腹に負けた自分を責める。

やっとのことでプラハに戻り、ホテルに帰るとアルバートがいない。しばらく待ってみるが現れないので、電話しようとするとまた問題が発生する。コイン式の公衆電話が何だかヘンなのだ。お金を入れてもかからない上に入れたお金が返ってこない。まるでドロボーのような電話である。どの電話もことごとくドロボーなので仕方なしにKさんがテレカを買って電話すると、アルバートは何と昨日昼食を取ったビストロで、偶然知り合ったチェコ人と飲んでいるというではないか。ありえない展開に絶句、かつ逆ギレのKさん。遅れて本当にごめんなさい、を英語で如何に表現すればいいかをずっと考えていたわたしは、ただただ拍子抜けするばかりだった。

ビストロに行くとチェコ人男子二人とアルバートがかなりいい感じに出来上がっていた。何でも、昼ごはんを食べに来たアルバートが、ステーキと間違えてチーズを300グラムも注文し(どんな間違い?)、チーズが嫌いなアルバートは隣にいたチェコ人男性に助けを求めた、というのがそもそもの馴れ初め(?)という。実に旅先らしい出会いではある。その内チェコ人の友達が次から次へとやって来て、総勢8名くらいの団体に膨れ上がる。彼らはめちゃくちゃビール好きで、一人当たりピルスナー10杯くらいのレベルでがんがん飲む。さらにタバコも吸いまくるのでここのテーブルだけ白いもやがかかっている。“煙が目に染みる”という経験を久しぶりに味わった。すっかりタバコの煙にやられてしまったKさんとわたしは、アルバートを置いて店を出ることにする。帰りにKさんがチェコ人軍団にテレカを売りつけようとするが、皆携帯を持っているため買ってくれなかった。

せっかくだから拷問博物館でも行きませうと、はりきって夜の街に出かけたところ、拷問博物館が閉まっていやがる。チラシには22時までと書いてあるのに、1時間も早く閉めるなんて…完全に誇大広告だ。今日はとことんついてないわね、やっぱガイコツに呪われてるんでしょとだんだんヤケになったわれわれは、帰り道、日本人らしき男子の二人連れを発見し、今日は彼らにビールをおごってもらおうとかなり迷惑な試みをしかけることにした。

5分くらい付回した後(こらこら)、ようやく捕まえて「すみません、日本の方ですよね?テレカ買いませんか?」といきなり話し掛ける。卒業旅行で来ているという彼らは明らかに迷惑そうな顔をしていたが、「いやー、実は悪い人にお金を全部取られて(アルバートのことだ)今一文無しなんですよ〜。ご飯も食べてないんです〜。テレカ買ってくれたらご飯も食べれるんだけど」とウソをまくし立てて食い下がり、逆ナンがいつの間にかただの物乞いと化していた。しまいには片方に「お前(連れ)恵んでやれよ」と哀れまれるほど頑張った(?)が結局買ってくれなかった。これだから日本の男はケチって云われるんだよ(違うって)。こうして、ガイコツの呪いによって物乞いを体験するハメになった(?)われわれは、宿に帰ってカップヌードルをやけ食いすることによって本日の禊をしたのだった。

CZECH19.JPG - 19,614BYTES ビールを飲みまくるチェコ人軍団とアルバート&Kさん。


3月20日(水) プラハ→ミュンヘン 「雨のミュンヘンを徘徊するの記」

朝からプラハを出発し、ミュンヘンへ。途中レーゲンスブルグという街に立ち寄り、ドナウ河を見たあと、イタリア料理屋でスパゲッティを食べる。少し道に迷いアルバートがちょっとキレる。ミュンヘンに到着するともう夕方だった。宿はユースホステルだ。今まで個室だっただけにドミトリーはやはりわびしい感じが否めない。しかも今までの個室の方が値段が安いのはどういうわけなのだ。これから一人になったらユースを泊まり歩かなくてはいけないのだが、ちょっと不安になる。夕食は節約してユースの食堂。旅の主導権を握る(?)アルバートが倹約指向なので、贅沢せずに済むのはとても助かる。食後は雨にもかかわらず市街地の方に出かけてうろつき回り、とても寒い思いをした。本当にこの旅はよく歩くなあ…。やっぱアルチュンだ。でも、どんなに疲れていても、ウインドウショッピングで可愛いものを見つけると幸せな気分になるのだから現金なものだ。バイエルンの民族衣装がロリータっぽくて思わず欲しくなる。 


3月21日(木) ミュンヘン、シュタルンベルグ 「ルーさまの墓参りに行くの記」

信じがたいことだが、今日が実質的に初めての単独行動である。今日はミュンヘン郊外のシュタルンベルグにある、バイエルン国王ルートヴィヒ2世のお墓に行くのだ。ルートヴィヒ2世というのは、ワーグナーのパトロンであり、かのノイシュバーンシュタイン城を建てた人である。有名な人物ではあるが、墓は観光地でも何でもないため、交通の便が非常に悪い。そんな場所に何故わざわざ一人で行くのかというと、それはわたしがルーさまのファンだからである。墓ばかり行くわたしは、アルバートからすっかり墓マニアとみなされている様子。

墓はシュタルンベルグ湖のほとりの教会の側にある。たどり着くまでは一苦労だった。まずバスの本数がないし、バスを降りてからも、本当にこんなところにあるのかと不安になるほど人気がない。乏しい道案内を頼りにどんどん林の中に入っていくが、本当に誰もいない。生き物すらいない。視界に入るのは枯れた木々、聞こえてくるのは風がびゅうびゅう吹きすさぶ音だけ。ここで殺されても1週間くらい発見されなさそうだ。不安と奇妙な興奮に駆られて10分くらい走り続けたあと、やっと目の前に小さな教会が現れた。ということは間近のはず。………あれだ。想像していたよりもずっと簡素な十字架が湖のきわに立っている。ここが、ルーさまが自殺とも他殺とも云われる謎の死を遂げたあの場所なのか…。十字架の下に供えられた赤い花は枯れかかっていた。その静謐すぎる佇まいに、何とも云えぬ感慨に打ちのめされる。教会はおそらくルーさまの死に関係のある場所だと思うが、冬期は閉まっている様子で入れなかったのが非常に残念。

午後ミュンヘンに戻ってレジデンツ宮殿を見に行く。ここはバイエルン王家のかつての住居である。あの寂しい湖から帰って来ると余計に豪華絢爛に見える。ルーさまもかつてはここに住んでいたのか…とすっかりルーさま中心に観光するわたし。しかし、パンフレットを渡されてもさっぱり役に立たないほどわけのわからない順路になっていて、本気で迷子になりかけた。

その後、ルーさまの霊廟があるという聖母教会を訪れるが(またルーさま)、それらしきものは見つからなかった。見落としているのだろうか?雨がひどいのでしばし雨宿りしつつ、ダッハウに行くか否かを思案する。ダッハウにはナチスの収容所があり、ミュンヘン市街地からは電車で20分のところにある。このダッハウ収容所はゲイ映画『ベント〜堕ちた饗宴』の舞台にもなった場所なので前々から興味があったのだ。4時前という中途半端すぎる時間にかなり迷ったが、閉館していたら外観だけでも見よう…と意を決する。

だが、こんな時に限って電車がなかなか来なかったりするのだ。結局ダッハウに着いたのは4時45分前。案内板を見ると5時閉館だ。しかも駅からは歩いて55分!雨もどんどんひどくなり、一気に萎える。間が悪いったらない。知らない土地ではもっと下調べして時間の余裕を持たさなくてはいけないと、めちゃくちゃ当たり前のことを痛感する。気の向くまま、なんて云えば聞こえはいいけれど、実際はそう上手くいくものではない。よれよになってホテルに戻る。

GERMAN10.JPG - 27,699BYTES シュタルンベルグ湖にひっそりと立つルーさまの墓碑。


3月22日(金) ミュンヘン、フュッセン(ノイシュバーンシュタイン城) 「ルーさまの趣味につきあわされるの記」

念願のノイシュバーンシュタイン城へ。ルーさまの夢の城であるノイシュバーンシュタイン城は、ドイツ旅行の最大の目玉と云っても過言ではないだろう。しかし絵葉書で見るのとはかなり印象が違う。もっとどどーんとでっかいお城かと思っていたらそうでもない。要塞みたいだ。城までは専用のバスを使って上がる。途中でマリエン橋という絶景スポットがあり、ここから見る城は絶句するほどきれいだった。こんな時期でも観光客が列をなしていて、われわれも1時間半くらい待たされる。夏はディズニーランド並みに待たされるとガイドブックに書いてあったが、なるほどなと納得する。あまりにヒマなので日記を書いてみたりする。城はガイドなしでは入れない。われわれのグループには英語のガイドがついたのだが、云っていることが1割くらいしか分からずちょっとあせる。城内は、レジデンツ並に飾り立てられ、ワーグナーのオペラの絵がそこここに描かれている。しかし、ダークな色の木を基調にしているせいか、それほどうるさい感じもない。この暗い城内からアルプスを見れば、俗世間から全く隔離されたような気分になること請け合いだろう。自らを”月の王”と称したルーさまが、この厳しく冴え渡る山の風景を好んだのは大いにうなづける話だ。さてここに来たからにはみやげ屋でルーさまグッズを買い漁らなくてはならない(?)のだが、みやげに興味のないアルバートに「もう買ったのか?」などとせかされ、焦ってつまらない絵葉書セットを買ってしまう。シャイセ(※ドイツ語でfuckの意)。

目の前にあるホーエンシュヴァンガウ城には寄らず、何故か遠く離れたリンダーホフ城に向かうことに。今回の旅ではわたしはどこに行くのかよく分からないことがしばしば。一人旅に出てきたはずが、すっかり便乗旅行である。リンダーホフ城はオーストリアとの国境近くにあるこれまたルーさまの建てたお城。車はチロルの山道をひた走り、いつの間にかオーストリアに入っていた。そこここにアルプスの雪解け水が流れる小川があり、それがとてつもなく青緑色に透き通って美しい。しかし交通の便の悪いところだ。車でなければ結構しんどいだろう。Kさんが「ほんと、ルーさまのご趣味には付き合いきれないわね」と苦笑していた。

リンダーホフ城は工事中のせいもあって外観を見る限りでは大したことなさそうだったのが、中に入って大いに予想を裏切られた。この城は、フランスのルイ14世に憧れていたルーさまがパリのプチ・トリノアン宮をイメージして作ったという離宮で、入り口にいきなりルイ14世の銅像があるわ、ポンパドールやデュ・バリーといったブルボン王朝の有名な貴婦人の絵が至るところに掛けてあるわで、ルーさまのなみなみならぬ傾倒ぶりが伺える。病的に飾り立てられた部屋は可笑しいと云うよりもむしろ痛々しい。こんな妄想の中でしかルーさまは幸せになれなかったのかと思うと、悲しすぎる。

結局ミュンヘンに戻ったのは夕方。アルバートはすっかり疲れ果てている。そりゃまあこんだけ運転したら無理もない。Kさんとわたしは、ねぎらいの意味も込めて今日の夕食をおごってあげることにした。ユースの食堂が閉まっているので、市庁舎の近くの大きなビアホールに行く。ドイツに来たからにはやはり肉。肉を食わねば始まらないだろうということで(?)、わたしは頭蓋骨くらいの大きさのチキン、アルバートは分厚いチャーシューのような肉、Kさんはシュニッツェル(トンカツみたいな食べ物)を頼み、ビールもいつもよりたくさん飲む。そしてすっかり酔っ払い、千鳥足で帰路に着く。

GERMAN22.JPG - 16,212BYTES 絶景ポイントであるマリエン橋から見たノイシュバーンシュタイン城。


3月23日(土) ミュンヘン→ストラスブール→デュッセルドルフ 「膀胱炎になりかけるの記」

朝早くミュンヘンを出発し、次なる街ストラスブールへ。これも成り行きでそう決まったのだが、道に迷ったアルバートがこれまでで最大にキレる。彼は前々から道に迷ったり、何かしらトラブルがあると「シャイセ(英語のfuckと同じ意味)」を連発するのだが、今回はかなり怖い。相変わらず彼とKさんにすべて任せっきりのわたしはいたたまれない気持ちになる。こんなんではとても一人で世界を旅していますと胸を張ることはできない。何しにこんなところまで来たのだわたしは。すっかりダメ人間だ。しかし、当のアルバートはトイレに行った途端機嫌が直り「Do you like here?(この町気に入ったか?)」とか云っている。うーん…。

ストラスブールは、何の期待もせずに行ったためか、予想以上にいいところだった。国境の街とは云ってもここはれっきとしたフランス。「TATI」や「プチバトー」と云ったオリーブ少女の必須ショップが軒を連ね、街を歩く女の子も何となくお洒落な感じがする。『オリーブ』の洗脳、恐るべし。みやげ屋まで可愛いので、もうどうしましょう、きゃっきゃという感じだ。パリに行ったことのあるKさんは「パリよりもオリーブ的」と云い、すっかり気に入った様子。街並みはドイツ風と云うかチロルの山小屋みたいで、ドイツとフランスのいいところがぎゅっと凝縮された感じ。だがアルバートが必死で宿を探し歩いているのであまりキャーキャー騒いで立ち止まるわけにもいかない。

適当な宿が見つからないので、他の街に移動することに。だがどこに向かっているのかは相変わらずよく分からない。その内わたしはものすご〜〜〜くトイレに行きたくなってきた。朝から1回も行っていないので当然だ。どこに行くのかと聞く気力もなくぼんやりと我慢していたのだが、どうも前の二人が「コブレンツ」とか云っている。コブレンツというのはドイツ中部の街の名だが、ふと外を見ると「コブレンツ 159km」の表示が目に飛び込んできた。159km!?ということは時速130キロで走っても1時間以上はかかるではないか。

そんなに我慢できない…できるのかも知れないが、我慢したくない。でも、何となく、恥ずかしいわけでもなんでもないけど云いにくいので放っておくと、やはり抜き差しならない状態になってきた。まさか漏らしたりはしないが、とにかく膀胱が痛い。これって破裂するんじゃ…とふと不安になる。ここで膀胱炎になって旅が終わったりしたらどうしよう。そんなのアホすぎるだろう。その内、わたしの顔色がおかしいことに気づいたKさんが、アルバートにその旨を伝えてくれている様子(ドイツ語なので分からない)。だが一向に高速を降りる気配もなく、アルバートはかなり面白がって「ほら、夕焼けがきれいだよ」とか云っている。おいこら!冗談じゃないっちゅーに!本当に破裂したらどうするんだ?愛車が汚れてもいいのか?(とKさんは云ったらしい)

それから20分くらいが経った頃、アルバートはようやくわき道の公衆トイレに寄ってくれた。こんなことわざわざ書くのもなんだが、1分近く尿が出続けた。すっかり気の抜けた表情で戻ってきたわたしに、アルバートは「1リットルくらい出たんじゃないのか」とからかうので「いや、もっと出た」と極めて真面目な顔で云う。それにしても、こんなにトイレに行って安心したのは人生初めてかも知れない。旅の終わりのセンチメンタルな気分は、こうして尿意によってすっかり打ち消されたのであった…合掌。結局コブレンツには寄らず、そのままデュッセルに戻る。

FRANCE1.JPG - 18,982BYTES ストラスブール。オリーブ少女なら泣いて喜ぶかも、な街。


3月23日(日) デュッセルドルフ 「日本の雑誌を読みまくるの記」

旅の疲れを癒すべく、日がな一日のんびりと過ごす。ライン川を散歩しつつ、アイスを食べつつ。日曜日なので飲食店以外は閉まっており、もっぱらウインドウショッピングだ。こっちの人は散歩が好きみたいで、ライン川の遊歩道には行列のように人が歩いている。午後はKさんの家にある「non-no」やら「Olive」を読み漁る。平和な一日。


◆10日間の総括◆

使ったお金…約350〜400ユーロ(まだちゃんと計算していないです)

覚えたドイツ語…エガール(どっちでも)、シャイセ(Fuck)、ゲヌーク(充分)、ダンケ(ありがとう)、エンシューディグング(すみません)、シュトラッセ(通り)

(2002年3月)

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