旅先風信「フィンランド」


先風信えくすとらvol.7

 


 

**REVONTULET**


何という静けさ。何たる深淵。
こんなにも小さく、しんとした場所に来たのは、いつぶりだろうか…。

たまには記念写真など載せてみる(笑)。これはイナリ湖の上。頭の上にあるのは満月。

孤独な移動(笑)だけで1日を終えるのも忍びなく、ホテルからあまり離れない範囲で外をうろつくことにしました。
改めて見てみると、イナリは本当に小さな町です。
無人の給油所を中心に、ホテルイナリ、おみやげ屋、図書館、ツアー会社……それでも2軒のスーパーがあって、こんな極地でもちゃんとスーパーがあることに、何だか感謝のような気持ちが湧いてきます。
空には明るすぎるほどの満月。満月はオーロラの光をかき消すため、観測には適さないらしいけれど、反面これは、晴れているという証拠ではなかろうか…。ということは、オーロラにも一縷の望みはあるってことか…。
そんなことを考えながら、三脚を立てて町の写真を何枚か撮り、ホテルに戻ろうとしたその時でした。

「コンニチワ」

…へ? コンニチワ?
振り返ると、野球帽に眼鏡のフィンランド人らしき青年が立っていました。
日本からすれば地の果てのようなこの町で日本語の挨拶を聞くのは、何とも不思議な心持です。
話を聞くと、昔しばらく日本を旅行していたことがあるとのこと。彼はイナリの住人で、名前をペッカといいました。
「ドイツ旅行から帰って来たところなんだ。でも、フィンエアーのストライキで荷物が戻ってこなくて…」
そう云えば今朝、ホテルの部屋のテレビでそんなニュースを見たような記憶があるな…フィン語だからよく分からなかったけど、そういうことだったのか。
外で立ち話をしているのも寒いので、ホテルイナリのロビーだかパブだかに移動しました。
見た感じは、わたしと同い年くらいでしょうか。仕事はポストマンだそうですが、「でも本当は“ダイク(大工)”なんだ」。兼業ってことなのかしら?
日本語が少し分かるのは、昔、日本を1ヶ月間旅行していたからで、いなり寿司もちゃんと知っていました(笑)。イナリ出身者として、ちゃんと日本用のギャグにも備えているようです。
コーヒーを飲みながら日本のことなどを話していると、酔っ払いのおっちゃん2人も何故か入ってきて、急にまわりがにぎやかに。さっきまでの“絶対孤独”がウソのようです(ま、わたしがいちいち大げさなんだよな…)。
酔っ払っているためか、おっちゃんの話すことは支離滅裂ぽいのですが、もはや話の内容などはどうでもよくて、ただ人に囲まれていることに、無性に安心するのでした。普段、
ウルルンに背を向けて旅している(涙)わたしも、やっぱり誰かに相手にしてもらうとうれしいみたいです☆ や、1時間前のことを考えたら、ホントに救われた気分だよ…。
わたしの英語力のせいもあり、4人で会話を続けるのがやや難しくなってきたので、こういうときの必殺技「フィン語、教えて!」を繰り出すことにしました。
グッドは、HYVA(ヒューヴァ)。
少しは、VAHAN(ヴァハン)
さよならは、NAKEMIN(ナーケミーン)。
1、2、3は、YKSI(イクシ)、KAKSI(カクシ)、KOLME(コルメ)。
オーロラは、REVONTULET(レヴォントゥリ)。
耳慣れない、小難しい響きばかりですが、綴りを書いてもらうと、わりとローマ字読みでいけそうです(ん、そうでもないか?)。
おっちゃんの1人に「フィンランドの有名な音楽を教えてください」と問うと、ジュークボックスで古いダンスミュージックをかけてくれました。ペッカは「ホントに古いんだけどね、これ」と苦笑していましたが。

話がひとしきり落ちついた後、ペッカが車で町を案内してくれました。
「まあ、10分で終わるけどね」と彼が云ったとおり、本当に10分で終了しました。人口700人。スーパーが2つ、学校が3つ(そのうちのひとつはサーミ人学校)、教会が1つ、図書館が1つ、ホテルが2つ。
今の時期は、「カーモス」と云って太陽が上らないのだそうです。長い夜の間、何をして過ごしているのかと訊くと、「旅行する」……なるほどね。さっきのおっちゃんは「寝る」と云ってたけど(笑)。
イナリの先には、さらに小さな町カーマネンがあり、その先はノルウェーとの国境の町。本当に最果ての地まで来たんだなあとしみじみ思います。

何だかそれで満足して1日を終えそうになりましたが、わたしには、フィンランドでの最大の仕事が残されているのでした。
そ、オーロラね。ここに何しに来たって、オーロラを見に来たんだから。ムーミンに会いに来たわけじゃないのよ(ムーミンランド、冬季は閉まってるし)。
地元人ペッカのアドバイスにより、出陣は夜11時。
まあ、遠くに出かけるわけではなく、ホテルの裏手に非常出口があるのを見つけたので、そこから外に出るだけです。

さて、最大級の防寒装備をする時がやってまいりました。内訳はこんな感じ。
<上>
・ヒートテック(貼るカイロを装着)
・ハイネックカットソー(ユニクロ)
・ハイネックウールセーター(エミキュ)
・アクリルのワンピース(ミルク)
・フリース素材のノースリーブワンピース
・薄くボアの入ったオーバー(ポケットにカイロ)
<下>
・ヒートテックスパッツ
・ジーンズ
・エアテックパンツ
・靴下2枚履き(外側は分厚いやつ、中はハイソックス)
<その他>
・昔むかしエストニアで買った毛糸の帽子(さくらんぼ柄)
・リス毛のイヤーマフ
・覆面(こんなものまで持ってきていたのだ!)
・アラン編みのマフラー
・手袋(100均の軍手)

これで大体、9割装備くらいでしょうか。
あと重ねられそうなものは、古着屋で500円で買ったナイロンパーカー、ミルクのセーターくらいですが、すでに着ぶくれ具合がすごい…。

ドアを開け、外気の中に飛び出した一瞬は、さわやかな清涼感すら感じるほどでした。
キリッとした寒さ。冴え冴えとした空気。寒いのは嫌いだけど、東京の冬とは違って、この寒さはイヤな感じじゃないな。
暗いながら月明かりが非常に強いので、ホテルの裏に広がるイナリ湖が、遠くの方までよく見渡せます。完全に凍結して白い平原と化したイナリ湖には、スノーモービルの後がたくさん付いていました。
しかし10分もすると、気持ちよいと思っていた冷気が、急に手のひらを返したように体に刺さって来ました。耐えられないほどではありませんが、かなりの寒さです。しかも風が強くなってきやがった…。ペッカと会ったくらいの時間に、ホテルの電光掲示板を見たらマイナス3℃だったけど、今は何℃あるんだろう?

で、オーロラは……??

目をこらして闇の中を見つめますが、どうやら夜空では何事も起こっていないようです。
「………」(しばし無になる)
階段の上でじっとしていてもブラックホールのような静けさが続くばかり、そして何よりも寒いので、地上に降りました。
雪が深く、歩くとズボズボ足がハマって、そこから冷気が沁み込んでくるのがたまりません。このまま外に居続けるのは、かなり難しそうです。
うーん、このイナリにてオーロラを観測しているのがおそらくわたしだけという今の状況、なんかいろいろとミスっているような気がしてならないな…。そもそも、オーロラ観測って、
一人でホテルの近所をウロウロするイメージじゃないんだけど(それじゃ、不審者じゃないか!)。
毎年のクリスマスには、ホテルが満室になるらしいから、それくらいの時期からが観光シーズンなんだろうなあ。てことは、今の時期はシーズンの谷間中の谷間??
しかし……静かだ。人類の時間が終焉して、風や月や森の時間に取って代わったような。

あてもなく空を見ている間に、40分くらいが過ぎたでしょうか。
オーロラは、ついにわたしの前には姿を現しませんでした。
一瞬、あれか? と思う緑の光を、うっすら見たような気もしたけれど…雲かも知れないし、目の錯覚かもしれない。どちらにせよ、見た!というほどの実感はないので、たぶん見間違いだろうな…。
部屋に戻ると、暖かさという名の幸福に包み込まれ、しばし呆けてしまいました。ここでは、暖かいこと=幸福と云い換えてもいいのではないでしょうか…。
12時半頃、もう一度外に出てしばらく粘ってみましたが、相変わらず月が天高く煌々と輝くのみでした。

翌朝は、フィンランドで初めてまともな食事にありつくことができました。
60ユーロも払っただけあって、朝食バイキングがついているのです。何種類ものパン、シリアル、ハムにチーズに卵! なんというセレブ! 卑しいわたしは、即座にここでの食べ溜めを決意しました。
しかし、残念ですが宿は移ることにしました。ペッカが電話で聞いてくれた40ユーロの部屋にお引っ越し。決して安くはないけれど、20ユーロも浮くのはありがたい。
そこは、宿というか個人宅の一室の貸し出しで、いくつかある部屋のうちの屋根裏部屋をあてがわれました。昨夜の部屋の3倍はあろうかという広さで、窓からは空と、イナリの町の中心が見渡せます。これなら夜中、わざわざさっぶい外に出なくても、オーロラを探せそうです。

なんてことないけど感涙の朝食。

茫漠として不気味にさえ見えた夜のイナリに比べ、昼のイナリはごく普通の小さな町(んー、村か?)という感じがしました。ま、人は極少なんですけど…。
少し歩けば民家の点在するエリアもあり、雪に覆われてはいるものの公道があり、小学校の校庭では子どもたちが遊んでいます。
人がほとんど通らないので、町歩きには三脚が役立ちまくり。これまで、旅先に三脚を持って行ったことがなかったけれど、これは使える! 気に入らなくても、何回でも撮り直せるしね(笑)。
今日は、イナリ随一の観光ポイントである「Siida」(イナリ博物館)に足を運ぶのが最大の仕事です。
町外れにある、素朴なこの地に似つかわしくないほど近代的で大きな建物。内装も、北欧らしい洗練されたインテリアです。
展示内容は主に、ラップランドの自然と、サーミ人という先住民系少数民族の文化について。「Siida」という名前も、サーミ人の家族的集団のことを意味しています。
サーミ人は、イナリの人口の1/3を占めており、イナリ湖にはサーミの聖地もあるらしい。トナカイ遊牧をする民であり、少数民族必須アイテムの、カラフル&刺繍てんこもりの民族衣装も特徴的。
例によって英語のパネルを読むのにひと苦労し、ほどなく挫折。よって、超ニワカ知識しかないのですが、こんな遠くまで来なければ知ろうともしなかったことよなあと思うと、読めもしないのについ『SAMI』という英語のペーパーバックを買ってしまうのでした。
(展示を見ながらふと、そう云えば、昨日書いてもらったペッカの名字はもしやサーミ系…? と気づいて後で聞いてみると、やっぱりそうでした。正確には、フィン人とサーミ人のハーフらしいです。)

「Siida」を出ると、もう空が暗くなり始めていました。でも時計を見ると2時なんだよね! この感じ、頭では理解できても、肌感覚としてはどうにも慣れないんだな…。
夕方はペッカと待ち合わせし、またダラダラとコーヒーを飲んだあと、車で隣町のカーマネンへ連れて行ってもらうことに。
曰く「今日は昨日より寒いし、イナリより北に行けばオーロラが見える…かもしれない。Maybe.」
オーロラなど「数えきれないほど見た」という地元人のペッカがそう云うのだから、これは期待できるかも!? それに、カーマネンは、イナリ以外の候補として考えていた観測ポイントでもあります。
道中ペッカは、時々車を止めて空を見てくれるのですが、それらしいものは見えません。

カーマネンまでは15分くらい走ったでしょうか。
「着いたよ」と降ろされたそこは、実に2軒の商店があるだけの、補給ポイントのような場所でした。
「ここがカーマネン?」
と思わず失礼な感じでつぶやくわたしに、Yes、と答えるペッカ。
無論、この2軒の商店だけがカーマネンではなく、広範囲にわたって民家などは点在しているのでしょうが(カーマネンにもYHがあると書いてあったし)、それにしても…。イナリでビビっていたわたしは何だったのでしょうか。イナリは立派な“町”ですよね!(笑)
ともかく、1軒の商店に入りました。雑貨屋とカフェを兼ねたようなお店です。あれ、YHのマークが貼ってあるってことは、YHも兼ねてるのかな…?
カフェは、2人の先客がいるものの、実に閑散としています。ああ、こういう光景…ホテルイナリのパブもこんな感じだ。ひっそりと静まり返って、1人で静かに酒を飲んでいる赤ら顔のおっちゃんや、背中を丸めてゲームマシンに向かっているおばちゃんだかおねえちゃんだかがいるだけ。本当に、極北の冬(カーモス)というものを象徴しているようなうら寂しさに、なんだか切ないような感情が湧いてきます。

カーマネンの雑貨屋、兼カフェ、兼ゲーセン(?)。

結局、カーマネンでもオーロラを見ることはできず、あとは、宿の部屋から、昨日と同じ時間帯に空をチェックするのみです。
計算では、イナリにいられるのは今夜が最後。頑張ればあと1日延ばすこともできますが、その分、ヘルシンキでの滞在時間が短くなってしまいます。でも、オーロラを見に来たのだから、もうちょっと頑張るべきだろうか…。
窓を開けて空を見上げると、相変わらず、満月がはりきって、昨夜以上に照り輝いていました。厚い雲の群れに、半ば絶望しながらしばらくオーロラを探してみますが、煙ったような白い光が広がるばかり。
ああ、それにしても。窓の外、満月の光の中に浮かび上がるイナリの町の、なんという小ささでしょうか。
遠く、はるか宇宙に通じるような闇。森林と湖の、永遠のような広がり。
吐いた息が風に吸い込まれていく音まで聞こえそうな静けさ。生命体の如く光る街灯。無人の給油機。スーパーの看板。
小さいだの、何もないだのと、いちいち失礼な感想ばかり抱いておりますが、このような世界の存在に、ただ素直に驚いてもいるのです。
毎日、毎日、毎日、要素がてんこ盛りの東京にいても、特に代わり映えのしないわたしの生活をあざ笑うかのように、すべてがミニマルな。
こんな場所もあるんだ。こんな世界もあるんだ。そのことを、無性に誰かに伝えたい。

黒井健の絵みたいな風景。真ん中がホテルイナリ。

しばらくは、窓から空を観測していましたが、寒くなってきて布団に潜り込んだが最後……
そのまま朝まで寝腐ってしまいました。この、中途半端すぎるやる気こそが、わたしが今イチぱっとしない人生を送っている理由です(苦笑)。
朝と云ってもまだまだ暗いので、いちおう空をチェックし、オーロラはいね〜が〜(秋田風)と探すものの、もはや見える予感すらも湧いてきません。
やっぱり今日、出発しよう。
そう決めたとたん、急に名残惜しくなって、わたしはまだ暗い外に出、闇雲に歩き回りました。凍ったイナリ湖の上を歩き、点在する民家の周りを歩き、迷子にならない範囲で森の中を歩きました。
自分の日常からはるか遠くにある小さな世界にも、確かに存在している生活。相変わらず、誰も歩いてはいないけれど(笑)、例えば赤と緑の集合ポストに、例えば裏返しになったモーターボートに、庭先の小さなクリスマスツリーに、その息遣いを感じて、何だか分からないけどやっぱり旅はいいもんだな、と思えてきます。
K-superと、無人のガソリンスタンドと、ホテルイナリの三つ巴の町の“センター”の風景も、すっかりおなじみになった気がしていたけれど、実際にはたった2日でお別れです。

本当は昼食を兼ねて「Siida」内のレストランでトナカイ料理でも食べたかったのですが、財布と相談の結果、却下されまして、ホテルイナリでコーヒー&ハンバーガーの軽食となりました(それでも7ユーロ!涙)。
コーヒーを運んでくれたホテルの主人に「結局、オーロラは見られなかったですよ」と云ったら、「オーロラがいつ来るのかは誰にも分からない。オーロラは自分で勝手にやって来るのだからね」と、至極もっともな答えが返って来ました。あはは…。
どうやらここ2週間くらいは、曇り・雨・雪の天気が続いているらしい。てことは、最近見たのはいつ? と問うと「(時々見るから)
いちいち覚えてない」………さうですか。
そうね、ペッカも云ってたけど、こっちの人にとっては、そんなに珍しいことではないのよね。ああ〜 そのうちのたった1回でいいからわたしにください! 何ならちょっと包むから!
もはやわたしには、サンタさんの云うように博物館で映像を見るか、
心の目で見るかしかありません。まあ、たかだか2日くらいで見ようというのが甘かったか…。

バスの出発時間ギリギリまで、おみやげ屋をひやかしたり、またぞろ集落を歩き回っては、イナリに己の足跡を刻みまくりました。
ホテルイナリに戻って来ると、これまた見なれた顔――ペッカが見送りに来てくれているではないですか。こういうの、うれしいよね。
ほんの短い間ではあったけれど、ペッカとはよく話しました。普段、本当に英語が苦手なわたしにしては、会話のキャッチボールがさかんに行われた気はする(笑)。昔、日本に来たときの印象がよかったのか、全体的に、日本に対して好意的な話し方だったせいもあるかもしれません。
まあ、わたしの英語力には限界があるし、会ったばかりの異国の人といきなり深イイ話はできませんから、話題は他愛もなく、東京は素晴らしく楽しかったとか、アキ・カウスキマリはあんまり好きじゃないとか、「かもめ食堂」は面白かったとか(フィンランド人の感性にも合うもんなのかね)、イナリのフィッシング大会の様子とか……そんなこと。
「次は夏においでよ。イナリは夏の方が楽しいし美しいからね。夏にもし来ることになったら、ノルウェーに行こう」
旅先でのこうした約束は、ほとんど叶えられることはありません。わたしはリピーター体質の旅人ではないし、たぶん来年旅するとしても、フィンランドではなく、未知の国へ出向くでしょう。
でも、「いつかまた」という言葉は、決して無意味ではないとも思うのです。それは、たとえ束の間であっても、確かにひとつの縁が結ばれたという証である気がするからです。

ああ、もう少し早く戻って来ていれば、コーヒーの1杯くらい、飲めたかもしれないのにな…。
いよいよバスに乗り込むという段になって、ペッカが、
「ガンバッテクダサイ」
と、訛った日本語で云いました。
その素朴な響きに、思わず涙腺が緩んでしまいましたが、バスはもう二度と来ることもないであろうイナリの地を、あっさりと走り去りました。

左側は凍結した川。右側が道路。


(2009年12月3日 イナリ→ロヴァニエミ)
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