旅先風信えくすとら4「スリランカ」


先風信えくすとら vol.4

 


 

**帰国**


コロンボに戻って来ました。

スリランカは意外と安宿の値段が高い。大体どこも1泊1000円以上します。交通費や食費を考えると、宿代だけ割高な印象です。
前回の長期旅行で、津波がなければスリランカに来るつもりでしたが、あの時点での金銭状況を考えると、けっこう厳しかったかもなー…と、今ごろホッ。
そんな安宿事情のなか、コロンボのYMCAはこれまででダントツに安い! んが、ダントツにボロい! 建物も、アンティーク…という誉め言葉はちと苦しい古さ、長期旅行中ならこの値段に泣いて喜んだでしょうが…今さらここに泊まる必要ある??
…と思ったのに、思ったはずなのに、つい昔のクセでここに決めてしまいました。
部屋に入ったときの薄暗さはともかく、
洗面台が汚水(浮きタバコ付き)で詰まっていたのを見た瞬間、「やめときゃよかった…」と激しく後悔。。。
ただでさえ、アヌラーダプラ→コロンボの長距離移動でヘトヘトだというのに、何故、宿に泊まってまで体力(と気力)を奪われねばならん!?
さすがに自力で汚水処理はできず、すぐに従業員のにいちゃんを呼んで何とかしてもらって、何とか落ちつける部屋にはなりましたが…。
長期旅行中ならともかく、この期に及んで、何も水シャワー・トイレ共同の宿を選ばなくてもいいのに…何なのわたし!?(苦笑)
と、悪口ばっかり書いてますが、立地は抜群にいいのですよ。オルコット・マーワタにすぐに出られるし、鉄道駅からもバスターミナルからも歩けますし。
や、ホントに、前の旅行中だったらかなり重宝したはずなんです!10円を大切にせねばならない長期旅行者にはおすすめですよ!!と最後に激しくフォローしておきます。

宿ではくつろげないため(苦笑)、とりあえず外出。近所を散策してみます。
夕暮れどきのインド洋は、乱反射する光が目に痛いくらい眩しく、清冽な美しさがあります。でも、海辺の道(ゴール・ロード)はセキュリティエリアになっていて、ほとんど人が歩いていません。写真撮影も不可。WTCも撮影できないのですが、後で聞いた話、一部のツーリストがタミルタイガー(タミル・イーラム解放の虎)にこの辺りの“重要施設”の写真を流しているからだそう……なるほど。
普通なら、市民や旅行者の憩いの場として開放されていてもおかしくないエリアなのに、もったいないことですが、まあそういう理由ならしょうがない。ワールド・トレードセンターも、出入りするのにいちいち荷物チェックがあり、他の町ではほとんど感じなかった“テロの脅威”というものを垣間見ます。

さて、コロンボに着いたらぜひとも訪れたい場所がありました。
その名は
「パラダイスロード」。♪よ・う・こ・そ〜ここへ〜、という懐かしのメロディが流れてきそうな名前ですが(「パラダイス銀河」です、念のため)、ここはいったい何かと云いますと、おそらくスリランカで最もお洒落な雑貨屋です。
店に入ると、何コレ、ここだけ別世界? な静謐が流れているではありませんか。スリーウィラーでコロンボの喧騒を縫ってきた目にはなおさらです。働いているスリランカ人までもが、これまでに会ったやたらとフレンドリーな人々とは、まるで違う人種のよう…。ここまでに乗って来たスリーウィラーのおっさんが「パラダイスロード?あんな高い店はやめとけ」と
勝手に方向転換した気持ちが、ちょっとだけ分かる気もします。
しかし肝心の雑貨のかわいいことと云ったら!! わたしの好きなデコ系ではありませんが、食器やキャンドルなど素朴でありながら洗練されたセンスのアジアン雑貨がてんこ盛りです。ここまでほとんどおみやげを買わずにきたのに、ついに小爆発を起こしちまいましたよ。500円の宿に泊まっているとは思えないような、農奴→貴族くらいに跳ね上がった金銭感覚であれこれ買い漁るわたくし…。ま、日本の物価を思えば全然安いんですけどね。でも、現金がないのでクレジットカード払いです(スリランカでもカード生活!!)。短期旅行のメリットを存分に活かしております。

コロンボはえらく広いのですが、観光的にはどうも微妙な街なので、文化三角地帯で稼いだ時間を南のヒッカドゥワへ費やすことにしました。予定外に欲張っているなあと思いつつ……でも、まだまだ体力も気力も余ってますからね! フトコロ具合は微妙だけど!!
コロンボからは列車で4時間。コロンボを出てすぐに車窓の風景が海辺に変わり(というか、列車がずっと海沿いを走るのだ!)、南へ、リゾートへ向かっているんだわ! という高揚感で胸が高鳴ります。
ヒッカドゥワの駅に降り立つと、これまたいかにも南国的なムンムンとした空気。ああテンション上がるな〜〜〜。南って、何でこんなに清々しく気持ちがいいんだろう。
と、酔い知れる一方、マリンスポーツのメッカでもあるヒッカドゥワは、まだシーズンがスタートしたばかりで、閑散とまでは行かないけれどレストランやツーリスト向けの店は軒並みヒマそうです。その分、のどかではありますが…。

ホームに降り立つと熱気が体を包む。テンションが上がる瞬間。

ちょっと盛り上がりには欠けるものの、それでも海がもたらしてくれる開放感は格別。何たって久々です。
一人寂しく、しかし果敢に(苦笑)ビーチに出かけていた前の旅路を思い出します。やっぱり海外のビーチは広くていいなあ〜(ちなみに、最後に行った海は房総半島の下の方)。
コロンボで宿代をケチった分、このリゾート地では多少奮発することにしました。っても、1200円くらいですけどね。
部屋の清潔さもさることながら、宿の裏手すぐに広がる海&ビーチを見た瞬間、テンションがMAXに!!! ああ〜何なの、このライトブルーの、美味しそうなソーダ水のような海は! 部屋を出ればもうそこが海て! そんな贅沢してもいいのかい!?
…とは云え、ここにいられる時間はたったの1日です。
まあもともとリゾートでのんびりできる性格ではありませんが、時間のなさが拍車をかけ、海でせかせか泳いだり、シュノーケリングをしたり(久しぶりに潜って怖かった…浅瀬なのに)、アーユルヴェーダに行ってみたりと、ここでも働きマンな旅人っぷりを発揮。こういうリゾートって、一人じゃ限界があるみたいだね(泣)。

もさもさと生い茂る樹木! のどかな一本道! 南国だ〜。

アーユルヴェーダは、インドのトリヴァンドラム以来、実に5年ぶりです。
スリランカは本場ということで、しかも今回は短期旅行ということで、どこかでやってみたかったのですが、気がついたら帰国の2日前なんてことになっておりました。
メインストリートには、いくつか「AYULVEDA」の看板を掲げている店があります。何故か
ほとんどの店がインターネットカフェを兼ねているのがナゾです…。
メールをチェックしにネット屋に行ったら、店のおっちゃんに「アーユルヴェーダどう? 全身で1500Rs! 安いよ」と声をかけられ、考えとくわー、と無責任な返事をしたものの、1軒、ドクターなんちゃらという看板を出している、ネット屋を兼業していない(笑)本格的な雰囲気のクリニックがあったので、ネット屋の店主に心の中で謝りつつ、ふらふらと入っていきました。
店に入ったとたん、オレンジ色のサリーをまとったふくよかなおばさんと、緑色の制服に身を固めた従業員5〜6人が揃ってわたしに「アーユヴォワーン(こんにちは)」と挨拶したので、急に緊張が走ったわ(苦笑)。
わ、これは高そやな〜と思った不安はしっかり的中し、全身60分で2800Rs。シロダーラは4000Rs。
…や、日本で考えれば安いくらいですよもちろん。でも、残念なことにこのとき、わたしの現金の持ち合わせ=5000Rs弱。シロダーラだけでなくハーバルバスまで付いたフルコース(2h)6800Rsでしたが、この時点でもうアウトやん!
しっかも、今財布に入っている現金は2000Rs。ぜんぜん足りてないし……。
わたしは、しばらくの間メニューを穴の空くほど眺めたあげく、2000Rsでは何も出来ないことを改めて確認し、正直に「すみません、今こんだけしかお金が……」と泣きついてみました。
すると、全身60分コースがあっさり2000Rsに下がったではありませんか! のみならず、先ほどロティを食べたせいで1900Rsしか持ち合わせていないことが判明しましたが、しぶしぶ手を打ってくださいました。
いつもの悪い値切り癖ではなく、ホントに持っていなかったからここまで値切れたと思うと、持たざることはある意味最強なのでしょうか……。

施術は2人がかりで行われます。
インドの時は、薄い紙の前張り(?)をしましたが、今回は完全に真っ裸でした。貧弱な体をさらして立たされていると、激しく情けない…(苦笑)。軽い羞恥プレイですな。
シャワーがないので、トイレ用のちっこいシャワー(陰部を洗うやつ…涙)で体を洗います。
まずは前菜的に、頭皮マッサージから。基本的に人に頭をさわられるのは気持ちのいいものですが、おねえちゃんが身の上話的なことを聞いてくるので、今いちリラックスできん。次に顔マッサージ。あまり、リンパの流れとは関係なさそうではあるものの、けっこう丁寧にさわってくれました。
そしてここからが本番。2人がかりで全身マッサージを施してくれます。肌に触れると一瞬熱く感じられるくらいのオイルを体に垂らし、右と左で手指からマッサージしていきます。この、右と左の動きが、餅つき並みの絶妙なコンビネゾンで、思わず噴き出しそうに…。次は足、胴、裏返して背中&尻。オイルの独特のにおいと感触でナゼか眠くなってきます。
別に、エロい気持ちにはなりませんが、オイルまみれになるのは気持ちがいいもんですね。
最後はフットマッサージで〆。オイルを軽くふきとって終了です…って、まだ全然ヌルヌルしてるよ?
ああ、ハーバルバスに浸かりたい(泣)。
1回ではどのような効果があるか分かりませんでしたが、まあ、どこかしらキレイにはなったのでしょう。エステのお試し体験みたいなものでしょうか。
あとで知ったのですが、この医院、木村カエラが表紙の「ecocolo」で紹介されていました。やっぱ、ちゃんとした医院だったのかあ…。ああ、フルコース…。

ずらっと並んだ薬草?が本格的。

それにしてもヒッカドゥワは、かつてヒッピーの聖地だっただけあって、ツーリスト向けの店しか存在していないような……。
欧米人の作るリゾート地はどこもそっくりだなーと改めて思います。デッキチェアやテラスでくつろぐ彼らに、流しの物売りたちが
物を売りつけては無視される構図まで万国共通。。。
しかし、ここに限らず、シーズンオフの空気というのはちょっと切なくなります。夕食を食べに行ったレストランでは、わたししか客がいないのにトランスがガンガンかかっていて、何だかいたたまれなかったぞ(苦笑)。
そんなシーズンオフの町は、夜になるとさらに閑散とし、いよいよやることがなくなってきたので、部屋で手紙でも書くか…と、雑貨屋(本来的な意味での雑貨屋)で絵葉書を買って、と宿に戻りました。
すると、宿のオーナーが「ヒマだったら外でお酒でも飲まない?」と声をかけてきてくれました。これはナイスタイミングと、いそいそとお相伴にあずかることに。ちなみに酒は、スリランカ アラック(ココナッツの蒸留酒)。
このオーナー、スリランカで生まれ、9歳の時にドイツ人家庭の養子になり、ドイツ国籍を持っていて、婚約者は日本人……という、えらくスケールの広い経歴の持ち主。サーファーなので、毎年ヒッカドゥワのオフシーズンの半年間は海外で過ごすという生活ぶりも、これまでに会った素朴なスリランカ人たちとは一線を画しています。
こりゃ面白そうな人に会ったもんだ、と、己の英語力も顧みず、夜更けまで話し込むことになりました。
日本語はかなりペラペーラです。でも、何故か会話は英語中心になってしまったのですが(涙)、語学が堪能な人が相手だと、こちらの言葉がマズくても、うまい具合に会話が進むものなのですね。辞書を手放せないとは云え、自分でもよく喋ったなあと自惚れたくなるほどです。

津波のことも聞きました。ざっとまとめてみます。
その日の朝9時ごろ、われわれが今まさに座っているテラスで朝食を取っていたら、急に海岸線が目の前まで迫って来た。その時いた日本人が「これはきっと津波だから、早く逃げた方がいい」と云ったので、全員が2階に上がっている間に、海はいったん、100メートルくらい?後退。そしてその直後、高さ2メートルくらいの波が一気に押し寄せてきた。
1階は完全に波に呑まれ、波はビーチのものを破壊しながら押し寄せてきた。
波自体は1回だけだったが、その1回でヒッカドゥワの町は壊滅状態になり、特にタウンは3〜4メートル近い波が来て、住民は皆、列車の上に避難。ところが、その重みで列車が倒壊し、大惨事になった。
……しかし、こうやって書き記してみても、リアルに想像することはあまりに難しすぎます。そう云うと、オーナーは「そりゃそうだよ。僕たちだって初めての経験だったんだ」。
あれから4年、ヒッカドゥワの町に津波の面影はすでになく、義捐金で元の建物を拡大した人たちも少なからずいるそうです。あはは……。
津波は東海岸から時計周りに、時間差でやってきて、ベントタ(コロンボから南に61キロの町)くらいまでは何らかの被害があったようです。
最初のアタックを受けた東海岸のアルガン・ベイをはじめ東側は甚大な被害が出たけれど、コロンボまでは津波は到達しなかったとか。
それまで知らなくてショックだったのは、南部のサファリパークでも被害が出て、ツアーに参加していた日本人観光客が11人亡くなったという話……。
この時しかし、サファリの動物たちはすでに危険を察知して避難し、1匹も死ななかったのだそうです。「人間だけが知らなかったんだよ」とつぶやいたオーナーの言葉が、やけに耳に残りました。

この海&ビーチから津波を想像することは容易ではない。

翌朝は、しつこく海で泳ぎ、ビーチを散歩し、「ウミガメが浜辺に来てるから見に来なよ」と声をかけてきた青年に付いて行ったら100Rsの
“カメ見学料”を請求され……と慌ただしく時は流れました。
長旅の頃なら、もう1日くらい滞在するとか、さらに南下して別のビーチに行くなんてことも考えただろうけれど、今夜の飛行機で帰国せねばならないので、正午前のバスでコロンボに戻りました。
コロンボに戻ったら、あとはひたすらおみやげを買うのみです。ところが、日曜日というころでオルコット・マーワタ沿いの出店以外は、軒並みクローズ。せっかく禁じ手のATMから現ナマを下ろしたっていうのに、肝心の店が開いてないとは!
せめて、スーパーでもあればお茶だのスパイスだの、ざざっとまとめて買えるのにと思うのですが、コロンボはあまりに広く、どの辺りにスーパーがあるのか、見当すらつきません。

当てもなくオルコット・マーワタの端まで来たあたりで、そろそろ引き返そうかな……と路上で『歩き方』を堂々と広げていたら、スリランカ人の兄ちゃんが日本語で話しかけてきました。
あ、何、『歩き方』持って途方に暮れているわたしを見てカモネギと思ったのかい、と警戒しつつも会話をしてみると、妙に日本語が流暢。
ファリスという名のその兄ちゃんは、日本で6年間、東京の小菅にある企業で働いていたというのです。小菅などという、本当に日本で暮らした人でなければ出せないような地名を出されては、疑うわけにもいきません。
とりあえず、「おみやげの紅茶を買うためにお店を探しているのですが、日曜でほとんどお店が閉まってて…。この辺にスーパーはありますか?」と聞いてみました。
すると彼は、自分のお店のアシスタントくんを携帯で呼び出し、紅茶のお店を聞いてくれ、わざわざスリーウィラーで郊外のスーパーまで連れて行ってくれ、さらにはそこでわたしが買った紅茶の代金までも払ってくれるという、
インフレか?!と思うほどの親切を、会ったばかりのわたしに施してくれるではありませんか。
「そ、そんな、自分のおみやげだから自分で払います(汗)」と云うと、
「日本ではいっぱい(親切に)してもらったから」と屈託なく答えるファリスさん。
わたしはそれを聞いて、月並みだけど「情けは人のためならず」ということわざを思い出しました。彼にとって、働いていた企業の社長と奥さんは、両親のような存在なのだそうで、きっと、本当にいろいろよくしてもらったのでしょう。
「スリランカで生きていた29年よりも、日本にいた6年間の方がずっと充実していたんですよ」。
そんなスリランカは、彼にとってしばしば嫌悪の対象にすらなるらしく、旅行者のわたしにとっては大らかでいいじゃんとポジティブに受け取れることも、彼にしてみると“いい加減”で“ダメ”な点に映るみたいでした。「スリランカで売っているものなんかほとんどがニセモノですよ」って、まー何もそこまで自国をこきおろさんでも……と思いつつも、あくまでもヨソの国である日本をそこまで好きになれるなんて、うらやましい気もします。
何故、日本を選んだの?と問うと、彼の祖父が宝石商をしていて、日本とも取引をしていたらしく、小さい頃から「日本はいい国だよ」と聞かされていたのだそう。ああ、そういうのって“縁”だよなあ。
でも、ファリスさんの、(日本人からすれば)ややくすぐったくなるような日本礼賛を聞きながら、思い出すのは昨夜、ヒッカドゥワの宿のオーナーが話していたことでした。
「スリランカの人たちはみんな、日本人を見るとrich peopleだとしか思わない。でも、日本は他の先進国よりもずっと大変な生活を送っていると思うよ。スリランカから見たら確かにrichだけど、それと引き換えにどれほど多くのストレスを抱えているか、スリランカ人は知らないんだ。今の若い日本人たちが、将来が不安だからと娯楽を放棄して貯蓄に励んでいるというニュースを見た時、本当に信じられない気持ちになったよ」。

その後は、ニボンゴ(空港のある街)の北にあるカラチテとかカキタレ(違う!)とかいう町にある、彼の知り合いの店にナゼか行くことに。まあ、フライト(深夜)までやることもないので、促されるがまま付いて行きます。
そのお店は、生活用品なら何でも扱っているドンキホーテの小型版のような“何でも屋”で、ファリスさんはそこに商品を卸しているのだそう。
その時気づいたのは、彼らが全員ムスリムだということでした。店主は我々にスプライトを頼んでくれ、ファリスさんが「ここにあるもので何か欲しいものがあったらあげるよ」と云うので、さすがに恐縮しつつ、クマリカのヘアオイルを1本だけいただきました(って、もらうんかい)。
空港の途中までは店主の車で、そこからはファリスさんとアシスタントくんが、バスとスリーウィラーを乗り継いで空港まで見送ってくれました。そこまでの間、わたしは1Rsも払っておらず、あまりの親切に途方に暮れそうでした。
考えてみれば、こういう、胸に突き刺さるような親切は、大概ムスリムの人から受けているような気がします。彼らはムスリム、それに加えてタミル人でした。マイノリティだから優しいのか、イスラムの教えだからなのか…いろんなことを思いめぐらせます。
ファリスさんが日本で受けた親切をわたしに返してくれたのだとしたら、わたしは誰に、何を返せるでしょう? 誰かに返したい。返さなくてはいけない。この旅だけでなく、前の長い旅で受けた数えきれないほどのすべての優しさに対して。
そういうふうに、優しさを連鎖させていくことができたなら、わたしみたいに根性の曲がった人間でも、少しは他人や世の中を幸せにできるでしょうか……。
旅の最後の日に、こんな人に会い、こんな親切を受けたことも、何かの“縁”なのでしょう。

仕事仲間のお店。

フライトまでは、ひたすら日記を書き、本当にギリギリ余ったお金で空港内の売店を物色していました。
香港のような超近代的な空港ではないので、空港での暇つぶしはなかなか困難を極めますが、わたしはこの“ムダに長いフライト待ち”という猶予期間がわりと好きです。旅のモラトリアムって云うんでしょうかね。帰りならば、旅の魔法が少しずつ解けて行くんだけど、でもまだ旅の中にいるっていう、ふわふわした感じ。
あと数時間もすれば、物質と義務と虚飾にまみれた世界に帰って行く。日本の中で普通に生きるということは、ある程度はそういうことなのでしょう。それでも、せめてしばらくは、バックパックひとつの旅行者の気持ちのままでいられますように。浪費の波に呑まれませんように…。(終わり)


(2008年11月8日、コロンボ空港)
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