旅先風信えくすとら3「スリランカ」


先風信えくすとら vol.3

 


 

**あっという間に折り返し**



文化三角地帯を周遊して、アヌラーダプラから再びコロンボへ、列車に揺られて戻っております。
たかだか10日間の旅、フライトを除けば8日間。そして今日は実質6日目です。折り返し地点はあっという間にやって来ますね。
それでも、前半は「あと○日もあるのか。意外とそんなに経ってないなあ。まだ来て○日だもんね」なんて余裕すら感じていたけれど、短期旅行はスタートしたと思ったらもうゴール!な、50メートル走並みのスピード感です。
とは云え一方で、8日間じゃこれだけしか周れないか……と限界を設けていたのが、いざ動いてみれば、意外と足を伸ばせたりもする。当初の予定では厳しいかと思っていたアヌラーダプラまで行けて、さらに明日は南下してヒッカドゥワまで行っちゃいましょう、という勢い。
やはり、北海道の8割という面積は、それほど大きいわけではないのか。しかも、スリランカの交通網はけっこう発達していて、特に主要都市間を結ぶバスは、本数が充実しているのです。
ある町を、見るものだけ見てすぐに出て行くのは、何だかその町に対して失礼な態度のようで気が引けますが、それが短期旅行の悲しい性。質よりも数をつい求めてしまう。ま、長期旅行でもわたしは、けっこう焦って移動していたっけか……。

さて、数日遡ります。
シーギリヤ観光の後は、シーギリヤ行きの拠点となる町ダンブッラで1泊。ダンブッラは、町自体はかなり地味な田舎(失礼)ですが、黄金石窟寺院という、美しい壁画を持つ立派な世界遺産があります。
ここに来ると、キャンディがどれほど都会だったのかと思い知らされます。何しろ、6時を過ぎるともう真っ暗で、気がつけば誰も外を歩いていません。夜になるの、早くね?! 呑気に大仏博物館なんか見てる場合じゃなかった……。街灯もないので、歩くには走る車の照明だけが頼りです。
しかも、宿のおっちゃんに「暗くなってから外を歩いていると、髪の長いヤンキーがマリファナとかヘロインやらないかと声をかけてくるから気をつけろ」と云われ、その後わざわざ外出する気がしなくなりました。田舎の夜は意外と怖いのねん……。

実はキャンディでは、意を決して老舗ホテル「クイーンズホテル」に40ドル出して泊まったのですが(それでも40ドルが限界とは……もっと頑張れ)、ダンブッラでは再び安宿に切り替えました。するといきなり、停電&タライ行水にまで設備がグレードダウン(笑)。おかげさまでペットボトルが役立ちまくりです。そんなことよりも、でっかいゴキブリが出たことの方がショックだったけど……。ま、ダンブッラの町がすでにジャングルの中にあるような感じだから、致し方ないですね。
象の孤児院あたりもそうでしたが、スリランカの田舎部って、何となくアフリカを彷彿とさせます。ジャングルの中に民家や商店や学校が点在する感じとか、わらぶきの商店の軒先にフルーツが並べられているさまとか、妙な懐かしさを覚えますね。

ダンブッラ黄金寺院の素晴らしい壁画。

次に訪れたポロンナルワは、遺跡地帯・文化三角地帯の一角を担う町。
かつてはシンハラ王朝の都になったこともあり、広大な都市遺跡が南北約6キロメートルにわたって残っています。
バス停を降りるなり、くしゃおじさんのようなおっさんが超アグレッシブに、宿、トゥクトゥクなどを勧めまくります。こちとらダンブッラから、満員バスで2時間立ちっぱなしで来ているので、着くなり激しく絡まれるととってもイライラするんですが……(苦笑)。
そんなわたしの疲労を知ってか知らずか(絶対知らないだろうな……)、腰ぎんちゃくのようにいつまでも離れてくれないので、まあ宿はいいか、と思ってついて行ったら、今度はすかさずトゥクトゥクのセールス。ああ、疲れる!!! 疲れるけど、バトることはもうしない。時間ないから。
これまた熱心すぎるトゥクトゥクドライバーのセールスに負け(自転車の値段を聞くと大して変わらなかったってのもある)、ここでは珍しくトゥクトゥクを雇ってセレブの如く(どこがや)優雅に観光をすることになりました。

シーギリヤを見てしまったあとでは、ポロンナルワの都市遺跡は優等生すぎるように思え、体の底から湧きあがるようなゾクゾクする感動には至りませんでした。
ただ、ポロンナルワも観光客が少なく、広い遺跡を独り占めしているようなうれしい錯覚は味わえます。細長く連なる市場の遺構を見ていると、「これがかつては、都市として栄えていた場所なのだ」と想像できて、心がしんとなります。

しかし、いつも面白く思うのが、各遺跡ポイントにへばりついている物売りですね。
遺跡群の最南端にあるポトグル・ヴィハーラ(図書館の遺跡)には、誰も通らない道の木陰で、
たった3本のたて笛を売っているおっさんがいました。
「ハローマダム」とまた、お決まりのあいさつ(なのか?)から始まり、笛いらんか?とてもgoodな音だぞ、などとひとしきりセールストークが繰り広げられ、笛はいらないのでお断りすると、わりとあっさり引き下がって、わたしが去った後はのうのうと昼寝をこいているのです。うーん、ゆるい(笑)。
ここだけでなく、遺跡の点在するポロンナルワは、遺跡ごとにこういう人がいるのですが、単独でものを売っている彼らは、これで生計が成り立っているのでしょうか?
メインスポットであるガル・ヴィハーラでは、どこかの寺で日本語を習ったという兄ちゃんが、やはり手持ちで木彫りの象を売りに来たんだけど、かなり日本語がうまく、そんなに日本語がうまいなら、こんなところで象なんか売らなくても他に仕事があるのでは?なんて、大きなお世話なことを思ってしまいます。それとも、意外と物売りはお金になるのでしょうか……。
そう云えば、移動中のバスに、毛玉の集合体にしか思えないクマ(?)らしき動物のマスコットだけを売りに来たおじさんがいたけど、あれも誰か買うのかなぁ。わたしもうっかりしてスルーしてしまったけど、買えばよかったかな。

たて笛を3本だけ売るおっさん。

味わい深い表情でたたずむ、ガル・ヴィハーラの立ち仏。

もうひとつの遺跡の町・アヌラーダプラ(何て発音しにくい名前。アヌダーラプラ?アヌラーラプダ?と毎回混乱してしまう)は、自転車で周りました。
や、ポロンナルワのトゥクトゥクの値段が、やっぱ微妙な感じがして……(笑)。それに、少々不便でも個人で好きなように周る方が気楽で性に合ってますしね。
しかし、クソ暑いせいか、途中で早々と遺跡に飽き始め、何となくおざなりな、スタンプラリー的観光に(苦笑)。こちらの方が、長く王朝の首都だった由緒ある町なのに、すみません。
「ダーガバ」と呼ばれるスリランカ独自の巨大仏塔がメインなのですが、中に入れるわけではないし、次第に「あ、またダーガバ……」という気持ちになってくるのです。あ、メインの“白い巨塔”ルワンウェリ・サーヤ大塔はド迫力で圧倒されたけどね。
ポロンナルワと同様、ここもほとんど観光客がおらず、最北の遺跡など完全にさびれています。遺跡自体がさびれているのは風情があっていいんだけど、その周辺で店を出している人たちを見ると、なんかやるせない気持ちになると云うか……。
10枚綴りのポストカードを、わたしより小さなおっさんが勧めてくる。いらないので「ごめんなさい」と何度か断ると、それ以上は追わずにすごすごと踵を返して去って行く。
ここまでの印象として、スリランカのみやげもの屋はそんなにアグレッシブではなくて、こちらとしてはその方が助かるのだけど、大丈夫かな〜……と、買わない自分のことは棚に上げて心配になります。何も買わなくても、彼らは気さくに手を振ってくれたり、道を教えてくれたりするのでさらに切ない(苦笑)。

白い巨塔、アヌラーダプラでいちばん大きなダーガバ。

こちらは修復中のダーガバ。針山状態。。。

ひととおり北部の主な遺跡を周ったら、もう夕方。アヌラーダプラに着いた時間が遅く、必然的に観光のスタートも遅くなってしまいました。
あとは、スリーマハーボディツリー&イスルムニヤ・ビハールという聖地を残すのみですが、これが、遺跡群とはビミョーに離れています。しかも、スリーマハーボディーツリーは格式ある聖地なので(ブッダガヤの菩提樹を分け木してスリランカに運んだ木、なのだそう)、白い巨塔の前で靴を脱ぎ、裸足&徒歩で参詣しなければなりません。
まあそれはいいとして、そこから1.2キロ離れたイスルムニヤに、「1.2キロなら自転車を取りに戻るより歩いた方が早いかな」と歩き始めました……ら、これが誤算でした。
地元の参詣客を見れば、誰1人裸足で歩いている人などいません。微妙に舗装されているようないないような道なので、でっかい砂利が足の裏に食い込み、かなりイタイ。。。巡礼者でもあるまいし、何が哀しくて、すでに夕闇の迫る田舎の道を、1人裸足で歩かねばならんのでしょう。ま、完全に自分のせいですが。

両の足から血を流しながら(ウソ)やっとイスルムニヤに着いたらすでに5時過ぎ。人もまばらになった寺を、夕暮れが覆い始めています。
何しろ6時には日の落ちる国です。ちゃんと自転車のところまで戻って、宿まで帰れるんだろーか……と不安を覚えながら観光していると、お母さんと叔母さんと3人で参詣に来ていた地元の看護師の女の子に声をかけられました。
促されるままに、湖で夕陽が沈むのを見たり、なんちゃらビハーラという寺に寄ったり、帰りの夜道を一緒にスリーマハーまで歩いてくれました。
彼女に何故か手をつながれて歩いていると、この旅で最もウルルン値の高い瞬間のように思えて、何だか照れくさくもあり、切なくもあります。考えてみれば、見知らぬ土地で見知らぬ女の子と手をつなぎ、その家族とともに歩いているこの時間は、つくづくと不思議です。
こんなにも、何の共通点もない人間同士が、ふとしたことで一瞬その人生が交わる。幻のように結ばれる絆。

何だかんだで今回の旅は、期間が短いわりには人とよく話している気がします。
日本人に会うこともないし、いわゆる旅行者が少ないせいもあるでしょう。しかし、それを差し引いても、ほんと、よく話しかけられるのです。それでわたしも、何だかほいほいと話に乗って、束の間の会話を楽しんでいる。ま、シンハラ語もタミル語も話せないので、接するのは必然的にツーリスト寄りの人たちになり、誰を信じたらいいのか分からなくなることもあって、いちいち迷うんだけどさ。
ただでさえダメな英語を、さらに使わず忘れてしまって心配していたわりには、いざ現地に降り立つと、それなりには出てくるみたいで、我ながらオドロキです。相手がネイティブスピーカーじゃないことも、喋る気持ちのハードルを下げているのかも。
そして、10分くらい話しただけなのに、すぐ住所交換になる(って、あんなに安易にホントの住所をばらまいていいのだろうか。お互いに)。それ自体は別に珍しいことでもないのですが、なんか、スリランカはその頻度がやたらと多い気がするんだよなあ。この列車でも、一時停止していたとき、外の風景を写真に収めていたら、工事のおじさんたちが寄って来て、二言三言話したあといつものように住所交換になり、おじさんが「手紙書くから」と満面の笑みで云ったので笑ってしまいました。会って5分も経っていないわたしに、おじさんはどんな内容の手紙を書くんだろう、って(笑)。
まー何と云うか、人なつっこい人たちだわ。列車がゆっくり動き出すと、何十人といた工事のおじさんたちがみんなして手を振ってくれたのが、やけに心に沁みました。目一杯の親切はもちろんうれしいけれど、わたしにはこういう、ちょっとした笑顔や優しさだけでもう充分という気がします。

ふらふら歩いていたら声をかけてくれた、ポロンナルワの宿の近くに住むフルーツ屋のご家族。

ところで、話は変わって食事のこと。
スリランカの食事と云えば、とりあえずライス&カリーです。
ライスとカリーと云ってもカレーライスではなくて、ライスに、5〜6皿くらいの付け合わせのおかずがついてくる、いわゆる定食的なメニュー。土地的にも近い、南インドのミールズと似ていますね。
カリーは心配していたほど激辛ではなく、おかずもどれも美味しい(日本のおふくろの味にも通じる家庭的で素朴な味)のですが、問題は量。
ここ数日、毎日のように宿やレストランでカレーを頼むのだけど、これがもう尋常じゃなく多くて、さすがに食べきれず、いつも後味が悪いのです(苦笑)。
で、アヌラーダプラではさすがに学習して、別のものを頼み、なおかつ「そんなにたくさん食べられないです」と念を押して量も確認した……はずだったのに、やっぱり出てきたらてんこ盛り(涙)。第一印象からして完食できる気がしない量です。
仕方がないので、テーブルにまとわりついていた猫にせっせと協力してもらいました。が、猫までも腹いっぱいになり(苦笑)、結局1/4ほど残してしまった……。
もっとたくさん食べられる人にわたしはなりたい(好き嫌いは全然ないのになあ……)。


これはダンブッラでの夕食。見た目は行けそうな感じなんですが……。


(2008年11月6日、コロンボ)
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