先風信えくすとらvol.26

 


 

**深く潜れ~DIVE DEEP in Santo**


昨夜は「この世の果てに来たのかも……」などと大げさな気分になりましたが、朝になってみればそんなに寂しげでもなく、晴れやかな田舎風景が広がっていました。
宿の前には海辺に面した広い公園があって、木陰で人が寝そべっていたり、子どもたちが遊具で遊んでいたりと平和そのもの、いかにも南の島らしいのんびりとした雰囲気です。
初日だし、町の概要を知るための散歩だけで1日を終えたいところですが、サントで与えられた時間はわずか2日半。3日目は正午のフライトなので、あまり大したこともできません。とすると、今日明日はフル稼働でダイビングと観光にいそしまねばなるまいて…。ああ、長期旅行者に戻れたらなあ、と虚しい叫びが胸にこだましますが…仕方ない。

朝から木陰で休む人々。ザ・南国!な一コマ。

とりあえず、「アラン・パワーズ・ダイブツアーズ」へ行くとしようか。

ここは、前回登場したニュージーランド人パイロットのピーターもおすすめ!という、サントで最も古いダイブショップ。何の疑いもなく門を叩きましたが、今日のダイビングはすでに出発しており、「It's too late!」と連発されたあげく、あっけなく断られてしまいました。
ただいまの時刻は8時半、決して寝坊したという時間帯でもない気はしますが、ダイバーたるもの、こんな時間にのこのこ来るようではたるんどる! ということなのか…? いや、普通は前日までに予約しているものなのか。
早々に出鼻を挫かれ気持ちは萎えつつも、その足でもう1軒の有名ダイブショップ「アクアマリン」へ。
アラン・パワーズでも「多分ムリだと思うよ」と見送られ、予想通り「えっ、今から??」と雲ゆきの怪しい感じで迎えられましたが、ちょうどこれから出るツアーがあるというのそこに便乗できることに。何事もあきらめてはいけない!
というわけで、慌ただしく宿へ戻って水着に着替え、本来の客であるオーストラリア人カップルと乗り合わせて、あれよあれよという間に島の東南端にあるS.S.プレジデント・クーリッジのポイントに到着。
S.S.プレジデント・クーリッジ(以下SS)とは何か? わたしもバヌアツのガイドブックをめくるまでは聞いたこともありませんでしたが、1942年にバヌアツで座礁、沈没したアメリカの豪華客船で、全長約200mもあるその沈船は世界最大級。なんとなくダイビングといえばサントなんでしょ、くらいのゆるいノリでやって来たわたしは、SSの凄さに今ひとつピンと来ていませんでしたが、世界中のダイバーが夢見る沈船なのだそうで。
ハイダウェイ島でウォーミングアップはしてきているものの、レックダイブ(沈船ダイブ)は初体験です。これまでのダイビングは概ね、「わあ、きれいなお魚さんだあ~」というのんびりスポットばかりでしたが、沈船って、どんな感じなんだろう…。
しかも、SSのダイブでは、深度30mとかまで普通に行っちゃうらしい。「わ、わたし、オープンウォーター(※18mまで)のライセンスしかないんですけど…」とビクビクしながら申し出ると、「ノープロブレム」とあっさり返されました。え、ライセンスってその程度のシロモノなんですか??
本日のポイントについての英語解説が行われるも3割くらいしか理解できず、急に参加したものだから、ウェットスーツと靴がぴったりでなくてちょっとゆるいのもなんだか気になり……と、いろいろと不安を抱えたまま、いざ水中へ。
ここもハイダウェイに続いてビーチエントリーですが、けっこうな遠浅まで歩きます。き、機材が重くてつらい…。
珊瑚に海藻、魚がひらひらと泳ぐ浅瀬を過ぎると、船体へとつながるガイド綱が現れ、それをつたっていきます。船は横に倒れているらしく、ダイバーはまずこの壁面を底にして泳ぎます。ここにはそのまま残っている食器や、海藻がこびりついたライフルなどがあり、格好の撮影スポットになっています。魚たちも思いの外たくさんいて、そうした人工物と共存するように泳ぐ光景は、これまでになく新鮮に映ります。
1回目は船の外側を周るだけで終わりましたが(それでも十分、新鮮な光景)、2回目のダイブでは、いよいよ船内へ。船の上部の亀裂から、崖を降りるように垂直に下降するダイブは、いかにも深く潜って行く感じでドキドキします。ここからはおそらく、深度的にも完全に未体験ゾーン…体がどうも浮きがちになるのは、深度に慣れていないせいか…? 耳抜きはそんなに問題ないのですが。
今回のメインは、船内にあるタイヤの墓場「カーゴ・ホールド」なるエリアです。タイヤが何かの幻のように積み捨てられている光景もさることながら、神殿の柱にも見える船の骨組み、そこにびっしりと繁茂する海藻などに、廃墟好きの萌え心をくすぐられます。

タンクが重くてついて行けない…ハアハア…。

こんな撮影スポットや、

こんなパフォーマンスも。


初の沈船ダイブは想像以上に楽しく、こんなさわりだけで終わるには惜しい気もして、やはりもう1日ダイビングをすべきあろうか、しかしなあ、サントには他にもブルーホールだのミレニアムケーブだのっていうアクティビティがあり、特に後者はピーターも強力プッシュしていたしなあ…。すべてを満喫するには、金も時間も足りなさすぎる!

思案しながらとりあえず宿に戻り、水着とハウジングの洗濯をして再び町に出ると、まだ太陽は高く、時計を見れば2時半。
あとひと仕事できるのでは…? とまた貧乏根性を出して、数時間で終わりそうなアクティビティを探し歩くことにしました。ミレニアムケーブは、早朝から出発してまる1日かかる大掛かりなジャングルツアーなので、残る選択肢は、島内に点在するブルーホールか、原住民の住むカスタムビレッジか…。
宿の近くで各種ツアーの看板が出ていたので、成り行きというか勢いでそこにブルーホールのツアーを聞くと、お得なツアーがあるわけでもなく、いつの間にか車をチャーターするという話になっていました。げげ、高くつくじゃんそれ!と即座に拒否反応が出たけれど、よくよく考えたらわたし以外の観光客もいなさそうだし、明日何をするにしても、ブルーホールは今行っておいた方がよさそうだしで、大人しく乗っかることにしました。何か行動するとみるみるうちに金が減っていく、それが南の島の旅!
しかも、ブルーホールは6つあるのに1つを選べと云われて、ええっチャーターなのに1個なのかよ~と、何やら損した気分になりつつ、ドライバー兼ガイドの姉さんによる各ブルーホールについての説明を聞くも、正直、違いがよく分からん…。じゃ、とりあえずいちばん大きいところでよろしく、と「マテブル・ブルーホール」に行くことに。
写真で見るブルーホールの青色は、この世のものとは思えぬほど鮮やかなブルーですが、写真以上かと問われると、何なら写真の方がキレイでは…という印象でした。枯葉がやたらと水面に浮いていたせいかもしれません。
地元の大家族が遊びに来ていて、小学校低学年くらいの女の子が、泳ぎの練習を嫌々させられていました。海よりも浮力が弱く、深くて途中で足のつく場所もないので、本気で泳がないと溺れそうになります。また、水温がかなり低く、変温動物のわたしは、端から端まで泳いだだけで、みるみるうちに雪女のように体が冷たくなってしまいました。
帰りは、道中に存在していたブルーホールもどきな(笑)ミントブルーの川と、そしてなぜか高級リゾートホテル内に流れている同じく薄いブルーの川に、オマケ的に立ち寄っていただき、ツアー(なのか?)は終了。まあいちおう、ブルーホールという必須課題は果たしたから、いっか…。

こんな沼が地元にあったらいいよね!

体も心もすっかり疲れ切って宿で休んでいると、ダイブショップの使いの少年がやって来て「明日は潜るんか?え、どうなんや?」と決断を迫ってきました。「ちょ、ちょっと待っておくんなまし」といったんお茶を濁したものの、プレッシャーに耐えきれず(苦笑)、とりあえず腹を満たしてから考えよう、と食堂へ逃亡。よく考えたら、朝から何も食べてなかった…。それでダイビングとか命知らずだわね。
昨日は4番だったから、今日は5番窓口にしてみよう。そうそう劇的にメニューが変わるでもないですが、おばさんが昨夜の人よりよく喋る人で、家族のことやらダイビングの値段やら、尋ねられるままに答えていると、そのおばさんに輪をかけてお喋りな兄さんがお客でやって来ました。
彼の名はアルフレッドといって、年は35歳。ニュージーランド人の彼女がいたんだけど本国に帰ったらそっちで恋人を作ってしまって今は独り身なんだとか、バヌアツでも10代の子が携帯を持つようになっていろいろ性的な問題が起きているとか、話題はあっちゃこっちゃに飛びながらも、つかの間の交流を楽しみました。彼に限らず、バヌアツ人の英語はインド人並みに巻き舌で、ネイティブとは別の意味で聞き取りづらいのですが、心の敷居はネイティブ相手ほど高くないから話しやすい。
しかし、会話の中で、マテブル・ブルーホールの入場料が500VTだと判明したときはショックだったわ…。私、1500VT払ってますけどーーー?! それってツーリスト価格なの?と尋ねたら、みんな500VTのはずだけど…と云われ、今日のツアー会社への不信感が湧き、「ミレニアムケーブに行くならぜひうちで!」と強力プッシュされて迷っていた気持ちも萎え、半ば消去法的にダイビングを選ぶことにしました。MILKのお高いワンピースはほとんど値札も見ずに買うのに、小銭になると、途端にいじましい計算が働くのが、我ながら不思議でなりません。

わたしのように、観光しないと気が済まない人間にとって、バヌアツのような場所は金がかかってしょうがないうえに、ひとり旅では効率も悪いことを痛感します。何もせず、ぶらぶらしているだけならそうでもないんだろうけど、歩いて行ける範囲は限られているし、日数も少ないとあってはね!
そういう意味では、ブータンやウラジオストクの旅は人と一緒で、行き先も全部決まっていたから、何も考えず、出される料理をただ味わうだけでよくて、わたしのようなセコい旅人にはむしろ、向いているのかもしれないな…。効率という面で見たら、圧倒的に団体(ツアー)>>>>>一人旅だし。
それでも、無駄と自由から産まれるボーナス、それが何であるかはともかく、それが醍醐味だと思えなくなったら、一人旅をする意味は半減するだろうし、旅を効率で換算するなんてやっぱりポリシーに反する気もするし。やっぱ長期のひとり旅しかないか?(笑)

そんなこんなで(←便利)2日目のダイビング、1ダイブ目の目的地は、まさかの「レディ」でした。
レディとは、SSのダイビングのハイライトともいうべきスポットで、白馬に乗ったレディの彫像がそこに沈んでいるってことらしいんですけど、確か水深は40メートル前後だったはず…。
確かに、昨日だって30メートルは余裕で越えていたわけで、特に体調に問題はなかったけど、3ダイブ目でもう行っちゃっていいのかね!?
船の中を泳ぐことには少し慣れたものの、レディは船内の奥深くにあるようで、次第にその行き先は暗く、狭くなっていきました。
灯りを見失うと本当に視界が真っ暗になり、その暗さは、普段部屋の電気を消したときのような生易しいものではなく、狭さとも相まって一種異様な圧迫感。少しでも冷静さを失うと、筆舌に尽くしがたい恐怖に飲み込まれてしまいそうです。
懐中電灯の細い灯りとガイドの鳴らす音だけが頼りですが、もしここで迷子などになったら、生きて帰れる自信はありません。ただ目の前の、点のような一瞬に集中する。すなわち、ガイドの後をとにかく着いて行く。余計な雑念が1ミリでも入ってきたら、パニックの引き金になって、一巻の終わり。ごく普通の水中でだって、冷静さは手放せないけれど、ここでは本当にそれが命綱です。
迫りくる恐怖心と戦いながら、ついにレディに到達!…したはいいけれど、水中撮影のフラッシュのモードを変える余裕なんて微塵も残っておらず、とりあえずガイドにカメラを渡して、
“レディとわたし”の決死の(笑)記念写真を撮ってもらって、早々に脱出。
いやー、これが地上ならこんなハイライトスポットで写真数枚で終わるなんてことは、絶対にあり得ない。レディにベタベタ触りまくり、あらゆるアングルから同じような写真を撮るのが常なのに……。ちなみに、レディは写真で見て想像していたよりも大きく、少なくとも抱きかかえられないサイズ感だったことが、現場に立ったから分かった、唯一の発見でした。
上がりのエアがなんと50ギリギリで、このダイブのハードさを顕著に物語っていました。最後の方のエアは変な味がしていたような……。


そして、次のダイブ、わたしにとっては最後のSSは、メディカル・サプライズと呼ばれるポイントがメイン。
薬瓶が中味ごと完全に残っているという“サプライズ”が見られます。レディの暗闇と閉塞感に比べたらかなりラクなダイビングに感じられ、写真もきれいに、フラッシュ有り無しのパターンを撮る余裕もありました(笑)。
しかしながら、そうしたポイントポイントよりも、巨大な沈船の中を泳ぐスリルとアスレチック感、それがこのダイビングの醍醐味なのだと思います。廃墟好きにとっては、朽ち果てた人工物というだけでもそそるのに、それが海中の不思議な風景と絡まり合って、まるで古代の海底神殿のような荘厳ささえ醸し出しています。
こんな世界があったなんて……旅をしていればそういう驚きは少なからずあるけれど、久々にこれは、自分の想像を遥かに超えた驚きでした。一度こんなものを味わったら、もう普通のナチュラルなダイビングでは満足できなくなりそうです。減圧停止のため、浅めのお魚エリアでしばし泳ぎましたが、もはやボーナストラックでしかない…(笑)。いや、今回は水中撮影という初の試みがあるので、それはそれで楽しめましたが。
ともあれ、オープンウォーターの分際でレディまで行けたというだけでも、SSのダイビングは満足と結論していいでしょう。去年、ケアンズでライセンスを取り直した甲斐もあったというものです。

クレバスのような裂け目を垂直に降下していくのはスリル満点!

いちおうレディと一緒に写っていますが、あまりに余裕がなく、肉眼でレディを見た記憶が飛んでます。。。

薬の粉末がそのまま残っているというのは、どういう理屈なのであろうか…。



SSの全貌。

船というより、もはや建造物の域。

見るべきものは見つ…と云いながらも、ダイビングの後、「ミリオン・ダラー・ポイント」を観光。ここにもアメリカ軍のゴミが散乱しています。

夜は、昨日食堂で会ったアルフレッドが、「え?バヌアツに来て、まだカバを飲んでないの?そりゃダメだ、明日の晩、ぜひとも飲みに行こう!」と誘うので、宿のほど近くにある(なんたって町が小さいのだ)カバ・バーで落ち合うことに。
…のはずが、待てどくらせどやってきません。店の前でぼんやり立ち尽くしているわたしを気の毒に(不審に?)思ったらしい地元の人が、アルフレッドに電話をかけてくれたのですが、どうやら忘れてたっぽい様子。。。この呑気さはさすが南国気質と感心するべきなのか。それでも来ると云うので、先に店に入って待つことに。
店内は薄暗く、確かにカウンターはあるけれど、バーらしい洒落っ気はなく、バーというより田舎の総菜屋のような簡素さです。カウンターにはつまみなのか数種類の食料が並んでいるのみ。そして、カバは、どう見ても泥水…いや、失礼。
カバとは、バヌアツはじめ南太平洋の島国で愛飲されている、一種の嗜好品です。飲むものですし、お酒と大差ないように思いますが、決定的な違いは、アルコールではないという点。お酒に似たナチュラルドラッグとでも云えばいいでしょうかね。無論、バヌアツでも南太平洋の島国でも、非合法ではありませぬ。
さて、もともとバーで一人で飲むという粋な芸当のできないわたしは、しばし身の置き所に迷っていましたが、カバを作っている兄さんが話し相手になってくれました。
彼は、以前はダイブマスターとしてダイブショップで働いていたのですが、お金の問題で辞め、今は奥さんの実家であるこのバーでカバを作っているのだそう。聞くところによると、従業員の装備はちゃんとメンテナンスされていないことが多くて、彼も3回くらい深刻な事故に遭ったらしい…。「まあ、ツーリストに対してはちゃんとしてるし、働いているダイブマスターたちはみんな優秀だけどね」。こんな南国にもブラック企業文化が…いや、そもそも植民地支配を受けているから、今に始まったことでもないのか。
バヌアツは、やっぱりというかなんというか、暮らしていく分には大してお金はかからないそうです。でも、観光やアクティビティは、オーストラリア人かニュージーランド人が始めたビジネスなので、本国基準の高い値段設定になっているのです。ほんと、ただ町をブラブラしているだけなら、大してお金かからないよね、きっと。
約束から1時間ほどしてようやくアルフレッドが現れ、カバを1杯飲んでから夕飯を食べに行きましたが、予想以上にカバの酔いが回ったようで(泥水などと見くびっていた罰でしょうか)、いったい何を話したのか、今いち記憶が不鮮明です…。

初カバ。見た目だけでなく、味もわりと泥水に近かったりして。。。


翌朝は、正午のフライトまでの数時間を、やっぱりぐうたらと過ごすこともできなくて、ロンプラの地図をなめ回すように再読した後、タクシーを捕まえて宿からいちばん近くのビーチへ出かけました。
歌のように誰もいない海は、しかし、特別に海の色が美しいわけでもなく、静かで素朴な、観光的にはやや退屈な眺めです。
ぶらぶらと歩いていると、向こうの方から歩いてきた青年が話しかけてきて、聞けばこの辺に住んでいる人のよう。時間があるなら、自分の村を案内するよと云われ、この島で残された時間を費やすにはちょうどよいと思い、ついて行きました。
彼、チャールズ君は、その辺に咲いている色とりどりのハイビスカスや、わたしにとっては謎の植物について、学者のような熱心さで解説しながらわたしを村へと誘いました。
村は、実に、本当に"村”でして、わたしが滞在している宿の辺りは、ここに比べればなるほど"町”だよなあと思わないわけにいきません。生い茂る緑の中に、点在する藁葺きの家々。簡素で原始的ではありますが、不思議と貧しい感じはなく、広い庭にゆったりと干された洗濯物や上半身裸で走り回る子どもたちには、ある種の豊かさが宿っていました。
「暮らしていくのにほとんどお金はかからない」――バーの兄さんの言葉が、頭の中で再生されます。

台所に、飾られるでもなく置かれた花の色がやけに鮮やか。

かくして、わたしの短いサント島滞在は終わりを告げ、再びポートビラへ。
約束通り、ピーターが空港まで迎えに来てくれて、夕方のシドニー便までの間、海の見えるタイ料理屋でランチをしました。
その道すがら、わたしは何の気なしにピーターにこう聞いたのです。
「Have you got malaria?」(マラリアになったことある?)
ところが、わたしの発音が相当まずかったらしく、質問は「結婚してるの?」にすり替わっていて、そこからは、予想もしなかったピーターの泥沼離婚劇が浮かび上がってきたのでした。
なぜポートビラにいるのか、ここで何をしているのか。
それらは、あまりに昼ドラチックで、あと数時間でこの国を去るわたしにとっては、狐につままれたような話にさえ聞こえました。
思わぬ人の、思わぬ人生の裏側を見た気になって、なんとなくメランコリックな気分に支配されながら空港に向かうわたしは、この後間もなく己の身に降りかかる災難のことを、1ミリ、いや、1ミクロンたりとも予測していませんでした…。つづく。

(2013年10月29日 ポートビラ)

ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system