旅先風信えくすとら「オーストラリア」


先風信えくすとらvol.23

 


 

**Dive into your xx**


さて、話は日食の前日に戻ります。

初日にキュランダ、2日目に市内観光をしたら、早くもケアンズには満足してしまい、さて明日は何しよっかなーと悩み始めました。
2日目にして悟ったのは、ケアンズは、街歩きなどを楽しむところではなく、山だ海だ自然だとアクティビティに励んでこそ真価を発揮する場所だということです。
うーん、これがシドニーならば、市内観光とショッピングで3日くらい遊べた気もする。。。ていうか、本来なら今頃はエアーズロックにいたはずなんだけどっ(涙)。
わたしは、失った金のことも忘れ(おいっ!)、何かしなければという半ば強迫的な衝動に駆られて、街の至るところに存在する旅行会社の看板を訪ね歩きました。各種アクティビティの案内看板が出ていますが、うーん、やっぱメインは海遊びだよなあ……何たって、世界に名だたるグレート・バリア・リーフのお膝元だもんなあ。さすがに無視するわけにはいくまいて…。
長旅の頃、ダハブでオープンウォーターを取って以降、中米、タイでも潜り、ログブックもそれなりに埋めましたが、帰国後は一度も潜っていません。加えて、ひとつ大きな問題がありました。

時はさらにさかのぼって長旅の帰国直後。普通、PADIのオープンウォーターを修了すると、3か月後にライセンス(Cカード)が発行されます。すぐに帰国できないわたしは、とりあえず発行された仮免で、その後の3年間も潜り続けていましたが、一度、中米かタイだかで、登録の照会をしてもらったとき、名前が見つからないことがあったのです。そのときはログブックと仮免だけで潜らせてもらって事なきを得たものの、いざ帰国してみると、カードが届いていないではないですか!
父ちゃんが間違えて捨てたのか?と早速疑ってみましたが、どうもそうではないらしい。わたし宛の郵便物は、年賀状から、ミャンマー日本大使館からの不穏なお手紙までしっかり保管してくれていました。その山を漁っても、やっぱり出てこない。
PADIに直接メールで事の次第を問い合わせたのはいいけれど、己の低レベルな語学力のせいもあって途中うやむやに終わってしまい、でもまあ、今後ダイビングする機会もなさそうだし、いっか…とけっこう簡単に諦めてしまったのです。
まさかそのツケが、今ここ、ケアンズで回って来ようとは…。あのとき、何が何でもCカードを再発行してもらうべきだった。ってか、せめて今回、実家で化石となりつつあるログブックを持ってくるべきだった…。いくら日食が目当てとは云え、ケアンズはダイビングのメッカ。グレート・バリア・リーフを目の前にして、シュノーケリングでお茶を濁すというのは、過去それなりに潜った経験がある身としては何とも悔しいではないですか!
ダイビングツアーを催行している旅行会社にとりあえず入り、ダイビングしたいけどCカードがないという事情を話すと、「でも、念のため調べてみるね」と云われ、えっもしかして実は登録されてたりして? とスケベ心が湧いたのも束の間、
「うーん、
やっぱりないみたい
…ですよね〜〜〜。。。一抹の希望はあえなく潰えました。
まあ、それはきっとないだろうと思っていたし、どっちにしたってダイビングは久しぶりすぎて不安もあるし、明日1日のヒマつぶしなら、今回は体験ダイブでもいいか…。

早速、翌日のツアーに参加することになり、朝は7:30集合と超早起き。
それだけでもナーバスになるには充分ですが、英語オンリーのツアー、久しぶりすぎるダイビング、ぼっち参加という条件が加わって、どうも肩に重荷がのしかかっているようなどんより感が否めません。しかも、旅行会社から渡された地図、ビミョーに間違ってないかっ!?
いざ船に乗り込めば、9割方が欧米人、アジア系1割、日本人はわたしだけ。しかも、みんなカップルかグループではないか!まあ1日だけだからいいんですけど、何、このひとり旅にやさしくない、アウェーな構成…。
…なんて、ブツブツ心の中で独り言を云っていたら、見事に
船酔いしました(泣)
船がかなり揺れたのです。他にも何人か、ゲロ袋を手にしている人たちがいて、それがさらにわたしの悪いイメージを掻き立てました。
そんな状態のまま、放送で呼び出しがかかり、甲板にて行われるダイビングの説明。もちろん英語。ああ、なんか大事なこと云ってるよねきっと、でも、インストラクターの云っていることが半分くらいしか分かんないよ。
器材一式を取りに行くのもひと苦労、いったい自分がどのグループで潜るのかもよく理解できないまま、近くにいたインストラクターに頼ってウェットスーツに着替え、BCDを装備します。
…あああああ、緊張してきたっ!!! タンクの重みが、もうあとには引けない感じ!(大げさ)

船尾にてダイブの順番を待っていると、急に水が怖くなり、美しいはずの海が水色のゼリーの怪物に見えてきます。
しかも悪いことに、わたしの前に飛び込んだアジア系の女性が、どうやら初ダイビングだったらしく、けっこうパニクった末、潜るのをやめてしまいました。そんな光景を目の当たりにして、わたしに平静でいろとおっしゃるの!? しかし、緊張が極限状態に達していたためか、船酔いはちゃっかり収まっていました(てへ)。
隣で待機している体験ダイブの年配男性に、「久しぶりすぎてかなりナーバスになってます…」といきなり話しかけるほど、気持ちのやり場に困っていました。「大丈夫、僕も同じだから」とにこやかに返され、いくぶん落ち着きを取り戻したのでしたが、いざ飛び込んで、顔を水につけてマウスで呼吸すると何故か鼻に水が入ってきて、途端に恐怖が復活。というよりむしろ倍増。あうう、えーっと……
ど、どうやって息するんだっけこれ!?
インストラクターに「What's the problem?」と尋ねられ、焦りとパニックが増します。ああ、やばい、このパターン、まさにダイビングのデフレスパイラル(?)。怖くて船の手すりから手を離せない。でも、このままここにい続けるわけにもいかない。潜るか、やめるか…。
しかし、基本的にセコいわたしに、やめるという選択肢はありません。マスクをこれでもかというほどきつく締め上げて水が入ってこないようにし、マウスピースを歯が痛くなるほど噛み締め、何度か顔をつけては上げるを繰り返して、やっと頭を沈めることができました。この、水中で息をするという感覚に慣れるまでが大変なんですよね…。
吸う、吐く、吸う、吐く……ゆっくりと。少しでも混乱したら、水中呼吸という摩訶不思議な状況について真面目に考えたらアウトです。“こーゆーもの”として素直に認識するのです。息をむやみに吸わず、吐くときはしっかり吐ききる。そうだ…この感じ。思い出す。少しずつ。気がつけば、マスククリアも、耳抜きも、体が勝手にやっていました。

“グレート・バリア・リーフ”の名に期待したほどの透明度はなく、体験ダイブなのでインストラクターを中心にして5人くらいが腕を組んで一緒に潜るというスタイルで、自由に泳ぐことはできません。いったん潜れるようになると、「ああ、一人で自由に泳ぎたい…」と思うようになるゲンキンなわたし(苦笑)。
それでも、森のような珊瑚礁、時折現れるカラフルな魚の群れ、底の方には白黒ストライプの目方70cmはありそうな魚が化石のように鎮座していて、海の中の特殊世界に新鮮な感動が湧き始める頃、浮上の時間になってしまいました。

水色の怪物。。。

何とかダイビングを終えられたことへの安堵は、やがて疲労感へと代わり、船酔いも再び、ひたひたと忍び寄って来ました。
やがてブッフェ形式のランチの時間になりましたが、食欲が一向に湧きません。欧米人たちは、もりもりとパンやソーセージやドレッシングたっぷりのサラダを食べ、その傍らでわたしは虫のように野菜ばかり食べていました。なんか悔しい(泣)。
しかも、船酔いと寒気を和らげるために甲板に出てぼんやり日光浴していたために、シュノーケリングを逃してしまいました。船内放送で案内があったことにはかろうじて気づきましたが(そう、これはダイビング&シュノーケリングツアーだったのだ)、寒さに怖気づいて躊躇しているうちに参加のタイミングを失いました。
何だかなあ、今回の旅はタイミングの神に見放されているのかなあ!?
かくして船上のわたしは虚しくも、シュノーケリングを楽しむ人々を、恨めしそうな眼差しで眺めていたのでした。先ほどのアジア人女性も、シュノーケリングなら大丈夫なのか、楽しそうに泳いでいらっしゃるじゃないですか。。。シュノーケリングの方が案外、海中がキレイに見えそうだし、やっぱ寒くても行っとけばよかった! ……なんて云ってももう遅い。保温性のない体に生まれてきたことを呪いながら、指をくわえて海面を見つめていました。。。

シュノーケルポイント。船上からは…何も見えません;

と、ここまでが日食前日の話。
実は本題は、ここからです(史上最長に長い前置きでした)。

例の、宙に浮いたままのカンタス航空便。変更手数料はかかるけれど、日食の後にエアーズロックに行くということも、当然ながら考えていました。オーストラリアに着いてからも毎日、1日に2回はオーキッド・プラザに来てエアーズロック便のチェックをしておりました。
ところが、買った当時の金額からすると、片道だけでも100ドル近く値上がりしており、変更手数料の60ドルも加えると、えっ、いったいどんだけの出費になるんですか!? それでも、日食が終わった直後も、最後の望みをかけてログインしましたが、何と昨日よりさらに100ドルも値上がりしているというね! ニューヨーク株式市場もビックリなんですけど!!
今さら、航空券の範囲で行けそうな都市を探しても、これという場所は見当たりません。ていうか、そのシミュレーションは、飛行機に乗り遅れた時点ですでに終えているし! 念のため、候補にしていたゴーブと、タウンズヴィルについて、オーストラリア在住のHさん親子に聞いてみたところ、前者は治安が悪いし、後者は行っても特にやることないよ、とのにべもない回答でした(苦笑)。
だったらもう、結局、帰国までケアンズにいた方がいいのかな。しかしケアンズでいったいこれ以上、何をすればいいのか? それが問題だ。

ハムレット(わたし)が出した答えは、
「ダイビングのライセンスを取る(取り戻す!)こと」でした。
はっきり云って無駄も無駄、いったん取ったライセンスをアドバンスドなどにグレードアップすることはあっても、一からやり直すなど聞いたこともありません。しかし、事実として登録がない今、ログブックも実家に埋没している今、そしてケアンズで何をしていいか迷っている今、これしかないという気がしました。ちょうど、帰国日まで5日間あります。オープンウォーターのコースは4日間、ダイビングからフライトまで24時間は空けねばならないとなると、今すぐ申し込んで、明日からスタートする必要があります。
わたしは、オーキッドプラザでしこしこ検索していたカンタス航空のサイトを閉じ、目についた旅行会社に飛び込んで、明日からスタートできるコースがないか、尋ねてみました。
あ、明日ですか…と、戸惑いつつも、担当者のおねえさんは、英語のコースならそれでも可能で、かつお値段もいくらか安いですよと教えてくれました。
もはや選択の余地などありません。「それでお願いします!」

かくして、わたしのオープンウォーター取得コースの日々が、始まりました、が……。

いや〜、英語が、全っ然分かりません☆

体験ダイビングのときに予想できただろ!って話なんですけど、予想をはるかに超えて聞き取れません。何ていうの、もう、ラジオのチューニングが合わず、ずーっと雑音がメインで入っている状態っていうか、言葉がとにかくキャッチできない。話すスピードにまったく付いて行けないのです。
今回は、スイス人カップル、アメリカ人カップル、ブラジル人男性、オーストラリア人男性、そして日本人女性(わたし)という構成。インストラクターは、オーストラリア人男性のA先生に、メキシコ人男性のC先生です。
英語レベルの序列は、オーストラリア人・アメリカ人・メキシコ人(ネイティブじゃないけどインストラクターなのでペラペラ)>(やや厚い壁)>スイス人(女子)=ブラジル人>スイス人(男子)>日本人(妖怪)、とこんな感じでしょうか。スイス人の男性は、もしやほとんど喋れない…? と思わず仲間意識を持ったのですが、彼女のヘルプがあるためボロが出ることもなく、しかも喋れそうな顔(つまり欧米系の顔)なので、あまり上手くなくてもほとんど気になりません。ブラジル人の男性も、出自はアメリカらしいので、ペラペラじゃなくてもわたしよりかはるかにできているしなあ…。
ビデオ講習で英語のサブタイトルを見ながら理解したり、プールでの簡単英語&ジェスチャー講義だと、ほとんど喋らなくていい分、ナンボか気がラクなのですが、それとて、昔取った杵柄で、ダイビングの予備知識があるからこそ何とか付いて行けているのです。まったくの初心者だったら、溺れ死んでいてもおかしくない(涙)。
1対1の会話でもやっと6割程度の理解なので、みんなの言葉が飛び交うような状況では、惨め以外の何ものでもなく、また自分のことが大嫌いになりそうです。
ここ数年、英語の上達なんて完全に放棄してたもんなあ。元々からして苦手なのに、勉強してなきゃそりゃボロボロにもなるよ。それでも、旅行する分にはまあ、何とかなっているって錯覚に陥っていたんだけども。ああもう、耳を叩き潰して、いっそ何も聞こえなくしたい。。。って、それじゃ授業になんないか!

…いや、しかし、そもそも英語のコースを申し込んだとき、理由は@金額Aスケジュールではあったものの、B英語の勉強になるかも? というオプションもあるにはあったのです。
それが間違いだったとは云いませんが、己のベースがもう、一から出直して来い!状態だからなあ。。。たまの休暇だっていうのに、何でこんなにストレスを溜めるような状況に身を置いているのか、自分で自分のことが理解できませぬ。
宿に戻って来ても、最初にいた、ちょっとだけ仲よくなった香港人の女の子はすでにいなくなっており、ネイティブの若い女性たちばかりのドミで繰り広げられる陽気な会話がもう、わたしを呪詛する言葉に聞こえてきて、まるでくつろげません。
仕事(ダイビング)に行っても英語、家(宿)に帰って来ても英語……ああ、肩身が狭い。この肩身の狭さこそが、語学向上の起爆剤だとは思うものの、いかんせん、あと数日の話。この苦労(?)に意味はあるのか?
しかし、別に彼ら彼女らは母国語を普通に喋っているのであって、わたしがそれをきちんと喋らなければいけない義務は特にないのです。むしろ、このハンディキャップについては、もう少し全世界的に寛大になってほしいくらいです。
ただ、ダイビングの方は自分で志願してイングリッシュコースにした手前、開き直るのもカッコ悪いわけで…。

ダイビングの講習が終わると、あっという間に1日が終わります。9to5を地で行くスケジュール、ランチ以外は休憩もなく、英語というハンディがなくてもけっこうハードではあります。
噂には聞いていましたが、オーストラリアのコースは、プールで200メートルのスイミングがもれなく付いてきます。スタイルは何でもいいとは云え、普段は自転車漕ぐくらいしか運動していない身には、しんどい、かつ面倒くさい実習でした。ダハブのときは、そういうのなかったもんね。でも、英会話教室の中でじっと座っているよりはラクかも…と思ってしまうのが、何とも情けない。
その後、フィンやマスクの説明、水中での浮力調整、いずれも説明を100%理解できていないので、デモンストレーションを見、体に眠る記憶を呼び起こして、何とか遅れずに付いて行っている状態。ほんと、綱渡りもいいところですが、今のところ技術的には問題なさそうで、ホッ…。
夜、同じ宿に泊まっているYさんと、日食ぶりに夕飯を食べに行くことにしたのですが、まる2日、英語漬けで、云いたいことも云えないこんな世の中状態だったので、ものすごく解放された気分になりました。Yさんも、けっこう英語コンプレックスがあるようで、「ネイティブの英語がどうにもこうにも分からない」という話題でひとしきり共感し合うのでした。

3日目。2日くらいで英語が飛躍的に進歩するなら、みんな、駅前留学だけでペラペラになっています。
窒素酔いの際のおかしな行動例として、「魚にレギュレーターを咥えさせる」という冗談だけは分かったけれど、あとは相変わらず、耳にノイズが入りっぱなし。やっぱり、みんなが笑っているのに自分だけは分からない、っていう状況がいちばんこたえます。
でも、3日目からは海での講習がメイン。いったん潜ってしまえば言葉などカンケ―ない! やっと来たわ、わたしの時代が…。
船に乗る前、アメリカ人カップルが、スイス人カップルと4人で記念写真を撮っていて、カップルでないひとり者のわたし、オーストラリアン、ブラジリアンは排除するんかい、と若干引っかかってしまった(笑)。スイス人の2人もそんなに喋れるわけではなく、そんなに仲よくしていたわけでもないのに……このカップル至上主義者め! カップル文化なんて大嫌いだ。2個イチじゃないと人間扱いしてもらえないんですか?!(←超被害妄想)そういや、アメリカ人彼氏の方は、朝、あいさつしたときもしっかり無視してくれたよねえ…などと、余計なことまで思い出しましたが、その後の彼は、船酔いでめちゃくちゃ苦しんでいたので、許してあげよう…(って、何様なんだ(笑))。そんないじましいことがグチグチ気になるのも、すべては己の英語力のせいさ(泣)。
ちなみにわたしの船酔いは、前回の教訓を生かして酔い止めを飲んだら、効果絶大でした。船がそんなに揺れなかったし、授業が忙しかったってのもあるけどね。
この日の透明度は25m、さんごも魚もよく見えました。オーロラ色の魚、モノクロストライプの魚、黄と黒の幾何学模様の魚の群れ、めだかのように小さくて青白い魚、おでこが角のようになった銀色の魚。さんごは森のようでもあり、食卓のようでもあります。こんな世界が水の下にあることに、体験ダイブに続いてまたまた感激。
しかし、ダイビングはいずれもトレーニングを兼ねており、海中でのマスククリアやエア切れ時の練習などがちょいちょい挟まってくるのが苦痛でした。バディのサブレギュレーターをー吸った瞬間、何故か海水がゴボッと入ってきて、危うくパニックを起こしそうでしたよ。。。しかも、水面近くではなく、海底で。あのまま混乱していたら、どうなっていたんだろう…考えただけで怖い。ていうかもう、トレーニングはイヤだ(苦笑)。朝から喉が渇きまくっていたり、さんごを踏みまくったような気がして心配になったりと、何かと気の抜けないダイビングでした。
ファンダイブや他の講習とも船を共有しているので、日本人の講習グループもいました。ファンダイブの説明の際、日本語チームに促されたときは、「ほら、無理すんな♪」と云われているような気がしてけっこう気恥ずかしかったのですが、無性に安心したのも事実です。。。
ダイビング後のシュノーケリングも、前回のように逃すことなくできました。すでに1本目のダイブで体が冷え切っていたので心配でしたが、何とかシュノーケリングまでは持ちこたえられてよかった…。なんかシュノーケリングでも十分キレイな海中世界が楽しめるよね。俯瞰だから近くまでは寄れないけれども。
5時にケアンズに戻って来て、宿の近くにあるかわいい雑貨店を物色したり、モーベンピックのアイスクリームを舐めながらエスプラネードを歩いていると、ようやく自分の時間がやって来たという感じです。ドミに帰ると、台湾人の女の子が新しく入室していました。彼女もワーホリの人で、それなりに喋れるはずですが、何故か話しやすいし、欧米人の英語よりもはるかに理解できるというのが何とも不思議です。

エスプラネードのプール。街なかにこういうプールがあるっていいよね。

最終日は、A先生もC先生もおらず(島で1泊するツアーの方に付き添い)、金髪ショートカットのかわいいおねえさん(オーストラリア人)がインストラクターでした。
Yさんも偶然、同じ船の体験ダイビングを予約していて、船上でばったり再会。アメリカ人カップルと、ひとり者のオーストラリア人男性は、昨日の時点で島泊ツアーの方に枝分かれし、今日もそのまま別の船で講習を受けているのか、ついに会うこともなく、クラスメートは全員が非ネイティブに。別に仲よくなったわけでもないのですが(笑)、今日はなんかリラックスできそうだな…と奇妙な安心感を覚えました。
午前中の2本は、緊急スイミング・アセント(「あああああ」と声を出して息を吐きながら浮上する)、ホバリング(呼吸の調整によって水中の止まりたい位置に止まる技術)などいくつか課題が挟まれていましたが、わりとファンダイブ色が濃く、ニモやナポレオンフィッシュも見ることができました(ナポレオンフィッシュに至ってはちょっと触れた)。
昨日よりもさんごと魚のバリエーションが増えたような…それとも、単に心の余裕が生まれて視界がクリアになったのかは分かりませんが、水中用のカメラを用意してくればよかった…と、めちゃめちゃ今さらな後悔を抱きました。
初日は今いちピンと来なかったけれど、まさにグレート・バリア・リーフの名前にふさわしい、壮大な海の森。全体として見ても迫力があるし、近づいて見ると毒々しいほどに鮮やかで奇態な世界が息づいている。本当に、何て目の覚めるような光景だろう。この不思議さの前には、英語が喋れないだの、仕事がつまらないだのといった日常の雑事(?)はほとんど無力化されるような気さえしてくる。人間の知らないところで、海の生き物はこんなにも豊穣に、生命をきらめかせている。深くゆっくりとした呼吸をしているせいか、心は極度に静かになり、自分がただのカメラにでもなったような気分で、視界に入るものをただ受け取っていました。

そして、午後の最後のファンダイブも終え、かくして、めでたくCカードの仮免が発行されました。
ダハブでもらったそれよりもペラペラではありますが、ここのダイビングショップはケアンズでも大手っぽいし、今回はすぐに帰国するので前みたいなことはないでしょう、きっと…。
それにしても、次にダイビングすることがあったら、絶対にカメラは必要ですね。やっぱ、心のカメラってのは性能が今いちなんですもの。メキシコのコスメルとか、めちゃくちゃキレイだったと記憶してはいるけれど、映像が若干ぼやけてますからね…。
スイス人カップル、ブラジル人男性とは最後、簡単にあいさつをしてお別れしました。英語力のなさゆえに、そんなに仲よくはなれなかったけれど、スイス人の彼女の方は、いつも目が合うとニッコリしてくれたし、彼氏の方はあまり愛想がなかったけれど最後には笑って手を振ってくれて、ブラジル人の彼とも握手してさよならしました。
まあ、日本人だからってすぐ友達になれるわけではないにしろ、可能性の枠はいつだって大きい方がいいですよね。仕事で一切使わないとしても、やっぱり、帰国したら英語の勉強はしようかな…。ダイビングの技術、これもまた可能性。知らない世界の扉を開けるためには、それなりの努力は必要ってことだよね…。

船上のひととき。

そして、翌日はもう帰国です。正午のフライトなので、あまり大したことはできませんでした。
宿の近くの路地に、かわいいビンテージクローズのお店や雰囲気のいいカフェを発見したものの、朝早くて開いておらず悔しい思いをしました。ダイビングの教習中は、朝から夕方までずっと街なかにいなかったもんなあ…。ケアンズでもうやることがないとか云っていたけれど、1日くらいは、カフェでぼーっとしたり、ローカルバスで近くのビーチに行くような日があってもよかったかもなあ…。何たってここは、“夏休みの町”なんだもの(わたしの印象ね)。
ともかく、カンタス航空のチケットを使うために、オーストラリアにはいずれ再上陸することになるでしょうから、英語は何とか向上させたいものです。
そんな自戒を込めて、宿で会った香港人の女の子が薦めてくれた、『Fifty shades of Grey』を空港で買って帰ることにしました。読みこなせる自信は限りなくゼロに近いですが…。

最後の夜に食べたカキ(おい、何を贅沢しているんだ!?)。

(2012年11月19日 ケアンズ→成田) 
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