旅先風信えくすとら「オーストラリア」


先風信えくすとらvol.22

 


 

**THE TOTAL ECRIPSE**


これを読んでいる方のみならず、本人もうっかり忘れそうになっていましたが、わたしがオーストラリアに何をしに来たかというと、日食を観に来たのであります。

カンガルーと遊びに来たのではありません。。。

「屋久島で日食を観られなかった」ことは、わたしの旅歴にトラウマを残し(苦笑)、日食と聞いてまるきり無関心ではいられなくなってしまいました。
今年は5月に日本で金環日食もあったんだしいいじゃない、という声もありましょうが、皆既日食を観ないことには、どうも気持ちがスッキリしません。
屋久島では日食当日、1ミリも太陽を拝めなかったものの、空が真っ暗になるあの瞬間だけでも味わうことができたのは、実に鳥肌ものの体験でした。これでもし晴天で、ダイヤモンドリングまで一緒に観られたら、至高体験になることは間違いない。

さて、旅飲み会でケアンズ行きの話が持ち上がった当初(7月頃)は、盛り上がった面々で「11月はケアンズ現地集合!」なんてはしゃいでいましたが、それぞれの思いや予定もあり、結局、合流できそうなのは、わたしと、Yさんという女子だけになりました。
それはいいとしても、問題は日食ポイントまでの足です。車の手配は、飲み会メンバーの1人に任せきりにしていたのですが、そもそも彼はエクリプスパーティーに参加することになっており、ケアンズシティで宿泊するわたしたちとは予定が合いません。
まーでも、公共のバスとかあるだろうし、いちおう国際免許も取ってきたし、もしかしたら街からも観られるかもしれないし……なんて、あまりにも行き当たりばったりで出発の日を迎えつつありましたが、その様子を心配した(?)、旅イベントでもお世話になったきょきーとさんが、オーストラリア在住の旅友達を紹介してくださいました。
聞けば、その女性は息子さんと一緒に車で日食を観に行く予定とのこと。市内でも観られるんなら、初めて会う人に同乗させてもらうのも申しわけないかなあ、と尻込みしていましたが、事前のメールのやり取りで「市内からの観測は地形上難しいと思いますよ。それに、祭りを楽しむには大勢の方がいいですし」とのお返事をいただいたので、大いに恐縮しながらもちゃっかり便乗することにしたのでした。

ちなみにYさんは、その昔、わたしが「世界一周バイヤー」というイベントに参加したことがきっかけで知り合った年下の女の子です。わたしのブログををずっと読んでくれていたそうなのですが、長澤まさみとローラを足して2で割ったような容姿、よく笑う明るい性格、料理とマラソンが好き…など、どうして読者に、そしてお友達になってくれたのか今でも謎に思うくらい女子としてのポテンシャルが高いです。
彼女はケアンズの前にメルボルンに行っていて、わたしがケアンズに来た翌日くらいに合流しました。
スマホでさくっと連絡がつく時代、海外での待ち合わせはそれ以前に比べるとドラえもんの世紀まで進歩したような印象です。まあわたしは無料wi-fiスポットまで足を運ばねばならないので若干アナログですが…。
合流と云ってもまあ、そこはお互い個人旅行者なので、日中は別行動で、夜、一緒に食事に行くくらいのことです。でも、これくらいの距離感で友達がいるという旅もいいもんですね。
日食の前夜、Yさんとわたしは、街の中心部にあるユースホステル「ギリガンズ」(日食の前夜と当日だけ予約してあったので「ガールズホステル」から移りました)の前で集合し、その女性・Hさんと息子さんの車を待っていました。
9時を回ってしばらく後に現れたHさんは、わたしの予測とまるで違っていて、一瞬、人違いかと思ったほどでした。いや、オーストラリア在住で、21歳の息子さんがいるという情報から、50代前半くらいで、少し白髪の混じった欧米人ぽいマダムを勝手に想像していたわけですよ。貧困なイメージで恐縮ですが(苦笑)。
そうしたら、まるっきり、180度違うんだもん! 小柄で若々しくて、エキゾチックな顔立ちの、マダムもといおねーさんが現れたのですよ。さらに驚くべきは、50代前半どころか、今年で還暦ですって!? 何それ、東洋の神秘なの?!?
そして息子さんも、これまたわたしは勝手に、オーストラリア人と日本人のハーフだとばかり思い込んでいて、「うわ、英会話でちゃんとコミュニケーションできるかな……」なんて心配していたら、英語はペラペラだけど生粋の日本人でした。何の遜色もない日本語で喋るし、なんとドライブのためにおにぎりまで作って来てくれているじゃないですか(笑)。

息子さん――Aくんの運転で、車は一路、ケアンズから北へ約70キロのリゾート地・ポートダグラスへ。
途中から、雨がざんざか降り始め、またもわたしは「あああ、雨女の呪い…」と落ち込んでいましたが、隣に座っているYさんもけっこうな雨女らしく、二人して気まずい顔を見合わせます(苦笑)。Hさんはそんなわれわれに、「大丈夫! あたしめちゃくちゃ晴れ女だから! でも…雨女が二人かあ…一人で勝てるかなあ」と微妙な慰めをし、運転手のAくんは、雨よりもカンガルーの飛び出しをしきりに心配していました。夜の車道は、カンガルー事故が本当に多いらしいのです(いかにもオーストラリアですね)。
大方の予測に反して道は混んでおらず、12時前には宿に着くことができました。セキュリティ甘めの安宿で、わたしとYさんも車の後部座席に身を潜め、コソーリと部屋に進入。安宿と云ってもさすがにリゾート地、部屋は広く、クイーンサイズのベッドが1つ、シングルベッドが1つという構成はどういう客向けなのか分かりませんが、ともかくも、女3人はクイーンベッドに川の字になり、端のシングルにAくんが1人で寝ることになりました。
道中での話を聞くに、Hさんはバックパッカーの大大先輩で今もバリバリ現役の旅人、しかもジャングル専門というハードコア系。何しろ、ケアンズには今日到着したばかりで、それまではカンボジアとラオス国境の、たいへんマニアックなジャングルを探索していたそうで……。興味は尽きないのですが、おしゃべりはそこそこに、明日の日食のため、就寝。

寝たような、寝ていないような曖昧なまどろみを経て、朝5時に起床。外は真っ暗ですが、雨は止んでいました。
海岸に着く頃には空も明るんで、すでにわらわらと観測客たちが到着していました。渚のラジオ局の、陽気なエクリプス生中継をBGMに、全員で日の出を待ちます。
さて、空の具合は……まだ雨も止みたてホヤホヤといった感じの雲の多さ。かさぶたになる前の生傷のようで、不安を掻き立てます。少なくとも、ここから天気が崩れるようなことはなさそうですが、現状維持ではちょっと観測には厳しい。
しかし、水平線から生まれたての太陽が上がってくると大きな歓声が沸きました。フライングして涙を流してしまいそうなほど日の出は神々しく、希望にあふれ、この後の麗しい1日を約束してくれているかのように輝いています。ああ、偉大なる太陽様、どうか今日はコロナおよびダイヤモンドリングを見せてください…。
その後は、一進一退で雲との攻防がひたすら続きます。雲が太陽を覆うたび、気が気ではありません。部分日食が密やかに始まり、同じような写真を何枚も撮りまくっているうちに、時間は過ぎていきます。部分日食中は、ビーチの雰囲気もわりとまったりモードです。

まだほの暗い早朝の海岸。

手前のお三方が今回の日食チームです。

後で見直すとこんな写真ばっかり。

だんだん夕暮れになってきて…。

あ、皆既する――。
屋久島の時と同じように、辺りがすーっと、早送りのように暗くなりました。あの時よりも太陽はしっかり出ているし、真っ暗になるのを期待していましたが、夜明けくらいの暗さに留まりました。時間的に太陽の高度が低いためなのか、そもそも皆既日食では完全な闇(つまり夜)にはならないのか…どっちなんだろう。
皆既の時間は、2分少々はあった…と思います。はっきりと認識できていないのは、ダイヤモンドリングやコロナといった、明らかに皆既日食ですよという現象は、雲がかかって観られなかったからです…。空が再び明るくなり始めて、ああ、終わったのか…と気がつきましたが、ん? これって、観たことになるのかな??
同行の3人はみんな、「よかったねー、観られたね!」と手を取り合って喜んでおり、もしかして、写真に集中するあまり、大事な瞬間を逃したパターンか!? と不安になりましたが、後でYさんに尋ねると、皆既の部分は観てないと思う…という回答だったので、つーことは何だ? 今回は、観られたけど、パーフェクトではないってことになるのか??
で、でも、3人はもちろんのこと、ビーチにいる人々にもおしなべて満足感が漂っているし、ここで
「え、もしかして観られなかった…?」とか疑問を差し挟むのは、あまりにも野暮!だよね…? いちおう、拝むことはできた…よね?? 何だっ、この釈然としない感じは!?(苦笑)

フラッシュを炊くとすごく夜っぽいけど、ほのかに太陽光が残っています。

しかし、わたしが納得しようがしまいが、この旅最大のイベントである皆既日食はここに終わったのでした。なんか、もう1回くらい日食のための旅に出ても罰は当たらないような感じだけどまあ、今日考えることではないか(笑)。
Hさんは、「オージーたちがもっと派手に騒ぐと思ったけど、さすがに高級リゾート地はみんなお上品だね。バカ騒ぎする連中はまとめて300km先のパーティー会場に隔離したってわけかあ。クイーンズランド州は賢いねえ」と云い、わたしは、300km先にいる友達の顔を思い浮かべてこっそり苦笑い。わたしはパーティーの雰囲気に馴染めそうにないのと入場料の高さ(30000円くらい)でやめたけれど、バカ騒ぎも楽しそうではあります。
日食が終わって、すでに今日という日は半日くらい過ぎたような感覚ですが、宿に戻っても、何とまだ7時過ぎ。普段、完全に夜型のわたしは、早起きのマジックに今さら感動すら覚えます。
お互いの日食撮影データをシェアし合って(便利になったもんだ!)、宿を発ち、ケアンズへリターンする道すがら、「朝マック行こうよ」とHさんが提案し、えーっ、オーストラリアまで来て朝マックですかあ? と内心ではあまり気乗りしていなかったのですが、あにはからんや、この朝マック、「早起きは三文の得」を体現する絶品でした。
卵とベーコンのボリューム感が、日本のそれとはあからさまに違う。Aくん曰く、オーストラリアは、卵、小麦、乳製品、加工肉がとにかく美味しいので、マクドナルドでさえも素材がいいというわけなんですね。さっすが食料自給率200%の国。

プリプリに詰まったハンバーガーの具。

その流れで、マクドナルドに隣接した巨大「Woolworth」にて、オーストラリア食材の買い物ツアーとなりました。
H&A親子による丁寧な解説付きということで、ただ漫然とスーパーをぶらついているのとはワケが違います。例えば、卵ひとつとっても「ゲージ入り」「庭育ち」「完全放牧」と3種類に分かれていて、後者がいちばん値段が高く味には大差ないにもかかわらず、よく売れるのだそう。
これは美味しい、これがポピュラー、こういうのもあるよ…と、あれこれ聞いているうちに、わたしとYさんの買い物かごはみるみるうちに物があふれていきました。Yさんは料理好きなので、わたしの1.5倍くらいの量になっています。
オーストラリアの物価に参っていたけれど、こうして生活者視点で見ればそうでもなく、日本より安いものもたくさんあります。「食材が美味しいから、高い外食なんてする気になれない」と二人が云うのも大いに納得。だって、外食はホントに高いもんね〜。
チーズやバター、ベーコンなどは帰国前の買い物に回したにもかかわらず、特に料理に凝っているわけでもないわたしですら食材に30ドルも使う結果に…。それでも、今のところ、オーストラリアに来ていちばん楽しい買い物になりました。

放し飼いニワトリの卵。

大好物のベーコンがデカくて安いっ!

宿まで送り届けてもらって、即席の日食観測チームはここで解散です。
Hさん親子はこの後、空港でレンタカーを返して住まいのあるアデレードに帰るのです。Yさんとも宿は同じだけどいったんここで解散。何となく、いい感じにチームっぽいまとまりが出てきた気がしていたので、もうお別れかと、気持ちの方が若干置いてけぼりになった感じでした。
真っ昼間の太陽は、湿っぽくなるのを許さないかのようにカッと照りつけています。どうせなら、明け方に実力を発揮して欲しかったですね…。
仮眠を取ろうかと思いましたが、あまり眠くならず、またふらふらと街をさ迷い歩きます。大橋巨泉の店「OKショップ」に行ってみたり、エスプラネードをぶらついたり…そして、結局行き着く先はオーキッドプラザというわけで(苦笑)、しつこくエアーズ・ロック行のフライトを調べてみたら、き、昨日より100ドル近く値上がりしてんじゃん!!
タウンズビル、ゴーブなど、チケットの変更+数十ドルで行けそうな近距離の街は、Hさんたちに尋ねると、前者は「何も面白くない」後者は「何もないし、治安も悪い」とさんざんな回答でした。
まあ、タウンズビルは正直なところ、ガイドブックを見てもあまり興味はそそられなかったので、ああやっぱそうなんだ…と思うしかなかったけれど、ゴーヴつまりアーネムランドは、アボリジニの保護区域で、国から助成金が出るため、その金で酒を買うアル中のアボリジニが後を絶たず、レイプやら何やらでよくニュースになるそうで……うーん、どっかで聞いたような話だな。何もしないでお金が入るという状態は、人間を堕落させてしまうんでしょうか…。

そんなわけで、わたしの進退はいよいよ窮まり、ひとつの決断を下さざるを得なくなりました。
「移動は諦めて、ケアンズに残る」
エアーズ・ロックは…また来ればいいさ…。今回みたいに他の都市には行かずに、エアーズ・ロックだけなら最低3日、欲を云っても5日あれば目的は果たせそうだし、それなら普通の三連休に代休とかくっつけて、国内旅行感覚で行けないこともなかろう。
そして、ケアンズでの残り5日間をどう過ごすかについても決めたのですが、その話は次回へ持ち越します。

夕方、宿に戻って宿泊の延長をするためにレセプションに並んでいると、ちょうどYさんが入口にい……るのはいいんですが、隣にHさんがいるではありませんか。
え、あれ? 5時間くらい前にお別れしませんでしたっけ…?? わたしは、まさに狐につままれるような面持ちで2人を凝視しました。
何とHさん、帰りの飛行機の日付を間違えていたというのです。しかも変更がきかないチケットで、500ドル弱がパアーになったあげく翌々日までフライトが取れず、Aくんとはいったん空港で別れて、とりあえず場所を知っていたこの宿に来た……と。そこでたまたま、外から帰ってきたYさんに会って、今の状況というわけです。
いやー、このパターン、恐ろしく既視感があるよ? ほんの数日前、こんな感じで飛行機に乗れなかった哀れな人がいましたよね?!
Hさんには実に気の毒ですが、わたしは、仲間ができたようでちょっとうれしかったりして(笑)。「ホント、こういうとこが抜けててダメなんだよねえ…」と落ち込むHさんを見て、こんなに頭が切れて旅慣れた人でも失敗することってあるんだな…と、ねじくれた安心感を覚えてしまったのでした。
それに、Hさんとまた話せる機会ができたというのも、わたしにしたらケガの功名的ラッキーでした。Yさんが見つけて来たギリシャ料理屋へ、みんなでごはんを食べに行くことに。

Hさんは元編集者で、50歳でリタイアして、Aくんが中学に上がるタイミングでオーストラリアに移住。そこから現在、60歳になるまで無職無収入で、時々は貯金を崩して旅をしながら暮らしているのだそうです。
まず、最初に会ったときも驚愕した60歳には見えない外見に加え、そのバイタリティと話題の幅にビビるのですが、なんというか、同じ編集者という職種に就いていてもあちらは間違いなくエリートだし、己との差異を歴然と感じて縮こまってしまいます。わたしが勝手に抱いていた当初のイメージ、「オーストラリア人と結婚して、ハーフの子がいる在住マダム」とはいったい何だったのか…(笑)。
それにしても、年齢から計算すると、当時としては珍しいくらいの(?)高齢出産です。年齢的にただ子どもが欲しくなって作っただけ、とHさんは事もなげに云い、そんな軽いノリでいいのか? と一瞬考えてしまったけれど、2人を見ていると、別にいいのかなと思えてきます。
自分に親の資格があるのかとか、立派な親にならなきゃいけないとか、そういうふうに考えるから子育てはどんどん辛く、重くなるのであって、本来、子育ては楽しいものだよと、Hさんは未婚子無し妙齢のわれわれに力説しました。
確かに、わたしはすごくそう思い込んでいるところがある。さすがに年齢が上がってきて、物理的な(生物的な)焦りをめちゃくちゃ感じているけれども、わたし個人の性質だけを考えれば、子どもを産み育てられる資格はなさそうです。わたしの空っぽな頭と人間性では、子どもという一人の人間に対して、世界の成り立ちや、人生が生きるに値することを教えたり、生き方の指針を示してあげたりできるのだろうか? と懐疑的にならざるをえません。わたしみたいなのが子どもを作ったら、世間様に叱られるんじゃないだろうか…という罪悪感のようなものまで、うっすら抱いていたりして。
でも、そこまで自分を追いつめる必要もないのかな。親になる資格の熟成まで待つんなら、たぶん今生で子どもを持つことは難しそうだもんな(汗)。
「子どもなんて、普通に生きてくれればそれでいいのよ。それ以上を期待するから辛くなる。土台さえ作ってあげれば、あとは子どもは自分で人生を作って行くんだから」。

Hさんの「子育て」についての言葉にはいちいちやたらと説得力があるのですが、それは何よりも息子のAくんの人となりが保証しているからだと思う。獣医を目指している彼は、当然のように頭もいいし、大人だし、紳士的。
そして、親子なのに、すごく対等な関係に見える。よくある“友達みたいな親子”ではない、強い絆と信頼の上で、彼らはお互いの道を歩いていて、自由だけども愛し愛されていて。だから、お母さんは1人でジャングルに行くことができ、AくんはAくんの勉学の道を行けるのでしょう。
まだAくんが小さい子どもだった頃、2人でよく海外を旅したそうです。子連れの旅なんて、ものすごーく大変そうとしか今は思えないけれど、「すっっっごい楽しいから!オススメだよ」と断言されると、何だか目からウロコがボロボロ落ちてきます。Aくんが獣医を志したのも、その頃の体験によるところが大きいようです。
そういう2人を目の当たりにした後では、
「子どもっていいもんだよ」という、普段ならありふれたものとして右から左に流れそうな言葉も、奇妙なほどの実感を伴って聞こえてくるのでした。
最も、わたしが仮に子どもを産めたとしても、Aくんみたいに賢くてよく気のつく息子に育てる自信はまったくないのですが、子どもの成長なんて、ある程度はバクチみたいなもんなのかなあと思ったり。優秀だから愛せる、バカだから愛せない、ということでもないでしょうし…。

すっかり影響され、またその場の雰囲気にも呑まれ、「わかりました、わたしも帰国したら子どもを作ります!」などと思わず宣言してしまったのでしたが。。。
実際には、結婚もしておらず、何の準備もできていないので、口だけ将軍もいいところです(滝汗)。
ただ、わたしは、年齢のせいもありますが、デキ婚の順番が間違っているとはあんまり思っていません。年齢が上がれば上がるほど、結婚→出産という効率は悪くなる一方で(同時進行くらいじゃないと、時間が足りない…)、わたしも子どもを産むんなら、今付き合っている人――つまり、この世で唯一、わたしを恋愛対象の異性として見ることのできる珍しい男性に、子種をくださいとお願いするのがいちばんの近道なんだろうなあと、ある意味では現実的に考えてもいるのです。特に売りがあるわけでもないわたしが、今からコンパ行って〜、婚活サイトに登録して〜、何人の人と会って〜……なんてやっていたら、いつ子どもを産めるんだよ!? と。 それなら、今の人に、頭下げてでも(笑)子種をもらう方がまだ可能性は高い…という気がする。
はあ、昔の旅行記で
「28でマルコーなの!?」などと書いていた時代が懐かしいわ。まるで切実さがないもんな〜(苦笑)。

モテなかったせいもあるのか、昔から、結婚の意義について無駄に頭を悩ませていました。
みんな、息を吸うように自然に結婚して家庭を持ち始めるよなあと、不思議でなりませんでした。ネガティブに考えていたわけではなく、みんなが当たり前にやっていることには、きっと理由があって、いいことではあるんだろうな…と漠然とは思っていましたが、理屈では今いちピンと来ていなかったのです。
そして、結婚とは(ロマンスではなく)社会的契約であるといういちおうの結論に達して納得したものの、するとますます、2人の男女が「一生添い遂げる」という契約をする意味が分からなくなり、そんな首輪をつけてまでお互いを所有せねばならないのだろうか、とまで思っていました(暴論失礼)。
でもこれが、家族が欲しいという理由なら、今は分かる。その一環として子どもがいるといいなとも思う。家族が足かせになることだっていくらでもあるだろうけれど、家族がいない寂しさもまた、壮絶なんだろう…。

結婚の是非はともかくとしても、一生添い遂げられる人を、たかだか20年ちょっとの人生で見つけて、子どもも30までには産んで…っていうライフプランは、ちょっと今の時代には厳しいんじゃないのかなあ。って、わたしが書くと言い訳くささ全開ですけどねっ☆
でも、それをやっている人たちだってたくさんいるわけで、みんな大人なんだなあと感心するほかないというかありません。と、無難なコメントで締めておくか今回は(笑)。

その昔のギリシャ旅行では、こんなに立派なムサカは食べていなかったように思います。。。大人になりました。

(2012年11月14日 ケアンズ)
ICONMARUP1.GIF - 108BYTES 画面TOPINDEXHOME ICONMARUP1.GIF - 108BYTES







inserted by FC2 system