旅先風信えくすとら2「スリランカ」


先風信えくすとら vol.2

 


 

**旅が始まれば、旅人になる**

 

金を使って、快適で効率のよい旅をするか。
それとも、これまで通り、快適さも効率も度外視して、自力で行くことにこだわるか。
それが問題だ。
いや、そうでもないか……。

ブッフェ形式の豪華な朝食を食べていると、このレベルからいろいろ下げたくないな〜……という思いがよぎりつつも、時間もないので、安全なシェルターのごときホテルをチェックアウトしました。
昨夜の運転手から渡された電話番号は、思い出ファイル(チケットなどを保管しておくクリアファイル)の中に仕舞って。
よし。行くか……。
これで、完全に根なし草。とりあえず、次の目的地キャンディへ向かうために、バスターミナルを目指すとしよう。

ホテルを出たとたん、いかにもフレンドリーな感じでスリーウィラー(トゥクトゥク)の運転手が声をかけてきます。
どっから来たんだ?これからどこに行くんだ?バスターミナル?ここからかなり遠いぞ。2ドルでどうだ?
んー、早速始まったな。何も知らない子羊だと思ってさあ……ま、洗礼みたいなもんか。
一瞬また「ラクしちゃおっかな☆」という出来心(?)が顔を出しつつも、やっぱ反射的に口をついて出る言葉は「いい。歩くから」。もはや体に組み込まれた習性のようになっているのは、パッカーだからなのか、生まれつき(?)の貧乏性のせいなのか……。
10分近く付きまとわれながらも(さすがに、しつこくされると「ラクしよう」という気持ちは無くなる)なんとか振り切り、コロンボの目抜き通り、オルコット・マーワタへと出ます。
車道からの砂埃と排気ガス、幅1メートルもない歩道には屋台のように店が並んでいて、荷物を引きずって(前旅の教訓を生かし、新しいバックパックは車輪付き)歩くだけでも体力を消耗します。
でも、汗だくになりながらも、しぜんに浮き足立って来るのは何故だろう。この猥雑。飛び交うがなり声。山のように積み上げられたチープな商品群。埃。路上のゴミ。果物のにおい。すれ違うごとに、やたらと「ハローマダム」と声をかけて来る兄ちゃんやおっさん……このうっとおしくも懐かしい響き。やっぱこれですよ、これ。やっぱこっちで正解だったんじゃないか、って。このぞわぞわするような楽しさこそ、わたしが求めていたものなんじゃないのか?何て云うか、旅の本能みたいなもの?が、それを求めてるんじゃないかって。
お金を出して、ラクで清潔で効率のいい旅をするのは、結局、性分に合っていないんだ。
庶民の中にいるのが、好きなんだと思う。地元民たちの生活の音が、においがする場所にいると、落ち着く。何度も云うように、わたしは現地溶け込み系のフレンドリーな旅人じゃない。でも、現地の空気の中に自分を漂わせることは、大好きだ。それも、庶民のいる場所にいることが。庶民と一緒なら、とりあえず生きていける、って気がするから。
庶民のバスは座席が硬いし、狭いし、大量に停まっているバスのどこかには爆弾がしかけられているかも知れない。外人なんて、わたししか乗ってない。だけど、妙に落ち着くのは、昔を思い出すからだろうか。

オルコット・マーワタ。人が1人通るともう窮屈になる。

バスは、爆発することなく無事(縁起でもない……)、キャンディに到着しました。
古都キャンディは、スリランカを旅する人なら必ず立ち寄る場所ではないでしょうか。わたしにとっても、キャンディという響き、古都という属性、それだけでもう、訪れるべき町としての条件を満たしています。それに、出発直前にたまたま見た『探検ロマン世界遺産』が、キャンディの仏歯寺とペラヘラ祭の回だったのも、何かの縁としか思えません。
しかもスペルが、CANDYではなく、KANDY。この、頭文字が”C”でなく”K”なところにも、旅心をくすぐられるのはわたしだけでしょうか…(マニアな発言)。

しかし、いざ到着してみれば、古都らしい風情よりもむしろオルコット・マーワタの延長線上にいるかのような雰囲気。
要するに、庶民の香りが芬々たる、ごちゃごちゃした町。まあ、スリランカ第2の都市でもあるわけだし、雑多で当然なんですけど。
バスターミナルから町の中心地に向かって歩き出すと、ゲストハウスの客引きが、タカるように声をかけてきます。コロンボのホテルを出てから、徐々にこういうことにも慣れ始めてきました。定価販売の安穏な国に慣れ切って、途上国での旅に戸惑わないだろうか……と心配だったけれど、なんか、そうでもないみたいだな(笑)。
でも、つい反射的に「いらない」と云ってしまうのは、もはや病気かも? 自力を使わなくてもいいところで無駄遣いして、勝手に疲弊するというね……。
ここに来るまでは、中心地から10キロ近く離れた「ベルガズ・フォリー」という1泊105ドル〜120ドルの
高級ホテルに泊まろうかな〜♪なんて不届きな目論見もあったのですが……結局は、町なかの薄暗い安宿に落ち着くわたし(苦笑)。1000Rsナリ。
今回は、そこまで金がないわけでもないのに……。まあ、さすがに200円をケチって水シャワーの部屋にはしなかったけどね(笑)。貧乏だった頃ですらも水シャワーが大嫌いだったので、ホットシャワーだけは今回、死守したいポイントです。

町を歩いていると、インドほどアグレッシブではないものの、やたらと「ハローマダム」と声がかかります。それも、うっとおしいながらも懐かしいので、何だかニヤけてきます。
とは云え、これもよくあることながら、親しげに近づいてきては「日本にトモダチイマス、コウイチとユカと……」とまくし立てててくる“そのテの人たち”の相手をするのは、やっぱり疲れるんだけどさ……。
信じようと思う気持ちは常に3割くらいあるのだけど、やっぱり胡散臭いんだよなぁ。コウイチとユカは、本当に彼とトモダチなのか?なんか、来月コウイチのところに行くとか云ってたけど、ビザ目当てとかじゃないよね?などと、余計なことを考えてしまうのですよ。
で、何だかビミョーな気持ちになりつつも、キャンディの市場まで半ば強引に案内され、紅茶とスパイスのお店にわたしを誘導し、そこの店員とわたしが話し始めると「じゃあ」と云って立ち去ったわけですが、店員によると「あれはコミッション目当てで親しげに話しかけてくる奴だ」そうで……あっそ。ってかやっぱり?みたいな。
とは云え、店員は店員で、すごい勢いで紅茶のセールストークを始めるから、いったい誰を信じろと!?って感じ。

その後も、朝の散歩がてら見つけたヒンズー寺院に入ってみたところ、ありえんドネーションを払わされるという、朝っぱらから胸糞悪い出来事もありました。
鼻毛の飛び出た若い寺男が、わたしに近づいてきて勝手に案内を始めたと思ったら、奥の事務所的な小部屋に連れられ、「君は仏教徒だろう。ほら、ダライ・ラマのポスターだよ」などとあやされて(?)いるうちに、どこからともなく僧侶が出てきました。
「そこに座りなさい」と云うので座ったら、勝手にマントラのようなものを唱え始め、うちわ的なものでわたしの頭をさすったのち、あっという間に、わたしの腕に白い糸をくるくると巻きつけました。
「これはお守りだ。3〜6ヶ月経ったら捨てなさい」
あ、そりゃどうも。何だか分かんないけどありがとう。立ち去ろうとしたわたしの目の前に、すっとノートが差し出されました。
住所と名前を書いて、と云うので、てっきり寺のゲストブックかと思ってふんふんと名前を書いていると、わたしはエライことに気がついてしまいました。
ノートをよく見ると、そこに名を連ねている外人だか、スリランカ人だかの名前の隣には、3000Rsだの、5000Rsだのとたっかい金額が書き込まれているではないですか。んん?ということは……。
寄付金の記録帳やったんかえ!!!
この、頼んでもいないお守り、ってか白い糸に、3000Rsっすか!?まるで悪質な宗教商法みたいじゃないですか!?
実はここ、確か「世界遺産」で、“タミル人の象徴としてのヒンズー寺院”と紹介された寺院だと思って入ったのよ。シンハラ人とタミル人が対立するスリランカで、ここは、少数派のタミル人にとっての心の拠り所なんだろうなあ……なんて感傷的な気持ちで入っちゃったからさあ、寄付金の準備、つうかそういう心の準備なんか、してないじゃん?
運悪くわたしはそのとき、2000Rs札しか持っていませんでした。こんな妙なやり方で金を巻き上げられるのが悔しく、「100Rs払うから、1900Rsの釣りをください」……と云おうと思ったけど、宗教施設にいることでつい弱気になってしまい、意味不明な500Rsを払ってしまいました。嗚呼小市民(by嘉門達夫)。
帰り際、靴の預かり所で、鼻毛男がチップを要求してきたのにはさすがにキレそうになったぜ……。せめてもの怒りの発露として、そこは無視して寺を出させていただきました。

路上の下着バーゲンに殺到する女性たち。

……っと、文句が先行気味なので、ここらで軌道修正します(苦笑)。
キャンディのシンボルと云えば、仏歯寺。その名のとおり“仏歯”=仏陀の歯を祀っているお寺で、さまざまな仏教の宗派の中でも、スリランカにしかない特異な信仰です。4世紀に、インドからもたらされたという仏歯は、キャンディのみならずスリランカ全体の宝であり、仏歯寺はスリランカで最も重要な仏教寺院なのです。
寺院の建物は、わりと新しくて要塞のような外見で、ぶっちゃけ風情はあまり感じなかったものの、プージャの時間などはわんさと訪れる参拝客が放つ、得体の知れないパワーが充満していました。どんな宗教であっても、人が祈る姿というのは、胸を打ちますね。こんなところにいると、自分が仏教徒などと云うのもおこがましく、後ろめたい気持ちになります。そして、自分の、特定宗教に対する思い入れのなさが、何となく不安定で、また味気なくも思えます。
仏歯は普段、本堂の奥深くに祀られており、参拝客が目にすることはできません。プージャの際、部屋の扉が開けられるのみです。しかし、1日限定何組か(?)は“祀った部屋に入れる権利”を授けられるらしく、限定ものに弱いわたしとしてはぜひ参加したかったのですが、冷やかしはどうもお断りの雰囲気なので、遠くからその“選ばれし人々”を見守っておりました。どういう基準で選ばれるんでしょうか?

ライトアップされる仏歯寺。

その他、キャンディでは、「ピンナラワの象の孤児院」を見に行きました。正確にはキャンディでは全然なくて、キャンディからバスで2時間もかかる別の町にあるんですけど。
孤児院には、欧米人の団体がてんこ盛り来ておりました。
“象とわたし”の写真を撮るのに、象使いの青年たちにチップを払っている光景があちこちで見られました。
わたしは、チップという習慣に付随する(ように見える)何とも云えない上下関係に抵抗感を覚えてしまい、その場のノリについていけませんでした。わたしだってホントは、象と一緒に写真撮りたかったけど(涙)。
確かに、「象を手なずけて観光客に写真を撮らせる仕事」だと考えると、そこに金銭が発生するのは当然なのかも、とも思う。でも、何か、しっくり来ないものを感じてしまうのは、わたしが日本人だからなのか。それとも単にケチだからか。チップを払ってるというか、金を握らせてるような印象を、どーしても受けちゃうんだよなあ……。

……何となく脱力してその場を去った後、今度は象たちが一斉に水浴びをするというので、川に移動しました。
川の上の高台からその様子を眺めていると、象使いの青年たちが「もっと象の近くに来なよ」と手まねきするので近寄ってみました。
写真撮ってあげるよ、ほらカメラ貸して、と云われ、むむ、でもチップはなあ……とためらいつつも、流れに任せて写真を2枚ほど撮ってもらうと、やっぱり手を出されてしまいました。
それで、ポケットの中にあった5Rsコインを2枚出してみると、「ありえん」とでも云いたげな様子で突き返されました(苦笑)。
やっぱし?チップって普通、そんな額じゃないよね(脱力)。あーあ、下手に小銭なんか出すくらいなら、いっそ断ればよかった。かえって馬鹿にしてるみたいだよな、これじゃ……。
わたしは、中途半端な己の行動にいたたまれなくなって、尻尾を巻くようにしてその場を去りました。

ゾウを触れと促すゾウ使いの青年と、でも触ったらチップを要求されるのでは? と戸惑う日本人旅行者Nさん。

ローカルに寄り添って、ローカルのようにふるまって低予算旅行をすることが、正しい旅の仕方なのか?という疑問は、常につきまとうものです。
観光客相手に食べている人たちにとっては、わたしのような旅行者がいちばんメリットがなく、虫の好かないタイプなのじゃないでしょうか。
旅行者は旅行者らしく――?でもないけれど、そういう人たちに一定の金を落としていくことが、経済を循環させる上では、必要なのかも知れない、と。
地元民の足である安いバスの一席を陣取ることは、ある種の傲慢とも考えられなくはないか?チップという習慣を、ひとつの文化として受け入れられないことは、無礼なのではないか?経済格差のある土地に、それなりのお金を落としていくツアー客や、自国の物価を物差しとしてお金を使えるツーリストの方が、土地にとってははるかにありがたいのではないか?それは、経済だけを物差しにしている一義的な見方だろうか?
ただ、経済格差を利用して、これ見よがしに金を使う旅行者もまた、傲慢であるには違いないわけで、どちらにしても、旅行者とは、傲慢な存在なのかも知れませんが……。
適正なお金の使い方。なんて、あるのかどうか分からないけれど。長期で旅していた頃は、今よりもはるかにお金のことが切実だったから、たとえそんな風に思っても、結局お金を出すことは少なかった。いや、ほぼなかったな……。
必死になって、わたしに、腰ぎんちゃくのようにくっついて来るマージン狙いのおっちゃんなんか見ていると、も〜ついて来んなよ〜(怒)と思いながらも、一方で、何も収穫なくてすまんのう……という気持ちにもなります。

キャンディには2泊した後(とは云え、実質滞在時間は1日半くらい)、世界遺産のあるシーギリヤへと移動しました。
シーギリヤは、スリランカの中でも超一級の観光スポットです。スリランカに来てここに行かない人は、おそらくいないんじゃないでしょうか。
まあ、それなりにすごいんだろうとそこそこの期待はして行ったのですが、シーギリヤは、そんな期待値をはるかに凌駕するほどの、超絶観光地でした。

シーギリヤ(※正確には、シーギリヤは町の名前で、シーギリヤ・ロックが世界遺産の名称ですが、ここではシーギリヤで統一します)は、高さ約200メートルの岩の上に築かれ、たった11年しか存在しなかった王宮の遺跡です。
岩の上の遺跡―と云うと、ギリシャのメテオラを思い出しますが、メテオラのようにもともと切り立った岩の多い地形ではなく、広大なジャングルの樹海の中に、たった1つ、巨大な岩が突出しているのです。それだけですでに奇観ですが、その岩の上に宮殿を建造したというのだから、ちょっと異様ですらあります。
この宮殿が造られた経緯は、こうです。
アヌラーダプラの王の長子として生まれたカーシャパは、貴族出身の母をもつ腹違いの弟に王位継承権を奪われるのを恐れ、父王を監禁し、弟を追放して王位につきます。続いて彼は、父王に財産を要求しますが、父は巨大な貯水池を指して「これが財産のすべてだ」と云います。それを聞いて怒りに震えたカーシャパは、父を殺害させてしまうのです。
その後彼は、弟の復讐を恐れてか、突如、切り立った岩の上に宮殿を建造することを計画します。7年後に宮殿は完成しましたが、さらに4年後、インドに亡命し復讐の機会を虎視眈々と狙っていた弟が、兵を率いて戻って来るのです。戦いは、弟の勝利に終わり、カーシャパは自害して果てました。こうして、「狂気の王」とも呼ばれたカーシャパの王朝は、わずか11年で幕を閉じました。その後シーギリヤは、仏教僧の修行地としての役目を担うものの、次第に時代の流れの中で忘れ去られていくのです。
……何だか、ウソみたいにドラマチックな話じゃありませんか?
遺跡というのは、多かれ少なかれ、どこか悲哀をたたえているものです。が、遺跡が背負うストーリーとして、これほどよく出来た話もそうそうないのではないでしょうか?

チケット売り場のある入口からは、長い長い1本道を、岩に向かって歩きます。映画学校の生徒たちが研修で来ていたほかは、観光客は誰もいません。
途中で遠近感がわからなくなるほど長く感じられる道のりを経て、やっと現われる石の階段、それを上り切ると、岩壁にへばりつくようにして設けられた細い道があり、高いところへ、高いところへと足を進めていきます。
足がすくむような小さな螺旋階段を上っていくと、この遺跡の象徴とも云うべき「シーギリヤ・レディ」の壁画にたどり着きます。
予想していたよりも狭い空間に、その場には不自然なほど豊かな色彩と張りつめた繊細な線で描かれた女性たちのフレスコ画。妖艶で、悪魔的ですらある笑みに、ぞくぞくします。現在は18人しか残っていませんが、最盛期には500人近くの絵があったそうです。当時の様子はいかなるものだったのか……想像も及びません。

スリランカの至宝・シーギリヤレディ(一部)。

その後、ミラー・ウォールと呼ばれるオレンジ色に塗られた岩壁が現われ、その内側を、さらに上へ上へと歩きます。
一歩一歩、空の高みへと近づいていくような感覚に、湧き上がる興奮を抑え切れません。この世で、もっと高い場所はたくさんあるけれど、ここは本当に、天空に通ずる道のよう。さらさらと体をなでる風は、天空からの恩寵か。
眼下の風景は、巨大な樹海のパノラマ。歩いてきた1本道がかろうじて見える程度です。こんなジャングルの中に、この巨石だけが屹立していることは、本当に、奇跡としか云いようがありません。

シーギリヤ・ロックから見下ろす広大な樹海。まさに樹木の海といった感じ。圧巻!

しかし、それだけでは終わらないシーギリヤ。
ミラーウォールからさらに階段を上ると、小さな広場に出ます。そこに、「ライオンの口」と呼ばれる宮殿の入り口があり、ここからさらに岩山を上るのです。ああ、いったいどこまで楽しませてくれるんだシーギリヤよ(笑)。
この岩山は、さらに足場が狭くなり、上る足のすくむことすくむこと……。高所恐怖症だったら、ここは絶対上れない。しかも、岩肌にへばりついているでっかい蜂の巣から、ブーーーーーンという不穏な低音が聞こえてくるではないですか。ははあ……入り口で、自称ガイド志望の青年に「ガイドがいないといろいろ見落とすぞ。あと、蜂に襲われるぞ」とちょっと脅され気味に云われたのは、このことだったか。どうやら、観光客が多い日は騒音が蜂を刺激して、容赦なく襲いかかって来るらしい。そのときのために、網が張られた避難小屋がご丁寧に設置されているほどです。怖えー!!!
立ったばかりのクララのごとく、頼りない足取りでよちよち、よちよちと上ります。いちおう手すりがあるから、落ちるとは思わないものの、板チョコをひとまわり大きくしたくらいの足場に足を乗せていると、本能的な恐怖が襲ってきます。余計なことを考えたら、もうダメ。足だけに、進むことだけに集中しないと、恐怖に呑まれて動けなくなってしまう。
見た目のすごさだけでなく、実際に足を踏みしめることで印象が深くなる、体感する遺跡・シーギリヤってか。ああ、それにしても怖い(涙)。

頂上に行く道のりの、たいそう恐ろしい足場。

汗と冷や汗をかきながらようやく上り切ると、広漠たる煉瓦の礎が、誰を待つともなく佇んでいました。
スリランカ人の若いカップルがひと組いましたが、わたしと入れ違いで降りて行き(あまりに誰もいないので、急いで記念写真をお願いした)、“遺跡とわたし”という、エクスタシーすら覚えそうな状況(笑)。
遺跡の最も高い場所にあるパレス――当然今は遺構が在るのみですが――の上に立つと、ミラー・ウォールから見た樹海が、今度は360度の視界に果てしなく広がっていて、あまりのダイナミックさに息を呑みます。何という世界だろうか――。
ここに立ったとき、カーシャパ王は「自分は世界の王になった」とでも思ったでしょうか。しかし、それと同時に、どうしようもない孤独をも痛感したでしょうか……。勝手に彼の胸中の、さまざまな感情の渦を想像したくなります。こんな場所に宮殿を築いた王の心境とは、如何なるものだったのか。わたしの中ではすでに、カーシャパ王は、美貌の貴公子ということになっていますから(笑)、なおさらドラマチックなものを想像してしまうのです。
常々、遺跡観光の醍醐味は、「誰もいない廃墟に1人で佇むこと」だと思っているので、このシチュエーションは、もう完璧すぎるほど完璧。わたしだけのために用意してくれたものかと勘違いしてしまいそうです。何とここは、人の世の栄枯盛衰、その哀しさを語りかけてくる遺跡であることか。ああ、ガイドとかうっかり雇わなくて、ここは正解だったな。
マチュピチュやギザのピラミッドのようなSクラスの遺跡も、もしこういう状態で見ることができたら、どれほど圧倒されることでしょうか。

正直、前回の旅で、それなりの数の世界遺産を見てきて、大概のものでは驚かないという軽い諦念がありましたが、それをこうも見事に、軽々と裏切ってくれるとは。恐るべしシーギリヤ。
これぞ観光旅行の醍醐味。観光って、とっても俗っぽい行為だと思うけれど、こういう場所に出会えるから、やっぱり観光はやめられないよ。

そんな壮大な遺跡の下で、ヒマそうに、絵葉書や木彫りの箱を売る男たちもまた、ここでは妙に絵になっています。コントラストの美とでも云いましょうか。
勝手に案内役を買って出るおっさんに、最初はウンザリしつつも、意外と下心もなく、15分くらい話しただけなのに「手紙を書くから住所を教えてくれ」なんて、そんな会話に何となくほっこりします


シーギリヤだけで何だかもう、8割くらいスリランカ旅行を満喫したような気分でしたが、文化三角地帯の周遊券を買ってしまったので、ここからもしっかり観光しなければなりません(?)。
ということで、次なる遺跡の町、ポロンナルワへと向かいます。今回はこの辺で。


王宮の遺構が広がる、ロックの頂上風景。

(2008年11月4日 ダンブッラ)

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